第2話
スライム。
私が最も興味を抱く魔獣である。
彼等は世界中いたる所に生息し、その環境に応じて様々な新種変種へと姿を変える。彼等以上に、同種の中でこれ程まで多岐にわたる能力をもつ生物を私は知らない。
特に強くもない不定形のゲル状生物。多くの者にとってはそれだけの認識に過ぎないが、私にとって彼等のことを知る喜びは、子供にとって新しい玩具が詰められたプレゼントの箱を開けるような高揚をもたらした。
私達は今、鍾乳洞を奥へ奥へと進んでいる。湿ってはいるが、気温が低く空気の流れもある。
いくつもの石筍や石柱を避け、分岐ごとに光石を置き、目的の場所へと辿り着く。
灯火の術に照らされたそのあまりに美しく幻想的な光景に言葉を無くしてしまう。
広い空間の中、なだらかな斜面の奥から続くのは、乳白色の数え切れない小さな池。
地中の成分が溶け出しているのだろう。灯火の白光を受けても、水盆の水は紺碧の輝きを放っている。
「新種の目撃があったのはこの辺りだったな」
「そうですね」
美しい景色に眼を離せずにいるが、息の乱れる私と違い、疲れを感じさせない声でペトラが返す。
私がこの洞窟の調査を決めたのは、酒場での会話だった。
冒険者ギルドに、ある魔獣の調査記録を買い取ってもらった私は、久し振りの収入に独り祝杯を挙げることにした。
カリカリに焼いた塩漬け肉と香草の炒め物を肴に、冷たい麦酒を喉を鳴らして飲む。男達の笑い声、女性の艶やかな甘い声、怒声、泣き声。酒場内の様々な喧騒が耳に心地よい。
そんな中、冒険者らしき男が仲間達と話している声が耳に届いた。
「本当にスライムが助けてくれたんだって!」
「そんなわけあるかい。大方、フラフラした頭で薬丸でも飲んだんだろ。だいたい何の得があってスライムが傷を治してくれるんだよ?」
不機嫌そうな男に、仲間のからかう声が飛ぶ。
男達の話に耳を傾けていたところ、どうやら次のような話であるらしい。
男が魔獣との戦闘で負傷し、命からがら逃げ延びた。追ってくる魔獣が何故か入ろうとしない洞窟に隠れられたのだが、傷は深く、治療する体力もなく、死を待つだけだった。
暗闇で偶然手に水が触れ、最後に喉の渇きを癒そうとその水を飲んで横たわっていた。
すると突然身体に何かが這い寄って来た。プルプルした感触からスライムだとわかった。
払い除ける体力も尽き、俺の最後はスライムごときの餌かと思ったらしい。
しかし、強酸を吐こうともせず身体を這い回っていたスライムから、暖かな何かが流れ込んでくると共に男は気を失った。
意識を取り戻した男は、身体の傷が悉く治癒されていたそうだ。
「そりゃ、おめー通りすがりのプリンプリンした巫女さんか治療師が治癒術で治してくれたんじゃねーのか?」
「ちげーねぇ!憶えて無くて残念だったなぁ」
男の仲間達はまるっきり信じてはいないようだ。
私は新たに注文した麦酒を両手に片方を不貞腐れている男の前に置く。
「今の話、詳しく聞かせてもらえるかい?」
こうして今私達は男から聞き出した洞窟にいる。
私は荷の中から空の水筒をとりだし、少しずつ流れ出す水盆の水を採取する。辺りの石筍もナイフで削り取り小箱に採取した。
地面を注意深く観察するが、生き物の糞らしきものがない。しばらく這いずり回ってみたが何も見つからなかった。
珍しいスライムとはいえ、生きている限りは排泄する。その痕跡が全く無いとは、やはり男の勘違いだったのだろうか?
「じゃあ、最後の手段だな。ペトラ、頼むぞ」
「・・・・・・スライムの痕跡は発見できなかったのでは?」
「まあな。しかし、可能性があるなら試す価値はある」
「捜索範囲を広げるべきでは?」
「いや、餌の殆ど無い洞窟の中で、豊富な水場があり、生き物が集まる可能性が高いのはここだ。他の場所を闇雲に探したところで効率的とは言えまい。なので、ペトラ頼む。くれぐれも致命傷にならず、且つ、意識を保てる程度にだぞ?」
そう。男の状況がスライムを惹きよせたかもしれないなら、その状況を模してみるのが最も可能性が高い。
ペトラには適度な傷を与えてくれるよう道すがら頼んであったのだ。
「・・・・・・むぅ」
剣の柄に手を添えたペトラの前に立つ。何故か困ったような顔だ。
「どうした?Bランク冒険者のお前なら私の注文は難しくなかろう?治癒術なら私も使えるし、薬丸だって用意してあるから万に一つも危険はない」
服まで斬られるのは嫌だったので、上半身裸になって濡れないように服は鞄の上に置く。
「・・・・・・嫌です」
眼を逸らしたペトラは、常の強い口調と反対の小さな声で言った。
「何故だ?お前の腕なら私が何よりも信頼しているぞ。ああ、見られていてはやり難いか?しかし、背中だとスライムの観察が出来ないからなぁ。身体の前面に傷があるのが望ましいんだ。じゃあ、眼を瞑ろう。その間にちゃっちゃと済ませてくれ」
両手を後ろに組み、眼を閉じて覚悟を決める。
いつまで経っても剣が振ってこない。眼を開けてペトラを窺う。
「どうしたんだ?」
「・・・・・・師匠」
「師匠じゃない。なんだ?」
「私は心に決めていることがひとつあります」
今はそんな話聞いてないんだが、声が怖いので耳を傾ける。
「私が師匠に刃を向けるときは、生涯に一度と決めております」
「私を脅すときに剣振り回したりしてなかったか?あと、師匠言うな」
素直に疑問を口にする。
ちょっとからかったりしたときなぞ、耳を掠めて髪を何本か持っていかれたこともあったぞ?
「・・・・・・あれは愛情表現です」
「刃物振り回すのが愛情?」
力強く頷きやがった。どんな歪んだ愛情なんだ?怖いぞ?
「今回のは師匠の肉を斬り裂けとのこと」
「なんか無事に済みそうもない表現だな」
「私が師匠の肉体に刃を突き立てる。それは一生に一度。師匠を一太刀で殺すときだけ!と自らに誓いを立てております」
「怖ろしい誓いを立てるんじゃない!私はなんて弟子をもったん・・・いや、弟子じゃないが、わ、私が何かしたのか?そんな怖いペトラに背中を任せられなくなるじゃないか!」
「師匠の背中を守るのは弟子である私の務めです。この役目は誰に譲る気もありません」
「弟子をとったおぼえは無い!まったく・・・。それで誓いの理由は聞いても?」
「申し訳ありません。師匠を殺す瞬間にしか言うつもりはありません」
「やめろ!わかった!もう何も聞かないから!あと師匠言うな」
私があやして可愛い笑顔を見せていた天使がいつの間に・・・。
今、下手な発言をすると間違いなく殺されそうだ。次の手を考えよう。
「うーむ。どうするかな。自分で自分を刃物で斬るなんて怖いことは出来そうもないし・・・。
仕方ないな、風よ 断て ――風刃」
魔法陣を裏表逆にして発動させる。初歩攻撃魔術だし、死ぬことはないはずだ。
「師匠っ!」
ペトラが叫ぶが、私はそれに気を取られている場合ではない。顔面と首を腕で庇い、前身でカマイタチを受け止める。痛い痛い痛い痛いっ!あと師匠言うな。
「全く!馬鹿だ阿呆だ間抜けだとは思っていましたがこれほどとは!」
「今回は仕方ないだろう?」
「毎回駄目ですっ!」
「血で汚れるぞ。それに自分で歩ける」
「煩い、黙れ」
血が付くのに構わず、私の腕を自分の肩に乗せ、身体を支えてくれる。
鍾乳石で出来た美しい水盆から、神秘的な色の水を掬い取り口に運ぶ。
やはり、なんらかの成分が溶け出しているようだ。普通の水より硬い。
「後は寝て待つか」
ひんやりとした固い石床が、傷で火照った身体に心地よい。
不意に頭が持ち上げられ、柔らかいモノが後頭部に当たる。ペトラが膝枕をしてくれたようだ。上目で窺うと、
「こちらの方が観察が楽です」
確かに傷だらけの自分の身体が見える。しかし、嫁入り前の若い娘に膝枕とは流石に気が引ける。ペトラの両親に知られたら追い回されそうだ。
後ろめたさと気恥ずかしさに、ついつい頭を浮かせて腿にかかる重量を減らす。
「ぐっ」
顔を鷲掴みにされて腿に押しつけられた。怖い顔で睨まれている。
「すまないな。少し休ませてもらう」
降参だ。力を抜き、ペトラに頭を預ける。
このまま昼寝でもしたいところだが、痛みがそうはさせてくれない。止血していないので長時間は無理だな。
呼吸が浅く早くなり、そろそろ限界か?と思われたとき、それは現れた。
何処に身を潜めていたのだろう?気がついた時には私の足先近くにいた。
半透明のゲル状。水滴が弾けずに震えながら近づいてくる。色合いは乳白色、いや、真珠のような輝きもある。傷の痛みも忘れ、見惚れてしまう。おおう!冷たい!這いのぼってきたスライムは気温とほぼ同じくらいか。他のスライムと同じく変温のようだ。重さは結構あるな。70キロから75キロくらいだな。重さが面で掛かってくるから、そんなにきつくはないな。ふむ、傷を舐めているのか?少々くすぐったいな。半透明の身体を通して視認できる範囲では、血は食料として摂取しているようだ。痛みが緩やかになったということは、麻酔成分でも分泌してるのか?しかし、感覚が鈍るわけではないし、痛覚だけを麻痺させるのか。お、傷口が塞がっていく。魔力も吸われているな。魔力も食糧なのか、治癒に必要なのかどちらだろう?
全身の傷を完治させてくれたスライムは、地に落ちた私の血も綺麗に吸収して、鍾乳石の裂け目から姿を消した。
水が流れ込んでいる裂け目の奥に住処があるのだろう。水を飲んだときに混じった私の血や汗に反応したのだろうか?
着衣を整えた私は、スライムが動きまわったあとを丹念に調べてみたが、何も見つけることはできなかった。私の血を餌として摂取したことから、糞が見つかるかと思ったのだが、残念だ。消化効率が良いのか、水場では排泄しないのか。吸われた魔力は、治癒術を使った場合のそれより少し多いくらいだった。スライム自身が吸収した魔力は微々たるものなのではないだろうか?
次々に疑問が浮かび、好奇心が抑えきれない。だが、彼は確かに存在したのだ。あの不思議なスライムに次会うのが楽しみでならない。そのためにはまた自傷せねばならないのはちと気が重いが。尤も、彼のことをもっと知れば、そんなことをしなくても会えるようになるだろう。
「はぁ。プルプルしたい」
「この変態」
無意識の呟きに手酷い突っ込みが入る。
私を斬り殺すとか怖ろしい誓いをたてている奴に言われたくないが、この話題は禁句としておこう。まだ死にたくない。
命名『パールスライム』
私の調査書にはそう記されている。
この話を始めてやりたかったネタを早速使ってしまいました。
まだまだスライム不足なので、またやるかもしれません。