表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/13

感じる、思う、考える

今日も二人は会話を始める。



僕は時折死にたいと思うんだよね。


悩みがあるのであればいくらでも聞きますよ。


いや、別に悩みとかはないし、死にたいわけでもないのだけれどね。


いきなり矛盾しないでください。先輩。死にたいと思っていたのでは。それとも、死にたいと思うことはあるが、今は思ってない、ということですか。


不思議なこと言わないでよ。僕は生まれてこの方死にたかったことなんてないよ。これからはともかく。


でも死にたいと思ったのでは。


死にたいと思うことはあるよ。


矛盾ですね。


どうやらわかっていないようだ。


先輩以外の誰もがわからないと思います。


そういえば以外って意外に不思議な言葉だな。


話を混ぜっ返さないでください。死にたくないのに死にたいと思った先輩。


しょうがない。少々解説してあげよう。物分りが良い訳では無い後輩。


癪に障る言い方をしますね。


まずはりんごがここにあると考えよう。


りんごが。


考えたかい。


はい。


そういうことだ。


理解不能です。もしもこれが数学の証明問題であれば、百点満点中五点です。


ここにりんごはないだろう。


ありませんね。


つまり、りんごがないのにりんごがあると考えたわけだ。それと同じだ。


りんごがないのにりんごがあると考えるのと、死にたくないのに死にたいと思うのは同じ、と。りんごの有無と死にたいか否かは、違う次元の話では。


同じだよ。とはいえ、万が一、君の理解力ではなく僕の説明が足りていないのかもしれないと思慮して、もうちょっと説明をして差し上げよう。


万が一ではなく、少なくとも十が一、おそらく十が九くらいだと思います。


僕は心内の活動について三つの段階に分けた。


無視ですか。


感じる、思う、考える、だよ。もちろんより細かく精細に分けるのも大雑把に分けてもいいとはおもっているけれどね。


まあ、思うは英語で"think","feel"の両方ありますしね。


日本語話者であるのだから、日本語ベースで考えるのは悪くないことなのさ。


それで、その分類に何の意味があるというんですか。


先の疑問の答えさ。りんごがないのにりんごがあると考え、死にたくないのに死にたいと思えないことのパラドクスの原因がこれさ。


確かに考えると思うでは違いますけれども。


わかりやすくいえば、死にたいということと、死にたいと思うことは同じなのか、ということが問題なんだ。


同じだと思いますけれど。


だから、感じる、思う、考えるの違いについて講釈を垂れようというわけだ。


なんかダラダラとしています。


感じるものは感情や感覚が主だよ。


情を感じる、感じ覚る、まさに感じています。


僕が思うにこれは、他の二つに対してかなり肉体的な側面が強いんだ。


はあ。そうですか。


おそらく鼻をとれば匂いは感じず、神経を切れば感覚はなくせる。逆に神経に適当な信号を流せば感覚は生まれるし、適当なホルモンを循環器に突っ込めば感情も生まれるのさ。


なかなかにサイコパス的な思考実験ですね。


実際にやったりはしないさ。それでお次は考えることとしよう。これは、身体的とは逆に、より理性的、知的、論理的な方法だ。


身体の逆として、魂なんかのスピリチュアルな物が出てこなくて本当に良かったです。


胡散臭い宗教は始めたりしないさ。作るなら誰にも安心を与える素晴らしく理想的なものだ。


逆にカルト的になりそうです。それで、考える、とは。


考えるのは、内容ではなく、いわば方法的なものさ。


ふむ。いまいち分かりかねます。


AならばB、BならばCと繋げていくようなものさ。この所作こそが考えることだよ。りんごならば赤い、甘い、丸い、果物、香り立つ、そんなものがあるならば私はこのように感じる、そんなふうに考えられる。


わからないでもないです。


思うはその他だ。


急に雑になりますね。


三つに分けて二つを説明したのだから、そのようにもなる。


説明はもっと必要です。


思うというのは先のAならばB、BならばC、のA、B、Cの中身のことだとでも思ってくれたまえ。これでわかっただろう。


何がです。


死にたくないのに死にたいと思うことが。


死にたい、というのは感じるもので、思うものではない、と。それも違うのでは。


そうではない。死にたい、死にたくない、というのは感じるもので、名前はなかった。それを考えられるものに変えたのが、名付けであり、死にたいという思いになったことで、考える対象になったのだ。


意味不明です。


感じるものというのは、それ自体名前もなく、連続的で、区別もなく、曖昧模糊として、到底考えるに及ばない。考えようとしたとて、うなぎをつかむが如く、ぬるりするりと考えの網の目から抜け出ていくのだ。


あまりにも抽象的ですね。具体的にお願いしたいです。


死にたいというのは、状態であり感じるものだ。元々は。その状態や感覚に、死にたい、という言葉を付け加えることでラベリングして、初めて考えうる対象の、思いになるのだ。


そうすると、やはり、死にたくないが、死にたいと思うのは、矛盾になるのでは。


初めの死にたくない、というのは、そのような状況にある、という思いだ。死にたいと思う、というのは、私が死にたい状況を思っている、つまり考える対象とできる状態にまで持って行っている、ということだ。その状況が実際にあるかどうかは別のことなのだよ。


わかったような騙されたような。そのことで結局何が言いたいのですか。死にたいと思うことがあって何だというのですか。


忘れた。



二人の会話は続いていく。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ