第7話 侵攻と信仰Ⅱ
ドライとローズは、彼女の持っている転移の魔法で、一度孤児院に帰ることにした。しかし転移空間に突入し、出口が見えたものの、そこから抜け出すことが出来ない。下では、子供達が元気に駆けている様子が見える。
「どう言うことだ?出口があんのに……」
「誰かの結界で、阻まれているんだわ、どうしよう……」
このままでは埒が開かない。転移の目標をこの近辺の他に変えるしかない。だが、それらしいものが思いつかない。
その時子供達を追っていたと思われるノアーの姿が見える。表情は彼等が旅に出る前とは違って、堅さが取れている。いい顔だ。そんなノアーが、上空に魔力の乱れを感じる。
「何かしら……」
ノアーの方からは直接ドライとローズを見ることは出来ない。ただ結界を破ろうとして、そこに干渉しているローズの魔力と結界の乱れが目に入っただけだった。
「みんな早く!家に戻って!!」
口に手を添えながら大きく透る高い声で、子供達を呼び戻す。
此処最近の地震のせいで、彼等の反応は実に過敏だ。ノアーの一言で、皆一斉に孤児院に戻る。ノアーも一度孤児院の中に戻り、水晶を持ち、魔力の干渉しあっている位地にまでやってくる。そして、水晶をそこに翳してみた。すると、ドライとローズの姿が映っている。ローズとは視線もあった。彼女もノアーがこちらに気が付いているのを感じると、手を振ってみる。
ノアーは吃驚はしたが、それと同時に、敵ではないことが解ると、ホッとした顔をする。
「えっと……、ふん!」
意識を集中し、結界の部分的な解放を行うノアー。すると、ドライとローズの二人が、その穴を通して、内部に入ってきた。それを確認すると、結界の穴を塞ぐ
「あー吃驚した!戻れないのかと思っちゃった!」
大げさにホッと胸をなで下ろしたローズは、ノアーに対して愛想良くニコニコしている。
「どうしたのですか?二人とも、教団を倒す旅に出たんじゃ……」
ノアーは、出会ったときのローズの気迫の隠った目が忘れられない。何となくおどおどしている。
「それがねぇ……」
本来ある筈のドライの右足の位置を見る。ローズは、ノアーのことなど気にしていない。真犯人はルークだったことだし、彼女は十分に反省していることは解っている。
「何事じゃ?」
子供達が、慌てて中へ戻ってきたことで、バハムートが外の様子を見に来たのである。
「よう、ジジイ!」
ドライが珍しく愛想良くしてみせる。しかし、バハムートはドライに対して渋い顔をして、閉口した。
早速中に入り、義足の折れた事情と、ついでに現状報告をする。
「なんじゃ!それでは、皆固まって行動しておるのか?」
バハムートは、義足の状態を把握するために、テーブルの上で解体作業をしている。
「そうなの、それにこの時勢でしょう?」
ローズが溜息をつく。横ではドライが、子供達に髪の毛を引っ張られたり、背中から抱きつかれたりしている。子供のしていることなので、こめかみをヒクつかせながら、じっと我慢していた。口を開くと怒鳴りそうなので、極端に無口になっている。
「ねぇ、シンプソンは?オーディンは?」
「……」
「二人には、先を急いで貰ってるわ、早くクロノアールを倒さないと、世界そのものが崩壊しかねないって、セシルが妙に、焦ってるからね」
ローズはノアーが用意してくれたお茶と茶菓子を貪りながら、適当にリラックスして話す。
「セシル?」
バハムートが、ピクリと止まる。自分の知らない人物の名前が出てきたことで、その人物のことが気になったようだ。バハムートの反応を見て、ローズが横で好きなように遊ばれているドライに視線を送る。ドライも眼で返事を返す。
「彼女もシルベスターの血を引いているのよ。結構可愛い子なのよ。私には劣るけど……、で、天涯孤独の筈の、ドライの妹なの。他にいろいろ話すと長くなるから、今度帰ってきたときに……それより、どう?義足は……」
皿に盛られた茶菓子の最後をパクリと口に放り込む。
「なるほど、ようわからんが、同じ目的を持つ同士が増えた訳じゃな……、義足の方は、内骨格湾曲、外骨格、表面の透明ラバー部分損傷、疑似筋肉一部破裂及び一部断裂、伝導用ファイバー数本破裂、疑似神経は、断裂部分、湾曲部分が生じたことにより延びきっている。と、いった所じゃな……」
「んじゃ、一部の筋肉残して殆ど作り直しじゃねぇか!」
ドライが義足の状態のあまりの悪さに、興奮してテーブルを叩いて、立ち上がる。その瞬間だ。
「ウワーン!ドライが怒ったぁ!!」
「えーん!」
久しぶりの知人に会ったのに、構ってくれない挙げ句、彼等の訳の解らないことで興奮し立ち上がって大声を出されてしまった事をショックに思い、連鎖反応を起こして、泣き始める。その様子から彼等が内心、毎日を不安に過ごしていることが良く解る。
「ほら、今みんな話があるから、お勉強していなさい。後でお姉ちゃんが遊んであげるから」
ノアーが泣いている彼等の頭を撫でながら、それぞれの部屋に連れて行くことにする。泣いていない子に関しては、そのままだ。
「ねぇ、オーディン元気にしてる?」
ジョディが、先ほどから言いたがっていたような口振りで、ドライに聞いてみる。
まず普段のドライならこう言っている。「しるか!」。しかし、彼女の何とも言えない、壊れてしまいそうな純粋な瞳に、幾らドライでも、しかもオーディンのことに関してでも、きつく突き放すことは出来なかった。
「イヤってほど、ピンピンしてるぜ!」
一寸照れた様子で、顔を背けながら、さらっと答える。それを聞くと彼女は安心した顔をする。それから、ドライの袖を引っ張って、手招きをする。
「……んだよ!」
そう言いつつも、顔を彼女の方に近づけてみる。すると、なんとジョディは、ドライの頬にお礼のキスをする。
「な!」
慌てて、退くドライ。
「その足は、オーディンを守ってくれたからでしょ?解るよ!」
ジョディは言葉を残すと、恥ずかしそうにその場を去る。確かに話の成り行き上、そうなのだが、こういう形で、子供にお礼をされるのは初めてだ。また子供から礼を受けること自体初めてだ。少し戸惑うドライだった。一応「女」から貰ったお礼なので、簡単に拭うわけには行かない。
「子供には、アンタの良さが、わかんのね」
唖然を喰らったドライの顔を、横からおかしげに、しかし、涼しい顔で覗くローズ。
「ふん、ハンサム様だからな……」
ドライは照れながら、テーブルの上に転がっている義足の部品を手に取り、観察をする。
「クス……」
ローズも適当に部品を取る。
「こら!素人が勝手に触るでない!」
バハムートがドライとローズから部品を奪い返す。それから、脳内の整理のため、それらを横に並べる。そして譫言のようにブツブツと口の中で呟いている。が、しばしすると……。
「それでは、奴の所に品定めに行くとするかの」
一つ息を吐き、重い腰を上げるバハムート。
「俺も行くぜ、自分の『足』だからな」
ドライも、バハムートを笑った視線で見据え、ゆっくりと腰を上げる。
「好きにせい」
バハムートは、あまりドライを好きでない。賞金稼ぎと言うことが念頭にあるためだ。彼に言い放つ言葉は、今一つ冷淡だ。しかし旅に出てからの彼に、どことなく変化があるのは解った。ドライの顔に何となくその柔らかみが出ていたのだ。
村に出ると、そこには旅先で見たような、崩れた町並みはない。地震で被害が出ていると思われていたが、予想外に、整っている。これはノアーが村中に張り巡らせた結界のおかげらしい。これにより、この土地に変動の影響を受けにくくしていると言うことだ。
長老の家に付くと、彼も旅に出たはずのドライを見て、バハムートやノアーと同じ反応を見せる。めんどくさそうな顔をしているドライに変わって、ローズが適当な説明をする。
彼はルークの話が出てきたことで、嫌悪感に満ちた顔を見せる。彼の世代では、ドライより彼の方が、世界一の賞金稼ぎとして有名らしい。
「仕方があるまい、儂のコレクションだが、そんなダダをこねているわけにもいかんしな……、トホホ」
一寸、懐かしいおもちゃを捨てられた子供のように今にも泣きそうな顔をしてみせる。バハムートはともかく、ドライも品定めをし始めた。そこには賞金稼ぎでないドライの顔があった。何か異常なほどの探求深さがある。 〈素人には、解るまい〉
そう思ったバハムートだったが、ドライの真剣さに、それを言うことが出来なかった。それからいろいろな物を手に取り始めた。
「これ、いいかもな」
「これは使えそうじゃ……」
「おい、そんなに持って行くのか?」
しかし、二人の手は止まることはない。どんどん物を漁って行く。
「うむ、どうせなら、世界一の義足を創ってやろうと思っての」
それから、小一時間ほど経って、品定めがある。荷物はローズの背中一杯になった。
「一寸!自分の物くらい持ってよ!」
「儂は歳じゃからな、腰に来る」
「俺は片足なんだぜ、荷物なんかもてるかよ!」
口ではなんとか言いながら、片足で元気にピョンピョンと跳んで歩いている。
「たく……」
重い荷物にヨロヨロしながら、文句をブツブツというローズ。
その時だった。ドライが急に頭を押さえ、その場に倒れ込む。
〈来た。まただ、見える。何かが見えやがる!〉
彼の脳裏にうっすらと何かが見える。それは景色的な物ではなく、複雑な構造体のような化学式だった。
「ドライ!大丈夫?」
これで二回目だ。しかも二日連続だった。怪我でないだけに心配なローズが、ドライの肩を掴み、彼の顔を下から覗き込んで眺める。
「さわんな!」
うっすらと見える何かに焦点を合わせ、それを掻き消してしまいそうなローズの手を肩を揺さぶって振り解く。
ドライに、「触るな!」と嫌悪されたのは初めてだ。それだけに動揺は隠せなかったが、心配なものは心配だ。手を触れないまでも、もう一度、恐る恐る下から覗き込んむ。
「体の具合でも悪いのか?」
バハムートも、気になりドライを上から声を掛ける。
「何でもねぇよ。ローズ悪かったな」
だが、そう言って立ち上がったドライの顔は、今までの自分に無い、感覚を掴んでいた。
「うん」
目尻を下げ、何とも申し訳なさそうに謝るドライに、別に悪気がなかったことを悟るローズ。顔の硬直も取れ、安心した顔に戻る。
「それより、ジジイ、早く帰って新しい義足の設計をしようぜ」
「良かろう」
無責任なドライなので、いかにも自分が中心になって、やるような台詞でも、他力本願的に聞こえる。しかし帰ってからのドライは違った。自ら色々な事柄、専門的な図法を用いた設計図を書き始めたのである。その眼はもはやドライではない。周囲の人間がゾッとするような変貌ぶりだった。
「ドライ……、本当にドライなの?」
頭が変になったしまったのではないか?そう思ったローズは、彼の額に手をやり、熱があるかどうかを調べる。しかし、体温は正常だ。
「あん?」
あまりにも神妙な声を出しているローズに、妙な返事をして振り返る彼は普段の彼だ。
「おしいのぉ、その頭脳で何で賞金稼ぎなんぞ……」
「知らねぇ、今書いてる比奴だって、なんかこう閃いてよ」
「閃きだけで描けるわけ無いじゃない……」
こういう適当なことを言う彼は、やはりドライだ。何となく安心してしまう。しかしやっていることは、ドライではない。その時にローズが、ふとあることを思い出した。
「そう言えば、ノアーの魔法を直撃したと後も、転移の魔法を完成させちゃったわね。今回も、建物の下敷きになった後……、やっぱりドライ、貴方記憶の断片が戻ってるんじゃない?」
それからもう一度、ローズは、ドライの頭に触る。別に異常は見られない。
「んなこたぁ、どうでも良いじゃねぇか。それよか、汚れもんの手入れ頼むわ」
ペンの似合わない男が、ペンを握っている。
「良くないわよ……」
そうは言ったモノの、これは事実だ。
ローズは、この場にいても退屈なだけだった。部屋に戻り、バッグの荷物を整理して、洗濯でもすることにする。
「あ、パンティ一枚無いと思ったら、ドライのバッグの中に……、ん?」
ドライのバッグを漁っていると、その底の隅の方がが、破けて綻んでいる。
「もう、自分のバッグの手入れくらい、しなさいよ。あれ?なんか変ね」
バッグを触っていると、その外から見える底と、中敷きの位地が、何となく違う事に気が付くローズ。変に思ってよく触ってみると、結構な厚みがある。それに革で出来ているにしても、重みがありすぎだった。
「二重底?」
周囲をキョロキョロと観察し、ドライの気配がないのを確認する。最もドライは食堂の方で、バハムートと義足の再設計中だ此処に来るはずもない。
ナイフを一本取りだし、鞄の底の縫い目を、丁寧に切っていく。すると、ローズの予想通り、バッグの底は二重底になっており、中には綿が敷き詰められ、そこに埋もれるようにして、十数個の貴金属と、一冊の分厚いメモ帳が出てきた。ローズの目は取りあえず貴金属の方に行く。
「彼奴、私に内緒で、へそくりなんか!」
どれもこれも高級そうな物ばかりで、捌けば可成りの良い値が付きそうだ。それから、手帳の方に目をやる。
「それに、何なのよこの汚い手帳は」
手に取り、真っ先に手帳の中身を見る。そこには、女が書いたものと思われる字がギッシリと書き詰められている。こうなれば、ドライに対する信用も何もあったものではない。貴金属を投げ出し、手帳を片手にヅカヅカと足音を荒くして、ドライのいる部屋へと向かう。
「ドライの馬鹿!私のこと愛してるって言ったのに!うそつき!ろくでなし!!」
椅子に座っているドライを突き飛ばし、わんわんと泣きながらその上に座り込み、ポカポカと殴りだす。
「わ、待て!何だ!?ワケ解るんねぇぞ!!グエ!」
挙げ句の果てには首を絞め始める始末だ。
バハムートがローズの放り出した手帳の表紙を見る。そして薄汚れた表紙の中から、人の名前を見つける。
「確かに女の名前じゃなぁ」
「やっぱり!だって中身が女文字だったもん!!」
「グルジー!ジジイ殺す!」
「まあ待つんじゃ!」
一旦ドライを陥れたと思われたバハムートが、ローズの肩を掴む。
「だってぇ!ドライのバカァ!」
ローズは泣きっぱなしだ。ドライの上に跨ったまま天井を仰いで、わんわんと声をあげる。
ドライを殴るのを止めたローズに、そっと手帳の表紙の人物名を見せる。
「表紙の名前を見て見い」
「マリー=ヴェルヴェット。やっぱり女の名前じゃない!!」
それからまたドライをドカドカと殴りだす。
「テテテ!オメェ!自分の姉貴の名前も忘れたのかよ!」
「え?」
涙を流したまま、まだ自分の目の前に突き出されている手帳のなんとか読める文字を確認する。
「マリー=ヴェルヴェット」
そう読むと、漸く納得する。無意識にドライを叩きながら、手帳の表紙をずーっと眺めている。
「其奴は、マリーが用心のために俺に預けた手帳だ。彼奴が死んでからそのままになってたんだよ」
ドライが下から、ローズの手首を握り、彼女の早とちりに一寸怒った顔をする。
それを聞いたバハムートが、手帳を後ろの方から一ページめくる。すると、手帳は最終ページまで、きっちりと書き込まれている。手帳を捲ってみるとどのページも字と図で一杯だ。それは彼女の研究の成果と思われる物だった。
「それじゃ、浮気じゃないの?」
「当たり前だ!」
「あーん!ドライ大好き!!」
今度は止めどのないキスの嵐だ。頬や額や唇などに、したい放題だ。
「止せよ!」
「イヤ!」
ローズは止める様子は全くない。ドライも口先だけで、止めさせる様子はない。それどころか、涙で濡れてしまった彼女の頬を指先で拭き、顔を自分の方に向けさせ、瞳の奥を覗きあう。次第に互いの目が潤み始める。
「早とちりが……」
「だってぇ」
その内その場で本格的にじゃれあい始める二人だった。
「全く!最近の若いもんは……」
しかめた顔をして、首を左右に振り、マリーの手帳を片手に、義足の設計図に向かうバハムートだった。
「さ、みんなお勉強お勉強!」
騒がしいローズの声で、そこにはいつの間にかノアーや子供達が集まっていた。ノアーはこれを教育上悪いと考え、とたんに子供達を、部屋に帰してしまう。何となくシンプソンのやりそうなことだ。
ノアーは、シンプソンが帰ってくるまで、此処を守る責任がある。だから子供達の前で平気でじゃれあう二人の行為は目に余る物があった。しかしその反面、自分がシンプソンとそういう関係になりたいとも思った。少し二人が羨ましい。
二人を見ていると、心に押さえ込んでいた熱い思いが吹き出しそうなので、それ以上、何も言わずそこを立ち去り自分の部屋に帰ることにする。
「さてと、足がなきゃ激しいセックスも出来ねぇだろ?」
ドライは、冗談なのか本気なのか解らない笑みをこぼし、ローズを納得させる。
ローズも、今はじゃれあっている時ではないことを悟ると、すんなりとドライから離れ、汚れ物の洗濯をすることにする。そして、ドライの隠し持っていた貴金属のことなどすっかりどうでも良くなっていた。
それから暫く義足の設計に当たっていたバハムートだが、目の前にあるマリーの手帳が気になるのか、集中しきれない様子で、チラリチラリと、そちらの方ばかりを気にしている。ドライがこの様子を見過ごすわけも無く、横にいるバハムートに突っ込みを入れる。
「気になるんなら見せてやっても良いぜ」
「む?!うむ」
恩着せがましいドライの言い方に、頭にカチンときた彼だったが、見て良いと言われて、とたんに我慢できなくなってしまう。早速手帳を見せて貰うことにした。
ドライは再び義足の設計の続きをすることにする。自分のしていることを冷静に考えると、自分自身気持ちが悪くなってしまいそうなのだが、すぐに考えるのが邪魔くさくなって、自分自身のことを投げてしまうドライだった。
「なんと言うことだ!」
マリーの手帳を見ていたバハムートがとたんに大声を上げる。そして今まで見たこともないような険しい顔をして、ページを前後に捲りながら額に汗している。
何がどうして驚いているのか解らないが、マリー関係なのでドライも気になり、背を伸ばし身体を傾けながらながら、手帳を覗き込む。
「なんかあったのか?」
「彼女は物体浮遊理論を、いや、物体飛空理論を完成させておったのか!儂が十何年かけても解き得なかった謎を……」
彼は最後の十数ページを何度も繰り返し見ている。
「そういや彼奴、んなこと言ってたな、俺が無関心にしてたら思いっ切りぶん殴られたな」
ドライは小声で息を殺しながら笑う。今になってその意味が解ったようだった。人類にとっては、大変な財産だというのに、彼は今までそれを隠し持っていたのだ。考古を追求するバハムートとしてはたまったものではない。
書いてある内容を把握したバハムートは、一度その本を閉じる。そして今成すべき事に、再び取り組み始める。そのついでに、ドライの義足の設計図を横から眺めてみる。基本的には、前の義足と同じようだ。しかし、設計図は殆ど完成しているにもかかわらず。ドライはまだ何かを書きたがっている。ペンを上唇に乗せ、テーブルに足をかけ椅子を揺すっている。
「これじゃルークには勝てねぇ……」
「黒獅子か……」
「ああ、彼奴にはエナジーキューブがある。幾ら天才の俺でも足一本じゃな、元世界一には、やっぱ分がわりぃ……」
バハムートには、義足の設計・作製を手伝って貰わねばならない。正直な不安を愚痴っぽくこぼしてみる。
「魔法絶縁物質でくるむ手はあるが、義足の精度は落ちるし、急遽組み込んだ疑似神経にも混乱を来す恐れもあるのぉ。だから二代目には、魔法絶縁物質は、使用しなかったのじゃが……」
「なんか良い手ねぇかな」
世界が魔法中心に動いているだけに、魔法に固執して考えてしまう二人だった。しかし現在それ以外に、方法論はない。
「三時のお茶にしません?」
ノアーが行き詰まっている二人の所へ、紅茶とクッキーを持ってきてくれる。目の前に焼きたての良い香りが漂ってきた。ドライは、それを一つつまみ、口の中に放り込み、サクサクと音を立てる。口の中にバターの香ばしさが広がってくる。
「ガキ共は?」
「おじゃまだと思って、食事時まで此処には来ないように言っておきましたかけど」
どおりであれから静かなわけだ。別に意味はなかったが、普段からこんなに沈黙を守って何かに打ち込んでいることがなかったので、それが余計に気になっただけだった。
ドライが義足の設計に悩んでいるとき、オーディン達は町から離れ真っ直ぐ北に向かっていた。今のところデミヒューマンや、魔物などには遭遇していない。地震も起こっていない。道のりは順調だ。
「やはり二人が居ないと淋しいですね……」
シンプソンが黙々と先を進んでいるうちに、ふと静けさに絶えられなくなった。オーディンやセシルに同意を求めた。
「ああ、ドライがいないと静かだ」
「兄さんが居ない間に奴らに攻撃されなければいいけど」
三人の間にはあまり無駄話がない、それだけを言うと会話はプツリと途絶えてしまう。
歩いていると、前方の方にうっすらと地平線沿いに黒い陰が見える。どうやら断層のようだ。この前の地震で起きたものなのだろうか、もしそうならこの前の破壊の規模は納得がいく。
周囲の景色を観察している時だった。直下型と思われる激しい揺れが彼等を襲う。
この揺れにももう身体が慣れていた。歩けないまでも、転ばないように大地に伏せることは可能だ。揺れを感じながらも、周囲がどう変化しているのかを見守ることにする。
周囲の景色が著しく下方向に下がった。遠方では、直方体気味に迫り上がった大地も観測できる。揺れの慣れとは裏腹に、大地の崩壊は今までにはない、断層とは全く関係のない変化だった。
揺れも直に収まる
「今までとは違うな……」
「ええ、何だか大地の柱が突き出してるって感じですね」
やたら眺めの良い周囲の景色、変化の状況が良く解る。オーディンとシンプソンは、この光景を眼に焼き付けた。そして何れこんなものではなくなることを、心の中に留めた。
「二人とも足下を見て!」
セシルの叫び声に、二人とも足下の周囲を眺める。すると、自分たちも切り立った大地の上に立っていたことが解る。眺めが良くなった訳が、これでよく解った。
「さぁ、何時までもグズグズするわけにはいかぬな、セシル」
オーディンは、セシルを両腕に抱えると、すっと飛び降りた。
「ありがとう。オーディンさん」
セシルは少し照れて礼を言う。
「礼には及ばぬ」
オーディンはニコリと微笑んだ。
「一寸二人とも待って下さい!」
シンプソンが屁っ放り腰で、岩肌に足をかけながら、とろとろと、それでも踏み外すことなくきちんと降りてきた。
「シンプソン、少し体力が付いたんじゃないのか?」
「そうですかね……」
驚いたオーディンの声に、自信なさそうにはにかんで答えるシンプソンだった。そういえば最初の頃は、息を切らせていた彼だったが、いつの間にか事も無げに、歩調を合わせている。その進歩が、今の足腰の強さになって現れたに違いない。
それと時を同じくして、教団の大司教が、水槽の中のモルモット達を眺めている。
そこへ、いつもの如くルークが姿を現した。
「おい、ブラニー、今日は天気がいいぜ、たまには外へ出ろよ」
ルークは、何か言葉を掛け、彼女へ近づくきっかけを掴もうとしてる。しかし大司教は、ルークが姿を現すと、そのまま何も言わず部屋の外へと出ていってしまう。彼女は何か用事が無い限り、ルークとは口をききたくはない。そこには彼女が人間自体を嫌悪する感情があるからに他ならない。
大司教が部屋を出ると、そこにはラクローが彼女の進行方向を阻む形で待ちかまえていた。
彼等ルークの部下が、ルークを介さずして彼女に直接口をきくことは、ほとんどないことだ。
「大司教!話がある!」
「何でしょうか?」
あまり口をききたくはないが、すんなり通してくれそうもない。ラクローは、二人きりにになるため、幾つもある空室の一つに彼女を連れ込む。
「頼む!マスターに何度言っても、ドライを殺らせてくれねぇ!!だからアンタに直接頼みたいんだ!」
彼がドライとやり合って、その右目を失っている話はルークから聞いている。殺気に満ちた表情で、大司教の肩を乱暴に掴む。
乱暴に掴むラクローの腕を振り払い、その恨み辛みの隠った目を覗き込む。
〈強い精神力を感じる……、この男なら、ひょっとして〉
今より更に強力な実験を行うには、急遽浚ってきた盗賊などでは、それに絶えうる力量を持っているかは、正直な所、測りきれない部分がある。
しかし少なくとも彼は、一度クロノアールの遺伝子を組み込んで、肉体的に強化されている。それに、ドライを倒すという目的も持っている。そして、敵とする目標もほぼ一致しているので、洗脳する必要もない。急激な肉体の変化にも、強い精神力で絶え凌ぐかもしれない。
「そう、私の言うことを聞くのなら、考えないでもないわ、いらっしゃい」
「ありがてぇ!!」
大司教は、彼を再度強化するべく目隠しをさせ、ルークの居る水槽の部屋とはまた別の部屋へと連れて行く。
それから三日後のことだ。
「ブラニー、ラクローが居ないんだ。しかも三日もだ。知らないか?」
ルークがノックも無しに、大司教のいるクロノアールの部屋に、慌ただしく入ってくる。
「彼は貴方の部下なのでしょう?私が知るわけがないわ」
「そうだが、彼奴の力じゃこの島から出ることは出来ない筈なんだが、変だなぁ、ナーダもドーヴァも、しらんと言ってる。仕方がないから今日は三人で賊狩りに行く。いつも通り頼む」
所在のつかめないラクローに苛立ちながら、部屋の中を忙しなく歩き回るルーク。ブーツの音だけがやたらと五月蠅い。
「解ったわ」
大司教は、ラクローのことを少しも表情にだすことなく立ち上がる。それから、ルークが部屋を出て行くのを確認し、それに着いて行く。
ドーヴァとナーダの待っている部屋へ着くと。三人は早速彼女の転移の魔法を受けるべく、身体を寄せあった。その時だった。大司教が、ルークの首に絡みついた。
「行ってらっしゃい」
それから自らの唇を深くルークのそれに押しつけた。普段はールークの方から強請り、しかもはね除けられていたというのに、今日は彼女のほうから積極的に、迫ってくる。
驚きは隠せなかったものの、すぐに慣れた様子で彼女の腰を抱き、暫くその感触を味わった。
ブラニー(此処からは、彼女を一女性として名で呼ぶことにする)が、ルークから離れ、クールに口元だけでニコリとする。ルークの唇は、彼女の口紅で淡く朱色に染まっていた。
「ホンマかいな……」
普段、ルークに素っ気なくしていたブラニーが、公衆の面前で情熱的なキッスをして見せたことで、ドーヴァは、興味深げに二人の顔を覗く。
「オラ!行くぞ」
彼等は、モルモットにするための人材を集めに行く。しかし実験のことに関しては、ルークとブラニーしか知らない。計画を彼等に話すには、時期尚早だ。
「おい、ジジイ!手伝ってくれよ」
「あん?ウム……」
三日経った今も、ドライは新しい義足を完成を完成させてはいなかった。それどころか基本部分の骨組みも出来てはいない。テーブルの上には、部品ばかりが転がっている有様だ。バハムートは、マリーの手帳の方が、気になって、あまりドライの手伝いをしてくれない。少々記憶が戻るのも善し悪しで、そのためにバハムートは、ドライに任せっきりだ。
「ドライ君、見たまえ!理論だけだが、こんなに完成された物は初めてじゃ!やはりマリー殿は、将来の星じゃった!」
バハムートは、興奮を隠しきれず、ドライの眼前に手帳を突き出し、自分の言いたい部分を指でなぞりながら、その素晴らしさを、懸命に伝えようとしている。
「ジジイ……」
ドライのSOSを譫言だけで返事していたバハムートを、彼は、冷たい視線をして声をすごませる。
「は!済まぬ」
冷たい視線を受けたバハムートは、仕方が無しに手帳を閉じ、ドライの目の前からそれをどける。
「はぁ、確かに俺も、マリーが残そうとしたもんに、アンタが感動してるのは、悪い気はしねぇ、けどよ!」
ドライは、両腕を頭の後ろに組み背筋を伸ばしながら、渋い顔をする。
「わかっとる!二度まで言うな!」
「なら、なんとか良いアイデア出してくれよぉ」
情けない顔をしながら、苛立って髪の毛を掻きむしるドライ。
「ドライ!どう?少しは進んだ?」
ローズが、今一パッとしないドライの後ろから、ハッパをかけるような弾んだ声で、後ろから彼の肩を揉みながら、冴えない彼の顔を真上から覗き込んだ。いつも脳天気に元気に思えるローズが変わりなくそこにいる。そんな彼女の顔を見ても出るのは溜息ばかりである。
「いいや。オメェ、なんかアイデア無いか?」
こう言うとき発想の豊かな女性に聞いてみるのは、手段として悪くはない。そんな淡い期待を込めて、ローズの顔を眺め返した。
「そんなに魔法で息詰まってるんなら、魔法止めて、普通の義足にしたら?」
「バーカ、んなことしたら、通常の戦闘で苦戦するだろうが」
消極的な意見に、ガッカリしながらも、骨休めと気休めに、彼女を自分の膝の上に導き、そこに座らせる。ドライは両腕を座った彼女のお腹に廻し、顎を彼女の肩に乗せる。
「うん、でも無いよりはましじゃない?」
そんなドライの頭を軽く撫でながら、目の前に散らばっている義足の部品を、指で摘んでみる。
「それじゃ!」
バハムートが突如として、テーブルを叩き、立ち上がる。それからローズの両手を堅く握ってき、握手をする。
「流石マリー殿の妹じゃ、頭良いのう!」
「当然!……?」
何がどうなのか理解できなかったが、ローズは適当に調子を合わせてしまう。
「ジジイ、説明しろ!」
一人で納得してはしゃいでいるバハムートが妙に腹立たしく思うドライだった。彼の頭の中では、少しも時間が進んでいない。
「要は、魔法以外の物理エネルギー、もしくは魔力に影響されない四次元以上の霊的なエネルギーを使えば良いんじゃ!」
「あ!そうか、なーるほど!流石俺のローズだ、イカすぜ!」
ドライも興奮し、思わずローズの頭を乱暴にグシャグシャと撫でまくる。力一杯やられているので、首が右へ左へと揺れ動く。
「アタタタ!一寸!ドライ!!」
「ハハハ、気にすんな!さ、これから作業に入る。わりいが今夜はパスな」
そう言うと、ドライはローズを膝の上から降ろし、今まで書いた図面をテーブルから除け、丸めてその辺に捨ててしまった。
「うん……」
この場にいれば邪魔になると感じたローズは、部屋を出て行く。その時に彼女の後ろ姿は、何とも言えないほど淋しいっものがあった。しかしドライは浮かれて、その事には気が付いてはいなかった。そんな彼女の後ろ姿を、廊下を通りかかったノアーが見つける。そして、声を掛けずにはいられなかった。
「ローズさん……」
「ローズで良いわよ。何か用?」
顔は笑っているが、やはりどことなく元気のない顔をしている。
「いえ、でも何だか淋しそうでしたから」
ノアーは正直な気持ちをローズにぶつけてみる。ノアーの顔には、誰かのために、何かの役に立ちたい。そんな気持ちで溢れていた。
「そんな顔してると、疲れちゃうわよ」
しかし、逆にローズが真剣な顔をしすぎているノアーをおかし気にクスクスと笑う。その笑みは、どんな肉親よりも、温かく優しいものだった。それを感じ取ると同時に、ローズが再び背中を向け、自分の部屋に戻ってゆく。
「え?あ……あの!」
「そうそう!今晩久しぶりに台所を貸して貰うわ!」
ノアーが声を掛けると、もう一度だけ足を止め、ローズは振り返りそういって、また歩き出した。声は元気だが、やはり背中が淋しそうだ。何か不安を抱えているに違いないローズを、ノアーはそのまま見過ごすことは出来なかった。彼女の不安を取り除くには、自分は役不足だ。そう感じると、手元を忙しそうにしているドライにこの事を話すことにした。
「あの、ドライさん、ローズさんのことですけど……」
「ん?」
ノアーはありのまま見たローズのことを話す。出会った頃のノアーとは、比べ物にならないほど、人間として人を感じ、人に接している。
「解ったよ。サンキューな」
ローズのことだ。このまま放っておいても大丈夫だろう。しかし、不安がっていると解っているのに、放っておくのは男が廃る。そうと決まれば、手っ取り早く本人に聞くことにする。休憩がてらに、腰を上げる。
「イテテ!俺ってやっぱ座るタイプの人間じゃねぇな」
慣れないデスクワークで、腰を痛くしてしまうドライだった。
早速自分たちの間借りしている部屋に行く。大儀そうに、片足で跳ねてくる足音が聞こえると、ローズもそれがドライだということに気が付く。部屋に入ってくるのを感じると、振り返ることもなく声を掛ける。
「どうしたの?」
彼女は先日見つけた、ドライのバッグの綻びを、椅子に座って一人テーブルに向かい、繕っていた。手元が小器用に動いている。そこには普段のローズの後ろ姿だが、ノアーの言っていることも嘘とは思えない、まずは彼女の目の前に座ってみることにした。それから縫い物に集中しているローズの顔を覗き込んだ。
「何よ」
真剣に覗き込んでいるドライがおかしく見えたのか、視線だけを上げ、口元を緩める。
「オメェ、なんか、悩み事あるんだろ?」
こう見透かされたように直接聞かれてしまうと、素直に「うん」とは言えない。
「無いわ、別に」
「嘘つけ!俺には解るぜ、オメェのことなら、何でもな」
ノアーに言われて気が付いたことだというのに、いかにも自分は知っていましたと言わんばかりの口振りで、自信たっぷりな視線で、ローズを釘付けにしようとしている。これほど無意味な自信が似合う男もそういるものではない。ドライらしい口振りだった。
その時にローズの顔が、ホッとした顔をする。ドライは彼女の変化を感じとったが、何故不安がっているのかが解らない。赤い瞳で、彼女の本心を探ろうとしている。ローズは、思わずその瞳に見とれてしまう。見慣れていた筈なのに、何秒も見つめられていると、改めてその美しい紅に見とれてしまう。そして、目の前の彼がただのドライ=サヴァラスティアではなく、自分でも解することの出来ない過去を、引きずっている男なのだと思うと、その瞳がより神秘的に見えてくる。
「ドライは、何時までもドライだよね……」
仕事をしていた手を休め、下から覗き込んでいたドライの顔を両手で包む。
ドライはこの時にピンと来た。自分でも自分が変わってしまうのではないかと思ったあの瞬間、ローズもドライがそうでなくなってしまうことを恐れていた。義足のことが気になって、気づいてやれなかった自分の不甲斐なさに気が付く。
「当たり前だ」
自分の頬をずっと撫でているローズの手を、ドライはそのままにさせてやった。
「よかった」
納得をしたのか、漸くローズの手がドライの頬から離れる。そして互いの顔が、引き寄せられるように近づき始めた頃だった。それを見計らってかどうかは知らないが、バハムートが部屋に入ってくる。表情は何だか難しそうな顔をしている。
「ドライ君、話があるんじゃがな」
その声は、少しローズの存在を意識している。彼女に居れられては、言い出しにくいようだ。
「なんだよジジイ」
ローズのご機嫌取りの最中の邪魔をされたことに、少し腹が立ったドライは、声を尖らせた。だが、話の内容は義足のことだと解っていたので、ローズとじゃれるのを止めることにする。席を立ち、バハムートのほうに近づく。
「あぁあ!良いトコだったのにぃ」
彼女も一寸頬を膨らませて、ムッとした顔をする。
ローズの前から立ち去ったドライとバハムートは、バハムートの間借りしている部屋に行く。ドライ達が旅に出てから使っているらしく、彼の備品が多々ある。
「手術?!」
ドライが珍しい骨董品に目をやっていると、話は突然始まる。
「うむ、新しい義足を創るに当たって、君の足に埋め込まれている器具も交換せざるを得んのじゃ」
「そりゃ解るぜ、けどそんな話、別にローズの前でも良かったろう」
ドライは、バハムートと話しながら、特に目を引いた骨董品を入念に品定めに入る。それを取られてはたまらないと言いたげに、バハムートは隙さずドライから奪い返し、元の位置に戻す。
「そうじゃが、場合によっては、お前さんの足を根こそぎ取る必要もあると思うてな、お前さんがそこまで、する必要があるのか?と言うことじゃ」
かなり大がかりなことを言うバハムートだった。ドライの反応を確かめるべく彼の方を向く。
「へへ、その心配は無用だぜ、新しい奴を付けるのはどうかしらねぇが、比奴を外すのは、シンプルだ」
しかし、バハムートの予想とは反して、ドライは余裕を持った表情をしている。
「んで、何処でやんだ。それ」
「そうか、では早速始めよう」
ドライの足の手術は、誰も使用していない適当な部屋ですることにする。手術に立ち会うのは、バハムート、ノアー、それにローズだ。ノアーの魔法により、ドライを深い催眠状態に落としてから、行うことにする。
術前、バハムートの予想通り、ローズが手術という言葉に、可成りの動揺をしたが、考えれば普段から賊と殺りあっているときや、戦闘の方が、よっぽど危険だ。
ドライの手術中、別の場所では、オーディン達が足を進めていた。
場所は移り、そのころ……。
「奥義剛翼裂震!!」
オーディンの一喝と共に、血飛沫が上がる。敵と見ると有無も言わさず襲ってくるオークを中心としたデミヒューマンとの戦闘において、ドライの穴を懸命に埋めるかのように、オーディンがなりふり構わず剣を振るっていた。
「ラ・ミ・アーン!」
セシルの呪文が、敵を洗い流す怒濤の水流を生み出す。
「ゲ・サラト・ホリオン!!」
倒せる数が少ないが、シンプソンも近辺にいる敵を懸命に凪ぎ払っている。出来れば戦闘を避けたいといった顔をしているが、ドライが居ないので、半ば嫌々頑張っている。
しかし、そうこうしている内に、戦闘が徐々に収まる。
彼等デミヒューマンは、状況が不利と見ると、とたんに逃げ出し始める。これも、もう何時ものことだ。むしろ逃げてくれた方が無駄に戦闘をしなくて済む。全員がホッと息を付く。
「それにしても、毎度毎度、よくも出てくるものだな」
「シルベスターの血が、彼等を寄せるんですかね」
「ははは、まさか」
シンプソンが根拠もなく突飛押しもない事を言うので、オーディンが笑いながらこれを否定する。しかしこれは、まんざら冗談ではなかった。勿論理由はそれだけではない。急激な環境の変化が、彼等の戦意をむき出しにしてしまうのだ。しかし本人達は、その事を全く知る由もない。
「さあ、兄さん達が戻るまで、出来るだけ先を急ぎましょう」
「ああ、解った」
ルークがこの現状に目を付け、襲って来ない事を願いながら、先に進むことにする。
時は空が赤く暮れるほどの夕刻となる。ドライが術後から目を覚まし、気怠く周囲を見回す。そこには、ジョディー、マックが居た。他の子供達は居ない。二人は、ドライの額に乗せられてある濡れタオルを、交換してくれた。
「よぉ、何してんだ?」
少し熱が出ているせいか、頭がクラクラする。ドライとしては、ローズが側にいてくれた方が、嬉しかった。側にいないことに少しガッカリする。
「あ、ドライが目を覚ました!」
ジョディーが、起きたドライの顔を覗き込む。
「僕ローズを呼んでくる」
マックが、ばたばたと部屋から姿を消す。その音が妙にドライの頭に響いた。きっと熱のせいだろう。
暫くすると、先ほどの音よりもっと騒がしい音が、マックの足音と重なってやってくる。音が近づいてきたと思えば、次の瞬間ドライの目には、ローズの姿が目に入った。
「起きた起きた!どう?調子は」
ローズの声が弾んでいる。表情も明るい何も言わなくても、自分がどうなったのか解る。
「最悪だぜ。風邪ひいたときみたく……」
その顔を見て、ドライは急に愚痴を言いたくなって、出た言葉がそれだった。先ほどローズが居なかった当て付けに、拗ねて態と顔を彼女から逸らしてみる。ローズは、ベッドの側に置いてある椅子に座った。
「クス……」
ローズの反応はいたって温和だ。術前にじゃれあった効果なのかもしれない。それと、今拗ねて見せていることが、彼女に彼らしさを見せている。それで更に安心したようだ。
ベッドの横にある、いすに腰をかけたローズの手がドライの髪の毛を掻あげる。
「それにしても、今日は久しぶりに、腕を振るってるのに、術後じゃ食べられないわねぇ」
ドライに触れるのを止め、両手を組み、膝の上に肘を付き、手の甲の上に顎を乗せて、意地悪そうに言う。
「バカ言え!俺は喰うぞ!!」
熱が出て、頭がフラフラしているのに、虚勢を張って上半身を起こす。
「はいはい!良いから、寝てなさい。それじゃお休み」
ローズは、起きあがったドライを強引に寝かせ付け、夕飯の支度をすべく部屋を出て行く。
そして翌日、ドライとバハムートは、義足の本体を完成させるための作業に入り始める。これが完成すれば、ドライは、ルークの魔法に悩まされることはない。
更に三日後、ドライの義足は、完成に向かっていた。だが、この日を待っていたのは、ドライだけではなかった。人間を改造し、ルークの手下のラクローまでも、実験のモルモットにしたブラニーもその一人だ。
「どう?気分は……」
「ああ!力がみなぎるぜ!」
水槽から出たラクローは、一回り大きくなった自分の身体に興奮を覚えていた。それ以外は特に表面上の肉体の変化は感じなかったが、内側から熱く何かがたぎる。
「さあ、俺をドライの所へやってくれ!!」
「残念ながら、ドライサ=サヴァラスティアの所在はつかめないの」
ドライは現在孤児院にいる。その周辺にはノアーが結界を張っていて、ブラニーの思念波がドライにまで届かないのである。
「なんだと?!それじゃ……」
「慌てないで!!その代わり、彼のための模擬戦をさせてあげるわ、目標は彼等よ」
ブラニーはラクローを制止し、持ち合わせの水晶の中をラクローに覗かせる。すると、そこにはオーディン達の姿が映っていた。彼等は進路を真っ直ぐ北にとって歩いている。
「奴は強いのか?」
「安心して、実力はドライと引けを取らない筈よ」
今にも興奮でキレてしまいそうなラクローを、上手く押さえながら、彼にオーディンの姿を確認させる。
「それから、貴方に精鋭を十人いえ、十匹与えるわ、連れて行きなさい」
「精鋭?」
百聞は一見にしかずだ。ラクローを、精鋭を待機させている部屋へと連れて行く。精鋭とは、彼女が最初に改造を加えた人間達のことだ。ただし、ラクローのように人間としての原形は止めていない。皆デミヒューマンの出来損ないのような容姿をしている。
「このバケモンが?」
「ええ、貴方の命令なら何でも聞くわ、不満があって?」
「いや、ない」
「それでは、行くわよ。我願わん!光より早く彼方へとゆかん事を!!イマジード!」
ブラニーの呪文と共に、ラクロー達は姿を消す。そして、北へ向かっていたオーディン達の目の前に突如として姿を現したのである。
「なんだ?!」
「新手ですか!!」
「でもただのデミヒューマンではないわ!!」
即座にそれぞれの構えに入る。
「はぁぁぁ!!」
ラクローがいきなり剣を抜き、有無も言わさずオーディンに襲いかかる。彼のスピードは尋常ではない。人間のそれを遥かに逸脱していた。オーディンは剣を受けることなく素早く身を退かせる。ラクローの異常に膨れ上がった筋肉に、その秘めたる力を感じ、直接受ける気にはなれなかったのだ。オーディンは、一定の間合いを取り、ラクローの攻撃を、見ることにした。だがしかしラクローは、そうはさせてはくれなかった。片手から高圧縮されたエネルギーを放ってくる。魔法のようだが呪文の詠唱は省略されている。溜がない。咄嗟にハート・ザ・ブルーで彼の魔力を吸収し、逆にそれをラクローに返す。
ラクローは自らはなった魔法に直撃し、跳ね飛ばされる。そして爆発と共に大地に叩き付けられ、土煙を上げる。
「殺ったか!?」
気を抜くことなく。ラクローの死を疑い。身構えたままで、その場で一呼吸を置く。彼の連れている化け物達は、ラクローの命令がないので、動くことなくその場でじっとしている。
「ジオナ・バルトアーク・デ・ブラシオズ・グラビオーデ!!」
セシルが呪文を唱える。化け物達の周囲が突如として急激な重圧に襲われ、大地がビシビシと音を立て砕け始める。化け物達も、重圧に押され、地面に這い蹲り始めた。ラクローが再び姿を現す。身体には傷一つ着いていない。
「オーディンさん!早く其奴を!!」
セシルはラクローや化け物達に、直感的なクロノアールの気配を感じた。
「なるほど、ドライと互角か……」
ラクローは、激しい攻撃を受けながらも全く傷ついていない自分の身体を、嬉しそうに眺め、不敵に笑い、オーディンを見据える。
「鬼王炎弾!!」
間合いを詰めはじめるラクローに、オーディンが技を仕掛ける。剣を一降りし、火炎弾をとばす。しかしラクローは、火炎の砲弾を直撃しているにも関わらず全くダメージを受けていない。それどころか平然な顔をして、オーディンとの間合いを詰め続ける。
「勝てる!勝てるぜ!比奴等にはもう用はねぇ!殺っちまえ!!」
ラクローの命令で、重圧で潰れかけていた化け物達が動き始める。そしてセシルの呪文の範囲内で、鈍いながらも攻撃のための態勢に入り始める。
「そんな……、十倍の重力を……」
化け物がセシルを目標に、口から鋭く真っ白な光線を吐いてくる。
「ポインターミラーズ!!」
シンプソンが呪文を唱え、魔法の反射鏡を複数創る。そしてその一つをセシルの前に飛ばした。彼女に直撃しかかった光線が、それに阻まれ、敵に跳ね返る。そして一匹の頭を砕いた。
「シンプソンさん凄い!!」
「当たったのは偶然ですよ……」
身を守ることに関しては、余裕を持って答えるシンプソン。偶然に尊敬しているセシルに、照れ臭そうに笑って答えを返す。
「二人とも気を抜くな!」
会話をしているものの、二人は気を抜いているわけではない、ただそれ以上に彼等に対する警戒心を強めたオーディンが、注意を促したのだ。それと同時に、彼はラクローに剣技中心の攻撃を仕掛ける。自分の肉体に自信をもったラクローは、これを正面から受け止める。一見オーディンが押しているよう見えるのだが、ラクローは、オーディンをからかった笑みを浮かべる。
オーディンの動きは、完全に読まれていた。それはオーディンが、戦っている相手のラクローだけでなく、セシルとシンプソンを狙っている化け物達にも注意を払い、目標に集中しきれないでせいで、攻撃が単調になっていたからである。現に化け物達は、セシルの魔力圏内から抜け出そうとしている。
だが、一つだけオーディンに気休めになっていたのは、ラクローがドライほどパワーを感じさせないことだった。スピードも速いが、あの時の手合わせよりも多少は遅く思える。そう考えればまだ付け入る隙はある。
シンプソンは防御に徹し、セシルも彼の呪文に守られている。魔法で彼等が傷つくことはない。
オーディンは、自分の得意とする遠距離に間合いを置くことにした。
「なんだ?もう終わりか?!」
ラクローは、自分の優位に自惚れ、好きを作る。
「千獄輝針!!」
決定的チャンスに、オーディンが剣を振るうと、そこから無数の光の針がラクローに向かって、猛スピードで襲いかかる。
「喰らうか!」
ラクローは素早く空に逃れた。そして地上を見る。だが、そこにいる筈のオーディンがいない。
「鳳凰の劫火に焼かれて死ぬが良い!!奥義天翔遊舞!!」
「なに!!」
オーディンは、いつの間にかラクローより遥か上空を舞っていた。そして渾身の一撃を彼に向かって放つ。そしてラクローに呪文がぶつかる瞬間だった。彼の連れてきた化け物の内、三匹が彼の身を守るべく、二人の間に飛び込んできたのである。
しかし、ラクローは、彼等のガードも虚しく、技の力に押され、そのまま地面に激突する。
オーディンは、技が決まったにも関わらず、地上に降り立つと同時に更に攻撃を掛ける。
「鬼王炎弾!!」
凄まじい音を立ててラクローの落ちた地点を火玉が襲う。
「やかましい!!メガヴォルトォォ!!」
ラクローの声が聞こえると共に、上空からの雷がオーディンを襲う。オーディンは一旦攻撃を止めこれを回避する。そして、どちらも呼吸を乱しながらもう一度対峙しあう。
「きゃぁぁ!!」
悲鳴が聞こえる。セシルの声だ。魔力の領域から出た化け物達が有無を言わさず光線で彼女に攻撃を仕掛けている。シンプソンの防御魔法で、大事には至っていないようだ。だが、早くラクローとのケリを付けて、彼等に加勢をしなければならない。
しかし隙が見つからない。同じ手も効きそうにない。
身動きの取れなくなったオーディンに対して、ラクローが不敵に笑う。
それと同時に、化け物の一匹が、オーディンに向かって突進してきた。彼はそれに気を取られ、ラクローから目を離してしまう。その瞬間だった。
「クレイジーバースト!!」
ラクローはオーディンの懐に飛び込み、握り拳を化け物ごと彼の腹にぶち当てた。その接点に爆発を伴った魔法が炸裂する。
「がっ!!」
オーディンの体は大きく後方に跳ね飛ばされ、地面に強く叩き付けられる。激痛で漸く目だけで周囲を探ると、側にはもうラクローが立っている。
「オーディン!!」
シンプソンは叫んでみるが、攻撃が激しく、その場に釘付けになって、動くことが出来ない。絶体絶命に追いつめられたオーディンは、どうすることもできなかった。
「クレイジーバースト!!」
オーディンが、覚悟を決めた瞬間だった。女性の呪文を唱える声と同時に、オーディンの側に立っていたラクローが、オーディンと同じように、大きく弾き飛ばされる。
「何だと!!お前等は……」
優位に立っていた筈のラクローが、地面にたたきつけられてすぐに、腹を抱えて蹲り、血相を変え、オーディンの後方を睨み付ける。そしてラクローがオーディンから目を離した瞬間、そのオーディンが、彼に対して素早く斬りかかった。
「でやああ!!」
「グア!」
オーディンの剣がラクローの右胸に突き刺さる。焦点がハッキリしていないため、急所を逸らしてしまう。だが、ラクローは苦痛で顔をしかめ、動こうとはしない。更にオーディンが、トドメを刺そうと、剣を大きく振りかぶった瞬間だった。いつの間にか、目の前にかルークが立っている。気配のみじんも感じなかった筈なのに、ルークは剣を振り下ろす体制に入っている。
「な……」
「ジエンドだ」
ルークの剣が、まさにオーディンを捉えようとしているときだった。
「そうは問屋がおろさねえんだよ!!」
真っ赤な刀身を誇る剛刀が、オーディン右横をかすめ、ルークの目の前に突き出る。
「ち!!」
悔しがったルークが、ラクローを抱え、ついでに化け物達の側に寄り、そしてあっと言う間に、姿を消してしまった。
「ドライ……レディー……」
オーディンが腹を抱えながら、ゆっくりと立ち上がり、二人の顔を見ると、安心した顔をする。
「兄さん!」
セシルが急いでドライの側に駆け寄る。危機を脱出して、ホッとしているのか、声には震えと弾みがあった。シンプソンも直に彼らの居る位地へとやってくる。
「ドライさん!上手くいったんですね!!」
「まあな」
先ほどまでの緊張していたシンプソンの顔と、今の変わりようを考えると、少しだけおかしくなってしまうドライだった。義足が完成したこともあって機嫌もよかった。
「ゴホ!ゴホ!!ハァハァ!!」
周囲がホッとした雰囲気に包まれた瞬間、オーディンが再び屈み込み、口を押さえて真っ赤な血を吐き出し、呼吸を不規則にして苦しがっている。
「おい、大丈夫かよ!」
あまりにもリアルすぎてドライも思わず気を使ってしまう。
「取りあえず治療を……、天なる父よ、この者の傷を癒し賜え……」
シンプソンの治療を受けたモノの、オーディンはそのまま気を失ってしまう。魔法のダメージが相当あるようだ。すぐには回復しそうもない。
場所は一転して、教団のクロノアールの遺跡に移る。
「驚いた。何時の間に転移の魔法をマスターしたの?」
ルークが自分の目の前に現れたとたん、ブラニーは、少し間が悪そうに取り繕ってみせる。
「そんなことより。比奴を説明して貰おうか、おい!ドーヴァ、居るんなら比奴に治癒魔法を掛けろ!!」
しばらくの沈黙の時間の後、ドーヴァが慌ただしく、部屋に入ってくる。
「どないしはったん!あ!!ラクロー、みかけん思ったら……」
「良いから其奴を連れて、自分の部屋に行け!」
「わ!解りました……」
いつになく苛立った大声を出しているルークに、怯えを感じ、ドーヴァはラクローを連れ、部屋を出て行った。それを確認したルークは、自分に背中を向けているブラニーの正面に回り込み、胸ぐらを掴んで彼女を睨み付ける。
「説明しろ!!」
「止してよ。私が強制した訳ではないわ」
普段とは全く違ったルークの気迫にブラニーは、少し青ざめた。だが口は相変わらず冷淡だった。熱くなっているルークの手に、白くしなやかな手をそっとかぶせ、彼の気を他に逸らそうとしている。それでも手が放れないと、もう少し彼の手を強く握り、ルークの瞳の奥を覗き込んだ。
「勝手なことしやがって!」
漸くルークの手が緩み、釣り上げていた彼女を床の上に立たせる。
「黙ったいたことは謝るわ、でも彼が望んだことなの、解って?ね?」
ブラニーは、ルークを利用するため、此処しばらくは、態と彼に気があるかのような態度をとって見せた。必要以上にルークの手を取って、彼の心を自分の思い通りにしようとしている。
「バカ野郎!んなことじゃねぇ!!彼奴が出てきたときに暴走して、お前がどうかなったら、どうする!!」
「え?」
ブラニーが、動きを止める。暫くルークと見つめ合ったままだ。明らかにブラニーの失態や、無謀を責めるものではなく、彼女自身の身を案じてのことだった。
確かにルークは、自分に惚れているとは言ったが、今日ほどそれを感じさせる言葉はなかった。そう感じると、不慣れな感じが胸を締め付け、急にドキドキと高鳴ってくる。
「俺にとっちゃクロもシロも関係ない。ただ気がつきゃドライの野郎がいつの間にか世界一になってた。あのガキがだぜ……」
そう言うと、ブラニーの頬をすっと撫で、部屋を出て行く。そしてラクローの居る部屋へと向かう。そして、扉を開け、中に入った。そこにはラクローとドーヴァが居る。処置は済んでいるようだ。
「マスター……」
ラクローは、半ばルークの制裁を恐れながら、近寄る彼の顔を見上げた。
「マスター、どないしたんでっか?」
「ドーヴァ、お前との話は後だ。他で待機しとけ……」
「はぁ?」
顔を見せる度に、どこかへ追いやられてしまうことに、疑問をもちながらも仕方なくその場を出て行くことにする。
「バーカ、何をビビってんだよ!いいか、テメェが強くなっても、付け焼き刃なんだよ!自分の力を知らねぇ奴が、自分の力を知ってる奴に勝てるかよ。まあ、ドライを殺りたきゃ、精々俺を越えるこったな」
ルークは、ラクローのドライをその手で殺したいという気持ちは十分に分かっていた。だからあえて自分勝手に動いたラクローを責めはしない。軽く言い放つと、用が済んだので部屋を出て行こうとする。
「待ってくれマスター!!」
傷口を押さえながら、ルークを引き留める。
「何だよ」
ラクローは、何時も語尾を強めて喋る。何時も何か切羽詰まった声をしているが、この時は、別の意味で詰まっていた。
「ドライはいらねぇ!俺の標的は、オーディンだ」
「好きにしろ!」
ラクローが自分だけの目標を見つけたことで、安心気味にニヤッと笑いそこを後にする。ラクローは昔の自分を傷つけたドライより、強くなった今の自分を傷つけたオーディンを倒したくなったのだ。ルークが部屋を出るとそこにはドーヴァが立っていた。
「しかし、ラクローなんであんなに強なってしもうたんやろう」
可成りの溝を空けられたことに、不満な顔をして首を傾げている。それから暫く首を傾げっぱなしだ。
「お前は誰を倒したい?」
ルークはドーヴァに対し、いきなりこんな事を言い出す。
「そやなぁ、会ってみんとわからんわ」
無責任に軽い口調で、ルークの質問に譫言で答える。もちろん内心は、ドライを倒したがっている。
「よし、会わせてやる」
「はぁ……」
淡々としたルークに、どう言葉を返してよいかドーヴァには解らなかった。適当に合わせて返事をする。
オーディンが気絶してしまったためドライ達は、急遽進路を変え、歩いて二時間ほどの距離にある。西にある街へと向かった。
そして次の日の昼だ。
「あ……う……ん」
そしてオーディンが宿の一室で目を覚ます。体中の血の気が引いて、周りの景色だけがグルグルと回っている。今現在何処にいるのかさえ、考える気になれない。ややもする本を読んでいるとシンプソンが目に入る。
「私は……」
漸く自分が何処にいるのかが気になり始める。
「気が付きましたか?」
オーディンが目を覚ましたことに気が付いたシンプソンは、本を閉じ、彼の方に近づく。
「此処は?」
オーディンは、頻りに周囲を気にしている。彼は半分まだ戦闘が続いているのではないかと思っている感じで、記憶が混乱していた。
「此処は……、なんて言いましたかね、兎に角町中です安心して下さい。起きることが出来ますか?」
「ああ」
オーディンは、少し身体が痛むものの、ゆっくりと上半身を起こす。血の気が足りないので、頭がふらついて仕方がない。しかし、皆に心配をかける訳にはいかない。
「よかった」
オーディンが強がっているのは、見ていて解るが、それだけの元気があるだけましだ。後一、二度治癒魔法を掛ければ、元に戻るだろう。
「それにしても、よく街が見つかったな」
「ええ、ローズがね」
その時ドライが肩に大きな紙袋を部屋に入ってくる。
「よぉ、目ぇ覚ましたか?」
それから、オーディンのベッドの上で紙袋の中身をぶちまけ始めた。中からは果物やハムを中心とした肉がゾロゾロ姿を現す。
「ドライさんそれは?」
必要以上に食べ物が出てくるので、シンプソンはメガネの端を摘んで、その量を疑って見る。
「血と肉の元だよ」
「済まない」
オーディンは不作法ながら、ドライの買ってきた肉や果物を、次々と食べ始めた。その時に、何時もドライの側にいる筈のローズが居ない。セシルもだ。
「レディとセシルは?」
オーディンが再度部屋の中を確認する。
「セシルは寝てるが、彼奴は街に着いたとたん、どっかいっちまったよ」
さっぱり冴えない表情で、オーディンの質問に溜息混じりに答えてみせる。ドライが彼女の居所を知らないとすると、何処へ行ったか解らない。外を見ると、陽は高い、ルークの襲撃はあり得ないだろう。
「そうそう、町中にゃ黒装束がなにやら喚いてたぜ、平和だのどうだの。こっちじゃかなり勢力広げてんなぁ、吃驚したぜ」
ドライもベッドの上の食べ物を適当に頬張りながら、シンプソンやオーディンの方を何度か振り返って、街の状況を説明してみせる。
そして、ドライの言ってることが、彼等にとっての疑問でもあった。何故世界を崩壊に導こうとしているもの達が同時に人間の信仰を集めているのか。考えれば考えるほど頭が痛くなってくる。
その頃ローズは一人っきりで、懐かしさを感じていた。彼女がこの街の位地を正確に知っていたのは、この街が彼女の故郷であるからに他ならない。それと同時に街の外れで起こったおぞましい記憶も蘇ってくる。彼女は足を止めた。そしてズボンのポケットからキーを取り出し、玄関の鍵を開ける。
この間に、彼女の赤い髪に見覚えの人間が、ちらりちらりと彼女を見る。中には、あのおぞましい出来事をうわさながらも聞いた人間もいる。ローズはふとその視線が気になった。しかしそんな人ばかりではない、多少は彼女を理解している人間もいるのだ。
「ローズじゃないか!」
理想の母親と言った感じの悩みのなさそうな、ドッシリした女性がそこに立っていた。
「おばさん!」
二人は懐かしそうに抱き合った。ローズは内心、此処まで自分を暖かく迎えてくれる人は、居ないのではないかと、心配したが、彼女の出現で故郷の暖かさを思い出した。
「まぁ美人になって!」
「それは昔っから!ねぇ、それより久しぶりに家の中が見たいのよ。中に入ろ!」
彼女の家は借地でないため、手つかずのままそのままの趣で残っていた。中は年月の割には、思ったよりは埃が少ない。家に入ると、座れる程度に居間の掃除をし、二人はソファーに腰を掛けた。
「ホント、いきなり街を出ていったからねぇアンタ」
「うん……」
こう言われてしまうと、気の良い隣人には本当に申し訳ないと思ってしまう。
「でもよかったよ。戻ってきて、気にしちゃダメよ、あんな事。もう何処にも行かないんだろ?」
ローズがそうしてくれれば嬉しい、彼女は言葉尻を嬉しそうに弾ませながら、断定的にローズの方をニコニコと笑って、見つめている。
しかしローズは、俯いて口元を苦々しく笑わせて、少しだけ息を漏らして首を横に振る。
「そうかい……」
とたんに彼女の顔も曇ってしまう。両親が早死にし、姉も失い、自らも傷を負っているこの幸薄い女を、不憫に感じてしまう。「せめて自分が励ましになることが出来れば」そう言う思いも、ローズに届かないことが、残念に思えてならない。
「此処には、良くも悪くも……、思い出しかないから」
ローズは作り笑いをして、健気に笑ってみせる。
「聞いたわ、レッドフォックスって言われる赤毛の女賞金稼ぎの噂……」
あまりよくない噂に、今度は俯き沈んだ悲しい声で、残念がっている。ただ軽蔑の念は隠っていなかった。
「そう……」
事実なのだから何を言われても仕方がない。簡単な返事で、それを聞き流す。
「でも、変わってなくって安心したわ、買い物があるから、私行くわ」
それでもローズに会えたことを嬉しそうに、最後にはそう言って、ローズに微笑み掛けて、彼女の家を出ていった。
ローズも腰を上げ、マリーの使っていた部屋に行く。そこには彼女が生前使っていたデスクやペン、それに厚みのある本が、棚に並んである。どれもこれもローズが家を飛び出したときのままだ。色あせた姉妹の仲のよい写真もデスクの上に置いてある。
遺品を色々と触ってみる。姉の死んだ悲しみが、心の中に沸いてくる。しかし、涙となって現れることはなかった。
ある程度感傷に浸ることが出来たローズは、それに満足して、此処を後にすることにする。
「そう言えばもうすぐクリスマスか……それに誕生日……、忘れてたな」
今まで緊張の連続で、そんなこともすっかり忘れていた。それに街の雰囲気もそれどころではない。町中には宣伝のサンタクロースの代わりに、黒装束が熱心に布教活動をしている。
黒装束と見ると、剣を抜いて斬り殺したくもなるが、そんなことをすれば、此方がお尋ね者だ。ぐっと堪えて横を通過することにする。
宿に戻ると、セシルも起きていて、ローズを迎えてくれる。オーディンは相変わらずベッドの上だ。しかし顔色はだいぶいい。二日もすればすっかり元気になるだろう。
「ただいま!どう?オーディン」
「ああ、世話になったな」
「良いわよそんなこと」
妙に改まったオーディンが、他人行儀に思えておかしくなってしまう。ニコニコとしながら、自分の眼前で手を振って笑っている。
「それよりお前、何処行ってたんだよ」
ローズは、この街が自分の生まれた街だと言うことは、誰にも言ってはいない。だからドライが、意味もなくただだらだら出かけたローズに、不満を持っていた。勿論自分を連れていかなかったことにだ。隠し事をしているローズが気にいらなかった。顔は笑っているが、一寸口先が聞きたがっている。
「良いじゃない別に、それより黒装束、居たわよ。布教活動なんかしてたわ」
ドライの質問を誤魔化しながら、腹立たしげに皆に腹の中をぶちまける。
「ふん、まぁいっか、俺一寸下で酒飲んでくる」
宿の下には酒場がある。この数日間、義足のことで妙に真面目になっていたので、時間が空いたことで、口元が淋しくなった。
普段なら此処でローズが着いてくるのだが、この時はそうではなかった。部屋から出れば、イヤなことの方が多い。消極的にドライを見送った。ドライは部屋を出ると、早速愛用のサングラスを掛けた。
「なんか、今日の彼奴変だなぁ」
ドライはそう思いながらも足は前に進んでいる。
昼の酒場は、やはり湿気ている。その分静かで、一人で適当にやるには良い、しかしドライの趣味ではない。でも口は淋しい。
「オヤジ、バーボン」
「はいよ」
沈んだ落ち着いた声で、早速クラスにかち割り氷を入れ、トクトクと酒をつぎ始める。その時後ろの方で、暇を持て余しながら、テーブルを拭いているウェートレス達の話し声が聞こえる。
「知ってる?あの娘帰ってきたの……」
「誰?」
「知らないの?あの赤い髪の……」
「ああ知ってる!ハッグ達にレイプされた子でしょ?」
「そうよ。結局あの時シェリフって、何もせずだったけど……」
本人達は、ひそひそ話をしているつもりだったが、周囲に雑音が無いせいと、ドライの耳がよいおかげで、会話は丸聞こえだ。
「でも、本人に隙があったのよ。自業自得よね」
「そうね……」
ローズの赤い髪は、やはり目立つようだ。そう言う噂があれば、広まりやすいに違いない。この時に、ローズが何となくこそこそしている雰囲気があったことに納得する。
〈酒が不味くなっちまったなぁ……〉
残りを一息に飲み干すと、手招きをして、彼女らを側に呼ぶ。
「おい、そこの女共!」
不機嫌な、ドライの声だった。
「な、何でしょうか」
恐る恐る彼女たちがドライに近づくと、彼は金をちらりと出しながら、二人の手を掴んだ。
「そのハッグって奴、何処にいるかしってっか?」
彼女たちは顔を見合わせてみる。その人物がよほど怖いのか、今度は黙りになってしまう。しかし会話を避けようにも、ドライに腕の捕まれているので、逃げることは出来ない。
「もうチョイ弾むからよ、教えな!」
しかしサングラスから覗いた目は脅迫的だった。気迫だけで失われ気味の人間の本能を蘇らせ、死すら直感してしまう。
「此処から町外れの西の森で、多分……」
そこまで言うと、ドライは手を離し、金を渡す。そして再び席から立ち、部屋に戻ることにする。そして部屋に戻ったときだった。ドライの目にセシルの顔が飛び込んでくる。そして何となく閃いた。
「おい、セシル。たまには『兄妹』で、どっか出かけようぜ」
セシルの側によって軽く自分から彼女の手を握る。
「兄さん?」
「イヤか?」
ドライは態と冷たい声を出して、上から彼女を見下げてみせる。
「ううん!!」
こういう形でドライが彼女に声を掛けたのは初めてだった。ましてその前に着いた『兄妹』と言う言葉が、彼女にとって何より嬉しい限りだった。ドライがセシルの足に合わせゆっくりとした歩調で歩き出す。
全く無視をされてしまったローズとしては、ただ、声も出せずに、ドライの方に手を伸ばしてみるだけだった。
「どうしたんですかね、ドライさん……」
「さあ……」
早速外に出た二人だが、ドライの行き先は決まっている。セシルに有無を言わせず。足を進める。この前のルークの件があったせいで、一寸した距離でも剣を離すことはない。しかし町中では不自然だ。少し視線が集中する。
「兄さん何処へ行くの?」
「一寸良い場所さ、まあ黙ってついてきな」
ドライは正直言って、心にもない兄妹感で、セシルを連れてきたことを多少後ろ暗く思っているが、街にいる時間はそう長いものではない。すぐにローズのことで、その罪悪感は打ち消されてしまう。
そして、町から少し離れ森がすぐ側にまで見える所までやってきた。
「セシル!彼処まで競争だ!!」
そう言ってドライがパッと駆け出す。
「あ、待って!」
セシルはドライが何を考えているのか解らなかった。足で競ったところで、ドライが勝つに決まっている。なのにドライは、さっさと行ってしまった。直に木陰に紛れて彼の姿が見えなくなってしまう。
仕方がないので、懸命にドライの後を追うことにする。
少しすると、彼女も木陰の薄暗い場所までやってくる。今の季節は知らないが、夏はさぞ涼しそうだ。小川のせせらぎまで聞こえてきた。一寸したデートスポットっぽい。
セシルはこの雰囲気に少しだけドキッとした。
「まさか……ね」
しかし肝心なドライがいない。
「兄さん!兄さん!!」
大きな声で何度も叫ぶがドライは姿を現さない。その時に、木の向こうから手招きをしているのが見える。
「兄さん」
セシルがホッとしながらも、そこに駆け寄った。だが、木の側に近寄った瞬間、ドライほどではないが、筋肉質の金髪で角刈りの厳つい顔をした大男が姿を現し、セシルの手首を乱暴に掴んだ。
「あ!!」
一瞬叫んだが、すぐに口を塞がれてしまう。それからそれをきっかけに四、五人の男達がセシルの側に、ワラワラと集まってきた。
「へぇ、珍しく客が来たと思ったら可愛いじゃねぇか、緑色の髪してよぉ、へへ」
見かけによらない、この情緒的な森は、彼らのたまり場なのだ。今はほとんど誰も近づかない。昔は恋人たちの憩いの場だった。
「単純バカでよかったぜ!ハッグさんよ」
彼等がセシルを囲んだときだった。何処かともなく姿を現したドライだった。
「何で俺の名を……」
見慣れないドライに、名を言われた本人がドライを見据える。それから彼等の一人が、ドライに近づいてきた。
「オッサンよぉ、この人数に勝てると思ってんのか?痛い目見る前にとっとと帰って寝な!」
それを皮切りにハッグと思われる男以外がドライを囲み圧力を掛けてくる。これは彼等のパターンのようだ。
「オッサン……?」
そう言われたのは初めてだ。こめかみがブチ切れそうになっているドライだった。いや、すでに切れていた。一呼吸もおかずにドライを囲んでいた周囲の五人を拳だけで吹っ飛ばしてしまう。彼の一撃は重い。手を抜いたとしても、しばらくは蹲って動くことは出来ない。あっというまに、セシルを押さえ込んでいるハッグ一人となってしまう。
そうなると、今度はセシルを人質に、ドライを脅しにかかる。頻りに彼女の喉にナイフを押しつけた。ハッグにはもはや、声を出している余裕などなく、しきりに、刃物を突きつける動作を繰り返している。
「俺の妹殺ったら、どうなるか……な」
ドライはサングラスを外し、血に飢えた赤い目で、ハッグを睨み付ける。瞬間、彼の顔から血の気が引く。ドライはそれを見ると、あっさりとハッグの眉間にナイフを打ち込んだ。彼はセシルを押さえ込んだまま、そのまま後ろに倒れ込んでしまう。
「きゃ!」
セシルの口を塞いでいた手が放れ、彼女も漸く声が出るようになる。
それとほぼ同時に、先ほど殴られた男達が蹌踉けながら、まだドライに立ち向かう様子で立ち上がってきた。まだ懲りていないようだが、ドライは更々彼等を生かしておく気など無い。ブラッドシャウトをすっと抜くと、一撃の下で彼等を斬り殺してしまう。彼等の血が返り血となってドライの顔を汚した。
「兄さん……」
何が何だか理解できないセシルは、不振な顔をしてドライの背中を見つめる。
「わりぃ、チョイ訳有りでな、きかねぇでくれ。お詫びにこれから好きなところ連れてってやるよ」
これでローズの過去が救われるわけではなかった。そして、彼等を斬った後も自己満足も得られはしなかった。何となく虚しさだけが心の中を漂う。
しかしそれに対して、ドライは自分に対してもセシルに対しても、軽い態度をとった。
セシルには、どんな事情かは解らない。しかしドライがその目的のために、心にもないことを言葉にしたことは、解る。
「あんまりよ!」
つかの間の喜びの後に、押し寄せた落胆が、セシルを情緒不安定にした。泣きながら、街の方へと駆け出す。
「おい!一寸待てよ!」
ドライには、セシルが泣いた理由が解らない。彼女のいきなりの行動に、焦ってその背中を追う。
「一人にさせて!ルートバインド!!」
セシルが泣きながら魔法を唱えると、ドライの足や手、体中に木の根で出来た無数のロープが絡んでくる。彼はそれに足を取られて無防備な体制で前のめりに転んでしまう。
「イテ!!」
ドライはそのまま十分ほど、芋虫のように倒れたままになって、ぼうっとしていた。
町中に戻ったセシルは、ションボリとしたまま、街角で立ちすくんでいた。謝ったときのドライの顔が妙に軽薄に思えてくる。確かにそうなのだが、彼の事情も知らない。
このまま帰ると、ドライに合ってしまうし、泣いている顔など皆に見えられたくない。何処に行ってよいのか解らず途方に暮れていると、一人の男が声を掛けてきた。
「どないしたんでっか?」
なんとセシルの前に現れたのは、ドーヴァだった。セシルはその声に驚き、吃驚して顔を上げる。目は涙で潤んでいた。暫く目と目が合う。しかし少し上から覗く彼に驚いて、声が出ない。
〈か!可愛いなぁ、いかん!比奴は敵やった……〉
彼は早速自分の標的となる人間を捜しに来たのだ。今現在の彼は、戦闘を考えてはいない。それに戦闘を起こせば、ドライ達がやってくる。
セシルは、彼が敵だとは知る由もない。ただドライでなかったことに、ホッと胸を撫で降ろすだけだった。勿論ドーヴァはその事を知っている。だからゆとりの表情で、敵を探ることにした。
「ほれ、泣いてんと」
敵とは知っていながらも、泣いている彼女を放っておくことが出来ない以外と人情家の彼だった。ハンカチを出して、セシルの涙を拭いてやる。セシルの涙を拭き終わるとドーヴァはニッと笑う。
「ありがとう、ご免なさい……」
恥ずかしそうに困った顔をするセシル。恥ずかしくて再度彼と視線を合わせることが出来ない。言葉をモジモジさせて、態度をハッキリさせることが出来ないでいる。
〈な、何でそんなに、可愛いんや、水晶で見てんのと偉い違いやな!これであんなゴッツイ魔法を使うんかいな〉
「ま、なんぞ訳でもあるんやろ?そこにカフェバーもあることやし、どうや?」
一見人の良さそうなドーヴァにホッとするセシル。それが見知らぬ他人とわかっていても、気まずいドライといるより、ずっとましなことだった。彼女はか弱いが、魔力を使えばふつうの男など、手も足もでない。
言葉遣いのせいか、妙にせかされている気分になってしまって、いつの間にか足は彼と一緒にそこへと向かっていた。
その頃宿では。
「えぇ?セシルが何処かへ行ったぁ?」
シンプソンとローズの不信感の隠った声が、ドライを上から押さえ込む。
「面目ねぇ……」
ドライは一応町中を探してみたのだが、一向に見つからず仕方なく、恥を曝しに宿へと戻ってきた。作り笑いをして愛想を振りまいてはいるが、冷や汗をかいているので、相当焦っているのは一目で分かる。
「あんた何したのよ」
ローズが突き刺さるような視線で睨みながらドライの周囲を回る。
出て行くときのあの不自然な態度からすると、何かやましいことがあるに違いないと思いこんだ目で、ドライは注目を浴びていた。ローズがまだ周りを回っている。
「何もしてないって……」
まさか此処でローズの過去を暴露するわけにはいかない。此処はどんな仕打ちをされてもじっと我慢をする事にした。
「まぁよかろう。それは後で聞くとして、先に彼女を捜さねばな」
オーディンがベッドから体を起こし、上着を着込み始める。
「オーディン、貴方は寝ていて下さい、セシルは私たちで探しますから」
「大丈夫だ。手は多い方が良い。それに一人になるのは危険だ」
オーディンは、シンプソンが止めるのを聞こうともしない。
「それじゃ二組に分かれましょう」
ローズがドライの腕を取る。
「いや、レディーはシンプソンと行ってくれ。ドライとは私が行く」
「ええ、構わないけど」
確かにシンプソンと今のオーディンでは、何かあったときに何もできない状態だ。それに、不服を言っている場合ではない。そして、オーディンに何か考えがあることが、彼の口調から何となく解る。
ドーヴァとセシルは、目の前にあったカフェバーに入っていた。それからというもの沈黙の時間が、ただ流れていた。触れてしまえば、泣いてしまいそうなセシルに、困った顔で、ただ気を使っていた。
〈俺、何してんのやろ……〉
「そや、チョコパフェでも喰うか?俺好きやねんけど……」
恐る恐る声を掛けるドーヴァに、セシルはコクリと頷く。何とも対応しがたいセシルに、汗をかきながら、落ち着き無く周囲を眺めていると、向こうの方でナーダがこちらを睨んでいる。
「俺、トイレ行って来る」
そそくさと、席を立ち、ナーダと視線を合わせながら、奥の方に向かって歩き出す。そして二人とも手洗いの前で、身を隠すようにして話を始める。
「何をやってるんだ!彼奴は敵だぞ!」
ナーダは、高い位置から指をドーヴァの眼前に突き出す。今にもその指が額に突き刺さりそうだ。
「解っとる!せやけど、マスターに不利な戦闘はするなって言われとるやろ?それに向こうは、こっちの事しらんのやで!お前も他の連中見つけて、自分の目標探せ!」
シッシッと、ナーダを手で追い払う仕草をするドーヴァ。それだけを言うと、再びセシルのいる席に戻る。そこにはもう、彼の好物がテーブルの上に置かれて合った。そのときのドーヴァハまるで、宝物を見つけたような表情をしている。
「頂きまぁす!、うん!美味いでこれ!」
と、態とらしく元気を出してがっついてみせる。セシルもいい加減、ドライのことを考えることに、疲れていた。そして、やたらドーヴァが騒がしいのに気が付いて、ふっと俯いていた顔を上げる。子供のように口の周りをベッタリ汚して、パフェを頬張っているドーヴァの顔が目に入った。ドーヴァもセシルが顔を上げたことに気が付いて、互いの視線があった。
「ぷっ!」
その彼の顔が妙におかしく思えたセシルは、一変して笑いが吹き出してしまう。相手に悪いと思いながら、手で口を押さえてみるが、どうにも止まらない。手の内側で必死に息を殺しながら笑っている。
「どないかしなん?」
「だって、貴方の口……クスクス」
「口?」
適当に手の甲で、口を拭いてみる。するとそこには、クリームがベッタリとくっついてきた。
「あかん!つい夢中になってもうて!」
するとセシルは、より一段とおかしそうに、クスクスと息を殺しながら笑う。とても初めての男性に見せるようなものではない、屈託のない笑顔だった。いろいろな意味での緊張の糸が彼女の中で、途絶えた瞬間だった。
口を拭き終わったドーヴァの目に、漸く笑ったセシルの屈託のない笑いが飛び込んできた。
〈比奴、ええ顔しよるなぁ、戦闘中とは、全然違う……〉
「漸くわろうてくれたな」
ドーヴァはセシルの笑顔に、すっかり虜にされてしまう。彼女の笑顔が見ることが出来たことに、新鮮な感動を覚えた。
「ご免なさい、知らない人にこんなにして貰って」
セシルに、ドーヴァに対する本音が出る。今度は彼に対して申し訳なさそうにぺこりと頭を下げた。
「ええんや!気にすんな、それよりそれ喰って元気だし!」
照れて頭の後ろで手を組み、でれっとしてしまうドーヴァだった。
「ありがとう」
一度ドーヴァを見て、パフェを口にし、もう一度ドーヴァを見て、ニコリと笑った。漸く一安心をしたといった感じの顔だ。その頃、オーディン達は、気をヤキモキさせながらセシルを捜していた。
「ドライ、正直セシルに何をしたんだ?」
「しつこいな!俺はなにもしちゃいねぇよ!」
「『やましい事』をしていないのは解っている!お前がそう言う男でないこともだ」
「ウルセェ……仮面男」
解ったようなことを言われて、内心ムカッときたが、彼が自分を理解していることも、少々ながらも有り難く思った。しかし幾らドライとて、他人に話せるほど軽い話ではないのだ。ローズの事を思うと殴られても話せない。そんな心境から、声にも普段の突っぱねる元気の良さがない。オーディンは男同士として、ドライから色々と聞きたかったが、無理なようだ。
時を同じくしてローズとシンプソンも別の場所でセシルを捜していた。
「いないわね……」
「そうですね」
セシルは行き場所がないだけに、何処へ行ってしまったのか全く見当が付かない。ドライが絡んでいるだけに、ローズはより責任を強く感じる。そしてドライには、全く悪気がないことも解っている。
二人が少し足を止め、これから、彼女をどう探すのかを考えているときだった。少し向こうの方から、昼間ローズと話していたおばさんが、大きな声でローズの名を呼びながら二人のほうに、近づいてくる。
「ローズ!デートかい?!」
二人の側に来ると、突然ローズを肘でつつきながら、ローズをからかっている。
「お、おばさん!彼は違うわよ!」
「またまたぁ、恋する女は綺麗になるって言うじゃないか!」
「だから違うって」
この忙しい時に、悪気のない勘違いをしている彼女には、ただ笑ってこれを否定するローズだった。セシルを捜さすために、彼女と話している時間はない。
「兎に角、私たち急いでるから……、ご免なさい!」
「うわっと!!」
ローズはシンプソンの腕を引っ張り、強引にその場を切り抜ける。
「なんだかんだ言って、青春だねぇ……」
忙しそうなローズの顔を見ると、彼女はローズの過去を気の毒に思いながらも、ホッと息を付いた。
「ローズ、今の人、知り合いですか?」
「うん、まあね、一寸……」
ローズは苦笑いをする。
シンプソンから見て、少なくとも二人はただの知り合いとしては映らなかった。そこには、つき合いの慣れや、心を許し合っている何かを感じた。だが、ローズはそれを隠すようにしている。気になってその事を聞きたくなってしまうが、そこまでする権利は自分にないことをシンプソンは解っている。それに、セシルを見つけることが先決だ。そろそろ日が傾き始めている。ルークに襲われれば大変なことになると考え始めているシンプソンだが、まさかセシルがその部下と会っているとは、知る由もない。
「な、美味かったやろ?晩になったら、景気づけに、美味いもん喰わしたるわ」
店から出たドーヴァは、スタスタと歩き出す。後ろからセシルが、いそいそとドーヴァの後を追う。
「え?そんな!私もう大丈夫だから!」
あまりにも、人見知り無く次々と言葉の出るドーヴァが、いつの間にかセシルの元気を取り戻させていた。しかしセシルにとって、何故彼がこうまでしてくれるのか解らず、ただ戸惑うだけだ。そこまでされることに気が引けて、足が止まってしまう。
吃驚して目を丸くしているセシルの顔が、またもやドーヴァの心に飛び込んでくる。
「ええんや、俺、お前に……」
ドーヴァが振り返り、セシルの頬に手を差し延べたときだった。
「セシル!」
ドライがの声が彼女の耳に飛び込んできた。そして、ドーヴァの後ろにオーディンに肩を貸しているドライがいた。
「兄さん!」
ドライの顔を見た瞬間、先ほどまで忘れていた疑心が再び胸の中に舞い戻っている。再び彼と顔を合わせることを辛く思ったセシルは、人混みの中に駆け出して行く。
「一寸待てよ!」
しかし今度は、セシルはドライに感単に捕まってしまう。何処かで捕まることを期待していたのかもしれない。
〈うへぇ、ドライや!兄さんてなんや!!〉
ドーヴァは、ドライを見た瞬間、身体を硬直させた。彼と違ってドライは体格に恵まれている。そして何と言っても世界一の賞金稼ぎのイメージがある。横を通っただけで、彼の威圧感を感じた。
「離して……」
セシルは自分の腕を強く掴んで感じるドライの手を振り解こうと、腕を振ってみる。しかし、どう足掻いても、逃れられそうにない。だが、力は強いが、決して強引な強さではなかった。
「かまわねぇが、先に謝らせろ」
ドライのその言葉に、セシルも抵抗するのを止める。だが、ドライの顔を見ることは出来ない。ただじっとしている。すると、ドライの手の力も軽く捕まえる程度のものに変わった。
「悪かった」
ドライはそう言うと、セシル腕を放す。そしてオーディンの方に振り返った。
「オーディン、後頼むわ……」
「解った」
オーディンの返事を聞き、全てが済んだように歩き始めたドライが、ドーヴァの横を横切ろうとしたときだった。
「一寸待ったらんかい!」
ドーヴァは、ドライのセシルに対する素っ気いない態度に、妙な腹立たしさを覚えた。
「あん?」
ドーヴァのことを全く知らないドライは、彼が何を言っているのか全く理解できなかった。自分の聞き間違いでないのかと、耳を疑った。
「女泣かせといて。それだけなんか!!」
尋常になくムキになっている。
「だれだてめぇは!関係ねぇだろ。怪我しねぇうちに、とっとと帰って寝ろ」
ドライはサングラスの中から斜め下にドーヴァを見下ろす。だがそれだけだ、それ以上何もせず、再び歩き始めた。その時、ドーヴァは剣を抜こうとする。ドライが鞘から剣が抜け出る音を聞き逃すわけがなかった。彼も背中に背負っているブラッドシャウトを、抜こうとする。ドーヴァの態度次第では、殺すことも考えていた。
「止めて!兄さん!!ドーヴァさんにはお世話になったの!だから……」
セシルが、ドライの上着を縋るようにして握りしめる。するとドライは、あっさりと剣を鞘に納め、柄からも手を離す。
「解ったよ。んじゃ、昼間言った通り、どっか食いに行こうぜ」
そう言ってお詫びの意味含めて、セシルの肩に腕を回す。
「あ!ドーヴァさんもどう?一緒に……」
「いや、俺は用事が出来た。それよりドライ=サヴァラスティア、必ずお前を殺って、世界一になる」
ドーヴァは、ドライにきっぱり言い切ると、背中を向けてそのまま歩き始める。彼の後ろ姿には、セシルが声を掛ける余地など全く無いほど、張りつめた空気を背負っていた。
ドライは、オーディンを宿に帰した後、公約通り、セシルを一寸したレストランに連れて行く。服装に五月蠅かったが、適当にチップを渡して、忠告に来た人間を全て追い払ってしまう。レストランにいっても、セシルは、なかなか口を開かないままだった。
「なんだよ、せっかくこのドライ様が誘ってやったってのに」
ドライは、まだセシルが先ほどのことを怒っているのではないかと、困ってしまった。
「嬉しいわ、けど……」
セシルは、先ほどのドーヴァの後ろ姿と言葉の意味が妙に気になっていた。一瞬本当に嬉しそうな顔をしてみせるのだが、すぐにシュンとなってしまう。
ドライの方も湿気た顔をしている相手と食事をしても何ら楽しくは無い。しかし怒って帰るわけにも行かない。出るのは、溜息ばかりだ。
ややもすると、横からスープが出てくる。
「ほらきたぜ、美味そうだ」
スープ如きに態とらしくはしゃいで見せるが、セシルの反応は、全くない。
「ようよう。もう何にもないからよぉ、ホラ……」
その声に、セシルは仕方がないような感じで、顔を上げると、ドライの眉毛がサングラスの上で、困っている。
「そうね、ご免なさい」
セシルも此処で漸く作り笑いながらも、今はイヤなことを忘れることにした。そして、スープをスプーンに一掬いして、口に運んでみせる。それを見ながらドライも一息着いて、セシルに合わせて一口啜る。
ぎこちないながらも兄妹の会話の一時が始まろうとしたときだった。ドライの後ろに、急に陰が出来た。
「ん?」
彼の後ろに立っていたのは、たくましい顔をした口髭の生えた見た目は威厳のありそうな、この街のシェリフだ。後ろに二人の部下を連れ、暫くドライを睨んだまま口を重く閉ざしている。
「お前さんに殺人の容疑がかかっている。そこまで来て貰おうか……」
それを聞いたドライは、大体の用件の察しが付いた。抵抗をすることもなく、すっと席を立つ。
「よせ!其奴は、何にも知らねぇ」
セシルの後ろに回り込み、彼女の腕を掴もうとした彼等に、ドライは一瞬牙を剥く。その声の凄みに、二人はビクリとし、セシルの腕を掴むのを止める。
「良いだろう。お前だけ来て貰おうか」
ドライがシェリフとレストランを去った時を同じくして、残りの三人も宿屋でささやかな食事を済ませていた。テーブルにはローズとシンプソンだけが囲んでいる。オーディンは食後、疲れた身体を休めるために、ベッドでぐっすりと眠っていた。全回までには、やはり後二日ほどかかりそうだ。
「あぁあ、私も外で食べたかったなぁ」
ローズはドライがいないので、何とも退屈そうだ。お腹も心も満たされない顔をして、行儀悪くテーブルの上に頬杖を着いている。
「ローズ、たまには『兄妹水入らず』させてあげても良いじゃないですか、解らない貴方じゃないでしょ?」
シンプソンの言葉は、説得とも慰めとも取れた。食後の読書をしながら、時々彼の視線がローズを気遣って、彼女の方を覗く。目を瞑って頬を少し膨らませている。今に見不平不満のオンパレードをしそうだ。
「そうだけど……」
ローズの顔は更に不服そうな顔になってくる。
〈それなら、私も一緒じゃなきゃダメよ。だって私たち……〉
すると彼女の脳裏には、結婚式の華やかな風景が浮かんでくる。勿論主役は白のタキシードを着込んだドライと純白のウエディングドレスに身を包んだローズだ。指輪の交換、そして誓いのキッス。すると急に不機嫌さが吹っ飛んだ。
「やだぁ!もうシンプソンたらぁ!!」
一人で激しい思いこみをしながら正面に座っているシンプソンを突き飛ばしてしまう。それから顔を覆いながら、変に恥じらっている。
「な、何なんですか一体……」
テーブルに這い上がるようにしてしがみつくシンプソンだった。メガネが斜めに傾いている。
普段の二人の熱愛ぶりから考えると、結婚ぐらい、なんら刺激ではないように思えるが、やはりそれは、その情熱を越える夢であるに違いない。
それを想像するだけで、ローズの顔は悩みのない笑顔で一杯だった。
シンプソンから見れば、意味不明だが、不機嫌な顔をしていないだけ有り難いように思えた。気を取り直して、椅子を立て直す。
その時セシルが、扉が壊れそうなほど叩くようにして、激しく押し開け、慌ただしく部屋の中に飛び込んできた。シンプソンは轟音に吃驚して、肩を竦める。そして、そろりと後ろを確認する。
「兄さんが!兄さんが!」
「また何かしたの?」
セイルの慌ただしい様子とは別に、ローズは椅子に座ったまま、ドライが彼女に何かしたのではないのかと、勘ぐってしまう。
しかしセシルが、息を乱し首を振る。
「違うの?どうしたの、ホラ、水でも飲んで……」
セシルの方に絶えず注意を払いながら、水瓶からコップに水を注ぎ、セシルに渡す。それを一気に飲み干したセシルは、漸く呼吸を整え、落ち着きを取り戻す。
「兄さんが、シェリフに捕まったの!」
「ドライが?まさか!彼奴は賞金首以外の人間を滅多なことで殺さないわよ」
セシルが冗談を言っていないのは、良く解っていたが、ドライが捕まったというのも信じ難かった。少し作った様子はあるが、落ち着きのある様子で、テーブルの上に腰を掛ける。
セシルは首を横に数回振った。
「彼奴……、殺っちゃったの?」
そうすると今度は、首を縦に振る。
「まさか!」
目を見開き、瞳孔を収縮させ、セシルの顔を一点に見つめる。顔は落胆に青ざめていた。
「とにかく行ってみよう」
騒がしさに目を覚まし服装を整え、いかにも寝起きと言った髪型のオーディンが、いつの間にか、セシルの後ろに立っていた。
「さ、ローズ。兎に角行ってみましょう」
「そ、そうね」
ローズ達が慌てて部屋を出る。
ドライは取り調べを受けるべく保安官事務所に連れられていた。
「さあ、ハッグ=リナールを殺したのは、お前なんだろう。ドライ=サヴァラスティア」
彼は威圧的に部下二人を座っている彼の両脇に立たせ、自分はイライラを押さえながら、その周りを回っている。
「さあな、何のことだかな」
ドライはただ惚け、手錠を掛けられている手を頭の後ろに組み、太々しく欠伸をする。
「巫山戯るなよ!お前が奴のことを嗅ぎ廻っていたのは、知っているんだ!」
シェリフは後ろに回り込んだときに、ドライの髪の毛を掴み、彼の顔を自分の方に向けさせる。そしてドライを上から睨み付けた。ドライも睨み返すが、それだけで抵抗は見せない。
「サングラスを掛けていて解らなかったが、まさかお前のような大物がなぁ」
イヤな顔をして、ドライの髪を何度も引っ張るが、ドライは何も言わない。
賞金稼ぎを目の敵にしている警察権力には、願ってもないチャンスだった。法が定めているにも関わらず、両者は何時も密かな対立をしている。権力は、シェリフの方が遥かに上なのである。ドライには黙秘以外の権利はない。
シェリフは、ふとドライの腕を掴み、テーブルの上に着かせ、そして、彼の指先を眺める。
「良い商売道具を持っているなぁ、流石世界一と謳われるだけはある」
「この俺様に自慢できねぇトコなんてねぇよ。どんな女も大喜びだぜ」
シェリフが、ヘラヘラとして、下らないことを言っているドライの右手の小指を掴み、逆方向にへし折る。
「グアァ!!テメェ!!」
ドライが痛みに立ち上がろうとすると、部下二人が後ろから彼の肩を押さえ込み、姿勢を強制させる。ドライとしては、テーブルを蹴飛ばす手もあるが、それをやると別の条罪が付け加わってしまう。懸命に痛みを押さえ、歯を食いしばる。それも彼等のねらいでもある。
「不運だなぁ、テーブルに指をぶつけちまうなんて」
俯いてい痛みを堪えているドライの頭を一つ小突き、それから、からかったように、彼の頭を撫でた。
〈クソッたれ!〉
ドライは殺気をむき出しにした深紅の目をシェリフに向ける。
「さあどうした。楽になったらどうだ?何なら今度は、ドアに指を挟んでみるか?」
シェリフはドライの視線に怯えることなく、脅迫的にドアの前に立ち、意味有り気にドアを開け閉めしてみせる。と、その時、表玄関でノックの音がする。取り調べの途中に邪魔が入ったのが気にくわないのか、シェリフは、渋い顔をして眉間に皺を寄せる。
「サンド、お前一寸行って来い」
彼は首だけで部下の一人に命令し、自らは再びドライの取り調べを続行しようとしていた。
「さあ、何か言ってみろ」
俯き、指の痛みに耐えているドライを嫌みな同情を含んだ笑みをこぼしながら、下から覗き込んでみせる。
「腹減った」
脂汗をかきながらも、ニッと笑いシェリフに視線を合わせるドライだった。
「あの、ドライに面会者が……」
「そんな奴は居ないと言っておけ」
「うそをついて貰っては困るな」
オーディンが部下を掻き分け無断で、取調室にまで入ってくる。彼の後ろには、ローズやセシル、シンプソンもいた。それを見たドライは、一寸吃驚した顔をする。だが、すぐに表情を隠し、冷淡な顔をする。
「誰だ?お前等……」
そして、興味のない様子を示して、顔を逸らしてしまった。
「何を言っているんだ!友達だろう。お前が訳もなく、人を殺したりするはずがない!!」
ドライの素っ気ない仕草に、ムキになって、自分たちの関係を公にしてしまうオーディンだった。胸ぐらを掴んででもうんと言わせようと、ドライに歩み寄ったオーディンだったが、シェリフがそれを阻むようにして、二人の間に入り込む。
「公務執行妨害で、逮捕されたくなかったら、これ以上口をはさまんこったな」
「ドライを逮捕した罪状は何だ?!証拠があるのか!」
オーディンが、必要以上にムキになってみせる。興奮して、身体を痛くしたのか、顔色が冴えず腹部を押さえている。
「あら?アンタまだシェリフやってたの」
その時ローズが、シェリフの顔に見覚えがあるように、オーディンの横に並び、目の前の男の顔を確認する。そしてそれが間違いでないことを確信すると、ローズの蒼い瞳が、とたんに殺気だった。
「お前は……」
彼もローズの顔に見覚えがあるようだ。しかしその反応はローズのように堂々としたものではなく、腰が引けた感じで、狼狽え始めた。
「覚えてた?私の顔……、さぁ、ドライが何したのか言ってみてよ」
「う!ハッグ=リナール殺しの容疑でだ」
彼はローズの問いつめに、あっさりと答え、冷や汗を流す。
ローズはこの時、ドライが法外の殺人を起こした理由に納得した。しかし、同時に、何故彼がそう言う行動に出ることが出来たのかを疑問に思った。それは彼女の思考の中で、自分がこの地方の生まれであること、そして、自分の身を辱めた人間が、この街にいることを、ドライが知っているはずがないという結論に至ったからである。
「そうだったの……、でもどうして?」
「宿のお喋り女共が、喋ってるのを聞いた……」
ドライがくすっと笑う。馬鹿げたことをした自分が、妙におかしく思えた。誰のために犯したわけでもない、ただ自分の抑えきれない衝動のために、起こした突発的な行動だったことに気が付く。
「そう、それじゃドライ。帰りましょう」
彼女の声は、いつになく静かだった。シェリフの様子からして、ドライは、まだあのことを口に出してはいないようだ。そのまま行けば彼は、単なる殺人犯だったことになる。
ローズが、周囲には解らない自分だけの結論を出し、シェリフに無断でドライを連れて帰ろうとしたときだった。
「待て!比奴は殺人犯だ。法の裁き無しに連れて行くことはならんな!」
シェリフは、まだドライを拘束するつもりらしい。確かに彼のしたことは犯罪意外なにものでもない。法にその身を委ねなければならない事だ。しかしローズはそれ以前に、彼等の態度が許せなかった。
「確かにね、でもその前にあなた達に、彼を拘束する権利があるのかしら?……酷い指が折れてる」
それでもローズの行動は、変わらない。彼に肩を貸そうとしたとき、手錠をはめられたドライの指が目に入る。
「何を言っている?」
シェリフはローズに話すときは、何故か怯えている。それに彼女をなるべく刺激しないように、何となく配慮が見られた。
「解ってるわよ。ハッグ達のこと、知らないとは言わせないわ。彼奴等が盗賊紛いのことをしているのを平気で見逃しているのは、誰かってことよ。彼奴等は、荷馬車を平気で襲ったり、街の女達も何人も泣き寝入り……、違ったかしら?」
ローズは相手を追いつめるようにして、ジリジリとシェリフに踏み寄る。
「ローズ!もう言い!言うな!」
ドライの口調が激しくなる。まるでローズを叱りつけるようだった。
「いやよ!ドライを返してくれるまでは……」
しかし、ローズはシェリフから目を離すことなく、ドライに反論する。
オーディンもセシルも、ドライが何を隠しているのか解らなかったが、それがローズに関係していることは解った。そしてそれは、自分たちがあまり触れてはいけないと言うことも、直感した。
「ダメ?それじゃ六年前に起こった出来事を具体的に話してあげようか?そしてその事を、みんなに言いふらしてやるわ!そのためにドライが起こした行動も!どう!!私は昔のようにただ優しい女じゃない!今は強くなれるわ!彼のためなら……」
ローズは、もう一歩も近づくこともできないほど、シェリフに近寄った。言動とは裏腹に、彼女の額には汗が流れている。ドライを助けるために、必死なのが解る。
「ローズ!言うな!オメェ何言ってんのか解ってんのか!!もう良いって……、無茶した俺が悪かった」
ドライはローズの後ろから、腕を手錠で縛られたまま、彼女の肩をしっかりと抱きよせ、その頭に頬ずりをする。そのドライには、自分が助かるための気持ちは全くなかった。ただ自分の起こした見境のない行動のために、ローズを傷つけたくない、そんな気持ちで一杯だった。そしてもう一度言う。
「悪かった……言うな」
ドライの声は泣いていた。お前の悲しい過去を知るのは、俺だけで十分だと、何度も心の中で、彼女に言ってみせる。しかしローズの口は徐々に開き掛けていた。
「解った!今回だけは見逃してやる。さっさと行け、手錠を外してやれ……」
シェリフは、ローズの覚悟に耐えきれず、ドライ解放を言い渡す。
「しかし!!……解りました」
シェリフの命令で、仕方が無くサンドがドライの手錠を外す。
釈放されたドライを連れて、彼等は再び宿の戻ることにする。
「それにしても、オーディンがドライのことを、友達だって思ってるなんて、私驚いちゃった」
ドライが無事釈放されたことで、ローズの顔に、再び柔らかさが戻った。オーディンとドライの間に入り、ドライの腕に絡みながら、オーディンに話しかける。
「ああ、いい加減でだらしがないが、根は良い奴だと解っているからな」
この時点でオーディンがドライに、何の不信感も抱いていないことは、ドライ以外皆解ったことだった。しかしである。
「何だと、テメェ!俺の何処がどうで、どう、だらしねぇんだよ!」
しかしオーディンの言いぶりがドライには気に入らなかったらしく、途端に突っかかってみせる。
「そうだろうが!朝は起きない!夜は騒ぐ!」
「バーカ!俺は人生エンジョイしてんだよ!オメェがクソ真面目過ぎなんだよ!」
「いいや!貴公の方が、不摂生のしすぎだ!」
「何だとぉ!!やるかぁ?!」
「望むところだ!」
途端に口論になり、そのうち、ボカボカと互いを殴り始めた。
「一寸、二人とも……」
シンプソンが止めて見せようとするが、彼の声は二人に届いてはいなかった。
「はぁ……、なんとかに付ける薬無し……ね」
「いいの?」
「放っておきましょう」
ローズとセシルは、全く止める気はない。ただ呆れて、二人を眺めているだけだった。