第四章-2
アッシュと腕を組んで夜の街を歩いているジゼル=アンリエット=シャンティエ少尉はとても上機嫌だ。アッシュは一応意識して車道側を歩いている。そういう心遣いをされているということは伝わるものなのか、ジゼルはますます上機嫌になっていった。
アッシュはチッピィを連れていない。さすがの彼も、そこまで野暮ではなかった。
アッシュは今はこの星の普通の外出着である着物に袴姿――彼の国の正装のそれよりはずっと質素なもの――だったが、時折周囲から視線が寄越されてくる。やはり、淡い色の髪ばかりの中でこの黒髪は目立つようだ。だが先ほど聞いたようにファッションで染めていると思われるらしく、不審がられるほどのことはない。
目的のエルロー通りのフォティッツという店がどこにあるのか解らないので、道は完全にジゼル任せだ。そもそもアッシュにはこの星の文字が読めないので、看板を見ても何屋かすら判らない。
ジゼルが大通りから逸れる路地を指して言う。
「こっちよ。エルロー通りに出る近道なの」
「ホントかよ……」
(わざと遠回りしたりしてねぇだろうな……?)
まぁ、特に用事があるわけでもない。というか、彼女たちのところに遊びに来ている身だ。彼女に付き合って夜の散歩を楽しむのも悪くはないだろう、と苦笑気味に思う。
二人は腕を組んだまま、人通りの少ない路地に入っていった。周囲に人がいなくなったことで、何故か逆に二人とも無口になってしまう。
ふと急に、ジゼルが腕から離れた。ト、トンとステップを踏んで、アッシュの前に出て立ち止まる。
「――どうした?」
雰囲気が変わったことを感じて、アッシュも立ち止まった。ジゼルが背中を向けたまま、呟くように言う。
「アッシュの右腕」
「っ!?」
反射的に、アッシュは『彼女』の右腕を自分の左手で押さえた。
「それ、あなたの腕じゃないでしょ?」
彼女たちの前では、特に不釣り合いな右腕を隠すことはしていない。多少目敏い者なら気付いて当然だった。
「……ああ」
アッシュは短い返事で肯定する。
「誰の――、ううん。やっぱりいい」
言いかけて、ジゼルは自分でその台詞を拒絶した。
「他人の腕を接合するなんて、余程の事情があるんだと思う。無理に聞こうとは思わないわ」
「……悪いな」
アッシュは謝るしかなかった。『彼女』のことといい、自分はジゼルに隠していることが多過ぎる。エリカは例の事件の報告書を、彼が『魔人血晶』に寄生されていたこと、それに『彼女』が関与していたことも伏せて作成してくれたらしい。
事件当時、協力してもらう為に事情を説明したエリカたちにも、『彼女』と暮らした日々や『彼女』に向けた感情などについては、あまりにプライベートなことなので話してはいない。
『彼女』のことは、未だに自分の中でも感情の整理が付いていない問題だ。まだ他人に話したい話題ではなかった。だが、いつまでも聞かずにいてくれるジゼルの優しさに甘えていてはいけない、とも思うのだ。
「これも、いつか話すよ。きっと」
「うん。わかった」
ようやくジゼルが振り向く。街灯りに照らされたその顔は、少し無理をしたような笑顔だった。
「いつか、あなたが自分から話してくれるぐらいの信頼を勝ち取ってみせるわ」
「きっと、長い物語になるよ」
アッシュも、彼女に合わせてなんとか笑みの表情を作る。
「いいわ。そしたら、夜通し聞いてあげる」
ジゼルはウィンクをしてそう言うと、再びアッシュの右腕に絡み付いた。
「はい。じゃあ、この話は今はお仕舞い。――早くフォティッツに向かいましょ? きっと、リッサたちがアイスの到着を待ってるわ」
「ああ、そうだな」
アッシュは返事をして、空いている左手をポンッと彼女の頭に置く。ジゼルが嬉しそうに微笑んだ。
二人はエルロー通りへ抜ける為、再び裏路地を歩き始める。だが、そうして一つの路地の角を曲がったとき、アッシュは突然の既視感に襲われた。
「――え?」
チカチカと点滅する街灯が照らす狭い路地に、人が倒れている。路上に鮮やかな青色の長い髪が扇状に広がっていた。二月ほど前にも見たあまりにも印象的なその光景に、心臓が大きく脈打つ。意識が飛びかけた。
多分、『彼女』の名前を叫んだりはしなかったと思う。アッシュは我知らず、その倒れた人影に駆け寄っていた。
――有り得ない。だって、『彼女』の身体は、こんなに小さくはなかった。
「――シュ! アッシュ!」
ジゼルが肩を揺さぶっている。それで、アッシュは我に返った。ぎこちなく彼女の顔を見上げる。
「あ、あぁ……」
それだけしか言葉が出てこなかった。
「どうしたの!? この娘も気になるけど、あなたも顔色が真っ青よ!?」
ジゼルはとても心配そうな顔だ。
「この娘……?」
気が付くと、アッシュは路地に跪いて倒れていた少女を抱き起こしていた。
腕の中の少女は、むしろ幼女と呼んだほうがいいくらいの年齢に見える。おそらくその年齢は二桁に届いてはいまい。鮮やかな青色の長い髪。意識が朦朧としているのか、その青い瞳は虚ろに揺れている。折れてしまいそうに細い手足は擦り傷だらけで、裸足の足も酷く汚れていた。その小さな身体には、この蒸し暑い夜でもいくらなんでもそれはないだろう、と誰もが言いたくなりそうな手術着のような粗末な布一枚を身に着けているだけだ。
そこまで観察して、自分がようやく冷静になったことを自覚する。
「俺は大丈夫だ。なんでもない」
「なんでもないって顔色じゃ――。ううん。あなたがそう言うんなら信用する。とにかく、急いでこの娘を病院に――」
ジゼルがそう言いかけたとき、路地の角から数名の人影が現れた。彼らは着物の上から現代的な防弾ベストと時代劇で見るような足軽鎧を足して二で割ったといった感じの防具を着けていて、こんな精神状態でなかったら見た瞬間に笑い出してしまいそうな格好をしている。
「対象を発見。民間人二名が一緒です。――了解」
彼らの一人が通信機らしきものでなにか話すと、通信先からなんらかの指示を受けたのか、路地に跪いて幼女を抱えたアッシュとその隣にしゃがみ込んだジゼルの前に歩み寄った。
「我々はその子の保護者の使いだ。その子をこちらに渡してもらえないだろうか」
その男が言う。ジゼルがぷぷーっと笑って、彼に言い返した。
「怪し過ぎて笑っちゃうわねー。どう見たって、この娘はあんたたちから逃げてきたようにしか見えないわよ?」
「ば――っ!」
確かにその通りだが、ばか正直にそれを正面から指摘して挑発することもないだろう。アッシュは内心で頭を抱える。案の定その男は懐に手を入れると、拳銃らしきものを取り出してジゼルの顔に向けた。
「おとなしく渡さないと、痛い目をみるぞ」
「月並みな脅し文句ねー。もっとオリジナリティを出したほうがいいんじゃない?」
ジゼルはどこまでも挑発する気らしい。
(なんか考えがあってやってるんだろうな!?)
アッシュは目で訴えかけるが、ジゼルはなにを勘違いしたのか、ぽっと頬を染めた。アイコンタクトでは通じないと諦め、小声で言う。
「おい! 仕方ないよな!? 使うぞ!?」
ジゼルの返事より早く、後ろで待っていた防具姿の男たちが次々に拳銃を抜いてこちらに駆け寄ってきた。
「構わん。その二人共々確保しろ!」
「ちぃっ! 『魔神の掌』!」
アッシュは、路地の幅と同じ直径の影色の防御魔法陣を構築すると同時に、勢いよく一メートルほど前進させる。彼らの前にいた男が、防御魔法陣に弾き飛ばされて転倒した。
「斥力場発生装置だと!? 軍でもまだほとんど配備されていないような代物を、何故こんな民間人が――」
「いや、あれは……、ニュースで見たことがある魔法陣ってやつに見えるんだが――」
「ばか言え! 魔法なんてものは、研究所で学者がいじりまわしている玩具みたいなもので、まだ実用化もされていない技術だろう。なんの機材もなしに魔法が使えるわけが――」
「そういえば、俺、聞いたことがある……。達人級の魔法使いになると、呪文一言で魔法を使えるとか――」
「そんなのは、ただの都市伝説だ!」
彼らの目前で通路を塞いでいる防御魔法陣の向こうで、防具姿の男たちが口々に言い合っている。見たこともない魔法を目にして混乱しているようだ。
(ジゼルが、やむを得ないときには魔法を使ってもなんとか誤魔化せる、って言ってたのはこのことか……)
彼らの言い合う言葉を聞いて納得したアッシュはそれであることを思い付き、幼女を抱えたまま立ち上がって作り声で高笑いを上げてみせた。
「ふはははは! その通り! 我こそは、世界に七人しかいない大魔法使いの一人、灰の王である! 我が怒りに触れたくなければ、今すぐこの場を立ち去るがよい!」
「……なぁに、それ?」
「いや、ハッタリ効かせたら逃げてくれないかと思って」
続いて立ち上がったジゼルの呆れたような問い掛けに答える。聞かないで欲しかった。自分からやっておいてなんだが、これでも恥ずかしいのだ。
そんなことを言い合っていると、路地の反対側からまた数名の防具姿の男たちが現れた。先ほどの通信で場所が伝わっていたのか、別の部隊がやってきてしまったらしい。今度の男たちはその場の状況を見て取って、問答無用で銃を向けてくる。
「『魔神の掌』、もう一枚!」
アッシュは多重処理で二枚目の防御魔法陣を反対側にも構築した。出現した防御魔法陣の表面で銃弾が跳ねる。ジゼルが感心したように呟いた。
「ダーリンの護りは、ホントに鉄壁ねー」
「どさくさに紛れて、ダーリンって言うの止めろ。――けど、これで前後が塞がって逃げ場がなくなっちまったな。あ、上って手も――」
こうなったらいっそ飛行魔法で飛んで逃げるという選択肢もある。そう思って路地の上を見上げてみたのだが、路地の上空はビルから張り出した庇や用途不明の機械や配管、ビルとビルの間に渡されたロープや日除けの布などでごちゃごちゃとしており、とても一気に飛び上がれるような状態ではなかった。それらを避けながらのんびり上昇していては、それこそいい的だろう。
「――飛んでいくのは、ちょっと難しそうだな」
アッシュが嘆息混じりにそう言うと、ジゼルは微笑む。
「あいつらを全部片付ければ、悠々と歩いていけるわよ?」
「片付けるって、おまえ、武器もないのに。あ、魔装具ぐらい持って――」
言いかけるアッシュの目の前で、ジゼルは勢いよく両手を上から振り下ろした。両袖の中から二本の棒が滑り出す。その片方の先端には小刀のようなものが付いていた。彼女は例の用途不明のリング型の魔装具を袂から取り出すと、それを接続具にしてその二本の棒を一本に繋ぎ合わせる。そうして完成したのは、彼女の武器である魔装薙刀だった。
「そのリング、魔装薙刀の一部だったのか……。ていうか、袖の中にそんなもん仕込んでたのかよ」
アッシュは呆れたように言う。
「まぁね。その為の振袖だもん」
ジゼルは魔装薙刀の刃から鞘を払って、身体の前でくるりと回した。その刃にピンク色の魔力光が灯る。ジゼルは銃弾が跳ねて火花を散らしている防御魔法陣の裏側に歩み寄った。
「じゃあ、ちょっとお掃除してくるわ。一瞬だけ、この防御魔法陣を解除してくれる? あたしが外に出たら、また防御魔法陣を張り直してね」
「いや、待て! 銃を持った相手が両側に四人ずつだぞ? 一人じゃ危ない。俺も拘束魔法でサポートするから――」
台詞の途中で、アッシュは腕の中の青い髪の幼女の存在を思い出す。彼女は小さな手で縋るように彼の服を掴んでいた。それを見て、ジゼルが微笑む。
「アッシュはその娘を護ってあげて。あたしのほうは、――『ディフェンサー』。これで安心でしょ?」
ジゼルは常駐魔法の防御陣を起動した。確かに、その防御魔法陣ならば銃弾くらいは防げるが、複数の銃口を前にして全ての銃弾を止めるにはたいへんな集中力が必要であることをアッシュは経験で知っている。
「待ってろ。この娘を護る結界を張って――、ちっ」
アッシュは言いかけて気付き、舌打ちをした。如何に彼の『魔神の掌』の維持コストが少ないと言っても、結界魔法の莫大な魔力消費では多重処理を行うことは不可能だ。結界魔法を起動するのなら、二枚の防御魔法陣は解除しなくてはならない。防御陣を予め先に常駐させておくことは出来るが、それで結界魔法を起動し結界が構築されるまでの短くない時間、路地の両側から浴びせ掛けられる銃弾や襲い掛かってくるであろう男たちから完全に身を守り切れるとは、さすがのアッシュにも断言出来なかった。
「アッシュ、ここを開けて。同じような部隊があといくつこの辺にいるのかわからないわ。時間が経てば経つほど不利になるわよ?」
ジゼルが意外なほど優しい口調で言う。アッシュは唇を噛み締めて決断した。
「済まん。任せる。怪我なんかするんじゃねぇぞ」
「心配してくれるの?」
「当たり前だろ!」
そう言い返すと、ジゼルは不敵に微笑む。
「ありがと。その言葉だけで、あたしは強くなれるわ。――ちなみにそれを通り越して無敵になれる言葉もあるんだけど、知りたい?」
「――いや。その言葉はこんな状況で打算的に使うもんじゃねぇだろ?」
「さすが、ダーリン。わかってるわね」
アッシュの返事に、ジゼルの微笑が楽しげなものに変わった。少なくともリラックスは出来ているようだ。悪くない。アッシュは敢えて、ダーリン、には突っ込まずにおいた。
「じゃあ、合図で開けるぞ? ――三、二、一、いけっ!」
アッシュは、ジゼルの目の前の防御魔法陣を解除する。同時にジゼルが重そうな下駄履きとは思えない動きで飛び出した。
「『魔神の掌』、もう一枚!」
すぐさま防御魔法陣を構築し直す。アッシュは、その防御魔法陣越しに飛び出したジゼルの姿を目で追った。
ジゼルは身体を低くして前面に防御魔法陣を展開し、ジグザグに路地を駆けて四人の防具姿の男たちの只中へ飛び込む。それで形勢は一気にこちらに傾いた。近接の乱戦になってしまえば同士討ちを恐れて銃は使えない。ジゼルの魔装薙刀が早速男たちの内の一人を打ち倒した。男たちが銃を捨て、腰から片刃の太刀を抜き放つ。ジゼルは切り掛かってくる男の太刀を長柄で受け流して、返す刃でその男を切り伏せた。
さすがに、近接戦闘でエリカと互角以上に渡り合うだけのことはある。心配するほどのことはなかったのかもしれない。アッシュに抱かれた幼女も、朦朧とした目で彼女の戦いぶりを見守っているようだ。
だがそのとき、残った二人の男が前後から同時にジゼルに切り掛かってきた。如何に彼女が強かろうと、これを受けるのは難しい。
アッシュは刹那の時間で思考する。彼が己の技術の粋を余すことなく投入して開発した『魔神の掌』の維持コストは尋常では考えられない低さだが、さすがにこれを二枚も維持しながらの多重処理では、魔力消費の小さい魔法が一つ使えるかどうか、というところだろう。幼女を抱きかかえていることで両手が塞がっている為、右手から蔓が伸びる『藤花の宴』や投射型の『天使の抱擁』は使えない。
(結局、基本が一番ってことか!)
帰ったらカテジナにも教えてやらないとな、などと思いながら、アッシュは座標指定型拘束魔法を起動する。
「『茨の冠』!」
二枚の『魔神の掌』を維持することを強く意識しつつ、多重処理を行った。今にもジゼルに切り掛かろうとしている二人の内の後方の男の周りに影色の拘束輪が三つ出現し、一拍後に締まって拘束する。ジゼルは身体が自由な前方の男の太刀を魔装薙刀で弾き返すと、素早く薙刀を振り回して二人の男の意識を刈り取った。
アッシュは大きく息を吐く。かなり限界ギリギリの魔力運用だったはずだが、意外と身体への負担は少なかったようだ。
(なんだろう? まるで、魔力を供給でもしてもらったような……)
ジゼルが防御魔法陣の向こうから声を掛けてくる。
「アッシュ。助かったけど、無理はしないで。あなたの防御魔法陣が消えちゃったら、元も子もないのよ?」
「ああ、済まん。おまえのピンチに、つい咄嗟にやっちまった」
やはり、そう言われれば悪い気はしないのだろう。ジゼルは嬉しそうに微笑んで、新たな敵に対峙する為に背を向ける。路地の反対側の防御魔法陣の向こうにいたはずの防具姿の男たちが入り組んだ裏路地を回り込んで、ジゼルのいる側に現れていた。
彼らはそれぞれ銃を乱射するようにして弾幕を張り、彼女の接近を阻もうとする。ジゼルは常駐魔法の防御魔法陣を展開してそれを防ぎながら、先ほどと同じように彼らの只中に突っ込もうとした。そのとき、
「『ファイア・グレネード』、十発、シュート!」
路地に彼ら以外の声のコマンドが響き渡る。声のしたほうに目を向けると、十発の赤い光弾が山なりの軌道で飛んでくるところだった。それらは男たちの足元に着弾すると、驚いたことに大きな火柱を上げる。彼らが目に見えて怯んだ。
「小隊長! アッシュ! 御無事ですか!?」
男たちの後ろの路地から、クラシックなオートマチック拳銃型の魔装銃を構えたマーク=ラピッドファイア准尉が姿を現す。すぐ後ろに、異様に銃身の太い大型拳銃のような短砲身の魔装砲を構えたクラリッサ=ファインマン曹長が続いた。
「さぁ、頭を吹き飛ばされたいやつから前に出なさい!」
勿論、彼女の台詞はハッタリだ。しかし、防具姿の男たちは派手に上がる火の手と新たな援軍を見比べると、素早く気絶した仲間たちを拾い上げて横道に逃げ込んでしまった。
「追って!」
ジゼルが指示を出すが、マークたちの後から路地に入ってきたグェン=ヴァン・クォン軍曹が気楽に応える。
「慌てる必要はねーっすよ、小隊長。ちゃんと追跡してます」
そう言って、自分のこめかみから伸びた二本の白い魔力光のアンテナを指し示した。それは確か、サーニャもよく使っている広域探査型観測魔法の為のアンテナだったはずだ。
戦闘力のない観測型の彼が平気で出てきたということは、もう周囲に敵はいないのだろう。
アッシュはそう判断して維持していた二枚の防御魔法陣を解除した。最後に、チッピィを胸に抱いたカテジナ=ペトラ=ビェルカ兵長が駆け寄ってくる。
「せ、先生! 小隊長! お、お怪我はありませんか!? ――そ、その娘は?」
アッシュが抱きかかえた擦り傷だらけの幼女を見て、カテジナが驚いたように尋ねてきた。アッシュが口を開くよりも早く、ジゼルが応じる。
「あいつらは、この娘を捕まえようとしてたのよ。何者かわかんないけど、なにかヤバそうな事情がありそうね」
「ジゼル、無事!? どこかに傷なんて付いてないでしょうね!?」
駆け寄ってきたクラリッサがジゼルに飛び付いた。
「全然無傷よ。落ち着いて、リッサ」
ジゼルは苦笑のような表情を作る。
「申し訳ありません、小隊長。周囲に展開していた同様の部隊の相手をしていたもので、遅くなりました」
近寄ってきたマークがジゼルに敬礼した。見回すと、路地のあちこちで火の手が上がっているようだ。
「そいつらは?」
「どうやら騒ぎになって人目に付くのは好まないようで、それに気付いてからはこのように火の手を上げて追い払いました。全て、クォンが追跡中です」
マークがジゼルの問いに答えて、アッシュの腕の中の幼女を見ながら聞き返してきた。
「それで、その子供はどうします? この星の官憲に引き渡しますか?」
ジゼルは悩ましげに細い眉を寄せる。
「魔法が関わってるような様子はなかったし、この星の事件ならこの星の警察に任せて、辺境警備隊のあたしたちは本来首を突っ込むべきじゃないとは思うんだけどね。でも、偶然とは言え巻き込まれちゃったし、それに――」
ジゼルは、自分を護って戦ってくれた人にアッシュの服を握ったのとは逆の手を伸ばして触れようとしてくる幼女の小さな手を握り返した。
「あたしの中には、ここでこの娘を放り出すって選択肢はないわ」
マークは、予想していた、とでも言いたそうな溜め息を一つ吐く。
「それでは、駐留基地に連れ帰って傷の治療をしましょう。幸い、大きな怪我はないようですし、疲労して衰弱しているだけに見えます。――それでも、病院できちんと検査と治療を受けさせるべきだとは思いますが」
そう付け足したマークの言葉のどこに反応したのか、幼女はアッシュの服とジゼルの手を握り締めた両手にぎゅっと力を込めて、いやいやをするように首を振った。
「病院は嫌ですって。これは、やっぱり連れて帰るしかないわね。――大丈夫よ。病院には行かないからね」
ジゼルは幼女を安心させるように彼女と繋いだ手を軽く振る。それらのやりとりを眺めていたアッシュは、話が一段落したと見てマークに話し掛けた。
「あの火、マークの魔法か? 『炎熱付与』の特性持ちだったのか?」
「ええ。一見派手に見えますが、実は案外使いどころのない魔力特性でしてね。普段使っている射撃魔法では、逆にその特性を抑えるようにカスタマイズしてあるんです」
マークが苦笑を浮かべる。攻撃魔法には物理的な破壊力をなくし痛みと衝撃のみを対象に与えるように制限する為の安全装置が掛けられているのが普通だ。確かに彼の言う通り、そこへ炎熱属性を付与してしまっては本末転倒だろう。
「なるほどな。――で、この火を消す魔法は?」
「ありませんが」
アッシュの質問にあっさりと答えるマーク。それを聞いてアッシュは焦る。
「って、おい! 暢気に話してる場合じゃねぇじゃん! ほっといたら、この辺一帯火の海になっちまう! すぐに一一九に――って、それは俺の国の通報先だ! とにかく、なんでもいいから消防に連絡! 早く!」
「は、はい!」
アッシュの焦りが伝染したのか、マークが慌てて懐からこの星の通信端末らしきものを取り出して、消防機関に連絡を始めた。それを横目に、ジゼルが抱き付いたままのクラリッサに問い掛ける。
「それにしても、よくあたしたちが危ないってわかったわね? ――あ、そっか。アッシュの魔力反応を魔力監視装置が感知したのね? でも、それにしては随分と到着が早かった気もするんだけど」
クラリッサはギクリと表情を固まらせると、そろそろとジゼルから身体を離した。空々しく視線を外す。
「それは、あれよ。ほら、――愛の力?」
「そうそう。面白そうだっつって、後を尾けてたからじゃねーっすよ?」
クォンは一応誤魔化そうとしたのかもしれないが、その台詞で完全に自白してしまった。ジゼルの眉が吊り上る。
「あんたたちねぇー! なによ、マークまで一緒になって!」
「申し開きのしようもありません。よくわからない内に連れ出されてしまって……」
連絡を終えたマークが頭を下げた。クラリッサとクォンは白々しくそっぽを向いて、自分は無関係だと主張しようとしている。しかし、どう考えてもこの二人が主犯格だろう。カテジナは申し訳なさそうに俯いている。ジゼルは両手を腰に当てた。
「この罰として、消防と警察への事情説明はあんたたちでやりなさい。この娘については上手く誤魔化すこと。あたしとアッシュは、一足先にこの娘を駐留基地に連れて帰ります。傷の手当をして――、あぁ、それからお風呂にも入れてあげなくっちゃ」
「アイアイ・マム」
マーク以下四人が敬礼する。
「それじゃ、ダーリン、警察が来ないうちに早く行きましょ」
「その台詞だけ聞くと、丸っきり犯罪者だな。ていうか、どさくさに紛れて、ダーリンって言うの止めろ」
先に立って歩き始めるジゼルに突っ込んで、青い髪の幼女を抱きかかえたアッシュは彼女の後を追った。




