2-2.
「〈未来はボクらの手の中さ〉?」
成美はカードの文字を読み上げ、首を傾げた。詩のようだが、意味はさっぱりわからない。
「〈ボクら〉って誰のことよ」
「歌詞ですよ、主任」
本堂が手袋をはずしてスマートフォンを操作しながら言った。
「Billionのデビュー曲『EVERLASTING』の一節です。スタイリッシュで結構いい曲なんですよ。若者に人気があるのも納得っていうか」
嬉しそうに説明しながら本堂は成美の隣にしゃがみ、Billionが所属している音楽事務所が運営する公式動画チャンネルをスマートフォンの画面に表示させると、その中からとある楽曲のミュージックビデオを再生した。
しっとりと情感あふれるイントロから、疾走感のある曲調へと転換したところで、七人のメンバーによるキレキレのダンスをバックに楽曲のタイトルが表示された。『EVERLASTING』。ダンサブルでハイテンポな明るいポップチューンに、キャッチーで口ずさみやすい歌詞のフレーズ。ボーカルの歌唱力も申し分なく、特にイントロを歌い上げたメンバーの実力は素人の成美でもこれはと思わされるほどだった。アイドルナンバーらしいキラキラと光が降るようなサウンドエフェクトも時折入り、タイトルどおり、永遠に聴いていられる中毒性の高さが窺える楽曲に仕上がっている。なるほど、人気が出そうだ。
「ほら、ここ」
いつの間にか聴き入っていた成美に、本堂が教えてくれる。一番のBメロの最後にくだんの歌詞が登場した。〈未来はボクらの手の中さ〉。画面に大きく映っているのは被害者の蝉川玲央ではなく、成美には見覚えのないメンバーだ。彼が歌唱を担当するパートの歌詞らしい。
「なんで被害者じゃないの」
成美は真っ当な疑問を口にした。犯人はなぜ、この曲の、この部分の歌詞を選び、真っ赤なカードに記して遺体に残すような真似をしたのか。
「ねぇ本堂、今の、このカードに書かれた歌詞を歌ったのは誰?」
「仁木魁星。蝉川玲央より一つ年上で、二人はコンビとしての人気が高く『ニキレオ』の愛称で親しまれています」
「やけに詳しいね。調べたの? それとももともと知ってたの?」
「僕、昔からテレビの音楽番組が大好きなんです。Billionは新曲を出すたびにヒットを飛ばすから出演回数が多いんですよ。それで覚えました」
へぇ、と成美は自分で訊いておいて興味がなさそうに返事をした。どの部署よりも忙しい刑事部の人間がテレビなんて、と思ったけれど、最近はテレビもスマートフォンやパソコンで見る時代になった。だからといって、娯楽と言えば食うこと眠ることという超原始的な暮らしをしている成美にとっては、便利になったところで関心度はあまり上がらなかった。学生時代からテレビを見る習慣はなかった。
「とにかく、単純な通り魔殺人でないことだけは確かね」
立ち上がり、成美はブルーシートで覆われた狭い高架下の景色をぐるりと一周見渡した。
「メッセージカードを用意した上に、あえて人通りの少なそうな場所を選んで犯行に及んでる」
「実際、少ないですよ」と八杉が言った。
「深夜であればなおさらね。地元の住民が抜け道として使うくらいでしょう」
そう、と成美は静かにうなずく。隣で本堂も腰を上げ、自らの見解を述べる。
「蝉川の自宅はここから近いんでしたよね。カードのこともありますし、犯人と蝉川の関係はともかく、殺しのターゲットが蝉川玲央だったってことは確実ですね」
「犯人は蝉川がこの道を使うことを知っていて、狙った」
自分に言って聞かせるようにつぶやいた成美は、次第に鋭くなっていく視線を八杉に向ける。
「蝉川の昨日の足取りはわかっているんですか」
「詳しいことはこれからですが、一つ間違いないのは、昨日彼らは代々木でライブをやっていたということです」
「ライブ?」
「えぇ。昨日一公演、今日二公演、明日一公演のスケジュールで、Billionの音楽ライブが開催される予定になっているようでしてね。会場は国立代々木公園第一体育館。今日、明日の公演はおそらく中止になるでしょうが、少なくとも昨日の公演は満員御礼、チケットは毎回発売開始直後に完売する人気ぶりだそうですよ」
「ということは、被害者が襲われたのはライブの終演後?」
「私も最初はそう思ったんですが、被害者の所持品は財布とスマートフォンのみで、バッグのようなものは見当たらんのです。ライブに出演するのに財布とスマホだけを会場へ持っていくとは考えにくいですし、帰宅途中を狙われたのなら、犯人が持ち去っていない限り、遺体の付近に残っているのが普通だと思うのですが」
「財布もスマホも盗られていない。でも、鞄はない」
これをどうとらえるか。帰宅途上を襲われ、犯人が鞄だけを持ち去ったのか、あるいは帰宅後、蝉川は犯人に呼び出されて家を出たのか。後者なら、財布とスマートフォンだけを持って出歩いていても不思議じゃない。たとえば近くのコンビニへ向かうのに、大きな鞄は必要ない。
「このカードはどう考えます、主任」
本堂が遺体を見下ろしながら問う。
「なぜ犯人はこんなものを残したんでしょうか。誰かになにかを伝えたかったのか、ただの自己満足か……。目的がさっぱりわかりませんよ」
「でも、被害者を殺すことだけが目的なら、こんな手の込んだことはしないよね」
犯人の行動には、すべてになにかしらの意味がある。蝉川玲央の殺害以外に、犯人には意図していることがあるのだ。
わざわざカードを印刷するという手間をかけてまで、遺体とともに残したかった言葉。その言葉はBillionの楽曲の歌詞で、犯人と被害者にしかわからないものではない。
そして、カードに書かれた歌詞を歌っているのは被害者じゃない。被害者と同じBillionというアイドルグループに所属している別のメンバーの担当パート。名前は確か、仁木魁星。
名前を思い出して、ハッとした。
「このカード、仁木魁星のことを表しているのかも」