一話、人類最後の希望は終了しました。
◆◆◆7/21
「薬は効いているみたいだね。
あとどれほど薬の効果が続くか分からないが、それまで少し話でもしないか」
「はい、構いません」
怪異対策局本部の上層階、一人の男と、一人の〝美少女〟がいた。
部屋は客人用のソファーが机を挟み。執務用の机と椅子が置かれているばかりである。
その全てがそれなりに値のはるものではあるがあくまで『機能性』という一点のみを選考基準している部屋は、その部屋の主の性格をそのまま表しているようでもあった。
「アラカくん……君は〝狂気〟とはなんだと思う。
精神が異常になり常軌を逸していること……それを指して狂気と呼ぶのだが……」
乾いた声で告げる。その声に哀れみや同情を誘うものは一切含まれず、ただただ巌のような印象ばかりだ。
「人の狂気は、いったいいつ生まれるのだろうね。君の意見が聞きたい」
男……怪異対策局本部の長を務める菊池正道はそう尋ねる。
「……いつ、ですか」
その問いに鈴のような声が返された。日本人とは思えない銀色の髪がサラリと肩から零れ落ちる。見るだけで彼女が〝壊れている〟と分かってしまうほどに……ガラス玉の瞳は澄んでいた。
「いつでも、だと思います」
ぴょこ、と微かに自己主張する獣耳。それはこれがまともな人間であることすら奪われたという証明だった。
菊池アラカ……という〝元〟青年はある事件を境にその姿を大きく変えた。
「幸福に溢れた凡夫が、ある日偶然何かの要因によって狂気を宿すことなど誰にでもあり得ることです」
ーー犬耳の美少女だ。その影響かは不明だが、その日以降、アラカは〝異界の力〟を生み出すことがほぼ出来なくなっていた。
「その要因とは、何かな」
「……何でも、です」
ほう、と声に微塵もぶれを感じさせずに返される相槌に、アラカは続けた。
「ゲーテの描いた失恋話は失恋というありふれた要因で、自殺をしました。
ノストラダムスの大予言は大規模テロをもたらした、とすらまことしやかに囁かれます」
日常から非日常、なんでも良いのだと結論づけながら……アラカは続ける。
目の前の男が求めている答えはその先だろう、と知っているゆえだ。
「ですが……そこに法則を見出すのなら」
鈴のような声で、愛らしい容姿で、身体中に包帯を巻いている痛々しい少女は平然と告げた。
「弱さが狂気の温床なのだと、愚考します」
狂気に落ちている人間は総じて『弱者』だと。
「そうか……ノストラダムス現象、か」
話を聞いて、正道は椅子を回転させ背を向けた。
夜景が見える、残業の明かりがポツポツと見える。正道は瞳を閉じて、全ての明かりが真っ赤に染まる世界を幻視した。
「アラカくん……これから世界は狂気に溢れるだろう。
神秘の失われた現代のノストラダムス現象が起こるよ」
正道は立ち上がり、アラカへ頭を下げた。
「今まで、すまなかった…………君一人に、負担をかけてしまった」
今日、政府からある許可が降りていた。それは菊池アラカの前線脱退の許可である。
アラカは能力が発現してから五年以上、人類守護に駆り出され続けた。その任がようやく解かれるのだ……彼がいなければ終わってしまうこの世界でそれが意味する中で、だ。
「そうですか」
冷めた声で返答がくる、とてもじゃないが15歳の子供の声とは思えなかった。
声の雰囲気だけでもう察し〝させられる〟、これは壊れている、と。
根っこのところから欠落している、終わっている。壊れている……救いようがない。
「これから世界は、滅ぶだろう。
世界が滅ぶまで、どれほどの時間が残っているかは分からないが……どうか、安らかに過ごしてくれ」
「やす、らか……」
ピキ、とアラカの頭に痛みが走り。
『ねえ、安らかな日々が過ごせるの。私。
だから笑って…?』
脳裏で不快な、アラカの大切な人の『最もみたくない光景』で埋め尽くされた。
そして鼻血が溢れ、それをみてハッ、と正道は気付く。
「……ぁ」
涙がホロリ、と溢れ、頬を伝う。それをみて正道は何処か冷静にアラカへ語りかける。
……そして心の奥底で憐れむように、そしてその対応に慣れた自分に、何処か冷めた感情を覚えながら。
「ああ、この単語もトラウマのフラッシュバックになるのか……少し待っていなさい、すぐ主治医を呼ぶ。それとこの単語は二度と言わない、ソファーで休みなさい」
鼻血と涙がぐちゃぐちゃになりながら、瞳から色が抜け落ちているアラカ。
廃人……と言っても差し支えないほどに精神的な欠陥を受けているアラカを男性はゆっくりとソファーへ誘導する。
「汚しても構わないから、さあ、ゆっくり」
「…………」
主治医がすぐに現れ、アラカの腕に注射を刺すとアラカはすぐに安定してそのまま意識を微睡に落とした。
「とりあえずアラカくんを客間に運んで……ああ、それとこれを使いなさい。夢見が幾らか良くなるだろう」
数少ないお香集めという趣味。その中でも若い子の好みそうな香りのものを主治医の女性に渡す。
「(このお香……確か相当高かったような……)」
思いつつも主治医の女性はお香を受け取り、アラカを抱き上げて……。
「……軽い」
と、小さく呟いた。
「……そう言えば前任者は、精神が病んで引き継ぎも対してしてないのだったな」
彼女には以前の医者が付いていた。しかしその全てがアラカの異質すぎる壊れ方に感情移入をして、心が病んで逃げ出した。
「食欲も酷く抜け落ちている。消化の良いものなら2日に1度のペースで何とか食べられる程度には回復している。それと」
アラカの手足に正道は触れると。
「寝かせる時は右腕と左足を〝外しておいてくれ〟」
義足と義手を外した。アラカの身体にはもう四肢が二本しか残っていない。
その事実に主治医が驚愕し、思わず「……ひどすぎる」と漏らした。
それに対して冷めた声で正道は返す。
「気にするな、無理にでも戦闘させろとの政府からの命令を遂行させたらこうなっただけだ」
そう告げると主治医はドン引きして、一瞥してからアラカを別室へ運んだ。
◆◆◆
20XX年、地球にとある能力を宿した化け物が発見された。
特殊な能力を宿した化け物は無差別に人類へと殺意を向けた。
当然、人類は反抗した。まず包丁を手に取り刺した、盾を使ってみた、銃に毒に爆弾と、持てる破壊は大体やった。
ーーその上で怪物には一切通用しなかった。
怪物は包丁をすり抜け、盾を溶かし、銃に毒に爆弾はのれんに腕押しとしか思えないほどに霞を切った。
ーー数ヶ月後、人類から一人の英雄が生まれた。何も効かなかった怪物を〝異界の力〟を用いて鏖殺し、人々を助けては、光となろうと奮起した。
彼の〝対怪物能力〟を何とかエネルギー抽出という形で確保した人類は、ギリギリの攻防を演じるに至ったのだ。
ーー彼の心がぐちゃぐちゃに壊れる、その日までは。
一人になった部屋で、正道は机に置かれた資料を開く。
「報告書を読んだが……これは、本当に酷いな……もう戦え……なんて、言えるわけがない」
菊池アラカの精神崩壊は何故起きたか、それを調べさせた資料だ。
内容の胸糞悪さに思わず唾を吐きかけたくなる衝動に駆られる。
「こんなことができる奴を同じ人間だとは思えないし、思いたくもない」
ばんっ、と乱雑にゴミ箱へと捨てる。
「大切な人たちが、家で
それはそれは幸せそうに犯されていて?
アラカくんはまるで空気みたいに扱われてる中でコンビニで買ったカップ麺を涙こぼしながら無言で啜ってた、と。涙の跡が拭かれずにあった辺り、本当に色々と酷いな」
内容を可能な限り、分かりやすく要約して吐き捨てる。これでも相当オブラートな表現なのだ。内容では個々の会話やアラカの写真などが資料としてあり、その壮絶さは吐き気さえ催す。
想像するだけで胸糞悪くなるような環境だ。そんな中で、過ごせばなるほど、心など簡単に壊れるだろう。
「イジメに、精神が壊れるほどの虐待環境、そしてそんな奴らを守るために日々戦わされていた……か。この環境で、どれぐらいの時間を過ごしてたのか」
想像するだけで気分が悪くなる、窓を開けて空気を入れ替えようとする。
「(……アラカくんが療養するとして、どんな環境に置くべきか……
少なくともこの資料に関わりのある人間とは距離を置かせるとして……
あとは世話役も必要か……
あと、男女の関係辺りでトラウマが蘇る可能性もあるので配属するのは全員同じ性別にしよう)」
そこではて、と考える。
「世話役は男だけにするか、女だけにするか……ふむ」
とりあえず正道はイメージをしてみた、その上でどちらが良いか判断しようという考えだ。
「(女性だと……今のアラカくんは女性なので幾らか世話もしやすいだろう。
ふむ、それと男だけの場合は……)」
ピキ……グラスにヒビが入る。
「(アラカくんの世話役するならば、最低でも私以上に強いやつでなければ認めん……)」
その表情は正しく修羅だった。
菊池アラカ……その名からも分かるようにアラカは正道の養子となっていた。
それは表では『名目上の保護者を直属の上司が務めている』というだけのものだった。
「(……この感情は)」
『名目上の親』……ゆえにその感情は本人にとっても予想し得ないものであった。
その感情を前に正道は観察と解析を行い……。
「(なるほど、アレは後継者にするのと同じような教育を施していたな。
それによって使われた私の時間と労力が無為に消失する末路が心底不快なのか)」
菊池正道。正しさのみを求めた男は根っこの部分がズレた、けれどもそこまで外れてもいない落とし所を見つけて己に言い聞かせた。
「(努力の時間が泡に消えるのは確かに不快だ。ならばアレには幸せになってもらわねば時間をかけた甲斐がない)」
この男はそう言う馬鹿だ。そのため親友からも「お前馬鹿だろ」と呆れながらに溜息を吐かれるのだ。
「(やはりやめだ。アラカくんにこの後、何処へ行きたいか決めさせよう)」
己の最後の地は『過去とは関わりながない場所』にさせようと正道は思っていた。
出来れば物語に出てくるような、風の心地よい暖かい場所で療養させる予定だった。
しかし正道の気が変わった。いいや、気が変わったというより『アラカ自身を見るようになった』と表現すべきだろう。
己の闇に牙を剥くか、それとも苦しいことから逃げ出して、優しい場所で最後を迎えるか。どちらでも正道は支援をするだろう……それを『己の労力と時間の価値をゼロにしないため』という的外れな心根のままに。
「(あ、でも世話役は全員女性にさせる)」
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