外伝A 義之とキーラ
乃木が生徒達を見回すと、1人の生徒が手を上げた。
「はい! 特務機関所属の軍人の話を聞きたいです!」
生徒の1人が答えると、乃木は彼を指差し
「よろしい! 今回は君の提案に従おう!」
そう言って、いたずらっぽく微笑んだ。
「では、話を進めるとしようか。これから話すのは、ワシを父親のように慕ってくれていた、義之という青年と、彼の運命を変えることになったキーラという女性の話じゃ」
―――
1400年代に世界が大航海時代を迎えると、国々は徐々に2つの種類に分類されるようになっていった。
『侵略する側』と『侵略される側』。
日本は、侵略される側にならないために明治維新を起こし、緩衝地、つまり朝鮮半島に対する影響力を高める必要に迫られた。
しかし、その日本の動きを快く思っていなかった国がある。
隣国の、清国とロシア帝国である。
――― 朝鮮王朝 首都漢城
キーラはロシアが朝鮮に送り込んだ工作員である。
アジア人の血を引く彼女は、その外見と語学力を見込まれ、諜報員として活動していた。
任務は情報収集と、日本と清国の不仲をあおることである。
ある日、清国が管理する建物に忍び込んで諜報活動をしていたキーラは、その姿を警備に見つかり追われる事態となる。
「くそ、なんてしつこいの!」
かなりの距離を走って逃げたと思ったが、とうとう彼女は捕まってしまった。
悲鳴が入り混じる物々しい騒ぎを耳にした義之は、その様子を建物の2階から見ていた。
「何事だ?」
日本の影響力が強い場所で起きた騒動だったので、義之は外へ出て声をかけた。
「女相手に何をしている!」
発した言葉が日本語だと気付いたキーラは、日本語で彼に助けを求めた。
「助けて! お願い!」
義之は彼女を日本人と思い込み、守るために刀を引き抜いた。
睨み合う義之と清の兵士達。
一触即発の危機に、やがて日本軍の兵士が応援に駆け付けると、清の兵士達はその場から立ち去っていった。
その後領事館に連れていかれたキーラは、日本軍から取り調べを受けた。
通常ではありえないほど長く厳しい取り調べを受けたが、怒号を浴びせられても彼女は「何もしていない」と、いっこうに事情を説明する気配がない。
義之は「解放してあげましょう。恐らく日本語が話せるだけの、ただの物取りか何かです。留め置くのは労力と経費の無駄となりましょう」
解放を上官に促したが、上官の判断は別のものであった。
(この女の肝の据わり方はただ者ではない。あれだけの数の清の兵士に追われていたのも、何か裏に理由があるはず)
高官はキーラを離れの個室に入れて監禁した。
その夜、キーラ浅い眠りにつき始めた頃、同じ部屋に監禁さていた朝鮮の罪人が彼女の寝込みを襲った。
気配に気づいたキーラは抵抗を試みたが、その罪人は常人離れした体術を備えており、さらに通常では持ち込めないハズの拘束具や暗器を所持していた。
罪人は手にした刃をチラつかせながら言った。
「お前が明日の取り調べで秘密を話せば命までは奪わない。しかし、なにも喋らずにここに戻ってくるようなら、その時は覚悟を決めてもらうよ。悪いけど、私もまだここで朽ちたくないんだ」
暗器とキーラの右目の距離が徐々に近づく。
その後、キーラの悲鳴が建物中に響き渡った。
遠くに聞こえる声に飛び起きた義之が慌ててそこに駆け付けたると、キーラは血が流れ出る右目を抑えながら、床にうずくまっていた。
罪人の女性は義之を見ると、彼の足元に血の付いた暗器を投げ捨てて言った。
「あんたの言うとおりにしたよ」
驚いて目を見開く義之。
「バカな! 僕が何を命令したって言うんだ!」
口角を上げて不敵な笑みを浮かべる罪人はこう言った。
「明日になれば分かるさ。生意気なお兄さん」
翌日、キーラから詳細な事情を聞いた義之は、上官を呼び出して声を荒げた。
「罪人が武器を持っていました。あれは何ですか!」
それを聞いた上官は彼にこう返した。
「義之君、君はいつもそうして私にたてつく。それにしても昨日の出来事、君の管理能力には疑問を抱かざるをえないね。軍法会議は覚悟しておきたまえ」
上官は以前から快く思っていなかった義之を、罠にはめたのであった。
後日、義之はキーラを連れて領事館を脱出することになる。
―――
「その後、2人は軍に所属することを条件にロシアに受け入れてもらい、共に生活を始めることとなったのじゃよ」
食堂の中を歩き回りながら話をしていた乃木は、もえの横で立ち止まると、座っている彼女の肩にポンッと手を置いた。
「日本でも拷問や懲罰を規制する動きはあるが、それはあくまでも建て前の話。その建て前を現実に変えていくのは、これからの未来を生きていくお前たち若者の仕事じゃぞ」
そう言うと、ポケットから白黒の義之の写真を取り出し、もえの眼下に差し出した。
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