代償
「か、神原……?」
どうしてそんな風に言えるんだ。お前、お前はそんなことを言えるような人間ではなかったはずだろ。
……任務の関係で、呪術師やそれに加担した一般人を殺したことは、ある。程度の差こそあれど、少なくとも星辰支部に所属していた戦闘員はほぼ全員経験があるくらいにはありふれたことだ。
だが、だからといって……職務外で殺せるほど俺たちは強くなかった。鈍くなれなかったはずだ。
一周目で吐くほど苦しんでいたお前は、どこにいったんだよ?
「……怪異の仕業じゃなかったのかよ?」
神原の肩を掴んで引き寄せる。いくら何でもこの会話を久山やその両親に聞かせる訳にはいかない。
だが、この状況であまり離れる訳にもいかない。聞かれないためには耳を寄せ合うしかない。
「あー。外から聞く分には怪異だとしか思わなかったんだけど……実際に見てみないと分からないことも多いよね。よかったよ、間に合って。」
「久山家(奴ら)の仕業だってのはどっから?」
「取り潰しの時に用途不明の支出がこの時期に。額が額だったから調べてはみたんだけど、辿っても途中で痕跡が消えてたからさー。」
「まさかこんな所で繋がるなんて思ってなかった」、と神原は暗い目で吐き捨てるように呟いた。胸中の罵詈雑言を吐き出さずに何とか冷静を装いたがるのは久山がすぐそばにいるからだろう。
嫌われたくない。怖がられたくない。
いっそ怯えていると言った方が適切なほどに神原は久山に対しての思いが強い。
正直なところ、どうして神原が久山にこれほどまでに執着しているのか_____久山が絡むと残虐な行為も全く厭わなくなるのかが分からない。いくら久山が「唯一自分に真っ向から勝とうとしてくれた相手」だとしても、これではまるで……
「……あ、あの!おにいさん?おねえさん?のお名前おしえて下さい!」
「え?名前?」
いつの間にか袖口を掴んでいた久山の手は、まだタコもマメもなく柔らかい。幸い話は聞かれていなかったようで、幼い手に負けず劣らず幼い無邪気な瞳には少しの不安と強い好奇心がキラキラと入り混じっていた。
……この少女が数年後にあんな荒むとは到底想像もつかない。母方の実家に引き取られた松也も溌剌とした性格になっていたことを踏まえると、つくづく久山家の大人たちは罪深い。
「あっはは。おねえさんだってー。」
「笑うな。」
「はーい。……大人っぽくて良かったよね?こーんな可愛い可愛い……本当に可愛い子に名前聞かれてさ?」
「なんだよ、怒ってんのかよ。」
「そうだけど」
あっさりと認めた神原の、焼きもちなどと生ぬるいもんじゃない嫉妬の視線が突き刺さる。
お前さっき久山の父親に名乗ってただろうが。「神原」って。
神原に抱えられたままの小狐は哀れにもぎゅうぎゅうと締め続けられて情けない鳴き声を上げている。
軽く神原の腕を叩くと腕が緩んで、小狐は必死にもがいて抜け出した。ぽむぽむと足音らしからぬ足音が俺の足元で止まると、神原はむすっと頬を膨らました。
「名前……は、平里。俺の名前は平里だよ。
んで、こっちのが神原。」
少し迷った後、俺は母から貰った名字を名乗ることにした。久山は覚えていなくとも、長い付き合いだ。今更「宍戸」と呼ばれたくない。
名乗りながら小狐を抱き上げて神原に返してやると、小狐は悲しげに「きゃん」と小さく鳴いた。神原は受け取った後に久山の視線が腕の中に釣られていることにまた悔しげな表情をしたが、すぐに思い直したのかにっこりと笑顔を浮かべた。
「サ……えぇと、触ってみる?」
「いいの?」
「もちろん!」
「やった!ありがと!」
「へへ、どういたしまして……」
小狐を久山の方へと差し出す神原の顔は心底嬉しそうだ。
初対面でこの好感度は怖くないか。久山は気にしなくともご両親は気になるんじゃないか?
そっと久山両親の方を見ると父親は微笑ましそうに見ていたが、母親の方は複雑そうな顔をしていた。
いくら本家と分家といえども身内と言うには離れすぎている……婚姻関係を結べるような間柄である以上、警戒されるのも至極当然だろう。
初対面でこれだ。さらにダメ出しで視線が久山にしか向いていない。もう少し抑えればいいものを………。
「………神原。」
「なーにー?今良いとこ……」
「不審がられてるぞ」
「えっ!?あ!」
ようやく今が『初対面同士』なことに気付いた神原はハッとして、緩んだ頬を左手で押さえた。グイグイと引っ張ってみるものの緩んだ頬は下がらず、全くの徒労にしか見えない。
片腕から落ちそうな小狐を持ち上げて久山に差し出すと、久山はぱっと目を輝かせて小狐に抱きついた。……これは大丈夫か?後で神原に絞め殺されやしないだろうか。
久山は小狐をまるで遊園地のぬいぐるみかのように愛しげに抱えている。まだ一次覚醒もしていない久山の髪が小狐の白い体の上に流れて茶色く反射した。
ありふれた黒髪だ。権能の覚醒前ならば当たり前のはずの事実に驚いた事実に驚いた。
見た事がなかった訳ではない。ただ、今までの長い時間で見慣れていたのはあの漆黒だ。鏡のように光を反射するばかりで自らの色は全く見えないほどの黒。その隙間から覗く、瞳孔に左右を分けられている夕焼けのように赤い瞳。
茶褐色の瞳の瞳孔はまん丸であの目とは全く似つかないが、少し垂れ気味の目尻はあの頃と変わらないように見える。
静電気で跳ねていたのだろうか、あの頃とは正反対に長い髪には癖ひとつ見当たらない。
歳の割に妙に大人しく真面目だった中学生の久山。
甘えたがりでわがままな大人の久山。
このまま彼女の両親を守り抜くことができれば、きっともうそんなちぐはぐな状態にはならずに済む。その方がいい、その方が幸せなはずだ。
それなのに_____
(……寂しい、のか?俺は……)
零れ落ちたはずの希望。それを拾い上げようという時になぜか、『あの頃』の久山と神原が俺の脳裏に浮かんでは消えていった。




