8.旅の準備
「俺もリンネアが皇太子妃にふさわしいと思う」
「お兄様まで……」
「それに俺は皇太子と面識があるんだ」
「本当に?」
たしか皇太子は今年二十二歳。お兄様の二歳上。
帝国の学園でも学年は違うはず。
「俺が留学してすぐ、皇太子が会いに来てくれたんだ。
他国から留学して来て不便なことはないか、と」
「そんなことを聞くためにわざわざ?」
「ああ。しかも、その時だけじゃない。
学園内ですれ違う時は必ず声をかけてくれていたんだ。
そのおかげで留学中は他の貴族たちからからまれずに済んだ」
「もしかして、皇太子様って優しい方なの?」
「帝国の貴族令嬢からは冷たい人だと言われていたけれどね。
俺はきちんと話を聞いてくれる方だと思ったよ。
だから、アンジェラ様のことがあったとしても、
リンネアにその怒りをぶつけるようなことはないと思う」
お兄様の話のように気遣ってくれるような人なら、
謝罪を聞いてくれるかもしれない。
まぁ、どちらにせよ謝罪には行かなくてはならないだろうし。
「お父様、私、帝国に行きます」
「返事をするのは明日だ。それまで悩んでもいいんだよ?」
「いえ、帝国へ早く謝罪をしなければいけないはずです。
出発は少しでも早い方がいいのでは?」
「……そうだな。よし、今から出発の準備をさせよう。
明後日には出発できるはずだ。
エリシア、リンネアと一緒に荷物の用意を頼めるかい?」
「……ええ、わかりました。
リンネア、部屋に行きましょう」
「はい、お母様」
それから深夜まで荷物を選別し、仮眠を取った後、
朝になってから荷物をまとめ始めた。
お母様付きの侍女たちが懸命になって荷物をまとめてくれているのに、
なぜかカルラの姿が見当たらない。
「お母様、カルラはどこに?」
「あら、本当だわ。どこに行ったのかしら」
いつもなら率先して働いているのに、どこに行ってしまったのか。
体調でも悪くしたのかもしれない。
カルラの部屋まで見に行ってみると、
なぜかクルスと言い合いをしていた。
「お前だけずるいだろう!」
「仕方ないでしょう!」
とりあえず体調が悪いとかではなさそうでほっとする。
二人とも私が来たことに気がついていないようなので、
開けっ放しのドアをノックする。
「え?リンネア様?」
「どうしてここに?」
「カルラがいないから気になって。
二人で何を言い合いしていたの?」
「ちょうどよかった、リンネア様!
こいつ、一人でリンネア様についていこうとしていたんだ」
「ついてくる?まさか帝国に?」
「当たり前でしょう!
私はリンネア様がおばあちゃんになるまで仕えるって約束したでしょう!」
そういえば、私の侍女見習いになった時にそんなことを言っていた。
もともとは分家からの預かり侍女だったから、
学園を卒業すればどこかに嫁ぐのだと思っていた。
なのに、カルラはそのまま私の侍女として働いている。
「ピノー伯爵には許可を得たの?」
「もちろん!昨日のうちに実家に帰って許可を取って来たの!
絶対に一緒に行くからね!」
「カルラ……死ぬかもしれないのよ?
アンジェラ様がしたことの責任を取らされるかもしれない」
お兄様は大丈夫だと言っていたけれど、可能性が消えたわけではない。
皇太子がいい人だとしても、皇帝がどう判断するかはわからない。
帝国の王宮に着いた途端、捕まってしまうこともありうるのだ。
だから、できるかぎり侍女や女官は連れて行かないつもりだった。
「それならなおさら一人では行かせないわ!」
「え?」
「リンネア様を一人で死なせたりしない!!
何を言われても絶対についていくから!」
「カルラ……」
見れば、カルラの手には大きなカバン。
帝国に行くために荷物を詰めていたらしい。
「本当にいいの?」
「もっちろん!置いて行ったら怒るんだからね!」
「ふふ。ありがとう」
本当は一人で行くのが怖かった。
帝国に行ったことがないわけじゃないけれど、
王宮には行ったことはないし、皇太子にも会ったことはない。
敵地に一人で行くような気持ちでいた。
だけど、ここには私と一緒に戦ってくれるカルラがいる。
それは何よりも力強く感じた。
「ずるいだろう!俺だって一緒にいく!
護衛騎士として連れて行ってくれよ!」
「だーかーらー!クルスはダメだって行ってるじゃない!」
「なんでカルラが答えるんだよ!」
「当たり前だからよ!帝国から派遣されてきている騎士団と一緒に行くのよ!?
自国の騎士を連れて行くなんて、相手を信用していないと言ってるのと同じだし、
専属の護衛騎士を連れて行ったらリンネア様の愛人だと思われるのよ!」
「あ、愛人!?リンネア様、本当に?」
「残念だけど、本当の事よ。
いくら分家の者だと言っても無駄でしょうね」
「うそだろう……」
よほど帝国に行きたかったのか、クルスが頭を抱えてしゃがみこむ。
「……ねえ、クルスにはお願いがあるの」
「なんだ!?」
「お兄様とお義姉様を守ってほしいの」
「ダニエル様とエレーナ様を?」
「ええ。アンジェラ様がこの国に戻って来てしまったからには、
何をされるかわからないもの。
私の代わりにお兄様の支えになってほしいの」
「そうか……あの王女が何かするかもしれないのか。
……わかった。俺にできることならなんでもしよう」
「できるだけでいいわ。お願いね」
「ああ」
これでももう一つの不安が少し薄れた。
今まではアンジェラ様の嫌がらせは私に向かっていた。
だけど、私がいなくなったら?
一番危険なのは、次期公爵夫人になるお義姉様だ。
身分の低いクルスではできることは限られるけれど、
信用できるものがそばにいればお兄様は安心するだろう。
「私の荷物はもうすぐできるわ。そしたらリンネア様の部屋に戻るから」
「カルラも明日出発になるから、今日はもう休みでいいわ。
長旅になるから、しっかり休んでおいて」
「そうね、わかったわ」
荷物の状況を確認するために戻ろうと部屋から出かかったら、
クルスから声をかけられた。
「なぁ、王太子からは何も連絡はないのか?」
「……ないわね」




