禍福得喪
宇都宮支部を中心とした旧時代の遺跡群。
この辺り一帯は古くから『雷都』と呼ばれるほどに雷の発生件数が多く、現在でも「雨が降らずとも雷が落ちる」とまで言われるほどに落雷が多い。
そんな危険地帯でありながらも遺跡を修繕やら改築やらで住居としている人々が多いのは、やはり都市結界の外側でありながらも怪異の発生件数が少ないからだろう。
『……いやぁ、怖かった怖かった。さすが神世七代、気配だけで威圧感がすごいねぇ。』
閑静な住宅街。あいにく留守だった久山一家を探すために俺たちは二手に分かれた。
そうして住居と住居の合間を縫うような狭い路地を神原と歩いていると、突然小狐が話し始めた。
「穂稀さん。いたんですか?」
『いるの何も。神使がいるならこっち側から観測可能だからね。』
「ふーん。じゃあなんで喋んなかったの?」
神原の質問に穂稀さんは『うっ』と声を上げると、気まずそうにしばらく口ごもった。
そしてやはり、この福々餅は対照的にリラックスして神原の腕の中で脱力しきっている。発される声と小狐の姿のあまりの乖離に目眩さえしそうだ。
「平里?どうかした?」
「いや……少し、視覚情報と聴覚情報の差が……」
「差?……あぁー、この子ね。」
神原が示すように抱えている小狐の顎を手の甲で軽く押すと、白い頬がもっちりと___それこそ本物の大福のように盛り上がった。
「ぶふっ……」
「めっちゃウケてるじゃん。素直に笑っても良いと思うよ?」
「いや、さすがにそれは失礼だろ……」
込み上げてきた笑いを噛み殺しながらそう返すと、神原はどこか楽しげに首を傾げた。
「笑うのが失礼なら既に失礼だと思うよ。ねー?」
「きゅ~……?」
「っげほっ!」
「むせてんじゃん。」
小狐が眠たげに目をしぱしぱと瞬かせて返事をすると、今度は顔全体が柔らかそうに揺れた。
それがまるでつきたての餅のようであまりにも生き物らしくないのに、意思を持って動いている。
それだけだ。それだけのはずなのに___
『君がそんなに笑うなんて意外だね。』
「ふっ、く……ちょっと話さないでもらえますか。餅が……」
「ついに餅呼びしたね。じゃあ今からこの子はお餅ちゃんってことで。」
「きゅーん」
「っ!!!……げほっごほっ」
『追い討ちやめてあげなよ神原くん。』
「追い討ちってほどでもなくないですか?」
『本気で言ってるのかい?平里くんを見たまえよ、笑いすぎて過呼吸気味だ。』
「たしかに。」
いいお返事で尻尾を揺らす小狐の姿に耐えきれなくなって、俺の肺はすっかり呼吸の仕方を忘れてしまった。
こんなに笑ったことなんて、今まで生きてきてあっただろうか。
それも、こんなしょうもないことで。
「平里だいじょーぶ~?」
「……ふぅ。大丈夫だ。もう落ち着いた。」
「なら良いけど。平里のツボってよく分かんないね。変なの~。」
からかうような口調とは裏腹に、神原の眼差しは優しい。
……今まで久山以外にこんな目向けてたことあっただろうか。
だが、さすがに同枠に入れられたと思わない。『何度も共に繰り返している仲間』としてそれなりに情が湧いたのだろう。
「過度に権能を使う度にカミサマに精神が侵食されている」とはいえ、なかなか人間らしい部分が残っていて安心した。
「……平里?なんで笑ってるのさ。」
「いや別に。」
「またそう言うー。この、秘密主義者めー。」
神原は不満げに俺の肩を軽く叩いたが、それ以上の追及はしなかった。
「まーいいや。早く行こ。……夕方までにサヤ達を見つけなきゃだし。」
「そうだな。」
……俺が全部伝えたところで、神原は止まらないだろう。神原が大切なのは結局、久山一人なのだから。
俺は頷いて、先を行く神原の伸び始めた影を踏んだ。
***
「……そういえば、怪異の発生時刻って夕方が多いよね。なんでだろ。」
何も見落とさないようにと周囲に気を配りながら歩いていると、ふと神原がぽつりと呟いた。
「言われてみれば……たしかにそんな気もするな。」
「ねー。で、夕方から明け方にかけて通報が多くて大変でさー……」
「早番の職員が来る頃には死屍累々だったよな。」
「そうそう。『こちら……報告書です……申し送りはこの中に……』ってだけ言ってそのまま寝ちゃったりねー。」
「ぶっ……似てんな。」
神原の声真似が思いのほか似ていて、俺は思わず笑った。
走り書きのメモ、もはや片付ける暇さえなくて廊下に端に寄せられた魔導具、装備を付けたまま床で寝落ちている先輩。
配属後のお決まりの状況が懐かしい。何事もなければ、俺たちはまたあの場所に戻れるのだろう。
「……あ、そうだ。穂稀さんは何でか知ってる?」
思い出したように神原が問いかけると、小狐はピクっとはんぺんのような三角の耳を立てた。
『夕方に多い理由かい?』
「うん。分かる?」
『ああ、知っているとも。こほん___』
神原が頷くと、穂稀さんはそれらしく咳払いをした。
どうやらかなり乗り気らしい。解説を求められたことが嬉しいのだろうか。
『昼と夜の境目である夕方は、古くから様々な呼び方が宛てられているんだ。……はい、ここで平里くん。夕方の別名、何か知ってるかい?』
「え、あー……黄昏時?」
『そうだね。『誰そ彼』___日が傾いて薄暗くなったせいで目の前にいる人物が誰か分からない、ってところから来ている呼び方だね。他には分かるかい?』
「……いえ……」
『そうかい。神原くんは?』
「えぇーっと……日暮れとか……?他にあるの?」
『ふふん。それがあるんだよ。怪異がよく出る時間帯って言うのを表す呼び方が。』
穂稀さんは落ち着きなく耳を動かしている小狐の口を通して、得意げに笑った。
『___その名も『逢魔が時』。よくないモノに出逢う時間帯、という意味だよ。』




