ひとつ
街、川、山、再び街、川、山___
どうやら、転移は使わずに移動しているらしい。都市結界の外は怪異と遭遇する可能性があるため、魔導車のように自衛機能の付いていない車で外を移動するなど余程の物好きでもなければいない。加えて最近は転移門を使って移動するのが主流だからか、『魔導車以外』と書かれた高速道路では野生動物としかすれ違わない。
それは鹿のように大きな場合もあったし、栗鼠のように小さなこともあったが、運転手はどうやらかなりの腕前らしく、すいすいと避けて進んだ。
途中、何度か隣で眠りこけている神原に目をやったが全く起きる気配がない。膝の上の小狐も同様だ。振動と共に揺れる頭のせいで、安全のためのはずのシートベルトが首を絞めてしまいそうで危なっかしい。まだ背が足りないのだろうか。
補助シートでもあれば、きちんと安全に使えるだろうに。風早さんはそういう所まで気が回らなかったのだろうか。
こまめに直していると、不意に目まぐるしく変わっていた景色が留まった。と、思った直後に、けたたましいエンジン音と振動が止まった。
どうやら目的地に着いたらしい。
「神原、起きろー。神原。」
「んー……あれ?平里?」
軽く肩を掴んで揺すると、神原は重たげに瞼を開いてゆっくりと瞬きをした。
「いつ来たの?」と首を傾げる神原の淡い茶髪は重力に逆らって跳ねている。……しかも、あまりにもしっかりと牛の片角のように自立してしまっている。これは……。
「……神原。」
「なあに?」
「寝癖、すごいことになってるぞ。……あと、髪色戻りかけてる。」
「え!?か、鏡!あ、この子持ってて!」
神原は慌てた様子で小狐を俺の膝に寄越して、傍らのやたらと大きなリュックサックをごそごそと漁り始めた。
寝癖はともかく、髪の色は久山に見られて記憶に残ったら大変だもんな。久山のことだ。張り合って欲しくて偽装してました、なんてバレた日には「嘘つき!」となじりかねない。
それだけならまだしも、いじけて姿を消してしまいかねない。そのくらい、子ども時代の久山は不安定だった。
ただ……その気質が生まれつきではなく、松也と同じように現当主やその周りの連中に歪められた結果であったなら。
バレたとしても神原の偽装を「周りが面倒だもんね」と少しは好意的に見てくれるのかもしれない。
もしそうなら安心であるが、それと同時に___今までの、歪まざるを得なかった久山が、ひどく哀れな存在だと思ってしまう。そうなればきっと、俺は記憶の中の久山を否定してしまう。
それはダメだ。そう思ってしまうことは、必死に生き抜いてきた久山の人生そのものを否定したことと同義なのだから。
「……きゅーん?」
「……なんでもない。」
膝の上で落ち着かない様子の小狐を落ち着かせようと、そっと背中を撫でた。
しっとりとした冷たい毛皮に、この狐はどれだけ感情豊かに見えようとも生き物でないのだと、シンシなのだとハッとした。
当たり前だ。こんな形の狐なんて存在しないのだから。
なら、俺たちは……カミヨリはどうなのだろうか。穂稀さんの話によれば、元々『異能者』なんて存在はいなかった。
『カミサマが身体に依っている』といえば聞こえはいいが、その実知らぬ間に乗っ取られてはいないだろうか。三倉咲良がああなった原因が『権能の使用過多』だと言うのなら、神原も同じ原因でそうなりかけているのなら……権能を使う度に精神が侵食されているのではないか?
久山のあの暴走も、ひょっとすれば___
「……できた!ねぇ平里!これで直ってる?……平里?どうかしたの?」
「あ……
……なんでもない。この狐が冷たくて、少し驚いただけだ。」
「確かにひんやりしてるよね、その子。暑いから丁度いいよね。」
後頭部に少し跳ねた毛を残したまま、神原は納得したように頷いた。初めてあった頃から変わらない、いつもの神原だ。もしあの仮説が正しいなら、こんな……時間を繰り返すような大規模な権能の使い方をして変化がない筈がない。だから……大丈夫だ。
この仮説は、間違っている。
だが、もしも……最初から、『カミサマ』が身体を依代とした時点で侵食されていたのならば?人格、嗜好、癖___そういった部分が既に影響を受けていたとしたら?
………そうだとしたら、俺たちは……既に人間ではないのではなかろうか。
一度生まれた疑心は際限なく膨らむばかりで、目の前の神原の笑顔すら嘘のように思えた。
***
「……それじゃあ、まずはここの支部に話を通しに行こうか。」
「そうですね。怪異が出ると確定している以上、異能を使うことは確定してますから。」
疑念をなんとか思考の隅に追いやって、風早さんの言葉に頷く。
結界都市から離れている場合、怪異が___場合によっては複数体出現する。そうなれば異能をただ使うだけでなく、派手に使用して戦う可能性もなくはない。だからこそこの地域を守護している陰陽寮の支部に事前に連絡し、いざとなったらすぐに駆けつけてもらえるようにしておくことが大切だ。
先日の霊域でのことを思い出しながら、俺は宇都宮支部の駐車場の、魔導車のずらりと並ぶ中にポツンと置かれたガス車の場違いさに思わず苦笑しそうになった。
ここだけ時代が戻ったみたいだ。
「おい坊主。どうかしたか?」
「っ!……いえ、なんでもないです。」
突然声を掛けられ、思わずびくりと肩が震えた。神原はそんな俺の様子にくすりと笑ったが、その直後に風早さんに声を掛けられ跳び上がっていた。
声の主___恐らく運転手をしていた青年は俺の返事に興味なさげに頷くと、風早さんの方へと歩いていった。
……あの顔、どこかで………いや、それだけではない。あの車にも見覚えがある。
一体、いつ見たんだったか。
「平里?どうかしたの?」
「…なぁ、神原。あの人の名前分かるか?」
「知らない。誰だろね。…風早さんより年上そうだけど、どうなんだろ。っていうか、そもそもどういう関係なのかなぁ。」
「……確かにそうだな。神原でも知らないんじゃ、少なくとも六大家門の関係者ではないだろうしな。」
そうなると……陰陽寮関連か?風早さんも来年には支部に配属されるのだから、可能性としては高い。だが、それにしてはあの青年からは魔力や霊力の気配はしない。
剣士課の所属だとしても、武具は異能を帯びているため、所持者自身から多少の気配はする。……さすがに結界外に出ると分かっているのに武具を持ち歩かない剣士はいない、はずだ。異能者と違って魔力も霊力も持たない『人間』である以上、異能でしか討伐できない怪異から身を守るためには武具を携行するしかないのだから。
そうなれば、他の職務関連……事務員や警察か?もしくは怪異関連の事件の調査の折に知り合った一般人等だろうか。
風早さんのことだ。有能な人物と見ればすぐに欲しがる。しかも『風早家』の有名さもあり、大抵風早さんが欲しがった人材は難なく部下に据えることができるのだからタチが悪い。
……まぁ、二度目の時の久山は若干引いていた気もするが。戸惑っていただけ可能性もあるが、初対面の大人に「欲しいな」と言われれば普通の子どもは警戒する。当たり前だ。
「……平里もしかして気になるの?」
「そこそこなー。…風早さんのスカウト癖を知ってる身からすると、どうしてもな。」
「あー……花一匁みたいにすぐ『あの子が欲しい』って言い出すもんね、風早さん。」
「そうなんだよな……」
俺と神原は顔を見合わせて、呆れたふうに力なく笑った。




