第二章-4
昼下がりの街に、カラコロというぽっくりの足音が響く。ジゼルに腕を引かれるままに歩いてきていたが、どうやら彼女は埋立地の方角へ向かっているようだ。この先の橋を渡ってずっと行くと、住宅地もなくなりイベント会場や大型アミューズメントセンター、映画館等が併設された複合ショッピングモールなどが点在する、いくつもの埋立地が橋で連結されているエリアになる。
「どこに向かってるんだ?」
「すぐそこよ。――ていうか、もう着いたわ」
アッシュの質問に、そう答えて前方を指差すジゼル。そこは不況の煽りを受けて閉鎖されたらしい、まだ新しい廃工場の駐車場だった。その一角に目が痛いほどのショッキングピンクの丸っこい小型自動車のような乗り物が停められている。アッシュにも、もう判った。
「――あれ、ひょっとしなくても、おまえのシャトルか?」
「そうよ。可愛いでしょ?」
ジゼルは平然と頷く。アッシュは呆れた声を上げた。
「おまえ、不可視結界も張らずに、あんな堂々と……」
「だってここ、駐機場でしょ?」
「いや、そうだけどさ……」
言っても解ってもらえなさそうだったので、アッシュはもうそれ以上のことを言うのは諦める。
ジゼルは振袖の袂に手を突っ込んで、親指と人差し指で作った輪ぐらいの大きさの用途不明のリングを取り出した。魔装機らしき桜色の石が付いているところを見ると魔装具なのだろうが、指輪にしては大き過ぎるし、腕輪にしては小さ過ぎる。ジゼルはその魔装具を操縦席側のドアに近付けて、大気圏内往還船のロックを解錠した。
「さ、乗って」
「おう」
アッシュは助手席に乗り込む。操縦席に着いたジゼルが、彼が膝の上に抱えたバスケットを見て尋ねてきた。
「ところでさっきから気になってたんだけど、そのバスケットなに? ひょっとして、手作りのお弁当?」
「いや、悪いが俺は料理なんか出来ん。――そういや忘れてた。チッピィ、もう顔出してもいいぞ」
(着いた?)
バスケットからチッピィが顔を出す。電車などの移動中は顔を出さないように言い含めてあるのだ。
「いや、まだ移動中だけどな」
状況が解っていないところを見ると、バスケットの中で居眠りでもしていたのだろう。ジゼルが笑顔になってチッピィの頭を撫でる。
「この前も連れてたわんこね。いつも一緒だけど、そんなに大事なの?」
「ああ。こいつは俺の小さなパートナーみたいなもんだからな。それと、こいつは犬じゃなくてバフスクだ」
「バフスク?」
「えーと、確か、第四惑星カチェーシャに棲んでる知能が高い動物だ。魔法も使う」
ジゼルもバフスクを知らなかったようだ。やはり結構珍しい生物らしい。
「ふーん。――あたしはジゼル。あなたのご主人様の妻よ。よろしくね」
「待て。なに吹き込んでんだ?」
チッピィに自己紹介するジゼルに、アッシュは思わず突っ込む。
「だって、わんこって家族に順位を付ける生き物でしょ? 最初に立場をはっきりさせておかないと」
ジゼルが平然と応じた。
(妻、なに?)
チッピィが聞き返してくる。
「わ、念話!? ホントに頭いいんだ。――妻っていうのは、生涯のパートナーのことよ」
ジゼルが説明した。それにチッピィが反駁する。
(アッシュのパートナー、レーナ)
――その一言で、急激に温度が下がった。
「――ダーリン、レーナって誰?」
「ん……、悪い。いずれ話すよ。今は勘弁してくれ」
ジゼルの、彼女にしては随分と低い声の問いに、アッシュは躊躇うようにそう答える。数秒の沈黙の後、ジゼルは少し溜め息混じりながらも、きちんとアッシュを見て言った。
「わかったわ。昔の女のことを根掘り葉掘り聞くのも、女としての器量が小さいもんね」
ジゼルのこういう、いつまでもこだわらないところは素直にありがたい。アッシュは彼女の頭にポンッと手を置いた。
「悪いな。ホントに、いずれ話すから」
アッシュはもう一度繰り返す。ジゼルが少々大袈裟に頷いた。
「うん。待ってる。――じゃあ、出発しましょっか」
彼女は例の魔装具のリングを計器の間に取り付けたスタンドに引っ掛けて、大気圏内往還船の魔力炉を始動させる。そして操縦桿を倒して、そろそろとかなり慎重に大気圏内往還船を発進させた。
それにしても、彼女の挙動は以前見たエリカの操縦と比べるとなんだか危なっかしい。アッシュは今までのシリアスな雰囲気がぶち壊しになるのを覚悟で、恐る恐る聞いてみた。
「おまえ、まさかペーパー……?」
「なぁに? 紙がどうしたの?」
低速で道路を走らせながら、ジゼルが聞き返してくる。省略した言い方では自動翻訳が上手くいかなかったらしい。アッシュはわかりやすく聞き直す。
「この前に運転したの、いつだ?」
「勿論、昨日この星に来るときよ? その前になると士官学校で免許を取ったときだから、二年以上前かしら」
ジゼルがさも当然のように答えた。アッシュは頭を抱える。
「うわー! やっぱりかー!」
「きゃっ! ――いきなり大声出さないでよ。危ないでしょ」
「あ、あぁ、悪い。――安全運転で頼むぞ」
「大丈夫よ。事故なんて起こさないわ。大事なダーリンに怪我なんかさせられないもん」
「その自信はどこから来るんだ……? あと、ダーリンって言うの止めろ」
そんな会話をしている内に、年に二回オタクの祭典が行われることで有名な巨大なイベント会場の近くを通り過ぎた。どうやら埋立地の先のほう、海に向かっているようだ。もう少し進むと埋立地の突端で道路が途切れる。
「どうするんだ?」
「こうするのよ」
道路が途切れたところから大気圏内往還船がふわりと浮き上がり、埋立地の突端から海に向かって飛び出した。ぐんぐんと速度を上げながら海の上を飛んでいく。アッシュはまたも呆れた。
「おまえ、飛び立つところ誰かに見られたらまずいだろうが」
「大丈夫。誰もいなかったから」
だが、ペーパードライバーの言うことだ。本当かどうかは怪しい。
彼女の操縦する大気圏内往還船はどんどん速度と高度を上げていった。もの凄い加速度が掛かり、身体が座席に押し付けられる。
「な、なぁ……、前にエリカの操縦するシャトルに乗ったときは、こんなに身体に加速度掛からなかったぞ……?」
「……あ。慣性制御、入れるの忘れてたわ」
「……頼むぜ、おい」
ジゼルがなにか計器を操作すると、ふっと身体が軽くなった。どうやら慣性制御が働いてくれたようだ。ほっとしてアッシュは一息吐いた。
やがてジゼルの大気圏内往還船は大気圏を突破し、星空の中へと飛び出す。そのまま進んでいくと、すぐに薄紅色の折鶴のような形をした小型の航宙船が見えてきた。案の定、こちらにも不可視結界は構築していなかったらしい。もうアッシュは諦めて、なにも言わなかった。
その航宙船は以前乗った『彼女』の航宙船と同じような形状をしていたが、フォルムがもう少しシャープになったような印象だ。
「いいでしょ? この夏の最新モデルよ」
ジゼルが自慢げに言いながら、航宙船の格納庫への着船操作を行う。と言っても、いくつかの計器を操作した後はほぼ自動で行われるようだったが。
「新車――じゃないな、なんて言えばいいんだ? とにかく、買ったばっかりかよ」
二人は着船した大気圏内往還船から降りて操縦区画に向かった。操縦区画も『彼女』の航宙船と同じようなレイアウトだ。この船は『彼女』の船の型の後継機なのかもしれない。
ジゼルは操縦席に座り、またリング型魔装具をスタンドに引っ掛けて計器類を始動しチェックを始める。
「アッシュは好きなところに座って。操縦はあたし一人で出来るから、なにもしなくていいからね」
「ああ」
アッシュは返事をして、観測手席に座った。そちらのほうが通信士席よりも面白そうだったからだ。そこで気が付いて、計器チェックをするジゼルに声を掛けた。
「当然、航宙船の操縦も二年ぶりなんだよな? 大丈夫なのか?」
「安心して。昨日この星に来るのに操縦して、コツは思い出してるから。それに、宇宙空間なんてぶつかるものなんかなにもないもん。惑星に降りて道路を大気圏内往還船で走ったりするより、よっぽど安全だわ」
その答に首を捻りながらも、また質問する。
「そういうもんか……? ていうか、免許取ってから二年以上も放置してたのに、なんでまた突然、わざわざ最新機種まで買って乗ってみようって気になったんだよ?」
「そんなの勿論、あなたに逢いにこの星に来る為に決まってるじゃない」
照れもなく言い放つジゼル。逆にこちらのほうが恥ずかしくなってしまう。
それにしても、それだけの為にこんなものを買うほどの大金を掛けてしまう行動力には感心する。
「おまえ、凄いな」
「そう? なんだかわからないけど、褒められちゃった」
アッシュの感想に、ジゼルが嬉しそうな顔になった。
「――さて、チェック完了っと。主魔力炉始動。発進するわね」
「おう」
ジゼルの操縦で航宙船がゆっくりと動き始める。操縦区画の上半分、ガラス張りのドームから見えるアッシュの住む青い星がだいぶ小さくなってきた頃、ジゼルが口を開いた。
「そろそろ転移航法に入るわよ」
「ああ。――転移はどれくらい掛かる? 俺、あの眩暈苦手なんだよ」
「大丈夫。すぐよ」
アッシュのその問いに答えつつ、ジゼルは航宙船の前方に『門』を発生させ、異様に星の密集したような時空の狭間に船を突入させる。途端に眩暈が襲ってきた。アッシュは気を紛らわす為に会話を続ける。
「で、なんでいきなりこんな時期に押し掛けてきたんだ? この前の海賊退治で会ってから、まだ一月も経ってねぇじゃん。それに来月の後半になれば、俺の学校も夏休み――一月以上の長期休暇に入るから、先に予定を確認してくれればもう少し余裕のあるスケジュールで遊びに行けたのによ」
「そうなの? じゃあ、来月からは一月以上一緒にいられるのね!」
「夏休みの間中、拉致る気かよ……」
とんでもないことを言うジゼルに、アッシュは突っ込まざるを得ない。さすがに、本気ではないと思いたい。
それは置いておいて、前半の質問がスルーされていたのでもう一度聞いてみる。
「で、なんでこの時期だったんだ?」
「だって、この前、ダーリンと運命の出逢いを果たした後、帰ってきてからすぐに注文した航宙船と大気圏内往還船が納入されたのが三日前だったんだもん。それからすぐに休暇申請出して、エリカに連絡したの」
その順序には突っ込みどころがあったが、やはりその行動力には感心してしまった。
「おまえ、やっぱり凄いな」
「なんだかわからないけど、また褒められちゃった」
ジゼルがまた嬉しそうに言う。アッシュはそれを眺めて微苦笑した。そういえば、と思い出して話題を変える。
「ところで聞いてなかったけど、おまえの任地ってなんていう星なんだ?」
「イバラッド星系第二惑星リューガよ」
やはり、セレストラル星系同様、聞いたことのない名前だ。しかし、アッシュが知っているのは彼の星の人間が発見した星に勝手に付けた名前なので、自称している名前とは違って当然だろう。案外、知っている星座の一部だったりするのかもしれない。
「それで、どれくらいの文明レベルなんだ?」
彼女たちがよく使う基準で聞いてみる。ジゼルは小首を傾げた。
「んー。あなたの星よりは少し上、って程度かしら。一応、惑星統一政府はあるわ。恒星間航行はまだ無理。今、第三惑星メッソホークを環境改造して居住可能にしようって全星挙げての一大プロジェクトが進行中だけど、見たところあれはあと三十年は掛かるわね。もっともあの星ではあんまり人口の増加は問題になってないから、のんびりやっても構わないのかもしれないけど」
「ふーん。――魔法は? あるのか?」
「ある、というか開発中ね。勿論、魔装機みたいな便利なものはないわ。だから、自力で儀式を行って、いろんな機材の補助も受けて、長い長ーい呪文を唱えたりして、やっと使えるような感じ。とても実用レベルとは言えないってところ」
「そっか。じゃあ、魔法を使うのは控えたほうがいいのかな」
「そうね。出来るだけ現地住民に見られないようにして。やむを得ないときは使っても、なんとか誤魔化せると思うけど」
「わかった。気を付けておく」
そうして会話をしている間に、転移航法は終了する。五分も掛かっていないだろう。以前セレストラル星系に行ったときには一時間近く転移航法を続けていたことから考えると、そのイバラッド星系というのは結構近所らしい。
ジゼルはその第二惑星リューガらしき星の近傍に航宙船を停めた。
「それじゃ、また大気圏内往還船に乗って。星に降りましょ」
「あぁ、そっか。恒星間航行は出来ないって言ってたもんな」
ジゼルの言葉に頷いて、アッシュは席を立つ。当然この星には、セレストラル星系の宇宙港のようなものはないわけだ。
二人は操縦区画から再び格納庫へと移動して、コンパクトな大気圏内往還船に乗り込む。ジゼルが大気圏内往還船を発進させた。航宙船がどんどん離れていく。というか、また不可視結界で隠していない。さすがに気になったので、アッシュは言ってみた。
「なぁ、航宙船、不可視結界で隠さなくていいのか?」
「あ、そっかそっか。忘れてたわ」
「……おいおい」
あまりに暢気な言い草に呆れてしまう。ジゼルはなにか計器をいじり始めた。
「確か、遠隔操作で船の不可視結界を発生させる機能があったはずなんだけど――」
と暫くあちこちといじり回していると、ようやく後方の航宙船の姿が見えなくなる。不可視結界が構築されたようだ。
「これでよし、と。それじゃ改めて、星に降りましょ」
ジゼルの操縦で大気圏内往還船は惑星リューガに降下していく。
裏側がどうなっているのか判らないのではっきりしたことは言えないが、この惑星リューガはアッシュの星よりも海の部分が多いような印象だった。その海の中に浮かぶ、大きな島というか小さな大陸というか微妙な大きさの土地へ向かって降下しているようだ。
「どこに降りるんだ?」
「首都のロールトよ。あたしたちの駐留基地があるの」
先ほど彼女は、惑星統一政府はある、と言っていた。ということは、そこは惑星全土の首都ということになる。その首都というわりにはあまり大きくない街に向かって、大気圏内往還船がぐんぐんと降下していった。
「え? おい、直接街の中に降りるのかよ!?」
「そうだけど?」
焦って問い掛けるアッシュに、ジゼルは当然のように答える。
「目立つだろ! さっきうちの星を出たときとは逆に、いったん街の外の海にでも降りて、そこから街に侵入したほうがいいんじゃねぇのか?」
アッシュが言うが、ジゼルは平然と言葉を返した。
「大丈夫大丈夫。この星には飛行車っていう、この大気圏内往還船みたいな空飛ぶ乗り物があるの。勿論、それでは惑星外には出られないけどね。ともかく、それが街の上をたくさん飛んでるから、そこに上手く紛れちゃえばいいのよ」
「……ホントに大丈夫なんだろうな?」
「任せて」
疑わしげなアッシュに、ジゼルは自信たっぷりに請け合う。もう、街の細部やその上を飛び交うその飛行車という乗り物が判別出来るくらいの高度まで降りてきていた。今更、他の手段は間に合わない。アッシュは覚悟を決めて、ジゼルに任せる。
彼女の操縦する大気圏内往還船は整然と並んで飛ぶ飛行車の列の中に上から飛び込んだ。慣性制御で無理やり降下を停止させ水平飛行に移る。
アッシュが振り向いてリアウィンドウから後方を確認すると、割り込まれた後ろの飛行車の運転手が目を丸くしていた。アッシュの星で例えるなら、道路を走っていたらいきなり目の前に車が降ってきたようなものだろう。
「滅茶苦茶目立ってんじゃねぇか!」
「……んー。上手くいくと思ったんだけどなー」
「って、行き当たりばったりだったのかよ!?」
アッシュは連続で突っ込む。考えてみれば、彼女は昨日実に二年ぶりに大気圏内往還船を操縦したのだ。この星に降下したのは今回が初めてに決まっている。それに気付かなかった自分の迂闊さに、アッシュは頭を抱えた。
「こんなのが小隊長でいいのか、第七小隊?」
「失礼ね! 大丈夫。事故は起こしてないんだから、すぐに紛れちゃうわよ」
ジゼルはそう言って、飛行車の流れに乗るように大気圏内往還船を操縦する。アッシュは溜め息を吐いて、極力バックミラーを見ないように前を向いた。