18.動いていく
ふと、すぐ近くから威圧のようなものを感じた。
見たこともないほど怖い表情をしたマティアス様が口を開く。
「アーロン、お前は勘違いしている」
「え?勘違いってなんだよ」
「ここにいるリンネアは皇太子妃の教育を終えている。
東の宮の女官長から八年間も教育を受けてきたんだ。
一度も教育を受けたことのないディアナに、
リンネアの身代わりができるわけがない」
「は?この娘は王女の代わりじゃないのかよ!?」
「だからお前の勘違いだと言った」
たしかに私は八年間も皇太子妃の教育を受けて来た。
一人で学ぶのはつまらないとアンジェラ様が言ったからだ。
だが、マティアス様はまるで私が最初から婚約者候補だったかのように言い切った。
「ディアナだけではなく、誰もリンネアの代わりなどできない。
こんな愚かな申し出は二度とするな。
どれだけ無礼なことをしたのか理解できたのなら、早く国へ帰れ」
「……帰るわけにはいかないんだ」
よほど国に帰りたくないのか、アーロン様の顔色が悪くなる。
さきほど正妃様も似たようなことを言っていた。
王太子なのに国に帰れない理由とはなんだろうか。
その時、遠くから小鳥のさえずりのような美しい声が聞こえた。
「お兄様、何をしているのですか!」
「ディアナ!供も連れずにどうしてここに!?」
「お兄様が馬鹿なことをしようとしていると聞いて……もしや、もうすでに……」
現れたのはすらりとした美しい女性だった。
黒髪黒目はアーロン様と同じだけど、美しさの格が違うというか、
そこにいるだけで癒されるような美姫だ。
こちらへ駆け寄ると、マティアス様と私に向かって深く頭をさげた。
その仕草も見惚れるほど美しい。
「兄が申し訳ございません。失礼なことを申し上げたのでは?」
「そうだな。もう二度とそのようなことはするなと伝えたところだ」
「本当に申し訳ございませんでした。……お兄様、部屋に戻りましょう」
「ディアナ、だが、このままではお前が」
「そのことは殿下たちには関係ありません!行きますよ!」
「……だが」
「失礼いたしました!」
兄妹と聞いていたが、ディアナ様のほうが力関係は上らしい。
まだあきらめきれないのか、アーロン様の視線はマティアス様に向かう。
だが、マティアス様は興味がなさそうな顔をするだけ。
ずるずると引っ張って行かれるアーロン様を何も言わずに見送る。
「悪かったな。母方の親戚が失礼なことを言った」
「いえ、マティアス様のせいではありません」
むしろ、身代わりではないと断言してもらえたことで、
アーロン様に言われたことは完全に打ち消された気がする。
たとえ、それが嘘だとわかっていても、
私の代わりはいないと言ってもらえたことがうれしい。
アーロン様に話しかけられたせいで離れてしまった手を、
ふたたびしっかりとつないで東の宮に戻る。
「疲れていなければ俺の側近を紹介したいのだが」
「はい、お願いします」
おそらく皇帝陛下に挨拶するまで待っていたのだろう。
マティアス様の執務室には二十代半ばほどの令息が三人いた。
「まずはナビエ侯爵家の嫡子、宰相の息子でもあるアラン」
「アランと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
頭を下げると肩まである薄茶色の髪がさらりと流れた。
眼鏡をかけたアラン様はにこりともせずに挨拶をした。
「隣に居るのがケニー。オフレ侯爵家の二男。俺の訓練相手でもある」
「よろしく頼みます!」
こげ茶色を短く切り、一番身体の大きなケニー様はにっこり笑ってくれる。
ついでにアラン様へ少しは笑えよと小突いている。
「最後の一人は王弟の息子。爵位は公爵になる。マッケートだ」
「マッケートです。よろしくお願いします」
赤茶色の髪を一つに結んだマッケート様は、
マティアス様には似ていないけれど、こちらは父方の従兄弟になる。
公爵家?……そうか。
帝国では直系でなければ王族にはなれない。
王弟自身は王族だけど、息子のマッケート様は公爵位になる。
帝国独自の仕組みを思い出した。
「はじめまして、皆さま。
エルドレドのオードラン公爵家長女、リンネアと申します」
「ようやく会わせてもらえてうれしいよ。
今度、うちの妻にも会ってもらいたい」
「まぁ、奥様がいらっしゃるのですね」
聞けば、ケニー様だけが妻帯者だそうだ。
マッケート様は婚約者がいるけれど、アラン様は婚約もしていなかった。
「……マティアス様の代わりにずっと仕事ばかりしていましたからね」
「今はもう落ち着いたのだから、婚約者を探してもいいんだぞ?」
「そうですね……マティアス様が結婚したら考えます」
どうやらあまり結婚に興味がないらしい。
素っ気ないアラン様の言葉に全員が呆れたような顔をした。
顔合わせも済み、ようやく私室に戻ると、まだカルラは戻っていなかった。
王宮侍女の資格がないカルラは、この宮以外についてくることはできない。
私の専属侍女としてもまだ足りないらしく、
しばらくはマリアについて学ぶことになっている。
「リンネアが学園に通う間、カルラはマリアが教育することになるだろう」
「それだけカルラの教育が足りなかったということですね」
「エルドレドの王宮侍女になる予定だったのだろう?
国が変われば礼儀作法も違う。
リンネアのそばにずっといたいのであれば、努力してもらうしかない」
「はい、それは本人もわかっていると思います」
マティアス様が申し訳なさそうな顔で言うので、すぐさま大丈夫だと伝える。
いろいろと足りないのはカルラがよくわかっていると思う。
それでも皇太子妃の専属侍女になりたいというのなら、
頑張ってもらうしかない。




