誰も知らないフクザツなジジョー
「んっ……朝……昼か……?」
カーテンの隙間から差し込む日の光を受けて、俺はぼんやりと目を覚ました。
眠気まなこを擦りながら時計を見ると、昼どころか三時を過ぎたところだった。
のっそりとキッチンへと向かい、用意されていた遅めの朝食をペロリと平らげると俺は軽く伸びをして外へ出た。
今日は近所に住むコータローと会う約束をしているのだ。
ちょうど外へ出ると、家の向かいの空き地で何やらドタドタと忙しく建設工事をしているらしかった。
最近では、都心に近いこの辺を新しいベッドタウンにする計画が持ち上がっているらしく、そこかしこに真新しい一軒家が立ち並び始めている。
俺はまるで、自分の故郷の思い出がどんどん塗りつぶされているような気がして、胸が苦しかった。
そんなセンチメンタルなことを思いながら俺は路地を抜け、ダラダラと歩きコータローの家へと向かう。
コータローとは、俺がガキだった頃からの付き合いで言うなれば幼馴染みというやつだ。
気が弱くて、体も小さいコータローのことを俺は昔からなんとなく放っておくことができず、俺たちはよくつるんでいた。
そんなコータローが昨日、思いつめた顔で俺に相談があるから明日ウチへ来てくれなんて言うもんだから、俺は今こうしてあいつの家へと散歩がてらやってきたという訳だ。
家に着くと、コータローは庭先にポツンと立っていた。どうやら俺がここに居ることにも気がついてないらしい。
「おい、なにやってんだよ」
「わっ! ケンちゃん、来てくれたんだね」
コータローは俺に向かって笑ったつもりだったんだろうが、その笑顔にはどこかぎこちなく見えた。
「おめーが来てくれって頼んだんじゃねえか」
俺がぶっきらぼうにそう言うとコータローは「そうだね」と苦笑した。
「それで? 相談ってなんだよ」
「あー、えーっと、ちょっと言いにくいんだけど……そのぉー……」
相談したいと言っておきながら言葉を濁すコータローに苛立ちを覚えたが、俺は黙って話を聞くことにした。
「実は今、付き合ってるアケミちゃんって子が居るんだけど、最近アケミちゃんがどうやら他の男とも付き合ってるって噂を聞いちゃって……」
コータローは俯き加減にそう言って何故かモジモジしている。相変わらずの気の弱さだと俺は半ば呆れながらコータローに言った。
「それがどーしたよ。そのアケミって女に直接聞いてみりゃいいだろ?」
「そうだけど、怖くてなかなか言い出せなくて……」
ダメだこりゃ。そんな遠慮してどうするんだと危うく声に出すところだったが、大人な俺はぐっと堪える。
「じゃあ、お前はどうしたいんだよ?」
「それで……実は昨日、そのアケミちゃんと付き合ってるって男から呼び出されたんだ」
なんだか雲行きが怪しくなってきたなと、俺は眉をひそめた。
「それで?」
「その男が、明日の夕方に学校の裏山まで来いって。アケミちゃんを賭けて決闘だって。」
「はぁ〜? 決闘ぉ?!」
俺は素っ頓狂な声をあげた。こんなまともに誰かを殴ったこともない奴に決闘を挑むなんてどうかしてやがる。
「お前、行くのかよ」
俺は値踏みするような視線をコータローに向けた。
「……僕だって、黙ってアケミちゃんをあいつに取られるのは嫌だよ」
弱々しい言葉だが、その瞳には決意の色が伺えた。こいつもこいつなりに色々悩んで出した結論なんだろう。
「んぁっ? てか『明日の夕方』って言ったら、もうすぐのことじゃねぇか!」
俺は空を見上げると、もう空の端っこは朱に染まり始めていた。
「うん、だから今こうやって最後の精神統一をしてたんだ」
コータローはふうと大きく息を吐き、俺の方を見ると、再び口を開いた。
「それでね、ケンちゃん。この決闘にケンちゃんも立ち会ってもらいたいんだ」
「そうかわかった! お前相談なんて都合のいいこと言って、最初から俺について来させるつもりだったなッ」
俺がコータローに詰め寄るとコータローはえへへーと照れたように頭をかいた。全く、それならそうと最初から言えってんだ。
俺はコータローの頭をポカリと叩くと、コータローと裏山に向かっていった。
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裏山の広場に着くと、例の〈男〉とやらはすでに俺たちを待ち構えていた。
「遅かったじゃねーか、まぁ来ただけ褒めてやるぜ」
典型的な悪者のセリフを恥ずかしげもなく言える精神もそうだが、俺が何より驚いたのがこの男のガタイである。なにせ体格・身長全てがコータローの倍近くあるように見える。一体いくつ歳が違うやつなんだ?
「だ、誰が逃げたりするもんかっ!」
コータローも負けじと声を張るが、完璧に腰が引けている。いやこの状況なら誰でもビビるかもしれない。
「おい、そいつ誰だ。一人で来いって言ったはずだぜ?」
巨躯の男がギロリと俺を睨んできたが、俺もついいつもの癖でやつを睨み返してしまった。
「け、ケンちゃ……いや、彼は決闘の立会い人だ!」
「生意気なヤローだな。お前こいつの助っ人なんじゃねえのか?」
男はのしのしと俺の前へと近づいてくる。その威圧感たるや、ケンカ慣れした俺ですら無意識に臨戦態勢を取らざるを得ない程、強烈なものだった。
「立会い人だって言ってんじゃねえか。男のタイマンを邪魔するほどヤボじゃねーよ」
俺がそう言い放つと、男はふんと大きく鼻を鳴らして戻っていった。
「じゃあ、最後の確認だ。これは俺とテメーのタイマン勝負、負けた方は金輪際アケミには近づかない。それでいいな?」
男は気味の悪い笑みを浮かべながらそう言った。
「……わかった」
コータローは真剣な眼差しで男を見据えた。気合いの乗り具合はコータローの方が断然上だ、相手の油断をつけば一波乱ありそうだなと俺は予想した。
「そんじゃ、どっからでもかかってきな」
男は両足を広げ大きく構えると、巨躯な体が一層迫力を増した。
じりじりと間合いを詰めるコータローだったが、明らかに迫力に圧倒されていた。どうやら、この男は相当場数を踏んでいるようだ。
「けっ、根性無しが。そんなんだからアケミに愛想尽かされるんじゃねえのか、あ?」
分かりやすい挑発だ。俺はそう思ったがコータローには効果てきめんだったようだ、みるみる内にコータローの表情が怒りに変わっていく。
「バカっ、よせ!」
俺は思わず口を開いたが、時すでに遅しだった。
「うわあぁぁぁー!!」
コータローが真正面から男に向かって飛びかかる。しかし男は待ってましたとばかりに、コータローの顔面に勢いよく頭突きをくらわせた。
「うがっ……!」
コータローは鼻血を出しながらよろめいたが、男がこの隙を見逃すはずがなかった。
男はそのままコータローに体当たりをして押し倒すと、コータローに馬乗りになった。
(こりゃ、マズいな……)
俺は小さく舌打ちをした。お互い条件が同じならここから逆転する可能性もあるが、この体格差でマウントポジションを取られたら、返すのは不可能に近い。
コータローは足をジタバタさせて必死に抵抗するが、上にのしかかる男はびくともしない。
男は再びニヤリと気持ち悪い笑みを見せたかと思うと片手でコータローの口を塞ぎ、もう片方の手でコータローの鼻を塞いだ。
(こいつ、まさか……!)
コータローは口を塞がれた手に噛み付くが、男はそれでもなお口を塞ぎ続ける。
「がっ……ふがっ……ごぉっ……」
コータローは手足をめちゃくちゃに動かし抵抗を続けたが、次第に動きが鈍り、ついには動くことをやめた。
「そこまでだ! お前の勝ちだ、もう離せ」
俺が男に向かってそう言った。しかし、男は一向に手を離そうとしなかった。コータローの体が痙攣を始める。
「やめろっつってんだろがぁ!!」
俺は男に向かって思いっきり体当たりをかました。男がそのまま横向きに倒れ、俺はコータローの方を見た。
「がはっ……はっ……はっ……」
どうやら息は出来てるようだ。俺は胸をなで下ろすと男に向き直った。
「どういうつもりだテメェー」
「はっ、こんなひょろガキ死んじまった方が世の中の為だろ、弱肉強食ってやつだ! ガハハハハ!」
気がつけば俺は、勢いよく地面を蹴って男に向かっていたーー
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「……ねぇ、生きてる?」
そのコータローのおどおどした声で、俺は意識を取り戻した。辺りはすっかり暗くなっている。
「う……あぁ、大丈夫だ。お前こそどーなんだよ?」
「どうって……少なくともケンちゃんよりは軽傷だと思う」
そう言うとコータローは俺の体をまじまじと見た。つられて俺も自分の体を見て驚愕した。全身のあちこちに打撲や切り傷の痕がついていた。
どーりでさっきから体中がズキズキする訳だ。
「……あいつは?」
コータローが辺りをキョロキョロと見回す。
「さぁな。だいたいなんであんな奴の決闘なんて申し入れたんだよ、はなっから勝ち目ねーじゃねえか」
「だってぇ……」
コータローがガックリと肩を落としたが、ふと思い出したように俺の顔を見つめた。
「あれ? でもどうしてケンちゃんまでやられちゃったの?」
ぐっと言葉に詰まりかけたが、俺は平静を装った。
「俺も久々に暴れたくなったんだよ」
クールに決めたつもりだったが、コータローはそんな俺を見てくすくすと笑う。このヤロー、誰のおかげでこんな面倒に巻き込まれたと思ってやがる。
俺は再びコータローの頭をポカリと叩くと、俺たちはヘロヘロになりながら家路へとついた。
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「それじゃあ、またね」
俺の家の前に着くとコータローがそう呟いた。心なしか瞳が淋しげに見える。
「おぅ。……なぁ、コータロー」
「ん、なに?」
「最近この近くに可愛い子が引っ越して来たみてーだからよ、明日見に行こーぜ」
俺はそう言ってニヤリとコータローを見た。
「……ケンちゃん」
「じゃあな、気をつけて帰れよ」
俺はそのまま振り返ることなく家の中へと入って行った。
(あーぁ、凄ぇ疲れたぜチクショウ……)
傷と体力の消耗で疲労困憊の俺は、もはや玄関の土間から床へとあがることすら億劫だった。
とにかく一眠りしたかった俺は、とりあえず居間へと向かった。
「おや、ケン坊じゃないか、こんな時間までどこ行ってたんだい?」
居間の真ん中で胡座をかいていたじーさんの足の上に、俺はぴょこんと飛び乗った。
「うん? なんだい傷だらけじゃないか。全く、またケンカでもしてきたのか、このドラ猫が!」
呆れたように笑うとじーさんは、ばーさんへ救急箱を取ってくる様に言った。もちろんこういう時は知らんぷりで通すのが俺のいつものやり方だ。
しばらくするとばーさんが慌ただしくやってきた。
「あれまあ、こんなひどい怪我までして。消毒してやるから動くんじゃないよ〜」
へいへいと思いながら俺は大人しく黙っていることにした。ばーさんの処置はもう手慣れたもんで、すっかり俺は安心して身を任せられるようになっていた。
「にしても、ケン坊はケンカばっかりしおって。たまにはガールフレンドの一匹でも連れて帰ってこいってんだ」
そう言いながらじーさんは、俺の頭を優しく撫でてくる。正直、悪い気はしない。
(猫には猫のフクザツなジジョーってのがあんだよ)
そんな思いを込めて俺はニャーと一声鳴くと、そのままじーさんの足の上で体を丸め、目を閉じた。
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