第六章-1
オデットの手を引いたジゼル=アンリエット=シャンティエ少尉は、セレストラル星系連邦陸軍第六辺境警備師団第二連隊第一大隊第七小隊駐留基地という名の高層マンション最上階の一室の居間に、ようやく帰り着いたという感じでふらふらと入室する。掘り炬燵形式のテーブルの自分がいつも座っている席に崩れるように座り込んだ。手を引いてきたオデットを抱きかかえるようにして膝の上に座らせている。
「ただいまー。あー、疲れた。カテジナ、お茶淹れてくれる?」
「あ、は、はい」
凝りを解すように首をぐるぐる回しながらジゼルが言うと、カテジナ=ペトラ=ビェルカ兵長があたふたとキッチンへと向かった。さすがに、ペーパードライバーにはカーチェイスは荷が重かったようだ。
「ただいま」
ジゼルに続いて居間に入ったアッシュはカテジナを見送りながら帰還の挨拶をすると、運んできた大量の荷物を適当なところに積み上げた。それから玄関に戻って、待たせておいたチッピィの足を濡れ雑巾で拭いてやる。
この星の着物姿はやはり落ち着かないので昨夜寝ていたマークとクォンの部屋で手早く自分の服に着替え、チッピィと一緒に再び居間へ戻ってジゼルの隣の席に座った。慣れない砲撃魔法三発で相当な魔力を消費したせいか、気付けば酷く喉が渇いている。カテジナが淹れてくれたお茶に手を伸ばした。
「サンキュ」
軽く礼を言ってカップに口を付け、お茶を一口飲む。美味い。ほぅっと息を吐く。少し頬を染めてコクリと頷いたカテジナが、ちゃっかりとアッシュの隣に座った。
「お帰りなさい。小隊長、アッシュ。その後は何事もありませんでしたか?」
居間にいた一同を代表して、マーク=ラピッドファイア准尉が声を掛けてくる。ジゼルは抱きかかえたオデットの頭に顎を乗せて、膝の上の彼女をあやすように身体を揺らしながらそれに応じた。
「うん。さっきの通信の後は、なにもなかったわ。ここへ帰ってくるのにしても、後を尾けられたりはしてないと思う」
先ほど襲撃を受けた際にアッシュが魔法を使ったので、その魔力反応が魔力監視装置に感知されたらしい。その為、マークたち留守番組がジゼルとアッシュに念話を掛けてきたのだ。その念話通信のときに簡単に、襲撃を受けたが撃退した、ということは伝えてある。
お茶を飲んで落ち着いたアッシュはジゼルの台詞を受けて、嘆息混じりに発言した。
「追っ手の姿はなかったとは思うけど、シャトルのほうが酷い有様だったからな。この辺を捜索してる連中に目撃されてたら、一発でバレるぞ」
マンションの地下駐車場に大気圏内往還船を停め、降りて周りを見てみると、その機体には多数の弾痕が付いていたのだ。怪しいことこの上ない。
「それは、見付かっていないことを祈るしかありませんね」
アッシュにつられたように嘆息して、マークが応じる。
「それにしても、襲われたにしては案外余裕だったみたいじゃない?」
沈んでしまった空気を入れ換えるように、クラリッサ=ファインマン曹長が床に積み上げられたアッシュの運んできた荷物を見ながら言った。少し笑っている。
「いや、結構たいへんだったんだぜ? こうして買い物した荷物までちゃんと持ち帰ったことを褒めて欲しいぐらいだ」
アッシュはおどけたように肩をすくめた。
「す、凄いです。さすが、先生です」
カテジナが尊敬の眼差しで彼を見る。アッシュは苦笑した。
「冗談だよ。律儀に褒めてくれなくていい」
「は、はい……」
指摘されて、顔を真っ赤にしたカテジナが恥ずかしげに俯く。アッシュは気付いて言い添えた。
「あ、そうそう。カテジナがオデットに貸してくれてた着物なんかも、ちゃんと持ち帰ってるから安心してくれ」
「あ、ありがとう、ございます」
「いや、礼を言われるようなことじゃないだろ。むしろ、借りてたこっちが礼を言わないとならないんじゃないか? サンキュな」
「い、いえ……」
アッシュの言葉に、カテジナは上目遣いで彼の顔を見ながら軽く首を振る。アッシュはそんな彼女の頭にポンッと右手を置いた。
「こっちの話はいいわ。そっちの状況はどうなってるの?」
二人のやりとりが面白くなかったのか、ジゼルが少し乱暴にお茶のカップをテーブルに置いて話を変える。すると、テーブルの向こうからグェン=ヴァン・クォン軍曹がむくりと起き上がった。
「うぉ! びっくりした。いたのか、クォン」
「酷ーな。いるよ。さすがに疲れたから、ちょっと休んでたんだよ。――で、小隊長、情報収集の収穫のほうっすけど」
クォンがアッシュからジゼルのほうに向き直る。ジゼルは簡潔に尋ね返した。
「うん。どう?」
「このクラム・ゴップ製薬ロールト第三研究所は公には魔法研究の為の施設ってことになってるんすけど、具体的にどんな研究を行ってるかってことになると、公式発表は通り一遍のお題目ばっかりでなにやってんのか全然見えてこないんすよ。その研究成果も、どこを探っても一つも出てきやしません。学会への発表だとか、自社の他部門へのフィードバックだとか、そんなのが一切見当たらねーんす。そんな感じだったんで、直接この研究所のメインフレームに侵入してみたんすけど――」
「待ちなさい、クォン。それは初耳です」
さらっと違法行為を告白するクォンに、マークが厳しい目を向ける。しかし、当のクォンは面の皮が厚いのか、その視線を気にしてもいない。
「今更、この星の法の一つや二つ違反したぐらい、そう目くじら立てるほどのことじゃねーでしょう?」
「いや、それは連邦法でも立派に犯罪でしょう」
「大事の前の小事よ。クォン、先を続けて」
なおも言い募るマークの言葉を、ジゼルがばっさりと切り捨てた。マークは諦めたように深い溜め息を吐く。
アッシュは彼に同情した。こんな連中を実質的に取りまとめていくのはたいへんだろう。
そんなマークの様子も意に介さず、クォンが報告を再開する。
「で、研究所のメインフレームに侵入してみたんすけど、そいつを隅から隅まで探しても研究内容やらその成果やらは見付からなかったんすよ。どうやら研究所内に独立のシステムがあって、そういう機密情報はそっちに保管してあるって可能性が濃厚っすね。まぁ、それだけだったら、ハッキング対策なんかで珍しくもねー話かと思うんすけど。その代わりと言っちゃなんですが、うっかり保管場所を間違えたのか、処分し忘れたのかは知らねーっすけど、面白ーもんを見付けましてね」
「面白いもの?」
「これっす」
クォンは魔装機の操作端末を開いて、聞き返すジゼルのほうにそのモニターを向けた。ジゼルがそれを覗き込む。
「なぁに、これ? 納品書? ――あれ? このゴールドバーグ&ジェイソンって――」
「そっす。俺らにはお馴染みの、モバイルからスパコンまで扱ってる連邦内シェアナンバーワンのコンピューターメーカーっすよ。これ、そのゴールドバーグ&ジェイソンから連邦本星のとある企業にメインフレームを納入したっつー書類なんすけど、その企業ってーのが経営実体のないペーパーカンパニーでした。おそらく、クラム・ゴップ製薬が連邦の企業なんかと取引するようなときに使う為のダミー企業だと考えて間違いねーでしょう。多分、その連邦製のこの星のもんより遥かに高性能なメインフレームが研究所内の独立システムとして運用されてんじゃねーっすかね」
クォンの説明に、ジゼルもマークも眉を寄せた。
「この研究所では、この星にあってはならない連邦製のコンピューターを使ってる可能性が高い、ってことよね? ――少し根拠としては弱いけど、あたしたち辺境警備隊が踏み込む口実にはなるかしら……」
「そのダミー企業の裏にいる人物もしくは団体については?」
「済んません。そいつはまだ調査中っす。勿論、登記した人間はわかってますけど、どうやらただのお飾りらしくて。黒幕が個人か団体かもわかってねーんすけど、そいつはなかなか巧妙にやってるみたいでまだ尻尾が見えねーんすよ」
尋ねてくるマークに、クォンが現状報告する。それを聞いたジゼルは、少しの間思案してから簡単な方針を打ち出した。
「その調査は勿論今後も継続してもらうけど、とりあえず置いておきましょ。今は出来る限り急いで、この研究所を制圧するのが先だわ。こうしてる間にも、子供たちが――」
非道な人体実験に晒されているであろう子供たちを思って、ジゼルが言葉を濁す。
「もう反対はしないわよね、マーク?」
「反対しても無駄でしょう。――いえ、失礼しました、マム。――そうですね。この研究所内部でどんな研究が行われているのかは相変わらず不明ですが、小隊長の仰る通り、最低限踏み込む名目は出来たと思います。順序は逆になりますが、その研究内容については、この研究所を強制捜査して直接我々の目で確認するということにしましょう」
ジゼルの確認に諦めたように溜め息を吐いて、マークが同意した。
「僕も、そこで罪もない子供たちが非人道的な扱いを受けている可能性が高い、ということは理解しているつもりです」
「わかってるわ。いつも嫌な役目をさせてごめんなさい」
ジゼルも、マークが自分を暴走させないように状況が不確実なときには反対意見を唱えるようにしている、ということには気付いているのだ。その彼女の言葉にはマークは敢えてなにも答えなかった。ジゼルも同じく何事もなかったかのように実務的なことに話題を移す。
「じゃあ、準備が出来次第出動するわよ。普通なら攻め込むには深夜から夜明けの防備が薄くなりそうな時間を選ぶんだろうけど、今回は出来るだけ研究者も残さず捕まえたいわ。こういう研究者が会社勤めの人みたいに朝から夕方まで働くものかどうかは怪しいけど、日が暮れる前に突入しましょ」
「むしろ、こういう人種は夜型のような気もしますけどねー」
「確かに」
クォンが入れた茶々に、アッシュはつい同意してしまった。それをスルーして、クラリッサが報告する。
「警察機関なんかへの根回しは、マークが済ませてくれたわ。例の研究所に突入することを連絡してから一時間は、彼らは動かないことになってるわよ」
なんだかんだ言っても、マークも例の研究所を制圧することを前提に話を進めておいてくれたらしい。ジゼルは感謝の気持ちを短い一言で表した。
「うん。ありがと」
マークが軽く目を伏せて首を振る。
「いえ。僕は小隊長の御命令通りに仕事をしただけです。――それより、どうします?」
「どうするって、なにを?」
きょとんとした顔で聞き返すジゼルに、マークが確認した。
「オデットのことです。当然、連れて行くわけにはいかないでしょう?」
名前を呼ばれたので、オデットがマークを見る。次いで、頭上のジゼルを見ようとするように大きな青い眼を上に向けた。
「あ、そっか。そうよね……」
ジゼルは考え込むような顔付きになって、無意識のように膝の上のオデットを抱き締める。暫しの後、アッシュに向き直って口を開いた。
「アッシュ。あなたはオデットと一緒に、この駐留基地に残って」
「え? 俺?」
アッシュは当然この星のことにも連邦のことにも詳しくないので、彼女たちの話の邪魔をしないように聞き役に徹していたのだが、急に話を振られて少しうろたえてしまう。しかもそれは、作戦から外れてくれという要請だった。アッシュはやんわりと抗議する。
「俺今朝、この研究をぶっ潰す、とか啖呵切ってんだけど。それなのに留守番って、格好悪くねぇか?」
「でも、そもそもあなたはうちの小隊の協力員じゃないのよ? 既に十分巻き込んじゃってるとは思うけど、これ以上迷惑を掛けるわけにはいかないわ」
ジゼルが言うのに対して、アッシュは更に言い募った。
「迷惑なんて、そんな他人行儀なこと言うなよ。おまえらしくもねぇ。――オデットを最初に助けたのは、俺とおまえじゃねぇか。この娘の為に、最後まで俺にも手伝わせてくれよ」
「じゃあ、言い換えるわ。この娘の為って言うんなら尚更よ。あなたには、ここでこの娘の護衛をして欲しいの」
「……そんなの、詭弁じゃねぇか」
アッシュの反論には、もう力がない。理があるのは彼女の言い分のほうだろう。所詮、彼はここでは余所者なのだ。いつものように強引に事態に割り込んではかえって彼女たちの迷惑になりかねない。アッシュが言っているのはただの我が儘だ。それに、ジゼルが彼を邪魔に思ってそんなことを言っているわけではないことは十分に感じ取れた。本当に彼のことを心配してくれているのだろう。それなのにここで子供のように駄々をこねていては、彼女たちが作戦に取り掛かる為のただでさえ少ない準備時間を浪費させることになる。アッシュは大きく溜め息を吐いた。
「――わかったよ。おとなしく留守番してる」
わざとおどけたように肩をすくめると、隣のジゼルが抱きかかえているオデットを手招きする。オデットはジゼルの腕の中から抜け出すと、アッシュの膝の上に座り直した。
ジゼルが彼女にしては珍しい、愁いの混じった複雑な微笑を浮かべる。
「せっかく遊びに来てもらったのに、こんなことになっちゃってごめんね。それに、今日の夕食後くらいにはあなたの星に送る予定でいたんだけど、ちょっと遅くなっちゃいそう」
「そんなことまで気にすんなよ。むしろ、事態の決着を見届けないまま帰れとか言われたら、気になって仕方ねぇ」
アッシュの言葉に、ジゼルは済まなそうに頷いた。
「なるべく早めに一段落付けられるようにするわ。そうしたら送るから」
「ああ。無理はすんなよ」
アッシュも頷き返す。そこに、マークが控え目に割り込んできた。
「済みません。アッシュに残ってもらうのには僕も異論はありませんが、もう一人誰か残る必要があるのでは? なにかあったときに、アッシュお一人では魔力監視装置を始めとしたここの機材を十分に使えないでしょう?」
「そうね。なにもないとは思うけど……。マーク――は、ダメね。政治方面のサポートをしてもらわないとならないし。リッサ――」
「あたしは勿論、ジゼルと一緒に行くわよ」
言いかけたジゼルの言葉を遮るように、クラリッサが宣言する。
「そう言うと思った。――クォンには研究所内のシステムの中身を調べてもらうから、いてくれないと困るし。そうなると……」
ジゼルは渋々という感じで、カテジナに視線を向けた。
「カテジナ。残ってちょうだい」
「あ、は、はい。わ、わかりました」
指名されたカテジナは慌てて頷く。ジゼルはきつい目でカテジナを睨み付けた。
「ダーリンと二人っきりだからって、変なことするんじゃないわよ?」
「え? わ、へ、変なこと……」
そんなことを言われたせいで逆に意識してしまったのか、カテジナの顔がみるみる真っ赤に染まっていく。
「するか! だいたい、オデットもいるんだから二人っきりじゃねぇし」
「ダーリン、この泥棒猫の誘惑に乗ったりしたら許さないからね」
アッシュの突っ込みも、ジゼルの耳を素通りしたようだ。アッシュは、先ほどまでのシリアスな空気はどこに行ったんだ、と思いながら再び突っ込んだ。
「カテジナはそんなことしねぇって昨日も言っただろうが。それから、ダーリンって言うの止めろ。――ほら、さっさと準備して出動しろよ」
「あぁ、心配だわ……」
クラリッサが、まだそんなことを言っているジゼルの腕を取って立たせる。
「さ、ジゼル。出動の準備をするわよ。あなたの旦那様を信じなさいな」
「……そうね。夫婦の間ではお互いに対する信頼が大切よね」
そのクラリッサの言葉が効いたのか、ジゼルは納得したように一人頷くと彼女に連れられて居間を出て行った。アッシュはその後姿に向かって、聞こえないように小声で突っ込む。
「誰と誰が夫婦だっつの」
続いてマークも立ち上がった。
「では、アッシュ、後を頼みます。カテジナ、お二人のことは任せましたよ」
「おう。そっちも気を付けてな」
「は、はい。頑張ります……」
アッシュが応じる隣で、カテジナが自信なさげに返事をする。居間から出て行くマークの後をクォンが追った。立ち去りざまに言う。
「色男、浮気すんなよ?」
「いや、ジゼルに聞こえたらまた面倒なことになるから止めてくれ」
アッシュが苦い顔をするとクォンは、いっひっひ、と笑いながら居間を出て行った。残されたアッシュとカテジナは散々そんなことを言われたせいで互いを意識してしまう。
(な、なんだ? このラブコメ的空気は……)
隣り合わせに座ったまま身を硬くしている二人の顔を、オデットが不思議そうに交互に見上げていた。




