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第二話 精密機械再来と愛の成立

 二話目です。


 今日は試合と恋愛中心で若干、真面目です。


 よろしくお願いします。


 それからしばらく立って、俺たち、早川高校野球部は順当にコールド勝ちを収めながら県大会を勝ち進んでいった。


 しかし、無失点と言う条件の中で投手陣の失点が続き、もはや毎度のごとく、試合後には会場から学校のある舞岡まで走る事となった。


 だが、今日これから行われる試合には林田監督はコールド勝ちと無失点での勝利のノルマは課さなかった。


 何故なら、相手が夏の神奈川県予選で準々決勝を戦った建長学園が今回の相手だからだ。


 夏の時は俺たちが勝ったが、相手は一応、夏のベスト八だ。


 監督も厳しい試合になることを予想して、今回はコールドと完封のノルマを付けずに新たなノルマを課した。


 それは、どんな形でもいいから勝てと言うものだ。


「前日のミーティングでも話したが建長学園のエースの高谷は夏と比べて、速球のスピードが上がったらしい」


 JR戸塚駅から横須賀線の電車に乗って、保土谷駅へ向かう中で俺はパンを頬張る、井伊と柴原の座る隣の座席に座って、タブレット端末を動かしていた。


「それと打線も、一年生を加えてから急に打率、出塁率、得点が上がるようになった」


「うぉぉぉぉぉ! 同年代の活躍!」


「めらめらやな?」


 二人がそう言うと、俺は「そういう、非生産的なライバル心は燃やすなよ」とだけ言ったが、二人は「スポーツはモチベーションが大事!」と声を揃えた。


「・・・・・・まぁいい、とにかく今の建長学園は夏の守備型から打線の厚みが増しつつある、侮れない相手だぞ」


 そう言うと、井伊は「うぉぉぉ! あの高い精度を誇る制球力とすさまじい落差のフォークと再び戦うのか!」と叫び始めた。


「お前は、夏の時に奴のフォーク何度も打っているからのう」


 柴原が言った通り、井伊は落ちるボールを打つのが得意なのだ。


 その打撃は天才的と言ってもいいぐらいの領域だが、その点は相手の建長学園も対策を練っているだろう。


 俺はそう考えると、タブレットを意味無く動かした。


「ところでアイン?」


「何だ?」


 俺は試合の質問かと思って、タブレットを動かしていたが、井伊が「カラオケの後、真ちゃんをお持ち帰りした気分はどうだい?」と聞いてきた瞬間、俺はタブレットを落としてしまった。


「あっ、お前・・・・・・それ高いんやで!」


「・・・・・・何で、そんなことを聞くんだよ?」


 俺は自分でも分かるぐらいの狼狽した声音を吐いていた。


「いや~、まさか、アインが勇者になるとはな?」


「うん、人を愛さない冷血人間かと思っていたら、とんでもない肉食やったな?」


 そう言って、二人は右左両側からぽんぽんと俺の肩を叩く。


「勇者に乾杯!」


 そう言って、井伊と柴原の二人はペットボトルのお茶をごくりと飲み干し始めた。


「一応、言っておくが、一線は超えていない」


 俺がそう言うと、井伊と柴原は「ナニィィィ!」と言い出した。


「考えられへん・・・・・・」


「手は繋いだんだろう?」


「・・・・・・あぁ」


「そしたら、ゴーサインやろう!」


「据え膳食わぬは男の恥って言うぐらいだからな?」


 二人はそう言った後に「うん、うん」と頷いていた。


「家まで送っていったけど、お母さんからすごい目で睨まれたよ」


「うちの娘に変なことを教えて・・・・・・許せん!」


「やっていない。親御さんのことも考えたら、そんなこと出来ないだろう?」


 俺がそう言うと、柴原は「ワシやったら手を繋いだ瞬間に東海道線の電車でおっぱじめるで!」と言って、拳を点に突き上げた。


「・・・・・・それは神奈川県警のお世話になるだろう」


 俺がそう言うと、井伊は「とにかく、お前がさらに勇者の道を行くことを祈るよ」と言って、最後に二人が俺の右左の肩を掴んでポンポンと叩き「うん、うん!」と唸り始めた。


 何の儀式だよ・・・・・・


 俺はどこか冷めた感覚を覚えていると電車から女のアナウンスが聞こえた。


〈まもなく、保土谷、保土谷。ご乗車ありがとうございます〉


「監督・・・・・・着きました」


 俺がそう言うと林田は「チッ!」と舌打ちをした後に地べたに耳をくっつけた姿勢を止めた。


 すみませんね、至福のモーター音の時間を潰して・・・・・・


 俺がそう思うと、監督は選手達に「・・・・・・勝てなかったら、ランニング」と静かに呟いた。


 選手達の表情に戦慄が走る中で木村が「林田ちゃん、勝ったら?」と聞いた。


「電車なり、バスなり、使ってよし」


 それを聞いた部員達は「・・・・・・とにかく、勝とう!」と言い出した。


 すると部員達は皆、拳を突き上げ「オウ・・・・・・」と小声で言った。


 一応は電車の中なので、TPOを弁えたのだ。


 そうこうしている間に電車から降りた後に林田監督が俺に近づいてきて「高谷にはプロのスカウトが張っているらしいな?」と聞いてきた。


 俺はそれに答えて「そのようですね。どこのスカウトかまでは把握していませんが?」と言った。


「今のマックスで何キロ出る?」


「一四七キロと言ったところでしょうか?」


 俺がそう言うと林田は「一四一から、六キロも増えたか・・・・・・」と言って、笑う。


 そう言うと、林田は「負けるかもしれないな?」とだけ言った。


「指揮官が、そんなことを言うのはチームの士気に関わります」


「だから、お前だけに言っているだろう。間違っても選手には言わないよ」


 そう言った、林田は選手達が改札を出て、バス停へと向かうタイミングでスマートフォンを取り出す。


「俺は、音楽聞いているから、細かいことは頼むぞ。浦木」


「はぁ・・・・・・」


 そう言った後に、ふと林田が所有するスマートフォンの画面が見えたが、JR各駅の発車メロディーのアルバムだった。


 筋金入りのテッちゃんだな・・・・・・


 俺は唖然としながらも、球場へと向かうバスを待ちながら、選手達の数を確認していた。


 迷子はいないな?


 それを確認した後に、バスが到着し、部員達はそれに乗り込んだ。


 俺が試合に出るなら、もっと高揚感が出てくるんだけどな?


 俺は依然として冷めた感覚を抱いていることを知覚していた。


 林田はこの事を前々から指摘しているのかと思った後に俺は部員の中では一番、最後にバスに乗り込んだ。



 サーティーフォー保土谷球場のベンチへと入ると、林田が「先発メンバーを言うぞ」と言い出した。


「一番ショート柴原」


「ワシが早川の恐怖のーー」


「二番センター木村」


「はい」


「無視かい!」


 柴原の啖呵を全員が無視して、オーダーが伝えられていく。


「三番ライト木島」


「はい」


「四番ファースト林原」


「はい」


「五番キャッチャー井伊」


「このポイントゲッターの俺がーー」


「六番レフト山南」


「はい」


「へい、ボ~ス!」


 井伊の啖呵が無視される中でオーダーは下位打線に入る。


「七番セカンド坪内」


「はい」


「八番サード八田」


「はい」


 七番と八番を打つ、坪内と八田は三年生引退と同時にレギュラーの座を射止めた、二年生だ。


 ここまでの打率は低いが、その分出塁率が高く守備でもエラーが少ない。


「九番ピッチャー井上」


「はい」


 一方で井上はここまで防御率が極端に悪く、しかも控えの投手陣が手薄の為、一人で全試合を投げ続けている状況だ。


 そのようなバッドコンディションで、夏の県ベスト八である建長学園に挑むのだ。


 分が悪すぎる。


「以上だ。全員とにかく勝てよ」


「ウェイ!」


 選手がそう言って、各自準備を始める。


「アイン」


「何だ?」


 井伊が近寄ってくると「建長学園は盗塁の数が少ないらしいな?」とだけ言った。


 キャッチャーの井伊からすれば、気になる数字らしい。


「県大会に入ってから、一盗塁しかしていない」


「まぁ、そうやろうな?」


 柴原もその輪に広がる。


「何せ・・・・・・」


「見てみい!」


 柴原が指さす、建長学園のいる一塁側ベンチには先発の高谷と太った体系の選手達が手話を交えた会話をして談笑していた。


 高谷は聴覚に障がいがあるのだ。


「・・・・・・建長学園は見事にデブばっかりやな?」


「その分、出塁率と長打率が高い打撃はバントを一切しない。つまり・・・・・・」


 俺がそう言うと、柴原が「つまり?」と問いただす。


「無駄なアウトを出さない出塁率と長打で得点を稼ぐ効率の良い攻撃方法を使っているように思える。いわゆるマネーボールだ」


 俺がそう言うと、井伊は「つまり、盗塁しないのか?」と言ってきた。


「まぁ、一番にデブ据えている時点で機動力は捨てているな?」


 俺がそう言うと、井伊が「おぉう、そうしたら俺の負担が少なくなるな?」と言って、高笑いを始める。


「よく見たら、あいつらが愛くるしく見えるわぁ?」


「いや、デブだろう? いかついだろう?」


 俺がそう言うと「デブ選やスージョがいるやないか?」と柴原が反論する。


「デブでもモテる奴はモテるんです!」


 井伊がそう力を込めて言うと、俺はため息をついて、タブレットをいじり始めた。


「奴らはここまでコールド勝ちの試合が多い」


「いや~、でもねぇ?」


 井伊が茶を啜り始める。


「デブばっかりじゃないか、うん?」


「いくら愛くるしくてもここは、土俵じゃないんやで!」


「だから、その分、選球眼と一発があるから、乱打戦になる可能性があるとーー」


 俺がそう言うと、一塁側の建長学園のベンチを見ると、建長学園の面々がこちらに対して、中指を立てて、こちらを挑発していた。


「何や、あいつら!」


 柴原が走って、三塁側ベンチへと走る。


「待てい! 恐怖のテポドン!」


 井伊が後に着いて行く。


「この場合は恐怖の核弾頭と言った方が野球のあだ名としてはよくあるぞ」


 俺も後に続いて行ったが、柴原は建長学園のいる一塁側ベンチに着くと同時に「貴様ら! フェアプレーを信条とする高校球児のくせに相手チームに中指を立てるとはどういう了見や!」と柴原が激高する。


 すると建長学園の太った部員が「お前らが俺らのことをデブとかいうからだろう?」とこちらを睨み据えた。


「貴様ら・・・・・・何故、分かった?」


 井伊がそう言うと、建長学園の部員が「俺たちは高谷がいるから読唇術が出来るんだよ」と冷ややかに語った。


「まぁ、お前らのエースはポンコツだから、打たれないようにな?」


 建長学園の野球部員たちはそう言った後に高笑いを始めた。


 前の対戦の時は良好な関係だったんだがな?


 三年生からの代替わりでこうも関係が悪化するか?


 一方でエースの高谷は笑わずにひたすら俺たち、三人を睨み据えていた。


「まぁ、でも、デブは事実だろう?」


 俺がそう言うと、建長学園の部員達が「お前、確か、浦木だったな?」と言った。


 俺は「俺は有名人らしいな?」とだけ言った。


「怪我人で雑用係か?」


 太った部員がそう言う中で、俺は「まぁ、お前らとこれ以上対立を拗らせるつもりは無いな?」とだけ言った。


 そう言うと、井伊と柴原が「うぅぅぅ~!」や「ここで引き下がるんか、浦木!」などと怒りと興奮を隠せない様子だったがそれをなだめ、建長学園のベンチから引き下がろうとした。


 すると「おい、待てよ!」と部員の一人が怒鳴り始める。


 だが俺はそれに対して「決着は野球で付けよう」とだけ言った。


 俺がそう言うと建長学園の部員たちは沈黙を始めた。


 すると、ひたすら無言だった高谷が俺に握手を求めてきた。


 俺や井伊、柴原に建長学園の部員全員がどよめく。


「高谷!」


「こいつらは俺らの事をバカにしているんだぞ!」


 そう言う中で、高谷は無言で俺に握手を求めてきた。


「・・・・・・」


「・・・・・・」


 俺と高谷の間に無言が漂うが、俺は高谷との握手に応じた。


「俺の怪我が治ったら、夏に投げ合いましょうか?」


 俺がそう言うと、高谷は無言のままサムズアップを返してきた。


「行くぞ、お前ら」


 俺がそう言うと「あぁ・・・・・・」と井伊と柴原の二人は力の無い言葉を返す。


 建長学園の部員達も「高谷・・・・・・何を考えているんだよ?」と動揺を隠してはいなかった。


 高谷はそれを手話で返していたが、建長学園の部員達は動揺を隠せていなかった。


 高谷は聴力に障害を持っている為、部員との会話は手話を通して、行っているというのは、今年の夏の大会から俺たちは知っていた。


「あいつらは唇の動きが読めるのか?」


 俺がそう独り言を言う一方で、井伊と柴原は怒りを隠せないと言った態度を見せていた。


「浦木、このまま引き下がって良いんか?」


「あまりにも弱腰すぎるぞ!」


 早川高校側の三塁側ベンチへと戻る途中で、俺は「野球で借り返すしかないだろう?」とだけ言った。


 そのような会話をしながら、早川高校野球部が陣取るベンチへと戻ると林田が「あいつら、読唇術出来るんだな?」と聞いてきた。


 俺は「おかげで一触即発ですよ」とだけ答えた。


「作戦内容が漏洩しないか?」


 木村がそう言うと、林原がブルペンで投球練習をする投手陣を眺めながら「打線の奮起を期待するしか無いな」とだけ言った。


 俺は「まぁ、高谷から大量得点できればいいですけど」と力無く答えた。


「よし、あと十分で整列だ!」


 林田がそう選手たちに言い伝えると、選手たちは円陣を組み始めた。


 キャプテンが決まっていない中で二年生の山南が「よし、今日はかなり厳しい戦いになるが気を引き締めて行こう!」と叫んだ。


「俺達は夏の王者だ。自身を持って・・・・・・勝つぞ!」


 山南がそう叫ぶと部員たちが「ウェイ!」と大声を出した。


 すると、審判達が「整列!」と言い出した。


 選手達は整列を始める中で、俺はベンチから制服にチームの野球帽を被った状態で眺めていた。


「出たいか、浦木?」


 林田が腕を組みながら、背中越しに話し始める。


「夏までに間に合わせます」


 俺がそう言うと、林田は「・・・・・・頑張れ」とだけ返してきた。


 俺はこの時、部員達が整列をしている光景をただ淡々と眺めていた。



 一回の表、先行の早川高校は一番ショート柴原からの攻撃となる。


 後攻じゃないのが痛いな?


 終盤に競った試合展開になるとサヨナラ勝ちの権利が向こうに付くからな?


 俺がそうした懸念を感じる一方で柴原は意気揚々と打席に立つ。


〈一回の表、早川高校の攻撃は一番ショート、柴原君。背番号六〉


「見てみい、ワシが恐怖の・・・・・・」


 柴原はそう言いながら、初球のストレートを思い切り空振りする。


「核弾頭や!」


 そう言って、早川高校が陣取る三塁側ベンチに顔を向けるが、ベンチでは「お~い、テポドン!」や「いきなり、空振りかよ!」と二年生達の怒号が飛び交っていた。


「恐怖の核弾頭は一番バッターのあだ名としてはよくあるから、テポドンなのか?」


 俺がそう言うと、井伊は首を上下に動かし「うん、うん!」とだけ答えた。


「・・・・・・もういいよ、その儀式は?」


 俺はそれ以上、詮索することなく、スコアブックに目を通し始めた。


 するといつの間にかカウントはツーストライクとなり、高谷がノーワイドアップのオーバースローからストレートをアウトコースギリギリに投げる。


 きわどい判定で、柴原は見送り三振となった。


「えっ、あれがストライクかよ!」


「おい、テポドン!」


「何をやっているんだよ!」


 二年生達の柴原に対する怒号がベンチで飛び交う。


 柴原はバッターボックスに入る前の自信に満ちた顔つきから、青白い顔になっていた。


「あいつ、速いだけじゃなくてコントロールが絶妙にええわ・・・・・・」


 柴原がそう言った後に俺は「一四三、一四二、一四五」とだけ言った。


「何や、その数字」


「ここまで、お前に対して投げた全球の球速」


 俺がそう言った後に井伊が「全部ストレートか・・・・・・」と静かな態度でマウンド上の高谷を眺める。


 俺はその間、バッターボックスの木村に目を通すが、木村はストレートを何とかファウルで捉え続け、カウントはツーボール・ツーストライクとなっていた。


「フォーク来るな?」


「夏の時と同じならな?」


 俺と井伊がそう会話していると高谷はノーワインドアップからボールを投げる。


 するとそのボールは遅いスピードで、ゆるく、しかし、大きく変化をして、ストライクゾーンに入っていった。


「ストライク! バッターアウト!」


 審判がそう言うと、木村は苦虫を潰したような表情を見せて、バッターボックスから走って三塁ベンチへと戻る。


「スローカーブですか?」


「タイミングが見事に外された・・・・・・」


 俺は木村にそう話しかけた後に井伊は「夏の時は投げる比率が少なかったよな?」と聞いてきた。


「あぁ、夏は実質、ストレートとフォークの二球種だけが軸だったからな?」


 俺がスコアブックを書き続けていると、井伊は「緩急を取り入れてきたか・・・・・・」と呟いていた。


「木島~、チャンスメイク!」


 二年生の声援を背に一年の木島竜介が左バッターボックスに立つ。


 すると木島はストレートを捉えたが一塁側スタンドへのファウルとなった。


「しかも、伸びが良いんだよな、あいつ?」


 木村がそう言いながら、守備の準備を始める。


「夏の時はスポーツ統計学部が出した結果で、ストレートの回転数は二八〇〇回転だとか言っていましたけど?」


 木村にそう言うと、木村は「お前はストレート三〇〇〇回転だろう」と言われた。


「怪我する前は・・・・・・という前提ですが?」


「早く治せよ、うちの投手陣見事にポンコツだらけなんだから?」


 木村とそのように談笑をしていると、木島は高谷のフォークの前に三振に打ち取られていた。


「あれもあるんだよな・・・・・・」


 井伊が普段からは考えられない真剣な眼差しでマウンド上の高谷を見つめる。


「おい」


「何だ、アイン?」


「防具準備しなくていいのか?」


 俺がそう言うと、井伊は「おぉう、忘れていたぞ!」と言って、慌てて防具を準備する。


「手伝う」


「おおぅ! 今日はやけに優しいな。アイン!」


「試合に負けたら、俺も走らなきゃいけないからだよ」


 俺はそう言いながら、井伊がキャッチャー用の防具を付けるのを手伝った。


「無失点に抑えろよ」


「出来るかな?」


「ランニングがかかっている」


 俺がそう言うと、周りの選手達は凍り付いた表情で腕組をする監督、林田を眺めていた。


「とにかく、勝つぞ!」


 二年の山南がそう言うと、選手達が「オウ!」と大声を張り上げた後にグラウンドへと散り散りに向かって行った。


「山南さんが事実上、リーダーシップを取っていますね?」


 俺が林田にそう言うと「木村はお調子者、林原は喋らなすぎ」とだけ答えた。


「つまり?」


「俺はあいつにキャプテンをやってもらいたい」


 林田がそう言うと、俺は「監督が決めればいいじゃないですか?」とだけ言った。


「俺は普段、強権的だからせめて選挙権ぐらいは選手たちに与えてやろうと思っているんだよ」


 そう林田は腕組みを崩さずに背中越しで話していた。


「まぁ、奴を主将にさせる為に、何らかの工作はする」


 そう言った林田に対して俺は自分から指名すればいいだろうと言いたかったが、すぐにスコアブックに目を向け、早川高校の守備で行われる一回の裏に入る試合展開を見つめていた。


 午前中に始まった試合の中で季節外れの熱さが制服越しに感じ取れていた時間帯だった。



 一回の裏。


 建長学園の攻撃で早川高校は早くも投手陣の脆さを露呈した。


 一番バッターは機動力があるとも思えない、でっぷりとした選手が右バッターボックスに立ったが、元々コントロールの悪い井上が相手にフルカウントまで粘られて、最終的にはフォアボールを与え、次の二番バッターが左打席に立つと、今度もワンストライクを取っただけでフォアボール。


 ノーアウト一・二塁のピンチだ。


「三番はここまで三本ホームラン打っていますね」


「ランナーをためて、長打で一気に返すか」


 腕を組みながら、試合を見つめる林田を見ながら、俺はスコアブックを書き続ける。


 すると、左バッターボックスに立っていた、建長学園の三番バッターが甲高い金属音を鳴らした。


 打球は見事にライトスタンドへと運ばれた。


「・・・・・・勝てば、走らなく良いんですよね?」


「そうだ、何としても勝て」


 俺と林田がそのような会話をしていると続く右打席に立つ四番バッターもフォアボールを選び、五番バッターにはセンター前のヒットを与えた。


「投手、代えませんか?」


 俺が林田に進言すると「他にいたら代えている」とだけ返答が帰ってきた。


 すると次の六番バッターが右打席から快音を響かせ、その打球はライトスタンドへと運ばれていった。


 これで序盤において、六点差。


 厳しい展開だ。


「・・・・・・」


「ランニングの件を忘れるなよ?」


 林田がそう言うと、俺は「諦めたら、そこで試合終了ですから」とだけ言った。


「スラムダンクか?」


「そうですね」


 その後に下位打線の七番、八番、九番を何とか打ち取って、早川ナインは三塁側ベンチへと戻って行ったが、選手達からは笑顔が消えていた。


「まさか、初回から六失点とわな?」


 俺が井伊にスポーツドリンクを渡すと、井伊は「しかし・・・・・・俺がいる!」と言って、ネクストバッターズサークルへと向かって行った。


「あいつは英雄願望が強いのがネックなんだよな?」


「僕もそう思うよ」


 給水をしながら木島が俺に声をかけてくる。


「ただ、彼はここまで通算打率六割超えているからね?」


 木島がそう言うと俺は「それは相手が弱いからだろう?」と言って、疑問を投げかけた。


「そうかな? 彼は何かを起こしてくれる雰囲気があると思うけど?」


 木島はそう言ってスパイクの紐を結ぶ。


 俺はそれに対して「過大評価のしすぎだよ」とだけ言って、スコアブックを書き続けていた。


 すると、球場から金属バットの甲高い音が聞こえた。


「どうした?」


「林原先輩がホームラン打った!」


 控えの一年生達が声を上げる。


 グラウンドへと目を向けると、淡々とダイヤモンドを一周する林原の姿があった。


「ストレートにヤマを張っていたな?」


 林田がそう言うと、戻って来た林原に対して林田が「打った球種は?」と聞いてきた。


「インコースのストレートですね、伸びが凄くてコースギリギリだけど、ヤマ張ったんで、何とか打てました」


 そう言った林原はペットボトルの緑茶を飲み始めていた。


「よ~し、井伊、ムスダン打法だ!」


 二年生の控え選手がそう言うと、井伊は「俺に任せておけぃ!」と言って、ネクストバッターズサークルから、左バッターボックスへと向かう。


 それに対して、高谷はノーワインドアップからアウトコースにストレートを投げてきた。


「あれか?」


「届かないんだよな、あそこに投げられると」


 続く二球目はいきなりインコースにフォークを投げてきたが、井伊はそれに対してバットを片手で離す状態で打ちにいってきた。


 結果は一塁線へのファウルだったが、井伊の打撃の非凡さを感じさせる瞬間だった。


「三球目はスローカーブかな?」


「あれだろう、球速差がありすぎて見送ったり、空ぶったりするんだよな」


 そうベンチで会話していると、高谷は井伊に対してスローカーブを投げ、それは井伊のインコースギリギリに決まり、結果的に見逃し三振となった。


「うわっ、井伊でも三振かいな!」


 柴原は「ガッデム!」と叫びながら、頭を抱える。


 続く六番の山南がバッターボックスに立つと高谷はスライダーを交え始め、最後は伝家の宝刀フォークボールを低めギリギリに決めて三振を奪い、七番の坪内はスライダーを引っ掛けて、セカンドゴロとなった。


 その結果、高谷は二回の表を林原の一発での一失点に抑えた。


「・・・・・・」


「・・・・・・」


 井伊の防具装着を手伝う中で、俺は「五点差だけど、どうする?」と聞いてみた。


「・・・・・・今、考えている」


 そう言った井伊は、覇気のない表情でグラウンドへと向かった。


 井伊だけではない選手達、全員が、どこか暗い表情でグラウンドへと向かって行った。


「・・・・・・選手のモチベーションが低下していますね?」


 俺が林田にそう言うと「俺が助言する時が来たようだな?」とだけ言った。


 それ以前にあんたがペナルティとか言うから、こうなったんだろう?


「ついに監督自ら動きますか?」


 俺は思っている事は口にせずにそう言った。


「まず、多少の失点は仕方ない。しかし、俺達の攻撃面においては相手キャッチャーはそれほど、肩が強くない。出塁が出来れば、ウチ自慢のラン&ガン打線を機能させることが出来る」


 確かに機動力と破壊力を融合させた打線で打ち勝つのが、早川高校の強みだ。


 だが、しかし球種の幅を増やし、ストレートのスピードが上がった高谷相手に出塁する事が出来るのだろうか?


 俺は一瞬疑問を抱いたが、投手の井上が二回の裏に一番、二番にヒットを与えた後に三番バッターをスクリューでダブルプレーに切って取り、ツーアウト三塁の状況を作り出す。


 そして、問題は右打席に立つ四番バッターだ。


 井上は初球にカーブを投げるが、それを右バッターが流し打ちで当てる。


 カウントはノーボールワンストライク。


 続く二球目、井上が振りかぶって投げたボールは高めの釣り玉のストレートだが、キャッチャーの井伊はそれを受け取ると、右バッターを避けながら、三塁へ牽制。


 これは手首のスナップが利いていないと出来ない、神業だった。


 虚を突かれた、三塁ランナーはヘッドスライディングをして帰塁しようとするが、間に合わず審判の「アウト!」という声が閑古鳥の鳴く球場に響き渡る。


 相変わらず、良い肩しているよ。


「オッケー!」


「ムスダン! よくやった!」


 グラウンドに帰って来た井伊に対して、控えの選手達がそう声をかける。


 すると林田が「柴原、木村、木島」と三人を呼びつけた。


「はい?」


「何だよ、林田ちゃん」


「・・・・・・」


 三人は呼び出されると監督からノートの切り端を渡された。


ー奴らは読唇術が出来るから、指揮命令系統はこれで行くー


 その切れ端には出塁をして、機動力で高谷を揺さぶると書かれていた。


ー連中も投手は一人しかいない。何としても奴を引きずり倒せー


 林田がそう書かれた紙を渡すと、三人は頷きを返事にした。


 その一方で八番の八田、九番の井上が凡退する光景が俺の目に映った。


 その後に柴原が作戦会議で出遅れた為、ベンチからバッターボックスに直行する醜態を晒したが、結果はスライダーを捉え、一・二塁間を破ろうとしたが、二塁手の攻守に阻まれて、セカンドゴロとなった。


 それが終わると、柴原は失敗を忘れたの如く「よ~し、反撃開始や!」とだけ言った。


「凡退しているじゃねぇか?」


「黙れぃ! 白けるような事を言うんやない!」


 俺は柴原とそのようなやり取りをした後に「失点するなよ」とだけ言った。


 俺がそう言うと、井伊は「俺たちは不可能を可能にするから平気だぞ」と言い出した。


「隕石でも止めるか?」


「おう、アルマゲドンのブルースウィリスのようにーー」


「いいから、守備付け」


 俺と井伊がそのようなやり取りを行っていると控えの選手達も「ここを抑えて、反撃するぞ!」と声を出すようになり、ベンチには活気が戻って来た。


 勝負は三回の表で五点差。


 諦めたらそこで試合終了ですよか?


 スラムダンクの安西先生の名台詞が何となく、俺の脳内に響き渡る。


 俺は何故か、この試合は諦めなければ勝てると思い、スコアブックを付ける手には、珍しく汗が滲む感覚を覚えていた。



 三回の裏の守備は早川高校の先発井上がまたしてもフォアボールを四番、五番に二つ出し、それを建長学園の六番バッターが二塁打で返され、二点が追加された。


 その後、続く七番を三振。


 八番にはキャッチャーフライ、九番を三振に収め、三回は終了。


 ゲームは四回に入るが、ここまでのスコアは八対一。


 序盤とはいえかなり厳しい点差だ。


「コールド負けも見えてきましたね?」


 俺が林田に問いかけると林田は紙を手渡した。


ーさっき、機動力使うように奴等に発破かけたろ?ー


 それら一連の動作を知ってか知らずか、木村はサングラスを眼鏡ふきで拭きとった後に装着し、三塁ベンチから左バッターボックスへと向かう。


〈四回の表、早川高校の攻撃は二番センター木村君、背番号八〉


 木村はバッターボックスの外で軽く素振りをすると、審判に会釈して、左バッターボックスに入った。


 それを受け、相手投手の高谷はノーワインドアップから投球動作を始める。


 初級はアウトコースのフォークだったが、木村はそれを見送る。


「ストライク!」


 審判がそう判定をすると、早川高校ベンチからは「今日の審判は・・・・・・辛いな?」というつぶやきが聞こえてきた。


 そして第二球目はインコースへのスライダーだったが、木村はそれを引っ張って、ライト前に運んだ。


「おおう、やっと打ったで!」


 柴原は拍手しながら、木村のヒットを称える。


 すると、林田監督は木村に盗塁のサインを出す。


 当然、建長学園も早川高校の機動力を警戒している為、相手投手の高谷は木村に牽制球を何度も投げ続ける。


 すると、左バッターボックスに立った、木島は途中、途中でバッターボックスから出て、素振りを始める。


ー木村さんはフォーム盗めるんですよね?ー


 俺が林田に紙を手渡す。


ーあいつを一塁コーチャーにしてみるのも面白いかもな?ー


 牽制を三回続けて、木島にストレートを投げたその時に木村は高谷のフォームを盗んで、二塁を陥れた。


 相手キャッチャーは送球したが、二塁手前でボールはバウンドする形となった。


「さっ、問題はキジーや?」


 柴原がそう言うと、俺は「読唇術で発言が読まれるぞ」とだけ言った。


 それに対して柴原は「戦術に関することやないから大丈夫や!」と大声を張り上げる。


 俺はそれを聞いた後に「そうか、でっ、キジーって何だ?」とだけ聞いてみた。


「木島に親しみの意味を込めての、キジーや!」


「本人の同意は取れよ」


 俺と柴原がそのようなやり取りを重ねている最中、甲高い金属音が聞こえ、木島はダイヤモンドを走り始めていた。


 打球は右中間を転々と転がり、その間に木村は二塁から快足を飛ばし、あっという間にホームへと到達した。


「おおぅ、二点目!」


 井伊がそう言いながらベンチから乗り出す。


 生還した木村はベンチで部員達とハイタッチをする。


 これでノーアウト二塁、スコアは八対二で続くバッターは今日ホームランを放っている、四番の林原だ。


「いけぇい、野武士!」


 古いなぁ・・・・・・


 柴原がそう叫ぶ中で、林原はアウトコースのストレートをファウルで捉えていく。


 恐らく今日に限って、チームの中では林原先輩が一番、高谷を捉えている。


 俺がそう感じた直後に林田はインコースのストレートをセンター前へと運んでいった。


 建長学園の守備の上手い、セカンドは必至でスライディングしながら、打球を追いかけたが、打球の速さに負け、ヒットを許す形となった。


 これでノーアウト、一・三塁でバッターは自称不可能を可能にする男、井伊が左バッターボックスに立つ。


「井伊、恐怖のムスダン打法や!」


 柴原がそう親指を立てると、井伊はサムズアップを返してきた。


 その後に井伊が審判に会釈した後に高谷はノーワインドアップの投法からいきなりフォークボールを投げる。


 井伊はそれを片手で救い上げるが、打球は一塁線へのファウルとなった。


 カウントノーボール、ワンストライク。


 静寂が一瞬、球場に漂った後に高谷はノーワインドアップから、アウトコースへとストレートを投げてきた。


 先ほどの打席では、届かなかった球種だが、井伊はそれを無理やり捉えると、打球は左中間へ伸び、レフトスタンドへと運ばれていった。


 それを受け、高谷は呆然とした表情で、レフトスタンドを眺める。


「力で強引に運んだか?」


 俺がそう言うと、林田が「読唇術で読まれるぞ」と注意を促した。


 ベンチに戻ってきた井伊が部員達とハイタッチすると、俺の前に立ち「言ったろう。不可能を可能にするって?」とだけ言った。


「勝ったら、名言だな」


 俺はそう言った後にスコアブックに記録をつける事にした。


 スコアは八対五。


 徐々に早川高校は建長学園へと迫っていた。



 四回の表の早川高校の攻撃は井伊のホームランの後に沈黙し、六番山南はスローカーブを見送り三振。


 七番坪内はフォークで三振。


 八番の八田は、アウトコースのストレートを見送り三振とし、高谷に三者連続三振を献上する形となった。


 これは雲行きが怪しくなってきたな?


 俺がスコアブックをつけながら何となく悪寒を感じ始めている中で、ゲームは四回の裏に入る。


 その回に早川高校の先発井上は先頭の一番バッターに二塁打を許し、二番バッターにフォアボールを与え、先ほど、ホームランを放った三番バッターを迎える。


 左打席に立った、三番バッターに対して、井上はスライダーを投じ、三番バッターはそれを空振りする。


 ノーアウト、ランナー、一・二塁でノーボールワンストライク、


 すると井伊は立ち上がって、高めのボール球を要求してきた。


 遊び球をよく使うリードだな?


 俺はグラウンドでその様子を眺めていると、三番バッターは高めのボール球を見送った。


 ワンボール・ワンストライク。


 続く三球目のカーブを建長学園の三番バッターはそれを掬い上げ、センター前へと運んでいった。


 これでノーアウト、満塁。


 続くのは四番バッターだが相手は得点圏打率三割を超えている。


「・・・・・・攻撃が良くてもその分、打たれたら話にならないじゃないか?」


 林田は腕組をしながらそうぼやく。


 普段寡黙な林田がそうぼやくぐらいだから、相当苛立っているな・・・・・・


 すると、甲高い金属音が閑古鳥の鳴く球場に響く。


 打球はレフトスタンドへと運ばれ、四番バッターはガッツポーズをしながら、ダイヤモンドを回る。


 これでスコアは一二対五である。


「コールドも見えてきたな?」


 林田はそう言ってきた。


 その様子はかなり苛立っており、ベンチを軽く蹴りつけていた。


 しかも、腕組を崩さない。


「コールドだったら、腕立てと腹筋も追加だな?」


 林田がそう言うと、控えの選手達は凍り付いた目線で林田を眺めた。


 俺は淡々とグラウンドを眺めていたが、投手の井上の青ざめた表情がこの試合において主導権を失っている、早川高校野球部の状況を描いているように思えた。



 俺の直感は当たった。


 試合の主導権を序盤から相手に奪われた、早川高校は五回を前に一〇点差以上を付けられ、五回の攻撃に至ってはアクセルを強めた、建長学園のエース高谷が九番井上をアウトコースのストレートで三振。


 一番柴原をフォークで三振。


 二番木村をスローカーブで見送り三振として、六者連続三振でゲームを占めた。


 スコアは一七対五。


 いわゆる完敗である。


 それを受けて、ご立腹の林田監督は試合を終えた後に部員達を球場の外に集め、緊急ミーティングを開いた。


「・・・・・・」


「・・・・・・」


 監督と部員達の間に沈黙が流れる。


「分かっていると思うが、走るぞ」


「・・・・・・ウェイ」


 部員達が暗い表情でそう頷く。


「そして、学校に帰ったら、腕立てと腹筋をする。数は俺の気分次第」


 そう言われた部員達の中には泣き出すものもいたが、それが試合に負けた悔しさからか、これから行われる過酷なハードワークへの不安から来たものかは俺には分からない。


「よし、じゃあこれから走るぞ!」


 林田がそう言うと、俺もリュックサックにタブレットとスコアブックをしまい、走る準備を始めた。


「あれ、何でやろう? 目から謎の液体が流れてくるわ・・・・・・」


「柴ちゃん、それは涙という物だ。人間は悲しい時や嬉しい時に目からそのような液体を流しーー」


 この状況でよくボケがかませるな?


 俺が呆れた様子で二人を見つめていると二人が突然「あっ!」と言って、俺の後ろの方向に指を差した。


 そこには建長学園の高谷と数人の部員達が立っていた。


「・・・・・・何の用ですか?」


 一応は一学年先輩の高谷に対して、敬語を使う俺ではあった。


 その一方で高谷は俺に対して、握手を求めた。


「高谷はお前と戦いたいって言っているんだよ」


「しかも、お前のピッチングに惚れたらしいぜ? 初恋って奴さ。野球選手としてだけど」


 建長学園の野球部員の一人が渋い顔をしながら、そう語る。


「敵相手にそこまで執着する必要は無いと思うがな?」


 建長学園の別の野球部員がそう悪態をつける。


「おおぅ、ライバル関係の誕生や」


「少年漫画もびっくりの展開だな?」


 井伊と柴原は揃って「せっかくだから、握手しろや」と言ってきた。


 まぁ、反論をする理由も無いしな?


 俺は高谷と握手を交わした。


 高谷との握手の最中、固い握手の最中、向き合う高谷の顔が端正な顔立ちに優しそうな目をしているのが、俺にとって印象に残った。


「浦木~、走るぞ!」


 山南がそう言う中で、俺は「じゃあ、皆さん、俺たち、罰ゲームがあるんで」とだけ言った。


「罰ゲーム?」


 建長学園の部員が怪訝そうな表情を見せる。


「負けたら、試合会場から学校のある、舞岡まで走って帰るんです」


 そう言うと、建長学園の部員は「それは監督に問題あるんじゃないの?」や「お前らがかわいそうだよ」と声を揃えた。


 それを聞いた後に、俺は「じゃあ、俺たちはこれで」と言って、高谷の前から離れようとしてきた。


 すると高谷は手話でこちらに何かを問いかけてきた。


「何です?」


「夏までに怪我治せってさ?」


 建長学園の野球部員達はそう言った後に「俺達は、王明実業と対戦するから帰って、練習だ」とだけ言った。


「じゃあな」


 そう言って、建長学園の選手達は球場を去って行った。


「軽く自慢かいな?」


 柴原がそう言うと、井伊は「北岡と戦うのか・・・・・・」と静かに呟いた。


「気になるか?」


 俺が井伊にそう語ると、井伊は「川村先輩に対するナンパ事件が俺にとって尾を引いている」と静かに呟いた。


 あぁ・・・・・嫉妬だな?


 王明実業のエース北岡亮は夏の県大会の時に我らが早川高校陸上部のエースである川村光をナンパしたという事実がある。


 その後に、二人は良い感じになったとは聞いてはいたが、本人に確認を取っていないし、興味もないので、その後に二人の仲が深まったかどうかは知らない。


「まっ、くっついても何も言えねぇよ、交際は本人の自由だしな?」


 俺がそう言うと井伊は「お前は良いよな、真ちゃんがいるから?」と言って、涙を流し始めた。


「うぉぉぉ、目から謎の液体が・・・・・・」


「井伊、それは涙や、涙という液体や!」


 そのボケはまだ続いていたんだな?


 俺がため息を吐き、二人から離れると、監督の林田が「走るぞ!」と言って、部員全員がランニングの態勢に入った。


「行くぞ!」


「・・・・・・ウェイ!」


 部員達の暗い表情を尻目に林田は先頭を走り始める。


 俺は制服と革靴の状態でそれに加わる。


「うわ~ん! アイン! これ絶対終わらないよ!」


 井伊がそう泣きついてくる。


 俺は「帰ったら、腕立てと腹筋も待っている」と静かに呟いた。


「・・・・・・監督は俺達を家に帰さないつもりなんか?」


 柴原がそう言うと、俺は「根っからのサディストだな?」とだけ言った。


 そう感じた後に先頭の林田をふと眺める。大粒の汗を流す林田の表情は厳しく、それが現在の野球部の戦力上の不備と、敗戦と言う事実を表しているように思えた。


「嫌だな・・・・・・こんなの?」


 俺はそう呟いたが、それでランニングのペースが緩むと言うことは無かった。


 唯一の救いは今日の気温が涼しいことぐらいだな?


 俺は制服のまま、走りながらも気温と街の情景を感じる余裕がある事を知覚していた。



 秋の県大会が終わって、野球部にはある変化が起こった。


 何と、部員による投票の結果、二年生の山南が新キャプテンに選ばれたのだ。


 大方、林原か木村どちらかが新キャプテンになるだろうと思われただけに野球部内では戦慄が走った。


「監督、何をしたんですか?」


 監督室で俺が林田と相対すと林田は「木島を使って、一年生の票を取り込んだ」とだけ言った。


「木島・・・・・・ですか?」


 俺が木島のジャニーズ風とも取れる容姿を思い浮かべると、林田は間髪入れずに「あいつは早川高校の校長と教頭が、野球部の内情を調べる為に送りこんだスパイさ」とだけ言った。


 俺はそれを聞いた瞬間、目が点になる感覚を覚えた。


「スパイって・・・・・・何の為にですか?」


「俺は他の教師と違って、反抗的だからな? それと野球部も俺の指揮下で独立愚連隊のように動いている。甲子園に出た成果があるから黙っているけど、連中は内心では面白く無いみたいなんだよ」


 林田の説明が抽象すぎてよく分からなかった。


「元プロの監督を招聘したのは校長でしょう?」


「北海道からここまでやって来たが、当時の野球部はお荷物クラブだったから、それを潰す為に俺は雇われたんだよ。元プロっていうのは部員に偽りの希望を与える為のカモフラージュ」


 林田がそう言うと、俺は「でも、監督が野球部を強くさせてしまったんですね?」と切り返した。


「初年度からコツコツと県大会での成績を伸ばして、今じゃあ、甲子園行ったぐらいだからな? 内心では教頭が俺から監督の座を奪いたいらしい」


「教頭は野球経験あるんですか?」


 俺が林田にそう言うと、


「無いな。ただ功名心が強いから、プロ選手を輩出して学校の名誉を高めたいのと、それを輩出した部活動を率いた教師と言う称号が欲しいのさ」


 そう言って、林田は監督室に飾られているNゲージを走らせ始めた。


 走っているのはドクターイエローだ。


「でっ、厄介者の俺を監視する為に、学校側が送りこんだのが木島だ。何でも、教頭の甥っ子らしい」


「そのスパイを何で、スタメンなんかに起用しているんです?」


 俺は監督室内でNゲージが走る中でそう聞くと、林田は「まぁ、野球部内に潜入させて俺に近い位置まで近づけるにはスタメンで使わせるのが一番だろう、それにあいつはシニアでも結構な成績残しているから、後ろめたい事情があっても俺は使う」とだけ言った。


 林田がそう言うと、俺は木島が一年生の中で、どことなく距離感を置いている理由に説明が付くことに納得を得ていた。


 だが、一方では井伊や柴原ともつるんでいるけど、それも何かしらのスパイ活動の一環なのだろうか・・・・・・


 俺は木島が夏の時にラジカセを使って、井伊や柴原と共にバカ騒ぎをしていた光景を思い出すが、その木島が早川高校上層部から送られてきたスパイとは・・・・・・


「まぁ、あまり気にするな、あいつもふざける時はふざけているらしい。それなりに学園生活をエンジョイしているから、お前も距離感保てよ」


「それは分かりますが・・・・・・監督?」


「何だ?」


 俺は本題を伝えることにした。


「木島を使った、選挙の工作ってどんな手段なんですか?」


 それを言うと、林田は「聞きたいか?」と顔を近づけてきた。


「非常に聞きたいです」


 そう言うと、林田はNゲージを止めて、こう言った。


「教えない」


 俺は林田を殴りたい衝動に駆られた。



 俺は監督室を出ると、ロッカーへと向かった。


 今日からマネージャー職を解かれ、選手として復帰するからだ。


 肘の靭帯を損傷したのが、七月で今は十月だから、ざっとで、三か月。


 監督や医者からもお墨付きをもらったので、今日からボールを使ったトレーニングを行う。


 ただし、投げる球種はストレートだけだが・・・・・・


 俺は制服を脱いで、アンダーシャツとスパッツに着替え、その上から練習用の真白なユニフォームに着替える。


 約三か月ぶりのユニフォーム姿だ。


 俺は着替えの最後に帽子を被り、部室を出ると、井伊と柴原が立っていた。


「おおぅ、勇者の帰還や」


「王の帰還とも言う・・・・・・」


 俺は二人を無視してグラウンドへ向かう。


「おい、無視かい!」


「せっかく、高揚感に浸るようなワードで迎え入れているのに、何だ、お前!」


 二人はそう言いながらも俺の後ろに着いて行く。


「じゃあ、お前等の望む反応ってどんなだよ?」


「そりゃあ・・・・・・あれやろ?」


「たとえば・・・・・・『お前ら!』とか『仲間だ!』とか言いながら、抱き合って号泣するとか?」


「・・・・・・俺はお前らを仲間とは思っていない」


 俺がそう言ってグラウンドへ行こうとすると、二人が「待て、待て、待てぃ!」や「家にまで年中、お呼ばれされている関係性を築いていて、それは無いだろう!」と言いながら、俺の後にくっつき歩く。


「俺はそうやって、他者や何かしらのグループに依存することでしか、生きる事の出来ない弱者はひどく軽蔑するんだよ」


 そう言った後に井伊は「アイン、強者などどこにもいない、人類すべてが弱者なんだ。俺もお前も弱者なんだ!」と熱く発言した。


 軽く、ガンダムWのヒイロ・ユイが最終回で言ったセリフを使うなよ。


 俺は井伊がそう言った後にわざと井伊の横をすり抜けこう言った。


「お前を殺す」


 そう言うと、井伊は引きつった表情を見せて「何なの・・・・・・この人?」と言った。


 無論これは、ガンダムW第一話の劇中シーンの再現なので、俺と井伊はふざけて、このようなことを言っている。


「こんなところで名シーンの再現に出くわすとは・・・・・・」


「ていうか、ガンダムWを知っているお前らは一体いくつだ?」


 俺はそう言いながら、グラウンドへ入る。


 さらにグローブをはめ、ボールを持った。


 井伊もキャッチャーミットを取り出す。


「ストレートだけで投げる距離は短くする」


「リハビリだからな?」


 俺と井伊がそのようなやり取りをしていると、井伊の後ろに柴原が立つ。


「お前は・・・・・・何をやっているんだ?」


「審判や。お前が怪我する前の球筋を維持しているかどうかをワシが審査する」


「リハビリが前提だから、球筋どうこうの話しじゃない」


 俺はそう言って、投球フォームとは言えない、軽い投げ方で立っている井伊のキャッチャーミットにボールを投げ込んだ。


「う~ん」


「何だ?」


「やっぱり、怪我の影響かな?」


「悪いだろうな?」


「まぁ、初日だし、ここから一歩ずつだな?」


 俺と井伊がそのようなキャッチボールをしていると、気が付けば、他の部員たちもグラウンドへと入っていた。


「おっ、浦木! 復活か!」


 キャプテンに就任した山南がこちらに寄ってくる。


「あぁ、まだヘロヘロですけどね?」


「まぁ、来年の夏までに間に合えばいいよ」


 山南はそう言いながら、地面に座ってストレッチを始めた。


 するとその後ろから、木村と林原がこちらを恨めしそうに眺めていた。


「お前ら・・・・・・」


「裏切ったな?」


 二人の目線を尻目にキャッチボールを続ける俺は「いえ、俺は林原先輩に投票しましたよ」とだけ言った。


「本当か?」


「えぇ、白米と漬物がかかっていましたから」


 それを聞いた、木村は「井伊と柴原は俺に投票したよな?」と声をかける。


「はい、それはもう勿論!」


「ワシらは木村先輩の応援をさせていただきます!」


 二人がそう言ったのを見計らって、俺は「この二人は自分に投票していましたよ」とだけ言った。


「何・・・・・・アイン!」


「浦木! お前、何てことを抜かすんや!」


 二人が激高すると、木村が「・・・・・・お前等、主将の座を狙っていたのか?」と怒気をはらんだ声音で答えた。


 林原は「確かに規定では一年でも主将にはなれるが、俺たちに対して反乱を起こそうとしたとは良い度胸しているな?」と金属バットを振り始める。


 素振りの音が普通に殺意を込められているように聞こえる。


 二人がそう言って、井伊と柴原に詰め寄ると二人は「ちょっと待ってください!」や「兄弟、勘弁してくれや!」と言いながら、土下座を続ける。


 簡単に地べたに頭をくっつけるなんて、プライドも糞もないような連中だな?


 俺は四人が繰り広げる光景をただ冷笑していた。


 そう思った後に、グラウンドの外に視線を動かすと、懐かしい顔ぶれが現れた事に気が付いた。


 沖田、金原を始めとする、引退した三年生たちだ。


「あっ、三年生だ!」


 部員たちは三年生達がグラウンドに入るのを確認すると、俺や井伊、柴原などの一年生を加えて、全員が直立不動の姿勢を取った。


 すると金原が「お前ら、県大会であのざまはねぇだろう」とため息交じりにぼやき始めた。


 沖田は「うん、十七点取られて、コールドは・・・・・・はっきり言って無様だよ」と笑顔で毒を吐く。


 部員達の自尊心にグサリと何か鋭利な言葉が投げかけられる。


「でっ、監督から頼まれてここに来たんだが?」


 金原のその一言を聞くと、俺達、現役の部員の表情に戦慄が走る。


 まさか、これから恐怖&地獄の特訓が始まるのか?


 俺もそれを考えると、唾をごくりと飲み込む感覚を覚えたが、金原は「文化祭のイベントで、三年生チームと二年・一年連合チームで試合をすることになった」と告げた。


 金原がそう言った瞬間に部員達の表情に安堵感が漂った。


 よかった地獄の特訓じゃなくて。


 試合ならば・・・・・・待てよ。


 まさかとは思うが、試合に負けたら何かのペナルティが待っているんじゃないだろうな?


「俺と沖田がUー18世界選手権の遠征で韓国に行った、土産で大量のキムチと韓国のりがある」


「それと白米のセットを君達が僕等に勝ったらプレゼントしよう」


 そう聞いた、部員達は「うぉぉぉ! 本場のキムチ!」と言いながら、喜びを露わにした。


「本場のキムチってものすごい辛いんやろう?」


「食えるかな?」


 井伊と柴原がそのような懸念を口にした直後に金原は「しかし、お前らが負けたら、グラウンドで延々と男同士でフォークダンスをしてもらう!」と声高々に言い放った。


 その瞬間、グラウンドに静寂が広がった。


 それは・・・・・・体力的にも羞恥的にも過酷な罰ゲームだな?


 俺がそう思った矢先に、金原は「以上だ、文化祭までに首洗って待っていろ」と薄気味悪い笑みを浮かべてグラウンドを去って行った。


 沖田を始めとする三年生たちからも「はっはっはっはっ!」と時代劇の悪代官よろしく、高笑いがグラウンドにこだまする。


 三年生たちが去った後に、木村は「あいつら・・・・・・三位決定戦で負けてメダル無しのくせにえばりやがって!」と激しく激高した。


 先日まで沖田と金原が遠征に帯同していた、Uー18日本代表は韓国でワールドカップの試合を行っていたが、日本は決勝には進めず、三位決定戦でドミニカ共和国に負けて、メダル無しに終わった。


 その時の映像で沖田と金原は号泣をしている様子をたまたま見ていたので、その話題にはあえて触れないようにしていたが、こうして、部員たちに対して高圧的な態度で、宣戦布告するのだ。


 大したダメージでは無いなとアインは思えた。


「男同士でフォークダンス・・・・・・しかもグラウンドでやるんかい?」


「屈辱的で生理的に受け付けん!」


 井伊と柴原の二人はそう言って、地団太を踏む。


「俺は女の子とフォークダンスしたい!」


「ワシも同意見や、兄弟!」


 そう言った、井伊と柴原は俺に対して「よし、文化祭での試合勝とう!」と言い出した。


「俺はリハビリあるから」


 そう言って、俺は二人から離れると、二人は後ろから「うぉぉぉぉ! この日和見主義者め!」と非難の声を挙げる。


「お前など、夕方まで汗臭い野球部員とダンスしておればいいんや!」


 そう言いながら、柴原は地団駄を踏み続けた。


 俺はブルペンに着くと、自力でネットを引き出し、かごに入ったボールを取り出すと、ネットに対して延々と軽めのストレートを投げ続けた。


「よし、みんな!」


 主将の山南が声を張り上げる。


「フォークダンスが嫌なら、練習しよう。受験勉強でなまった三年生には練習すれば勝てるさ!」


 そう山南が発破をかけると、部員達は「ウェイ!」と言って、各自練習を始めた。


 グラウンドを見ると、木村、林原、井伊、柴原が金属バットを片手に素振りし始めた。


「うぉぉぉぉ! キムチ!」


「文化祭は女の子と遊ぶんやぁぁぁぁぁぁぁ!」


 そう言う二人に対して、林原は「お前ら、食うことと女のことしか頭にないのか?」と苦言を呈する。


 木村はそれに対して「まぁ、思春期だから良いんじゃない?」と軽口を叩く。


「お前も似たようなもんだからな?」


「黙れ、石頭。クール気取るな」


 そうした後に、木村と林原は睨み合いを始める。


 その一方でバッターボックスでは木島が右バッターボックスでマシン相手に打撃練習を行っていた。


 試合では左打席に立っていることが多いが奴はスイッチヒッターなのだ。


 気が付けば、グラウンドは各自で素振りやマシン打撃、走り込み、キャッチボールを自主的に行う部員達でいっぱいになった。


「・・・・・・延々とフォークダンスは嫌だな?」


 俺はふとそのような独り言を言った後にボールを延々とネットに投げ続けた。


 この日の気温は十度を下回り、寒さが目立つ中での練習風景が広がっていた。


10


 練習を終えて、家に帰ることにした。


 井伊と柴原は「キムチ~!」や「女の子とフォークダンスや~!」などと叫びながら延々と居残りでマシン打撃を続けていた。


 俺としては、あいつらのいない時間が久々に持てる事は嬉しい。


 たまには一人でいる時間も良いものだな?


 そう思いながら、学校前のバス停でバスを待っていると「浦木君!」と走りながら、瀬口真がやって来た。


 カラオケ後の本屋巡り以来からほとんど会話していなかったが、ここに来て、瀬口から接近してきたか・・・・・・


 どう対応しようか?


 邪険に扱うことも出来るが、相手は井伊や柴原と違って、鬱陶しさの対象ではない。


 四面楚歌と言ってもいいクラスでは唯一、俺とチェスや麻雀を一緒に行う酔狂な奴。


 もっとも、麻雀は井伊と柴原がいないと成立しないが、何かしらのボードゲームをする時は必ずそこには瀬口がいた。


「一緒に帰ろう」


 瀬口がそう言うと、俺は「今日は一人で帰りたかったんだけどな?」とだけ言った。


「じゃあ、一人で帰る?」


 そう言って、瀬口はクスリと笑い出す。


「あぁ、一人でバスや電車の外を眺めて、黄昏に浸りたいのさ」


「・・・・・・何か、ベテランの作家さんみたいな言い分だね?」


 そんなやり取りをしているうちにバスがやって来た。


「このタイミングだと、一緒に帰らざるを得ないと思うよ?」


 そう瀬口が言うと俺は「分かったよ。ただ瀬口は大船で、俺は北鎌倉だから、途中までしか一緒にいられないぞ?」と言ったが、瀬口は「家の近くって、街灯無いから、オヤジ狩りが横行しているんだよね?」といつも言うセリフを吐く。


「俺はお前のお母さんに睨まれるのが嫌だ」


「家に入るまででいいから、護衛頼むよ、伍長~」


 そのようなやり取りをしながら、バスに乗り、気が付いたら発進していた。


「・・・・・・」


「・・・・・・」


 俺と瀬口の間には沈黙が漂っていた。


「浦木君、今日練習していたね?」


「あぁ、軽く投げただけだから、まだ完全復活はまだ先だよ」


 そう言った後に瀬口は「・・・・・・浦木君、私が転校したら悲しむかな?」と静かに呟いた。


「どういう意味だ?」


「この前の週刊誌にお父さんのパワハラに関する記事が出たの」


 瀬口がそう語る中でバスから見える車窓はオレンジ色の夕焼けに染まっていた。


「その記事は立ち読みで見たが、党はお前のお父さんを続投させるつもりだろう?」


「そうなんだけど、ただでさえ元総理の兄弟で政調会長だから、党内からも反発を喰らっていて・・・・・・」


 オレンジ色の夕焼けに染まった、バスの中で俺は「結局は何が言いたい?」と瀬口に問いただした。


「・・・・・・浦木君は私のこと好き?」


 瀬口がそう言うと同時に俺は「返答には時間が掛かるが好意的には見ている」とだけ返した。


「そういう、難しい言葉を使わないでもっとストレートに言ってよ?」


 瀬口が眉間にしわを寄せて、そう言うと同時にバスは戸塚駅に着いた。


「護衛頼むよ」


「家の前までな。変な疑いはかけられたくない」


「変な疑いって例えば?」


「議員先生の大事な娘に賭け麻雀を指南した事とか?」


 そう言うと、整った歯を見せて笑いながら「違法行為だもんね?」と言った。


「だろうな?」


「でも、お金を賭けない麻雀なんてつまんないでしょう?」


「井伊とか柴原みたいなことを言うなよ」


 俺と瀬口はそのようなやり取りをしながらJR戸塚駅にある横須賀線下りのホームへと向かって行った。


「今日はあの二人はいないんだね?」


「三年生と二年・一年の合同チームが学園祭の日に対戦するから、みんな、目の色変えて、居残り練習しているよ」


「浦木君は居残り練習しないの?」


 瀬口がそう言うと、俺は「まだ肘の調子が良くない」とだけ言った。


 そう言うと瀬口は「単なるサボりじゃない?」と言ってきた。


「俺はリハビリを優先する」


 俺がそう言うと瀬口は「選手生命を賭けて、登板しようよ」と言ってきた。


「セレモニー的な試合で、わざわざ肘が壊れるのを覚悟で、投げるのは意味が無い」


 俺が車窓から太陽が沈んでいく光景を眺めながら、そう発言すると、瀬口は「じゃあ、何で井伊君や柴原君はあそこまで必死になって、マシン打撃しているの?」と聞いてきた。


「罰ゲームで、負けたらグラウンドで延々と男同士でフォークダンスをやらなきゃいけないからだろう?」


 俺が軽くそう言うと、瀬口は人目もはばからず笑い声を挙げた。


「・・・・・・地獄だね?」


「地獄だよ。みんなが浮かれている文化祭の中、野球部総出で醜態を晒すわけなんだからな」


 俺達がそのようなやり取りをしていると、電車は大船駅に着いた。


「浦木伍長。護衛を頼む」


「・・・・・・」


「どうしたの?」


「電車代が結高く付くんだよな?」


 俺がスマートフォンを掲げてそう言うと瀬口は「どうせ、一三〇円の差でしょう!」と言って、無理やり手を引っ張って来た。


「本当にケチなんだね? 浦木君は?」


「コスト感覚に長けていると言ってもらいたいな? お前みたいに本に二万円もかけるほど、金銭感覚は崩壊していない」


「私は本にはお金を顧みない性格なの!」


 そう言って、大船駅笠間口を出ると、そのままイトーヨーカドー方面へと直進した。


「瀬口の家は遠いからな?」


「何せ、鎌倉市から横浜市へ越境するわけだからね」


「越境か? 中々、乙な言葉使うじゃないか? まぁ、日本はステイツと違って、州が行政を担っていないから、地区ごとによって、法律が違うなんてことは滅多にないだろう?」


 俺がそう言うと瀬口は「条例は?」と聞いてきた。


 その間、俺の手を取って強く引きながら、どんどんと繁華街を直進する。


「まぁ、条例は別だが、日本ははっきり言って中央集権的な国だからな。それと違って、ステイツは地域によって法律が違うという事は確かだ」


「アメリカって地域ごとに法律違うけど、そうなると地元の盟主が司法や警察を牛耳る事ってあるの?」


「それはどこの国でも同じだが、地区ごとによっては警察が異常に腐敗している地区もある。しかも身内同士で庇い合うんだよ。あいつら・・・・・・」


 俺たちは今時の高校生が話すとは思えない時事の話題を話しながら歩いていた。


 すると瀬口が「こっち」と言って、俺と手を繋ぎ、さらに強く引く。


「ここは・・・・・・神社か?」


「そう、青木神社」


 青木神社と呼ばれる神社の目の前には急な階段があり、それがどことなく圧迫感を感じさせるものだった。


「これを歩くのか?」


「私、よくここで坂道ダッシュするよ?」


 瀬口はそう言うと俺の手を掴んだまま、走り出した。


「ちょっと、待て・・・・・・危ない」


「こういうのは一気に終わらせるの!」


 そう言って、青木神社の急な階段を一気に駆け上がり、神社の境内に上がった時には俺は心臓の鼓動を抑えられないことを知覚し、喉から何か血のような鉄臭い味わいを感じる羽目になった。


「さっ、伍長」


「・・・・・・何だ?」


 俺は息を切らしながら、瀬口を見つめる。


「家まで、もうすぐだから、護衛頼むぞ」


 そう言って、瀬口は俺の手を取り、強引に歩き出す。


「せめて、親御さんの前では手は離せよ」


 俺は一応、お願いはしたが、瀬口は「まぁ、それは私の気分次第」とだけ述べた。


 それにしても、確かにこの辺りは街灯の数が少ないな?


 栄区は高級住宅街とは聞いていたが、ここまで暗く、静寂に包まれていると女一人で帰るのは確かに恐怖心めいた物を覚えるだろうなと俺は感じた。


「着いたよ」


 瀬口はそう言うと家の呼び鈴を鳴らす。


「お前・・・・・・何をやっている?」


 俺は急いで逃げる準備をした。


「何って、帰って来た合図だよ?」


 瀬口は小首を傾げながら、そう答える。


 すると家の中から威圧感ある六十代と思われる男が現れた。


「真、今日は早く帰ってきたようだな?」


 逃亡をしようとした最中で男はこちらを睨み据え「君が浦木君か?」と威圧感溢れる、声音と目線を此方に向けてきた。


 大ピンチだ・・・・・・


 今逃げたら、かなり失礼だぞ。


 俺は腹を括って、男に「どうも、浦木と申します。いつも真さんにはお世話になっています」とだけ言った。


「・・・・・・そうか、君か?」


「はい」


「ご飯はまだなのかね?」


「えっ?」


 俺が呆気に取られた表情を浮かべると男は「入りなさい。夕飯を御馳走しよう」と言って、家の中に入って行った。


「瀬口、一応聞くけど・・・・・・あの人がお父さん?」


「うん、週末が近いから家に帰ってきているの」


 緊張で今にも胃が逆流しそうだ。


「週末には必ず地元に帰るのか?」


「基本はね。政治家は普段偉そうにしているけど、その代償に有権者に媚び売らなきゃいけない職業だから、私はなりたくないな? そんな二重的な側面を持った職業」


 そう言った、瀬口は家の中に入り「浦木君、入りなよ」と言ってきた。


「・・・・・・いいのか?」


「お父さんが許可したから大丈夫」


 そう言った後に瀬口は俺の手を引き、玄関の階段を駆け上がって行った。


「ようこそ、私の城へ」


「はい」


 俺はそう言って、綺麗に掃除されたフローリングの玄関へと足を踏み入れ、靴をきちんと揃えて、家の中へと入って行った。


 何で、こんな状況になったんだろう?


 俺はまるでこれから、何かしらの面接をされるのではないだろうかと戦々恐々と言った感覚で笑顔無く、瀬口家の敷居を跨ぐこととなった。


11


「君が浦木製薬の御曹司だと言うことは秘書からの報告に上がっている」


 瀬口の父親である裕次は夕食を終えた後に葉巻を吸いながら、俺の顔をまじまじと見つめる。


 葉巻の香しい臭いが部屋に充満する。


「調査をして悪かったが、一応、娘に変な虫が付かないようにと思ってね?」


「あっ、いえ・・・・・・」


 これが国家権力の力か・・・・・・


 警察を使ったのか、探偵を使ったのかは知らないが、俺の家族の素性まで知られている。


「君のお父様は、お爺様のヘッドハンティングで浦木製薬に入り、その後に小説家である君のお母様と結婚。お父様は日本の製薬業界大手の社長で創業家のお爺様は会長と言うわけだ。どこぞの不良外人が娘に手を付けたかと思ったが、君が素性の知れた男で助かったよ」


 不良外人だと?


 俺は裕次の発言に一瞬、怒りを覚えたが、すぐに冷静さを取り戻した。


 無理もない、相手は日本の伝統と誇りを掲げた保守派の重鎮だ。


 同盟国であり、日本の父親とも言えるアメリカの国籍を持つ、さらに言えば身元のはっきりした富裕層が親族にいなければ、そうも言うだろう。


 瀬口が自分の父親を嫌う理由も何となくは分かるな。


 自分の立場と言動が不一致している。


 要するに何か〝軽さ〟を感じるのだ。


 俺はそのような不信感を覚えながらも「身元の知れた両親を持って、私は安心しています」とだけ答えた。


「まぁ、ここまで話して君が若い割には聡明な男だと感じた。安心したよ」


 若い割にはだと・・・・・・それは偏見だな?


 年齢と能力は比例するものでは無いと思いたいが、歳を取り、自分とは異なる視点から物事を見ることを怠っている老人にそんなことを言っても話にはならない。


 俺は内心ではそう思っていたが、ただ話を聞きながら、用意されたココアを飲むだけだった。


「・・・・・・私の家は知っての通り、真しか子どもがいない」


「はぁ・・・・・・」


「君を調査して、ここで話を聞いて、思ったが、私は君を後継者にしたいと思ったよ」


 それは俺に瀬口と結婚しろと言っているのか?


 この議員先生は?


 いくら何でも、話が飛躍しすぎだろう。


 俺がそう考えると、横で聞いていた瀬口が「お父さん、それは飛躍しすぎだよ!」と大声を挙げた。


「真、お前は浦木君と結婚したくないのか?」


 裕次がそう言うと、瀬口は頬を赤らめて「それは・・・・・・そうしたいけど?」と小声で言った。


 止めてくれよ、家族揃って?


「私はアメリカ国籍と日本国籍を持っている二重国籍なので、議員には不向きかと思っておりましてーー」


「日本国籍を選択すればいい」


「例え、議員になっても後で書類の不備で国籍の問題が出ると思います。それに私は自分が政治家に向いているとは思えないのです」


 俺がそう言うと裕次は「ほぅ・・・・・・」と言って、ソファにふんぞり返った。


「浦木君は会社の社長になりたいんだって?」


 瀬口がそう言うと「父親の地盤を継ぐ気かい?」と裕次が語り掛ける。


「いえ、会社の経営に興味を持っているだけです。仮に祖父や父の地盤を継いで、浦木製薬の幹部になっても親の七光り、それ以前に会社を駄目にしてしまうかもしれませんし、同族経営以前に会社は開かれたものでなければいけないと思います。ですので、私はーー」


「では、どうするんだい?」


 俺の発言にわざと被せるように裕次が発言する。


 その目線は真剣だ。


 俺は怯まずに喋ることに専念した。


「資金が調達出来次第、自分で会社を立ち上げるつもりです。これを言えば多くの人が私の人間性を疑うとは思われますが、私がやっている野球はあくまで会社を作る為に必要なツールなんです」


 俺がそう言うと、裕次は「それが資金と何の関係があるのだい?」と聞いてきた。


 イアンにこれを言ったら、酷く失望を食らっただろう。


 親友相手のつらい経験が一瞬フラッシュバックするが、今度の相手は偏狂な老人だ。


 何を言ってもいいだろう。


「私が夏の時に多くのメディアに取り上げられたのはご存知かと思われます」


「一年生最速記録の事だろう、その時は私も熱狂したものだが?」


 俺は唾を飲んで、目の前の裕次の表情や仕草から出てくる言葉を予測する。


「それが会社の経営と何が関係ある?」


 裕次は懐疑的な目でこちらを見つめるがこれは予測の範疇だ。


 俺はイアンに言ったことと同じことを言うことにした。


「資金は私がプロ野球選手になって稼ぎます。スター選手になって十億を担保に会社の設立、運営に当てるつもりです」


「・・・・・・荒唐無稽だな?」


 祐次はそう言った後に「一応聞くが、君は何の会社を作るつもりだ?」と聞いてきた。


「・・・・・・まだ分かりません」


 俺が唇を噛みしめながらそう答えると「その辺がまだ青いな」という返答が裕次から返って来た。


 瀬口は俺と裕次のやり取りを緊張した面持ちで眺めている。


「だが、君が聡明な男だと言うことは確信した」


 裕次がそう言うと俺はただ黙るしかなかった。


「ごく普通の高校生は、自分の両親の事をお父さんやお母さん、兄弟はお兄ちゃん、お姉ちゃんと言うが、君はきちんと父や母と言う。十億を稼ぐプランは荒唐無稽だが、それは向こう見ずとも言えるだろう。私はそういう若者は嫌いじゃない。それに君は礼儀正しい」


 そう言うと裕次は手を差し伸べてきた。


「プロになれない、或いは会社が上手く行かなかったら、私の下に来なさい。君には何かしらの才覚がある」


 裕次が笑みを浮かべながら、そう言うと俺は「光栄です」とだけ言って、握手した。


「一応聞くが、君は真のことが好きなのか?」


「えっ?」


 思わぬ質問が出て来て、俺は思わず声が裏返った。


「まさかとは思うが私の権力を狙って・・・・・・」


「違います、私は真さんのことを愛しています」


 室内に沈黙が走る。


「彼女は私がどんなにつらい時でも一緒にいます。そうして、私の隣で笑ってくれる真さんを私は守りたい、いや、守らせてください!」


 俺が思わず、感情に任せてそう言うと、


 瀬口が「浦木君・・・・・・」と静かに呟いていた。


 その目は何故か涙を浮かべていた。


 それを見た、裕次は「良いだろう、娘との交際は許可する」と言って、にんまりと笑った。


「・・・・・・ありがとうございます」


 俺が深々とお辞儀をすると、裕次は「ただし、学生である期間は子どもを作るような真似は許さん。破ったら・・・・・・君の命だけでは済まないと思え」とすぐに俺を睨み据える。


 子どもを作るって・・・・・・


 さすがにそれはデリカシーが無いだろうと思って瀬口のいる方向を見ると案の定、瀬口が「お父さん!」と大声を挙げた。


「君たち、二人には極めて、プラトニックな関係を望んでいる。私は政治家であるから、身内が問題を起こしても、党に迷惑が掛かるからな・・・・・・」


 そう言った後に、裕次は俺の肩を叩く。


「娘を守ってくれるね?」


 そう言われた俺は「よろしくお願いいたします」とだけ言った。


 あまりの急展開で、俺自身がついて行けそうになかった。


12


「・・・・・・お前ら、付き合っているんか?」


 柴原が不満気な顔で俺と瀬口を見つめている。


「親父さんにあそこまで言われたら、引けないだろう?」


 俺がそう言うと瀬口が心配そうな表情で「浦木君・・・・・・これで良いの?」と聞いてきた。


「別に、彼女がいないよりはいた方が良いから、良いさ」


「まるで、彼女がいたら、誰でも良いような言い方だけど?」


 瀬口が殺意を込めた目線を俺に向ける。


「そうか? 失言だな」


「本当だよ、購買部のクリームパンで許してあげようかなぁ・・・・・・」


「食べ物でチャラにするとかお手軽だよな」


「・・・・・・さっきから、喧嘩を売っている?」


「今日は随分と攻撃的だな。後で戸塚のフルーツ屋でケーキ食べようと思ったんだが、購買部のクリームパンで満足か? そうか、それなら良いんだが」


「浦木君! 大好きぃ! あそこのフルーツ屋さん、マジで良いよね!」


 そのやり取りを井伊と柴原は不満げな表情で眺めていた。


「何か、言いたいことあるか?」


「仲が良いなぁ、気分が悪いわ・・・・・・」


「そう言えば、アインよ、クリスマスが近いな?」


「まだ、十一月だぞ」


「クリスマスになったら、二人でどこか行くんだろう?」


「まだ、未定だ」


 俺と井伊がそのようなやり取りをしていると柴原が「いいんや、ワシと井伊はクリスマスに二人で鍋パーティーをするから・・・・・・」と悲し気な目線を此方に向けていた。


「和洋折衷だな、せめてフライドチキンにしろよ」


 俺が井伊にそう言うと井伊が泣きながら「お前ら、良いよなぁ? どっちも金持ちだから、ターキー食べ放題じゃないか?」と言ってきた。


「いや、アメリカのクリスマスは家族で過ごすものだから」


 俺がそう言うと瀬口や井伊、柴原が全員「えっ!」と声を上げた。


「何だよ、当たり前のことだろう?」


 俺がそう言うと柴原が「お前・・・・・・アメリカ人は聖なる夜に恋人とイチャイチャはせぇへんのか!」と唾を飛ばしながら、叫ぶ。


「しないな。家族でターキー食って、プレゼント貰って、ケーキ食べて、休んで終わり。いわゆる西洋版の正月だよ」


 俺がそう言うと、井伊と柴原がハイタッチをし「たった今、新たな会の構想が出た!」と井伊が叫ぶ。


「何だ?」


「正しいクリスマスを広める会だ!」


 井伊がそう言うと、柴原が「ようし・・・・・・日本全国にクリスマスはパパンとママンと過ごそうと喚起するで!」と言って、二人は教室を飛び出た。


「うぉぉぉぉ、皆! クリスマスはプレステ5で遊ぼうやぁ!」


「今ならば、スイッチ2もあるぞぉ!」


 二人がそう叫んで教室を出た後に瀬口が「何か、ごめんね?」とだけ言った。


 それを受けて「日本人は何でクリスマスに恋人と過ごすんだろうな?」と俺が疑問を呈すると、瀬口が「クリスマスは一緒に過ごせないかな?」と聞いてきた。


「・・・・・・当日までに考えておく」


 俺がそう言うと「私は二人っきりで過ごしたい」と瀬口が言った。


「親父さんが、許可するか?」


「許可しなくても絶対に二人で過ごす」


 そう言う、瀬口の目は真剣そのものだった。


 弱ったな・・・・・・


 何か、逃げ道は無い物だろうか?


 俺が瀬口の目線から目を反らすと同時に教室のドアが勢いよく開く。


 するとそこには仁王立ちで川村光が立っていた。


「浦木君! まさか君が私に対して謀反を起こすとは思わなかったよ!」


 その表情は怒気をはらんでいた。


「私は君のことをとても愛していたのに!」


「王明実業の北岡と同時にですか?」


 そう言うと、川村は「うぐっ!」と言って、廊下で倒れてしまった。


 他愛もない。


 俺は倒れている川村に目もくれずに瀬口に対して「よし、授業サボるぞ」と言ってきた。


「浦木君、会社経営するんでしょう?」


 瀬口が厳しい目線でそう問いかける。


「そうだが、どうした?」


「だったら、ちゃんと基礎学力の勉強をしないとーー」


「アメリカでは成功した経営者の中には学生時代の成績が良くない人物もいる。それに俺は授業を聞いていなくても、内容を理解する方法を知っている」


 俺がそう言って、授業を抜け出そうとすると「大学への推薦捕れなくなるよ!」と瀬口が腕を引っ張って引き止め始めた。


「推薦を貰えるラインはある程度知っている。それ以前に俺は受験して大学に行くつもりだから、問題無い」


 そう言って、俺が授業をサボる為に教室外に出ると「こういうことをやっていると、いずれ自滅するよ!」と言って、瀬口は教科書を取り出した。


 どうやら、俺には付いて行かないようだ。


「そうか、俺はサボる。お前は勉強する。それでいいな?」


「さっさと、行けば?」


 瀬口はむくれながら、そっぽを向く。


 さて、教室に戻ると言う選択肢がこれで消えたぞ・・・・・・


 どこに行こうかな?


 俺は教室を出て、廊下を徘徊し始めると木村が近くを通っていた。


「木村先輩、サボりですか?」


「そういう、お前もサボりか?」


 俺と木村はお互いに笑みをこぼしていた。


「どこ行きましょうか、十八禁以外だったら付き合いますよ」


「今日は金原と沖田が進学を表明する会見をするからマスコミが体育館に来ているらしい」


 俺はそれを聞くと「そうですか」とだけ返した。


「アナウンサーが来ていたら、是非お近づきになりたい」


 別にアナウンサーには興味が無いんだが?


 もっとも、瀬口に対してあれだけ言い切ったのだから、今更、教室には戻れないだろうな?


「行きましょうか?」


「よし、レッツゴーだ、兄弟」


 木村が俺の肩に手を伸ばす。


「兄弟って・・・・・・古い表現ですね」


「クラッシックっていいじゃないの~」


 そのような会話をしながら、俺と木村は体育館へと向かって行った。


 授業開始を知らせる、チャイムが廊下に響いた同時に俺達のおさぼりタイムが始まろうとしていた。


 続く。


 次回、第三話、文化祭の開幕、そして春が明ける。


 次回はギャグ全開ですので、深夜によろしくお願いします!

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