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第一話 帰国

 お正月以来の投稿です。


 皆様、こんなご時世ですが、くだらないギャグで一緒に笑い飛ばせれば、幸いです。



〈まもなく、当機は羽田空港上空に入ります〉


 青空の下に羽田空港の滑走路が見えるのを俺、浦木アインは眠い目を擦って確認した。


「アイン、起きているか?」


 キャビンアテンダントのアナウンスが日本語から英語に代わる中で父親が隣の席から俺の顔を見上げる。


「時差ボケの問題は無いと思うよ」


 俺はそう言うと、父は「母さんが車を回してくれるから、お前は休んでいなさい」と言った。


「いや、本当に眠くないんだ」


 親子でそのような会話をしている中で、日本航空JL〇〇五便はニューヨークのJFK空港から羽田空港まで一四時間一五分をかけて飛行してきた。


 俺はその間、機内でアメリカのドラマを字幕なしで見て、機内食を食べ、気が向けば寝るというパターンを機内で行っていた。


 日本はもう秋か・・・・・・


 俺はそう思うと、手術した右ひじが何故かうずく感覚を覚えた。


 あれからもう、二か月が立つのか・・・・・・


 甲子園出場を賭けた王明実業との神奈川県予選の決勝で、俺の所属する早川高校は甲子園出場を決めたが、俺の直球が一五五キロを記録した後に右ひじの靭帯を損傷する形で故障した。


 その際に早期復帰をする為に手術では無く、PRP療法という血液中の血小板が多く含まれる部分を抽出し、それを俺の場合、人体を損傷した箇所に注射して自己回復を早めるという治療法を行った。


 この処置は日本国内でも行えたが、俺は父親に頼んでアメリカでしばらく養生したいと言った。


 理由としてはこの夏の間であまりにも俺は注目を浴びすぎたという事がある。


 少し、静かな環境で休みたかった。


 チームメイトたちが甲子園ベスト十六という成績を残す中で俺はこの夏をニューヨークで過ごし、ただひたすら本を読み続け、気が向けばランニングも行った。


 肘がまだ完全に治っていないので、上半身を使ったトレーニングやボールを投げることは出来ないのだ。


 有意義な夏休みを過ごしたと言えば、過ごしたが、憂鬱なことが二つある。


 アメリカでの友人である、イアン・バーネットを怒らせたことだ。


 彼に野球は自分の会社の社長になるという目的の手段にすぎないと言ったら、彼は激怒してしまった。


 彼は野球が好きだったのだ。


 そんな友人としこりを残した状態で帰国することになったのだが、日本に帰国すると今度は野球部監督の林田耕哉にお灸が据えられるのではないかという懸念を俺が感じていた。


 ニューヨークにいる時にクラスメイトの瀬口真から手紙を貰い、早川高校野球部と俺に関連する人物の近況を教えてもらっていたが、林田は俺がチームに帯同せずに一人だけ夏休みを海外で過ごしたことに憤慨しているそうだ。


 もっとも、今はボールを投げることも出来ない体だ。


 野球部に今の自分が戻っても、今の俺に何が出来るだろうか?


 あれだけ日本国内で騒がれた末に、故障したのだ。


 逃げ出したくなる気分にもなる。


 アルプススタンドで炎天下の中、声を枯らしながら同じグラウンドで戦っていたチーメイトを眺めるのも自分のプライドが許さないだろう。


 俺はそう感じていた。


 まぁ、これら全てを総括すれば結果的に俺は逃げ出したのだ。


 その結果、のこのこと日本に戻るのだ。


 批難は承知の上だ。


〈お客様にお伝えいたします、当機は羽田空港へとーー〉


 飛行機が離陸して、羽田空港の滑走路へと入る。


 その瞬間の衝撃が機内を揺らす。


〈ご搭乗ありがとうございます、当機は羽田空港へとーー〉


 俺はキャビンアテンダントのアナウンスを横目に父親と一緒にシートベルトを外し、機内から降り立った。


 そこからしばらくした後に荷物を受け取り、母の乗る車へと乗ろうとターミナルから出ようとすると「うぉぉぉぉぉぉぉ!」という甲高い声が聞こえた。


 まさか、奴・・・・・・


 又は奴らが出迎えに来るとは・・・・・・


「本当に来たぞ、マイコー・ジャクソン!」


「おおぅ、始めて見たで、浦木アイン・マイコー・ジャクソン!」


 井伊小太郎と柴原信一郎が相変わらずのハイテンションぶりで「マイコー!」と絶叫するのを、外国人が笑いながら見つめていた。


 近くにいた中国人観光客はこのバカ二人を堂々とスマートフォンで、写真に撮っていた。


 日本の恥め・・・・・・


 俺はその二人の横に立ちながら「アイ~ン、ママよ~!」と叫ぶ母を思いっきり睨み付けた。


「母さん、何でこの二人を連れてきたんだよ」


「あなたの友達だからよ」


 この二人は完全にうちの両親に取り入っているな・・・・・・


 俺は諦めも込めて、二人に近づいた。


「マイケルはもう死んだんだんだよ」


「いや、違う!」


「マイコーは俺たちの心の中にある!」


 そう言う、井伊と柴原は人差し指を上に立て、腰に手を当てていた。


 どうせ何かの特撮ヒーローの真似だろう。


「じゃあ、お前、マイコー以外の何が良いんだ?」


「ウィル・スミスか、トミーリー・ジョーンズか、どっちかや!」


 何で、今度はメン・イン・ブラックの二人が出てくるんだよ。


「何で、ハリウッド限定なんだよ」


「空港の出迎えと言ったら、ハリウッドスター来日やろ!」


「よっしゃ、トム・クルーズならどうだ!」


 二人がそのように発言をする度に海外の観光客が面白がって、スマートフォンで撮影する。


 やはり確信した、


 この二人は日本の恥だ。


「よし、アイン」


「何だ?」


「家帰るぞ」


 ん?


 この言葉のニュアンスだとまさか・・・・・・


「ちょっと待て」


「何だい、マイコー?」


 誰がキングオブホップだ・・・・・・


「お前ら、家に来るのか?」


「おう、お前のお母さんから許可は取ったぜ?」


 そう言った、二人は初代仮面ライダーの変身ポーズをした。


「母さん・・・・・・何を考えているんだい?」


 俺がそのような疑念を母に振り向けるが、母はそれを無視して「さっ、皆で家に帰りましょう!」と言い出した。


「皆、今日はごちそうよ」


「おっ、何ですか!」


「ピザよ」


「イエース!」


 そう言うと、井伊と柴原の二人はハイタッチをした。


 これはつらい現状から逃げ出した俺に対する、見えざる手による何らかの罰なのだろうか?


 飛行機の中で十分寝たはずの俺は何故かめまいを覚え始めていた。



 帰国してからの翌日に俺は早川高校野球部監督である林田耕哉に挨拶をする為に学校へと向かった。


 昨日の夜は、俺の家族は北鎌倉の自宅で寝ている俺を横目に井伊、柴原と共に宅配ピザを頼んでどんちゃん騒ぎをしていた。


 それが鬱陶しく、ついでに浅い睡眠だったので俺はかなり疲れが残っていることを感じていた。


 最も、寝られるだけでも良い方か?


 昨日は、井伊と柴原が親父と日本の行く末とやらで、政治談議や時事ネタ談義を始め、父親に至っては、日本のピザは値段が高い割には量が少ないことに腹を立てて、ピザ店にクレームを言おうとしたところを母親に止められ、そこから父親は母親の嫌いなタバコを吸い始め、井伊と柴原と日本の行く末をディスカッションし始めた。


 俺は二階で眠っていたが、はっきり言ってそのやり取りは極めて、不快だった。


 なんせ、浅い眠りしか出来ないのだから・・・・・・


 そう思いながら寝不足気味の頭を働かせるために事前にJR戸塚駅の改札にあるコンビニで買った、エナジードリンクを飲み干し、軽く顔を叩く。


 林田に嫌味をクドクドと言われても、粛々と聞いていよう。


 俺はそう思いながら、野球部のグラウンド横にある監督室のドアをノックした。


「入れ」


 林田の声を聞いた後に俺は「失礼します」と言って、監督室へと入っていった。


 林田はパソコンに目を向けていた。


「・・・・・・」


「・・・・・・」


 二人の間に沈黙が流れる。


 緊迫感溢れる展開だが、ここまでは想定通りだ。


「チームが甲子園に行っていた時にお前は夏休みを満喫か?」


「・・・・・・何も言うことはありません」


 俺がそう言うと、林田は「お前はやっぱり、協調性が無いな?」と返してきた。


「正直に言えば、自分が立っていないグラウンドにアルプススタンドから声を枯らして声援を送ることは苦痛にしか感じえません」


 俺がそう言うと、林田は机をばんと叩いた。


「・・・・・・お前は確かに投手向きの性格だな?」


「お褒めに預かり光栄です」


「褒めてはいない。お前のその性格は少し修正を加えないといけないな?」


 林田はそう言うと、パソコンに目を通し始めた。


「マネージャーの山倉が引退した」


「あぁ、三年生ですからね」


 三年生の男子マネージャーである山倉は引退をした為、現在、早川高校野球部のマネージャーは空位の状況にある。


 俺はその点に気付いた。


「まさか、俺にその代役をしろと?」


「お前は謙虚さや感謝の気持ちを知らない。だから、腕が治るまではしばらく裏方の仕事をしろ」


 最悪だな・・・・・・


 退部扱いを受けるよりははるかにましだが、井伊や柴原などを始めとする、男たちの臭い体臭が漂う、ユニフォームを洗濯するなどの雑用を行うのが、今から苦痛に思えて仕方ない。


 俺がそう考えていると、表情に表れているのか林田が「他の強豪校なら、退部扱いだが、俺だから、部に残してやるんだ」とだけ言った。


「・・・・・・分かりました」


「以上だ、肘が治るまではマネージャー業を頼むぞ」


 林田がそう言って、パソコンに目を通すのを確認した後に俺は一礼をした後に「失礼します」と言って、監督室を出て行った。


 監督室を出ると、小雨の降る雨の中で、セミが鳴いていた。


 夏の終わりが近づく中で、その音色を聞くと俺は日本に帰ってきたのだと知覚した。


 アメリカにもセミはいるが、湿度の高い日本特有の夏とセミ時雨が鳴くのを同時に感じると、東洋の島国の独特ともいえる風情を感じ取れた。


「あっ、浦木君!」


 声をかけられて振り返ると、短パンとTシャツ姿の瀬口真が玉の様な汗をかきながらこちらにやって来た。


「日本に帰って来たんだ?」


「あぁ、そのままアメリカに居たかったがな?」


 俺がそう言うと、瀬口は満面の笑みで「監督に怒られたんだ?」と言ってきた。


「処分を食らったところだよ」


「トイレ掃除?」


「怪我が治るまで、マネージャー業をやれってさ」


 俺がそう言うと、瀬口はクスリと笑いながら、


「その処分はかなり良心的だと思うよ」


「うるせぇな? 俺は臭いユニフォームの洗濯とボールの収拾や保全に精を出す過程を思い浮かべるだけで、憂鬱なんだよ」


「傲慢な浦木君を懲らしめるには、良いペナルティだと思うよ」


 そう言って、瀬口は汗を手で拭い始める。


 そこから漂ってきた臭いは思春期特有の獣臭い臭いでは無く、さっぱりとした甘さを感じさせる、香しい物だった。


 良い柔軟剤を使っているのだろうか・・・・・・


 それとシャンプーも良い物を使っているんだろうか?


 瀬口の甘い香りに意識が移る中で、当人に「浦木君、どうしたの?」と怪訝そうな表情でこちらを見つめていた。


「・・・・・・何でもない」


 俺はそう言った後に「じゃあな」と言って、瀬口の視界から去ろうとした。


「新学期早々、サボるなよ~」


 俺の背中越しに瀬口がそう声を伸ばすのを聞きながら俺は構内を出て行った。



「ナニィィ?」


「お前がマネージャーやと!」


 新学期が始まったその日に俺の教室で井伊と柴原が仰天した表情を浮かべる。


「・・・・・・退部よりはいいがな?」


「ぬぉぉぉぉぉぉぉぉ! 許せん!」


「何が?」


「何で、新マネージャーが女じゃないんだ!」


 井伊がそう絶叫すると俺は「何かで聞いたが、野球部内で色恋沙汰が起こると面倒だから、うちの野球部は代々、マネージャーは男子と決まっているらしい」とだけ言って、水筒に入れた麦茶を飲み始めた。


「何や、その腐れルール!」


「野球部には美少女マネージャーは付き物だろう!」


 二人がそう叫ぶと俺は「それは王道を行く、少年漫画の世界」と言った。


「アイン、お前は考えたことは無いのか?」


 井伊が顔面を近づける。


「何を?」


「かわいい幼馴染が野球部のマネージャーになって、俺に声援を送る・・・・・・」


「無いな、あだち充の野球漫画じゃないんだから」


「ぬぉぉぉぉぉぉぉ! ワシは南ちゃんを欲しているんや!」


 柴原がそう言うと井伊は「H2のマネージャーも捨てがたい!」と言い出した。


「仕方ないだろう、ルールなんだから?」


 男三人でそのような会話をしていると、同じクラスでもある瀬口が会話に入ってくる。


「どうしたの?」


「おぉぉ! 真ちゃん、ちょうどよかった!」


「野球部のマネージャーになってくれへんか!」


 そう言われた瀬口は目を点にして「えっ、何?」と怪訝そうな表情を浮かべた。


「こいつらは、うちの野球部が代々、男子マネージャーしか受け入れていないことに腹を立てているらしい」


 そう言うと瀬口は「あぁ、あだち充先生の影響をもろに受けている人たちの発想でしょう?」とだけ言った。


「全高校球児の夢やで!」


「男子校はどうすんだよ?」


 俺がそう言うと、柴原は「そうなると余計に南たんを欲する!」と言って、机を叩いた。


「頼む、真ちゃん!」


「野球部の女神になってくれや~」


 そう言われた瀬口は「いや、私は陸上があるから・・・・・・」と目を逸らし始めた。


「ちなみに言っておくが、こいつの父親は政治家の先生だから、変な真似したら殺されるぞ?」


 俺がそう言うと、井伊と柴原は「何!」と言いながら強張った表情を浮かべる。


「こっ・・・・・・国家権力には逆らえへんな?」


「うぉぉぉ、知らない間に交通事故と見せかけて殺される事もあり得る!」


 二人が「クワバラ、クワバラ」と言いながらお祈りを始めると瀬口は呆れたと言わんばかりの表情で「お父さんはこの前の内閣改造で、国家公安委員長は辞めさせられたよ」と吐き捨てるように言い放った


「何!」


 瀬口がそう言うと、井伊と柴原の二人は「つまりは一議員に戻るという事か!」と表情に好機の色を浮かべた。


「確か、党の政調会長になったんだろう?」


「あぁ、浦木君は新聞読むもんね?」


 瀬口がそう言うと、井伊と柴原は「何・・・・・・それは」や「偉いんか?」と戸惑い始めた。


 これだから、新聞を読まない奴は嫌いなんだ。


「要するに与党の幹部だから、お前らが瀬口に変な事すれば、交通事故に見せかけて殺す事も可能という事だ」


 俺がそう言うと、井伊と柴原は「こっ、国家権力だ!」や「わぁ~堪忍や!」などと騒ぎ立てた。


 すると瀬口は呆れたと言わんばかりの表情で「原則として党の要職であって、警察に何か口利きすることは無いよ」とだけ言った。


「まぁ、建前上だけどな?」


 俺がそう言って、瀬口に目線を向けると「仮にそうなったら、私はお父さんを許さない」と静かに言った。


 瀬口は政治家の身分で権力を隠さずに乱用する、父親の事を軽蔑しているのだ。


 もっとも、人から見ればそれがどう映るかは、分からないが・・・・・・


「そうか・・・・・・真ちゃんがそう言って助かるよ」


「じゃあ、野球部のマネージャーになってくれや!」


 井伊と柴原がそう言うと「止めとくよ、私は陸上頑張らなきゃ」とだけ言った。


「先生が来るよ」


 そう言って、瀬口は自分の席へと戻っていった。


「今日の真ちゃんはなんか余所余所しいな?」


 井伊がそう言うと、俺は「お前らがあいつの話ししたくないことを言うからだろう」とだけ言った。


「そんなに自分の父親が嫌いなんか?」


 柴原がそう言うと、俺は「どうやらただの反抗期の類では扱えない物である事は確かだ」とだけ言った。


「・・・・・・」


「・・・・・・」


「どうした、何か言えよ?」


「例えば?」


「クラスでは嫌いなクラスメイトナンバーワンの俺が、野球部で雑用に回るんだぞ? これほどのニュースは無いだろう?」


そう、俺が言うと「おぉぉぉ、それを忘れておったわ!」と柴原が叫び出した。


「ふふふふふ、どうやって、こき使えばいいか、今から考えたるわ!」


「まぁ、日本でマネージャーっていうのを雑用係の呼称にしているのはいささか気に食わないがな?」


 俺がそう言うと、井伊が「アイン、うちの野球部のマネはスポーツ統計学部と連携してデータ収集をするから、結構過酷だぞ」と言った。


「そうなのか?」


 早川高校には各運動部のプレーを統計学的に分析する、スポーツ統計学部が存在する。


 部員たちは睡眠時間を削って、各部活のプレーを統計する為、ほとんど寝る事は無いそうだ。


 ちなみに三年生が引退した為、俺が嫌う、部長の山上は去り、比較的、俺に好意的な二年生の山下が部長に就任したので、俺的には幾分か都合の良い、展開が見込める。


 もっとも、俺はしばらくプレーしないが・・・・・・


「それと同時に雑用だから、下手なブラック企業もびっくりの労働量だ」


「あぁ、そう言えば、前のマネージャーの山倉先輩は三年生にして鬱寸前に陥ったという噂を聞くで?」


 俺はそれを聞くと「本当か? ガセネタだろう?」と言った。


「いや、山倉先輩は野球部での激務で、卒業後の進路をニートと書き込んだらしい」


 俺はそれを聞くと、水筒の麦茶を噴き出した。


「それはかなりの重症だろう!」


「学業の成績が良いから、教職員やうちの監督も何とか立て直そうとしているんだがな?」


 俺はそれらの話を聞くと、さらに憂鬱な気分に陥った。


 こんなバカどもにこき使われて、鬱病に陥るのか・・・・・・


 ある意味、退部処分よりもブラッキーなペナルティだな?


 監督の林田を思い浮かべると、唾の一つでもかけたい気分になった。


「よーし! 存分にこき使ってたるで~!」


「その前に、県大会勝てよ」


 早川高校は夏の神奈川県大会を優勝しているので、八月中に行われる県のブロック予選出場は免除されている。


 ブロック予選は華やかに夏の甲子園本大会が行われている一方で甲子園に出られなかったチームが集まり、八月中に地味に大きな学校のグラウンドで行われる。


 その方式は県を各地区、四チームに分けて、リーグ戦を行い、その上位二チームが本選のトーナメントへと進めるのだ。


 そして、俺たちの野球部だが・・・・・・


 予選免除でトーナメント出場の為、他チームからはかなり警戒されるだろうと俺は考えていた。


 だが、俺がそう思考しているのを察し取れないのか、柴原は「データ収集名目で、こき使ったるぅ!」と言った後に鼻歌を歌いながら、自分の教室へと戻っていった。


 ちなみに推定するに曲はウルフルズの大阪ストラットだと思えた。


 あいつは関西人だからな・・・・・・


「いきなり県大会か、うちは投手手薄だからな?」


「沖田先輩は引退したから、井上さんしかいないだろう?」


 エース候補の二年生井上は、自己愛が強く未熟な投手だが、その未熟な投手に頼らざるを得ないのが、今の早川高校のチーム事情である。


 その一方で引退した三年生の投手、沖田薫と捕手である金原啓二は現在、韓国で行われている十八歳以下の野球日本代表の遠征に帯同している。


 本来であれば、春の段階で代表メンバーは決まっていたが、代表候補に怪我人が二人も出た為、急遽、この二人が招集されたのだ。

 

 その沖田と金原は共に大学進学を俺達に宣言している一方でマスコミはプロ入りの可能性ありとして変則の左サイドスローの沖田と超高校級キャッチャーとも言われるようになった金原の動向を伝えているメディアがいるのも事実だ。


 しかし、当人たち・・・・・・


 特に沖田は「三年になってから全国区になってもドラフトじゃあどうせ、下位指名だから大学に行く」と明言し。金原も「推薦受けられるなら大学に行かない理由は無い」と語っていた。


「野球部以外の連中は皆、あの二人がプロへ行くものだと思っているよ」


「本人たちは地に足がついているのにな?」


 俺がそう言うと同時に担任の佐々木が入ってきて、簡単な挨拶が始まった。


 退屈な学校が始まったな・・・・・・


 そう考えるとこれから訪れるであろう、ブラッキーなマネージャーの仕事も合わさってどこか憂鬱な気分にならざるを得なかった。



 始業式が終わり、野球部が活動し始めるが、早速、俺はジャージに着替えて、マネージャー業に勤しみ始めた。


 まず、部員たちが守備練習を行っているのを見たが、かなり、つまらなかった。


 何故なら自分が出ないのだから。


「ふはははは、見てみい、ワシの華麗なるプレーを!」


 柴原がショートで三遊間の深い位置のボールを取り、体を反転させながら、一塁にボールを投げ込む。


 ファーストは三年生の引退後にサードからコンバートされた、主砲の林原樹だ。


 守備練習中にセンターを守る、木村浩二郎とは九月初めと言うのに未だに主将の座を争う、権力闘争を行っていた。


 キャプテンぐらい監督が決めろよ・・・・・・


 早川高校の野球部の主将の座は、部員たちの投票で決めるそうだ。


 木村と林原の二人のどちらかが主将の座に近いと言われているが、ここまでの得票でどちらがリードしているかはまだ分からない。


 もっとも、どちらが主将になっても特に違いが出るという事ではないが?


 ちなみに木村と林原は共に主将になったら、生徒会に甲子園ベスト十六の実績を理由に部活動の予算を大幅に上げると言うマニュフェストを発表した。


 俺はファーストを守る林原とセンターを守りながらサングラスを光らせる、木村を眺めながら今日の練習の様子をメモし始めた。


 もっとも、ここまで牧歌的な空気が流れて、平和な空気の練習が行われていたのだが・・・・・・


「先輩、そろそろ水分補給にしませんか?」


 俺がそう言うとノッカーを務めていた、二年の山南哲也に申告した。


 彼は地味ではあるが、三年生の引退によりレフトの守備位置を射止めた選手でチームバッティングを心掛け、堅実な守備と強肩を誇る選手だ。


「よし、水分補給しよう!」


 山南がそう言うと、選手達はグラウンドから引き上げ、ベンチへと集まっていった。


 残暑が残る気温の中、選手達は大粒の汗を流していた。


 俺は左手一本で、クーラーボックスを持ち上げ、蓋を開ける。


 そこには冷やされたスポーツドリンクが大量に保存されていた。


「おおぅ、夏のオアシスだ」


「暦上は秋なんだがな?」


 井伊とそのようなやり取りをしていると木村が突然立ち上がり始めた。


「浦木」


「何でしょう?」


「主将選抜選挙は俺に投票してくれ」


 木村がそう言うと、スポーツドリンクを飲み始めていた。


 そして、林原は「いや、浦木は俺に投票するだろう」と言い出した。


「そんな事は無い!」


 木村はそう言うと「俺に投票してくれたら秘蔵のDVDコレクションを進呈しよう」と言った。


「それって、明らかに十八禁ですよね?」


 俺が笑顔を浮かべながら、メモを書き続ける。


「じゃあ、俺に投票してくれたら、何か食い物を送るよ」


 林原がそう言うと俺は「じゃあ、山形のダシで」と言った。


 俺がそう発言すると同時に部員たちは「渋っ!」と言い出した。


「お前、若者ならもっとヘビーな肉とかやろ?」


 柴原がそう言うと俺は「今の俺は頭脳労働が主体だから、そういうさっぱりとした物を欲しているんだよ」とだけ言った。


「まぁ、東大生の大半は蕎麦が好きで、ヤンキーはエビフライが好きって話を聞くしな?」


 木村がそう言うと林原が「どこからの情報だ?」と聞いてきた。


「担任の丸山」


「あいつか? 結構無責任な発言が多いからな?」


「というか、それは偏見じゃないか?」


 山南がそう言うと木村が「丸山曰く、魚介類の好きな猫は脳内の物事を理解する部分が欠落していて、魚介類を食べると、そこが埋まるらしい」と言った。


「じゃあ、問題ないだろう」


 林原がそう言うと、木村は「いや、東大生はもう、その部分が埋まっているから、蕎麦なんだろう?」と反論した。


「まぁ、それはともかく丸山はどこからその情報を仕入れたんだよ?」


 山南が問いただす。


「バラエティ番組」


 木村がそう言うと、ピッチャーの井上が「根拠の乏しい話をする、丸山らしいな」と言いながら、鼻で笑い始めた。


「話によると、丸山にその話はテレビ番組が根拠になっているのを指摘した、生徒が中間テストで不当に点数が下げられたらしい」


 林原がそう言うと「うわぁ、腐敗した教師・・・・・・」と木村が言う。


「軽く、大人不信になるな?」


 山南がそう言う中で、木村は「まぁ、そんな身近な大人が腐敗している中で、浦木!」と言って、俺の手を取る。


「俺に投票すれば、そんな腐った大人も粛正する。そして、秘蔵のDVDコレクションをーー」


「腐った大人を粛正する点では、木村と公約は同じだが、俺に投票すれば、山形のダシと漬物セットを大量に奢ってやろう」


 林原がそう言うと「いいですね、林原先輩に投票しようかな?」と俺は言った。


「何!」


 井伊と柴原が叫び出す。


「貴様、食い物で主将を選ぶんか?」


 柴原がそう言って、詰め寄るがそれを無視して、俺は林原に「林原先輩、白米も付けてください」と要求した。


「無論だ。男に二言は無い」


「なら、いいだろう」


 木村は井伊と柴原の手を取り、


「俺に投票したら、秘蔵のDVDコレクションをーー」


「俺たちは木村先輩に投票します!」


 木村とがっちりと握手した、井伊と柴原は「浦木、決まりやな?」と言ってニタリと笑い始める。


「これで選挙の争点が二極化したぜ!」


 井伊と柴原がそう言って高笑いをすると「お前ら、もう勝ったつもりかよ」とだけ言った。


 すると山南は「それ以前にチームの命運をかける、大事な選挙において食い物とDVDを賄賂にして支持者拡大するとかお前等も丸山以上に腐敗しているだろう? 大体、DⅤDは時代じゃないだろう? 今どきはネットだろう?」と言い出す。


 しかし、木村は「動画は十八歳以下は見られない。大体、DⅤDを隠れて見る時のわくわく感に勝るものは無い!」と豪語した。


「意味分かんねぇ」


「要するに次元大介がリボルバーに拘るようなもんさ?」


「ますます、意味分かんねぇ!」


 木村と山南がそうやり取りする中で一年のライト木島が「ついでに言えば、実際の政治選挙では立派な公職選挙法違反」と言って、用具の準備をする。


 準備が整うと木島は山南と共にグラウンドへと向かって行った。


「まぁ、一年の支持票を集めるしかないな?」


 木村はそう言うと、汗を拭ってサングラスを付け、ベンチを出て、センターへと向かって行った。


「予算の拡充によって、何を買うかも争点だな?」


 林原はファーストの守備位置に付く。


 井伊と柴原は俺に詰め寄る。


「お前らは、エロDVDで買収されたのか?」


 俺がそう言うと、井伊は「いや、お前は食い物で買収されているだろう!」と言い出した。


「ええやないか、どうせどっちも腐敗した候補なんやから?」


「それ、本人の前で言うなよ、一応先輩なんだから」


「まぁ、あんな奴らに投票するのも忍びないな・・・・・・」


 井伊がそう言うと柴原が「何や、お前はまさかーー」と当人を怪訝な表情で見つめる。


「野球部の規定に、一年生が主将になったらいけないなんて書かれていないだろう?」


 井伊がそう言って、不敵な笑みを浮かべた。


「成程、クーデターを起こすつもりか?」


 俺がそう言うと井伊は「シー!」と言い出した。


「奴等に察知されたら、計画はおじゃんだ」


「・・・・・・武力は使うのか?」


「一年をどれだけ掌握できるかによるな?」


 井伊がそう言った後にベンチに残った、俺、井伊、柴原の三人の間には沈黙が漂い始める。


「でっ、俺たちのクーデターが成功したら、主将は誰になる?」


 俺がそう言うと井伊と柴原は同時に「俺!」と言い出した。


 それを聞いた俺は、「こういう所から独裁者が誕生するんだろうな?」とだけ言って、部から支給されたタブレット端末に手をかける。


「おい、待て!」


「お前も主将になりたいやろ!」


 二人がそう言うと俺は「いいよ、面倒臭い事が多いから」とだけ言った。


 二人が「ぐぬぬぬぬ!」と言い出して、唇を噛みしめ始めると、二年生の山南が「お前ら、練習再開するぞ!」と言い出した。


「おおぅ、そうだった」


「監督がいたらどやされるところやな!」


 そう言った二人は、急いでスポーツドリンクを飲み干すと、急いでグラウンドへと戻って行った。 


 俺はその光景を眺めながら、メモをひたすら取り続けていた。



 九月某日。


 野球部は神奈川県秋季大会のトーナメント本選に出る為にJR戸塚駅から横須賀線に乗り、保土谷駅からバスで十分の所にあるサーティーフォー保土谷球場へと向かって行った。


 今回の俺達の試合は来年春に甲子園で行われる、選抜高校野球大会の予選を兼ねた、県の秋季大会の二回戦である。


 今回は、夏の神奈川県王者という事で推薦出場となった為、地区ごとでリーグ戦を行うブロック予選を早川高校は免除された。


 今は引退して受験勉強をしながら韓国に遠征している、沖田と金原は、毎年のようにブロック予選でのリーグ予選で観客のいない大きな高校の野球部グラウンドで戦い続けていたらしいが、今回、俺達は初めから球場で戦う事になる。


 そう考えると何か勝ち誇った気分になるが、今回は早くも没落の空気も感じ取れた。


 投手陣が手薄すぎるのだ・・・・・・


 いくら、ブロック予選免除と言っても、井上の練習試合での打たれっぷりを見るに下手したら、県大会初戦負けも考えられるな・・・・・・


 俺達の目標は選抜出場ではあるがそれも黄色信号だ。


 この大会では優勝、準優勝、三位決定戦の勝者が関東大会へと進むことが出き、関東大会では成績優秀なチーム四校が高野連の選抜によって、春の甲子園へと出ることが出来る。


 ちなみに、関東大会ではベスト八で敗退したチームが何故か、春の大会への切符を手にするという事も過去にはあったが、まぁ、一番手っ取り早い方法は関東大会で優勝することなのだろう。


 また、東海大会では準優勝したのにセンバツに選ばれなかったという珍事があった。


 俺がそう思考を働かせている中でJR横須賀線の中でユニフォーム姿の選手達が試合前に緊張で顔を強張らせていた。


 その中で監督の林田は電車のモーター音を聞く為に床に耳をくっつけ、恍惚と言っても良い表情を浮かべていた。


「アイン・・・・・・」


「何だ?」


 井伊が珍しく不安げな声と表情を此方に向ける。


「俺達はディフェンディングチャンピオンだろう?」


「夏の場合はな。去年の秋の大会は横浜地区のブロック予選から一位通過して、トーナメントには進めたが、県大会はベスト八で敗退。関東大会へは進めなかった。よってお前の言うディフェンディングチャンピオンと言う、言い方は正しくない」


「そうは言っても、ワシらは甲子園行ったし、現に推薦でブロック予選は免除されたから実質、ディフェンディングチャンピオンやろ?」


 柴原がカレーパンを食いながら、此方に話しかける。


「お前、試合前にそんなもの食ったら、吐くぞ」


「黙れい、自己管理の問題や!」


 柴原がそう言うと、俺は「試合中にゲロ吐かれたら、大失態だろう。一応、県のテレビ局が来るんだからな?」とだけ言った。


 そう言うと、井伊と柴原はしばし沈黙を保った後にハイタッチした。


「俺たちは・・・・・・」


「メディアに忘れられてはいなかった!」


 そう言った二人は「ガスパージン、ガスパージン!」と言いながら、抱き合った。


 お前らはロシア人か・・・・・・


 ちなみにガスパージンとはロシア語で言うミスターなどの形容詞である。


「まぁ、井伊が今回キャッチャーなんだよな?」


 俺がそう言うと、井伊は「おおぅ、やっと本職だぜ」と言いながら「ガスパージン、ガスパージン」と言って、俺に抱き着こうとしてきた。


「俺はアメリカ育ちだから、ロシアには抵抗があるんだが?」


「伝統的なアメリカ人だな? トランプ大統領はロシア好きだぞ」


 井伊がそう言うと、俺は「あいつな?」とだけ言った。


「親父が冷戦期を良く知っているから、必然的に俺の家はロシアにアレルギーを持っているんだよ」


 そう短く言った後に俺は「それはともかく、今回は打撃が注目されているお前のリード面が問われるな? 先発はポンコツの井上さんだし」とだけ言った。


 当の井上はアイフォンで音楽を聞いている。


「お前・・・・・・先輩相手にポンコツは無いやろ」


「甲子園から帰って来た練習試合での井上先輩の練習試合での防御率、酷すぎるんだよ。それが背番号一だぜ」


「お前はその時、アメリカ旅行中だろう?」


「お前は自分が怪我しているから、ひがんでいるんやろ?」


 井伊と柴原がそう言うと、思わずその顔面を殴りたい衝動に駆られていたが、右腕が完治していないので、実行に移すことは出来なかった。


「ちなみに言っておくが、井伊のリードは良い方なんやで?」


「打撃が良いのは認めるが、こいつは金原キャプテンに比べて、無駄球を多く使うと言われているが?」


 そう言うと、井伊は「俺の強肩は夏に見ただろう?」と言ってきた。


 夏の神奈川県大会が始まる直前に建長学園との練習試合で座ったまま一塁ランナーを牽制し、アウトにした光景が、俺の脳裏に過った。


 確かに肩は良いんだよな・・・・・・


「なら公言しよう、俺は井上先輩の自責点を三点以内に抑える」


 井伊がそう言いながら、ウルトラマンの変身ポーズを取ると俺は「駄目だ、完封だ」とだけ言った


 そう言うと井伊は「えぇぇぇ?」と不満そうに顔を歪めた。


「お前は自称でもリードは上手いんだろう?」


 俺がそう言うと柴原が「さすがに井上さんで完封は難しいやろう?」と顔を歪ませた。


「今日の相手は横浜地区を勝ち抜いた、実生総合高校だ。あまり強い高校ではないから、これで完封できなければ、うちの投手陣は泣きたくなるほど貧弱だということが露呈する」


「うちは・・・・・・打撃と機動力で打ち勝つ野球やろう?」


 柴原がそう言ったが俺はそれを無視して「まぁ、相手は一般的な高校だが、それ故に甲子園出場校としてコールドで完封という内容で勝利しないと、関東大会への出場は厳しいぞ」と明言した。


「・・・・・・」


「・・・・・・」


 井伊と柴原が黙る。


「出来ないか?」


「・・・・・・やるよ」


「その代わり、お前・・・・・・無失点に抑えたら、バーガーを奢れや?」


 二人がそう言うと、俺は財布の中の金額を計算した後に「出来るかな・・・・・・」とだけ言った。


「ケチめ!」


「ドケチや、ドケチ!」


 経営者向きだろう?


 それ?


「・・・・・・まぁ、完封出来たらな?」


 俺がそう言うと柴原は「よっしゃ、完封とコールドだったらバーガー三個以上は行くで!」と言い出した。


 それに対して俺は「まぁ、無理だと思うがな?」とだけ言った。


〈まもなく、保土谷、保土谷、ご乗車ありがとうございます〉


 電車の中で女のアナウンスが入る。


「監督、着きます」


 俺がそう言うと、林田は「チッ!」と選手にも聞こえるような舌打ちをした。


「せっかくの、至福の時間を・・・・・・」


 プライベートで行けばいいだろう?


 忙しいだろうけど・・・・・・


 俺はそう感じたが、処分を食らっている最中でもあるのであまり林田を刺激しないようにした。


「よし、皆、今日は完封とコールドが絶対条件だ」


 林田がそう言うと、部員達が「えぇぇぇ!」と悲哀をにじませた声を挙げた。


「出来るだろう?」


 林田は不機嫌な態度を隠さずに床に置いた荷物を抱え始める。


 すると木村が「林田ちゃん、もし達成できなかったら?」と聞いてきた。


「試合会場から、舞岡の学校まで走って帰ってもらう」


 林田がそう言った瞬間、部員達の顔が青ざめ始めた。


 試合会場のある保土谷から早川高校のある舞岡まで走るか・・・・・・


 大丈夫か?


 部員の中にはスマートフォンで走る距離を計算する奴まで現れた。


「俺は機嫌が悪いんだ。せっかくの横須賀線のモーター音が?」


 監督がそう言うと、電車のドアが開いた。


「よし、行くぞ」


 監督がそう言うと、部員達は「・・・・・・ウェイ」と元気なく応答した。


 すると監督が珍しく大声で「返事は!」と怒鳴りだした。


「ウェイ!」


 そう言った選手達は急いで、野球道具や様々な用具を運び出し、電車から飛び降りた。


「・・・・・・とんだペナルティだな?」


「だが、バーガーは忘れるなよ」


「その前に、ランニングでゲロ吐かないように条件を満たせよ? そして勝て」


 俺はそう言った後に井伊と柴原から離れて、電車を降りた。


 九月に入ったというのに、気温は暑く日本特有の湿気が俺には不快に思えた。



 試合会場のサーティーフォー保土谷球場に入ると観客席は閑古鳥が鳴くかのように閑散としているのが目についた。


「井伊」


「何じゃい、アイン?」


「吹奏楽部の連中は来ないのか?」


 俺がベンチからグラウンドを見つめながらそう答えるとキャッチャーの防具を付ける途中の井伊が「連中は全日本吹奏楽コンクールに出るから秋の大会には出ない」とだけ言った。


 そうか、それならあのゲームの音楽で固められた、応援曲は鳴り響かないか?


 そう考えるとアインは、何かすっきりとした感覚を覚えた。


「お前、秋の大会に吹奏楽部が出ないのは高校野球では常識やで?」


 柴原がスパイクの紐を結びながら、グラウンドを見つめる。


「そうなのか?」


「大体が、吹奏楽部の本職である大会との日程が秋の県大会と関東大会と被るんや。夏と比べて力の入れようが違うわ!」


 柴原が靴ひもを結び終えると、井伊は「今回はゼルダの伝説のテーマが流れないのが寂しい」と囁くように言った。


「あいつら、ゲームのBGMしか演奏しないじゃないかよ」


 俺がそう言うと、柴原が「まぁ、コンクールではどんな結果になるかが楽しみやな?」と言って、バナナを食べ始めた。


「お前・・・・・・二度目だが、吐くぞ」


「問題無い、ワシは腹が減っているんや」


「朝飯食っていないのかよ?」


「さっきのカレーパンが朝飯や」


 二人でそのようなやり取りをしていると、木村が「整列するぞ」と言い出した。


「よし、マネージャーは俺達の雄姿を見といてくれ!」


「うぉぉぉぉ、アンゴルモアパワー!」


 柴原がそう言って、叫ぶのを聞いて俺は「古いぞ、アンゴルモアなんて? 今時の高校生は知らないだろう? 大体それはサイボーグクロちゃんのネタだろう?」とだけ言った。


「懐かしいなぁ? 伝説の漫画であるサイボーグクロちゃん」


「じゃかましい、ワシらは早川高校老生クラブの会長と副会長や」


 柴原がそう言うと、井伊が「あたすが会長だす」と言い出した。


「・・・・・・もういい、お前ら、さっさと整列しろ」


「よ~し、ランニングの罰が掛かっているんや!」


「この勝負、勝たせてもらう!」


 井伊と柴原はそう言いながら、木村、林原、山南を始めとする上級生と一年生からライトのレギュラーを務める木島竜介もその後に続く。


「浦木、お前スコア付けられるか?」


 監督がグラウンドを見ながら、背中越しに語り始めた。


「まぁ、簡単には・・・・・・」


「バックネット裏では、補欠の連中にビデオを回してもらっているが、スコアを書くのは重要だ。慣れないが頼むぞ」


 珍しく、優しいじゃないか?


 俺は「はい」とだけ言って、グラウンドに目をやる。


「両者整列!」


 審判がそう言って、両者が整列する。


「礼!」


 そう言って、両者が礼をした後に後攻の早川高校が守備位置に付く。


「しまって行こう!」


 キャッチャーの井伊がそう言うと同時に相手の一番バッターが打席に立つ。


 次の瞬間に、サイレンが鳴り、試合が始まった。


 俺はノートにスコアを書くことに勤しむことにした。



 一回の表いきなり試合に山場が訪れた。


 先発のピッチャー井上が、実生総合高校の一番と二番を三振に切って取った後にフォアボール一つとシングルヒット二つでツーアウト満塁の状況を作り始めた。


「いきなり、ランニングの罰が見えてきましたね?」


 早川高校の制服姿に野球部の帽子を被った俺はベンチで腕を組む林田にそう問いかける。


「言っておくが、ランニングにはマネージャーのお前も参加してもらう」


 林田が感情を消した声でそう言うと俺は「俺は怪我人ですが?」とだけ返した。


「足は問題ないだろう。秋から冬にかけて、下半身強化だ」


 そう言って、腕組をする林田を俺は一瞬睨み据えたが、すぐに目を反らした。


 反発してさらに制裁を課せられるのが嫌だからだ。


 俺がそのような心情を抱いている一方で、グラウンドでは井上がスライダーで六番バッターを三振に切って取った。


 そして吠えた。


「一回からアクセル全開ですけど、あれで先発持ちますかね?」


 俺が林田に問いかけると、林田は「だから、言ったろ、コールドと無失点が絶対条件って?」とだけ言った。


そして、林田はグラウンドから帰る選手たちを出迎える。


「・・・・・・」


「・・・・・・」


 その間、選手達と監督には会話は無かった。


 皆、ランニングの恐怖に怯えているのだ。


「よし、行け、一番」


 そう林田に言われて出て行った、柴原は「俺に任せておけや!」と言って、グラウンドを出て行った、しかし他の選手達は無言だ。


「浦木」


「何だ?」


「見てみい、背番号六や、晴れてレギュラーや!」


「・・・・・・周りが沈黙を保つ中で、よくハイテンション維持できるな?」


 俺の皮肉を他所にそれを聞いていないのか、柴原は「はっはっはっ! トップバッター登場や!」と言って、バッターボックスに向かった。


 それと同時にネクストバッターズサークルには二番センター木村、三番ライト木島が向かう。


〈一回の裏、早川高校の攻撃は一番ショート、柴原君、背番号六〉


「ふはははは、見てみい、恐怖のーー」


「ストライク!」


 柴原が大見得を切っている間にボールが投げられた。


「あのピッチャーはテンポが速いと聞きました」


「まぁ、バッターの準備が整う前にボールを投げないのは暗黙の了解だがな?」


 四番ファーストの林原が静かにそう答える。


 そうこうしているうちに柴原はワンボール・ワンストライクのカウントで打ちに行き、それを実生総合のサードが落球。


 エラーでの出塁となった。


「相手のキャッチャーは肩がそれほど、強くありませんね?」


「となると・・・・・・」


 俺と林原がそうやり取りをすると、ベンチに立つ林田が一塁ベースの柴原に盗塁のサインを出す。


 しかし、そこを相手ピッチャーが一塁牽制をしてくる。


 一瞬タイミングが遅れた柴原はヘッドスライディングをする。


 ギリギリセーフ。


「あぶねぇな・・・・・・」


 林原がそう言うと、林田は木村にもサインを出す。


「木村さん、結構バント上手いですよね?」


「まぁ、運動神経良いから、三番も任せることも出来るみたいだな?」


 井伊とそのような会話をしていると、


 一塁線上の柴原が二塁へ駆け出した。


 木村が初球を見送って、ストライクを先行させた後に実生総合のキャッチャーが二塁へ送球するがそれは外野へと転がっていった。


 それを見た、柴原は快足を飛ばし三塁へと向かう。


 実生総合のセンターがボールを取り、返球の姿勢を見せるが柴原の足が勝り三塁ベースを奪い取った。


「打つか?」


「バントの上手い、木村さんだからスクイズも選択の内に入るだろう?」


 部員達がそう言った直後に甲高い金属音が球場に響き、打球はセンター前へと転がり、実生総合のショートとセカンドはそれを取ることが出来ずに結果はヒットとなった。


 打球を見ながら木村は左バッターボックスから、一塁へと駆け上がっていった。


 待望の一点目だ。


「よーし、幸先良いぞ!」


「見たかぁぁ! 浦木!」


「何が?」


「これが切り込み隊長のーー」


 柴原に利き腕ではない左腕でビンタした後に俺はノートにスコアを書き始めた。


「きっ、貴様、ワシを殴ったな?」


「親父にも殴られた事ないのにと言いたいか?」


「・・・・・・アムロかよ」


 部員の一人がそう言うと、控えの一人で同学年の阿藤が「じゃあ、浦木はブライトさんよろしく『殴ってなぜ悪い』って言って、腕を広げなきゃな?」と言って、ブライトさんの両手を広げるポーズを行った。


 あの名シーンか・・・・・・


 俺は二人のそのやり取りを無視して、グランドを見入った。


 すると、二番の木村も初球で盗塁を仕掛け、悠々と二塁を陥れた。


「これは圧勝やな?」


「・・・・・ノルマを忘れるなよ」


 俺は柴原にそう苦言を呈した後にグラウンドを眺めながら、スコアを書き続けていた。


 グラウンドには再び、甲高い金属音が響いた。



 五回表に突入した。


 試合は早川高校が実生総合のキャッチャーの貧弱な肩に付け込むかのように盗塁をし続け、それをヒットや長打で返すという攻撃の繰り返しで、ここまで一五対〇という試合展開になっていた。


 この回を無事抑えれば、コールド勝ちで試合終了だ。


「井伊が無失点に抑えてくれるとわな?」


 キャッチャーを務めている井伊は無駄球を多く使うものの、ここまで井上のスライダーを軸に一五個の三振を奪っていた。


 現在ツーアウトで、最後のバッターを迎えた。


 相手バッターは泣きながらバッターボックスへと立っていた。


「監督、無失点に抑えないと罰ゲームですか?」


「当然」


 林田がそう言った瞬間にチームは祈るようにグラウンドを見つめていた。


 初級、カーブでカウントを取る。


 ストライクだ。


「オッケイ、球来ていますよ!」


 続く二球目は井伊が高い位置に、構える。

 

 恐らく高めのストレートで釣り玉を狙うのだろう・・・・・・

 

 そう思った矢先だった。


 井上が失投をして球が真ん中よりに来てしまった。


 誰もが凍り付いた瞬間。


 相手バッターは渾身のフルスイングでボールを金属バットにぶつけた。


 すると打球はサーティーフォー保土谷球場のレフトスタンドに入ってしまった。


 ダイヤモンドを回るバッターはこれでもかとばかりにガッツポーズをする。


 その瞬間、大量リードをしているはずの早川高校のベンチは全員が絶望感に包まれた。


「・・・・・・罰ゲーム確定だな?」


 監督がそう言った後に、選手達は顔を俯けた。


 そして、帰り道。


「遅いぞ、速く走れ!」


「ウエェイ!」


 早川高校野球部の面々は林田監督が先導の下、山だかどこだか分からない道を走り続けていた。


「監督・・・・・・水をーー」


「次の休憩地点まで待て」


 そう言われた部員は今にも倒れそうだ。


「まさか、監督まで走るとはな?」


「しかも、まったく疲れ見せねぇよ」


「あぁ見えて、元プロだもんな?」


 林田は新人王を取ったこともある、プロ野球選手だったが、怪我の影響で引退して教師になった経歴を持つ人物だ。


 出身大学は強豪として知られる亜南大学であり、その野球部は理不尽の塊で出来たところだと聞いているから、俺たちみたいなひ弱な現代っ子とは感覚が違うのだろう。


 アインは肺から喉に血の鉄臭い味を感じながら、走り続ける。


「うわ~ん、アイン、ランニング終わらないよ~」


 井伊が泣きそうになりながら、俺の隣を走る。


「ノルマ達成できなかったから、バーガーは無しだ」


「うぉぉぉぉ! 最後に打たれるとかありえへんやろう!」


 井伊と柴原が早々に弱音を吐く中で、俺は右腕を庇いながら、夕暮れの道を走り続ける。


 このままだと夜になるな?


 俺はその時まで体力が持つかが不安だった。


 化け物め・・・・・・


 先頭を走る林田を眺めながら、俺はそう罵倒したい気分だった。



 早川高校野球部はその後、順当に県大会のトーナメントを勝ち上がっていった。


 しかし、いずれも格下相手にコールドを決めても、失点をするという内容なので、試合後には保土谷から舞岡まで走って、学校に戻ると言う地獄のペナルティが毎回行われる事になった。


「・・・・・・」


「・・・・・・」


「・・・・・・」


 俺と井伊、柴原を始め、野球部員全員が長距離のランニングを課される為、全員が疲労を抱えていた。


「ヤッホー! 後輩たち! 元気かな?」


 陸上部のエースである、二年生の川村光が一年のクラスに現れた。


「ご存知か分かりませんが、うちは投手陣が貧弱な為、試合をこなした後に長距離ランニングを敢行させられて、野球部は全員、ゾンビのようにグロッキーな状況になっています」


 俺がそう言うと、井伊は「どうせなら、ジルに脳髄を撃ち抜いてもらいたいぐらいです」と言い出した。


 それを聞いた柴原は「俺たちはいつからアンブレラ社の実験体になったんや?」と言いながら項垂れる。


「いや、もう監督がウェスカー並みのスタミナを発揮しているだろう」


 俺がそう言うと、柴原は「お前は今、マネージャーやから、俺等と疲労の度合いが違うんや!」と言って、机に伏せて寝てしまった。


「野球部は相当、ガタが来ているみたいね」


「それもこれも、投手陣がポンコツばっかりだからですよ」


 俺がそう言うと、井伊は「俺もがんばってリードしているんだけどな?」と言って、机に伏せて寝てしまった。


「それはそうと、浦木君」


「何でしょう?」


 俺は机に垂れかかるような、姿勢のまま、川村の話を聞いていた。


「今度の日曜日って、試合無いでしょう」


「練習があります」


「木村に聞いたら、練習も休みみたいよ」


 木村め、余計なことを・・・・・・


 その日は長距離ランニングで蓄積した疲労を消化する為、家で寝ていようと思ったのだが?


「その日は県の新人戦があって、私と真も出るから、応援に来て欲しいんだ?」


 川村がそう言うと、俺は「その日は寝ていようかとーー」と言いかけたが、川村が「陸上って、レオタード着るでしょう?」と静かに告げた。


「あぁ、そうですね?」


 俺がそう言うと、井伊と柴原が「何、レオタード!」と言って、飛び起きた。


「川村先輩!」


「ワシらは行きます!」


 二人がそう言うと、川村は「う~、私としては浦木君に来てほしいんだけどな?」と渋い表情を見せた。


「俺は家で寝ています」


「陸上の競技場って、レオタード目当ての変態オジサンが、出没するんだよね?」

 

 それを聞いた俺は「それは警察に任せればいいじゃないですか? 社会問題ですし?」とだけ聞いた。


「まぁ、そうだけど、一応は護衛をね?」


「俺たちが引き受けます!」


 井伊と柴原は直立不動で敬礼をしだした。


「よろしい、二等兵たち」


「イエッサー!」


「任務を与える」


「イエッサー!」


 二人がそう言って、敬礼すると、川村は「当日には、浦木伍長を無理やりにでも引っ張り出してきなさい」と人差し指で二人を指す。


「・・・・・・何故?」


「どうして、浦木ありきなんや!」


 二人がそう言いながら、地団太を踏み出すと、川村が「真ちゃんのお父さんいるでしょう?」と俺に語り掛けた。


「議員先生がどうしたんです?」


「何か、週刊誌にパワハラを告発されそうなんだよね?」


 それを聞いた、俺は一抹の不安を覚えながらも「俺に何をしろと?」とだけ聞いた。


「真はナイーブな所があるから、父親のスキャンダルで競技に影響を受けるのは避けてもらいたいものなのよ」


 そう言った川村に対して、俺はしばらく、沈黙を保った。


「どう?」


「行きます」


 俺がそう言うと、柴原が「お前まで来るんか?」と苦虫を潰した表情を見せる。


「俺も寝ていたいんだよ?」


 俺がそう言うと、川村が「朝早いから寝坊しないようにね?」と言って、一年の教室を出た。


「浦木・・・・・・お前、寝ててもいいんやで?」


「何で?」


「護衛なんか、ワシ等だけで十分や」


「その通り!」


「お前等、二人だけで競技場向かわせたら、護衛どころか、変態おじさんと一緒になってレオタードの鑑賞会を始めるだろう?」


 俺がそう言うと二人は「うぐっ!」と言い出した。


「おのれ、アイン!」


「何故、ワシ等の心理が分かるんや!」


 二人がそう言う中で、担任の佐々木が教室に入る。


「ヤベ、授業や!」


 そう言って、柴原が教室を出て行った。


「・・・・・・真ちゃんが心配か?」


 井伊がそう言うと、俺は「別に、ただ野球部の部員が不祥事を起こさないようにするのも今の俺の仕事だ」とだけ言った。


「俺たちを変態オジサンと一緒にするなよ」


 井伊がそう言うと同時に教壇からチョークが飛んできた。


 すると、井伊はそれをマトリックスよろしく、背中をのけぞらして、避けた。


「ふっ・・・・・・この程度の銃撃など」


 すると二発目のチョークが井伊のおでこに直撃した。


「ひ・・・・・・で・・・・・・ぶ!」


 そう言って、倒れた井伊を尻目に俺はバックから教科書を取り出し、席に座った。


「浦木、私語は慎め」


 佐々木が怒気をはらんだ声でそう言うと、俺は「以後、気を付けます」とだけ言って席に着いた。


 すると、そこに瀬口が遅れて教室に入ってくる。


「瀬口、遅いぞ~」


 男子に異常に厳しくて、女子に異常に甘い佐々木が優しく、瀬口に注意をする。


「すみません」


「授業を始めよう」


 俺が授業に遅れてやって来た瀬口を見つめるが、それに気づいた瀬口が俺に微笑を向ける。


 それを見た、俺は目を反らして、教科書に目を通し始めた。


 俺の嫌いな佐々木の授業だから、聞く気もないし、これほど、つまらない授業は無いなと思って、外を眺めると季節外れの夏空が広がっていた。


 もう、九月なんだけどな・・・・・・


 俺はそう感じると、無意味ともとれる授業に耳を傾ける事にした。


10


 翌週の日曜日。


 日程の都合上で俺達は県大会の試合が無い為、今回は瀬口と川村が出る、神奈川県高校陸上新人戦を観戦する為、JR横浜駅で集合した。


 その後、三ツ沢陸上競技場に向かう為、横浜市営地下鉄ブルーラインで三ツ沢上町を目指す事とした。


「これが野球部の活動だったら監督は、部員を巻き込んででも、戸塚から市営地下鉄に乗るだろうな?」


「あぁ、テッちゃんかいな?」


「監督が床に伏せて、モーター音を聞くのは止めてほしいよな?」


 そう言いながら、二人はコンビニで買った、中華まんとピザまんを頬張っていた。


「電車の中って、飲食禁止だよな?」


 俺がそう言うと「黙れぃ! 腹が減っては戦が出来へんのや!」と柴原が何故か胸を張る。


「戦ってなんだよ?」


「各高校の女子陸上選手のレオタードを拝み、場合によっては、お近づきにーー」

 

 井伊がそう言いだすと、俺は「お前らみたいな人間がスポーツを駄目にするんだよ。ついでに今の時代ではそれは犯罪」とだけ言った。


「黙れぇい、スポーツにエロスは付き物や!」


「俺たちは、リビドーの化け物だ!」


 井伊と柴原がそう宣言をする中で、俺はウーロン茶を飲んで、それを冷ややかに見つめる。


 ちなみにリビドーとは、精神分析の用語であり、ラテン語で欲望・欲情を差す言葉として使われ、フロイトは性本能を発揮させるエネルギーとも言っている。


「お前ら、女子プロゴルフもそういう目で見るだろ?」


 俺がそう言うと、井伊と柴原が「まぁ、バレーボールからゴルフにフィギアスケートもその対象やろう?」や「同じく!」と言って、天に拳を突き上げた。


 俺はそれを聞くと、「でっ、それ何?」と柴原が持ってきた、デジタルカメラを指さす。


「これで、女子アスリートたちの肉体美を見事に写真に収めるんや」


 俺はそれを聞くと、すぐに二人をタコ殴りにしてカメラを没収した。


「犯罪だぞ?」


「うわーん! 俺達のリビドーがぁぁぁぁ!」


 車内で堂々と暴行を働いた為に車内の空気に戦慄が走るが、俺は気にしないことにした。


 すると気が付けば、地下鉄は三ツ沢上町に着いていた。


「さぁ、行こう! 美少女パラダイスが俺たちを待っている!」


 井伊がそう発言したのを聞くと、俺は二人に「お前ら、懲りないな? 殺すぞ?」と警告を発した。


「世知辛い世の中やぁ!」


「大体、衣類の軽量化を名目にあんな露出だらけの服を使うのがいかんのさ?」


 そう言うと、二人は「ふふふふ!」と笑い、柴原が「井伊建設、おぬしも悪よのう」と言い始め、井伊は「いえいえ、大臣こそ?」と言った後に悪代官よろしく、高笑いを始めた。


 まぁ、建設会社と大臣と言う役職が若干の風刺も込められていることを感じたが、一方で、それを無視して俺はこの下心一〇〇パーセントの二人を十分に警戒することにした。


 そして、スマートフォンで三ツ沢陸上競技場へのルートを確認した。


「歩いて十五分も掛かるのか?」


 俺が若干の苛立ちを覚えながら、そう言っている横で井伊と柴原は「巨乳ちゃんはいるんか?」や「いや、陸上競技だから無駄な肉を削ぎ落としている為、それは期待できないと思われる」などと会話していた。


「となると、四〇〇メートルに出る川村先輩のDカップがトップクラスかいな?」


 井伊と柴原がリビドー溢れる会話をしている中で、俺は「お前等、競技見るつもりないだろう? そして何度も言うが犯罪には走るなよ?」と横やりを入れた。


 すると、井伊は「無論だ」と言い、柴原に至っては「ワシらはオッパイと下半身を心の中に記憶する為に来ているんや」と言って、仁王立ちした。


「分かっていると思うが、俺たちの任務は変体おじさんの魔の手から、川村、瀬口両名を護衛する事だ」


「分かっているわ。だが、物事には対価が必要なのや」


「そう、陸上女子達の華麗なる肉体美をーー」


 野球と食う事とエロい事しか考えていない、猿人どもが・・・・・・


 逮捕されてしまえ。 


 俺は頭を抱えながら、この破廉恥極まりない二人と共に三ツ沢陸上競技場のある、三ツ沢公園へと早歩きで向かっていた。


「焦るな、アイン!」


「肉体美は逃げへんで」


「止めろ、俺までお前らと同類にされる。そして、俺は国家権力に歯向かわない」


 そう三人でやり取りしながら市街地を歩き続けた中で、俺達は気が付けば三ツ沢公園に着いていた。


「よ~し、待っとれ、レオタード!」


「リビド~!」


 二人がそう言うのを無視して、俺は公園内をまるで進軍するかのように歩く。


 するとそこには陸上競技場が現れ、中では選手たちがウォームアップをしていた。


「おぉぉぉう、女子選手は全員レオタードや!」


「軽量化、マンセー!」


 二人がそう言って、よだれを垂らす中で周囲を見渡すと、数人の小太りの眼鏡をかけた、冴えない中年や瘦せ型の眼鏡面のオジサンなどがいる事を確認した。


 会社で鬱屈をためた末にここに来ているのか?


 こんな大人にはなりたくはないなと、俺は中年たちを嘲笑し始めていた。


 もっとも、辺りを見ると警邏の目がある為、録画するなりすれば速攻で対処されるだろうな?


 時代の流れか?


「おっ、来たな? 少年達」


 フィールドから、川村が俺たちのところに寄って来る。


 すると柴原が「Dカップがレオタードではち切れそうや」と小声で呟いた。


 俺はすぐに左手で柴原の頭を叩いた。


「リビド~!」


「どうしたの?」


「不適切な発言をしたので、修正を加えたところです」


 俺がそう言うと川村は「修正って、Zガンダムでよく聞くけど?」とだけ言った。


 そう言えば、この人は女子にしてガンオタなんだよな?


 俺がそう思考すると、川村の奥の方向では瀬口が淡々とウォームアップを続けていた。


「先輩、瀬口は大丈夫ですか?」


 俺がそう聞くと、川村は「お父さん、大船に帰ってきていないらしいよ」と切り出した。


「それはーー」


「週刊誌側と徹底的に争うつもりの意思表示と家族を守りたい一心で自宅には一切近づいていないそうよ」


 瀬口がウォームアップをする中で、その表情を眺めると、その目は虚ろに見えたように思えた。


「こんな状況で試合ですか?」


「これ以上、報道が炎上しなければいいけど・・・・・・ところで?」


「何ですか?」


 俺が客席から乗り出して川村に寄りかかると、川村は「全日程消化したら、カラオケ行こうよ」と言い出した。


 俺は「今の俺を誘うと、もれなくミイラ取りのミイラが二体付いてきます」とだけ言った。


 それを言うと、川村はクスリと笑い始めたが、当の二人は「わっ、あの子はかわええわ!」から始まり「あの子は、美脚で胸もあるな?」と言いながら、心の中に女子達を記憶する為に凝視していた。


「こいつら、警察に通報しても良いですよね? 先輩」


「まぁ、録画して、アダルトサイトに売れば、この二人も捕まるけど、まだ心に記憶するに留めている分には良心的じゃない?」


「どっちみち、生かして置いたら危険です」


「まぁ、それはともかくとしてさぁ?」


 川村は俺に寄りかかる。


「たまには、遊ぼうよ~」


 川村がそう言うと「俺は眠いんですが?」と返す。


「陸上部の女子の面々も呼び出すからさ」


 するとどこから聞き出したのか、井伊と柴原が「俺たちも出させてください!」と言って、頭を下げてきた。


「君達は護衛の任務を忘れて、リビドーの赴くままに行動している!」


 川村はそう怒鳴ると「護衛頼むぞ、二等兵たち」と言って、踵を返し、そのままグラウンドへと向かっていた。


「ラジャー!」


 二人がそう言って、敬礼をした後に柴原は「よし、カラオケ店に行くとなれば、護衛をするで!」と言った。


「言っておくが、うちの陸上部の選手に対して撮影行為が起きた段階で、俺たちの出動だ。他校のレオタードを気にする暇はないぞ」


 俺がそう言うと、柴原は「貴様、何を突然、仕切ってーー」


 柴原がそう言う前に俺は柴原の腹に左ボディブローを放った。


 その後に柴原は地面に蹲った。


「うぉぉぉ、強烈すぎる!」


「うどん食べている、最中じゃなくて良かったな?」


 腹を抱えてうずくまる、柴原と仁王立ちする俺を見て、井伊は「それは・・・・・・マンモス西かい?」と聞いてきた。


「あぁ、明日のジョーの伝説の鼻うどんな」


 ちなみにマンモス西とは、明日のジョーにおいて主人公ジョーと同じジムにいる選手なのだが、減量期間中にジムを抜け出して、深夜にうどんを食べていたのをジョーにバレて、殴られ、鼻からうどんが出てくるという有名な話があるのだ。


「お前が、川村先輩から護衛任務を任される理由も分かるで・・・・・・」


 柴原は腹を殴られた衝撃でまだ起き上がれない。


 俺はそれを横目に依然、虚ろな表情を見せる、瀬口に目をやっていた。


 あいつ、大丈夫か?


 俺はそう考えると、何か胸騒ぎが抑えられなかった。


「おい、アイン」


「何だ、柴原は鼻うどんしているだろう」


「雨が降って来たぞ」


 井伊がそう言っていたと同時にぽつぽつと雨が降り始めそれは数秒もしないうちに豪雨となった。


「あぁ、天気予報外れたな?」


 俺がそう言うと、腹を殴られた柴原が起き上がり、選手達を凝視する。


「何をしている?」


「雨が降って、レオタードがスケスケになるところを心に焼き付けています」


 柴原がそう静かに告げると井伊も凝視を始め、監視対象の中年たちもそわそわし始める。


 俗物どもが・・・・・・


 俺は可能であれば唾の一つでも吐きたかったが、自分では育ちが良い方だと思うので、止めた。


 その一方で瀬口が雨の中で一人棒立ちになっているのが気になった。


「・・・・・・カラオケ店では、何を歌おうかな?」


 俺はこの時点で瀬口がレースに勝てないだろうなという予感を感じた。


 その一方で、川村は周りの部員に冗談を言い続けているから、試合前のメンタル面では両者の差が明らかとなっていたように思えた。


「・・・・・・カラオケに行ける、精神状態かよ?」


 俺がそう独り言を言うと柴原は「浦木、あそこの学校の女子は中々、かわええで!」と言い出した。


 すると俺は柴原の顔面に肘鉄を喰らわせた。


「うぉぉぉぉぉぉ、ピザまんのミートソースが鼻から~」


 俺は柴原の叫びを無視して、競技場を眺めた。


 この陰鬱な空の色と冷たい雨が何か、悪い予感を予告しているように思えて仕方なかった。


11


 雨の降りしきる中で競技が始まった。


 男子女子共に、レオタードは雨で濡れて体のラインがより、鮮明になる格好となった。


「おおぅ、見える!」


 井伊と柴原の二人がそう言うと、俺は二人に肘鉄を食らわした。


 そして、二人はうずくまる。


 後ろの方の席では、オジサンたちがニヤニヤとしながら、女子選手たちをカメラで撮影していたがすぐに警邏の職員にばれて、連行されることとなった。


 競技の種目は四〇〇メートル走の予選が行われた。


 時刻は午前九時四十五分だった。


「On your mark?」


 陸上お馴染みのスタートシーンが目の前で繰り広げられる。


「Set!」


 その後に競技が始まった。


 川村は序盤で遅れたが、徐々にスパートを挙げ、一気に首位へと走り出す。


 そして、川村は予選を堂々一位通過で突破した。


 気が付けば、変態オジサンたちは皆、捕縛され、姿を消していた。


 一安心だな?


 そう思ったところで、ジャージを着た瀬口が立っていた。


「おろ、真ちゃん!」


 井伊と柴原が起き上がり、瀬口に近寄ると、瀬口は二人を軽蔑した目線で眺めていた。


「そんな目線でスポーツ見るなんて、最低。大体、犯罪でしょう?」


 そう言われた、井伊と柴原は膝から崩れ落ち、涙を流し始めた。


「まさか・・・・・・真ちゃんに最低と言われるとは・・・・・・」


 そう言った、井伊は「うわ~ん!」と泣き始めた。


「俺たちはリビドーの衝動の中で・・・・・・」


「ただ、心の中に記憶するだけなのにそれが犯罪とはぁぁぁぁ!」


 二人の情緒が不安定になったところで、瀬口は俺に近づく。


「明日と明後日、一〇〇メートルと二〇〇メートルだけど、浦木君、来れない?」


 瀬口が大きな目でこちらを見つめながら言うと、俺は「その二日は野球部の練習なんだよな。悪いな?」とだけ言った。


「そう・・・・・・」


 瀬口がそう言うと、一瞬の間が空くのを感じた。


 こいつ、精神的に大丈夫なのだろうか?


 父親が国中からバッシングされる事になったら、学校でもいじめにあう可能性があるな?


 俺はそう思った矢先に「陸上部が新人戦終えたら、カラオケやるらしいぜ?」と言った。


 瀬口は「浦木君も来る?」と聞いた。


「まっ、時間があればな? 都合はつけるよ」


 そう言うと、俺は「精神状態的に難しいと思うが、ベストは尽くせよ」とだけ言った。


 そう言われた、瀬口は「頑張る」とだけ言った。


 その後に、瀬口はベンチから出て行くと「カラオケ、絶対来てね!」と大声を張り上げた。


「おう、またな?」


 そう言って、お互いに手を振ると柴原が「お前、真ちゃん好きなんか?」と聞いてきた。


 俺はそれを聞いた瞬間、柴原に回し蹴りを行い、それは柴原のボディに着弾した。


「うぉぉ!」


「俺を茶化すな」


「アイン、健全な事じゃないか! てっきりお前は人を愛さない人間だと思っていたよ?」


 そう言う井伊に対して、俺は「クラスで敵視される中で、奴だけは俺とチェスやらなんやらでつるむからな?」と言って、グラウンドで行われている男子の四〇〇メートル予選を眺めていた。


「アインに春が来ることを祈るよ」


 そう言って、井伊と柴原はベンチに横になった。


「川村先輩の出番になったら起こしくれや」


「そのまま、寝ていろ。犯罪者予備軍」


 俺がそう言うと、雨はさらに強くなってきた。


 野球だったら、確実に中止になるくらいの大雨だ。


「・・・・・・俺は瀬口が好きなのか?」


 ふとそう独り言を漏らすと、井伊は「自分に素直になりなさ~い」と横から茶々を入れてきたが、アインはそれに対して勢いよく、肘鉄を入れた。


「ア・・・・・・ベ・・・・・・シ!」


 そう言って、井伊は観客席で倒れた。


 俗物どもが?


 俺はどこか焦燥感に似た感情を抱きながら、目の前で大雨の中、走り出す、筋肉粒々な男たちを眺めるしかなかった。


12


 神奈川県高校陸上新人戦が全日程を終え、川村は一位通過で関東新人戦への出場を決めたが、瀬口は三位以内には届かずに、県新人戦での敗退が決まった。


 陸上部は川村と男子生徒数人の関東大会出場を祝って、帰りの道中で大船駅近くのカラオケ店で騒ぎ始めていたが、川村は何故か津軽海峡冬景色と言う渋い選曲で、歌も上手いという多彩な才能を俺たちに披露していた。


「いや~、川村先輩は歌も上手いとわな?」


「多彩な才能を見せているのう?」


 井伊と柴原はカラオケ店のポテトとフライドチキンを食べながら、タブレット式の機械で、曲を探し始める。


「・・・・・・」


「・・・・・・」


 隣に座っている、瀬口と俺は無言のまま、川村が歌い終わるのを見た。


「真も歌いなよ」


「あぁ、私は歌うの苦手なんですよね?」


「じゃあ、俺が歌う!」


 そう言って、井伊が入力した曲は特撮ヒーローの重甲Bファイターのオープニングテーマだ。


 皆が知っている曲を歌えよ。


 しかも、また特撮だし・・・・・・


 井伊が歌う横で、瀬口に対して俺は「試合残念だったな?」とだけ問いかけた。


「うん・・・・・・」


 瀬口は力なくうなずく。


「親父さん大丈夫か?」


「お父さんが秘書の人につらく当たっていたのは知っていたけど・・・・・・」


 そう言うと、瀬口は泣き始めた。


「おい、アイン!」


「何や、女泣かせたんか!」


「ちっ、違う!」


 俺が自分でも珍しいと思うぐらいに叫ぶと、瀬口は俺の手を掴んで「浦木君・・・・・・」と言った。


「・・・・・・どうした?」


「私に付いてきて」


 そう言った瀬口は涙をジャージの袖で拭きながら、俺の手を引っ張って、カラオケ店を出て行った。


「ちょっと待って、真!」


 川村がそう呼びかける中で井伊と柴原は「おおぅ、アインが勇者になった!」や「エクセレントや!」と叫んでいた。


 しかし、その二人を珍しく川村が叩き「バカ! そんな事を言っている場合じゃないでしょう!」と怒鳴りつけた。


 瀬口は俺の手を取って、陸上部員達と井伊、柴原の怒声が飛び交う中で、カラオケ店を走って出て行き、大船の商店街へと出て行った。


「おい、待て、瀬口」


「本屋へ行こう!」


 そう言って、俺の手を取って走る瀬口に対して俺は「お金払わなくて良いのか?」と聞いた。


「手紙とお金をテーブルに置いたから大丈夫」


 そう言った後に瀬口はJR大船駅へと入り、そのままスマートフォンで改札へと入っていった。


「浦木君も早く!」


 そう言われた俺は渋々、スマートフォンを取り出し改札を進んだ。


「ちなみにどこへ行くんだ?」


「藤沢の電気店の上にある、書店!」


 そう言って、瀬口は電光掲示板で時刻表を眺める。


 すると、瀬口は「あっもう、電車来ている!」と言って、俺の手を取り、東海道線三番、四番線ホームへと向かって行った。


「ちょっと待て・・・・・・」


「何?」


「お前、一方的に俺を連れて走るな!」


 俺はそう言ったが、瀬口は気にせずに俺の手を取り、東海道線の下り方面の電車に乗った。


「浦木君も好きな本を買っていいよ」


「・・・・・・自腹で?」


「当然」


 お前、自分からここまで引っ張ってきて、予算は自分で払えは無いだろうと俺は感じた。


「まさかとは思うが?」


「うん?」


「また、時代劇の小説を買うのか?」


「あっ、よく分かったね?」


「大体の思考は読めるよ」


 俺はため息を吐きたくなったが、それを我慢して東海道線のホームから外を眺めていた。


「ちなみに大船と藤沢の間に駅を造る構想があるらしいよ」


「あぁ、あれか、確かにはこの辺りは興味があるな?」


 俺は外からレンタルビデオ店とサッカーの練習場を眺めた後に瀬口のいる方面を眺める。


「浦木君は何を買う?」


「書店はスイカ使えるか?」


「あぁ、あそこは使えないね」


 そう言われた俺は、財布の中身を確認する。


 一応千円以上は入っていたが、PayPayを使うか・・・・・・


 小遣いを強制的に浪費させられる事態を考えると俺は嘆息を吐きたくなった。


13


 藤沢駅前の電気店の上層階にある本屋へ入ると瀬口は幕末物の小説や書物をかごに入れ始めた。


「西郷隆盛の本か?」


「うん、やっぱり幕末に限るよ?」


 俺はそれを尻目に、親書のブースを探す。


 そこで金融関係の本を手に取ると、すぐにレジへと直行し、購入した。


「浦木君は、会社でも経営するの?」


 瀬口にそう言われた俺は図星を付かれた格好となった。


 俺の〝目的〟に自力で気が付いたのはお前が初めてだよ・・・・・・


「・・・・・・将来、会社の社長になりたいんだ」


 俺がそう言うと、瀬口はしばしの沈黙を保った。


「これを言うと、アメリカにいる友達には絶交に近い形の関係に至ったよ」


「別にいいじゃない、人の夢なんだから?」


 そう言った、瀬口はかごをレジに持っていき、生産をし始めていた。


 瀬口は二万円を取り出し、お釣りを受け取った。


 やっぱり、こいつは金持ちなんだな?


 一方の俺は千円を出すのも渋るぐらいのケチだが・・・・・・


 そう考えた俺に対して、瀬口は「浦木君は会社の社長になれるよ」と言い出した。


「何で?」


 俺がそう聞くと瀬口は「ケチだし、法螺を吹かないから」とだけ言った。


 そう言われた俺は「あまり褒め言葉だと思えないがな?」と苦言を呈した。


「この二つが出来ない人は横領とかしたり、人間関係を拗らせて、失脚すると思うな?」


 そう言った、瀬口は俺の手を取ると「家まで送ってくれる?」と言い出した。


「・・・・・・止めとくよ?」


「何で?」


「お前のご両親に目をつけられるのが嫌だ」


 俺がそう言うと瀬口は「私の家の周りは街灯があっても暗いから、オヤジ狩りが横行しているんだよね?」と言い出した。


 そう言いながら、瀬口は俺の手を取りながら、エスカレーターを駆け下りる。


「それは・・・・・・」


「川村先輩が言っていたけど・・・・・・浦木君は私達の護衛でしょう?」


 瀬口がそう言った後にGショックの時計を眺める。


 うわっ・・・・・・もうすぐ午後九時を過ぎようとしている。


 今から家に帰ったら、親に怒鳴られるな?


 俺は両親にどうこの状況を言い訳しようかを考えていたが、瀬口は「護衛、頼むぞ、伍長!」と言いながら俺の手を引き走り続ける。


「井伊と柴原は二等兵なのに、俺は伍長かよ?」


「だって、あの三人の中ではリーダー格でしょう?」


 あのバカ共のリーダー格と捉えられるのは、心外だな?


 俺がそう感じるのを尻目に瀬口は俺の手を取って、走り続け、気が付けば藤沢駅の改札で立ち止まった後にスマートフォンのアップルペイで通り抜け、俺もそれに続く。


「浦木君。これあげる」


 改札で立ち止まった、瀬口は俺に大理石で出来たしおりを渡した。


「高そうだな?」


「お父さんが誕生日プレゼントでくれたけど、浦木君にあげるよ」


「良いのか? 大事な物だろ?」


 俺がそう言うと瀬口は軽い感じで「良いよ、浦木君のことが好きだから?」と言った。


 俺は一瞬、耳を疑った。


「瀬口、今、何てーー」


「電車が来たよ」


 そう言って、瀬口に手を引かれると、そのまま、東海道線の上り方面の電車へと入った。


「・・・・・・言葉のまま受け取っても良いよ」


 瀬口にそう言われた俺は「あぁ・・・・・・」とだけ答えた。


 困ったな・・・・・・どうしよう?


 俺は戸惑いを感じていたが、しかし、瀬口とその時に手を繋いでいるという事実は確認していた。


続く。


 次回、第二話、精密機械再来と愛の成立。


 韓国ドラマみたいなタイトルですが、皆様、来週もよろしくお願いいたします!


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