ムスティエ文化
かつて(戦前)、民を愚昧ならしめるために学芸が至聖所(Most Holy)に閉鎖されたことがあったといいます。いまや知識と美とを特権階級の独占より奪い返すことはつねに信州的なる市民の切実なる要求であります。もっとも、奪い返したはいいが、奪い返した側が文化を保存するすべを知らなかった。サラセン人から哲学を奪い返したら、カントのドイツ哲学語になってしまってゲゲンベーレンがベンゾーレンになってしまった。こういうこともありますから気をつけたいものです。
さて、今回の文化評論ぱちこーんはムスティエ文化です。ムスティエ文化は正真正銘の人間の文化であった。これは確認しておきたいところです。ムスティエ文化というのは亜類型があるのです。フェラシー型・キナ型・鋸歯縁石器ムスティエ文化・典型的ムスティエ文化・アシュール伝統ムスティエ文化とあって、しかもアシュール伝統ムスティエ文化にA・Bと2類型ありますから、しめて6類型もあるのです。これだけ多様な文化を類猿人が伝承できるものでしょうか。なかでも典型的ムスティエ文化は、典礼がともなっていたかもしれないと言ったら過言です。
つぎに、ムスティエ文化は労働者の文化であった。なんといってもムスティエ文化は石器の型式なのです。大四畳半もなかで住民が石器をつくっていれば立派な仕事場です。時どき換気をしないと粉っぽいです。
最後に、ムスティエ文化は皇民の文化であった。これはムスティエ文化の年代からして明らかです。もっとも、現代の年代算定法には議論の余地があります。でもそれは言ってはいけないことになってるんです。
以上をまとめます。ムスティエ文化は、正真正銘の人間の文化で、労働者の文化で、皇民の文化でした。わたしたちも、明日から花柄のまほうびんに液体ヘリウム3を入れたくなりますね。文化評論ぱちこーんでした!