幾世を旅する者 ‐‐ 感性の肥料 ‐‐
夕方
日が沈む頃には親族一同で四角いテーブルを囲み 飲み会が開かれていた
年齢が下の俺は大体酒注ぎで忙しいそんな中 俺は隅で本を読む愛美を気にかける
「何読んでるの?」
「……妖怪の本」
「妖怪……?」
「うん…… 大禍時に来る妖怪さんが少女を連れ去って行く話」
「怖そうだな」
「でも…… この本はハッピーエンドに出来てるから好き……」
「そうなの?」
二人が話していると さっきも叱ったこの子の母親らしき人がやってきて
「愛美!! 早く風呂入ってきな」
「……」
「まったく…… 言ったからね!」
その人は舌打ちしながら台所へと行ってしまった
「ほら…… お母さんが言ってるよ」
「お母さんじゃない……」
「え……」
「おじさん何も知らないんだね」
茅野は本を置いて 着替えとタオルを持って風呂場へと言ってしまった
後に聞いた話では愛美の両親は二人共いなかった
母親は元々病弱で愛美が生まれることを引き換えに亡くなり
父親は運搬業者で 一人で娘を育てようと必死になり過ぎた結果
ある日の夜間の高速道路で居眠り運転
前方で職務質問で停車している大型トラックのところに突っ込み自分のトラックが横転
不幸にも当たり所が悪く そのまま病院で起きることは無かった
その後に愛美は親戚に引き取られた
その晩 親戚達は酔い潰れるまで飲んでいた まあおかしなことでは無い
風呂の順番が一番最後だった俺は時計を見るとあっという間に12時を過ぎている
茶の間に戻ると周りに絡まれることを恐れたが
着替えた俺はそのまま向かい障子の戸を開けようとした その時だった
「もう嫌よあの子!! なんなのよ…… 愛想悪いし ホント疲れる」
愛美を育てる義従姉の声が聞こえた
「私はちゃんと面倒見てるのにあの子ったら…… いつまで経っても心開いてくれないのよ」
「まぁ愛海姉さんにべったりだったから無理も無いけど……
さすがにあそこまでの根暗な子は私も勘弁」
「よしなさいってあんた達! 姉妹揃って…… 愛海の子なのよ」
「じゃあお母さん育ててよ 私はもううんざり!」
ーー何を言ってるんだ
「嫌よ! あんた達育ててもう一人とか冗談じゃないわ…… 後は余生楽しむわよ」
汚い物を思い浮かべるような義祖母の顔に俺は恐怖を覚えた
「確かに…… この歳になってガキ一人ってのもな……
それにしてもお前らの息子の夕助は立派に育ったじゃねぇか なぁ忠志!」
ーー……義親父
「兄さんや俺達夫婦には似合わないくらい立派に育ってくれたよ」
「じゃあ愛美も育ててやってくれよ成功した弟よ!!」
ーー…………たらい回しって奴か
俺は情けなくて下を俯いていると 忠志は予想外の言葉を発した
「嫌だよ…… 俺もこの歳だっつーよりも夕助がマシに育っただけで
出来が悪かったらすぐ違う子にするつもりだったよ」
ーー……!?
俺は思わず声が出そうになった
ーーこれが身内の陰口
するとトイレに行こうと起きてきた愛美がやってきた
「……おじさん?」
「……っ」
俺は愛美を親戚から遠ざけ 寝室へと愛美を連れてきた
何を言ってやればいいか分からなかったが とりあえず何も聞かなかったふりをして愛美を寝かせた
三時を回る頃
ようやく親戚の人達は各々の寝室で眠った
静かで真っ暗な廊下を歩き 戸が開いた先の外の景色を見ながら俺はその場に座る
「茅野愛美」
ーーなんで引っかかる そんな名前の奴と昔会ったっけ?
「茅野…… 茅野…… 茅野……」
考えれば考えるほど引き起こる頭痛 何かを忘れてる証拠だ
「茅野 茅野 茅野……!!」
思い出せない 俺はこのもどかしさが苦痛で仕方なかった
日が昇る頃まで考えても見えてこない
西から登る太陽が顔を出し始めた そのときだった
〝 陽君!! 〟
「……………」
顔を抑えていた手を静かに離し 俺は太陽を見て呟いた
「俺は 俺の名前は…… 日下部 陽……」
「おはよう おじさん……」
そこへ目を擦りながら歩いてくる愛美がいた
「茅野…… 愛美……」
「え?」
ーー俺が…… 好きになった…… 最初の女性
愛美の顔を見つめて 俺は全てを思い出した
〝 陽 〟 太陽のように相手に正直に明るく生きて行ける人になれ
「父親は義典 母親は…… 鈴音」
一回息継ぎし 愛美を見つめる俺は 茅野に言った
「お前は…… 俺が守るから」
「え…… 何言ってるの?」
その日の昼食に親戚一同が集まる
そんな中で俺は箸を置き 重い口を開いた
「あの……」
「どうしたんだ夕助……」
気にも留めない周りの奴等とは違い 義親父の忠志だけは反応する
「あのさ よければ俺が愛美の面倒をみるよ」
俺に躊躇というモノは無かった
「面倒見てくれるってこと? じゃあたまに休日頼もうかな~」
「違うよ…… 親権を俺に譲ってくれってことです」
その言葉に誰もが耳を疑う
「下らねぇこと言ってねぇで食え夕助」
義祖父がまるで聞き入れてくれないかのように 素麺をすする
「真面目な話だ 聞いてくれよ!」
「夕助どうしんたんだ……」
心配し出す身内の連中に 俺は諦めない
その様子を愛美も黙って聞いている
「あんたに子育てが出来んの?」
「……わからないよ 初めてだし」
素麺を食べていた箸をテーブルに叩きつけ
愛美の義母は大声で怒り出した
「あんたねぇ…… 教師だからそういうこと言わないって思ってたけど
簡単にそういうこと言うもんじゃないよ!」
「もしかして愛美ちゃんに何かする気なんじゃ……」
「何……? そんなこと考えてるのか夕助!?」
愛美の義母の妹と俺の義親父と 束になってかかってくる
「違う…… 俺は……」
「下らない話ししてないで ちゃっちゃと食べなさい」
まるで受け入れない義父母 それでも俺は退かなかった
「義姉さんは愛美をちゃんと守ってくれてるんですか?」
「はぁ!?」
「朝と夜 休日なんて昼ですらコンビニで食事を済ませてますよね?」
「っ……」
「服も自分だけのを買って 娘には安物…… それも半年以上もほとんど同じ物を着せてますよね?」
「……なんであんたにそんなことを」
「挙句の果てには 愛美の運動会 演劇会 保護者会にも行ってませんよね?」
「…………」
「やめなさい夕助…… どうしたというんだ?」
義親父の問いに俺は逆に聞き返した
「出来の悪い子は嫌いなんだろ!? 目の前でそれを作ってる奴がいるのに何で何も思わねぇんだ!」
「……夕助?」
「やめろ夕助! 何だってんだこの真昼間に」
「酔ってるあんたらに言った方が良かったのか?
そっちの方が聞き入れてくれたのか!?」
義父母の怒声にも怯まない俺に その場の全員は委縮する
「とりあえず…… 明日家庭裁判所に手続きしてくる これから皆にもいろいろ迷惑かかるけど……
俺はこれ以上家族のことを クズを見る目で終わりたくない」
今思えば 軽はずみな言葉だったと 少しは反省した
手続きは思いのほか上手くいく
愛美を蚊帳の外にしていたからなのか 俺が親権者になることに誰も強く反発しなかった
「ホントにいいのか? それで……」
「大丈夫 変なことはしないから」
「……いや お前に限ってそんなことは無いと信じてるからな」
「……?」
愛美の実家から愛美の荷物を取りに来た俺に 同じく来ていた義親父は
帰り際に真剣な表情で言う
「酒でお前を傷つけた それは認めよう」
「……」
「だけどな…… お前を何十年も育てた私達を少しは見ててほしい」
「……愛美!! 行くぞ」
義親父の言葉を無視し この先この親族に関わることは無いだろうと腹を括る
ーー俺は別にあの家の血族でも無かったから良かったが愛美はどうだろう……
手を引いて自宅に帰る途中 ふと愛美を見た
愛美はただ黙っていた 泣きもせず 笑いもせず
社会の厳しさを悟ってしまったのか 感情を押し殺す技術を身につけさせてしまった
「愛美……」
「…………何おじさん?」
「…………いや何でもない」
今になって 自分は間違ってたのか思い返した
あそこで育って良かったのか 俺が育てて大丈夫なのか
学校側の教育は多分問題ないが 家庭の上での教育はまるで知らない
俺は愛美の手を強く握ってしまった
「……」
愛美はそれに対して 小さな手で俺の手を握り返した
「…………!」
「これから一緒だね 妖怪さん!!」
「妖怪さん……?」
「大禍時に妖怪さんが現れて私を連れてってくれる 助けてくれてありがとう!」
「……」
黄に染まる夕陽を見て 俺は思い返した
幾度と生まれ変わる数奇な人生
「……妖怪か」
こうして二人の生活が始まった それと同時に決意した
狂った人生を変えられない だから俺は 今の存在の価値に見合う守り方をしよう
ーー愛美を そしてこの時代の陽を死なせはしない
愛しく美しい手を握りながら俺は 愛美と共に陽の沈む方へと歩いていった