第3話の1
一話読み切りのつもりが、次に続きます。
大顎紅蟻。
その魔獣の奇行が目撃されだしたのは1週間程前からだろうか?
街道沿いに現れては、揃って頭を高く上げ、その場を動かずに触覚を震わせているというのだ。
その名が表す通り、彼らの頭部は大きく、1メートルの体長の半分以上を占めている。
巣は地下に作られ、女王蟻を頂点に女王と巣を守る兵隊蟻、そして女王付きの特殊な働き蟻と、巣全体を維持するため動き回る多くの働き蟻で群れを構成する。
彼らの餌は主に生き物の死骸だが、小型の魔獣を集団で襲うこともある。弱って動きが鈍っていれば、大型魔獣も狩りの対象だ。20メートルを超える老いた竜亀に、彼等がびっしりと集っていたのを見たときは肝をつぶしたものだ。
人が襲われるのは野営中など、屋外で寝ている場合くらい。町に住む限り、比較的害の無い魔獣といえる。
常の彼らは、巣に餌を運んだり、その餌を探し回ったりと忙しそうである。そんな彼らの珍しい行動を聞いた私は、周囲を見回しながら街道沿いを歩いていた。
いつも勝手に隣に並んでいるぺトラだが今日はいない。断り切れない依頼があって、冒険者として出かけているそうだ。不在の間、くれぐれも馬鹿な真似はするなと念を押された。全く。心配なのはこちらの方だ。あの子は冷静に見えて向こう見ずなところがあるからな。
ふむ。見当たらない。
一番新しい目撃地点は既に通り越していた。奇行ばかりに意識が向き過ぎていたかもしれない。ここは基本に忠実に、普段通りの彼らを探すことを心がけよう。
まずは餌になる魔獣を狩る、等ということはしない。派手な狩りで他の魔獣達の注意を惹いてしまっては、こちらが餌になる危険もある。
とりあえずは街道を外れて森へ向かう。森の奥は街道周辺の討伐を逃れた魔獣が徘徊している。街道の安全確保のため仕方ないことだが、討伐作戦により魔獣は人を敵と認識してしまっている。捕食のための獲物ではなく、自分達の生存を脅かす外敵としてだ。つまり、空腹でなくとも襲われてしまうのだ。街の近辺での魔獣観察の方が危険な場合も多い。
しかし、対策はある。備えあれば憂いなし! 鞄の中から取り出した小さな壷。捕食者として高い位置にいる大型魔獣の体毛や排泄物、鼻を刺す虫型魔獣の分泌液、葉広苦艾等を私が特別配合した魔獣避け薬だ! 効果があるのはそんなに強くない魔獣だが、この森の生息種ならば問題ない。栓を開け―。
「うぬっ! 固いな。さてはぺトラの奴が力任せに栓を押し込みやがったかな?」
大方中身が気になって開けたのだろうが、これは半端な臭いではない。慌てて栓を閉じたのだろうがやり過ぎだ。腕力は私よりも強いので始末に負えない。
何とかこじ開けようと試みたが、僅かも緩む気配を見せなかった。
「いっそ割ってしまうか…。いやいや、そんな勿体無い! 一壺全部を一気に使うことは出来ん」
苦労して集めた魔獣達の採取物で作った貴重な品だ。おいそれと無駄には出来ない。壺も密閉保存用の頑丈な特別品であり、破壊するためには大きな音を出さねばならないだろう。
やはり勿体無い。私は溜息をひとつ吐いて壺を鞄に仕舞った。代わりに足元の雑草や、低木の葉を絞って全身に塗りつける。刺激が強い樹液の物は避けた。肌が炎症を起こすのは嫌だ。
続いて土を掘り返し、湿ったそれを体中に擦りつける。素肌部分は言いうに及ばず、身に付けている全てだ。忌避薬の効果ほどではないが、ある程度魔獣の嗅覚をごまかせるだろう。
衣服も外套も草の汁と泥土塗れ。きっと酷い有様だろう。誰かに見られたら魔物と間違われるかもしれないな。ついでに光学系魔術で視認性を下げる。高度な術ではないが、泥塗れとの相乗効果が得られるだろう。
準備は調った。さあ、森の奥。私だけの秘密の場所に向かおう!
強靭な顎力を持つ双頭斑ハイエナの群れをやり過ごし、樹上で紅い舌を出し入れして獲物を待つ鎖大蛇の下を迂回し、落とし穴状の巣穴を作る穴熊土蜘蛛に捕獲されかけながら漸く目的地へと辿り着いた。
饐えたような匂いの中に、甘い香りが混じっている。辺りに漂うのは樹液の香りだ。半日を費やして踏破した森の奥には、神木と言っても差し支えない櫟の巨木が聳えていた。
周囲の高木で高さは目立たないものの、幹の太さは他を圧倒する。樹齢は5000を超えるのではなかろうか? 幹周りは30メートル以上あり、大型の大蛇種や竜種でもひと巻きとはいかないだろう。幹には大小様々な洞があり、奥からは樹液が流れ出している。
「うはっ。いるわいるわ! 虫系魔獣の楽園だなぁ」
思わず頬が緩んでしまう。
小さな羽虫が羽音を唸らせ飛び回り、ずんぐりした甲虫達が押し合い圧し合いをしながら餌場を確保し、犬蜂が周囲を威嚇し、蝶や蛾が大きな羽を開閉して口吻を伸ばし一心に樹液を吸っている。
周囲には樹液に集まってくる獲物を狙う黒縞大蛙や単眼ヤモリ、背角大蟷螂等、捕食者達が息を潜めている。
―ドスン!
餌場争いに敗れたのだろう。赤髪水牛より大きな七支角甲虫に弾かれて落ちた三日月オオクワガタが地響きを立てた。彼の体長も私の倍ほどはある。仰向けで6本の脚をジタバタとさせていたが、復活した後直ぐに昇っていった。再戦を期するのだろう。
イカン。眼前で繰り広げられる魔獣達の戦いに目的を忘れるところだった。この近くに巣穴を持つ大顎紅蟻なら必ずここにも来ているはずだ。いつもなら地面近くまで溢れている樹液に集まっている……のだが、姿が無い! 一匹もいない!
「むぅ」
思わず唸ってしまう。たらふく樹液を吸った彼等の後を追跡することを考えていたのだが、予想に反して姿は皆無である。暫く待ってみたものの黒曜蟻や赤長胴蟻しか集まっていない。大顎紅蟻は頻繁に見られる虫種であり、珍しい魔獣ではない。事実、奇行を取っていたが街道で目撃もされている。巣が壊滅したとは考え難い。
「どういうことだ?」
呟きと同時に疑問が湧き上がる。私の知らない彼等の行動。フッ。面白い! 戻って街道脇を探すとしよう。見つかるまで何度でも往復してやる。
集まっている他の魔獣達の気を惹かないよう慎重に来た道を戻る。森を抜ける頃には陽も落ちてしまっているだろう。充分注意せねば。私達普人族に夜の闇は未だ濃い世界なのだ。
街の近くの草原。背の低い草に、隠れきれない小型魔獣の群れ。
冒険者ギルドからの防衛依頼は、街を活動拠点とする冒険者にとって、ほぼ強制的な意味を持つ。敵の姿を視認したが、溜息を吐きたくなるのは仕方ない。
師匠は今日もふらふらと危険な魔獣の傍に近寄っているかもしれないと思うと気が気ではない。
「ペトラさんっ。右翼を抑えて! ハーリィは正面っ!」
「了解」
「任せろっ!」
キリヴァが弓を射ながら私達に支持を飛ばす。
臨時で編成した討伐隊は4人編成。前衛が私と斧槍使いのハーリィ。後衛がリーダー格のキリヴァと魔術師であるマーセットだ。彼等とは何度か依頼で協力したこともある。
キリヴァの援護射撃は正確さより手数だ。連続で早撃ちされた矢は3射を2回。私とハーリィの前方に射込まれた。眼前を進む十数匹の蟻の群れの一匹が地面に縫いつけられる。
先頭の蟻と並走しながら一瞬足を止め、担いでいた長剣を水平に薙ぎ払う。狙うは群れから離れた奴。
(ペトラ。体高が低く、群れで動く魔獣相手に上段からの攻撃は駄目だ。剣先が地面に食い込んでしまうからな。他の奴等が襲ってくるぞ? 攻撃して良いのは群れから離れた奴だけだ)
師匠の言葉が脳裡で繰り返される。
ガツンとくる硬い手応えの後、液体の詰まった入れ物を割るような、虫系魔獣特有の感触。断ち割られた大きな頭と体液と共に弾け飛ぶ一匹の大顎紅蟻。
振り切った剣の勢いを流し、進行方向を向いた時点で踏ん張った脚から力を抜く。泳ぐ身体に逆らわず同方向に即座に走り出す。
(群れる魔獣を相手にする時は、目の前の集団だけに気を惹かれていてはイカン。追い込まれている場合もあるぞ? 魔獣の知恵を甘く見るな。視野を広げて周囲を良く見ろ)
不意の攻撃を躱す程度に間合いを保ったまま担当の小集団と並走しつつ辺りを警戒する。
本体と思われる集団はハーリィ正面。彼はその場で斧槍を振り回している。足止めは出来ているが、何匹かに牙を突き立てられている。全身鎧とバカ力があるので暫くは大丈夫だろう。キリヴァの援護もそちらに集中している。
ハーリィの少し先、左翼に新たな小集団。大きく迂回しながらキリヴァと魔術師マーセットの背後を衝こうとしているようだ。
(左翼に新たな敵。迎撃に向かう)
指揮をとるキリヴァに念話を飛ばし、返事を待たずに眼前の群れへと突っ込む。
(蟻系の魔獣なら跳躍力は低い。脚が細いだろ? でも横方向の移動には注意するんだぞ? 集団で動いていることを忘れるなよ)
再び浮かぶ師匠の言葉。
「草刈り剣っ!」
腰を落とし、長剣を水平に振り回す。遠心力を最大限に引き出せるよう柄の端を両手でしっかりと掴み独楽のように旋回する。軸足は交互に変え、攻撃範囲を前進させる。初撃で3匹、次撃で2匹、小集団を殲滅するのにさして時間は掛からなかった。
この技は師匠の庭を手入れするときに覚えた技だ。瞬く間に雑草を処理できた。庭木が何本か犠牲になったが師匠は笑って許してくれた。家の庭掃除で使った時は、母にこっぴどく叱られてしまったが…。師匠のせいだ。
(ペトラ! 止まって!)
マーセットの念話が響く。別働隊に向かって走っていた脚を止めた。
「野を焼く炎 赤い翼を広げよ 『焼原』」
編まれる魔法陣。マーセットの呪文詠唱と共に、一筋の炎が左翼に向かった。途中で扇状に広がり広範囲を炎に包む。
火の粉に爆ぜる蟻達。身を焼かれ、炎に身体を縮ませていく。二人は無事のようだ。
「こっちも手伝ってくれぇー!」
蟻だらけになりながらも斧槍を振り回しているハーリィの悲鳴が聞こえた。