神継ぐ家門
それからしばらく経って。
ようやくやって来た医師から軽く診察を受けて、病室を移動することになった。
幸い、点滴スタンドを倒したことに言及はされなかったが、おそらく内心は穏やかではなかっただろう。子どもだからと見逃されただけだ、きっと。
移動先の病室が個室だったこともあって、神原は小狐を抱え折りたたみ式のパイプ椅子に座った。
こうして改めて見ると……あまりにも体型が丸すぎてぬいぐるみにしか見えない。これ本当に狐でいいのだろうか?
それに……いくらシンシといえども動物を病室に入れるのはマズいんじゃなかろうか。
『安心したまえー。神使は動物より怪異寄りだから病原菌の保有も抜け毛もないよ。』
「……なんで分かったんですか?」
『君、結構顔に出やすいよね〜。』
穂稀さんは楽しそうにケラケラと笑った。それとは対照的に、その声を発しているはずの小狐は神原の膝の上ですっかりリラックスしている。先程までは鏡餅みたいにころころとしていたが、今は羽二重餅のようにぺしゃんこに溶けている。猫みたいだな。
「……ところで平里。今、この狐が『神使』って言ってたけど、それならこの声は『稲荷神』ってこと?」
「いなり……?」
イナリ、いなり……駄目だ。いなり寿司以外思い浮かばない。
『ガミ』と付くってことは『カミサマ』関連なのだろうか。だが、『いなり』単体で何を示すのかさっぱり分からない。
醤油の『醤』の字みたいなものじゃないのか?
「あー……えっと、『稲荷神』は食物…特に稲作に関する神様の総称なんだけど……その様子だと知らないで関わってたの?」
「『ウカノミタマノカミ』って名前自体は知ってるが、意味までは……そもそも『カミサマ』に別名みたいなものがあること自体初めて知った。」
そう返してちらりと狐に目を向けると、風船のような尻尾を揺らしながら欠伸をしていた。
『あれ、言ってなかったっけ。咲良……伊邪那美の話をした時一緒に言ったつもりになってた。ごめんねー。』
「はぁ……そうですか。……『全知』といえども、そういう部分は抜けてるんですね。」
『元は人間だからね。そういうこともあるさ、他は会ったことないから分からないけども。』
……いくらなんでも、テキトー過ぎないか?
とはいえ、あの彼岸に直接関わる事柄ではない以上、伝えるべき知識としての優先順位はさほど高くなかったのだろう。
なおも飄々とした声色の穂稀さんに少し呆れていると、神原が驚いたように口を開いた。
「……ゼンチ?今、『全知』って言ったの?ねぇ、平里。」
「え?……たしかに言ったが……それがどうかしたのか?」
「……ねぇ。本当にこの人、『宇迦之御魂神』なの?」
……どういう意味だ?
問いかけの意味を図りかねていると、神原は小狐の身体に指を沈ませて訝しむような目をした。
「……宇迦之御魂神に、そんな逸話も権能もないんだよ。もし今平里が言ったことが事実なら、『偽神』……偽の神様かもしれないってことだよ。」
「偽物……?」
そんな訳ないだろう、と思いながらも思考はまとまらず疑心へ傾いていく。
なんで、神原は『カミサマ』について知っているんだ?それに……なぜ穂稀さんは反論しないんだ?
もしかして、神原の言うように本当に騙していたのか?
信じたいと願う反面膨らんでいく猜疑心が、治りたての頭を苛む。
穂稀さんは何も言わない。
神原も、何も言わずにただ小狐を睨みつけている。
「……」
「…………」
緊迫した沈黙。
それを切り裂いたのは、愉しそうな穂稀さんの声だった。
『……詳しいね。さすが意地でも『神』の字を手放さなかった家の子だ。』
「っ……!?」
あの時のような威圧感に気圧されて息が詰まる。だが、神原は軽く喉を押さえただけですぐに表情を繕って笑った。
「認めるの?嘘つきだって。」
『いやいや〜?ただちょぉっとばかし感心しただけだよ〜。』
穂稀さんはケタケタと心底嬉しそうな声をあげると、すっと声を潜めて囁いた。
『そうだなぁ……神原くん。君、『合祀』って分かる?』
「ゴウシ?」
『分からなければいいよ。んー……端的に言えば、別々の神様を同じ場所で祀る事なんだけど。』
「……なるほど。たしかにそれと同じことを肉体で行えば理論上は……
でも、それだと肉体強度が足りないんじゃ……?」
『それはあくまで『人の身のままで』の話だろう?神に近しくなった状態なら大した負担にはならないんだよ。……ちょっとした制約は必要だけども。』
「なるほど……と、なると二柱目は『久延毘古』?」
『そうだよ〜。大当たり〜。
その代わり、この場から移動できないんだけどね〜。』
……マズい。二人の会話が全然分からない。
『カミサマ』自身が消去したとはいえ、前提となる知識が足りなすぎる。というか、なんで神原はそんなに詳しいんだ?
さっき穂稀さんが言っていた『カミ』の字がどうこうと関係しているんだろうか。
俺を置いてけぼりにしながらも、神原と穂稀さんの会話はどんどん盛り上がっていった。
……落ち着くまでしばらく掛かりそうだな。
内容を理解することも会話に割って入ることも諦めた俺は、そっと外に目を向けた。
***
「ごめんね平里。つい盛り上がっちゃって……」
『ごめんねー。説明なしに会話が進んで、全然分からなかっただろう?』
小一時間経って熱は冷めたらしい。そう謝る二人の声色と裏腹に、小狐は相変わらずのんびりとしていた。
「別に気にしてませんよ。……ところで神原。」
「僕?」
「なんでそんなに『カミサマ』について詳しいんだ?記録とか単語は忘れさせられたはずじゃ……」
俺が尋ねると、神原は難しそうに眉を顰めた。
「うーん……?なんて言ったら良いんだろ……
神様も一枚岩じゃなかったっていうか……先祖と意気投合してたっていうか……」
『まー、アレだよね。『神原』の家門に神様を表す『神』の字が残ってるのは、神の名を語り継ぐ権利が与えられてるから、ってことさ。』
「だから分家にもそういう資料が受け継がれていたんだけど……当代の久山の当主が紛失してしまって面倒なことに今なってるんだよね。」
「なるほど……」
家門で、ということならば本家である『神原』の次期当主が後継者教育で知っていてもおかしくはない。
が、それにしても……久山の当主はやらかしすぎなのではなかろうか。それなのに年始の挨拶やら宴会に出席できるなんて、面の皮が踵並に厚いんだな。
「それにしても……神原の『神』の字が『カミサマ』のことだったとは……」
「どんな意味だと思ってたの?」
「難しい『サイトウ』の、『齋』の字みたいなものかと思ってた。」
『『上』の難しいバージョンで『神』ってことか〜。……そんな訳なくないかい?』
「形が全然違うなとは思ってましたけど……人の名前なんてそうそう気にしませんから。」
『確かにね。』
「それもそっか。」
神原は納得したように頷いて、「そうだった」と小さく呟いた。
「ねぇ、平里。ちょっと助けて欲しいんだけど。手、貸してくれない?」
「……聞いてから決める。」
「サヤの両親が近々怪異に襲われて亡くなるんだけど。」
「先に言え。
罠でも張るか?それとも現場張るか?」
「やる気すごいね。」
今まで手の回らず取りこぼし続けていた悲劇。
さすがに被害者だった久山に詳細を尋ねる訳にもいかず、膨大な記録から探し出せなかった事件。
神原が詳細を知っているのなら、この事件を防ぐことができる。そうすれば、久山はあの家に行かずに済む。
「詳細を教えてくれ、神原。その口ぶりだと、日時と場所くらいは把握しているんだろ?」
「それはそうだけど……一旦落ち着いてよ。圧がすごくて話しにくいから。」
「……悪い。つい。」
「やる気があるのは有難いんだけどさ。……一応、場所は宇都宮。日付としては次の日曜日。時間は……夕方ってことしか……」
「今週!?」
今日は月曜日だから……あと残っているのは五日。あとは検査だけとはいえ、退院までどのくらいかかるか___いやそもそも退院できるか___それに、移動手段だってこの状態では手配なんて___
「……お困りのようだね。」
「その声は___!!!」
『およ?』
「は?」
突如聞こえた声に神原以外呆気に取られていると、やたら仰々しくゆっくりと病室の扉が開かれて声の主が姿を現した。
艶のある黒髪に、一目見て良い品だと分かる銀縁の眼鏡。
「……私に任せなさい。全て手配してあげよう。」
老緑色の羽織をばさりと広げ、目の前の青年___風早さんは得意げに笑った。




