一話、ギリギリを目指した変化
◆
ずっと、こうなる展開を望んでいたのかもしれない。
「……」
肩から力を抜く。だってもう手遅れなのだから。
自分以外の誰かに自分の脳の主導権を渡すのは怖い。だって裏切るかもしれないし、それは依存と呼ばれる恐ろしい行いだから
「私の行動で、君が将来に不幸になれば……私に復讐してほしい」
この人は、これからする行為をずっと待ち望んでいたはずなのに、何処か怯えている。
嗚呼……抱き締めたい。
「……例え自己愛だったとしても、あなたの自己愛には行動が伴っていました」
過去の誰かじゃなくて、綴という一怪異を見る。
「(思考を放棄して、また酷い目にあったら、どうしよう……)」
それは独白ではない。具体的な答えを求める思考手順である。そして本来、物事を考える、というのを本気ですれば答えなどすぐに出るものなのだ。
「(……その時は、報復しよう。
その時は、この決断した私の負け……ということだから、だから……嗚呼、)」
————少しだけ、この人を大好きになってみよう。
きっとこの先、この人がどれだけ良い行動をとっても、私には分からない。恐ろしく、されてもいないトラウマを重ねるだろう。
なので時間は私をこれ以上先へは進ませない。
ここで必要なのは勇気だと思う、楽勝だろう、いつもしていることだ。
◆◆◆第二章/聖女
あの日以降、アラカはその意識が希薄になっていた。
「じゃあ、持ち上げますよ」
「…………」
虚な目で、ピクリとも反応しない。
「…………」
「…………」
綴は無言で、アラカを抱き上げて移動する。
アラカはその様子を、ただ静かに無反応であった。
「…………」
綴はそのアラカを、ただいつもの疲れた様子の瞳で微笑んで返す。
「……服は脱げますか?」
「……………」
アラカに、答えはない。ただ少しだけ乱れた呼吸を漏らすばかりだ。
脱衣所で、そんな会話とも呼べない会話がなされる。
「…………脱がしたいので、脱がしても構いませんか?」
「……」(こくり)
薄暗い、脱衣所。そこに灯りはつけられていない。
浴室には、明かりがある。温かいお湯から、湯気が出ている。
一つの扉を隔てた先に見える灯りは、薄暗い脱衣所を光から遠い場所……影であることを教えてくれる。
「…………一人で、身体は洗えますか?」
「…………」
アラカの瞳に灰色の髪が映る。
————大丈夫、あの人たちじゃない、と脳を保護する。
「じゃあ私が洗っても」
途中まで言って、
「いえ、違いますね」
そう、いい直す。
————自分はこんなことしたくないけどさ。
————お前が■■■■じゃなければ。
————本当はしたくないんだよ。
「私が洗いたいので、洗わせてくれませんか?」
「は、はい……ど、どぞ」
————自分の欲望をただストレートに告げる、その在り方に、アラカは脳が保護された。
身体中に包帯を巻き、シルク下着を身に付けたアラカ。
「……」
「……包帯、外します」
「は、はい……」
傷だらけの身体から、包帯を取る。一枚、捲るとそこには、アザがあらわれる。
「(痣、切り傷……火傷傷……)」
湯気が溢れる浴室、タイルの壁に雫が垂れる。
「(これ、は……何だろう、何か。鋭利ではない何かで傷付けたような………)」
その傷の一つに、特徴的なものを見つける。
「(……この魔力、は……ミュゼ?)」
魔力を感じ取る。そしてそれは以前に出会った怪異のもので————その傷が何故治らないのかを理解した。
「……」
「じゃあ、シャンプーを流しますよ」
下着姿のまま、アラカは頭を洗われた。
「……………………ありがとう、ございます」
「役得です、こちらこそありがとうございます、ですよ」
その後、アラカは自らの足で湯船に浸かり、綴は胸を撫で下ろした。
「……また、お願いしても…」
「ええ、構いませんよ」
その日から、アラカは綴に身体を洗ってもらおうとするようになった。
それはとても大きな変化、重度の人間不信の女の子が……優しくしてくれた男性に、少しでも気を許そうと……心の限界ギリギリを攻めた行動だった。
「…………いつか、下着も着けない状態に、まで……気を許せる、かな」
湯船に浸かりながら、アラカはそんなことを呟いた……。
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