第3話の3(完)
第3話終了です。
星々の煌きが明るさを増していく空に少しずつ飲み込まれ消えていく。夜明けが近い。東の空に太陽が顔を出すのもすぐだろう。
此処は住む街からさほど離れていない。私は、街道脇で戦いの休息を取る若い冒険者達と同じ火に当たり、眠気覚ましの熱い煎り豆茶と干し果物で疲れた身体を癒していた。
衣服や持ち物ごと、ペトラの仲間である魔術師の娘に洗われた後、漸く同席を許されたのである。旋回する水中からは、失神寸前で解放された。乾燥の風魔術は自分で自分に施した。全く酷い目にあった。
「カトゥンガの森の最奥まで独りで行っていたんですかっ? しかも夜通し彷徨いていたなんて阿呆ですかっ?」
ペトラが尋問の末、容赦無い罵声を浴びせてくる。まあ、夜の森では安全な場所で夜明けを待つのが定石なので言いたいことは判る。しかし、私にだって言い分はある。
「正確には逃げ回っていたんだ。はぐれ双頭斑ハイエナに追い回されてな。魔獣避けの秘薬が入った壺が開けば、そんなことはしなくて済んだんだ!」
「何が秘薬ですか? あれは毒薬、劇薬、いいえ…広域汚染物質です! あんなものを作っていることがバレたら捕まってしまいます!」
ペトラの怒りは収まらない。仲間の若者達も同意見のようで、ペトラの言葉にいちいち肯いている。心外だ。
「ペトラの師匠さんって、確か冒険者ランク最下位だよね?」
「ギルドじゃ莫迦にされたけど、カトゥンガの森の最奥へ単独行? しかも無傷で生還?」
「何者だよ…」
聞こえてるぞ! ペトラの仲間達が額を集めていたが、いちいち声が大きい。悪口は本人に聞こえないところでするものだ。それに師匠じゃないからな!
まあ良い。いつものことだ。それよりも状況を把握しなければ。不機嫌なペトラを宥めつつ、詳細を聞き出した。
「まさかこんなことになっていたとはな…。ペトラ、大顎紅蟻の遺骸は?」
「此処にはありません」
広範囲で何らかの作戦が行われていることは、帰路に見た攻撃魔術であろう光で判断できたが、敵が探していた魔獣であったとは思いも寄らなかった。
話を聞く限り、ある程度の推測は立てられるが、やはり自分の目で確認してみないことには断言できない。ふつふつと嫌な予感が湧いてくるが、今は口にするべきではないだろう。
「紅蟻の襲来は続いているんだな? 確かめたいことがあるので、私は第一陣まで戻る」
「お供します!」
「駄目だ。ペトラ、お前は今、キリヴァ隊の一員だ。自分の為すべきことを為せ」
腰を上げた私に追随しようとするが、強く窘める。
立ち上がったペトラは唇を噛んでいる。反論が無いのはタリア姉さん(ペトラの母)にも何か言われていたのだろう。私の言うことなら軽く無視するからな。
「あの…。俺達、そろそろ休憩終わりにして参戦しようと思ってるんですが、一緒にどうですか?」
隊のリーダーと紹介されたキリヴァから声が掛かった。マーセットちゃんに後ろからこづかれている。ペトラを慮ってのことだろう。
「いや。君達に指示を出しているのはギルドだろう? 勝手な行動は慎みなさい」
気遣いは有り難いが申し出は断る。気持ちだけは受け取っておこう。
「俺達3人はいっつもつるんでますけど、まだまだ若手で数の内じゃないです。何処からも文句も出ませんよ。俺等の中じゃぁ、ペトラが一番のランク高位者ですからね。彼女の士気が落ちる方が怖いっすよ」
寝ゲロを吐いていた大柄な若者、ハーリィが笑って鎧を身につけ始めた。それを見て残りの二人も準備を始める。
「ペトラのお師匠さんは、魔術が得意と訊いてます。後学のために是非ともご一緒させて欲しいですわ」
マーセットちゃんが笑いながら首をかしげてみせた。なかなか愛嬌のある娘さんだ。器量も申し分ない。
「師匠じゃないけどな」
可愛らしい笑顔に、笑顔で返すのは人として当然の行為だと思ったが、背後のペトラからは不穏な気配が漂ってきた。夜明けが近いというのに周囲の暗さが増したような気がする。
結局、私は彼らの同行を断り切れなかった。
防衛戦闘の最前線へと歩きながら、私はペトラ達から聞いた話を頭の中で整理していた。
紅蟻達は十数匹から、多くても30匹未満の集団が散発的に襲ってきているらしい。「らしい」と判断したのは、彼らの行動があまり戦闘的ではないからだ。攻撃を加えて来る者、立ち塞がる者に対しては牙を剥くが、街へ進むことを重視しているようだ。
彼らの侵攻は、私の帰路だった街道からは外れた方角に集中している。どうりで姿を見ない訳だ。攻撃魔術の光も遠目には花火のように見える。今も戦っている当人達にはそれどころではないだろうが。
迎撃戦闘を邪魔する訳にはいかないので、大きく先へと迂回する。防衛線の第一陣前方にはおそらく哨戒要員が配置されているだろう。それを見越してさらに先へと進んだ。
「いたぞ。攻撃は無しだ。まずは任せてもらおう。確認せねばならないことがある」
身構えたキリヴァ隊の面々に待機を告げ足を早める。私の言葉を無視して背後から追ってくる足音はペトラだろう。一瞬だけ躊躇った他の者も追随して来る。しょうが無い奴等だ。
草をかき分け魔獣の集団が街へと移動している。紅蟻だとすれば話の通りに確かに小集団だ。餌探しの先発隊ならこの数も理解できるが、既に何度も撃退された後だという。標的が定まっているなら、彼らの習性からもっと大群で攻め寄せている筈だ。
並走して彼らの姿を良く視る。違和感がある。一匹が集団からはぐれた。好機だ! そいつの背後から近寄り両手を伸ばした。
「師匠っ!」
抑えた声のペトラが叫ぶ。心配するな。この角度なら齧られることはない。
昆虫系魔獣の特徴である、頭部、胸部、腹部と大きくわかれた身体。大顎紅蟻の一抱え以上ある頭部の後ろ、人の頭大の胸部を掴んで力任せに持ち上げる。脚をジタバタさせながら首を捻って噛みつこうとするが、その巨大な頭部が邪魔をして私に牙は届かない。
「オイオイ! 素手で捕まえちゃったよ…」
「探知魔術無しで真っ先に発見してましたね…」
呆れたような声はハーリィ君か。マーセットちゃんの声も聞こえる。まあ、魔術『暗視』の効果が切れていなかったからな。僅かな星明りでさえ辺りを照らしてくれる。空が白み始めている今なら昼間と同じだ。キリヴァ君からは声もない。何故だ?
「やはり衰弱している。見た目以上に軽い。腹部がぺちゃんこではないか…」
抵抗する力も常の彼等からは弱過ぎる。餌も満足に摂っていないだろう。降ろしてやると、先を進む仲間を追う。あの様子では容易く狩られるだろう。可哀想に…。
「師匠?」
考え込んでいる私にペトラが近寄る。他の者も遠慮がちであるが、集まってきた。彼らには私の考えを告げるつもりだが、他の冒険者達に上手く伝わるだろうか?
私の名前で提案を告げたところで誰も聞かないだろう。私の世評が酷い事については自覚がある。かといってキリヴァ達に進言させるには、彼らはまだ若い。反発も多いだろう。
「うーむ」
「…師匠」
「来た! 次の群れだ!」
キリヴァが警告を発した。周辺を警戒していたのは流石だ。
「ああ、大丈夫だ。放っておけ。動くなよ?」
戦闘態勢をとろうとした彼等を抑える。ペトラは私の様子から判断したのか、剣の柄に手を添えもしていない。
固い顔のキリヴァ達3人と、顔色を変えないペトラと私の周囲を別の紅蟻達の集団が通過していった。私達を岩や樹のように気にすることなく街へと向かう。彼らが去った後、大きな溜息が3つ聞こえた。
「やはり群れとしての統率が無くなっている。命令が無いためにひとつのことしか考えられないのだろう…。戻るぞ!」
私は踵を返す。ギルドへと行かねばならない。冒険者達の間で私の評判は良くないが、何人かのギルド職員は私の言葉にも耳を貸すだろう。
ペトラ達、キリヴァ隊を待機場所に残して夜明けの街を早足でギルドに向かった。防衛戦の最中であり、ギルド会館は喧騒に包まれていた。
忙しそうにしている職員の中から目的の人物を見つける。初老で小柄な男性、ヨハンさんだ。私の調べた魔獣の情報をギルドで買い上げてくれる人物である。
捕まえた彼に街へと侵攻する大顎紅蟻の現状と推測されること、対応策を伝える。どう判断するかはギルド次第だ。私の推測に過ぎないが間違ってはいないと思う。何処の莫迦かは判らないが、迷惑なことをしてくれたものだ。
「手伝いに来たぞー」
すっかりと夜が明けて、出撃の用意をするペトラ達の許へと戻った。
私の参戦にキリヴァ達は戸惑ったようだが、ペトラは心なしか動きが弾んだ気がする。自意識過剰だろうか? しかし、頼られていると思うと私も嬉しい。滅入る戦闘になるのだ。思い込みだろうと、それくらいは許されてしかるべきだろう。
私の献策が受け入れられたのだろう。小隊で防衛線を張り、各集団を各個撃破という戦術から変更の指示があった。攻め寄せる方向が特定出来ていることから、両側に斜線陣を敷き、追い込んだ集団を広域魔術で殲滅する。
大顎紅蟻達が、弱っている上に単純な行動しか取らないから可能となった戦術だ。
魔術師で大きな攻撃魔術も持っているマーセットちゃんと遠距離攻撃の得意なキリヴァは殲滅隊の方へ編入された。追い込み役の牽制小隊のひとつとして私とペトラ、ハーリィ君で組んでいる。魔術での牽制役が私で、ペトラとハーリィ君は護衛という形だ。
私達の役割は、簡単に言えば嫌がらせである。紅蟻達の進行方向を罠の方へ誘導するだけだ。私は定期的に『炎壁』の魔術を行使しているだけだった。時折響く大きな音は、本隊の殲滅部隊が放つ攻撃魔術だろう。
「しかし、意外でした。師匠がこのような作戦を提案し、それに参加されるとは…」
「弟子は取ってない―。あの紅蟻達には緩慢な死が待っているだけだからな。それでも加速させてやる必要はなかったが、街に入れるわけにはいかん。私が提案したからには自分の目で確かめる責任がある。見たくはないがな」
護衛といっても万が一なので、暇そうなペトラの疑問に答える。ハーリィ君などはあくびを我慢する気もないようで、涙目で大きな口を開けていた。
「ん? 動きが変わった。退いていく?」
遮二無二進んでいた蟻達の進行方向が変わる。足を止めて引き返していく。
「ギルドめ…。しくじったな」
「どういう事ですか?」
「この騒動の下手人を捕まえたのが、ギルドではなく紅蟻達だということだ。まあ、自業自得だろう。最後の一匹まで狩る必要が無くなったな。ギルドから撤退指示が出たら帰るぞ」
ギルドの判断なら直ぐに警戒は解かないだろう。私には紅蟻達の様子を見れば全てが終わったと確信できるが致し方ない。
せめてペトラとハーリィ君には緊張を解いても大丈夫だと伝えようと思ったが、二人共全くそんな様子はなかった。はっきり言ってだらけすぎだ。目付きがきつくなってしまう。
「師匠のやる気の無さが原因ですね。悪いのは師匠です」
「お師匠さんのせいで、俺達なーんもすること無かったからなぁ」
「誰が師匠だ! 私はちゃんと働いていただろうが?」
「適当に魔術をぶっ放していただけですね」
「いやいや。流石に適当ってことはねーだろ? 的確ってことじゃね? でも、やることなかったってのに代わりはないんだけどな。討ち漏らしも皆無だったからなぁ」
「ちょっ! 頑張った結果の評価がそれかっ? お前ら年長者に非道過ぎないか?」
二人共身体を動かす前衛職なのに、暇だったことを逆恨みしているようだ。むしろ感謝されるべきだろうが? なんて奴等だ。
昼前になり、漸くギルドから撤収が伝えられた。少数の哨戒要員を残して冒険者達は街へと引き上げた。
後日、ヨハンさんから顛末を聞くことが出来た。
某男爵夫人が大顎紅蟻の女王蟻を材料に香水を調合させたらしい。どこで聞き及んだのか、男達を傅かせる秘薬の原料となるそうだ。結果、夫人がギルドを通さずにした依頼から、街に女王蟻が狩られて持ち込まれた。
満を持して開かれた晩餐会では、出席した男性陣が香水に酔い、女王様扱いされた夫人は大層御満悦で過ごしたとか…。
昨日の昼頃、香水の残り香を漂わせた客が街を離れたところで紅蟻達に遭遇。女王蟻の匂いを求めて街に殺到したと言う訳だ。全く迷惑な話だ。
統率を欠いた彼等の行動から、女王蟻に関係する件をギルドに探してもらっていたのだが、原因を確保する前に街から逃亡されたのだ。男爵夫人御本人は自分が紅蟻襲撃の原因とは理解しておらず、冒険者が駆り出される程の防衛戦に怯えて街から逃げただけだったそうだ。
生き残った護衛の証言によると、獣車を襲った蟻達は夫人を殺さず、近くに掘った穴から連れ去ったとのこと。おそらく、濃密な匂いのため自分達の女王だと認識したのだろう。秘薬の香水が切れるまでは、彼等に傅かれ、彼等流の贅沢をさせてくれるはずだ。その後のことは判らない。
但し、あの大顎紅蟻達も滅びを避けられない。一つの巣において生殖能力を持つのは、女王蟻ただ一匹だけだからだ。彼等の目的は次の世代、自分達の仔を世界に送り出すこと。それだけなのだ。いや、彼等に限ったことではない。それこそ全ての生き物の本能か…。
巣立った仔蟻は、彼等にだけ許された翅で世界へと散って往く。ある日、ある場所、出会う王女と王子。結ばれた彼等から翅は抜け落ち、地に腰を据え、我が家を構える。
まずは手足となる働き蟻、そして剣となる兵隊蟻、身の回りを任せる侍従蟻。女王となった彼女はひたすら力を蓄える。自分と王の血を分けた、より良い仔を世界に放つために。
彼等の一群は、ひとつの王国やひとつの大家族と例えられることは多いが、私ならこう例えるだろう。
一つの巣に集う彼等は、全にして一個の生命体である、と……。
程無くして彼等の巣は滅んだ。
私がそれを知り得たのは、凶暴な青長脚蟻が縄張りを広げていたからだ。一つの巣に集う数は少ないものの、個体としては大顎紅蟻の倍の体長、高い攻撃性、厄介な長駆しての狩りという習性で人的被害も増えるだろう。
人族の中で、普人族が最も世界に広がったとはいえ、遥かに多くの生き物達の間で生きていることを忘れてはならない。そして、驕るでもなく怖れるでもなく、彼等と己の両方を知る努力を怠ってはならないのだ。
少しでも早く新たな大顎紅蟻が住み着いてくれることを祈る。
説教臭いのは設定なので御容赦ください><