三月十七日①
三月十七日
午前七時十一分
突然、空が暗く陰った。
太陽が雲に隠れたのかと見上げると、山から黒い煙が上がっていた。
山火事にしては火が見えず、不思議に思いじっと眺めていると、突然煙がどろりと泥のようなものに変わって地上に一筋落ちてきた。
そしてその泥が地上に達したと思った時。
気がつけば、辺りは化け物で溢れ返っていた。
どうやって生きて帰って来られたのかは分からない。
だが、地獄とはああいう場所のことなのだろう。
___生還した民間人の証言
***
「ひらさとー。ねーえ。」
「はいはい。」
陰陽寮星辰支部西館。休憩室のベンチに座ってブーツのベルトを締め直しながら俺がそう返すと、久山は不満そうに俺の背中にじゃれついた。
「構ってよー、ねー。」
久山はバシバシと背中を叩きながらぶーぶーと文句を垂れると床に座り込んだ。
「暇ぁー。」
「はいはい。」
足の横に座り込んだ久山はちらっとこちらを見ると、諦めたようにむすっと膝を抱えた。
「兄さんも平里もなんか今日冷たくない?」
「・・・別にいつも通りだろ。お前がいつもよりウザったいだけじゃないか?」
「酷くない?」
「酷くない。」
そこまで言う必要ないじゃん、とほっぺたを膨らませると、久山はそっぽを向いて沈黙した。
「・・・蓮蓮のばーか。」
「下の名前呼ぶな。」
「えぇー、別にいいじゃん。別にフルネームを怪異に知られても自分から名乗らなきゃ真名を握られたことにはならないってだいぶ前の論文で言ってたよ?」
「だとしても今更過ぎるだろ。それに怪異の寄り付かない結界都市内ならまだしもここ外だぞ。『実は上級怪異には適用されません』とかだったらどーすんだよ。」
「確かにー。」
久山は納得するとぴょんっと立ち上がって壁に備え付けてあるテレビをつけた。
左上の時刻表示は七時三分。テレビの中では数人が談笑しながら最近のトピックについて説明している。
「へー。あの剣士課の子、全国大会優勝したんだ。すごいなー。」
そう呟きながらテレビの前に座り込む久山を横目に、俺は自分の呼吸が浅くなっていくのを感じた。
七時十分。話題は変わりデフォルメされた地図が表示される。そして小さく太陽や雨傘のアイコンが地図上に点々と現れた。
「今日この辺くもりかぁ。・・・っていうか最初に天気予報やって欲しいなぁこの時間なら。」
十、九___。
「平里もそう思わない?」
八、七、六___。
「平里?」
五、四、三、二___
一
「ねぇ平里、どうかした___」
久山の言葉を遮るように突如、けたたましいサイレンが鳴り響いた。テレビの中では慌てた様子のアナウンサーが緊急速報を読み上げている。
画面の三分の一ほどを埋める赤と白のテロップにはデカデカと『出雲に霊域発生、甲級相当か?』の文字が表示されていた。
「え?嘘。そんな兆候今まで・・・。」
引き攣った顔で久山がそう零した。俺は立ち上がって久山の肩を掴んだ。
「久山、行くぞ。」
「・・・そうだね。行こう。」
久山はパンっと頬を両手で軽く叩くと、俺の手を握った。
「とりあえず風早所長のところに行こっか。多分みんなそこに向かってるだろうし。」
「そうだな。今の時間帯だと・・・まだ事務室だろうな。」
「了解!じゃ、急ご。」
「ああ。」
緊張で悴んだ指先を見ない振りして、俺と久山は廊下を駆けた。




