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大嫌いな自分と付き合う方法

 辺りは一面、濃緑の絨毯とペンキで塗りつぶしたかのような真っ青な空が広がる。

緑の隙間には稲が植えられた田んぼがあり、合間を縫うように車が一台通れる程度の小路が張り巡らされている。ここには山が無いため、この三十メートル程の高さからでも地平線が見えてしまう。


 景色の中央を横断するようにアスファルトで舗装された道が一つだけあり、時折り、真っ赤なバスがクラクションを鳴らしながら走って来る。


 次のバスに乗って帰ろうかな。私はこのあたりでは最も大きな岩の上から景色を眺めつつ、日本から来た友達に声をかける。


「次のバスは一時間くらい後だから、もう少し探索しようか?」


 隣りでは、ショートボブの髪型にチェックの長そでシャツ、ジーパンにサンダルというラフな格好をした大学の頃からの友達、タカコが顔に日焼け止めを塗りながら返事をする。


「はいはい。この鉄板のような岩の上であなたの住んでる村を堪能させてもらうわ。」


 少し皮肉めいた表情で言うタカコは、決して整った顔立ちというわけではないが自分の魅せ方というものをよく知っている。絶対に嘘はつかないのだが、相手が不愉快にならないように分かりやすく本音を伝えてくるのだ、昔から。


「大丈夫だよ、まだまだこの岩の周りには見せたいものがたくさんあるんだ。」


そういって、向こう側で岩の頂上に生えている木に登っている案内役の現地の友達、

スラーウィラに声をかける。


「スラーウィラ! イランガ パンサラタ ヤム!」


 私は、次は岩を降りてお寺に行こうと提案し、こちらに手を振って返事をするスラーウィラに対し、首を横に振って合図をする。


「首を横に振るのって、やっぱり私には拒否の合図にしか見えないわ」

タカコはそう言って首をかしげるようなマネをするが、肩に力が入り過ぎだ。


「南アジアの方ではこういう文化だしね、逆に日本の文化でも外から見たら変なこともあるよ」


 私は振り返りながら、もう一度横に首を振る。この国ではこの仕草がイエスの合図だ。

職業柄なのか、身体の使い方は良く知っている。あと、元々こういう動きは得意なのだ。

訓練を受けている時に同期の仲間と試してみたら、一発ですんなりできた。


 手すりは無いが、小さく階段状に削った段差を使って岩を降りながら、

「日本だったら危なくて立ち入り禁止よね、これ」

タカコの言葉に、そういえば安全への配慮とか日本は厳しかったなと思いだす。


 ここの生活も半年になるが、すっかり慣れてきた自分に改めて気づいた。安全は自分で守らなければならない生活のため、何が危ないかは全部自分で判断しなければならない。


 日本に居た時は、電車やバスの扉が開いたまま走っていくことなんて想像もしなかった。

しかも、走っている電車に飛び乗らないと席が取れないこともあるため、電車とペースを合わせて走りながら手すりにしがみついて飛び乗ることもある。それが出来るか出来ないかは自分で判断する。出来なければ怪我をして、笑われるだけ。私だって始めは怖かったし、やりたくなかった。それでも、席を取り損ねて4時間も立ちっぱなしになるのは、私はイヤだったのだ。





 私、高千穂 和美は、理学療法士として、このスリランカにいる。

理学療法士というのはリハビリテーションに携わる技術職だ。

よくテレビドラマなどで、リハビリとして歩行訓練を行う場面を見るが、

その指導などを行う人だと理解してもらえれば良いだろう。

実際はその限りでは無いのだが、リハビリテーションについて知らない人には、

それ以上の説明は不必要だろう。


 高校を卒業したと同時に理学療法士の養成課程のある大学に入り、

卒業したと同時にリハビリテーション専門の病院に入職した。


 5年の実務経験後に、偶然にもこのNGO、「地域リハビリテーション研究会」の

スリランカ研修スタッフとして参加させてもらえることになった。

学生の頃から様々なボランティア団体に参加して築いた人脈も、役に立つことがあった。





「カスミノーナ、アーイェット ハンバウェム ブドゥサラナイ」


スラーウィラが、

「また会いましょう、ブッダの加護がありますように」

と言って、バスから降りていく。

彼はとても我々外国人のことを気遣ってくれる、良き現地の友人だ。我々の仕事である、このスリランカの村落、ティラッパネの障害者の福祉事情の調査と、リハビリテーション状況の向上という事業に対しても理解を示し、それほど多くない謝礼なのに手伝ってくれる。いや、この地域の小作農民などの貧困層よりかは良い収入になるのだが。




「そういや気になってたんだけど、あんたカスミって呼ばれてない?」


タカコはバスから降りて私がホームステイしている家に向かう最中に、本日の疑問を口にし始める。


「始めはカズミって自己紹介してたんだけど、ここのシンハラ語って言葉には、Zの発音が無いみたいなんだよね。事前の訓練で少し聞いてたんだけど、英語ができない人たちには文の途中でズって発音するの難しいみたいで。」


 ちなみに、ノーナは英語で言うミスで女性に付ける敬称だ。それで、私はカスミノーナ。改めて言われると、別人になったようで少し笑える。




 ホームステイ先のアンマー(母親)はとても良い人たちで、毎日笑顔で話しかけてきてくれる。タカコはシンハラ語が分からないのに、笑顔でシンハラ語でマシンガントークを受けてタジタジだ。肉が無くて野菜ばかりでとても辛いライス&カリーを手で食べる。もう食べられないと言っても笑顔で、

「タワ カンナ オーネ」

もっと食べないとダメだ!といいながら笑顔でご飯を注いでくる。


 お湯なんて出る筈もなく水でシャワーを浴びて、バケツを使って洗濯をする。トイレはカエルやクモは当たり前、時には蛇や黒光りする嫌われ者であるGや、蝙蝠なども出てくる。家には隙間だらけで網戸もなく、蚊も大量にいるため気づいたら虫刺されだらけになる。救いは蚊帳が設置されているため、ベッドに入れば蚊はいないことか。


 そんな南国の洗礼を浴びながら辟易としつつ、板張りに薄いスポンジのマットを敷いたベッドに寝転がりながら、

「あんたはもう慣れたのねぇ。正直驚きっぱなしだわ。」


いや、これで泣き喚かないタカコも凄いと思うけど。化粧品会社務めって、タフになるのかしら?





 タカコは某大手化粧品会社に勤めているのだが、新宿駅近くにあるデパートの売り場に配属されているため、大型連休があると休みなく働く代わりに別の連休が取れる。


「スリランカに旅行に行きたいんだけど、案内してくれない?」

一か月前に急にフェイスブックで連絡が来た。一年に一度か二度ほど会っているから、私がスリランカにいることは話していた。大学時代は何度か海外に行っていて、いつもヨーロッパやシンガポール、韓国などのお土産をもらっていたから、途上国のようなところに興味はないだろうと思っていた。首都から8時間はバスで移動しないと来ることができない私の任地を紹介したら、行ってみたいと。



「私も開発途上国には興味があった時期があってね。」

初耳だった。言い方が悪いかもしれないが、タカコは自分をどう魅せるのか、ということに興味があるため、自分の周りの生活が意識の中心であり、遥か遠くの貧しい国について考えているイメージを持ったことが無かった。タカコは私は正直に意外であったことを伝える。


「あんたの言う通り、私は自分がどう見られているか考えていることが多いわ。でもね、きっとどう見られているかが気になるってことは、相手がどう見ているかを観察しているってことなのよ。」



 謎かけのように最後まで言い切らない説明で終わり、タカコは寝入ってしまう。まだ正直な気持ちは全部話さないわ、とでも言うように。疲れているのもあるのだろうか。






 翌日は朝一番で甘いキリテー(ミルクティー)を飲む。タカコはあまりの甘さにビックリしているようだ。それ、日本人には想像もできない量の砂糖が入っているのです。


 本日は私の任地での活動に着いてきてもらう予定。今日一日だけ見て貰ってから、タカコが帰る日まで一緒に観光旅行をするつもりだ。


「せっかく来てくれるんだから、普通の旅行じゃ見れないものを見せたいな」

フェイスブックでメッセージのやり取りをしながら旅行の計画について話し合っていて、こちらの提案に旅程は任せてくれた。


 活動上、この地域の障害者に関する調査が必要であるため、私は一人ではなく現地の人と一緒に行動することが多い。

 なぜ、スリランカの中でこのティラッパネという地域が選ばれたのかというと、ここにはつい最近まで青年海外協力隊の隊員が複数名入っていて、地域リハビリテーションの促進に関与していたのだ。その時に、一緒に働いていた現地の社会福祉省の職員にタカコを紹介する。


「メヤゲ ナマ タカコ。 マゲー ウィセーシャ ヤールウェック」

名前を伝えると同時に、さりげなく親友であることを伝え親近感を抱きやすいようにしておく。


「コンニチハ。カズミノーナ ゴダック ホンダタ ウェダ カラナワ―!」

濃い褐色の肌に眩しいくらいの笑顔を浮かべて、サロージャさんは挨拶をする。

日本人と長期間働いていたため、簡単な挨拶は覚えているし、きちんと私のことはカズミと発音できる。「カズミさんは凄く良く仕事をしているわ」と誉めてくれているが、タカコに正確には翻訳しないでおこう。私への褒め言葉を翻訳するのは恥ずかしい。



 サロージャさんが外回りをする時はなるべく一緒に行動させてもらっている。外回りをするときは地域の障害者に会えることが多いからだ。ここで協力隊員が行っていた活動については情報は得ているが、実際に見て聞いて回る方が調査に役立つことは多い。そして、必要があれば私はリハビリテーションの提供も実施する。というか、提供をした実績を報告しないと、臨時で契約している私は本部から帰国させられてしまう。




 タカコを連れていくため、その日一日はスリーウィールをチャーターする。日本人にはタイなどで走っているトゥクトゥクという三輪のバイクと言えばなんとなく想像できるだろうか。この国ではとてもポピュラーな乗り物で、どんな田舎でも使われている。


 もちろんお金が必要だが、タカコの観光も兼ねているので、私とタカコのポケットマネーから出すことをサロージャさんに伝える。彼女は自分もお金を払うと主張するが、精一杯遠慮させてもらう。本当は現地の人に金銭的な援助をするような形になるのは避けたいところなのだが、サロージャさんはちゃんと分かっているからこちらもお金を出しやすい。

 これは私も事前の研修で初めて知ったことなのだが、外国の人間が途上国で直接的な金銭援助を行うと発生するデメリットがある。日本でも、なんでも与えられて育った子どもは自分自身の力で問題を解決する能力に乏しくなる。もちろん、国同士ではお互いが親子という概念ではないが、生活に困窮している立場の貧困層の人たちが、海外から直接援助を貰うと、次も何かもらえるのではないかと期待してしまう。本来、自分たちで解決するべき力を育める手伝いをするべき国際協力という名のもとに、自立心を折ってしまう可能性がある。そんな事例がたくさんあり、この地域でもそういう事例が散見されるという。

「君は日本人か、日本人は色々と手伝ってくれるからとても良い人たちだ。ところで、今度イベントがあるんだけど、お金が足りないんだ。君たちの組織から援助を受けることはできないか?」

簡単に言うとこういうことである。私はまだそういう人には会っていないが。




 スリーウィールで移動していると、通り雨が振ってきた。今は九月でこの地域の雨季にはまだ入っていないが、スコールのように通り雨が降ってくる。急に大粒の雨が降り出したため、側面が開けっぴろげなスリーウィールのまで吹き込んでくる。私とサロージャさんは濡れながら左右の片側ずつ、カバーをかけていく。


「ワヒナワー」

タカコに、「雨が降る」というシンハラ語の動詞を教えてみる。





 今日は障害者同士の地域会議が一件と、その周辺の障害者家庭の訪問を三件、会議で得られた情報から新しく見つかった家庭を一件回ることができた。ちなみに、地域会議は集合時間が九時半だったが、九時半には一人しか来ていなかった。結局、登録している8人が勢ぞろいしたのは十時半だ。遅れてくる人たちも全く悪びれる様子もなく、嘘だと分かりやすい言い訳を並べる。サロージャさんは叱りつけるが、これも毎度のことだ。


 私は、ザ・スリランカの一端をタカコにお見せすることができて非常に満足だ。これでも、全ての参加者へと朝に電話連絡をしているからマシな方である。これはどの仕事場でも起こり得る事態なのだ。私は最大で四時間待たされたことがある。


「なんだか、時間を守ることがバカらしくなるわ。」

タカコは苦笑いしながら、集まってくる人たちを見ていた。


 夕方、まだ明るい時間のうちに帰宅し、昨日と同じようにシャワーと洗濯をする。部屋でゆっくりしていると、天井から「ガン!」と重いものが落ちる音が聞こえてくる。タカコはビックリしているが、これはマンゴーが屋根に落ちてくる音だ。ここの地域はほぼジャングルと言っていいくらい、熱帯の木々が密集している。


「マンゴーが落ちてくるの?食べられる?」


 勿論食べられますよ、虫が食ってなければ。後でアンマーに獲れたてのマンゴーとパパイヤを食べさせたいと言っておこう。







「カズミ、良い笑顔をするようになったわね。昔からは考えられない。」

夕食のカレーを食べた後で、唐突にそんなことを言い出す。

「そう?毎日生きることで精一杯で、あまり自分のことは分からないな。」

これは事実である。この地域にいると、食事のタンパク質が不足するため貧血になったり免疫機能が落ちて傷が治らず化膿していったりする。水分補給も気にしなければいけないのに、トイレに行ける場所も少ない。万が一入院するようなことになれば、扉は壁が無いため野生の犬や猫が普通に病室に入ってくる、パイプベッドが並んだ野戦病院のような場所に寝泊まりしなければならない。半年の生活で慣れてきてはいるが、日本と違って気にしなければならないことが多いのである。


「余計なことを考えてないからなのかもしれないわね。」


 タカコの言葉に、私はドキっとする。

 そう、あまり共通点の無い私達の関係は、私の精神の不安定さを知ったタカコが、定期的に遊びに連れ出してくれるようになったのが発端だ。学生時代に学業とボランティアとアルバイトを掛け持ちし過ぎてて、ある時大学の構内でぶっ倒れたのだが、その時にたまたま隣に居たのがタカコだ。何回か会ううちに、全く違う世界にいるもの同士、過干渉にならずに色々なことを話すようになった。私が一方的に話していた気がするが。







 私は、自分のことが嫌いである。いや、正確には生きる価値が無いと思いこんでいる。なぜ、このような人間となってしまったのかは分からない。小さい頃から人に気を遣う性質はあったように思う。私が人に気を遣い始めた一番始めの記憶は、誕生日の食事を何にしようか母親と話している時に、自分のために高い食べ物を買うのは悪いから「ラーメンがいい」と答えたことだ。別に、頭が良かったわけではない。ただ、無意味に色々なことに罪悪感があった。食べ物の好き嫌いがある子どもに、「世界には食べ物が無い人もいるんだから、好き嫌いをして食べ物を残すなんて贅沢だ」と教える風習が日本はある。大人になって思い返すと、食べ物を捨てたからと言って遠くの誰かの利益になるような論理は存在しないと分かるのだが、思考力の無い子どもの私は素直になんでも食べるようになっていた。おそらく、これが海外の貧しい国のことを考えるようになった、きっかけになったのだろう。

 高校生くらいの頃には、半ば確信めいたように感じていた。

「お前には生きる価値がない」

 という自分自身に向けた言葉。周囲に気を遣うことで、どこまで気を遣っていいのか分からなくなったのかな。論理的には、「私が生きることには、地球上の他の何かの役に立っていることは無い→生きているだけで経済的な負担を親にはかけているし逆に迷惑な事象の方が多い→私の存在に価値はない」だったように思える。とにかく、生きていることが辛くて、考えれば考えるほどに深みに嵌って行った。


 自傷行為や自殺未遂とも言えることも何度もしていた。誰も助けてくれない。誰か助けて欲しい。そんなことを女々しく思っていたかもしれない。けれど、誰も助けてくれる筈もない。


 ただ、確実に死ぬことに対しては、どうしても踏み切れなかった。それは、私には両親がいたから。私が悲劇のヒロインになれないのは、家庭環境が複雑ではなかったからだ。裕福ではなかったけれども、私は姉二人の三人姉妹の末っ子で、両親の共働きの下で飢えることもなく育てられた。親を恨めしく思ったこともない。姉には幼い頃から色々といじめられていたが、それも特筆するレベルではなかった。両親は毎日忙しく働いており、母親・父親という仕事をしっかりとこなしていると思っていた。そんな両親だけは、悲しませたくはなくて、死という道を選ぶことができなかった。


 そんな中で、私は生きる手段を探した。このまま自分に生きる価値が無いままと思っているのなら、きっと生きることができない。それなら、自分が生きていることに価値を見出せる生き方をしなければならない。


 それなら、人の役に立てる力があれば、生きる価値は誰かが認めてくれるのではないか、と思い至った。遠い昔に、海外ではまだまだ貧しい生活をしている人たちがいることを知って、自分が飢えることもなく生きられていることに対して申し訳なく感じていた。私はその人たちを手伝えるようなことをしてみたいと思った。


 そんなタイミングで、理学療法士という職業を知った。友達が部活動で膝の靭帯を痛めてリハビリをしていたのだ。あぁ、こういう仕事ができるようになれば、私はもっと生きていられるのかもしれない。そして、理学療法士として海外の開発途上国で手伝えることがあるかもしれない。そんな思いに駆られるようになった。


学校を受験し、なんとか受かることができた。しかし、考える時間があると余計なことばかり考えてしまって、高校生の頃のように落ち込んでしまう。そんな生活をどうにか解決するために、大学ではボランティアとアルバイトで空いた時間を埋めていたのだ。その生活の中で会ったのがタカコだったから、あの時倒れてしまった理由も話すことができたのだ。







 その翌日、今日から四日間はタカコと一緒に旅行に出ることにしていたため、朝からバスに乗って移動する。まずは、一番近い世界遺産の街、アヌラーダプラを目指す。ここは、スリランカでも聖地と呼ばれ、とても綺麗な白い仏塔がある。そこにあるお寺には、ブッダが悟りを開いたとされる菩提樹の分け木が大きく育っており、一大観光地となっている。そこは古代の王朝が栄えていた街だ。


 街のマーケットの近くで降りたら、すぐに仏塔のある方向へ行く相乗りバスのような大型のバンに寄っていく。


「スリーマハ ボーディ ヤナワ ネー ダ?」


 運転手に行き先を確認すると、笑顔で乗りな!と合図をしてくる。ここは観光地なので、スリーウィールもたくさんあるのだが、現地価格を知っている身からすると、とても高い。バスなら一人二〇ルピーだが、ウィールだと二〇〇から四〇〇は取られる。距離としては一〇〇ルピーで行ける距離にそんな値段は払いたくないのだ。


「私からすれば大した金額ではないから、ウィールでもいいんだけど・・・」

タカコ、違う。値段の問題ではなくて、負けたくないのです。何に、と聞かれると困るのだけれど。


 ギュウギュウ詰めのバンに揺られてお寺に到着してから、たくさんある露店に並ぶお供えものの花を買う。まずは菩提樹のあるお寺に行く。スリランカのお寺はだいたいそうなのだが、途中で靴を脱がなければならなくなる。石畳がたくさんあるのだが、太陽が高くなってくるととても耐えられないくらいに熱くなり、日本人の足の裏の皮ではすぐに火傷してしまうのだ。だから、今日は朝早く出て午前中の早い時間にここの観光を終えたかった。


 菩提樹の不思議な魅力を感じ、お寺の境内の中で真っ白な服を着て床に座りひたすらお祈りを続けるスリランカ人たちに感心しながら、足早に次の白い大塔へ向かう。早く行かないと足の裏が可哀相だ。


「うわぁ、大きいわね!」

 さすがのタカコも声を上げる。少し距離があるのだが、それでもビックリするくらい大きいのだ。今日は空が青くて雲もほとんど無い。真っ白な大塔の淵が、青空との境界線をはっきりとさせて、さらに白が映える。


「タカコ、白いっていうのは、スドゥイ って言うのよ。」

 日本人の肌も、スリランカ人からすれば羨ましいくらいにスドゥイらしい。もちろん、美容に気を遣っているタカコも、ものすごくスドゥイ。私は・・・・いつの間にこんなに黒くなったのだろう。気を付けないと。



 一通り観光と写真を撮り終わり、足を火傷しそうになりながらアヌラーダプラのメインの見どころは終わった。正確には、もう少し博物館等もあるのだが、そこに行くにはとても高いチケットを買わなくてはならず、他の街の優先順位が高いため早めに次の街へ移動したい。アヌラーダプラで昼食を食べてから、次へ行こう。


 現地の大衆食堂はカデ―といい、ライス&カレーや、フライドライスという日本ではチャーハンに近いもの、ブリヤーニというピラフのようなもの、各種パンなどが食べられる。私はブリヤーニが食べたい。村にいると、ライス&カレーしか食べられないので、他のものが食べたくなるのだ。タカコも同じものを頼む。ちなみに、ここではチキンスープというスープも食べられるのだが、シンハラ文字ではどう見てもチカンスープとメニューには書いてある。チカンスープを頼もうとすると、チキンスープと言い直されるのは理不尽極まりないと思う。そう書いてあるから読んでるだけなのに。今日は頼まないが。


 ここのブリヤーニは美味しくて、タカコも気に入っていた。さて、次の目的地までは二時間はかかるから、早めに移動しよう。



 次は、ダンブッラという街を経由して、おそらく日本では最も有名な世界遺産である、シギリヤ・ロックを目指す。スリランカの島の中心に近く、オーストラリアのエアーズロックのように平地に突然大きな岩が飛び出ているのだ。その高さは二〇〇メートル以上ある。スリランカに来て、ここを見ない手はないだろう。しかし、ここも例外なく熱い岩となるのとすごく混雑するので、前日入りして宿泊し、翌日の朝七時頃から登り始めたほうがよい。


 私達は、ACバスというエアコン付きの特急バス(ただのバンだが)で一路ダンブッラへ。ちなみに、ここにも世界遺産の石窟寺院があるが、明日また通るのですぐに乗り換える。夕方にはシギリヤの街中へ着いたので、なるべくシギリヤロック近くで清潔そうなゲストハウスを探しチェックインをする。明日も移動が多いから、早めに休もうね。


「そういえば、カズミ最近お酒は飲んでるの?」


 近くのお店で夕食のコットゥという食べ物を食べながら、タカコが質問してくる。コットゥは、ロティというインド料理のナンのようなパンを細かく刻んで、肉や野菜とともに炒めて味付けしたものである。細かく刻んだ焼うどんのような感じなので、スリランカ在住の日本人には、大好きな人も多い。


「仏教では禁止されてないけど、スリランカの文化的な問題で、飲むのは良くないとされてるんだよね。特に、田舎では女性が飲むなんて有り得ないらしくて、そんなことしたらすぐにウワサになって信用されなくなるから。任地の村にいる時は一切飲まないよ。」

友人と一緒にお酒を飲む、という文化を忘れかけていたことはナイショにしておこう。


「はぁ、あなたのそういう所はマネできないわ。仕事上、お年寄りと接することが多いからって、就職してからは髪の毛を染めることも無かったものね。」


 ここは観光地だから、外国人女性が飲むことも多いし、大丈夫だけどね。明日泊まるところは、もっと大きな街だから久しぶりにタカコとお酒飲もうかな。


「明日はお洒落なお店も多いところに行くから、そこで一緒に飲もうよ。」

明後日は海まで出るから、そこでも飲めると思うけど。






次の日、私たちは朝の七時から大きな岩に向かって歩いていく。私も登るのは初めてだから、緊張するな。


 チケットを買って、私はチケットセンターの所長に書類を一枚書いてもらう。スリランカに住所を持っている外国人は、首都のコロンボで半額チケットを買うことができる。今は半額チケットを持っていないので、書類を提出して後で払い戻してもらうのだ。チケットが日本円で四〇〇〇円近くもするため非常に高いから、半額はでかい。ちなみにスリランカ人は五〇円もかからない。


入場し、真っ直ぐ岩に向かって歩いていく。周囲にもいくつか遺跡はあるし、日本の支援で建てた博物館もあるが、太陽との勝負があるため、今は無視。岩に到着し、必死に登って行こう。


 たくさんの階段を登り、中腹にある女性の絵が岩に書いてある洞窟へと到着する。千年以上昔の人が書いた絵が今もこうして残っているんだ。とても綺麗で、魅力的な絵だと思う。それにしても少し疲れたけど、今どのくらいなのだろう?


 そこから進むと、ミラーウォールと呼ばれる滑らかな岩壁の横を通る。レンガを積み上げて漆喰を塗り、卵白・石灰・蜂蜜を混ぜたものを塗ったりして人力で作ったらしい。そして、ライオンの足の形をした岩の横にある階段を登り、急な階段を上っていって疲れ果ててきたところでようやく頂上に到着した。


 頂上は、大昔、五世紀頃に宮殿があったらしい。今は宮殿の土台くらいしか残ってないけど、玉座がや貯水池が残っているから当時のことが想像しやすい。昔は今ほど階段も整備されていなかっただろうし、こんなところに宮殿なんて建てて食料や水の確保が大変だっただろうに。往復するだけで、何人か岩から落下してしまいそうだ。そんな下らないことを考えながら、

「せっかくこんなに高いところに来たんだから、ジャンプした写真撮ろうか!」

と提案し、

「そういうベタなこと、嫌いじゃないわよ」

と快諾を得る。



 普段から運動しないタカコは、ジャンプと言えるのか分からないくらいしか跳べず、良い写真を撮るまで数回のテイクを必要としたが、お互いに満足のできる写真は撮れた。近くにいた白人が微笑みながら何度も写真を撮り直す私達を写真に撮っていたが、旅先では細かいことは気にしない方が良い。うちの村の岩の上よりも、遥かに空が近くに見えるこの場所では、心も広くなるというものだ。




 無事に降りることが出来て、周辺の散策も終わり、ゲストハウスに預けていた荷物を回収すると次は昨日スルーしたダンブッラの石窟寺院へ向かう。今日はここを観光してから、さらに南下して世界遺産の街、キャンディに向かうのだ。そのためにも、早く移動しないと夜になってしまう。と、その前に昼食だ。ダンブッラまで移動して、お店でライス&カレーを食べる。ここのご飯は美味しかった。今度他の日本人に教えてあげよう。



 石窟寺院に到着し、その麓にある金ピカの大仏を見て私達は唖然とする。こういうのも申し訳ないが、とにかく悪趣味な色に見えてしまう。スリランカ人はとにかく派手な色を好む人が多く、日本人のような全体的な調和をした色使いという概念が存在しないことは知っていたが、それに慣れている私でも少し引いた。


 とにかく、本当の目的はここではなくて石窟寺院だ。標高一六〇メートルと日本のガイドブックには書いてある。また登るのか!とにかく、登る前にチケットを購入する。ウンザリした気分になりつつも、昨日は早めに寝ておいて良かったでしょ?とタカコに恩を着せつつ、気を取り直してもう一度山登りをする。こちらは、向こうよりかは傾斜がゆるやかなので、比較的ラクなようだ。


 頂上に着くと、石窟寺院の入り口の前でチケットの確認があった。通り抜けると、岩壁に沿ってたくさんの入り口が並んでいる。あれ、これが全部寺院なの?

 一番近い入口から入っていくと、見事の仏像が並んでいる。小さい部屋と大きい部屋がいくつか並んでいて、大きい部屋は入口が複数に跨っているのか。大きい部屋には、とても大きな涅槃像が置いてあったり、天井に綺麗な仏教関連の絵が描いてあったりする。なんだっけ、曼荼羅っていったかな。タカコは、じっと天井を見上げて曼荼羅の絵を見つめている。


「天井に描くのは大変だっただろうにね、どんな気持ちで描いてたんだろう。」

ふと、そんな事を言ったタカコが印象的だった。



 無事にダンブッラ観光も終わり、バスでキャンディへ急ぐ。タイミング良く、席の空いているACバスを捕まえることができた。私達は離れなければ座れなかったが、一時間ほどで着くから、まぁいいだろう。


 キャンディのバスターミナルで降りてから、すぐにタカコは私に不思議そうに質問をしてきた。


「さっきのバスで、隣りに座ったおじさんが肩に触ってきたのよ。こう、腕組みをしながら脇の下に入れてた指先でちょちょっと。なんかの合図かと思っておじさんを見たり、バスの周囲を見渡してみたけど何も無かったのよね。言葉分からないし、困っちゃったわ」



・・・・・・・あー、それってライトなチカンだわ。昼間チキンスープのこと考えてたからかしら。なんて下らないことはどうでもいいけど、正直に教えるべきなのかな。気づいて無いなら無いにこしたことは無いんだけど。


 一種のチカンであることを素直に教えると、怒るわけでもなく、「一体何が楽しいのかしら?」と本気で悩んでしまった。この、普段クールな女性は時々変なところでマジメだから面白い。この国は、開発途上国の中ではトップレベルで治安が良い部類に入るが、スリやチカンなどの軽犯罪は多いのだ。ちなみに私は幸運というか、残念というかまだチカンには遭っていない。おめでとう、タカコ。


 とりあえず無事なら何より、ということで早くゲストハウスを探さなければ。もう少ししたら陽が落ちてしまう。スリーウィールに事情を話して、タウンからそれほど離れていないところのゲストハウスを周り、ちょうど良いところを見つける。このウィールのドライバーは値段も適正だし、親切で良い人だわ。チップを少し出して、謝意を丁重に伝える。観光地でこれだけ良いドライバーに出会えることは幸運なのだ。少し悲しいことだけど。



 ゲストハウスでシャワーを浴びて、ゆっくり休む。今日は疲れがあるので、ご飯は外に出ないで、ここで用意してもらおう。お酒も用意してくれるみたいだ。疲労が残らないように、しっかりと自己ストレッチをして、タカコのマッサージも行う。

「カズミにマッサージしてもらうのって、大学以来じゃないかしら?すごく上手になったわね。」

 それはそうだ。私は人の役に立ちたくて、役に立てる自分になるしかなくてこの仕事をしているんだから。人並み以上に勉強して技術を磨かないと、自分がさらに嫌いになってしまうのだから。立派では無い理由であるけど、一応努力をしている。マッサージは厳密に言うと私の仕事ではないけれど、筋肉の触り方なら常に考えている。





 お酒を飲みリラックスをしながら会話する。この国でもビールを作っている。ライオンビールという銘柄だ。他にも、カールスバーグ、スリーコインズというビールもポピュラーなのだが、私はライオンビール派だ。



「タカコはスリランカをどう思う?」

 数日過ごしていて、外から来て率直にどう思うかを聞いてみる。

「思っていたよりもずっと良い国だと思うわよ。開発途上国って実際に来るのは初めてだったけど、物資や 水が不足しているようなことも無いし、危険なことは少ないし、拙い英語でもなんとか通じる。何より、あなたの村の人たちの笑顔は素敵だったわ。」


 どうしても日本人は、開発途上国というとアフリカの貧しい国々のイメージが先行してしまう。私もそうだったし。そんな想像をしながら来ると、ここはずっと豊かな国だろう。


「そう、良かった。」

 連れまわしている立場からすれば、この国に対する不満があったら正直ショックだったので安心した。


「食べ物も美味しいわよね。甘いフルーツがたくさん食べられるのは羨ましいわ。特にスリランカのパイナップル、あんな美味しいもの、日本だったら相当高いわよね。」


 スリランカのパイナップルはとても美味しいのだ。例外なく糖度が高く、瑞々しい。そして、芯まで食べられる。この国に長期間住んでいるとイヤな部分もたくさん目につくが、パイナップルは日本の友人たちに自慢したいとずっと思っていた。

 

「カズミはどう思ってるの?海外に行くことを目標としていたのは知ってるけど、あんた辛い食べ物も暑い場所も苦手だったじゃない。スノーボードは大好きなのに、海に遊びにいく時のテンションの下がりようは見事だったわよ。」


「そんなにテンション下がって見えてた?まぁ、スノーボードに行く時に浮かれていたのは認めるけど。私は本当は他の国に行きたかったんだけど、配属がスリランカになっちゃったからね。始めは笑っちゃったよ、私なんかで生きていけるのかって。日本では辛口のものなんてお腹下しちゃうから食べないようにしてたしさ。でも、慣れちゃった。」 

慣れるまではとても大変だったけどね。ここ2ヶ月くらいだよ、生活に何も違和感なくなったのは。


「人間って慣れるものなのね。私は途上国に興味はあったけれど、とても生活に慣れる自信なんてなかったから、踏み込めなかったわ。」


 それそれ。興味があった話に興味があります。

「途上国のことを会話にしたことなんて無かったよね?いつから興味あったの?」


カズミはわずかに微笑みながら、

「私は他人が自分をどう見ているのかを気にして観察しているってこないだ言ったわよね。それの延長線上で、もっと遠くの人が今の私を見たらどう思うのかしらって想像することがあるのよ。ファッションやお化粧は昔から興味があったけれど、どうしても日本に居ると誰かの作った流行があって、そこから大きくはみ出せないじゃない?そんな流行りとか固定観念が無い人たちからは、私の姿がどう見えるんだろうって。」


 タカコはグラスに残っていたビールを飲みこむと、

「でも、私は勇気がなかったし、自分の生活を維持することの方が価値観として重要だったのよ。仕事もしたいし、恋もしたい。美味しいものが食べたいし、綺麗な景色や建物を見に旅行に行きたい。そんな日本においてはごく普通の生活から抜け出すなんて出来なかった。だから、私はずっとあなたが羨ましかったのよ。初めて出会った時からずっと。カズミはずっと悩んで、苦しんで、それでも諦めないで一つの目標に向かっていたじゃない?普通は学生の身分で、仕事のキャリアを積んでから途上国に貢献したいだなんて言わないわよ。そして、あなたは変化をしていった。だから、あの時たまたま会っただけで共通点なんて何もないし、流行りのファッションの会話にも乗れないあなたと連絡を取り続けていたのかもね。」


 途中まで褒められていて居ても立ってもいられないくらい恥ずかしかったのに、急にディスられた。相変わらず、人が安心して会話できるようにオチをつけてくるんだから。ただ、そのオチを私は認めない。私だって流行りのファッションの話くらいはできるんだ。出来るけど、しないだけなのだ。

「私だって出国する前は、なんでこんな道選んじゃったんだろーって怖くなって、一人で夜寝れなくなってたよ。ずっと目標にしてたのに、情けないなって思ってた。なんとなくの理想を求めて、足元を見てなかったのかなって。でも、もう後には引けないし清水の舞台から飛び降りるような気持ちでこっちへ来て、その後は環境に必死に適応してただけで、立派でもなんでもない気がするけど。」

私はお互いのグラスに、残っていた瓶ビールを注いでいく。


「普通、というのも語弊があるわね。大多数の人間は、変化を嫌うものよ。私は仕事をしていて、メイクや髪型をもっとこうすると良いのにって思うことはたくさんあるけれど、多くの人はそういった意見に耳を傾けないわ。聞くふりをするだけ。それで私は思ったのよ。あぁ、この人たちも私と同じで今の状況から変化することが嫌いなんだって、怖いんだって。たかがメイクごときで何かを失うわけじゃないのに、その程度でも安心していたいのよ。そういう人には美容関連商品をおススメするけどね、それは変化ではなくて進化だから。

生活水準や価値観すら違う国に行くことに怯えない人がいたら、ただの阿呆よ。あなたと私の違いは、一歩を踏み出す勇気があるかないか、というだけで、それが大きな差なのよ。」

最後のビールを飲み干すと、あと、と付け加える。

「清水の舞台から飛び降りるって慣用句、知っていても今の若い子は普通使わないわ。」

微笑みながら、先に寝るわね、と席を立つ。


 うー、やっぱり最後に何か言わないと気が済まないのかな、タカコは。若くなくてけっこうです。

 とはいえ、久しぶりに本音を話し合った気がするし、向こうも恥ずかしかったのかもしれない。きっとあれはタカコ側の照れ隠しだ。私は、ちょっとだけ残ったビールと向かい合って、日本に居た頃を思い出していた。









「あなたのような人間に、理学療法士になって欲しくありません」


 私は、A4用紙2枚にわたり書かれた欠点を見つめながら、その言葉を聞いた。ここはK大学病院のリハビリ室だ。実習先のスーパーバイザーという実習指導の立場になる理学療法士が目の前に居て、隣りには私の学校の教授が座っている。


 そう、私は今留年が決定したのだ。


 理学療法士になるためには、看護士などと同様に専門学校か大学にある理学療法学科に通わなくてはならず、3年から4年の専門課程を履修する。その過程の中で必修科目は一つでも落とせば留年になるし、たくさんある実習に落ちても留年する。ただ、ちゃんと目的意識があって来ている人がほとんどなので、それほど落とす人は多くない。ただ、実習は別名「生き地獄」とも呼ばれている。卒業する年になると、最低でも2ヶ月の臨床実習を2施設行かなくてはならない。施設というのは、基本的にはどこかの病院である。病院で実際に働いている理学療法士が指導者となり、実際に患者さんを見てリハビリテーションを実施する。学校で勉強しているだけでは経験できないことがたくさんあるため、とても重要なことである。これが「生き地獄」と呼ばれる原因は、重要性とは別にある。指導方法に決まりがあるわけではないので、指導者や施設によって難易度が全然違うのだ。先輩から話を聞くと、「三日間全く睡眠がとれなかった」「言うことが日によって変わるし、理不尽に家庭のストレスをぶつけられた」「一挙手一投足を常に観察され、難癖をつけられる」などなど、バリエーション豊かな地獄っぷりが情報として手に入る。もちろん、とても良い勉強ができたという話も聞くし、ネガティブ意見は目立つのでその限りではないのだが、自分で実習先を選べず学校が選ぶのだから戦々恐々とするしかない。


 私は一つ目の実習先はとても良かった。自分の悪いところをしっかりと指摘され、ギリギリ及第点というところで終えることができたのだ。元々、私は座学が得意で学校の成績は上の方に入る。しかし、昔からの自分の精神的な問題で自分に自信が持てず、人と話したりコミュニケーションを取るのがとても苦手だ。正確に言うと、喋る人を選ばないと上手く喋れないのだ。今思うと、ボランティアやバイト先の人たちは良い人たちばかりだったな。それと、勉強をたくさんしてきたためか、俗にいう頭でっかちに近いものがあった。それらが影響して、実習では成績がギリギリになってしまう。


 そして二つ目の実習先では、指導者の先生が始めにこう私に言った。

「私が一緒に働きたいと思えなければ落としますから。」 

 まずい、まだまだ社会性が低い私は御眼鏡に適うとは思えない。そういう印象で始まった実習だった。案の定、実習先のあらゆる先生の目線が突き刺さる。上手く喋れない。何か一つ言葉づかいをミスしても、必ずその後で指導者から注意を受ける。もう目線、指先の動き一つとっても、何が正解なのか分からない。何をやっても注意される。中間の評価で指導者からは、

「このままだと実習は通せません」

と言われた。でも、私は理学療法士になるしか道は残されてないから、その道しか考えてないから、足りないものがあるのならば、努力しなければと思い必死に通い続けた。気持ちが耐え切れなくなり、病院のことを思考するだけで心臓が痛くなり動けなくなったのは、実習期間が終わる前日のことだ。


 泣き出しそうになりながら、病院へ行けないことを告げる電話をして、すぐさま学校へ電話する。ひとまず学校へ行き、担当の教授と会話する。何を話したのかはあまり覚えていない。ただ荷物は病院にあるため、翌日の最終日は教授と一緒に病院へ行き、挨拶と荷物の回収だけはしましょうという話になったのは覚えている。


 翌日、教授の車で病院に向かい、待っていたのは私の欠点が書かれたA4用紙2枚と指導者の先生であった。指導者の先生は、用紙に書かれた内容を音読し、冒頭の言葉を放った。先生からすれば、私は冷たくて自分本位でとても医療者になってはいけない人間だそうだ。その日の出来事で、私が覚えているのはそれだけだった。









翌日も天気は非常に良かった。キャンディは比較的高地になるが、まだ9月なので暑いくらい。朝一で私達が向かうのはダラダ・マーリガーワ。日本語では通称・仏歯寺、ブッダの歯が安置されている聖なるお寺だ。ここは一日に3回ほどプージャーという礼拝のような時間に、歯が入っている仏舎利というものが御開帳される。早朝のプージャーに合わせて入り、たくさんのスリランカ人の中に紛れて見てみる。私も初めて見るんだ。いざ、時間になってみると、


「あれ、歯が入ってるって言われないと分からないわね。」


 タカコの言葉に全てが集約されている。仏舎利は歯が入っているというが、パッと見は豪華絢爛な置物で、歯は見ることはできない。ただ、仏教徒からするととんでもなく貴重なものなので、あまり言及しないでおこう。そういえば、確認してなかったけどタカコって仏教徒?


「そうよ、うちは真言宗。私自身はあまり敬虔ではないけど。それでも、仏教関連の観光は楽しいわ。」



 私は安心してから、朝食を食べに行く。本日はインディアッパーという、米粉を使った非常に細い麺だ。パリップホディというレンズ豆を使った甘いカレーとともに食べる。タカコはこれも気に入ったようだ。


 さてさて、これから一気に海に出る。目指すはゴールという南部の街だ。一度、コロンボというスリランカで最も栄えている街に出て、そこから高速道路を使ったバスで移動する。キャンディまで来たら、ヌワラエリアという山の方へ行く列車が、景色がとても綺麗でお勧めらしいのだが、日程的に厳しいので今回は行けない。私もまだ行ったことがない。


 バスに揺られてコロンボへ。今日は隣同士で座って移動できた。タカコは、コロンボまでの8割くらい寝ていた。今日も朝早かったし、疲れているのだろう。キャンディに来るのは2回目だが、山なので道路は渓谷を走っていく。曲がりくねったこの道が、日本の道路のようでとても私は好きなので、景色を楽しませてもらった。

 

 コロンボは昔の首都だ。今は首都はスリジャヤワルダナプラコッテという隣りにある街(長いので、現地の人はコッテと呼ぶ)だが、行政機関の中心がそっちに移動しただけで、経済の中心は今でもコロンボである。部分的には、高層マンションやビジネスビルが並び立ち、途上国とは思えない様相を見られる。日本のテレビなどでは、この部分を切り出して紹介するため、スリランカが非常に発展した街のように思われることがある。実際には、この一部分だけで少し離れると、まだまだ発展できていない部分が多いのだが。


 そして、コロンボ名物大渋滞に巻き込まれる。車の隙間という隙間にスリーウィールやバイクが入ってきて、バスは入れさせまいとハンドルを切る。大型バス同士の距離が数十センチ程度となることもザラにあり、隣りのバスのドライバーと車掌というお金を徴収する役の人が、怒鳴りあう場面もしばしば見られる。私達はACバスなので、そんな光景を横目にしつつ、なかなか動かないバンの中でタカコが質問してくる。


「あんなにクラクションを常に鳴らす意味あるの?」


 タカコは初日に空港から直接うちの村に向かったため、初コロンボに驚いている。交通ルールがあるようで形骸化し、クラクションを自分の存在をアピールするかのように鳴らし続ける光景は、アジアではよくあることだ。


 バスがペターというコロンボ最大のバスターミナルに到着し、昼食を食べたらすぐにゴール行きの高速バスへ乗り込む。今日中にゴールフォートというオランダ占領時代に作られた砦に囲まれた旧市街を見に行きたい。


 ゴールへ向かう高速道路は、日本の支援によって建てられたものだという。道路を走っていると、インターチェンジの作り方やサービスエリアの存在など、日本の高速道路を走っているかのような錯覚を覚えるくらいに似ている。道路の周囲には南国の木々が植生しているためその部分だけ違うのだが、そんなものはささいな違いだ。キャンディ方面の道路といい、日本を思い出せるところがたくさんある不思議な国だと思う。そんなことを思いながら、日本のことばかり思い出している自分に気が付いた。


 ゴールのバスターミナルに到着し、地図を確認する。なんだ、ゴールフォートはバスターミナルから歩いて行けるくらい近いのではないか。スリーウィールを使わなくても大丈夫だろう。タカコとともにゴールの要塞まで歩いていき、壁の上を歩き始める。ここゴールは積み上げた石の壁で囲まれた中に、旧市街がある。旧市街は今は観光地化しており、ゲストハウスやお土産物、様々な飲食店があふれている。スリランカ人も住んではいるが、物価も外国人向けで凄く高く設定されており、スリランカでは無いみたいだ。壁の上を一周し、今日はここでゲストハウスを探そうと提案する。無事にゲストハウスが見つかり、チェックインするが、やはりヨーロッパ系の観光客だらけだ。良いことなのか悪いことなのか分からない。タカコと、城壁の上で夕日を見れそうだから見に行こうと話しをする。要塞の西側の海岸へ行くと、砦の外側にある海から突き出す大きな岩の上から、スリランカ人の子どもたちが海に飛び込んで遊んでいる。私の村でも見かけることがあるが、よく怖くないものだ。中には、後ろ向きに空中で回転しながら飛び込む強者もいる。


「育った環境って大きいわよね。」

 タカコは不意に口に出す。それって、私に対して言ってる?それとも・・・・

「夕飯は久しぶりにスリランカ料理じゃないものが食べたいわ。」

 思考を途切れさせるように、こちらの目を見て話しかけてくる。タカコの向こう側で夕日水平線にかかろうとしている。夕日を上手に使ったな、滅多に人の目を真っ直ぐ見つめたりしないくせに。


 ちなみに、スリランカの夕日は日本に比べるとものすごく速く落ちていく気がする。緯度が小さいから、斜めに落ちて行かないためだろうか。そんなことを考えながら、ゲストハウスの近くにあった、クレペオロジーという外国人向けのクレープ専門店で夕食を摂る。日本で言うクレープというか、サンドイッチのように食事として食べられる具材があるため、お腹も満足できそうだ。


 そうして、タカコにとってスリランカ最後の夜が更けていく。





 タカコにとって最後のスリランカの日は、オランダ時代に建てられた街から始まる。スリランカンブレークファストという、目玉焼き・焼きトマト・ベーコン・トースト・紅茶の組み合わせの朝食を宿泊先のゲストハウスで頼む。


「こっちに来て、初めて優雅な海外旅行の気分を味わってるわ」


 確かに、今日まで朝をゆっくり過ごしたことなどなかったね。ゴメン。とは思いつつも、見せたかったものをたくさん見せることができて満足だ。


「フライトは今日の夜十一時半だったよね。コロンボでお土産を買う時間は午後あるけど、帰る前に有名なビーチリゾート地に行ってみる?」

ゴールから海岸線沿いを通りコロンボへ戻る途中には、いくつかヒッカドゥワやベントタなど有名なビーチリゾートがあり、シュノーケリング・ダイビング・サーフィンなどを中心にマリンスポーツが楽しめる地域がある。ヒッカドゥワには一度だけ、日本人仲間に連れて行ってもらったことがあるのだ。


「泳ぐことには興味無いからいいわ。日焼けしたくないし。それより、コロンボで宝石が見たいのよね。」


 私はたっぷりと日焼けをした自分の腕を一度見て苦笑いした後で、お昼くらいにコロンボに到着するスケジュールを立てる。午前中は少しだけゴールフォート内のお土産屋さんでも見て回るか。





 コロンボに到着して、宝石屋さんをまず見て回る。コルピティヤという海に近い地域の周辺に、いくつかお店があるため、スリーウィールで見て回る。スリランカは宝石の産地もあるため、外国からは宝石を買いにくる人が多い。宝石商はシンハラ人ではなく、イスラム教を信仰するスリランカムーア人という人たちが多いのは豆知識だ。


 その後いくつかお店を周りスリランカらしいお土産も買うことが出来て、タカコは満足そう。最後の夕食は、大きなホテルの中のレストランででも食べようと言ったのだけど、食事はスリランカらしい小さいお店のライス&カリーが良いというので、ライス&カリーがチキン付きで150円くらいの庶民的なお店、ごちゃごちゃした雰囲気の中で最後の晩餐となった。こんなところでいいの?


「外国人の観光客が簡単には入れないでしょ、こういう所。ホテルの食事なんて、私はいつでも食べに来れるけど、あなたがここに居る今だからこそ、スリランカ人の食事が食べたいのよ。」


 言いたいことが分かるような分からないような。やっぱり、タカコが考えていることは難しい。


「それで、カズミは今、自分のことが好きになれたの?」


 こんな雰囲気の中で聞く?そういうこと。


「分からないな。昔の目標を達成して満足している自分はいるけれど、まだまだここで役に立ててるとは思えないし。ただ、自分のことが嫌いかと言われると、そうではない気がする。」


「じゃあ、今でも死にたいと思う?」

最後だからと捲し立てるように心の奥深くを抉るような質問が投げかけられる。


「・・・・うーん、今、死ぬことは考えてないかな。そういえば、死にたいという衝動は最近は感じられないかも。」


「そう、それなら、良かったわ。」

今までで一番可愛いと思えるような微笑みとともに、息を吐くように小さい声でつぶやく。そこから先は、また何気ないスリランカについての会話にすり替わっていった。




空港へ向かう高速バスの中で、窓際に座ったタカコはじっとスリランカの夜の景色を見つめている。明かりもほとんど無く、南国の木々のシルエットしか見えないようなところを見て何を思っているのだろう。私も、先ほど深く掘り下げられた心の声にじっと声を傾ける。







 実習が終了し留年が決定した後日、少し落ち着いたところで学校の教授と話し合う時間があった。教授は気にしないような表情をしながら、もう一年頑張る気があるなら、まず自分にとって足りないものが何なのかを見つめなおすように言ってきた。学校の勉強は必要なもの以外しなくて良いと。

「私は、あなたが相手方の言うほどに悪い人間だとは思っていません。それは、ここの学校であなたを知っている全ての人間がそう言ってくれるでしょう。それでは、なぜ今回のような事になったのか、それが一番の問題です。」

 そんなセリフがとても心に残った。


私は自分が嫌いだし、自信が無い。それが人と喋る時に相手を選んでしまう傾向となるし、相手によっては表情が硬くなり喋ることもできず、与える自分の印象が変わってしまう。医療者を目指すのならば、相手を選んではいけないし、どのような相手にでも自分に良い印象を持ってもらえるようにならなければならない。それができなければ、きっと今回のように相手に最悪の印象を与えて、挽回できずに終わるのだろう。


 では、どうすれば良いのか?そんなこと分からないよ。


 今年度が終わるまではあと3ヶ月はあるし、学校に行って知り合いに会うのも気まずい。放心するような空っぽの気持ちで数日を過ごしていたある日、自転車がパンクしたので修理に持って行くことにした。車に自転車の修理道具を積んで、毎日別々の場所を回っているような移動式の自転車修理屋さんがうちの近くに来ているのだ。

 自転車を押して訪ねていくと、先客に一人年配の女性が来ていた。この女性もパンクの修理のようだ。声をかけてから、待ちながら先客のパンクの修理を見つめる。二人の会話に何気なく参加し始めて談笑し始めると、

「君はサービス精神があるみたいだね、話していて楽しいよ。芸人とか向いているんじゃないかな?」

 そんな、一週間ほど前に別の人から言われたこととは百八十度違うことを自転車屋さんに言われて戸惑う。なんで?どうして?


 自転車を修理してから、そんな気分を振り払うように乗り心地を確かめるために近くを走り始める。


 実習先と何が違ったのだろうか?サービス精神があるなんて、どこから感じたのかな。確かに、さっきはお互いに利益も不利益も無い間柄だったから力を抜いて話していたし、話をして笑わせて、自分も笑いたいと思ってた。そういう姿勢だったから良かったのかな?よく分からないけれど、人と会話をして一緒に笑えるのは楽しいと感じられた。こんな私の笑顔でも、誰かをこんな気持ちにさせることができるのだろうか。


 それから人に会う時は意識して笑顔を作ろうとしたけれど、上手くできなかった。笑顔を作ろうとしても、誰かの視線がこっちに向くだけで、「見下されてる、バカにされてる、私には喋ったり笑顔を人に見せる資格なんかない。」そんな被害妄想が頭から離れなくなる。


 そこから動き出すきっかけを作るために、精神科に通うことにした。今までも何回か尋ねたことはあったが、ドクターと合う気がしなくて一回の受診で終わらせてしまった病院が数か所あった。今回は、通っていた大学に講師として来たことがあり、何回か顔を合わせて話したことがある先生の居る場所だった。


 結論から言えば、そこで正解だったのだろう。社会不安障害という診断が出て、服薬治療を開始した。人に会う時にどんどんネガティブになっていく気持ちが少しストップするような気がして、努力をすれば人に笑顔を見せることができるようになっていた。これから、人に与える印象を変えるための、自分の中の何かを変えていかなければ・・・・・・・







気が付けば、バスはもうコロンボから車で一時間ほど北へ移動したところにある、バンダラナヤケ国際空港の敷地内に入っていた。空港が終点じゃなかったら乗り過ごしていたかも、危ない危ない。


 タカコの荷物をバスの車掌から受け取り、私は300ルピーの入場券を買ってタカコとともに中に入る。何回かここに来たことがあるが、入口にいる荷物検査のセキュリティはなんでこんなにいい加減なんだろう。とても数年前まで内戦をしていた国とは思えない。


「さすがに出国ロビーに行くまでいい加減なセキュリティじゃないわよね?」


 いや、在外の日本人たちから聞いたウワサによると、スリランカで購入したペットボトルの水を日本まで持ちこめたことがあるそうだ。国際線って普通液体の持ち込みが制限されてるものじゃなかったっけか。


 さっきまで、昔の暗い記憶を思い出していたのに、タカコと一緒にスリランカのユルいところを笑っていたら暗い気分はどこかに吹き飛んでしまった。


「やっぱり、あなたの笑顔は素敵よ。あなたの村の人たちと同じくらい。安心していいわ。」


昔を思い出していたことを気付かれていたか。やっぱりタカコには頭が上がらないな。

「ありがとう。でも、あまり人の思考を読むのは感心しないよ。」


「読まれる方に問題があるの。でもまぁ、私の方もあなたを見て救われている気分になるのよ。あなたは一歩踏み出す勇気を持ったもう一人の私なの。カズミが頑張っている姿を見てると、昔の私が慰められるのよ。だからかしら、今のあなたの考えが分かるのって。」


「一応、この半年で成長したつもりなんだけどな。」


「ちゃんと成長してると思うから大丈夫よ。私が言いたいのは、あなたのこの長い旅は、私にとっても一つの旅であるの。人の一人一人の行動は、お互いにそうやって影響し合うのよ。対等にね。」



『対等』



 そうか、お互い様なのか。人と向き合うことで、言葉も、行動も、そして笑顔も、全ての行為は人と人の間を行ったり来たりしてるんだ。私はあの時、それに気づき始めていたんだ。


「じゃあ、私はそろそろチェックインするわ。本当にありがとう。とても貴重な旅が出来たわ。」


もう行ってしまうのか。次の私の帰国は半年後だ。今はフェイスブックやメールで簡単にやり取りができるとはいえ、やはり寂しい。


「こういう時って、シンハラ語ではなんて言って別れるの?」


それは、英語でいうとグッドラック的な言葉だろうか。いくつか候補があるが、私はタカコにこう言いたい。

「スバ ガマン」


「どういう意味?」


私は笑顔でこう答えるのだ。

「良い旅を!」


タカコはいつもの微笑みを浮かべながら、

「お互いにねってことね。じゃあ、スバ ガマン!」


 振り返ることなく、タカコはチェックインカウンターに向かい、手荷物検査場へと入っていった。一回くらい振り返ってくれてもいいのに。









 あの頃の私は、今、救われているのだろうか?

あの出来事があったから、今ここに居られる。

まだまだ、何も出来ていないけれど、

思い描いた場所には立っている。

それでも、私が思い描いた自分にはなれていない。



ただ、分かったことがある。

私の行動は、私だけのものではないのだということ。

タカコがそう教えてくれた。

確かに、私がここにいることで影響を受けた人がいることは確かだろう。

海外に行くからと、

使えもしないパソコンを買って、

スカイプまで覚えた私の母親が一つの例だ。


そう、私は、誰かと対等なのだ。

影響し合えるのだ。

それが、頭での理解ではなく、

感情で感じることができた。






空港から一人でバスに乗り込み、夜のスリランカを見ながら私は、笑顔を作ってみた。

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