黄泉帰り
真っ暗な闇の中。
見回してみてもそこもかしこも暗闇ばかりで何も見えない。それに、ひどく寒い。
と、思っていると、いつの間にか目の前に柘榴の載った膳があった。
そこだけが示されるかのように輪郭が浮かび上がっていて、この暗がりの中でも不気味なほどはっきりと見えた。
・・・・・・そういえば、喉が渇いたな。
目の前には瑞々しく、甘い匂いを漂わせた柘榴が、ご丁寧に膳に載せられている。
食べていい?
食べていいはずだ。
食べなければ、?
吸い寄せられるように柘榴を手に取って半分に割る。手に汁が付くのも気にせずに一粒摘み上げて、口へ___
と、不意にその手をぴしゃりと叩かれた。
その拍子に柘榴は手から零れ落ち、どこかへと転がっていった。
「・・・・・・黄泉竈食はダメだって、穂稀は君に教えてくれなかったの?」
聞き覚えのない女の声が、呆れたように囁いた。
甘ったるい、熟れ過ぎた果実が蕩けたような臭いがする。
あれ、俺は、この香りをどこかで・・・・・・?
「・・・あんた、誰だ・・・・・・?」
声のする方を向いたが誰もいない。不思議に思っていると、今度は別の方向から声が聞こえた。
「死者の国の神の姿を見ようとしないの。・・・こんな姿、穂稀にだって見せたくないんだから。」
ふわふわと漂う水母のように声の主は視界の外で軽やかに呟いて俺の背を押した。
「だから、穂稀のこと神域内に呼ばないでくれてありがとう。」
視界に白いヒビが入り、暗闇が崩れ落ちていく。
それと同時に、意識がどんどんと遠のいていく。
「・・・今度こそ、ちゃんと『××××』を殺してね。炎神さん。」
寂しそうな声が聞こえた直後、俺の意識はぷっつりと途絶えた。
***
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・・・・うるさい。
機械の作動する低いモーター音。ガチャガチャと金属の当たる音。
なんで眠っていたのか分からぬまま目を開けると、ずっと暗闇にいて光に目が慣れていないかのように眩しくて白飛びしてしまい何も見えなかった。
おまけに、喉が乾ききっていて引き攣るように痛い。
・・・・・・なんだ?何があった?
回らない頭で混乱していると、ぺしっと額に小さな衝撃が走った。微かな痛みを感じるとともに、頭にかかっていた霧が晴れたかのように思考が明瞭になり、視界も色彩を取り戻した。
「・・・・・・起きた?」
「・・・・・・・・・・・・神原!?」
まだ幼い・・・二次覚醒以前の茶色い髪に灰色の瞳だった頃の神原棗が、俺の顔を覗き込んでいた。
「何か食べれそう?桃缶ならあるけど。」
「桃・・・」
神原はそう言って足元のクーラーボックスから缶詰を取り出して俺の顔の前で軽く振った。
「・・・・・・食べる。」
「よかった。」
俺が頷くと神原は安堵したように小さく笑った。そしてプルタブを引っ張り蓋を剥がすと、これまたクーラーボックスから取り出したフォークでシロップ漬けの桃を小さく切り分けてこちらへ差し出した。
「ありが___・・・?神原?」
受け取ろうと手を伸ばしたが、神原はむすっとしたまま全くフォークから手を離そうとしない。
それどころか、柄を握りしめたままフォークに刺さった桃をこちらにぐいぐいと勧めてくる。
「・・・」
「・・・」
・・・・・・このまま食えってことか?
この表情のときの神原は頑固だから、説得してる間に桃がぬるくなってしまうだろう。
・・・仕方ないか。
諦めた俺はそのまま差し出された桃に齧りついた。ひんやりとした甘みが痛む喉に心地よい。
「おいしい?」
そう言って楽しそうにこちらを見つめる神原の様子に、ふと違和感を覚えた。
・・・・・・まだ神原とは今回の人生では初対面のはずだ。にも関わらず、こんなふうに接してくるということは・・・・・・
桃を飲み込んでじっと神原の瞳を見つめると、時折金色の光が瞬いていた。
「・・・神原。」
「何?おいしくなかった?」
「いや、そうじゃなくて・・・それ、どうやって偽装してるんだ?」
俺がそう尋ねると、神原は一瞬いたずらのバレた子どものような顔をして頬を膨らました。
「気付いてたんなら早く言ってよ。」
ことん、と病床の横の小さなテーブルに缶詰とフォークを置きながら、神原は不満げにそう言った。
「今気付いたんだ。それにその態度からして二次覚醒してる・・・既に思い出している、ってことでいいんだよな?」
俺がそう尋ねると、神原はばつが悪そうに頷いた。
「僕の場合、髪の色も目の色も変わっちゃうから『二次覚醒した』ってすぐ分かっちゃうし・・・それでサヤが最初から僕に張り合う気なくしたら困るから。本来なら、中等部一年生の年始までは拮抗してた訳だし。
だからこう、霊力を抑えてみたらできた。」
「へぇ。すごいな。」
確かに記憶の中よりも若干色味の薄くなった髪を眺めて感心していると、神原は不安げに髪をひと房引っ張った。
「・・・・・・サヤにバレちゃうかな、これ。」
「大丈夫じゃないか?俺も至近距離でじっくり見てやっと気付いた程度だし。
・・・それに、久山はそんな程度でやる気なくすような性格してないと思うけどな。」
あの頃の久山は反骨精神というか・・・逆境に対する反抗心がかなり強かった。周囲から「お前には無理だ」と言われれば言われるほど、より勝とうと躍起になっていたのだから。
「そうかなぁ。・・・だったら、いいんだけど・・・・・・」
神原は小さく呟いて、何かを堪えるようにぐっと両手を握りしめた。
「神原・・・」
「・・・・・・先生呼んでくるね。もう大丈夫そうだし。」
「神原、」
「平里は寝てていいよ。ひと月も昏睡してたんだから。」
神原は俯いたまま有無を言わさぬ様子で病室を出ていった。
「ひと月、か・・・・・・」
以前はこんなことはなかった。
俺の少しの選択で、全てが変わって___小さなひびひとつで堤防が瓦解してしまうような、そんな嫌な予感がした。
きっと、神原も同じ不安を抱いたはずだ。風早さんは・・・どうだろうか。あの人は常に冷静で楽観的に振る舞うから誰も真意を悟れない。
本音が見えたのは・・・あの彼岸の時くらいだろうか。繰り返しているにも関わらず慣れることもできずに「今回はどうか」と期待しては裏切られ続けている。
この予感を杞憂で終わらせるには、どうすればいいのだろうか。俺に何ができるのだろうか。
何を、してやれるだろうか。
白一色で塗りつぶされたかのような部屋。一人取り残された俺は、そっと神原の出ていった扉を眺めた。




