床屋と医者
かつて西洋では床屋が外科医を兼ねていた。
顔つきは貧相なこの男も、これだけ立派な髭を蓄えればきちんと公爵付きの医師に見えるのだから不思議なものだ。
理容師のアウグストは、腹の中で考えをめぐらせながら、客の上着についた髪や髭の切り屑を羽箒で払った。医者は髭の形が悪いとか剃り残しがあるとか散々文句を垂れてから、渋々と料金を払って店の外に出た
「お、お願いいたします、お医者様。どうか倅を見てやってくだせえ」
店前で待ち構えていた鍛冶屋が、鬱陶しそうに見る医者の足にすがってきた。
「また、お前か。わしは忙しい。これから公爵様のご子息のお脈を拝見しに行かねばならんというのに」
鍛冶屋を犬でも追い払うように蹴り飛ばし、医者は馬車に乗り込んで去って行った。
医者を見送ったアウグストが、意を決したように口を開いた。
「あの腰巾着じゃ無理だ。俺に息子を見せてみないか」
「お前はただの床屋じゃないか。倅は瀉血なんかじゃ治らねぇんだよ」
アウグストは、うなだれる鍛冶屋から目を逸らさない。視線を感じて頭を上げた鍛冶屋は、そこにぎらぎらと燃えるような眼を見た。
「六人いた子どもらは、ひとりを残して、みんな死んじまった。俺達夫婦に残されたのはあの倅だけだ……」
立ち上がった鍛冶屋は、アウグストを恫喝するように睨みつける。
「いずれにしろ死んじまうなら、あんたに賭けてみるのも悪くないか。……いいだろう。だが、あんたの治療で倅が死んだりしたら……」
「その時は俺の首をくれてやるよ」
町から外れた森の際に、産婆が住んでいる。鍛冶屋の息子を診たアウグストは、その足で産婆の元に向かった。
「眠り薬が欲しい。強力だが、子どもの生命に関わらない程度の」
「アウグスト、あんた、また何かを切ろうとしているのかい。女房の次は、よその子どもかい」
腰の曲がった老婆は、胡散臭そうにアウグストの角ばった顔を見あげる。
「今度の患者も女房と同じ症状だ。初めは鳩尾のあたりだった痛みが右脇腹に移り、発熱嘔吐下痢も起こっている」
「あんたは女房の腹を切って、結局は死なせちまったじゃないか」
「腹を切った時は、内臓の膿が破裂していて手遅れだった」
もう少し早く決断していれば、と唇を噛むアウグストを見やった老婆は嘆息する。クラウスの光る眼が老婆を見据えた。
「痛み止めを、あの医者に渡してるんだろう?」
「よく知ってるね。あやつに聞かされた症状が同じだねぇ。公爵の子は、もう長くないだろうよ」
老婆が、くつくつと笑う。
「わかった。芥子ボウズから取れるとびっきりのヤツをやるよ。でも、子どもの身体に合わせての調合は、あたしがやるからね」
あの医者はあたしの言う事をまるっきり聞こうとしないんだよ、などと文句を垂れる産婆に、アウグストは苦笑した。
鍛冶屋の息子は一命をとりとめ、公爵の息子は痛みに狂ったまま死んだという。