ゆうやけこやけ
……足が遅い!
そもそも身体が小さいということは、もちろん手足も短くなっているのだ。一歩の長さが大いに違う。
なかなか進めない道に焦りが募るが、ここで焦って転倒でもすれば余計な時間がかかってしまう。普段はあまり気にしない部分も、こういう時は大きな欠点のように思える。
少し後ろを走る神原に視線を向けると、神原も同じようなことを思ったらしく、小さな己の足に恨めしげな視線をチラチラと送っている。
『それにしても……全然人がいないね?一応街……ああ。そういうことか。』
ぷーとかすーとか鼻から気の抜けた音を出している小狐の口からそう零したが、すぐに理由に思い至ったらしい。小さく『余所者が、ってことか。』と心なしか萎んだ声で呟いた。
「余所者」。要するに、俺たちも警戒されているのだ。
いくら偽装しようとも、子どもであろうとも、余所者であることに変わりは無い。ましてや、風早さんたち大人も同じように走り回っているのだ。「何かあったのでは」「何かされるのでは」と不審に思われていても、何も不思議ではない。
角を曲がって、坂を駆け上がって、また曲がって。
実に住宅地らしい入り組んだ路地は子どもの体力を確実に削っていく。×××××。
『……君ね、そういうのは口に出さない方が良いんじゃない?』
「そういや平里、初めて会った頃は口悪かったもんねー。」
二人の声にハッとして口を押さえたが、どう考えても後の祭りだ。口を出た言葉は飲み込めない。
いくら無意識だったとはいえ、もし小鳥遊の前で同じような言葉を口にしたら……一気に距離を置かれて対策を立てるどころではなくなるに決まっている。それは避けたい。
「……以後気をつけます。」
『舌打ちもやめなね。』
「……口の悪い平里も僕は好きだよ?」
「何のフォローだよ?」
「伝わんないかぁ。」
「何が?」
「教えなーい。自分で考えて!」
「はぁ?」
一体何なんだ?久山も大概だが、神原もなかなかに気まぐれというか分かり辛い。
……こんなんでこの先、やっていけるのか……?
『……っと、お喋りはここまでだ。二人とも、そろそろ見えてくるはずだから心の準備をして。』
「!サヤが近くにいるの?」
『そうだね。ほら、向こうの坂の……ああ、今転んだ。』
「あっ!サヤ……!」
穂稀さんの声に導かれて視線を動かすと、確かに坂道の途中でうつ伏せになって小刻みに震えている黒髪の子どもの姿が小さく見えた。距離にして百メートルくらいだろうか?
吸い寄せられるように足を踏み出す神原の後をついていきながら、俺はじっとその様子を眺めた。
あの久山からは想像もつかないほどに穏やかな日常だ。この安寧を突然取り上げられてあの理不尽な世界に閉じ込められた久山の内心は、一体どれほどの苦痛を抱え込んでいたのだろうか。
ありふれた家族の様子だ。子どもを優しく抱き起こす父親と、あとから追いかける母親の顔はどちらも成長した久山に____つまり神原と松也にも_____似ている。
いくら親戚とはいっても、あまりにも似すぎている。
……もしや、血が濃いのは久山だけではなくて_____
『っ!下がって!二人とも!』
「!?」
穂稀さんの声に俺は、反射的に神原の肩を引っ掴んで大きく後ろへ跳んだ。体勢を崩した神原が尻餅をついたが、それどころではない。
そんな場合ではない。
何なんだ、これは。
緩やかに日の傾いていた空は突然、絵の具で塗り潰したかのような赤に染め上げられ、音の割れた童謡が電柱の先のスピーカーから狂ったように流れ始めた。
一瞬霊域の発生を疑ったが、周囲の景色はそのままだ。霊域は範囲内の空間を完全に上書きするのだから、これは霊域ではない。
それなら、一体これは何の仕業だ?半分霊域、半分町中のような景色。人の気配は俺たちと久山一家を除いて感じられない。
「……怪異か……?」
「いや違う、この気配は……呪いだよ……!」
「……人為的ってことか。」
息苦しいほどの威圧感。虫が這い上がって来るかのような不快感。確かに、言われてみれば呪術の気配だ。
だが……そんな記録はなかったはずだ。これも学園の霊域と同じく相違点なのか?
ケースから魔導小銃を取り出してストラップを肩に回すと、俺は神原の肩を叩いて久山一家に駆け寄った。
「大丈夫ですか。」
「あ……ああ。君は?見たところ魔導科の学生さんだろ?誰か付き添いの大人はいないのか?」
「大人……は、いたんですが……」
「……そうか。はぐれてしまったのか。大変だったな。
安心しなさい。こう見えておじちゃんは陰陽師なんだ。魔導師のことは分からないが、怪異の相手ならおじちゃんに任せなさい。」
「あ、そのことなんですが。同行者によると、どうやら怪異ではなく呪術師の仕業のようで……」
「呪術師?あのモグリ連中がこんな派手な真似を?」
確かに、呪術師は基本目立つ事件を起こさない。それは呪術師が後天的に異能を手に入れた存在、表向きには一般人として生活しているからであるが、何よりも呪術は使えば使うほど怪異の発生率を上げてしまう。
だから取り締まりの対象になっているため、彼らが表立って動くことなど殆どない。
だが呪術には面倒な規則があり、それが守られている間は術者の気配が察知できないようになっているのだ。だから_____
「……皆殺しにすれば、誰がやったか分からなくなりますよね。呪術って。」
「確かにそうだ……でも、一体何のために捕まる危険を犯してまでこんなことをするんだ。」
「それは……」
ちらりと母親に抱き上げられている久山に視線を移すと、今まで黙っていた神原が口を開いた。
「……久山の家が、その子の才能に気付いたんだよ。だから依頼したんだ。」
「神原?何を言って……」
「え……神原!?本家様がどうして____いや、その前に娘の『才能』とおっしゃいましたか。それがどうして、この状況に繋がるのですか。」
「駆け落ちしたんだ、頼れる人もいないでしょ。だから、あなた方が居なくなればその子は自然と久山家が引き取ることになる。
要するに……あなたの母君と弟君は、あなたと従姉妹殿に死んで欲しいんだよ。だから呪術師に金積んでこんなことさせてる訳。」
「そ、んな……今更どうして……」
……なんだ、なんだよ、それ。
同じじゃないか。宍戸の連中と、同じじゃないか……。
家から離れた後に生まれた子に才能があると分かれば、平気で親を殺して取り込もうとする。
名家連中ってのは、人の命をなんだと……!
「……ね、平里。」
「……なんだよ。」
「怒ってるよね?」
「当たり前だろ!」
「じゃあ____」
神原は目の奥の暗さを笑顔に隠しながら、そっと俺の腕を引いて耳打ちした。
「刺客全員、殺しちゃお。ね?」
まるでちょっとした悪戯の誘いかのような気軽さで神原はそう言うと、ひょいと小狐を抱き直した。
果たして神原のこの態度が久山を危険に晒す連中への怒りからなのか、はたまたカミサマの侵食によるものなのか。未だ甘えを捨てきれない俺には判別できなかった。




