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ボーイズアイドル殺人事件  作者: 貴堂水樹
第一章 あるアイドルの死
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3-1.

 国立代々木公園第一体育館、通称『代々木体育館』は、明治神宮の南側に位置し、一九六四年の東京オリンピック開催に際して建てられた歴史ある体育施設だ。もとよりにぎやかな場所ではあるが、今日は一段と騒がしかった。

 体育館の最寄りである原宿駅の周辺は、午前九時にもならないうちからBillionのファンの女性たちでごった返していた。

 本堂によれば、ツイッターなどのSNSではすでに蝉川玲央の突然の死がタイムラインを埋め尽くし、大混乱になっているという。昨日――四月二十九日が、四月初頭の仙台公演からスタートしたライブツアーの東京公演初日であったというBillionの音楽ライブに参加するため、全国からファンが集まり、都内のホテルに滞在しているらしく、とにかく状況を確認しようと会場に押しかけてきているようだ。

 Billionの所属するオフィスブルーという名の音楽事務所に電話をしたところ、すでにBillionの担当マネージャーがライブ会場である代々木体育館に向かっているそうで、電話対応してくれた職員は成美たちがマネージャーと現地で落ち合えるよう段取りをつけてくれた。

 観客が使用する原宿口、渋谷口と呼ばれる二つの会場入口ではなく、主に関係者専用入り口として使われる建物南側の正面入り口から中へと入る。扉の前を固めている警備員に身分を明かすと、「ご苦労様です。大変なことになっているそうですね」と神妙な面持ちで労をねぎらわれた。

 地上二階、地下一階という造りになっている第一体育館だが、控室や会議室などはすべて地下一階に集まっている。マネージャーとは会議室の一つで落ち合うことになっており、Billionのメンバーもじきに会場へ集まってくるという。

 すでに会場内にいたスタッフは、オフィスブルーの関係者ではなく外注のライブ設営スタッフだそうで、マネージャーはまだ来ていないとのことだった。時間を持て余しても仕方がないので、まずは彼らに話を聞いていくことにした。

 昨日のライブは午後六時から始まり、午後八時三十分頃に終了したとのことだった。ライブ中は特に変わった様子も大きな事故もなく、タイムスケジュールどおり進行した。今日は午後一時からと午後六時からの二公演が予定されているが、おそらく中止になるだろうとスタッフは話した。オフィスブルーからの正式な通達はまだ来ていないと言い、とりあえずセッティングを始めておくか、と話していたところだそうだ。

 蝉川玲央の人となりについては、正直よくわからないとのことだった。ただ、事務所の指導が行き届いているようで、挨拶や言葉づかいはしっかりしていて、蝉川に限らず、Billionのメンバー全員に対して今どきの若者らしいやんちゃな雰囲気と誠実な好青年という二つの印象を持ったと話した。リハーサルから本番までを見ていた印象では、とにかくまじめで、手を抜く様子もなく、表舞台に立つ人間としての使命をまっとうしようとしているように見えたという。「彼らはステージに立つことが心の底から好きなんだと思いますよ」とスタッフの一人は話した。

「すみません」

 まだ営業していない地下一階の売店の前を通り過ぎた時、正面から声をかけられた。

 黒いビジネススーツに身を包み、中身がパンパンに詰まった黒いショルダーバッグを提げ、やや寂しい頭を短く刈り込んでいる男が小走りで近づいてくる。年齢は四十代後半といったところか。慌てて家を飛び出してきたような雰囲気で、少し息が上がっていた。

「女性の刑事さんがお待ちだと伺っているのですが、もしや……?」

 成美が「私です」とうなずくと、相手は姿勢を正し、名刺を一枚差し出してきた。

「お待たせして申し訳ありません。Billionの担当マネージャーをしております、オフィスブルーの河辺かわべと申します」

 丁寧に頭を下げられ、成美も「警視庁の相野と申します」と名乗って河辺と名刺を交換した。二手に分かれて聞き込みをおこなっていた本堂も合流し、再び挨拶が交わされる。

「このたびは、うちの蝉川が……あの」

 言葉を詰まらせる河辺の瞳が揺れる。

「刑事さんがいらしているということは、蝉川さんが死んだというのは、本当なのですね」

 成美は表情を変えないまま「お悔やみ申し上げます」と静かに告げた。

「河辺さん、大変お伝えしづらいことではあるのですけれど、被害者の蝉川さんは事故に遭われたのでも、自殺したのでもありません。他殺体で発見されました」

「他殺」

 いよいよ河辺の顔面が青ざめる。

「それは、その……蝉川さんは誰かに殺されたということですか」

「おっしゃるとおりです。ナイフで心臓を貫かれていました」

 そんな、と河辺は大きく息をのみ、口もとを左手で覆った。指先がかすかに震えている。

「おつらいところを恐縮ですが、少しお話を伺えますか」

 河辺が黙って首をこくこくと動かしたので、成美は廊下の中央に並ぶベンチの一つに河辺を座らせた。本堂が隣に腰かけ、呼吸を乱す河辺の背中を優しくさする。

 成美だけが立ったまま、質問を始めた。

「無知で申し訳ないのですが、蝉川玲央さんというのはどのような方だったのでしょうか。タレントとしてはもちろん、一人の若者として」

 河辺はスラックスのポケットから取り出したハンカチで額の汗を拭った。

「おしゃべりな子でした。グループの中でもとりわけ元気で、明るくて、運動神経がよかった。学校で言うなら、クラスの中心人物、ムードメーカーになるようなタイプです。そういう子は、当たり前でしょうけど、モテるんですよ」

 少し引っかかるような言い方をし、河辺はかすかに瞳を泳がせた。

「なにか、女性関係のトラブルが?」

「一度だけね。といっても、半年以上前の話です。蝉川さんは名古屋の出身で、一年前から東海ローカルのワイドショーで曜日レギュラーを務めているんですが、番組で共演したお天気キャスターの女性と関係を持ったようで」

「そのことを週刊誌に?」

「えぇ、いわゆる熱愛報道です。番組の担当曜日ではない日にプライベートで何度も名古屋へ帰っていたようで、記者連中に嗅ぎつかれました。相手の方は歳上でしたが独身で、それほど大きな問題にはなりませんでしたが、蝉川さんはまだ十代だったこともあって、事務所として放っておくわけにはいかなくてね。相手のタレントさんには番組を降板していただいて、蝉川さんとの縁も切らせました。Billionはまだまだ上に行ける。少なくとも今はまだ、恋愛にうつつを抜かす時ではありませんから」

 そこまでを熱く語って、河辺はハンカチで目もとを抑えた。手塩にかけて育ててきたタレントなのだろう。尊い命が失われたことを思い出し、涙ぐんだ彼はつらそうにはなをすすった。

 蝉川の過去にトラブルの影があったことはわかったが、事件と直接結びつくだろうか。いちおう頭の片隅に留め置いて、質問を続ける。

「今お話いただいたことのほかに、蝉川さんが誰かに命を狙われたことに関して、なにかお心当たりはありませんか。担当マネージャーのあなたなら、蝉川さんのことは誰よりもよくご存じだと思うのですけれど」

 河辺は首を横に振り、「すいません」と涙声でつぶやいた。「お役に立てずごめんなさい」という意味なら、差し当たって思い当たることはないということか。蝉川玲央の芸能活動は順調だった。殺される理由を作っていたとも考えられない、か。

 成美は少し考えるような仕草を見せ、話題を変えた。

「Billionの皆さんも、こちらへお集まりいただけると伺っているのですが」

「えぇ。全員と連絡がついていますから、じきに到着するかと思います」

「仁木さんも?」

「はい?」

「仁木魁星さんとも連絡が取れましたか」

「え、えぇ。でも、なぜ?」

「いえ、こちらの話です」

 例のメッセージカードの件は伏せておく。現時点で仁木が犯人の手に落ちたということはないようで、ひとまず安心してよさそうだ。本堂と目を合わせると、彼も胸をなで下ろしているようだった。

「では、蝉川さんと他のメンバーの方、あるいは、あなたを含めた音楽事務所の方々とのトラブルについては、いかがでしょう。メンバー同士でいさかいが起きたとか、ちょっとしたケンカでもいいですし、そういったことに心当たりは?」

「トラブル……」

 先ほどとは違い、河辺はすぐに答えを口にしなかった。つまり、なにかある。着地点を探すようにうろうろとさまよう河辺の瞳は、成美にそう確信させるだけの鈍い光を宿していた。

「河辺さん」

 河辺の言葉をじっと待っていると、一人の少年が成美たち三人の前に姿を現した。河辺がすばやく腰を上げ、本堂もつられるように立ち上がる。

「三栗谷さん」

 河辺に名を呼ばれた少年は、目深まぶかにかぶっていた白いキャップのつばをそっと持ち上げた。

 ここへ来る前、ネットでBillionについてざっと調べた。メンバーの顔と名前も暗記した。今の成美にとって、彼は見覚えのない少年ではない。

 三栗谷悠斗。

 十七歳の現役高校生である彼は、十五歳の時にオーディションに合格し、今ではグループ最年少ながらBillion不動のセンターを務めるメンバーだ。身長はやや低めだが、目鼻立ちのはっきりした端正な顔立ちは男女問わずウケがよさそうで、メンバー一の人気があるというのも納得だった。特に大きなふたえの瞳は、じっと見つめていると吸い込まれてしまいそうなほど澄んだ茶色をしている。本堂に見せられた動画の中で、成美が「この子は歌がうまい」と感じた歌い手こそ三栗谷だった。力量はもちろん、甘い歌声はファンの心を強く惹きつけてやまないだろう。

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