狐
何かが、おかしい。
道とも呼べないような獣道を突き進みながらも、どこか得体の知れない不安感が募ってゆく。
とんでもなく重要な何かを、見落としているような___。
何だろうか?わたしは一体何に気付けていない?
冷や汗が背筋を伝って落ちてゆく。咲良に手を引かれるままに歩を進め、そして・・・。
「キューン!」
「わっ・・・狐?」
一匹の狐が目の前に飛び出してきた。狐はキュンキュンと何かを訴えかけるかのように鳴くと、わたしたちが来た方向へ駆けていった。
あっちは、大伴曹長が___・・・?
あれ?そもそもなんで追撃されていないの?
・・・しまった!これは
咲良とわたしを誘き出すための
「咲良!」
罠だ!!!
咲良の手をグイッと引き寄せて急ぎ足で折り返そうとした。その時。
私の胸を、何かが貫いた。
「え?」
地面が傾いで、いつの間にか空を見ていた。
逃げなきゃ。
あれ?
動かな、?
咲良が、咲良が何か言ってるけど、分からない。
ああ、誰か来る。
汚してごめんね。
逃げて。
バラバラに散っていく思考の内で、最後に目にしたものは。
「死なないで」と泣いた咲良の無垢な願いが、歪な呪いとなって全てを飲み込んでいく様だった。
***
「・・・で、後はご覧の通りさ。無様だよね。」
ホマレさんはそう言って苦笑した。
「まさか『死なないで欲しい』が死を取り上げることだなんて、咲良も思ってなかったんだろうけどさ。」
「・・・随分と歪んだ解決方法を寄越してくるんですね、カミサマとやらは。」
「そうだねー。・・・ま、この場合咲良に依ってた神様が『死』も司ってたのが運悪かっただけかもしれないけどね。」
「『死』?そんなものにまでカミサマがついてるんですか。」
「うん、そう。伊邪那美命。数多の神々の母にして、黄泉の主。・・・あ、黄泉っていうのは死後の国のことね。」
死後の国___。なるほど、あの霊域は死後の国を表していたのか。あの無数の手は死者のものだとして・・・なら、石積みと鳥居ははなんだったのだろうか。
「ん?何か気になることでも?」
「・・・その、あの彼岸の霊域がヨミだとして・・・石積みと鳥居はなんの意味を持つのだろうかと。」
「ああ。そういう事ね。石積みは多分、賽の河原が元になってるんだと思うよ。」
「サイ?」
「幼くして死んでしまったら子供たちが、死者の国へ行けずに、その手前を遮るように流れている川___三途の河原でひたすら遺してしまった両親の供養の為に石を積み続けるってお話があってね・・・。・・・厳密には仏教っていう別の宗教由来なんだけど、長い時代の中で一緒くたになってて・・・ま、この辺の話は長いから割愛しよう。」
「・・・つまり、あれはヒノモトにおけるあらゆる死者の国、死後の国の具現化だと?」
「そうだね。咲良はオカルトホラーっぽいの好きだったから・・・。」
そこまで言うと、懐かしむようにホマレさんは目を伏せた。
「・・・それなら、鳥居もなにかそういう意味が・・・?」
「いや、多分そっちはもっと単純な理由だと思うよ。」
「と、いうと?」
「鳥居ってのはさ、神様の領域と人の領域を隔てるものなんだよ。つまり」
「・・・霊域内部の鳥居が、元々の霊域の縁だった?」
「そういうこと。そんでもって、手前側の怪異が弱かったのは、鳥居を潜る度に消耗させられてたから、だね。」
ホマレさんはそう言いながら、くるんっと指先を回して俺の鼻先をつついた。
「他に聞きたいことは?」
「・・・なら、なんでわざわざ俺だけをここに招き入れたのか、教えてくれますか?」
仙女の指先を払い除けてそう問い掛けると、目の前の彼女はふむ、と機械じみた動きで口元に手を宛てた。
「いつから、気付いていたんだい?」
「違和感は最初から・・・でも、『招かれていた』ことに気付いたのは先程の昔話を聞いた時です。」
ゆっくりと、空気が緊張していくのが分かる。それでも、俺は言葉を続けた。
「一度目は精神が追い詰められている時、二度目は罠に気付かなかった時。両方ともあなたが窮地に陥る前に狐が現れていますよね。」
「そうだね。結局、間に合わなかったけど。」
「そして、俺たちが映画館に来たあと。俺が一人になった途端に狐が来たんです。そして俺は無意識のうちに手前の扉ではなくここに繋がる扉を選んだ。・・・ホマレさん。あの狐こそがあなたの権能なんじゃないですか?そして、それを使って俺をこの場所に招いた。違いますか?」
詳細までは分かりませんが、と付け足すと、ゆったりとした動きで仙女は頬杖をついて微笑んだ。
「及第点・・・ってところかな。あの子たちは権能ではなく神使___神様の伝令役みたいなものだからね。私の一部ではあるけれど、権能とは別なんだよ。」
「つまり・・・あなたがここに閉じ込められているにも関わらず外の情報を知り得たのは、あの狐たちが情報収集して伝えていたから、と。」
「そうだね。・・・あー・・・君が聡い子で助かったよ。さすがはあの神原棗がわざわざ意図的に記憶を残してただけはある・・・。」
なるほど。神原がわざと記憶を消していなかったからそれなりの価値があるんじゃないかと思われていた、と。そんなことまでしてたのか、アイツ。
・・・・・・。
・・・。
「・・・ホマレさん。」
「なんだい?まだ聞きたいことでも」
「一緒に行きませんか。あの彼岸に。」
「・・・・・・・・・え?」
ホマレさんは目を丸くして動きを止めた。それに構わずに目を逸らさずに、問い掛ける。
「後悔、しているんでしょう。だからここに、果たせなかったあの日の約束に引きこもっているんでしょう?」
「それは___」
「それなら、一緒に『カミサマ』とやらを殴り飛ばしに行きませんか。・・・俺自身も、突破口が見えた以上、やり返さないと気が済みませんし。」
俺はそう言って、祈るように手を差し出した。仙女は、彼女は、穂稀さんは。驚いたような、泣き出しそうな、そんな表情を浮かべて___
そっと、俺の指先を弱々しく握った。
「・・・・・・怒っても、良いのかなぁ。」
「良いんですよ。それはきっと、あなたが一番分かっていることでしょう?」
「そうか・・・そうだ。喧嘩したって、大好きなことに変わりないんだもんね。そうだ、そうだった・・・・・・忘れちゃってたなぁ。」
穂稀さんは潤んだ瞳から涙がこぼれ落ちないように上を向くと、パシンっと両手で頬を叩いて気合を入れた。そして俺に向き直ると、今度は自分から手を差し出した。
「君に賭けてあげるよ、平里蓮くん。」
「任せてください。・・・今度こそ、必ず終わらせましょう。」
柱の隙間から伸びる手を握り返して、頷きあった。すると、不意に穂稀さんはなにか思い出したかのように「あ」と呟いた。
「そうだ。まだ君に真名を教えてなかったね。私は望月穂稀。困った時に呼んでね。手を貸してあげる。」
「望月・・・ってまさか。店長の・・・」
「そのまさかだよ。君が駿河に来ることになったのも、あの店で働こうと思ったのも、ぜーんぶ私の思惑通りだった、って訳だよ。」
「なっ・・・いつの間に・・・」
「あはは。狐には気をつけなきゃ。・・・あ、ちなみに今の店長さんは私の兄の子孫だよ。先祖代々伝言を受け継いでもらってたの。」
「伝言?」
「君も見たんじゃない?『全知の仙女』と『三保の松原』って。」
「あっ・・・・・・って、ん?三保の松原・・・」
「どうかしたのかい?」
どうも引っかかって首を捻ると、穂稀さんは怪訝そうな表情でこちらを見た。
「『全知の仙女』は穂稀さんかかってたじゃないですか。それなら、『三保の松原』は何にかかっているんですか?」
「ああ。それはね・・・」
そう穂稀さんが言いかけた直後。
突然、警報音が鳴り響いた。




