過ぎたるは猶及ばざるが如し
『疲れた……。
ドッと疲れた』
私はベッドにグテッとしたまま溜め息を吐く。
あの後、猫が喋った?! と慌てふためく私に駄女神は淡々と語った。
曰く、そなたは既に異界の者、我が直接干渉する事は出来ぬ。
曰く、この猫は我の依代として、そっちの管理神が用意してくれたのじゃ。
曰く、御不浄は火口に通じておるが、外界の影響は受けぬ故、案ずるな。
曰く、そっちの管理神がそなたの生い立ちをえらく哀れんでな、屋敷に雨霰の如く加護を降らせておった故、礼を言うておけ。
突っ込む所が多過ぎて、どこから突っ込めば良いのか分からなかった。
駄女神はポカーンとした私に豪邸を一通り案内した。
屋根の上から。
土塀の中にデカイ池があり、それをコの字に囲むように家屋が建ち、これを渡り廊下が繋いでいる。
蔓が這う建物、植物や古い石灯籠が彩る日本庭園、池に浮かぶ優美な東屋、寝殿造に似ている。
北の家屋は主人の家族が使い、その前の家屋(母屋)は主人が使い、それ以外の家屋は使用人が使うらしい。
倉と台所は母屋の後ろにある。
家族(人間)はいないし、使用人のしの字にも縁がないのに、どうしろというのか?
掃除は誰がすると思っているのか?
私が抗議しようとした時、駄女神は日用品と食材は倉にある故、達者で暮らせと言い残して消えた。
とんでもない女神である。
だから駄女神なのだ。
その後、私は倉にあった足袋を履き、当面必要な物を倉から居室に移し、子猫のトイレと餌を用意し、食材を台所に運び、ゴミ箱と黄色い葉が入った籠と照明器具を自室に置き、足に擦り寄って来た子猫を抱えてベッドに転がった。
それから二~三時間くらい寝そべっているが、まだ動けない。
『今何時かな?
時計がないと時間の感覚が狂う』
倉にも母屋にも時計がなかった。
こっちにない可能性もある。
『まぁ、いっか。
なくても死なないし』
寝返りを打ち、視線を動かす。
繊細な植物の彫刻と薄いカーテン(白)に囲まれた畳のベッド、他の家具も木製だが、板張りの床に負けない程に重厚である。
内装が気に入ったので、自室として使う事にした。
『電気以外は完璧過ぎるくらい完璧、日本より贅沢だな』
私は微笑みながら目を閉じ、いつの間にか眠っていた。
不満も不安も疑問もエベレストのようにあったが、睡魔にはかなわない。
翌日の早朝-自宅の自室
ペロペロ。
「う~~ん?」
ペロペロペロ。
「はいはい。
ご飯ね」
ペロペロペロペロ。
「分かった、分かった。
今起きる」
ザラザラの舌で頬を舐められ、渋々と目を開ける。
視界の端に、宝石のようなオッドアイが映った。
「お早う。
アンタの名前決めなきゃね」
成り行きで家族になったが、いつまでも名無しの権兵衛では哀れだ。
『何がいいかなぁ?
シロはありきたりだし、ミケとかタマって感じでもないし…………』
私は子猫の頭を撫でながらウンウンと悩み-
「セレネはどう?」
駄女神から思い付いた。
セレネ(セレーネー)はギリシャ神話の月の女神である。
絶世の美女と言われており、黄金の冠を戴き、額に月を持っている。
華やかな夜の女王とも星々の女王とも全能の女神とも呼ばれ、銀の馬車に乗って夜空を駆け、月光の矢を放つ。
駄女神が繋いだ縁に相応しい名前だ。
「ミャッ!」
「気に入った?」
「ミャッ!」
『言葉が分かってる?
まさかね』
子猫改めセレネは私の腹に乗り、次いで喉をゴロゴロと鳴らしながら目を閉じた。
『可愛い』
セレーネー
ギリシャ神話の月の女神。
長母音を省略する事もあり、その場合はセレネやセレーネとなる。
黄金の冠を戴き、額に月を持つ、絶世の美女。
銀の馬車に乗って夜空を駆け、月光の矢を放つ。
華やかな夜の女王とも星々の女王とも全能の女神とも呼ばれる。
ローマ神話の月の女神・ルーナと同一視される。