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 シャベルで土を掘り起こす音がやけに大きく響いていた。

 鳥の声も、虫のも、夜風に揺れる木々のざわめきさえも、男の耳には一切届いていなかった。不気味なほど静まりかえっているように思えるのは、意識がシャベルに集中しているせいだろう。ジャッ、ジャッ、という無機質で規則正しい音だけが耳の奥で淡々とくり返されている。

 都内では不安で、埼玉まで来た。土地勘はない。市街地から離れることだけを考えて愛車を走らせ、なぜ北を目指したのかわからないままたどり着いた山奥で、かれこれ三十分近く穴を掘り続けている。

 思いのほか地面が固く、作業は想像以上にはかどらなかった。シャベルを握る手が震え、力が入らないことも原因の一つだった。

 日中には三十度まで上がった気温も、夜の山では涼しささえ感じるくらい和らいでいた。だというのに、全身から噴き出す汗は止まらない。風が吹くと一瞬ヒヤッとするけれど、からだの火照ほてりはまるで治まる気配がなかった。

 事が起きてから二時間は経っている。冷静になれたつもりでも、今自分がしていることの恐ろしさから逃れることはできなかった。

 ない知恵を絞り、決断した。こうなってしまったのは自分の浅はかな行動ゆえだ。なにもかもを投げ出してあの場から立ち去ることはできなかった。せめて、せめて自分にできることをしなければ。そう思い、ここへ来た。

 今夜じゅうにこいつを埋める。事件そのものをなかったことにする。それでいい。それしかない。

 泣きたくなった。もう泣いているかもしれない。

 汗なのか涙なのかわからない、あごからしたたり落ちる濁った雫が掘り起こされた新鮮な土を湿らせる。後悔の念にさいなまれながら作業を進め、ようやく人一人分を埋められる大きさの穴が完成した頃にはとうに日付が変わっていた。

 シャベルを放り投げ、大木たいぼくの根元に横たえておいた亡骸なきがらかつぎ上げる。日本人男性の平均より背が高く、手足の長い遺体から感じるずっしりとした重みが、彼の命を奪ってしまったことを男にいよいよ自覚させた。

 息を切らし、穴のふちに立つ。シャベルと違い、放り投げるのはためらわれた。

 できるだけ優しく、腕の力を抜いた。ドサッ、という乾いた音とともに土埃つちぼこりが舞い、遺体は穴の中に納まった。

「ごめん」

 自分でも気づかぬうちにつぶやいていた。声が震えた。遺体の腹の上に、彼の所持品を次々と投げ入れていく。

「頼む、許してくれ」

 こんなことになるなんて思わなかった。あの時素直にこいつの言うことを聞いていたら。

 強い後悔が吐き気とともにせり上がってくる。膝からくずおれそうになる。

 きつく目を閉じ、必死に自分に言い聞かせる。

 こうするしかなかった。これでよかったんだ。万が一にもこいつに社長のもとへと駆け込まれるなんてことがあってはならない。そんなことをされたら今度こそ終わりだ。せっかくつかんだチャンスを棒に振るわけにはいかない。

 これでよかった。おれは正しい。

 こいつが悪い。おれは悪くない。

 シャベルを再び手に取り、掘り返した土を穴の中へ戻していく。

 からだから順に埋めていった。顔に土をかけることに強い抵抗を覚えた。

 大粒の涙が手の甲を濡らし、我に返った。気づけば動きを止めていた腕にもう一度力を入れ、めいっぱいすくい上げた土を顔にかぶせた。

 目もとだけが隠れ、鼻から下が見えている。うっすらと土をかぶった唇に、名前を呼ばれたような気がした。

 男の絶叫がこだまする。

 深い闇が、それにこたえることはない。

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