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身分違いの朝食係はもう辞めます、辺境公爵家で病人食を作ります。  作者: 小竹X


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第4話 兵舎の湯気

翌朝、公爵家の厨房はまだ暗いうちから動き出した。


 王宮にいた頃と違うのは、誰かがリディアを当然のように待っていないことだった。マルタは火口を空けてくれていたが、指示を急かさない。厨房番の青年たちは、昨日の薄粥の手順を思い出そうと、仕事の合間にちらちらこちらを見る。


 リディアはそれが少し可笑しかった。


「まず、鍋を二つに分けましょう。公爵様用と、兵舎用です」


「兵舎用?」


 青年の一人、トマが首を傾げた。まだ十六か十七だろう。前掛けが少し大きい。


「遠征帰りで胃を傷めているのは、公爵様だけではないはずです」


 昨夜、厨房を片付けたあと、リディアはマルタから遠征の様子を聞いた。


 北の山道で補給車が崖崩れに止められ、兵たちは五日間、固い黒パンと塩の強い干し肉でしのいだ。帰還後、若い兵ほど食堂の濃い煮込みをかき込み、腹を下している。年かさの兵は黙って水だけ飲み、体力を落としている。


 胃袋は、身分を選ばない。傷ついた胃に濃い肉汁を流し込めば、公爵も兵も同じように苦しむ。


「でも、兵たちは薄い粥なんて嫌がりますよ」


「嫌がるでしょうね」


 リディアは大麦を洗いながら答えた。


「だから、香りを少し変えます。公爵様には生姜を弱く。兵舎には焼いた葱と塩をほんの少し強めに。食べた気がしないと、彼らは戻ってから隠れて干し肉を食べます」


 トマが目を丸くした。


「そこまで考えるんですか」


「食べ物は、皿に乗せたら終わりではないわ。食べた人がそのあと何をするかまで含めて、食事です」


 言いながら、リディアは自分にも言い聞かせていることに気づいた。王宮で彼女は、皿を出すところまでしか許されなかった。陛下がどんな顔をしたか、咳き込んだか、眠れたか。その報告を拾い集めることはできても、食卓の場にはいられなかった。


 ここでは、食べる人に直接聞けるかもしれない。朝食の前、公爵は厨房に来た。


 昨夜より顔色はましだったが、目の下にはまだ影がある。リディアは小さな椀を差し出した。


「今朝は四口です。無理に完食しないでください」


「昨日より増えている」


「一口だけです」


「厳しいな」


「胃はもっと厳しいです」


 公爵の口元が、ほんの少しだけ動いた。笑ったのだと気づくのに、リディアは数拍かかった。彼は椅子に座り、四口を食べた。最後の一口で、少し眉が寄る。


「痛みましたか」


「いや。腹が、食べたことを思い出したような感じだ」


「それで止めましょう。食後に白湯を」


「兵舎に粥を出すと聞いた」


 リディアは頷いた。


「はい。よろしければ、鍋ごと持っていきます。兵の方々に、お腹の調子を聞きたいので」


「嫌な顔をされるぞ」


「王宮でも慣れています」


「王宮と兵舎を同じにするな。兵はもっと露骨だ」


 そう言いながら、エルヴィンは外套を取った。


「私も行く」


「公爵様がですか」


「私が食べたものなら、兵も口にしやすい」


 兵舎の食堂は、王宮の食卓とはまったく違った。長い木の卓。湿った外套。革靴の泥。壁に掛けられた剣。窓の外には訓練場があり、朝靄の中で槍の先がぼんやり光っている。


 リディアが鍋を運び込むと、兵たちは一斉にこちらを見た。


「なんだ、粥か」


「病人扱いかよ」


「公爵様までいるぞ」


 ざわめきは遠慮がなかった。エルヴィンは席の端に立ち、短く言った。


「食え。私も食った」


 それだけで、騒ぎが半分に減った。リディアは椀に粥をよそった。焼き葱の香りを立て、塩は控えめだが弱すぎない。最初に受け取った大柄な兵は、疑わしそうに匙を入れた。


「……熱い」


「ゆっくりで構いません」


「いや、熱いのがいい。山では冷めたもんばかりだった」


 別の兵が二口目で腹を押さえた。リディアはすぐに近づく。


「痛みますか」


「いや。変な感じだ。腹の中がほどける」


「昨日、濃い肉を食べました?」


「食った」


「今日はそれを控えてください。昼は芋を柔らかく。夜は豆を少しだけです」


「豆だけか」


「干し肉を隠れて食べたら、明日また粥からです」


 周りの兵が笑った。笑い声は粗かったが、馬鹿にする響きではなかった。


 リディアは一人ずつ、食べる速さや顔色を見た。若い兵ほど強がる。古参の兵ほど黙って椀を空にする。誰も完璧ではないが、誰も「卑しい」とは言わなかった。


 食堂の隅に、ひとりだけ椀を持たない少年兵がいた。腕を包帯で巻き、目を伏せている。


「食べられませんか」


 リディアが近づくと、少年は慌てて首を振った。


「自分は、昨日から吐いてばかりで。食べたら無駄にするので」


「無駄ではありません。吐くかどうかも、体の知らせです」


 リディアは椀を半分に減らし、粥をさらに湯で薄めた。


「まず、匙を舌に乗せるだけ。飲み込めなくてもいいです」


 少年は恐る恐る口を開いた。ほんの少し。粥というより湯に近いものが、唇を濡らした。


 彼の目に、涙が浮かんだ。


「味がする」


 その言葉だけで、リディアは来てよかったと思った。エルヴィンも少し離れたところで見ていた。灰色の目が、兵ではなくリディアの手元を追っている。


 王宮で彼女の手元を見る人は、食材の節約を疑う役人ばかりだった。ここでは違う。


 技術として見られている。兵舎を出る頃、食堂には粥の湯気がまだ残っていた。


「明日も来てくれるのか」


 大柄な兵がぶっきらぼうに言った。


「必要なら」


「必要だろ。干し肉を隠したやつを見つける役もいる」


 また笑いが起きる。リディアは少し笑って、鍋を抱え直した。


 公爵が隣で言った。


「あなたは、兵の胃袋まで任せられるのか」


「任せられる、ではなく、見せていただけるなら調整できます」


「では、見せる」


 短い言葉だった。けれどそれは、王宮で一度も与えられなかった許可だった。

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