終章-1
そーっと教室の後部の引き戸を開ける。もっとも教室も廊下も休み時間の喧騒に満たされているので、音を殺すことにはあまり意味はない。ほとんど気分的なものだ。
既に二時限目が終了し休み時間に入っていた。超重役出勤してきた倉嶋篤志としては、目立つことは避けたい。このまま誰にも見付からずに自分の席に着いて、何食わぬ顔で次の授業を受けるのが理想だ。
教室に入って、なんとなく自分が入ってきたことがバレていないか確認するように――確認するまでもなくそんなことは有り得ないのだが――教室内を見回すと、自分の席で次の授業の準備をしていたらしい委員長こと蒲郡紫子とばっちり目が合ってしまった。
(しまった……)
いつものようにずかずかと迫ってきてお説教か、最悪その場から怒鳴り付けられる可能性もある。教室中の注目を集めるのは避けられないだろう。
思わず身をすくめる篤志だったが、予想外なことに紫子は少し目を細めて彼を見詰めると、ふいっと視線を外して次の授業の準備に戻ってしまった。
「……?」
調子でも悪いのだろうか。篤志は不思議に思うが、お説教がないのならそれが不満であるはずもない。見たところ紫子も特に具合が悪そうには見えなかったので、そのまま窓際の一番後ろという特等席に歩み寄って鞄を置いた。
「おっす、倉嶋。またサボりかと思った」
「ちっと寝坊したんだよ。そうそうサボるわけにもいかねぇだろ。内申がヤバくなる」
二つ前の席から声を掛けてきた伊勢田誠人に、前の席の山城紗紀という気の弱そうな女子生徒を避けて返事をする。
「もう十分、内申ヤバいんじゃねぇの?」
「いや、まだ一年の一学期だし、これからいくらでも取り返せるよ。倉嶋、成績は悪くないんだしさ」
酷いことを言う誠人の隣で、相変わらず仲よく話をしていたらしい豊川翔毅がフォローしてくれた。
「ああ。伊勢田のバカと違って、豊川はいいやつだな」
「そんなことないよー」
「バカとはなんだ!」
篤志の発言にそれぞれの反応を返す二人。
「いや、バカなのは事実だろ?」
「なんだとー!?」
「異議があるなら、次の期末試験で勝負してやってもいいんだが?」
「う……、卑怯な……」
「倉嶋、それは止めておいてあげてよ……」
篤志と誠人の言い合いが翔毅の言葉で収束する。そこでちょうど始業のチャイムが鳴り、三時限目担当の教師が教室に入ってきた。ざわざわと生徒たちが移動し、席に着く。
今日の三時限目は古文だ。篤志にとっては正直外国語と大差ない。従っていつもならばここは隠れ内職の時間なのだが、おかしな時間に起きて体内時計が狂っている為眠過ぎてそんな気になれなかった。篤志はぼんやりと頬杖を突いて今朝までのことを思い返す。
意識を失っていた篤志は、惑星リューガ首都ロールトの時間で真夜中頃に目が覚めた。マーク=ラピッドファイア准尉以外の、『銀光の神器』との戦闘でスタンさせられた第七小隊のメンバーもそれと前後して皆覚醒している。全員が揃ったところで、その夕方の戦闘についてそれぞれが順に説明して経緯を把握する為のデブリーフィングが行われた。最後まで意識を保っていたアッシュは、オデットが暴走して『神器』の三人が結局手ぶらで撤退したこと、オデットの暴走の様子とそれを終息させたことを全員に伝えている。
「オデットの、その紅い石が引き起こしたと見られる暴走については、わからないことだらけね……」
「はい。結局研究データを入手することも出来なかったですし、手掛かりがありませんね」
小隊長、ジゼル=アンリエット=シャンティエ少尉の呟きに、副長のマークが頷いた。
「その紅い石自体も消えちまったってんだから、本星で調べてもらうっつーことも出来ませんしねー」
グェン=ヴァン・クォン軍曹も同様の意見をお気楽な口調で述べる。
「それについては、今後押収した実験機材やなんかを本星に送って調べてもらって、捕まえた研究者たちに地道に話を聞いていくしかないわね」
それを受けて、クラリッサ=ファインマン曹長が前向きな発言でカバーした。カテジナ=ペトラ=ビェルカ兵長がつかえながらも懸命に言葉を紡ぐ。
「で、でも、オデットから、そ、その石がなくなったのは、よかったと思います。え、得体の知れないものから解放されて、オデットも、普通の女の子になれます、から」
「そうね。もっとも、本当にもうなんの異常もないか、本星で精密検査を受けさせる必要はあるでしょうけど。まぁ、それは落ち着いてからの話になるわね」
ジゼルがそう応じた。アッシュは尋ねてみる。
「その後はどうなるんだ?」
勿論、オデットの今後の処遇についての質問だ。
「まずはこの星であの娘の親族がいないか探してみるつもりだけど、正直見付けるのは難しいでしょうね」
オデットには研究所で被験体にされるより前の記憶がない。確かにジゼルの言う通り、手掛かりがなにもないままではその探索は困難だと思われた。
「だから、もしあの娘の親族が見付からなかったら、本星のあたしの家で預かろうかと思ってるの」
彼女の実家は著名なワイナリーでかなりの資産家だという話だ。ならば、女の子一人を養育するくらいわけはないだろう。
「それからその先どこかの養子になるとかは、後々あの娘ときちんと相談して決めるわ」
目覚めてからの短い時間で、彼女は随分しっかりとオデットのことを考えていてくれたらしい。
「そっか。よろしく頼む」
アッシュは頭を下げる。ジゼルが照れたように言葉を返した。
「そんな他人行儀な言い方止めてよ。あの娘はあたしとダーリンの娘みたいなものでしょ?」
「いや、だから何歳のときの子供だっつの。あと、ダーリンって言うの止めろ」
反射的にアッシュが突っ込むと、ジゼルも含めた一同が和やかに笑う。
それから、アッシュを彼の星まで送る段取りをした。ほとんどの隊員たちは戦闘でスタンダメージしか受けていないので精々その身に負ったのはかすり傷程度のものだったが、高所から地面に叩き付けられたジゼルは右肩を骨折している。さすがに航宙船の操縦は無理だろうということで、士官育成研修の一環で免許を取ったばかりだというマークが代わりに送ってくれることになった。
第七小隊には高度な治療魔法を使える者がいないので、ジゼルはこの惑星リューガの病院で普通に治療を受けるのだそうだ。文明レベルがアッシュの星よりも少し上だという程度の惑星リューガの医療技術では全治に一ヶ月程度掛かるようだが、本星に帰る暇がないので仕方がない。ちなみに、やはり結構な高さから墜落したはずのアッシュは、打ち身程度の負傷で済んでいる。その負傷はデブリーフィング前に第七小隊の面々と互いに治療魔法を掛け合って既に完治していた。自分は案外頑丈なのかもな、などと思うが過信するのは危険だろう。
別れを惜しんでまた芝居掛かった台詞を並べたてるジゼルに苦笑混じりの別れの挨拶をし、愛弟子のカテジナを筆頭とした第七小隊の面々とも別れの挨拶と再会の約束を交わすと、マークの操縦するジゼルの航宙船で自分の星まで送ってもらった。
そうして家に帰り着いたのだが、その時点で既に彼の通う高校では一時限目の授業が終わろうかという時間になっていたのだ。エリカたちに念話で簡単に帰還の報告をして――ジゼルの任地で巻き込まれた事件については後日詳しく説明すると約束した――、今更急いでも仕方がないのでのんびり歩いて登校したのが先ほどのことになる。
それにしても、と篤志は思いを巡らせた。
彼は、この星の人間で唯一の魔法使いではなかったらしい。
昨日戦った三人の顔を思い浮かべる。彼らは三年も前から魔法使いとしてセレストラル星系連邦の犯罪組織で活動しているのだ。おそらく、最初に出会った連邦の人間がその組織の人間だったのだろう。最初に出会ったのが自称怪盗で、そのパートナーとなることを決めた篤志はそう推測する。
篤志には今回の事件の絡繰りについても仮説があった。オデットが研究所を逃げ出す手引きをしたのは、まず間違いなく彼らだと思われる。わざと逃がし、そして組織から連れ帰るよう命じられていたであろう彼女に手を出さず撤退した。事情は解らないが、彼らはオデットを救いたかったように見える。都合のいい解釈をするのは危険だが、確かにそう思えるのだ。
あの三人の兄妹は敵ではあったが気持ちのいい連中だった。シュベアトはどこまでも真っ直ぐだし、エーデルシュタインとシュピーゲルの双子も口は悪いが兄弟思いだ。家族を愛している人間にそう悪いやつはいないだろう、と思う。
そんな風にその日はずっととりとめのない思考を弄びながらぼんやりと授業を受けていたので、気付いたときには放課後になっていた。昼食になにを食べたかもよく覚えていない。
さっさと帰って寝よう、あぁその前に朝出来なかったチッピィの散歩をしてやらないと、などと考えながら帰り支度を整えていると、篤志の机の脇に誰かが立ち止まった。セーラー服のスカートからずーっと視線を上げていくと、綺麗な肩までのストレートヘアが目に入る。案の定、その人物は鋼鉄の委員長サマだ。おそらく、今日の大幅な遅刻についてお説教をしに来たのだろう。篤志は身構える。
しかし予想に反して、紫子は彼の顔から微妙に目を逸らし、何度もなにか言いかけるように口を開いたり閉じたりしていた。
「――どうした、委員長。なんか用か?」
仕方がないので、こちらから聞いてやる。それを聞いて、ほとんど反射的に紫子が応じた。
「委員長って、言うな」
いつもの突っ込みよりは随分と小さい声だったが、それでなにか吹っ切れたのか、紫子が篤志の顔に視線を向ける。
「あのさ、倉嶋。土曜日のことなんだけど――」
言いかけて初めて放課後の教室の喧騒に気付いたように、辺りを見回した。なにかを決心するかのような雰囲気で一つ頷く。
「どこか、――そうね、ファミレスか喫茶店にでも付き合ってくれない?」
土曜日のこと、という言葉で、遅まきながらジゼルと一緒のところを彼女たちに目撃されたことを思い出した。
「……あ、ああ」
その件についてならば、篤志には拒否権はない。
そのとき、教室の真ん中辺りから伏見樹里が大きな声で彼に呼び掛けてきた。
「くーらしまぁー! 約束のお茶しに行こーぜー!」
「ケーキケーキー」
隣で相方の清水美々もうきうきした様子で言ってくる。
そうだった。ジゼルのことを口止めする対価として、彼女たちにケーキを奢る約束をしたのだ。
その樹里の台詞に、教室の一部――主に男子――が静かにどよめいた。
「委員長に続いて、修学旅行コンビまで!?」
「なんで倉嶋ばっかり……。俺のほうがイケメンなのに……」
「自分でイケメンとか言う……?」
「……でも、修学旅行コンビだぜ? 羨ましいか?」
「お、俺、稲荷さんのほうなら……」
「マジかよ!? おまえ、Mだったのか!?」
等々、密やかな囁きが聞こえてくる。というか、教室の隅の篤志に聞こえるのだから、真ん中辺りにいる樹里と美々には丸聞こえなのではないか、と呆れ気味に思った。だが樹里も美々も全く気にしていない様子だ。
篤志は財布の中身を考えて憂鬱になりながら、樹里に返事をした。
「ああ、わかってるよ。今、紫子サンにもそれを言われてたとこだ」
その返事を聞いて樹里は何故か、しまった、という顔をする。樹里は紫子に近付くと、顔の前に片手を立て小声で言った。
「悪ぃー、紫子。そーゆーことなら、ウチらは遠慮すっけど?」
「――ううん。わたしにはそのくらいから始めるのがちょうどいいわ」
どこか清々しい様子で紫子が応じる。篤志には、そのやりとりの意味がわからない。
「じゃ、倉嶋、行くわよ。今日はわたし、一番高いケーキを頼もうかしら」
「イル・ビットで一番高いのはー、季節のフルーツ山盛りババロアタルトかなー。確か千円ぐらいするやつー。いいなー、あたしもそれにしようかなー」
肩までのストレートヘアをふわりとなびかせて一足早く背を向けた紫子の笑いを含んだ台詞に、美々が楽しげに乗っかってくる。
「勘弁してくれ……」
篤志は己の財政事情を思ってげんなりと呟きながら席を立ち、教室中の男子の視線に晒されながら彼女たちの後を追った。




