四十二話、殺人、復讐
————失恋したぁ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛!! ジュース奢るから泣き付かせろ、うわ゛あ゛あ゛あ゛!!
————アラカ、くん……ごめん、助かった。……はあ、失恋したけど、なんか泣いてスッキリしたわ。
————私の初恋の人は、どうしてアラカくんじゃなかったんだろうね。……好きだよ、アラカくん。
それは記憶、過去の記憶。
友人が友人であった記憶だった。楽しかった、日常の一部になっていた。
そんな彼女は死んだ————私の復讐で殺したのだ。
「……っ」
ビク、と目が開く。目を開くと、そこには綺麗な夜空が見えた。
「………… さん」
「おはようだ、夢見はどうかな。
まあ、今この世界も夢みたいなものなのだがね」
気が付けば自分の顔を さんが覗き込む。
軍服の少女で。不敵に、何処か大胆不敵な悪辣さを滲ませている怪異の元首領……。
後頭部に柔らかい感触がある、膝枕をされている様だった。
「……殺した、あの子のことを思い出しました」
「そうか」
目を伏せ、そっと相槌を返される。
さんは手を後ろの方へやり、身体を支えて空を見ていた。
「酷いことをされて、殺したいって……殺意をもっていても、
同時にあの子たちとの、思い出もあったんです。
優しくて、胸が温かくなる……思い出が、あったんです」
殺意を持って殺した相手は、元々友達であった人間だ。
「友達、だったんです。もうずっと昔のことですが」
袖で、顔を覆う。声が少しだけ、震えてしまう。
ダメだ、ダメだ————そんな資格あるわけない。
「………僕、殺したんです……。
アイツのこと、殺しました。
とても嬉しいんです、心が安らいで、とても軽くなって、気持ちよくて堪らないんです」
腕で顔を隠して。必死に流れる涙を見られない様に、けれども沢山なく。
泣かなければ、またダメになるから。
壊れた心と向き合うと決めたから、理不尽でも、不条理でも泣く。
「殺したとしても、どんなに不条理でも……涙を流す資格を奪えるのはいつだって自分だけだ。
————好きなだけ泣けばいい」
その声に、けれども、と拒絶の色を頭痛として頭に伝達させる。
こんなのはダメだ、こんなのは屑の行いだ、恥知らずで、畜生で、無慙無愧の所業だと唾を吐くも涙を流すことを止めたく無い。
酷い葛藤が頭をグチャッグチャにする。
「こんなの、不道徳で、最低の涙です……」
泣きかけの声で、殺して殺して殺し尽くした声でなんとか絞り出す声も、ただ自分の最低さを理解するばかりだ。
「けれど、向き合うと決めたのだろう?
ならばせめて、今夜だけは、恥知らずになりなさい」
ダメだ、泣きたい。泣きたく無い。溢れさせたく無い、胸に満ちる嫌悪。
————復讐したのになんで私は泣いているんだ。クズが。
「……泣きたいという思いと、殺してよかったという思いを、何故同時に持つことを嫌うのだね。俺に聞かせておくれ」
声を殺して、涙を抑えようとする。そんな中で さんの声だけが耳にスッと届く。
「私、は……殺した」
「そうだね、救えるのに死にゆく子を精神的に殺した。復讐を成した」
殺した、復讐をした。その精神をズタズタにして、何一つ報われない最後をくれてやった。
嬉しい、幸福で、それこそ望んでいたことだった。
「なのに、彼女の死を悼んでる」
「そうだね」
ただ静かに、鷹揚にうなづく さん。
蛍が、草の上に乗った。
少し離れた場所に、川が見える。蛍のある川は……何故だかとても、幻想的であった。
「だけど同時に、殺したことに微塵も後悔していない……。
殺せて、気持ちよかった。最高だって、そう思えてるんです」
「それは、いけないことなのかな」
「いけないことですよ」
声を荒げてしまう。その怒りさえ、不条理に対する激怒さえ、向き合うと決めたから。
「それは何故かな」
「殺した人が、殺した相手の死を悲しむなんて、どうしようもなく不条理ではないですか」
「さて、それはどうだろうか」
腕で顔を覆いながら声を押し殺すように発する。
膝枕のぬくもりが、変に心地いいのに気分が悪い。
「殺人とは、そういうものなのだよ」
その中で さんの声は、どこまでも透き通っていた。
「良い面も、悪い面も、全てを重ねて殺してしまう。
殺人とはそういうものであり、その痛みは何物にも喩えようがないのだよ」
複雑な感情が胸を占める。どうすればいいのかわからない、不快、悍ましい。殺意、その中で さんの声が、聞こえた。
「————高潔であることを捨てなさい、とあの子に言われたのではないかね」
「…! ………」
そこで思い出した、ああそうだった。と。
脳から自己への嫌悪感が滑り落ちる、また忘れるところだった。
「……すみm」
「ストップ……」
唇に、人差し指が添えられる。
「謝罪はノーだよ。
今夜は無礼講でいこうじゃないか、折角の君がこの場所に辿り着いたのだから」
愉快そうに笑んで、何処かふざけたような言葉に思わずクスリと笑ってしまう。
「………… さんも、誰かを、殺したことがあるんですか……?」
「…………」
落ち着いたところで、ふと、質問を投げてみた。
「…………」
風が頬を撫で、髪をふわりと、少しだけ靡かせた。
そして何処か不思議な……とても不思議な微笑むを浮かべて さんは話し始めた。
「……ああ、あるよ。沢山ある」
月明かりが酷く幻想的な世界で、私は さんの顔をぼんやりと、眺めていて、
「殺せてよかった、と思うことも、殺してしまった、と嘆くこともある。
その度に泣いたり、相手を見てみたり、殺したい感情と殺したくない感情を秤にかけて。
————大切な人でさえ、その秤にかけて殺してきた」
遠くを見るような瞳が、私の視界に映る。どこか遠く、果てない先を見ているような瞳だった。
「人を殺す、口にするならそれだけなのに。
それがどうしても難しくて仕方ない。
だからこそ、口で殺人を語る小物が溢れていく。実際に殺した事もない癖に、だ」
雑談だからだろう、少しだけ砕けた様子で軽く脱線をする。
それを見て、私は質問をしてみた。
「はじめての殺しは……誰に捧げたのですか?」
「小鳥と、猫だね」
小鳥と猫、そんな言葉が静かに耳を反芻する。
「今でも覚えてるよ、生きていた頃にさ……小鳥を拾ったんだ。
道に落ちていて、それを拾った。近くにガラスがあってすぐに何が起きたか理解したよ」
ガラスがあると知らず、飛び込んで頭を打った…珍しくもない鳥の末路だ。
「首の骨が折れてた。もう死ぬまで少ししかなかっただろうね。
空は曇りで、意味も分からず不安になって近くのコンビニハンカチを買った」
涙が頬を伝い、首に垂れる。
「河川敷に座ってハンカチで包んだ小鳥を眺めてたんだ。
呼吸もできないみたいでさ、何故か意味も分からず自分が無力なんだって思い続けて」
その濡れた頬を風が撫でて、少しだけ、切ない気持ちになる。
「……殺したんだ。今すぐ、殺してあげようってね。
不思議な経験だったよ、知ってる小鳥でも何でもないのに妙に息が苦しくてさ」
初めて動物を殺した時、誰もが覚えるであろう切ない気持ち。
悲しい気持ちを、怪異の元首領…… さんは教えてくれた。
「そのまま、ハンカチごと川に流したんだ」
自然と、頬を雫が伝う。悲しくないのに、辛くないのに、嬉しくないのに涙が溢れる。
不思議な涙だった。
「今思い出しても恥ずかしい過去だよ。
あんなに青い時期があったのだな……とね」
そこで不意に さんは話題を変えようと思ったのか、ポケットからココアシガレットを取り出して口に含み出した。
「煙草は止めてね。ただこれをしてると安心するんだ。
ルーティンといういやつだね」
ココアシガレットを口に含む姿をじーっと見ているとニマリと笑って口にココアシガレットを挿してくれた。あまい。
「君は……殺したことを、後悔しているかな」
草原で蛍が遠くで見える。綺麗な明かりはただただ遠くて、自分達が闇の中にいるのだと気付かせてくれる。
「……していません」
「それは何を以て判断したかな」
闇は暗く、切なく、だけどどんな光よりも……優しい、そんな安堵で満ちていた。
「同じ状況だったら、私はまた同じことをするからです。
もしこの記憶を持ったまま、過去に戻ったとしても変わらず、同じように殺すからです」
「それは何故かな」
「殺したいという思いの方が……強かったから、です。
だから何度でも、私は、殺し、…………ます……」
ぽろ。と涙が溢れ出す。そうだ、泣けばいい。復讐して、よかったと。
楽しかったと、気持ちいいと、ずっとしたかったと気付いた上で、泣くのだ。
「……ぅ、ぁ」
過去にいた友人はもう死んでいた。とっくの昔に死んでいた。
私が復讐したのは友人ではない無価値なゴミクズだ。
————友人に戻れる可能性を、極僅かだろうが秘めていた。ゴミクズだった。
「ぁぁぁああ、っ、、ぁ、っ……ぁーーー、っ゛
うわあああーーーー!!」
小さな声で、でも決して抑えようとはせずに泣いた。
顔にふわり、とハンカチを乗せられる。そのまま、恥も外聞も関係なしに大泣きした。
泣いて、泣いて、泣いて、泣いて……そのまま意識を失った。
読んでくださりありがとうございます…!