第3話 白い亡霊
――― 旅順要塞北東部 主要拠点 望台
白タスキ隊の玉砕後も、乃木は犠牲を払いながら攻撃を繰り返した。
203高地の戦いでは、お互いが死体の山を築く結果となった。
しかし、その効果でロシアの主要拠点もそちらに兵力を割かれ、守備が手薄となっていた。
ここまでの戦いにおいて乃木は2人の息子を失ったが、彼にとってはそれすらも兵士の士気を上げるための犠牲であったと、死に誉を感じていた節がある。
「身命を賭して祖国を守るべし。旅順要塞を陥落させるのだ!」
乃木が望台への砲撃と総攻撃を指示すると、放物線を描く榴弾が敵拠点に降り注いだ。
(これで日本は救われる)
乃木の使命は旅順港を攻略し、そこに立て籠る太平洋艦隊を撃滅させることであった。
太平洋艦隊が戦闘不能になれば、後は東郷率いる連合艦隊がバルチック艦隊に互角の条件で決戦を挑むことができる。
日本がロシアから侵略を免れる方法は、唯一それしかなかった。
一方その頃、望台のロシア拠点内では、義之が日本軍の砲撃の雨にさらされていた。
砲撃の衝撃で低い天井からはパラパラとコンクリートの破片が砕け落ちる。
伏せて銃を構える兵士に石の破片が降り積もるが、彼は微動だにしない。
絶命していたからだ。
周囲を見回した義之は、横にいるロシア司令官に進言した。
「この衝撃の伝わり方は恐らく28センチ榴弾。日本軍は対艦用の兵器を流用しているようです」
上官が無言で試案を巡らせている間、義之は朝鮮半島で経験したキーラとの出来事を思い出していた。
(傷つけられた君の姿を見て、僕はそれまで自分がしてきたことを改めて悔いた。いくら命令とは言え、抵抗できない者を一方的に攻撃するなど許されることではない。君のお陰で僕は日本を捨てる決心がついた)
義之の脳裏に、キーラが目を抑えてうずくまる姿がよみがえる。
(しかし、いざ日本軍と対峙してみると、これほど恐ろしい敵はいない。もし、この拠点を死守できればまだロシアに勝ち目はあるだろう。しかし、国民の犠牲の上に成り立つ国家などに、どれほどの価値があるというのか)
義之は進言を続ける。
「残念ですが、友軍の援護が期待できない今となっては、ここももう長くはもたないでしょう。後方の旅順要塞まで撤退すべきです」
望台の放棄はすなわち旅順要塞の降伏を意味する。
そこから放たれる日本軍の砲撃は、旅順要塞を射程距離に捉えるからだ。
それを分かっての進言だった。
数刻後、望台の残兵は拠点からの撤退を開始した。
義之がロシア兵に続いてコンクリートで固められた穴から外へと抜け出すと、周囲は飛び交う銃弾や砲撃に包まれていた。
日本軍に背を向けて旅順要塞を見つめる義之。
その時、胴体に衝撃を感じると共に眼下に鮮血が飛び散った。
ライフル弾が義之の背中から入り、胸を貫通して前方へと突き抜けたのだ。
(次は、僕の番だったのか…………)
その後息を引き取った青年の名が、ロシアの戦死者名簿に記載されることはなかった。