四十話、因果応報
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美術館を出て、階段を上がるとそこには生徒の姿はもう無かった。
他の生徒は先生の指示で部屋に避難させていたのだ。
「……じゃあ、あの美術館の先にババアが倒れてるので。それの回収とか、も」
「わかったわ、しておきます」
霧にババアの回収を頼むと、アラカは食堂にあった〝誰にも触れられていない箇所〟へと目を向けた。
綴の背から降りて、霧へと目を向ける。
「それで、あれは」
「ええ、とね……ちょっとアラカさんの意見を聞きたくて……動かせなかったの」
子宮からミュゼが飛び出たことで、下腹部が爆発した風魔。
死んだと思われていた彼女は、虫の息だが確かにそこで生きていた。
仰向けになり、苦痛に怯え、恐怖でグチャグチャになりながら、必死に生きようとしていた。
「(なんでまだ生きてるんだろう?)」
骨が露出して、死にかけの状態だ。
だというのに息をしていた、アラカはそれを確認するため近寄り————瞬間、道を感じた。
「(…! これは、〝私の〟眷属になってる……?)」
魔力による接続。少し、ほんの少しだがアラカの魔力が風魔に流れていたのだ。
「(嗚呼、ミュゼさんの眷属からこっちに移動したんだ……)」
そこでアラカは状況を把握する。
「(…確かこの子はミュゼさんの眷属だったから、少しだけ延命できたんだ)」
----そしてそのミュゼは今、アラカの子宮ベットで生まれて初めての安堵を満喫している。
怪異は腹に穴が開いてもしばらくは生きている、それほどに生命力が強化されているのだ。狂化と書いてもいい。
生きたいという生命の本能で暴走と暴走と暴走と繰り返して、命を繋いでいたのだ。
「(ミュゼさんを私の子宮に取り込んだことで加護の所有者権限みたいなのが私に移り、それと同時に眷属の存在も私に移った……ということ、かな)」
そしてアラカの眷属なら不死の能力が宿っていても良いはずだ、しかしそうはならない理由もあった。
「(でも私はあくまで綴さんの眷属だから、加護を持ってない。
その状態での眷属移譲という異常例……その結果が、これ、か)」
腹から破られ、骨が露出している。
なのに死んでいない。
眷属の眷属という異例極まるケース、
ゆえに再生しない。
「(この状態で生き続けてるのか、この子)」
眷属という機能の使用外のケース、ゆえにこうした〝中途半端〟が生まれていた。
「(……何はともあれ、治さなき----)」
----人間不信の己。
「……ぁ」
ぽろ、と涙が溢れる。
脳裏でトラウマが過ぎる。
————ごめんね、今日は用事っ……が……ちょ、こんなところで
————犯罪者のアンタが言っても味方なんて誰もいないんだからさ。ね? 確かに悪いのは向こうだけどさ、謝ろ?
————っ、きもちわるっ。聞いたわよ、裏で酷いことしてるクズだって。ああ、汚い汚い……
————貴方のためなんですよ? ね? わかったでしょ? 言うこと聞かないと大切な人、全員消えちゃうわよww
「…………」
表情が抜け落ちる。
その過去の影響で、アラカは女性不信になった。
男性不信になった。自傷の回数が増えた。オーバードーズをするようになった。
毒を飲むようになった、毎晩うなされるようになった。精神病は病院に連れてってもらったことがないので分からないが、幾つかあったように思う。
「…………………」
ポロポロ、と涙が溢れる。
助けようと動かした手が、止まって、動かない。
包帯塗れの腕が見える、隙間からは過去の……腕切断の跡が、残っていた。
「……ぅ……ぁ」
息が詰まり、涙がポロポロと溢れる。
瞳孔が震える、壊れそうなほど心が揺さぶられる。
「ごめん……。なさい…………」
そうして絞り出された声は、とても、心底苦しそうな謝罪だった。
「…………。ごめん、なさい……………ごめん、なさい」
膝を着き、何事かと、霧は驚き戸惑う。
「私……は……」
手で、顔を覆い。吐きそうな声で、涙声を抑えることすらできず。
「この人……たすけたく、ない……っ」
それは本音。彼女はずっと、そんな〝人として当たり前の情緒〟さえ封じてきた。
「……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさ゛い、ごめんな゛ざ、い……!」
それらが今、ようやく外れたのだ。
慟哭と謝罪。己は間違えていると気付いた上での謝罪。
「私は間違えてる、知ってる、でも、ごめん……たすけたく……ない……」
ぽた、ぽた、と涙が溢れる。だけどそれでいいのだ。
後悔も、反省もしない。
「やだよ、嫌だ嫌だ……助けたく、ないよ……こんなの、こんな、人……助けたく、ない……」
「た……ず、げ……」
死にかけの声が、微かに届く。
「……っ…………」
不快感が脳を埋め尽くす。そこで初めてアラカは気付いた。
————この子はもう救えない。救えないと自分の心がいっている、と。
「……………ぁっ……」
下唇を噛み、顔を引き締めて、風魔をアラカは見る。
涙を必死に拭い、腕の肉に爪を食い込ませて、痛みで自分を縛る。
「(私は何のために帰ってきた……?
————向き合うためだろうが)」
血が溢れる、まだ、まだだ。この体はまだ休ませない。と、自分の心ごと食い千切るような荒々しさであった。
「すぅーーー、はぁーーー」
息を吸って、吐く。覚悟を整える。過去のトラウマそのものへ目を向ける。
真っ黒な影は薄く、もうその人の輪郭も見えた。
それはアラカが直前に行った覚醒の影響。
腹部が破られてアラカよりも「弱そう」に映るゆえだ。
「君を私なら救えることができる」
風魔の瞳孔が驚愕に震える。
「なあ、聞きたかったのだけど。
何故、あんなことをしたのかな」
耳を近付けて、死にかけの声の風魔が、何かを告げる。
「……そう」
耳を離して————アラカは風魔の開かれた身体へ指を差し入れた。
「っ!? ………っ、ぁ゛……!」
指を掻き混ぜるように、ゆっくりをアラカは動いた。
「自分ばかりが助けてもらおうと……するんだ?
君は、私を助けなかったのに、ね。
人の声に、耳も傾けないんだ? 精神がズタボロの私は、必死に向き合ったのにね」
そこで初めて、風魔はアラカを見た。
そう、初めて、だ。
「君さ……————このまま、死んじまえよ。この薄汚い雛鳥が」
その瞳は確かな憎悪に濡れていた。
「…………じゃあね」
指を抜き出して、立ち上がる。
背を向けて、瀕死の風魔を放置する。
「先生。あの子を動かすかどうかは先生の判断でどうぞ。
私が離れたら魔力供給も尽きてすぐに死ぬでしょうから、それだけは伝えておきます」
そう言ってアラカは————食堂から抜け出した。
読んでくださりありがとうございます…!