ラウジッツ文化
ギリシャ風ヨーグルト、おいしいですよね。
ホメロスやアリストテレスも(むかしはホメロスは、ホーマー、といったのですが)、ギリシャ風ヨーグルトを食べていたのでしょうか。
ところが、調べてみると、ヨーグルトを食べる文化は、スラブなのです。そこから、確かに現代ギリシア語はホメロスのギリシア語の直系かもしれないけれど、マケドニア語は完全に南スラブ語群だし、そもそもバルカン半島全体に「スラブ的家父長制」というものが覆っていることが見えてきます。
これって、西ポーランドを文化中枢としたトシュチニェツ文化がすべてのスラブを生みだした、ということなのです。トシュチニェツ文化はスラブのアルバなのです。
そして、今回はラウジッツ文化の話です。ラウジッツ文化は、ルサチア文化ともよばれ、トシュチニェツ文化のなかからでてきたクルガン文化複合の一スペクトルなのでした。
ラウジッツ文化は、プレ・スラブ文化であるともないともいえます。アルバがアナクの父であってアナクそのものではないように、そもそもトシュチニェツ文化自体がスラブになろうとはしていましたが、スラブにはなってなかった。ラウジッツ文化には、プレ・スラブ文化としての側面と、プレ・ゲルマン文化としての側面の両方がみられるのです。
ところで、なんかむかしミルチャ・エリアーデが「スラブには鍛冶屋がいなかった」と言ってたのですが本当でしょうか?スラブの広い範囲で伝わる、「球形に変形してごろごろ転がる変死者の幽霊」の伝説とあわせ、気になります。
最後に、マイクル・クライトンの伝奇小説『北人伝説』のように、ムスティエ文化人がスラブ文化を創始したわけではありません。そもそも文化人ってテレビに出るのが関の山で、文化をつくることはできないのです。ツァラトゥストラがゼンド文化をつくったわけではなくて、自分のなかに潜在したゼンド文化に呼びかけて、それをかたちにしただけなのと同じことです。文化評論ぱちこーんでした。