五十四話、こいつ嫌い。
自分の感情を無意識に偽って、自分の自由意志で自分の感情捩じ伏せてるやつ大嫌い。
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始まりはただ、興味だった。
幼い頃から、家にいる、年上の男の子。
ただ、父も母も、その男の子をいない存在として扱っている。それだけの話。
その、小さな背中が、微塵も動かないその背中が……とても苦しそうに見えたのを、今でも覚えてる。
〝ねえ、あなたはだあれ?〟
だから、少しだけ話しかけてみた。
少しだけ、困り顔を浮かべて、母の方をチラリとみた。そして母が祖母との電話に夢中になっているのをみて…
〝ええ、と…僕はムラマサ。お兄さん、かなぁ〟
と、困り顔で、そっと答えてくれた。
とっても悲しそうで、儚そうなその声に…頬が熱くなったのを、覚えてる。
〝ごめんなさい、ムラマサくん。本当に言いずらいことなんだけど…あの子にあまり、関わらないでもらえないかしら〟
〝はい、わかりました…ただ、あの、あの子から話しかけられたら…〟
〝…とにかく、お願いね〟
そんな、会話が後ろで行われていたことにも気付かずに…
〝むらまさー! あに!〟
〝……う、うん。兄だよ…〟
〝なんでちっちゃいおこえー?〟
ただ、無邪気に、声を掛けた。
〝お前、また話しかけたらしいな。母さんが怒ってるのを見て、可哀想だと思わないのか?〟
〝はい…すみません、中学を卒業したら、すぐ出ていきますので〟
〝お前、そういう言い方やめろ! 俺が悪者みたいじゃないか!!〟
〝あっ、す、すみません…〟
この親は、たぶん悪い人だ。と、その時疑いを持った。
〝■■は凄いわね〜勉強できるし、将来はお医者様かしら〟
〝今日はご飯を食べにいこう!〟
両親は、そんなことばかり言い続ける。
けれど、私は気付いていた。
〝お前、何がしたいの?〟
〝少しはあの子を見習いなさい!!!〟
結局、彼らが周囲に優しかったのはそういうこと。
彼らは愛ではなく、殴っていい誰かのおかげで円満になっていたのだと思う。
〝ストレス、無ければ…その捌け口があらば…っ、そりゃ、円満、よ…〟
舌が噛み切れるほど、歯を食いしばる。
たぶん、私は恵まれていた、のだと思う。
仲の良い両親、優しい言葉に、優しい環境。
〝学校で賞状もらったの!? 凄いじゃない!!〟
そして私自身、恐らく才能のある方だったのだから、全ては既に満たされた。
太陽は私を祝福した。
環境は私を賛美した。
世界は私を歓喜した。
〝ピアノコンクール〟
〝成績優秀〟
〝感謝状〟
だが、常に、常に、何かが足らなかった。
〝…これじゃない〟
これじゃない、なら何なのかと聞かれても分からない。
分からないから怒りが何処へ向かえばいいのか、まるでわからない。
沸々と煮えたがるナニカ、だがそれが分からない。
〝受験失敗、かあ〟
ある時、ふと…挫折した。努力が足りず、届かなかった。本当にそれだけの話。
それなりに努力はしていたが、ただ〝それなり〟というだけでは届かなかっただけの話。
両親は憐憫の眼差しと共に慰めた。
____その時初めて、満たされた気がした。
どうしようもないやるせなさもある、どうして、という怒りもある。
怒りは怒りだし、ストレスはストレスだ。
だが同時に、こうも思った。
————こうして内心でのみ怒りを覚えているのは、兄さんと同じ感覚じゃないか?
————あの人の痛みが、知りたい。
その瞬間、その刹那に私の人生は狂ったのだろう。
胸に走る痛み、これじゃないという怒りはある。気が狂いそうな憤怒もある。だがそれさえ兄と同じなら……我慢できる。
————なら、私も苦しんでみよう。
酒をやった、アイスもキメた。
「兄さんっ、にいさんっ、にいさんっ、にいさんっ」
それは私の人生ではじめての不幸《幸福》。
薬中の猿にお尻をナイフで何度も刺された。いたい、苦しい。だけど兄さんと同じように、我慢しよう。
「ああ、にいさん、にいさん、いたい、とっても痛いよ、にいさん、にいさん」
おへそに。女の子の大切なところに、何度も何度も何度も何度もタバコを押し付けられた。あつい、切れるような感覚が、ああ、あああ、ああああ。
「にいさんーー! にいさん、にいさんっ♡」
殺される、壊される、怖い、怖い————この恐怖が、にいさんの味わった地獄。
「おいあげへ、にいさんの、とこ! いきたい、いきたい、にいさん、にいさん、にいさんっ」
目玉抉られ女ができる。左目にタバコを押し当てられる、にいしゃんっ、にいしゃんっ。
お尻に高濃度アルコール瓶を刺される。
いたい、いたい、いたい、いたい…この痛みが、兄さんへ近づけさせてくれる…っ
〝ぁ、れ、…?〟
なんで、わたひ、ないてるん、だろ
あ、そっ……か。
にいさんが、ないてるからだ。
◆◆◆
おや、また俺好みの子が来たものだね。
こんにちは、お嬢さん。俺のことは、そうだね…まあ、好きに呼んでくれ。
え? ママ? あはは、そうだね、ママだよ、よろしくね。
ブラコン拗らせて死んだ人