二十話、ストックホルム
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布団の上に押し飛ばされる。綴とは思えないほど、強引な所作だった。
「………?」
強引に投げられたことに対する怒り……よりも、何故、という疑問が前面に出てくる。
「っ……」
ドンっ……と、力強い音と共にアラカは覆い被される。
布団の上で、倒されたアラカを床ドンするように綴が覆い被さったのだ。
「…………?」
それに対して只々、疑問符を浮かべながらアラカは綴の方へ視線を————
「…………っ……」
————気が付けば、アラカは頬に、一筋の水が流れたのを感じていた。
「まっ……て……」
微動だにしない綴に、アラカはその小さな声でか細い訴えをする。
「この、服……よごした、く、ないから……まって、て」
「…………」
その言葉で、綴は動きを止める。しかし一眼見れば分かる、これは……既に爆発している。
爆発した爆弾、その爆炎を紙袋で抑えているようなギリギリの瀬戸際を揺蕩っている。
しゅる、しゅる……と、布の擦れる音が……小さな旅館で、小さく……か細く、響く。
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魂が見ろと叫んでいたら、もうそれは仕方ないので見てください。
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翌日、まだすやすや眠るアラカを背に、綴はシャツのボタンを止める。
「……………」
1つ、1つとボタンをとめる。胸の中を締めるイライラと、モヤモヤが消化されずに澱んでたまる。
「…………」
最後のボタンを止める……その直前に、指が止まる。
「…………」
「…………」
シャツの裾を、確かに摘まれていたのだ。綴の背にはアラカが、いた。
布団に横になりながら、隙から、手をそっと出して……指先で、そっと裾を摘む。
摘みながら、その背を純真な瞳で、見詰めていた。
そんな愛らしい所作で。そのシャツを摘むアラカの姿があった。
「強姦、じゃ…ない、から……いか、ない、で……」
ヘトヘトの身体で、そのか細い声で……手を摘んで、甘えるように上目遣いをするアラカ。
そしてその言葉は、綴の心情を言い当てたものであった。
「何故、気付いたのですか」
「……」
「予兆が、いくつかありました、ので……」
ポツリ、と告げられる言葉に、綴は自嘲気味に、酷く……鉛のように重い声色で、そっと呟いた。
「……ダメ、ですよ」
拒絶の、言葉を。
「子供には、相手が良い人なのか、悪い人なのか、判別ができない。
だから、未成年に対して行いそういった行動は……悪なんですよ」
それはつまり、この状況を良しとしない、そんなものだった。
「こんな、に……幸福なの、だと……しても……?」
ぎゅ、と布団を掴む。布団の下には、包帯以外、何も身に付けていない……身体中に綴の匂いが染み込んだアラカがいた。
「はい。それはストックホルムでは無いと、言い切ることもできないでしょう」
「ストック、ホルム……しょうこう、ぐん」
スウェーデンの首都、ストックホルムにあるストックホルム銀行で起きた強盗事件、その異質さからつけられた病名。
精神が極限状態に陥った人は防衛本能として、その状況を作り出した人間……即ち犯人に共感を起こしてしまう現象。
「その心が、この胸を締める熱が、全部嘘かもしれない。
虐待かもしれない、子供の精神を追い詰めた果てで、無理矢理作らせた虚像の恋かもしれない。
そんな不道徳の可能性を、どうしても許せない……カケラでも残っているのが、許せないのですよ……」
虐待、近親相姦などに、そんなケースが確認されている。
「……で、も……証明方法、なら、あり、ま………………」
「ええ、だからこそ……気づいたのではないでしょうか。
この結論に至るしかない、ということに」
ストックホルム症候群は、人間の防衛本能が働いたことで生まれた現象。
即ち、防衛本能が働かない状況にすれば自ずと解決するのだ、しかしそれの意味するものは……。
「……ストックホルム症候群、それに、陥った人、は………その身の危険性、が、無くなった後に、己の愚行を恥じた」
つまり、犯人という脅威が取り除かれた。
「(綴、さん……は、気付かないうちに、自分が、虐待してる可能性、を、危惧してるの、です、ね)」
本当に、あり得ないぐらい臆病な人だなあ、と、思いつつも……そんな常に臆病な人だからこそ、ここまで回復できたのだと、アラカは思う。
離れたくない。と……そんな想いを込めて、手を掴む。
「…………」
「…………」
夏の音が、聞こえる。薄暗い部屋で、窓の外から風の香りが、鼻に触れる。
手に込める力が、少しだけ強くなったのを、感じた。
「…………こども、できて、たら……?」
「……………戻って、きます」
「そっ、か……責任、は、取るん、です、ね……」
「こんな可愛い女の子なんです、責任を是が非でも取りたくなりますよ。
……ストックホルム症候群の判別よりも、そちらの方が、私は…………いえ……強姦した時点で、もう全てが、無意味ですね」
可愛い。そんな単語一つで子宮がぴくんと震える。
「もし、私が……一人で、自立でき、て……このストックホルムが、杞憂であったら……その時は、もう一度……捕まえて、くれますか」
「ええ……この命に、変えても。
自立のために、必要なものは……一つを除いて、全て与えています」
自立のために必要な思考作業、その全てはアラカへもう伝授していた。
ゆえにアラカの自立の道は粗方整備されていた。
「でも……う、ん……処女、散らしてもらえたので……満足、しておきます」
アラカは、綴の手を引き寄せて、頬をすりすりして精一杯、その熱を感じようとする。
けれど、ふと……手を放す。
綴も立ち上がり、アラカ
「このストックホルムの先、で……また」
「ええ、約束しましょう。
このストックホルムの先で、また」
◆◆◆
立ち去ろうとする綴さんを、その背を、私は眺めていた。
「……………」
「……っ」
「いか、ない、で…………」
ぎゅ……と、立ち去ろうとする綴さんの背中に、思い切り抱き着く。
毛布は落ちて、包帯が巻かれた身体が露わになる。
「綴、さん……いか、ないで……いか、ないで……一人は、やだ、やだ、よ………」
ポロポロ、と泣き出した。
「あんまりではないですか。ようやく、好きだと思える誰かを見つけたのに、その矢先に突き放されるなんて、苦しい、苦しい…ですよ……っ」
「それは、ストックホルム症候群、を」
————パチンっ。
「……っ……!」
乾いた音、ただ私は泣きながら、綴さんを見た。
「馬鹿っ…! ばか、ばか、ばかばかばか!
アリヤの言う通り、菊池家と親交を持つ男は全員面倒くさいっ…!!」
爆発するように、その胸の澱みをぶちまけた。
「面倒臭い…ッ…! 面倒臭い、面倒くさいっ…!」
嗚呼、でもダメだ。
「それ以上に……っ……」
もう、この人の、背中は。
「それ、い、じょう……に…………っ……!」
止められない。
「好き」
縋るように、ただ、臆病な人の胸に縋り付いて、手弱女のように泣き続ける。
「好き……大好き……っ…!」
いつか、殴り返してほしい。
ただ、泣きながら、胸のふざけんな、という想いを吐き続けた。
読んでくださりありがとうございます…!
話の進行具合は、この辺で折り返しになります。
綴を消したのは、まだ折り返し地点で恋を成就させると作者が困るからです