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いと愛しき君たちへ  作者: おおよそもやし
序章:彼岸
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三月十七日②

「失礼します。」


少し上がった息を整えながら事務室のドアノブを回すと、さすがベテランと言うべきか、既に見知った顔がほぼ集まっていた。


「平里、久山。二人とも早かったね。」


驚いてもいないくせに、意外だとでも言いたげな口調で風早さんは俺たちにそう話しかけた。まだ本来の始業時間まで一時間ほどあったというのに、糸屑ひとつ付いていない、完璧な出で立ちで制服を身にまとっていた。


まぁ、風早さんもこの事態が起こることを知っていたのだから、当然ではあるのだが。



「すぐそこの休憩室にいたので。・・・あ、テレビつけっぱなしで来ちゃった。」


しまった、と久山が呟くと風早さんはクスクスと笑って手元の真っ白なタブレット端末を指で叩いた。


「こっちでも切れるから心配しないで。・・・あとは茜塚が来れば全員かな?」


風早さんはそう言ってぐるりと部屋を見回した。

必死にパソコンに何かを打ち込んでいる事務員たち。モニターに表示される波形に頭を抱えて震える新人。そしてその新人に簡単な作業を指示する中堅。

床に転がったままのタイムカード。乱雑に端に寄せられた日次書類。積み上げられた過去の報告書のファイル。鳴り止まない電話。

この部屋の様子全てが、今回の霊域が今までのものとは比べ物にならないことを示唆していた。


「・・・。」


甲級の霊域だと思っていてもこれなら、彼岸級だと判明したらもっと酷いことになるだろうな。

これから起こることを知っていても。ループ前のことを覚えていても何も出来ない無力感に俯くと、ふと、誰かが俺の袖を引いた。


「平里、緊張してる?」

「神原・・・。」


白銀の髪の青年___神原はそう問いかけると、こそっと何かを俺の手に握らせた。手を開いて見てみると、赤い包み紙の飴玉だった。


「後で食べなよ。緊張しっぱなしは良くないし。」

「・・・ありがとう。」


お礼を言って受け取った飴をポケットにしまうと、神原は安堵したように微笑んだ。

と、その時。バタバタと忙しない足音が廊下から聞こえてきた。今回はぶつからないように、とドアを開いて押さえていると、一人の黒い髪に鮮やかな深紅の蝶の髪留めをしている女性が飛び込んできた。


「あああああ・・・すみません遅くなりました!」

「大丈夫だよ、茜塚。まだ五分も経ってない。」


安心させるようにそう言うと、小鳥遊はおかっぱ頭の左右に結われている大きなリボンをぴょこぴょこと揺らしながら茜塚に近付いた。


「小鳥遊先輩、甘やかさないでください。・・・茜塚、非番だったとはいえ気を抜きすぎだ。もう少し甲等級陰陽師であるという自覚を持て。」


先程まで静かにその様子を見ていた生真面目そうな大柄の青年がキツい口調で注意すると、茜塚はしゅんと縮こまった。


「うぅ・・・はい。おっしゃる通りです・・・。」

「大岩、そこまで言わなくても。規定にだって十分以内に集まるように、としかないんだし。」


見かねた神原が見てる方が居た堪れないくらい落ち込んでいる茜塚に助け舟を出した。

が。


「だとしても先輩方は警報器が鳴ってから三分程度で然るべき取るべき行動を取っていたでしょう。特に神原先輩。」

「え、僕?」

「サイレンが響いた直後の完璧な指示出し。そして機材や装備の手配。誠に素晴らしい手際の良さで感服致しました。」

「あ、ありがとう・・・?」


ビシッと背筋を伸ばして立て板に水ですらすらと賛辞を述べる大岩にたじろぐと、神原はとりあえずといった風にお礼を言った。


「はい、そこまで。今が緊急事態だってこと忘れないでね。」

「すみません。」

「申し訳ございません!!!!!」


風早さんの言葉に二人はハッとして謝った。


今、大岩の声が大きすぎて神原の声が聞こえなかったな・・・。


心配になって久山の方を見ると耳を押さえて苦悶の表情を浮かべていた。耳が良いとこういう時に苦労するんだな、可哀想に。


「大丈夫か?」

「大丈夫・・・。甲等級くらいなら何度も攻略してるし・・・。」

「・・・そうか。」


心配して声を掛けると、久山は意味を勘違いしたらしく見当違いな返答をした。・・・まあ大丈夫ならいいか。


「ピリピリするよりは良いんだけど・・・うーん。」


ぼそっとそう呟くと、風早さんはホワイトボードをガラガラと引っ張ってきた。


「はい注目。」


その言葉に、先程までと打って変わって一気に全体がピリッと引き締まるのを肌で感じた。

その変化を気に留めない様子でくるくると備え付けの指示棒を伸ばすと、風早さんはホワイトボードの中央の地図を指した。


「まず今回発生した霊域の位置はここ。」


くるくると棒の先で小さく円を描いて位置を示す。


「出雲エリアの東端、伊賦夜坂・・・揖屋の丘全体が霊域化している。」


そこまで言うと、風早さんはマーカーで地図に情報を書き込み出した。


「異界侵食率は目視で三割程度。まだ山道の原型が残っている状態。霊域外への怪異の流出速度は平均四体/時間。難易度は甲級相当との見込み。」


風早さんは淡々と手元の端末に送られてくる情報を読み上げると、「ここまでで質問は?」とこちらを振り返った。


「揖屋って松江のですか?」

「そう、海が近いところ・・・。」


神原の質問に答える途中で、風早さんの手にしているタブレット端末からピロンっと短く電子音がした。新規メッセージが届いたらしい。トントン、と慣れた手つきでメッセージを開くと風早さんは引き攣った表情で固まった。


「・・・は。」

「どうかしましたか?」


何事かと心配そうに問いかける神原に、ゆっくりと口元を押さえながら目を向けると、風早さんは掠れた声でなんとか途切れ途切れにメッセージの内容を読み上げる。


「霊域は攻略司令が。攻略班は指定、メンバーは・・・。メンバーは。」


名簿データを見た風早さんは一瞬迷ったように目を泳がせたが、すぐに覚悟を決めたようにまっすぐ前を向いた。


「神原、久山、小鳥遊、平里、大岩、茜塚。」

「以上六名は甲級霊域攻略班として明朝までに出雲支部へ出向するように。」


これが、あの惨劇の始まりだった。


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