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第二章-1

 雨が降っている。

 倉嶋篤志(くらしまあつし)は、雨が嫌いではない。こうして部屋の中で一人雨音を聴いていると、ただの静寂よりも静けさを感じられる気がするからだ。

 などと詩的な感傷に浸っていられるのは、彼が一人暮らしをしているアパートが通っている高校からさほど離れていない為、傘を持っていないのに帰宅途中で急な雨に降られても走って帰ったおかげであまり濡れずに済んだからだろう。

 篤志は十分ほどの駆け足で乱れた呼吸を整える為に座り込んでいた部屋の真ん中で濡れた靴下を脱いだ。立ち上がって脱衣所の洗濯機にそれを放り込むと玄関に向かい、中まで濡れてしまったローファーに新聞紙を丸めて突っ込む。こうしておくと湿気が取れるという、一人暮らしを始めてから身に付いた生活の知恵だ。そんなことをしている部屋の中の空気には、先ほどまでの詩的な感傷の欠片など微塵も残っていない。

(今日、雨)

 制服から部屋着に着替えていると、珍しくチッピィのほうから念話魔法で話し掛けてきた。案外、彼はお喋りではない。必要のないときには無駄口を叩かないように躾けられていたのかな、などと一瞬思ったが、元の飼い主の『彼女』はそんな神経質なタイプではなかった。むしろ、いつも賑やかにしているようなタイプだったイメージがある。ということは、元々の彼の性質なのだろう。

「ああ。何日か前に梅雨入りしたからな」

 着替えながらチッピィに返事をする。チッピィが首を傾げた。

(梅雨入り、なに?)

「おまえが前に住んでた辺りには、梅雨みたいなのはなかったのか。この国の雨期だよ」

 着替え終わったので、床に座ってチッピィを抱き上げてやる。

(雨、降る?)

「そうだな。一ヶ月くらいはこんな天気が続くかな。――なんだ? 雨は嫌いか?」

 両手でチッピィを持ち上げ、顔の前に持ってきた。チッピィはもさもさした白い毛の間からつぶらな瞳で篤志を見詰め返してくる。

(雨、外、出ない。散歩、ない)

「いや、雨降ってても、ちゃんと散歩には行くぞ? ――ああ。『彼女』か」

 ふっと篤志は微苦笑した。『彼女』は雨が降ると外出しなくなっていたらしい。意外と出不精だったのかな、と思う。そういえば、彼の部屋で一緒に暮らしていた間にほとんど外出しなかったのは、怪我をしていたからとか、追われていたからという理由も勿論あっただろうが、元来の『彼女』がインドア派だった証なのかもしれない。

 インドア派の盗賊というのも、なんだかおかしな存在だ。篤志は一人、雨音の響く部屋で笑う。さすがに、知能が高いとは言え犬に似た生物であるバフスクは笑わない。

(アッシュ)

「なんだ? 散歩はするぞ?」

 呼び掛けられて、篤志はもう一度答えた。『アッシュ』は彼の異星方面での通称だ。

(散歩、ですか? あまり、この時期には向かないかもしれませんけれど。――あぁでも、梅雨の合間の晴れ間に外を歩くのは気持ちがいいですね)

「ああ、そうだな。――って、チッピィじゃねぇ!?」

 篤志は思わず突っ込む。狙ったわけではないが、所謂乗り突っ込みになってしまった。

 改めて確認するまでもなく、今頭の中に届いている念話はチッピィのたどたどしい子供のような声とは全く違う。涼やかな清流のような、少女の心地よい声だ。

(はい? エリカですが、どうされました?)

 それは、この星に駐留するセレストラル星系連邦陸軍第六辺境警備師団第二連隊第一大隊第八小隊の小隊長、エリカ=デ・ラ・メア=ブラウスパーダ少尉からの念話通信だった。

(今のは新しいパターンだったねぇ)

(はい。乗り突っ込みという技法だと推定されます)

 アリーセ=フィアリス軍曹とサーニャ=ストラビニスカヤ伍長の念話も聞こえてくる。先日言っていたように、エリカから彼への通信は隊内全員に中継されているらしい。

(……いや、俺は芸人じゃねぇし、おまえらも評論家じゃねぇ)

 篤志は今度は頭の中で二人に突っ込んだ。アリーセがいつものように、にははと笑っている気配がする。

(済まん、エリカ。今、チッピィと話してたところだったんだ)

(あら。お邪魔してしまいましたか?)

 篤志の言い訳に、エリカが尋ね返してきた。チッピィを見てみたが、散歩に連れて行ってもらえるという確約が取れたことで安心したのか、特にもう話したいことはないようだ。抱き上げていたチッピィを下ろしてやると、彼は自分の寝床の異星の籐のようなオーガニック素材の籠の中からボールを取り出して一人遊びを始めた。それを眺めやって、篤志はエリカに言葉を返す。

(いや。ちょうど話は終わったよ。――で、どうした?)

(はい。急な話で申し訳ないのですが、今週末はお暇ですか?)

 今日が木曜日なので、週末――土曜日は明後日だ。土曜も日曜も取り立てて用事はない。今請け負っているアルバイトのプログラミングも、週明けが納期というほど差し迫ったものはなかったはずだ。

(ああ、暇だけど。なんだ? なにか任務か? それとも、この前言ってた遊びに行こうって話か?)

 篤志の質問に、エリカが微笑んだような気配がした。

(どちらかというと、遊びのほうですね。実は金曜日の午後にジゼルが私どもの駐留基地(ベース)に遊びに来るんです。それで、貴方を呼んで欲しいと言っていまして)

(……ジゼルが?)

 篤志は少し身構えてしまう。

 ジゼル=アンリエット=シャンティエ少尉。エリカと士官学校で同期だった彼女の親友で、彼女たちと同じ大隊に属する第七小隊の小隊長で、篤志(アッシュ)の運命の相手――というか既に妻を自称している。

 篤志とて年頃の少年だ。自分に好意を寄せてくれる可愛い少女の存在が嬉しくないわけではない。ただ、あのあまりにもベタベタし過ぎるところをなんとかして欲しい、とは思う。追い掛けられるほどに逃げたくなる、という恋愛の典型的なパターンなのかもしれない。

(あー、まぁ、いいけど……。でも金曜は勿論、土曜も半日とは言え学校があるから、行けるのは土曜の午後になるぞ? ジゼルはいつまでいるんだ?)

(ええ。私も、アッシュは学校があるのでその日には来られない、と言ったのですが、とにかく早く貴方に会いたい、と聞かないんです。それでもなんとか、アッシュの学校が終わる土曜日までは我慢するように、と言い聞かせました。休暇自体は、こちらの暦に換算して日曜日まで取ってあるようですけれど)

(う……。悪いな。説得、たいへんだっただろ?)

 篤志はエリカの苦労を思って、少し恐縮してしまった。エリカが苦笑する。

(いえ、それほどでも。長い付き合いですので。――それより、アッシュ。泊まりの用意をしてきたほうがいいと思いますよ? 彼女は、貴方を自分の任地のほうへご招待するつもりのようですから)

(え? ジゼルの任地ってことは、勿論こことは別の有人惑星だろ? そんなところに、恒星間航行なんて全然出来てない星の住人である俺を連れて行ってもいいもんなのか? 連邦法とかに引っ掛からないのか?)

(そうですね……。厳密にはよくないのだろうと思いますが、貴方は陸軍の現地協力員として様々なことを知ってしまっていますし、既に私どもの連邦の本星までいらしていますし、特例ということで黙認されるのではないでしょうか)

 篤志の問い掛けに対するエリカの答えは、生真面目な彼女にしては随分甘いものだった。やはり、親友の希望は出来るだけ叶えてやりたいのだろう。

(そっか。また別の星に行けるのか……)

 今度はどんな星なのだろう、とわくわくしてしまう。だがそこで、ふと不安になった。

(……で、行ったはいいけど、ちゃんと帰してもらえるんだろうな、俺?)

(さすがに彼女もそこまで分別がないとは――。向こうにはラピッドファイア准尉もおりますし、大丈夫でしょう。……多分)

 エリカも自分で言っている内に自信がなくなってきたのか、人頼みになってしまう。篤志も非常に不安だったが、それよりは好奇心が勝った。

(……そうだな。第七小隊の良心、マークに期待しよう。じゃあ、そっちの基地でジゼルと落ち合って、それからあいつの任地の星に向かうって思っておけばいいのかな)

(はい。そうなると思います)

 篤志の確認に、エリカが同意する。

(ところで、どうやって行き来するんだ? また定期便とかか?)

 念の為、交通手段について尋ねてみた。さすがに先日乗った、彼女たちの大隊が保有する軽巡洋艦ディートガルトは私用に使わせてはくれないだろう。その質問に対するエリカの答は簡潔だった。

(彼女の航宙船です)

(ん? 小隊単位では航宙船は持ってないんじゃなかったのか?)

 篤志が聞き返すと、エリカは同じ答を繰り返す。

(ええ。ですから、ジゼル個人の所有する航宙船です)

(あぁ、なるほど……。って、航宙船ってそんな手軽に持てるものなのか?)

 しかし、考えてみれば『彼女』も自分の航宙船を持っていたし、先日の密入星者たちもそうだ。案外、彼女たちの星ではマイカー感覚なのかも――、

(そうですね……。この星で例えるなら、超音速の航空機を個人で所有している、といったところでしょうか)

「自家用ジェットかよ!?」

 マイカー感覚などとんでもない。エリカの答に、篤志は思わず声に出して突っ込んでしまった。その大声に驚いたのか、チッピィが振り向いて首を傾げるようにしてこちらを見る。それにひらひらと手を振ってなんでもないということを伝えると、意識を念話のほうに戻した。

(ひょっとして、あいつの家って大金持ちなのか!?)

(あら? ご存じなかったんですか? 婚約者ですのに)

(まだ婚約してねぇ!)

(……まだ?)

(い、いや、この先もするつもりはないですよ?)

 エリカの口調に何故だか氷のような冷ややかさを感じて、篤志は慌てて言い足す。それから話を逸らす、というよりむしろ元に戻した。

(こないだあいつ本人から、家はブドウ農園をやっててワインも作ってるってぐらいは聞いたけど)

(それは随分控え目な説明ですね。ジゼルの実家は著名なワイナリーです。シャトー・シャンティエと言えば、私どもの連邦ではちょっとしたブランドですよ)

(そうだったのか……)

(ジゼルのお家って、すごぉくおっきいんだってぇ。やったねぇ、アッシュぅ。こういうのって、この国では玉の輿って言うんでしょぉ?)

(いえ。この場合は、逆玉と呼ぶのが正しいと推定されます)

 アリーセとサーニャが口々に言ってくる。篤志は溜め息を吐きながら言い返した。

(おまえらは茶々入れ担当か?)

 またアリーセが、にははと笑っている気配がする。相変わらず、念話ではサーニャの気配は読めない。

(まぁ、いいや。あいつの家の話は置いておこう。――とりあえず話をまとめると、俺は土曜の午後にそっちに行けばいいんだな? 泊まりの用意をして)

 篤志は話をまとめに掛かる。

(ええ。泊まりの用意をして)

(……なんで、そこだけ繰り返す?)

(いえ、別に)

 なんだか、エリカが怖い。不穏な空気を感じた篤志は早々に撤退することにした。

(とにかく了解した。それじゃ、土曜の午後にお邪魔するよ)

(はい。お待ちしています。主にジゼルが)

(……ああ。じゃあ、明後日に)

(はい。明後日に。それでは失礼します)

 念話が切れる。篤志はなんとなく、ほっと一息吐いた。明後日は主にエリカのご機嫌を取る為に、いつもの手土産を忘れないようにしよう。

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