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英雄達のレクイエム Ⅰ  作者: 城華兄 京矢
第一部 白と黒の魔導師編
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第6話 侵攻と信仰Ⅰ

 世界の何処にあるのだろうか、海に浮かぶ孤島、薄暗い霧に包まれ、その全貌を明らかにすることもなく、岩山のようにただそびえ立っている。

 その何処かの場所の建造物の一室だ。部屋には、教団の大司教が居る。そして、その部屋に近づくように、堅いブーツの足音が、鳴り響いている。

 「結局……、奴らを、生かしたまま」

 大司教が、テーブルの上の水晶に手をかざしながら、その部屋に入ってくる足音の主に語りかけた。

 「まぁそう言うな、ブラニー、お前さんだって、奴らに仕掛けて、負けただろう?」

 足音の主はルークだった。ルークは、その身を黒の教団の本拠地とも言える場所に移していた。これはブラニー、つまり大司教の転移の魔法によるものだった。ルークの返した言葉に、彼を見る視線をきつくした。

 「解った。互いの落ち度を探るのは止しましょう」

 そういって、ローズに付けられた顔の傷を一撫でする。

 二人の居る部屋は、全体が格調高く黒に染められており、部屋の奥手には、巨大な水槽があり、その中で黒髪の全裸の男が静かに眼を閉じ眠っている。これぞ正しくクロノアールだった。

 水槽の中では、時折気泡が発生し、ぶくぶくと音を立てている。クロノアールが静かなだけに不気味な音だ。

 「それにしても、封印されたままで、あんな大惨事を起こせるんだ。大したバケモンだ」

 ルークが、水槽の前に立ち、クロノアールを眺め、ニヤリと笑う。

 「口を慎みなさい!ルーク、この方には全て聞こえているのよ。特に我々の声は……」

 彼女は、まだ水晶を眺めたままだ。そこから動こうとはしない。口先だけで強い注意をルークに促す。

 「で、『このお方』は、何時お目覚めになる?」

 ルークが、水槽から大司教に方に振り向きき、皮肉っぽい敬語で、クロノアールの目覚めを、彼女に尋ねる。

 「少なくとも、シルベスターより先に目覚めるのは、間違いなさそう。でももっと『このお方を信じる』『人間の心』が、必要だわ」

 「ククク、馬鹿げてるぜ。自分たちを消滅させかねない化け物を信仰する人間が居るのかぁ?」

 小馬鹿にした声で、大司教の前に座り、大司教の水晶に翳している白くしなやかな手を、乱暴に掴む。

 ルークは、大司教やノアーとは、思考、思想が全く異なっていた。少なくとも彼は、『信仰』と言うモノから、ほど遠い人間であることは間違いない。クロノアールに対する尊敬もない。

 それは大司教にも解っているようだ。こんな彼を、軽蔑を混ぜた視線で、横目に睨み付ける。ついでにルークの手もはね除けた。

 「解っていても信じがたいわね、貴方のような男が、クロノアール様の血を引いているなんて……」

 「そんなことはないさ、あのドライが、シルベスターの血を引いているんだぜ」

 大司教の話など、更々興味のないことだ。彼の眼はあらゆる欲に、輝いていた。ある意味では、生きている人間の眼である。

 目の前に美しい女が居るのだから、抱きたいのは男の本能として当然だ。しかし相手が相手だ。すんなりそうなるはずがない。強引には事を進めない。つれない相手を皮肉って笑う。

 「言っておくが、復活したクロノアールの力によって一番肉体が活性化するのは直系の俺だぜ、その時は……」

 勝ち誇って、大司教を見据えるルークだった。

 「その時は、好きにすればいいわ」

 何かを捨てた大司教のこの言葉に、ルークはニヤリと笑った。

 彼がクロノアールの復活を願うのには、彼独自の理由があったからに他ならない。

 クロノアール復活後、問題になるのはシルベスターやその子孫達だ。子孫達は、互いに助力になる。その数を減らすことで、どちらが有利になるのかが決まる。これは大司教の考えだ。

 しかし此処にきて、彼女はミスを犯している。それは、バートとノアーだ。もしあの時、バートが身を挺して、ドライ達を守らなければ、彼等の数人は確実に死んでいたし、ノアーにおいては、もはや戦意がない。

 「俺はくたびれた。先寝るぜ」

 部屋を出て行くルーク。

 「ええ」

 淡泊な返事を返し、クロノアールの眠る水槽を眺める大司教。

 「人間は、これ以上、どうこの汚れた母の地を汚すつもりだろうか……、もう人間だけが、この大地を支配する時代じゃない、そうで御座いましょう?」

 まるで、それがクロノアールの意志かのように、彼に問いかける。

 それから少し疲れた表情を見せ、彼女もこの場を後にする。

 大司教は眠りについた。ふと、昔の夢を見る。だが、それは楽しい無邪気な時代ではない、燃えさかる戦火におびえながら、妹と二人逃げまどう辛い記憶だ。目の前で両親が死に、兵士達が殺し合いをする。そんな恐ろしい夢だ。何年経っても鮮明に蘇る記憶、目が覚めては、それから逃避することを考えてしまう。

 こういうとき、大司教は決まって、水晶に念を送り込む。

 〈強き意志の人間よ。我が意志を聞け!!〉

 彼女は自分の意志を不特定多数の人間に送り込む。何人の人間にこの言葉が届き、何人の答えが返ってくるかは解らない。運が良ければ、通常の人間と波長が合い、その人間と会話することが出る。

 人間によっては、これを神のお告げとして聞き入れる者もいる。気高い思想に導かれ、それを周囲に解いて廻るのだ。だが、この思想は、大司教の願う『真の平等』ではなく、人々の願う『極素朴な平等』として伝えられるのだ。この二つの信念の間には、大司教によって大きくねじ曲げられ、一つにされている。

 それでも、神に願い、祈りを捧げることに、何ら変化はない。

 人間の放つ微細な力ではあったが、この信仰心がクロノアールの肉体を活性化させ、復活を早めるのである。シルベスターより彼を早く、確実に復活させるには、どうしても人間の小さな信仰心が必要だった。

 それから数日後のことだ、ドライ達は、シルベスターの遺跡へと続く道のりの通過点の街にたどり着いた。

 そこでは、一人の男が、なにやら演説をしていた。

 「みんな聞いてくれぇ!!俺には最近、神の声が聞こえる。この終末を救う神の声だ!!」

 魔導歴九九九年、確かに終末にふさわしい年代だ。更にこの異変だ、こういうモノが流行るのも不思議ではない。おかしいと思う者もいるが、彼の話を聞こうとする者もいる。不安になり、何かに縋りたいのは、皆一緒だ。しかし、バートのように、それらしい服装をしているなら別だが、この男が大司教の声で信仰に目覚めたのだとは、ドライ達は知る由もない。何気なく横目で眺めながら、この横を通り過ぎるだけだ。

 「ドライ、どうしてサングラスなどする?眩しく無いぞ」

 オーディンが、今更ぼけた質問をする。

 「俺は有名なの、特にこっから北じゃな」

 そう、ドライの目はその赤さ故、見られると、すぐに彼と知れてしまうのだ。街に入る度にドライはサングラスを掛ける。

 「不便だな」

 考えれば、オーディンとて、母国では有名人だ。町中に姿を出すとヒトに揉まれてしまう。それを忘れたように、ドライに対して、クスリと笑う。

 「あの、ご免なさい、私、のどが渇いてしまって……」

 セシルが、急に我慢できなくなった様子で、皆に断りを入れる。街についてホッとしたのだろう。魔法を使う度に、詠唱を唱えるのだ、これは仕方がないところがある。特にデミヒューマンとの無秩序な戦闘は、彼女にとって緊張の連続だったに違いない。

 「そうだな、宿見つける前に、何処かで一杯やってくか……」

 と、ニヤリと笑ったドライが、口元に親指の背を当てがい、グイッと酒を飲む仕草をする。そして早速目の前にある酒場へと足を運んだ。

 昼間のせいか、中はあまり活気があるとは言えない。時勢のためか、何となく陰気くささもある。

 「最近、訳の解らない生き物が多くて物騒だ」

 「ああ、隣町に織物売りに行けなくなっちまった……」

 ドライ達の横では、陰気くさい会話をしている。

 「そう言えば、最近彼奴出なくなったな」

 「彼奴?」

 「彼奴だよ。ホラ、赤い眼の……」

 「ああ!赤い眼の狼ね……、この時勢だ、奴さんも殺られちまったんじゃないのか?」

 「賞金稼ぎか、デミヒューマンにも、賞金かかればねぇ」

 「ハハハ……」

 まさか、本人が横で一杯やっているとも知らずに、適当な会話をしている客二人だった。普段は白い目で見られる賞金稼ぎだが、こういうときは、祭り上げられたように名前が出てくる。

 自称「世界一の賞金稼ぎ」を口癖にしているドライにとっては、面白くない話だ。今にもぶつぶつ言い差しそうな口先をしている。

 これを見て、ローズとオーディンは、クスクスと笑う。死んだと思われているドライの心境を、察してのことだ。ドライはなお面白くなさそうな顔をして、グラスを一気に空ける。

 飲み干すと、グラスの底をテーブルに叩き付けた。

 「出るぜ!」

 不機嫌な様子で、小銭をテーブルの上にばらまいて、さっさと立ち上がり、酒場の外に出ていってしまう。

 外に出ると、そこには、先ほどの男がまだ演説をしている。感心している者や野次馬、反応はそれぞれだ。

 「ふん、一生やってろ」

 ボソッと愚痴を言ってそこから離れるドライ。

 「あん!ドライ、一寸待ちなさいよ!」

 ローズ達は、仕方なく先に歩き始めたドライについて行く。オーディンが、珍しく小走りにドライの横に並ぶ。

 「おい、笑ったことが、気に障ったか?そうなら謝る」

 「んなんじゃねぇよ。さっさと、宿見つけようぜ」

 とは言っているモノの、顔は面白くなさそうにしている。眼がどことなく据わっているのだ。

 一瞬、一人で暴走して何処かへ行ってしまうのではないかと、吃驚したオーディンだった。何せ一人になると、何時何時(いつなんどき)ルークに襲われるか解らない。だが心配したオーディンの予想とは逆に、ドライは一寸外に飛び出ただけで、先走った行動を起こさなかった。あの日から、少しばかり成長?したように思える。

 しかし、その頃ルークは、まだクロノアールの元にいた。周囲に雰囲気の悪い男達を三人連れ、一つの部屋に集まっていた。彼等は、賞金稼ぎ等の何らかの、裏の職に就いていた者ばかりで、何れもドライの名を知っている。中には、ドライを倒し、世界一になることを夢見た者もいる。今はルークの配下だ。

 「マスター、ドライを何時殺るんだ?」

 ナーダというドライよりも身長の高いと思われる剛剣士風の厳つい男が、ルークにこういう。

 「勘違いするな、俺達の役目はシルベスターの子孫を殺ることで、彼奴だけが獲物じゃない」

 一応教団として、薄い定義付けられた使命感をナーダに言ってみせる。これは、ドライを仕留めるのは、自分以外には無理だという自信の元から出た言葉だった。

 「マスター、俺に殺らせてくれ!彼奴は俺の目ぇ抉りやがった野郎だ!」

 ルークと同じように、右目のないラクローというミドルエイジの戦士風の男が殺気立ち、ドライを殺したがっている。彼は、ストレートの髪を一つに束ね、少し和風の出で立ちをしている。

 「バカ言うな、お前等如きの実力で、彼奴を殺せるなら、ヤツは生きちゃいねぇ」

 彼にも一応の理屈を言うルークだった。

 「だいたいナッツェの阿呆が、女狩りなんかするから、俺等が大司教に怒られんのや!」

 関西弁で喋っているこの男、名前はドーヴァ、身なりは軽戦士で、小器用そうな顔をしている。それに可成りの若さだ、まだ二十歳に到達していない、若者である。

 彼等は、ルークの元にはいるが、別にクロノアールの血を引いているわけではない。単にドライがらみの憂さの溜まっている連中ばかりだった。しかし、大司教により、何らかの特殊な力が与えられている。通常の人間よりは、遥かに強靱だ。ルークは彼等を利用しようとしている。ドライへの恨み等をきっかけに、彼等を殺してしまうつもりだ。

 そこへ、大司教が入ってくる。

 「ルーク。話があるのだけど……」

 ルークを見据えてから、他の三人を邪魔そうに、何度かチラチラ見る。

 「なんだ?」

 大司教の視線で、自ら彼等を残して彼女について行く。

 「済みませんが、皆は此処で待っていて下さい」

 大司教が付け足したような言葉で、断りを入れる。不振気に大司教を見つめる三人。正直なところ彼等と大司教の間には、会話らしい会話も、信頼関係もない。

 「おい、ブラニー、俺の『部下』にも一寸は、愛想振り向いてくれよ」

 含み笑いをして、扉を閉め会話が中の三人に聞こえないように、クロノアールの部屋へと移る事にする。大司教は、ニコリともしない、全く相手をする様子もない。

 水槽の中のクロノアールは、合いも変わらず眠ったままだ。

 「で?」

 面倒臭そうに、水槽の前にあるテーブルに肘を付きながら座る。大司教も彼が座るのを確認してから、ゆっくりと椅子に腰を掛けた。

 「確実に、シルベスターの子孫達を葬りたいの」

 これは前々から彼女が小うるさいほど言っていることだ。今更聞いて感じることは、何もない。だが、それだけを言いたいのではないことは、子供でも解る。

 「はぁ、言いたいことは、端的に言えよ」

 彼女の持って回った言い方に、ため息をつきその細い顎に指をかける。誘惑をしたがっているルークだが、彼女は全く靡かない。大司教は一度ルークの方を睨み、その手を無感情に払いのける。ルークとしては、このつれない女をどうしても自分のものにしたいようだ。ふっと一息をついて、次に彼女に手を出す機会を狙っている。

 大司教が、もう一度ルークの方を見る。今度は、余計なことは出来ないようだ。彼女の視線に隙がない。

 「今の私たちには、戦力がないわ。召還師が二人も抜けた」

 大司教は、まだ何かを遠回しにしている。ルークには歯がゆい。一寸イラッとした顔をする。

 「そりゃお前さんの失態だろう?」

 「あら、洗脳した信者の殆どを奴らに殺されたのは、誰のせいかしら?」

 ルークにつけ込まれると、大司教もすぐさま反論する。表面上は冷静さを保ってはいるが、互いに腸が煮えくり返っているのは、相手の仕草で解る。ルークはタバコを出しては、一口吸って、すぐにテーブルに擦り付けて消してしまう。大司教は。澄ました顔をして、テーブルの上の水晶を手で撫で、覗き込んでいるものの、言葉遣いに棘がある。絶えず言葉の語尾を強めに発していた。

 「ありゃ、ナッツェの野郎が……、ち、解ったよ」

 ナッツェの暴走は確かにルークの管理不足によって起こったミスだった。

 彼等は、信仰を広める反面、裏では教団の力を増大させるために、人間を浚っては洗脳し兵力にしていた。だが、初期段階でのナッツェの暴走により、それを失ってしまったのだ。

 こういう裏の作業は殆どルークの仕事だった。人浚いじみてはいるが、これをどうこう言う感覚は彼等にない。

 「よろしい、でも今度は信者じゃなくて良いの、タフで強靱な精神、肉体を持った人間を連れてきて、実験をしたいの」

 珍しく簡単に折れたルークの態度で、少し上位に立ち、それでいて先ほどには無かった柔らかみのある口調で、ルークに命令を下した。

 「実験?」

 「そう、クロノアール様の遺伝子情報をもう少し人間に与えてみたいの……」

 「おいおい、そんなことしたら人間がくるっちまうぜ?」

 これは明らかに人体実験だ。だが、ルークもそれを咎める様子はない。疑問符のついた口調で、キツイ冗談を聞かされたように、顔をほころばせ息をもらして笑う。かといって、まんざら悪そうな話でない、そう感じた彼は、早速テーブルの上から腰を上げ動き始める。

 入り口付近にまで歩いてから、ルークは一度立ち止まり振り返る。

 「人種は何でも良いのか?」

 ニヤリと笑うルーク。この時に真っ先に頭に思い浮かんだのが、ドライだった。彼の知りうる人間の中で、最もタフで強靱な精神を持っている人間だ。

 「『シルベスターの血を引いている者』以外の『人間』ならね」

 大司教は淡々と答えを返す。ルークの質問の意味を理解していたようだった。

 これを聞いてルークは少し残念そうに含み笑いをする。それからゆっくりと扉を開け、僅かな隙間からすっと部屋の外へと出る。そして、待っている部下の部屋へと向かった。

 「どうでしたん?なんぞええ事ありましたか?」

 部屋に戻ると、ドーヴァが興味深げにルークにまとわりつく。ナッツェの件で彼等は謹慎処分に近い状態だった。最も大司教はクロノアールの血を引いていない彼等を僅かばかりも信頼していない。血を引いているルークでさえこの様な男だ。彼等はその部下なのだ。

 〈タフで強靱な精神を持っている人間……か〉

 この時ルークの眼には、三人の部下が目に入る。しかし首を横に振って、クスリと笑った。

 「どうしたんだよ。マスター」

 ナーダには、ルークのこの笑いが妙に引っかかったらしく、神妙な顔をして、ルークの方をじっと睨み付ける。

 〈比奴等は、実験とやらが完成してからだな……〉

 「いや、何でもない。それよりお前等、出かけるぞ」

 ルークは簡単に取り繕い、ナーダの疑問を有耶無耶にしてしまう。

 「ドライを殺りに行くのか!」

 ラクローはこの事に可成り執着していた。元々それが目的で、ルークの下にいるのだ。此処最近は思うように動けなくて、かなり殺気立っている。ルークが喋る度に、こうだった。ルークとしては、耳にタコができていた。

 「そう焦るな、目的は賊狩りだ」

 「賊狩り?」

 元々これが彼等の生業だったにも関わらず。これに疑問を抱いてしまう三人だった。ルークの部下になってからは、シルベスターの子孫抹殺一本槍だったのだから、今更といえばそうだ。

 「腕が鈍る。たまには手入れぐらいしないとな」

 「解った!鍛錬と金で、一石二鳥って訳や!」

 「そうだ、でも殺すなよ!褒美は俺が出す」

 「はぁ、そうでっか」

 大司教の言っていたことを此処では全く語ることのないルークだった。お喋りなドーヴァに、好きなように言わせていた。

 彼等がドライ達から目標を一旦そらしたことは、本人達には解るはずもなく、彼等は周囲を気にしながら宿に入る。宿と言っても、旅人が活用する安宿ではない、ローズがダダをこね、この時勢、旅行をする人間が居なくなり、今では閑古鳥が鳴いている一寸良い宿屋に泊まることにする。

 宿屋に着くと、いきなり招集をかけてきたのはセシルだった。何か不安げな顔をしている。

 「ねぇ、此処からシルベスターの遺跡まで、一体どのくらいの距離があるの?」

 これはあまり正確な言い方ではなかった。距離など聞かれても解るはずもない。しかしドライが漸く答え方を見つける。

 「俺達の足じゃ、一月って所かな」

 ドライが指折り数えて、頭の中でルートを探る。それから自分で納得して頷いてみせる。

 「馬車を使えば、もっと早いのではないのか?」

 確かにオーディンのいう通り、歩くこと比べればその方が能率的だ。シンプソンもセシルも、彼の意見に納得してしまう。だがドライは、目の前に人差し指を立て、左右に数回振る。

 「チッチッチ!馬車なんて使えんのは、街道だけだぜ、俺達の来た道がそんな立派かよ。それに、この現状じゃ、街道がまともとも思えねぇな」

 ドライがこう言うと、ローズが賺さず紙と鉛筆を持ってくる。ドライがそこに街と街道を書く。街道は殆ど海沿い、平坦な道、重要な大陸横断用の街道、また山合いにある街と港町を繋いだものだけだ。その他は、整備された道など無い。

 「道ってのはよぉ、人が通るから出来るんだぜ、つまり行って意味のねぇ街なんかは、そう結ばれたもんじゃねぇ、メガネ君の村が良い例さ」

 確かに彼等は今まで、どちらかというと起伏の激しい道のりを歩いてきた。また変動で否が応でもそうせざるを得ない事もあった。これからもきっとそうだろうし、そうなるに違いない。その時には馬車などは、返ってお荷物になる。彼等は中継点の近くにある街に寄っただけで、街から街に行くのが目的ではない。最終的には遺跡の眠る森の中を行くことになる。

 「そうだな、大変動で平野ですらそうでなくなっている可能性が高い。迂闊だったな」

 オーディンは、名案を閃いたと思ったが、それがとんだ誤算だったことに、眉間に皺を寄せて疎ましく親指の爪を軽く咬む。

 セシルは僅かに切羽詰まった様子を、顔に出す。俯いた顔の色が冴えない。

 「この様子だと、クロノアールが目覚めるのは、一月一寸、何とかならない?」

 これから少し休養を取ろうとしているときに、この様な切羽詰まった顔をされたのでは、息を付くこともできない。かえってイライラするだけだ。

 「セシル、そんなに根を詰めては上手く行くことも行かなくなりますよ。私たちの行いが正しければ、きっと何とか成りますよ」

 思考がガチガチになっているセシルを困り顔で、彼女の肩に手を掛け、ニコニコして彼女の心を解そうとするシンプソンだった。

 「お!良い事言うじゃねぇかメガネ君、って事で俺もエンジョイするかな!っと」

 「あん!」

 ドライは 、ローズを軽々と抱きかかえ、いそいそと部屋から出ていってしまう。これには呆れるしかないオーディンだった。シンプソンも大体、この後の予想がついたらしく、顔を少し赤らめている。セシルには意味が理解できないらしい。ただ呆然と見ているだけだ。

 「私は彼奴の行いが良いとは言いきれんぞ……」

 シンプソンの慰めの言葉に、妙に責任を強いるオーディンだった。白い視線を横目でシンプソンに送る。

 「そんな……、オーディン……ははは……」

 何故責任を求められたのか解らず笑って逃げるシンプソンだった。せっかくの言葉も、これでは効力ゼロだ。余計に不安になってしまうセシルだった。

 「まぁ、休養は必要だ。そう頑なにならすとも良いのではないかな?」

 「オーディンさん……」

 と、一応のフォローはしているオーディン。これでセシルも漸く納得した顔をする。少し顔色が元に戻った。

 この後、セシルも焦りがあるものの、疲れが溜まっているせいか、すっかり寝入ってしまう。しっかりしていそうで寝顔は無邪気なものだ。

 三人も居なくなってしまうと部屋の中も静かなもので、オーディンがホッと一息付く。

 町並みは、変動で徐々に荒廃して行っているモノの、やはり森や荒れ地などとは違って、何となく安心感がある。そんな中、バイブルを読んでいるシンプソンまでがウトウトし始めた。静かになって、彼の睡眠の妨げるものが無くなったせいだろう。彼にも疲れが溜まっているようだ。

 こうして静まり返ってしまうと、本当に世界が崩壊するのかどうかも怪しく思えてしまうほど、平和に思える。だが、一歩街から足を踏み出すと、現実に戻されるのは、解っている。

 安易に一人になるのはいけないと解っていながらも、オーディンはこのつかの間の朽ち果てて行く平和を味わうことにした。手紙を一つ残し、街の外へと繰り出すことにする。

 ドライとローズの部屋の前を通ると、どことなく床が揺れているようにも思える。

 街に出ると、残念ながらオペラ座などは見られない、最も小さな街なので、あることは元から期待はしていなかった。だが久しぶりに芸術鑑賞もしたい。その時に、癪にもドライのからかった笑い顔が浮かんでくる。これには頭の上に浮かんでいるそのイメージを散らすしか手がなかった。

 そんなことをしていると、演劇公演の看板が目に入る。簡単な看板で、いかにも手作りといった感じだ。どうやらそれほど大きな団体ではないらしい。こんな時勢に動き回っているとは大したものだ。多少の雰囲気は味わえるかもしれない。覗いてみることにした。

 早速公演をやっていると思われる建物に入る。建物の容積は大きいようだが、演劇といった雰囲気ではない。感じも古そうで、もうすぐ取り壊されても、不思議じゃなさそうな建物だ。

 「本当にこんな所で演劇などやっているのか?」

 オーディンは、失礼ながらも受付の男に聞いてみる。

 「ええ!世界にこの良さを知って貰わないとね、芸術(娯楽)は大衆のものですよ。これ団長の口癖なんだけどね」

 確かにそうだ。これには納得してしまう。誰にでも楽しめるものこそ本当の意味で芸術(娯楽)なのかもしれない。ごく一部の者だけが納得できるのは、そうではないような気がする。

 オーディンは早速チケットを一枚買い、中に入ろうとする。

 「今ならまだ序章ですから!」

 と、親切に言ってくれる。その言葉を聞くと妙に早く中に入りたくなった。

 劇場の中はそれほど一杯というわけではなかった。前の方にも少々空席がある。オーディンはその一つに座った。

 セットの様子からして、よくある王城物のロマンス物のようだ。王女と一貴族の男が花咲く庭で愛を語り合っている何とも仲むつまじい場面だ。こんな情景を見ていると、何だかヨハネスブルグを思い出してしまう。

 と、その時だ、背景が紅蓮に包まれ、パニックになる二人、燃えさかる中、王城の反乱分子と思われる連中に、王女が連れ去られてしまう。それを追いかける彼だが、躓いて転んでしまう。が、それっきりぴくりとも動かない。それは演技ではなかったのだろうか?何秒立っても起きてこない。

 焦っていたのか、幕を降ろすこともなく、舞台裏からワラワラと人間が出てくる。

 つい気になって、オーディンも舞台に上がってしまう。

 「気を失っているな、どういう転け方をしたら……」

 彼の不自然な状態に疑問を持ちながらも、取りあえず彼を舞台裏にまで運ぶ。後ろの方で漸く幕が降り始めている。

 「すみませんお客さん」

 団長と思われる髭親父がやってくる。

 「無理もないわね、激しい立ち回りを一日三回もやるんだから、最終講演も近いし……」

 脇役と思われるおばさんが、濡れタオルを持ってきて彼の頭にそっと置く。

 「どうしましょう。彼が居ないと芝居が進まない」

 ヒロインの女性がやってきた。それなりに美人だ化粧の下から素朴さが伺える。瞳はダークグリーンで少し人を惹く。

 「ねぇ!彼良いんじゃないか!」

 先ほど王女を浚った兵士役の男が、オーディンの顔を覗き込む。以外に人が良さそうだ。

 「え?私が?」

 何を考えているのか解らない連中だ。素人を捕まえて、いきなり主役に抜擢しようとしている。人間切羽詰まったときは、何を言い出すか解らない。

 「いいね、やってみなよ!!」

 団長が言う。

 「そうだよ。なかなかハンサムだし!」

 今度はおばさんだ。

 「しかし、私は、一寸見て下さい」

 焦ったオーディンは、思わず仮面を取ってしまう。焦ってプライドどころではなかった。確かに彼は舞台には立てないような傷を持っている。

 「良いじゃないか、主人公は、百戦錬磨って位置づけなんだ、そっちの方が雰囲気あるよ。その腕で王女を取り戻すんだ。指示は絶えず裏から出すから!」

 「タダとは言いませんから!お願いします!」

 と、ヒロイン役の女性にまで頼み込まれてしまう。オーディンから見れば、皆血迷っているようにしか見えないが、此処まで必死に頼まれると、彼の性格上イヤとも言えない。

 「え、ですが!」

 といっている間にも手早く裏方さんに、衣装を着せられてしまう。衣装は彼にピッタリだ。複雑な心境になってしまう。そして、挙げ句の果てには、舞台に放り出されてしまう。舞台には、彼一人だ。舞台は燃えさかる城下町だ。

 向こうの舞台の袖から指示が出ている。

 オーディンは、キョロキョロと周囲を見回す。

 「セイレーン王女ぉ!!」

 〈わ、私は何をやっているのだ?〉

 心の中で汗を掻きながらも、きっちりと台詞を吐いているオーディンだった。

 そんなこととはつゆ知らず、ベッドの上での一時を楽しんだドライとローズが、うっとりして、抱き合っている。

 「ドライ。デーとしよ」

 彼の首にまとわりつくように、彼に抱きついてみる。それから首筋にキスをしてみる。

 「順序逆だぜ」

 クスクスと笑いながら、ローズの髪を撫でる。それから、パッとベッドから起きあがり、ローズに背中を見せ、背伸びをする。それから肩越しに振り返ってにこっと笑う。

 「んじゃ、準備しようぜ」

 それから一時間半ぐらい時が経ち、オーディンは、芝居のクライマックスを迎えていた。

 「アーク!!追いつめたぞ!」

 オーディンは王女を背にして、覇気の隠った台詞を吐く。

 「王女共々殺してくれるわ!!」

 「命に代えても守り抜いてみせる!!」

 一見、彼の芝居は実に乗っているようのみえた。だが、この芝居は彼にとってタダの芝ではなかったのだ。「もしこの時のように、ニーネを守れていたら……」そう言う一途な感情が、彼の心の中に走っていた。

 剣を交える手に自然と力が入る。鍔競り合いの時に、妙に力んだオーディンの顔が、敵役の男の目に入る。

 「ワタタ!一寸、力が入りすぎだよ!」

 ひそひそ声で、オーディンに注文を付ける。オーディンも我に還る。

 「は!」

 それから適当に剣捌きにアレンジを加え、敵役と死闘を演じ、フィニッシュにオーバーアクションを加え、相手を斬り殺した。そして二人のハッピーエンドを迎える。

 舞台の袖では、意識を取り戻したと思われる主人公役の男が手を叩いて、見守っている。その中、オーディンは彼女を情熱的に抱きしめた。しかしこれは周囲から見ると、タダの迫真の演技にしか見えない。勿論オーディンの腕に抱かれている彼女でさえそう感じていた。

 陽は徐々に傾きを見せ、周囲には買い物客が、ゾロゾロ出歩く時間帯になり始めていた。デートには少しずれを感じる時間帯の中、ドライとローズはお構いなしに腕を組んで歩いていた。何をするとも無しにタダブラブラとしている感じだ。ローズは「二人だけの時間」が、欲しかったのだ。

 そんな二人が歩いていると、丁度差し掛かった街の脇道から声が聞こえてくる。

 「私はそんなつもりじゃ!」

 「いえ、受け取っていただかないと困ります!」

 互いになにやら迷惑がった口調で、譲り合っている。無造作に覗いてみると、そこにはオーディンと、先ほどのヒロイン役の女性が揉めていた。互いの手になにやらの紙包みを押しつけ合っている。

 この光景を見た二人は、何か悪い物を見ているかのように、壁に隠れ、ヒョッコリと顔だけをだし、この様子を探る。

 オーディンと女性は、まだ互いに引く様子はない。

 「何してるのかしら、彼……」

 「そりゃオメぇ、ピーして、チョンチョンした後のゴタゴタじゃねぇか」

 ドライがさも断定的に、決めつける。

 「アンタじゃあるまいし……」

 オーディンとドライを比較した視線がドライに突き刺さる。

 「残念でした!俺は女でトラブった事はねぇ、だろ?」

 サングラスの奥からローズに視線を合わせて、自信ありげにニコニコするドライ。

 「そうだけど……」

 ひそひそと様子を伺いながら、くだらない事を言い合っている二人。

 そう言えばドライはいい加減なようで、ローズ以外の女に手は出さない。いい加減な彼らしくないところだ。しかし、身体を求めてくる場所や時間帯は実にいい加減なものだ。ローズの思考が、少し自分達も事に回転していたときだった。

 ドライが、状況の進展の無さに苛つき始め、覗き見を止めてオーディンのほうに近づき始めた。

 「おい!女遊びでごたつくなんざ、みっともねぇぞ!!」

 何という偏見だろう。しかもそれを公然と言って来るのだから、オーディンとしては、たまったものではない。ドライらしい口振りに、顔を真っ赤に噴火させる。

 「だ!誰がだ!違う!!誤解だ!大体貴公が何で此処に……」

 「なぁに!気にすんな、ためたら身体に悪いぜ!ハハハ!!」

 「しつこいぞ……」

 馴れ馴れしく肩をバンバンと叩くドライに、オーディンは思わず剣を抜き、ドライの首に剣の根本の刃を押し当てた。ドライの性格を仕方がないと思いながら、白い目で彼を見る。

 「あのバカ……」

 ローズはこんなドライに、転けて苦笑いをするしかなかった。

 「あの……」

 と、劇団の彼女がドライの誤解に顔を赤らめながら、話の内容に困っている。

 ドライが彼女の注目する。そして、品定めをし始めた。

 「へぇ、良い趣味じゃん、美人だし、で比奴どうだった?デッ!!」

 話の内容を全く戻そうとしないドライに、後ろからローズが思いっ切り一発かます。ドライは地面に顔を突っ込むようにして、前のめりに倒れた。彼女もさっとドライをかわす。

 こういうところがなければ、本当によい男なのだが……。

 「ハイ!オーディンどうしたの?」

 顔は笑っているが、こめかみのところが、ヒクついているローズだった。握り拳も震えている。

 「レディ……、あ、実は……」

 ローズが出てきてくれて、一安心だった。オーディンは、一連の事情を説明をする。その間ドライの口は、ローズに塞がれっぱなしだった。

 「そうよねぇ、オーディンがそんな不潔な事するはずがない物ねぇ……」

 視線は何故かドライだった。ドライに話をねじ曲げられずに済んだので、オーディンはホッとした顔をする。

 「ぷはぁ」

 ドライがローズの手を外す。それから、彼女の持っている袋を取り上げ、露骨にも中身を確かめ始めた。一般に働いている人間の日当よりは、色が付けられてある。

 「ふん」

 ため息を一つついて、袋をオーディンに渡す。

 「顔立ててやれよ」

 などと言って、興味が失せた様子で、オーディンに背を向け、ローズの腕を引っ張りながら、そそくさと歩き出し、また後でと言っているのか、手が軽くバイバイをしている。

 「おい、ドライ……」

 オーディンの言ったこの言葉に、彼女は聞き覚えがあるようだ。

 「ドライ?ドライってまさかドライ・サヴァラスティアさんですか?!」

 ドライはサングラスを掛けている。眼の色では彼をそうだと判断できないが、名前を聞くとピンと来たらしい。名前を呼ぶ声は、物珍しさではなく、何だか懐かしさが伺えた。

 「あん?だったら何だよ!」

 オーディンが不用意にドライの名を呼んだことに、一寸ムッときている。

 「ほら、六年前!野盗に襲われた時に、貴方に助けていただいた劇団覚えてますか?!私あのときまだ子供で!」

 そう言われてから、ドライはぼうっとしながら、昔の記憶をたどる。

 「あ、そういやそんなことが、あったっけっかな?ああ!あったあった、ローリーじゃねぇか!そっか!」

 彼女の顔を指さしながら、懐かしそうに目を丸くして驚いている。ドライの顔が何だか賑やかだ。嬉しそうにしている。それにしても、ドライの名を聞いて、これほど嬉しそうにしている人間も珍しい。大抵なら賞金稼ぎは、白い目で見られる。それが彼女の顔は何だろう、大歓迎といった感じの顔だ。馴れ馴れしくドライの手を引いて、裏口から劇場へとはいる。

 何のことなのか事情の把握できないローズとオーディンは、「?」マークを頭の周囲にとばしながら、仕方なく中に入る。

 中に入ると、彼女はドライの名を連呼して、皆を集める。即座に団長がやってくる。暫くなにやらの会話をする。

 「アンタの言ったとおり、娘は美人になった。ワイフの若い頃にそっくりだ!」

 「だろ?美人はガキでも解る!あんたに似なくて良かったぜ、なぁローリー!」

 「もう!パパにかわいそうよ」

 話しているのは、団長だ。ローリーの父親でもある。六年前はローズはまだドライを知らない。

 皆ドライの顔を見ては、何かと挨拶をしている。彼も軽く手を挙げて返事を返す。手にはきっちり酒瓶を持っている。一寸話してはがぶ飲みだ。それから、ニカリ、と笑う。 

 「ドライ!デートぉ」

 小声で淋しそうにローズが言う。目が一寸潤んでいる。

 「わりぃチョイ気の合う連中にあったんだ。後でツケて返すからよぉ」

 ローズの頭をグイッと自分の方に引き寄せ、頬を何度も唇で撫でて許しを乞うてみる。挙げ句の果てには耳たぶまで噛み始める始末だ。

 「うん……」

 酒臭いのが気になるが、一寸感じてしまうローズ。暫くそのまま彼女の耳を唇で愛撫しているドライだった。オーディンは、これに一寸面食らってしまう。

 〈場所をわきまえろ!場所を!〉

 心の中で、ぼやいてみる。顔を押さえて、面を伏せてしまった。

 「そう言えば、あのときは、ブロンドの娘さんを連れていたな!」

 「そう、ドライさん結婚するんだ!って、凄くはしゃいでたのよね!あの人は?」

 親子そろって、嬉しそうにはしゃいでみせる。その笑顔が、当時のドライの心を表しているようだった。瞬間に、ローズがピクリと身体を硬直させ、ドライの顔を見上げた。オーディンもドライの方に視線を合わせる。

 ドライが何とも恥ずかしそうに俯いた。眼に陰りを感じる。それから感情を飲み干すように、酒をもう一口ラッパ飲みをする。それから袖の端で口を拭う。

 「しんじまった!比奴はその妹だ」

 皆にローズを意識させるように、彼女の肩をより強く自分の方に引き寄せてみせる。

 その時に、オーディンの眼に、ローズの何とも不安げ様子が飛び込んできた。オーディンから見て、ドライのローズへの愛は、紛れもなく本物だという事は、解っていた。いい加減な男だが、こと彼女のことに対しては、その眼に深い愛情が宿っているのだ。今もそうだ。ドライは、彼女の瞬間の硬直さえ見逃していない。

 その時に二人へのそれぞれの結論が出る。ローズにはもはや黒の教団などどうでも良い。ただドライの側にいたい。姉を奪われた憎しみは、ドライを愛する感情で、とうの昔に消されてしまっている。

 だが、ドライはやはり、マリーの仇を取ろうとしている。

 「逃げるのは嫌いだ」この言葉が、妙に鮮明にオーディンの頭に蘇ってくる。これは、ドライが旅に出る前に行った台詞だ。

 「私も一杯頂けぬか?」

 オーディンが、グラスと酒を要求した。グラスは誰からと無く渡され、酒はドライが、自棄に付き合い良さそうに見えたオーディンに、ニヤリと笑い注いでみせる。

 「そうですか、済みません……」

 ローリーが、申し訳なさそうに謝る。それと、ローズの存在を気にしているようだ。

 「気にすんな」

 「あ!そろそろ、用意しないと間に合わない、席開けときますからゆっくり見ていって下さい」

 彼女は本日三回目の舞台の準備のため、そそくさと楽屋から出て行く。これもつき合いだ、ドライも立ち上がり、ローズを連れて客席に向かう。

 オーディンは先ほど演技した立場なので、内容は大体把握している。それでも客観的に見るのは、また新鮮な物だ。横ではドライが、何だか懐かしそうに彼女を見ている。

 「彼奴、剣の使い方ド下手だなぁ」

 主人公の動きに一々文句を付ける。やはりあまり鑑賞ということには、向いていない人種だ。見ている観点が違う。だが、プロから見れば確かに下手だ。ストーリーに関しては、じれったい様子で、ぶつぶつと言っている。

 ローズは、姫を助けるための主人公の必死な姿を見て、そう言う恋人の気持ちを味わいたいようだが、横にいる男がこうなので、一寸ガッカリしている。ベッドの上のドライとほど、ロマンチックではいてくれない。それでもドライがそんなローズに気がついて、肩に手を回してやると、急にニコニコして、彼に甘えてみる。ドライの手が、彼女の頭を撫でた。

 そして、舞台が、終了する。

 「んじゃ、二、三日街にいるから、またな」

 ドライは、簡単に挨拶をする。

 「ええ、それじゃ」

 彼女はこれから夜の公演もあるので、居てもあまり話もできない。それにローズとのデートの続きもある。

 だが、何故かオーディンも側にいる。多少鈍感なところがあるものの、こういう事にまで、気の回らない男ではないはずだ。それに何か言いたそうにしている。そして、ついに我慢できなくなった様子で、口を開く。

 「ドライ、別に無理をして、シルベスターの遺跡に行かなくても良いんだぞ」

 何の前置き無しに突然オーディンが、こんな事を言い出した。

 「何だよ。んなしけた話すんなよデートの邪魔だ。向こういけ!」

 ドライが手だけでオーディンをあしらった。と、その時だ。何か得体の知れない鳴き声と共に、ドドド!!という轟音がこちらに向かってきた。

 「グゲゲ!!ゴゴ!グルァァ!!」

 それは上空からだ。何かと思い、上を見上げる三人、なんとルークだ。それに何か生き物を一匹連れている。見た目は非常に人間に近い。そして彼等が上から振ってきた。

 ドスン!!とその場に降りる。周囲の人間がこの異様な光景に怯えている。

 「ルーク!」

 ドライは剣を持っていない。オーディンもローズもだ。町中という安心感で、戦いの準備など全く出来ていない。

 「よぉドライ、お土産だ」

 「ガァァ!グロロロ!!」

 生き物は、腰をかがめた体制で、牙を剥いてドライ達に威嚇をする。

 「こら!落ち着け!」

 ルークがそれの頭を軽く叩くと、一応大人しくする。

 剣を帯刀していない三人を見て、ルークがニヤっと笑う。

 「ハート・ザ・ブルー!!」

 オーディンが手を挙げ、愛刀の名を急に叫ぶ。すると、彼の愛刀が高速で彼の手元に飛んでできた。そして剣を抜き、素早く身構える。

 「こんな事もあろうかと、追跡の魔法を付与しておいた!二人とも早く剣を取ってこい!」

 この場は、オーディンに耐えて貰いその隙に剣を取りに行こうとする二人だった。

 「させるか!」

 しかし隙さずルークが、エナジーキューブを出してきた。太陽は沈みかけている。ルークの優位な時間帯だ。

 ドライは、エナジーキューブに義足の魔力を奪われ、前のめりに膝から崩れ、倒れ込んでしまう。サングラスが前にはじけ飛んだ。

 「ドライ!!」

 「ローズ!構うな、いけ!!」

 ドライが転んだ瞬間、間髪を入れず、振り向いたローズを走らせた。剣を持ってくれば、何とか戦える。

 「このオーディンがいることを忘れられては困るな!」

 オーディンはドライのフォローに廻らず、すぐさまエナジーキューブにハート・ザ・ブルー近づけた。すると、それは、剣に引きつけられ、効力を失ってしまう。

 「くそ、集魔刀か!」

 ドライはすぐに機動力を取り戻すと、すぐさまルークに飛びかかった。しかし、簡単に捕まるルークではない。素早くこれを横にかわす。今度はオーディンがルークを攻撃する。剣術を会得しエナジーキューブを潰してしまうオーディンは、ルークにとってやっかいなものだ。だがそれはオーディンも同じ事だ。彼の飛天鳳凰剣は、エンチャントを主体とした秘剣だ。彼の魔力もまたルークのエナジーキューブでかき消されてしまうのだ。だが、決定的にオーディンに有利だったのは、彼がルークより若いことだ。

 ルークは、オーディンと真正面から戦う気はない。彼の攻撃を最小限の動きでかわしている。

 「化け物!放て!!」

 オーディンの攻撃をかわす中、連れてきた生き物に命令をする。すると生き物は、無秩序に口から光線を乱射し始めた。

 「馬鹿が!違う!!そっちの大男だ!」

 剣が無く、ルークと対戦できないことに歯がゆさを感じ、二人の戦闘を眺めているドライを指さす。

 「止めろ!!町中だぞ!」

 「しらんね!」

 止めて聞く相手ではないのは解っている。だがそうせざるを得ないオーディン。化け物はドライに目標を絞り、光線を放つ。ドライは例のシールドを張り。その角度を変えた。光線は、ほぼ真上に跳ね返る。

 「だから言ったんだ!ブラニーのヤツ!半日で作ったヤツなんざ!役にたちゃしねぇ!!」

 どうやら彼は、チャンスで来たわけではないようだ。何らかの実験が目的らしい。

 「何やってんだローズは!こうなったら!!」

 いつになく周囲の状況を気にしているドライだった。危険を顧みず生き物に飛びかかり、後ろに回り込み、首を思いっ切り締め付ける。攻撃は強力なようだが、動きは全くと言っていいほどとろい。

 首をねじ上げられると、生き物は苦し紛れにまた光線を乱射してきた。首は上に持ち上げられ、建物の屋根をかすめる程度の被害に止まっている。苦しそうにドライの腕を掴んできた。その爪がドライの服を破き、彼の腕に食い込む。

 「オーディン!ルークはくれてやるから早く殺っちまえ!!」

 ドライは、化け物の動きを封じるのに、手一杯といった感じだ。

 「手強いんだ!!無理を言うな!!」

 ルークがかわすことに専念しているため、なかなか捉えられないでいる。見ているだけでじれったい。

 「ウリャァァァ!!」

 オーディンの後ろで、ドライの叫ぶ声が聞こえる。その時にゴキン!と骨の折れる音が聞こえた。

 「なにぃ!!」

 ルークもオーディンもあまりの異様な音に、ドライの方を振り返る。

 そこには、首が異様に伸びている生き物の首を抱え込んで、ルークを睨み付けているドライの姿があった。生き物はショックで痙攣を起こしている。

 「冗談きついぜ……」

 蒼白になったルークの顔、オーディンが隙さず斬りつける。

 「おっと!アブねぇ!ブラニー!!」

 ルークがそう叫ぶと、彼の姿はたちまち消え失せた。

 またもや彼を殺し損ねた。しかしドライはそれに少しホッとしている。

 「ドライ!彼奴は?!」

 漸くローズが戻ってきた。両腕には重そうにブラッドシャウトを抱え込んでいる。剣をドライに渡すと少し肩で息をしている。

 「おせぇよ。逃げちまった」

 死んでいる生き物の頭を何回か足で小突く。ドライが首を折ったことで、即死したようだ、反応がない。

戦闘が終わると同時に、とたんに周囲のざわめきが気になり始める。いつの間にか野次馬に周りを囲まれているのだ。

 「済みません!通して下さい!」

 「兄さん!」

 人集りをかき分け、シンプソンとセシルが更に遅れてやってくる。二人は、ドライの足下に転がっている生き物を見てギョッとする。それと同時に、その付近に滴り落ちている血を発見する。それは今も継続中だ。

 「ドライさん、その腕は?」

 ドライの腕は、生き物の強力な握力と爪により、袖を破かれ傷つけられていた。

 「ああ、大したことねぇよ」

 痛みをセーブしているらしいドライは、腕の傷をさほど気にしてはいない。それより下に転がっている生き物の方が気になる。見た目は明らかに人間ではない、厳密に言うと近いがそうでないといった感じだ。

 一人の男が叫ぶ。

 「みんな!俺の言ったとおりだろう!?世界は崩壊するんだ!神に祈るしかない!!」

 街にまで奇怪な化け物が進入してきたことで、男の言葉は説得力を増した。周囲が頷きざわめいている。

 「退いた退いた!」

 今度はシェリフが、騒ぎに遅ればせながら人混みをかき分けやってくる。そして彼の目に真っ先に目に入ったのは、ドライだ。

 「赤い眼の狼じゃないか!貴様此処で何をしている!!」

 さもドライが騒ぎの張本人と決めつけ、怪我をしている彼の腕を無神経に掴んだ。一瞬ドライの眉間に皺が寄る。

 「違うよバーカ!比奴を見ろよ!」

 もう一度生き物の頭を足で小突く。

 シェリフは、流石にこの表現しようのない生き物に胸の悪さを覚える。人間に近いだけに、何とも不気味である。彼は自分の掌に付いた血を、ドライの服に擦り付け、いかにも「仕事」といった感じで、生き物を観察し始める。それが人間でないと思われる以上、この騒ぎも納得できる。それに現実的に考えれば、賞金稼ぎにとって、街の破壊は、何の利益にもならない。

 「良かろう。此処はお前を英雄にしておいてやろう。解ったら仲間を連れてさっさと此処を失せろ!!」

 何とも冷たい言いぐさだ。

 元々両者は犬猿の仲である。ドライもツンとした表情で、突っ張って背中を向け、さっさと歩き出す。

 オーディンは、警察権力の横暴といった感じで、シェリフをきつく睨む。少なくともドライの行動の方が正しい。最も自分たちがこの街にいなければ、こんな事もなかったであろうが、彼の態度は許し難かった。

 二人は、人混みを掻き分けてその場を去った。

 ローズ、シンプソン、セシルは二人の後を追うように着いて行く。

 「ドライさん、取りあえず怪我を治しましょう」

 「わりぃ、頼むわ」

 ドライは言葉だけで、特に腕を突き出すとかの仕草はなかった。

 シンプソンは、器用にも歩きながらドライの腕の治療を始めた。しかも魔法の利きが早い。治癒魔法における彼のセンスが伺える。

 「あぁあ!今日は、ツイてんのかツイてないのか解んねぇなぁ」

 首筋に手を宛い、バキバキと首の骨をならすドライ。あまり顔を合わせたくないシェリフと面をあわせて、不機嫌な顔をしている。

 「ホント、デートが台無し!」

 ローズはちゃっかりとドライの側に居る。

 「その、ドライ先ほどの話の続きだが……」

 ルークの乱入でオーディンに言いかけた話を中断されてしまったオーディンが、言い難そうに、もう一度その話を持ち出す。

 「ああ?!気分じゃねぇや!それより気分直しに酒飲む、奢ってやるから来いよ!」

 此処に来て気分良くなりかけていた筈のドライは、一気にもやもやし始めていた。世間とは全く切り離されたような明るさを持っている夜の酒場で、彼等五人だけが不機嫌だった。正確に言うと、ドライはやけ酒をボトルごと喰らい、ローズはデートがオジャンになったので、頬を膨らませてグラスを両手で持ち、ぶすっとしている。

 オーディンは、どうしてもドライに話があるようだ。

 「だからだなぁ」

 「ああ、後!後!」

 結局ドライが、聞こうとしないので、そこで口ごもり、ムッとしてグラスの中身を一気に飲み干してしまう。

 迷惑なのはシンプソンとセシルだ。だがセシルは、ちょくちょく酒を飲んで、この雰囲気を凌ごうとしている。

 が、これを見たシンプソンが激怒した。

 「せ!セシル!貴方未成年でしょう!お酒は二十歳になってからです!!」

 グラスを奪い取ると、興奮して息を切らせている。

 「私、今年で二十一歳ですけど……」

 ドロンとして、目が据わっている。呂律は回っているが、完全に酔っている。手がグラスの感覚を覚えている。手が空中で、ブラブラしてみせる。

 「五年間もコールドスリープしてたんですから、十六は十六です!」

 興奮したあげく、一気にそのグラスを飲み干す、だがシンプソンは酒が飲めない事を忘れていた。とたんに頭をぐらぐらさせ、そのまま後ろに倒れ込んで気を失ってしまった。

 しかし、不機嫌なのは彼等だけではなかった。攻撃を仕掛けてきた張本人であるルークもカンカンだった。

 「だから言ったろう!半日の熟成じゃ役にたちゃしねぇ!」

 大司教の命で、ドライ達に仕掛けたルークは、危うくオーディンに殺されかけた。無謀な実験をする大司教に腹を立てるのも当然である。

 「そうね、せめて一週間は、見込まなければならないわ、でもその間、わざわざ彼等をシルベスターの遺跡に順調に進ませる気?」

 冷静な口調で、ルークの危機を他人事のように冷静に語る大司教。相変わらず何かと水晶を眺めている。そこには、酒場で今にも管を巻きそうなドライの顔が移っている。だが、その映像もすぐに何かに干渉され、かき消されてしまう。

 言い分はあっているが、行動は無茶だ。その矛盾に閉口するルーク。

 「シルベスターは、クロノアール様の封印によって殆ど無意識に近い。でもそれでも時折、子孫を助けている」

 そんなことも構わず現状況を、ルークに説明してみせる。だから焦っているのだ。そう言いたげだった。それからクロノアールの眠っている水槽を見つめた。

 「なぁブラニー、俺が無茶すんのもお前に惚れてるからだぜぇ、美人でよぉ……、力ずくでも奪いたくなっちまう。たまには、ご褒美くれたって良いんじゃねぇか?」 

 彼はこみ上げる衝動を押さえきれず、声を震わせながら、力任せに後ろから大司教を抱きしめにかかる。大司教はルークに痛烈な嫌悪感を感じる。それと同時にこの男に哀れさを感じた。嫌悪感より哀れみが勝ったとき、彼女の口からクスリと息が漏れる。

 「おい、まえみたいに電撃でぶっ飛ばさねぇのか?」

 ルークにはエナジーキューブがある。それを使えば大司教の魔法は押さえ込むことが出来る。彼女とて、ルークに対する対処法を持っていないわけではないが、至近距離で瞬間でも力を奪われれば、どうなるか知っている。そう考えると、ルークが惚れていると言っているのは、まんざら嘘ではない。

 「ご褒美……ね」

 一度ルークの腕の中から離れ、色香を漂わせながら、彼の首筋に抱きつき、彼の頬にキスをする。

 「私が欲しいのなら、彼等を殺して」

 言葉は素っ気なく冷たいものだ。その後の彼女の態度は愛想も何もない。これ以上ルークに用が無くなると、クロノアールの部屋を出ていってしまう。

 「もうチョイかな?」

 ルークとしては、彼女を犯してしまう事も考えたが、それでは自分の物になったことにはならない。手に入れるなら、触れるだけで彼女がベッドの上に、倒れるようにしなくてはならない。

 「しかし、俺も歳だな、どうも踏ん張りが効かなくなっちまってる」

 独り言を言いながら、クロノアールを眺める。彼は水槽の中で静かに眠っているだけで、うんともすんとも言わない。大司教の話では、彼の目覚めは近いと言うが、これを見るとそうは思えない。だが、現に大地が裂け、この世界が崩壊しつつあるのは、紛れもない事実だ。それを見ると、クロノアールの力が顕在化しつつあるのは間違いない。

 そろそろ夜も更けてきた。ルークもこの場を去り、寝床へと向かうことにする。

 その頃ドライは、まだ酒を飲んでいた。だが場所は、酒場ではなく宿屋のオーディンの部屋だ。横ではへべれけになったシンプソンが、妙な顔をして寝ている。

 ローズとセシルは程良く?酒が回り隣の部屋で寝ている。

 「ドライ……」

 オーディンは、言いたいことがあったのだが、その度にドライが話を聞こうとせず、欠伸をしたりあしらったりする。彼等は此処までそれを引きずっていた。

 「んだようっせぇなぁ!テメェそればっかでちっとも酔えねぇじゃねぇか!」

 元々酒の強いドライは、あまり酔わない。なったとしてもほろ酔い程度だ。きっとオーディンが重苦しい声で、彼を呼んでいなければ、今頃もいつも通り適当に酒を楽しんでそれで終わりと言ったところだっただろう。

 いい加減しつこいオーディンに、ついにドライが折れてしまった。グラスをぐっと空け、オーディンを睨み付けた。

 漸く話を聞く気になったドライに、オーディンの方も仮面を取る。

 「ドライ、正直言って貴公に、この旅は無理だ。死ぬぞ」

 シンプソンに言うならまだしも、自分にこの台詞を振ってきたオーディンを不可思議気に眼を細めるドライ。眉間に皺を寄せ、彼の言葉を疑う。

 「このドライ様が?ほら、一杯飲んで落ち着けよ」

 オーディンの言葉が、妙におかしくなった。空いている彼のグラスに、酒をつぐ。

 剣術家としてのオーディンの実力は知っている。一対一の戦いをすれば、自分と互角の戦いをすることも、人を見る目があることも知っている。だから自分が甘く見られていない上で、そう言っている彼の根拠を知りたくなった。強いと言われたことは多々あるが、こんな真剣な顔をして死ぬと言われたのは初めてだ。ルークに言われたのとは、かなり印象が違った。

 「今日とてそうだ。貴公は黒獅子に勝てぬ。どれだけ精巧でも所詮義足だ、そうである限り貴公は絶ず爆弾を抱えていることになる」

 「ふん!油断だよ油断、今度は負けねぇ、オメェに譲りもしねぇぜ!」

 痛いところを突かれた物だ。しかし此処で怒ってしまうと彼の言い分を認めたのと同じだ。癇癪を押さえて、酒と一緒に苛立ちを腹に詰め込んだ。

 「まあ聞け、貴公にはレディーがいる。二人には先がある。孤児院に帰れば、ノアーもいる。御老体もいる。あそこなら二人が安全に、幸せに暮らす事が出来る。悪いことは言わぬ」

 まるで兄貴肌なオーディンが、妙に滑稽に見えた。それに死ぬと決めつけられたのも癪だ。現に二度とも、ルークと遭遇して生きて還っている。最も二度とも自力ではないが……。おかしさのあまり、天井を向いて笑ってしまうドライだった。

 「ハハハ!!何を言い出すかと思えば、クダラネェ。俺はマリーの仇討たなきゃならねぇんだよ。俺自身のためにも、ローズのためにもな」

 ドライは酒気の隠った息をはぁっと吐き出し、窓の外を眺める。そして自ら言った言葉を自分に納得させながら、もう一口、唇をぬらす程度に酒を飲む。

 「それは違うだろう」

 だがオーディンは、きっぱりと、まるで自分のことの様にドライを否定した。

 「いいや、そうなの!!」

 ドライは自分を肯定する。また互いの意地の張り合いが始まりそうだ。互いの目をじっと見据える。酒でドロリとなった眼が、ガンをつけているようにも見える。

 オーディンがドライの目の前にグラスを突き出す。ドライは、半ば嫌々にグラスを満たしてやる。その時、ドライの目が、もう一度窓の外に行く。それから眼が何だか急に酔いが回り始めたような感じを見せる。

 「ローズはよぉ……、俺のせいで賞金稼ぎなんかになったも同然なんだよ。オメェの言う通り、俺だけが、マリーの事にこだわってるかもしんねぇ、けど彼奴の……、ローズの目の前で、なんかこうバシイッと、けじめつけたくってよぉ。俺、昔ならこんな事思わなかったろうけど……。彼奴等二人は、俺をどんどん変えていきやがる……、ちっ!何でオメェなんかにこんな事……」

 心のもやもやがついにドライのホンネを出させた。本人は相手がオーディンだという事に、一寸ムッとした顔をする。酒は理性を失った人間の本性を出させる。ドライはそこまでは行かないが、彼の愚痴は、やはりホンネだ。元々彼には立て前が無い分、態度は普段とあまり変わらない。

 「そうか……」

 口調は柔らかいがドライは引きそうにもない。いらぬ節介と言えばそうなる。だが、オーディンには、ドライに自分の二の舞を踏んで欲しくはなかった。守りたい者を守れない、そんな悲しい男にはなって欲しくなかった。

 もしあの時、ドラゴンを倒すことより、ニーネを連れあの場を去っていれば、卑怯者にはなっただろうが、彼女は生きていたのだ。それに彼女一人なら守りきることが出来たかもしれない。そう思った。

 しかし、自分にそれが出来ただろうか、いや、出来なかったからこそ今の自分がいる。他の人を犠牲にしてまで成り立つ幸せが、本当に幸せなのか、ニーネがそれを許しただろうか。

 顔の傷が疼く。戦いの最中で、時々じゃれあう二人を見ていると、どちらが真実なのか、なお解らなくなってしまう。だが、今のドライに、シルベスターを封印から解く義務があるのか、そう考えると、義務は無い。あの時のオーディンの様に、国を納めている一級貴族ではないのだ。彼には、自らの幸せだけを考える権利がある。血を継いでいるから、義務がある。そんなものは理由にならない。

 「言っておくが、俺は好きでやってんだ。そうでなきゃ俺が俺じゃなくなる。ローズだって黙って待ってる女じゃねぇ、自分を殺してなんになる。おめぇ自分を殺してねぇか?カッコつけんじゃねぇよ」

 説教し始めたのは、オーディンだ。だが今度は逆にドライに説教されている。自分で酒をつぎ、好きなだけ飲み干すドライ。オーディンのグラスが空になっているのに気がつくと、酒をつぐ。

 たしかに自らの意志で、此処まで来た。出発は、ただじっとしていても一方的に黒の教団に襲われるだけだ。それならこちらからで向こう。そんな考えはドライらしい。じっとしていられなかったのは、オーディンも同じだ。

 「辛くなったら、いつでも言えよ」

 もうこれしか最後に言う言葉はない。

 「余計なお世話だ!だからオメェは、仮面男なんだ!」

 ドライは、大きな欠伸をして、部屋を出て行こうとする。言っていることは意味不明だ。だが、その言葉には、嫌味も軽蔑の意味もなかった。柔らかい言葉遣いだ。

 「何処へ行く?!」

 少し立ちかけ、ドライの方に手を伸ばすオーディン。

 「寝る!」

 そう言ってドライが出て行く。結局ドライはホンネは出したものの一線も譲らない。初めはいやな男だと思っていたドライに、いつの間にか情がうつってしまっている。

 彼も寝る前に、もう一杯飲もうと思ったが、ビンを見ると全くの空だった。

 「ふん……」

 無意味に空のビンを振ってみる。仕方がないので、酒を飲むのを諦めて寝ることにする。それに十分すぎるほど飲んだ事だ。

 そして、オーディンが寝付こうとしたときだった。例の地震が起こる。ドドドド!!大地の底から突き上げるような激しい振動、窓ガラスが振動に耐えきれず割れ落ち、壁に掛けてある絵画も暖炉の上にある装飾品も落ちて壊れる。

 「こんな夜中に!」

 「え?何ですか?うわ!」

 酒によって熟睡していた筈のシンプソンも、流石にこの振動に目を覚ます。だが、焦点が定まらず、ベッドから這い出すなり、すっ転んでしまう。勿論オーディンも立っているのがやっとだ。

 しかしこのままでは建物が崩れてしまう恐れがある。気合い一発シンプソンを肩に担ぎ、戸をぶち破り部屋から駆け出す。すると、ドライも女二人のを肩に担ぎ、部屋から出てくる。二人のお尻がドライの肩口で揺れている。どさくさか咄嗟なのか、ドライの指が、二人のお尻を揉んでいるようにも見える

 「ったく!寝れやしねぇ!!」

 これまでも何度も寝込みを襲われたが、慣れると言うことはない。足をもたつかせ、揺れる天井の装飾品を気にしながら、宿屋の外へと向かう。

 「何で寝てるときに地震なんか!サイテェ!!」

 「そんなこと私に言われても……」

 ドライの肩に担がれているローズが、寝ぼけ半分に、同じようにみっともなくオーディンの肩に担がれているシンプソンに愚痴をこぼす。ドライの目の前で彼女の踵がばたばたと動く。

 「ええい!暴れんな!!」

 ドライの手が乱暴にローズのお尻を握る。

 「あん!」

 何故か感じてしまうローズだった。ついでに妙に大人しくなってしまう。

 急いで外に出る。

 「ああ、おもてぇ!!」

 ドライは、息を切らせながら、しゃがみ込むと同時にセシルとローズを地面に立たせる。シンプソンも大地に足を着ける。その時にはもう地震は止んでいた。

 激しかったが揺れている時間はそう長くはなかった。いつも通りの揺れだ。

 幸い、宿屋は内装の装飾品が落ちただけで、建物自体に被害は出ていない。構造が丈夫のようだ。しかし周囲の建物は、残念にも崩れてしまっている物も見かけられる。あからさまに喜ぶわけにはいかない。

 ドライの眼が倒れている建物を捉える。ふとローリーのいる劇場のことが頭に浮かんだ。あの建物は古かったはずだ。倒壊している恐れがある。

 「俺、チョイ気になるところがあるんだ。行って来る」

 ドライが単独行動に出ようとする。

 「待て、行くならみんなで行こう」

 町中とはいえ、一人になるとルークが気になる。照れ臭いながらも、皆で行くことにする。走っている最中も、地震で恐怖した人々が、寝間着姿で路上に飛び出している。

 劇場まで来たときだった。表面上建物には変化は見られなかった。しかし誰かに押さえられ、ローリーが建物の前で、騒ぎ立てている。

 「お嬢さん!!今入ったら崩れちまう!」

 「パパァ!!」

 懸命に手を伸ばし、必死にその腕の中から逃れようとしている。

 「おい!どうした!?落ち着けよ!」

 ドライは、ローリーの頬を両手で掴み、自分の方を向かせ、彼女を落ち着かせる。

 「ドライさん!、パパが逃げ遅れて!!建物の柱の下にパパが!!」

 それを聞くと、ドライよりも先にローズが建物の中に向かおうとする。肉親を失う悲しみは、誰よりも彼女が一番よく知っている。

 「待て!ローズ!俺が行く」

 威圧感のある大きく尖った声で、ドライがローズの足を止める。しかし命令ではない、他の誰でもない明らかにローズ自身を止め、彼女を危険から遠ざけるための言葉だった。

 「ドライ……」

 彼女もドライのあまりのせかした声で、足を止めてしまう。

 「いい子だ。危ないから待ってろ」

 ドライがローズの頬を撫で、何が起こるか解らない建物の入り口を見据え、中に入って行く。

 「わたしも行こう」

 オーディンがドライについてくる。

 「勝手にしろ」

 本当に自分で勝手に行動しろと言わんばかりのドライの口振りだった。

 中へ入ると、大事な小道具や大道具が倒れている。木の柱も亀裂が入って、曲がっている物が多い。早く済ませないと、此処も時間の問題だ。

 ギギギ……。

 二人の背筋に、冷や汗が走る。ドライがブラッドシャウトの束を握る。すると、束の先に付いている宝玉が光り、薄暗いながらも周囲が見渡すことが出来る。

 「遺跡盗掘以来だな」

 ライトの魔法は、発熱性があるため下手に使うことは出来ない。ブラッドシャウトの光は、こう言うときには打ってつけだった。

 「うう……」

 誰かの声がする。明らかに苦しそうだ。此処で声がすると言うことは、間違いなくローリーの父親だ。二人で、足下に注意を払いながら、そろりそろりと、近寄って行く。

 それほど大きな柱ではないが、それは彼の背中にのし掛かっていた。あれでは動けない。

 「オッサン!生きてるか?!」

 「ドライ……さん」

 意識はしっかりしている。怪我は心配だがすぐ死ぬと言うことはなさそうだ。外に出ればシンプソンが居るので、彼の生命自体は心配には及ばない。

 「よっと!」

 ドライは、持ち前の剛力で横たわった柱を、ゆっくりと上に持ち上げる。その間にオーディンが、彼を下から引きずり出し、両腕で抱える。それを見ると、ドライは、ゆっくりと柱を下に降ろした。

 ギギギ……!!

 ドライが柱を降ろしたショックで、更に折れかかった周囲の柱が歪みはじめる。

 ギギギギ……!!

 更に激しく軋み出す。かすかな明るさだが、天井が下がってきているのが解る。流石に二人の顔がさっと青くなった。急いで此処から出ることにする。

 「いくぜ!!」

 ドライが走る。オーディンも走るが男一人を抱えているせいか、彼は走るのが遅くなっている。正面の出入り口が今にも押し潰されそうだ。目の前に柱が横倒しに倒れてくる。

 「ちっ!」

 ドライが素早く倒れてきた柱を支える。

 「済まぬ!」

 その間にオーディンが、素早く出入り口から出る。しかし彼が出入り口を抜けたその瞬間、出入り口が潰れ、ドライが中に閉じこめられてしまう。そして天井が落ちてきた。

 「うああああ!!」

 中からドライの叫び声が聞こえる。状況は一目瞭然だ。誰が見てもドライが建物の下敷きになってしまったのが解る。

 「いやぁ!ドライ!ドライ!」

 ローズが我を忘れて、瓦礫の方に近づこうとする。シンプソンがローズの肩を掴んで、それを止める。

 「ローズ、落ち着いて!うわ!」

 しかし彼がローズの肩を掴んだ瞬間、ローズに引きずられてしまう。力はローズの方が上のようだ。そのまま三メートルほど引きずられてしまった。

 「あの、止まっていただけませんでしょうか……」

 「シンプソン……」

 緊迫の場面が、おちゃらけて見えてしまう。重みでローズが止まる。ふと見ると、シンプソンがだらしなく彼女の腰元にしがみついていた。

 気を取り直す事にする。

 「私は、少々ですが、物理魔法が使えます。溜めに時間がかかりますが……」

 「出来るんなら早くやって!」

 状況が状況なだけに、必要以上に辛くシンプソンにあたるローズ。しかめっ面をされ、胸ぐらを釣り上げられてしまう。

 「わ、解りました!」

 満足な説明すらさせてもらえないのか?拗ねかけてしまうシンプソンだが、そうも言ってられない。早速エネルギーを溜めることにする。目の前に翳した彼の掌の周囲の空気が、次第に陽炎のように揺らぎ始める。彼は、それを確かめると、右手にエネルギーを集中させ、仰向けにした掌に浮かべてみせる。

 「これは圧縮した空気で……」

 「シンプソン?!」

 「はい……」

 またもやローズに冷たい視線を浴びせられてしまう。できあがったエネルギー体を、瓦礫の方に向かって、投げ込んだ。それは、見る見るうちに瓦礫の中に埋もれて行く。そしてシンプソンは、隙さず後ろに逃げる。その瞬間だ。建物の瓦礫が、何かの力により一気に上空に破裂するように持ち上がった。

 「うわ!」

 「あ!」

 「キャア!!」

 側にいた三人も、爆発の瞬間に後方に引く。

 「うわぁぁぁ!!」

 月明かりの中、ドライの身体が、宙に舞う。それも身体が陰になってしまうほど、上空だ。

 「ふん!」

 オーディンが素早く目標に向かって跳躍する。そしてドライを胸でしっかりと受け止めると、そのまま着地の体制に入る。ドライの顔が珍しく、泡喰って白目を剥いている。

 「っと!」

 無事着地だ。すると、またもやローズがシンプソンに一喝する。

 「シンプソン!なぜ、爆発するなら爆発すると言わないの?!」

 「そ、そんなに怒らないで下さいよ。ローズがあまり不機嫌だから……」

 全く持って損な役回りだ。この調子では、何をやっても怒られそうな気がするシンプソンだった。

 「まぁ、レディ、ドライも無事なのだ。そう、苛立つな」

 「だってぇ!」

 彼女の頭の中には、完全にドライの事意外ない。ドライの怪我の様子を見るため、彼を一度地面に置くオーディン。

 「ああ……、体中がいてぇ」

 ドライがしかめっ面をして、右腕を動かそうとしているが、動かないようだ。それに肘が変に捻れている。脱臼か骨折か、そんなところのようだ。打撲はあるが、上半身にはそれ以外、異常は見られない。

 「ドライ、他に何処か痛む?」

 ローズの手が、滑らかに彼の左足を探り始めた。

 「右足が折れちまってる」

 「どれ……」

 オーディンが、右足の大腿部を探り始めた。特に以上はない。

 「痛ぅ!!」

 しかし義足の部分を触ると、ドライは酷く痛がる。それに鈍く曲がっている。気になってズボンの裾を上げてみると、義足に大きな亀裂が入り、何かの圧力ので、押し潰された後もある。これが屈折の原因の様だ。その義足を外してやると、ドライの顔が多少楽そうになる。

 問題は右腕だけのようだが、すでにシンプソン治療を始めている。

 ローズがドライの無事を確かめるように、彼の頬や唇に何度もキスをする。

 「ん……」 

 「おい、よせって、クスグッてぇ」

 と言いつつも、左手はローズの頭を自分の方に寄せている。それから漸く治った右手を動かしてみる。怪我は、これで完治したようだ。

 「うっ!」

 しかしドライは、突如頭を抱える。しかしすぐに手を離す。眉間に少し皺が寄り、顔も少し青くなっていた。瞬間的な激痛が走ったようだ。隙さずロースが彼の首を持ち上げ、頭部を撫でてみるが、外傷はない。頭部に手を翳し、治癒魔法をかけてみるが、魔法を受け付けないところから、怪我ではないようだ。

 「おい、セシル!」

 ドライが珍しくセシルを呼びつけた。素っ気ない兄が、自分に対して珍しく声をかけてくれた事に、不安げに彼にに近づく。

 「なに?兄さん……」

 「ランカスター=シルベスターって誰だ?」

 右手で額を探りながら、うろ覚えのような、言葉を発してみるドライ。

 「父よ」

 「そうか、んじゃ、メフィス=シルベスター……」

 「お母さんよ」

 「シュランディア=シルベスター……」

 「兄さん自身の名前よ」

 「そうか、そうだったな」

 次々に人名を挙げるドライ。それから、意味有り気にクスクスと笑い始めた。

 「兄さん!まさか記憶が!!」

 それはセシルの万が一の期待を込めた言葉だった。

 「え?」

 ドライ以外の三人が一斉に、喜びかけているセシルの顔を見る。だがしかし。

 「んなんじゃねぇ……、何となくそれだけが頭に浮かんだだけだ、残念だったな」

 「そう……」

 ドライは、自分がまだドライ=サヴァラスティアであることに、ホッとしているようだ。セシルの残念そうな顔とは、対照的にニヤニヤしている。そしてそれは、ローズも一緒だった。しかし、そのドライのつかの間の喜びを、オーディンが打ち砕いた。

 「やはり、貴公には、これ以上の旅は無理だ」

 妙に悲しそうな瞳の色をしているオーディンの言葉に、ドライはローズをどけて、上半身を起こす。

 「てめぇ、まだ!……」

 しかし目の前に、破壊された義足を見せつけられ、具の音も出なくなってしまった。今までには見られなかったほど、落胆し肩を落とすドライ。それから口の端を釣り上げ、オーディンを見上げる。

 「喜べよオーディン。いやな奴がいなくなるんだ。ククク、ハハハ!」

 今度は卑屈になる。虚しく声を高らかにして笑っている。こんなドライを見てもオーディンは、怒る気にもならない。見ていると辛くなるので、彼から眼を背け背中を向けてしまう。

 「ドライ」

 ローズは、こんなドライに触れることが出来なかった。また、完全に心を閉ざされているようにも思えた。

 「ドライさん……」

 シンプソンはそれしか言えない。セシルは言葉すら出せなかった。

 ドライの空笑いは、聞けば聞くだけ虚しくなってしまう。

 「もう止さないか、ドライ」

 オーディンは漸くドライの方を向く。何時までも虚しく笑っているドライを見かねたのだ。その眼差しは、長年共に戦い抜いてきた友を見るような目立った。

 「片足のお前を、何処まで守れるか解らぬ。が、出来るところまでやって見せよう」

 そっとドライの方に手をさしのべるオーディン。

 「クス、いらねぇよ仮面男」

 ドライは、オーディンの手を払いのけ、彼の嫌がっていた言葉を、態と露骨に表現し、挑発してみせる。

 「そうか……」

 だがオーディンは、全くこれには乗らなかった。活きの良いドライが言うからこそ、その気にさせてまう言葉だが、今の精気の無い、自分の殻に閉じこもったドライが言っても、オーディンは反応しない。

 もはや今のドライには、何の魅力もない。輝いた眼も、今まで生き抜いた覇気も無くなってしまっていた。ただ、含み笑いをしている。目の前の壁に挫折してしまった男には、最もふさわしい姿だ。

 こんなドライを見て、一番辛いのは、ローズだ。ただ可哀相なドライの頭を、自分の胸の中に沈めてやるだけだった。

 「ローズ、心配すんな、これからずっとゆっくりしてられんだぜ」

 旅を諦めきったドライの腕が、彼女の後頭部に延び、クシャリと撫でる。ローズがそんなドライの額に頬を寄せる。

 「うん……」

 ローズの腕が、更にドライの頭を強く抱きしめる。

 「ドライさん」

 彼等の旅の事情は解らないが、昼間とは別人のようなドライに、恐る恐る声を掛けたローリー。自分の父のために、犠牲になってしまったドライに対して、罪悪感を感じてしまう。

 「気にすんな。メガネ君、彼女の親父さん、見てやってくれ」

 言葉の内容とは裏腹に、実に無感情だった。異常なまでに冷淡で冷静なドライの言葉、だが、怪我人を放っておくことは出来ない。コクリと頷き、ローリーの父親の様態を見る。彼の身体を探り、ホッとしたシンプソンの顔が伺えた。

 オーディンは、突如として、皆に背中を向け歩き出す。

 「オーディンさん!」

 一人になってはいけないこの状況で、一番仲間意識を大切にするオーディンが、身勝手な行動に出る。セシルは、声に出してみるモノの、いつもと違うオーディンを止めることは出来なかった。

 「と、兎に角一度宿へ戻りましょう」

 オーディンは、一人にしておくことにした。身勝手かもしれないが、彼なりの考えがあっての行動だろうと、シンプソンは確信していた。

 宿に戻ってもドライは、寝る事が出来ない。窓から僅かに差す月明かり中、一人きりで壊れた義足をテーブルに置き、暫くそれを眺めている。不思議と頭痛の後、何かしらが解るのだ。具体的なモノでなく漠然としたモノだったが、義足の構造が理解できる。しかし完全に理解できたとしても、これを作るには特殊な材料がいる。此処では治せそうもない。やはりオーディンの言うとおり、このまま自分の旅は終わってしまうのだろうか。何度もそう考えると、諦めきった自分が、心の中で「もう良いじゃねぇか」の一言を投げかけてくる。

 酒を飲もうと思っても、ビンの中は空で、それで気を紛らわすことも出来ない。ドライが空ビンを振っているときだった。

 「おい!」

 乱暴に扉の開く音と同時にその声は聞こえた。

 「メガネ君なら、隣の部屋だぜ」

 「五月蠅い」

 オーディンが手に大きめの紙袋を持ち、ヅカヅカと部屋に入ってくる。ドライに用件があるようだ。そして、ドライの目の前の椅子に座る。地震が起こる前と同じ感じだ。だが一つ違ったのは、目の前に座っているオーディンの目が完全に据わっていることだ。

 「酔ってんのかよ」

 「ああ!お前相手に、まともに話など出来るか」

 今まで「貴公」と言っていたが、オーディンが「お前」と呼んでいる。

 「俺は、お前に話なんかないぜ」

 ドライはオーディンと目を合わせることはない。壊れてどうしようもない義足を、繰り返し眺めている。

 「諦めるのか?たかが足一本無いくらいで、止めてしまうのか?!!」

 前にのめりこんで、ドライに顔を近づける。

 「ああ」

 酒臭い彼の息を掌で散らす。しかしやはり目を合わせることはない。

 意味無く弄っているドライの義足を、オーディンが払いのけるようにして奪い取る。その横暴さに、初めてオーディンに目を合わせ、一瞬何かを言いそうになったドライを、据わった視線だけで黙らせる。それから、先ほどの紙包みから、ボトルを一本取り出しテーブルの上に置いた。

 「ヴォッカじゃねぇか……」

 「これ位じゃないと酔えないからな」

 相変わらず目が据わっている。ボトルの栓を抜くと、オーディンらしくないラッパ飲みをする。

 「おいって……」

 流石に度数の強い酒を目の前でこういう風に飲まれると、一寸退いてしまう。ドライもよくやるが、オーディンの飲み方はやけ酒だ。見ていて危ないモノがある。

 「臆病者!情けない男め!それでよく世界一が名乗れるな!」

 一方的にドライを罵るオーディン。牙を抜かれたように大人しくなったドライだったが、流石に此処まで言われて、頭に来た。

 「なんだと!テメェ!好き勝手言いやがって!!」

 ドライが鋼鉄の仮面の上からオーディンの顔をぶん殴る。仮面がはじけ飛び、オーディンも横倒しになった。それからドライは、片足で床を蹴って、もう一度オーディンに飛びかかって殴りかかる。

 ドライの拳が何度かオーディンの顔をかすめる。オーディンもドライの首を釣り上げ、体制を逆転させ、逆に殴り返す。

 「くっ!弱虫め!」

 「うるせぇ!!」

 ドタドタと、床を転がり廻りながら、殴り合いの喧嘩をし始めた二人。

 この騒ぎに気が付かない者などいない。ローズもセシルもシンプソンも、すぐにこの部屋に入ってくる。

 「オーディン!ドライさん!落ち着いて!」

 部屋に入ってからすぐさまシンプソンが止めに入ろうとするが、ローズがそのシンプソンの首根っこを掴んで、動きを封じ込める。

 「シンプソン、野暮は止めましょ」

 正直言って、この血の気の多いドライを見て、ローズは安心をした。ドライがオーディンに対してムキになっている。その眼はどこと無く普段のドライに似ていた。

 暫く殴り合って、互いに殴り飽きたかのように、息を切らせて顔中痣だらけにして、大の字になる。両方とも口を切って、血を流している。

 「早く。二人の治療をしないと……」

 またシンプソンが、二人に近づこうとする。だが、またもやローズがシンプソンの首根っこを掴む。

 「こういう傷は、直さない方が良いの!」

 そう言いながらも、ローズが二人の方に近づく。そして、二人の頭の側にしゃがみこんだ。

 「ぼこぼこね、二人とも」

 「あん?」

 「ああ、参った!」

 互いの声が聞こえると、目が合う。すると、また殴りかかろうとする。

 「はいはい!そこまでそこまで!」

 ニコニコと笑って二人の手を止める。 

 ドライが上半身を起こす。

 「ったくよぉ!止めろって言ったり、続けろって言ったり!何なんだよテメェは!!」

 肩を上下にして、口の血を袖で拭いながら、口だけを達者にしているドライ。

 「貴公の刹那主義が気にくわんのだ!!もっと自分を大事にしろ!愛する者もだ!!」

 オーディンは大の字になったままだ。声が呼吸困難に思えるほど激しい。

 「仮面野郎が!!」

 「弱虫に言われても、悔しくもない!臆病者!」

 「仮面男!!」

 手が怠いので今度は口論だ。しかも子供の喧嘩みたいに、同じ事ばかりを言っている。

 〈どっちもどっちね……〉

 しょうがない二人を、困った笑いで眺めているローズだった。

 「そうだ!」

 その時、シンプソンが突如声をあげた。弾みのある喜ばしい声だ。

 「うん?」

 何事かと、皆シンプソンの方に注目をする。

 「ご老人ですよ!あの人なら何とか成るんじゃないですか?ね!ね!」

 久しぶりの閃きに、一人で興奮の絶頂に達しているシンプソン。バハムートの存在を知らないセシルの手を取って、同意を求めている。

 「はぁ」

 一応の同意は見せるものの理解はしていない。

 「どうやってあそこまで戻るんだよ!」

 投げやりに、突き放して言うドライ。

 「えっへん!それはローズが持っている転移の魔法でばっちりですよ!」

 自信を持って胸を張っているシンプソン。旅の最中では、何かと足を引っ張り気味だっただけに、この時ばかりはイヤに大きく見えた。

 「義足の材料は、どうするのだ?」

 オーディンがシンプソンに訊ねる。これは決定的な疑問だった。幾らすばらしい技術者がいても材料が無くては、事が運ばない。バハムートは錬金術師ではないのだ。シンプソンが、クルクル、ウロウロしながら、腰に手を当て、もう片手の指を逐一自分の言葉を確認するように振りながら、更に話し続けた。

 「それは長老ですよ。あの人は昔、冒険者だったらしいですからね。それに家の地下倉庫には、古代の遺品がいろいろあるんですよ!前に一度見せて貰いましたが、それは凄い数ですよ。絶対です!」 

 多少の不安はあるが、一見の価値有りだ。説得力もある。

 と、言っている間に、いつの間にか辺りが薄明るくなっている。朝だ。結局、皆殆ど寝ていない。そう考えると必要以上に疲れが出てくる。

 「シンプソン、その話、また後にしない?」

 ローズが背伸びをしながら、大きな欠伸をする。

 「そ、そうですね」

 ここで、皆にバシッと褒めて貰えば、心が晴れるシンプソンだったが、ローズのその一言で、興奮が萎えてしまった。でも、シンプソンにとって、褒められるとかどうとか言うことは、大した問題ではない。ただ、皆の助けになりたかっただけだ。

 ローズは、ドライに肩を貸しながら、部屋を出て行く。セシルも寝ることにした。オーディンもベッドにばたんキューだ。シンプソンは酒で熟睡したせいか、それほど眠くはなかった。ただ、孤児院の子供達が、どうしているのか、気になった。皆元気でやっているのだろうか?少しため息を付いてしまう。リュックの中からバイブルを出し、何気なく呼んでみる。

 次第に本格的に朝日が昇りだし、昼間になる。ドライが目を覚ます。顔がやたらジンジンする。それに何だか厚みがあるような錯覚もある。

 「ん?テテテ!」

 顔を触るとやたらと痛い。考えて見れば当たり前だ。互いに尋常でない力を持った相手同士で、本気で殴り合ったのである。顔を確認するために洗面場まで行く。

 「ひでぇな……」

 予想以上に顔が変形していた。

 「ドライ!」

 ドライが起きた気配に気が付いて、ローズもそこへやってきて、彼の背中に抱きつく。背中に彼女を直接感じる。

 「何してんの?」

 「ふん!」

 ドライの顔の状況を知っているくせに、意地悪く訊ねるローズ。顔を勢いよく洗いながら、ふてくされているドライだった。ローズは、とたんにドライがおかしくなってしまう。息を殺しながらドライの背中に顔を宛って笑う。

 〈仮面男、殺す!〉

 ムッとしたまま、鏡を見つめる。その頃、時を同じくしてオーディンも鏡を眺めていた。

 〈<馬鹿力め……〉

 そして、皆が起きてシャキッとした頃だ。再び、旅の準備を整える。

 「それでは、行きますか」

 シンプソンが、自分の荷物を担ぐ。

 「一寸待ってよ。みんな戻っちゃったら、私此処まで来る自信ないわよ」

 皆が荷物を纏めてから、今更ローズがこう言い出す。暫く空白の時間が空く。

 「と、言いますと?」

 「私がよく知っている目標が無ければ無理だって事よ」

 魔法の欠陥に少し残念がりながら、両手を腰に置く。声も溜息混ざりだ。確かにこの街には、到着して一日しか経っていない。イメージに残るはずもない。

 「でも姉さん、それって言い換えれば、知っている目標があれば、何処にでも行けるんでしょう?」

 「そう言うこと!」

 短所と長所が表裏一体の魔法らしい。

 「では、決まりだな」

 オーディンが決断して言う。

 「何が……ですか?」

 シンプソンはピンと来ていない。冴えているようで、冴えていない。今朝の閃きはマグレだったのだろうか?

 「つまり、我々が旅を専行し、二人がドライの義足の修理のため、孤児院に戻る。と言うことだ」

 「はあ……」

 オーディンの説明に、一応は理解したらしい。孤児院の子供達に会えないのは残念だが、特に反対はないようだ。

 しばしの別れになる。

 「てめぇ、帰ったら覚悟してろよ」

 「ふん!」

 「はいはい、ドライ行くわよ」

 目を合わせると、喧嘩してしまいそうな二人を、何とか引き離しすローズ。オーディンがまだドライをしかとしている間に、別れた方が良さそうだ。

 ローズがイメージ作りのため、目を瞑り、ドライの腕を自分の腕に絡めながら、両手の掌を胸前であわせる。その間もドライが、腰を曲げてオーディンの顔を下から突き上げて睨み付ける。

 しかし次の瞬間、ローズに左足を踏まれ、顔色が変わり、ガクンと項垂れてしまった。そして、数秒の後、二人の姿が消える。

 「オーディン、やはり顔のほう、治しておきましょう」

 ローズがいると止められるので、我慢していたが、やはり表を歩くには、あまりにも派手に変形している。その時、ローリーが腕に籠を抱えてやってくる。

 「皆さん!」

 「ああ、君は……」

 オーディンは、ぼこぼこになった顔を、ローリーに向ける。

 「あ、何方でしたかしら?」

 やはり見分けが付かないらしい、彼女に返事を返す前に、オーディンの顔を元に戻すことにする。

 話を聞くと、どうやら彼女は怪我をしたドライの様子を見に来たらしい。目の前で、彼がふてくされてしまったことも、気になっていたようだ。だが、間が悪いことに、ドライはいない。

 「そうですか……あ!これ、リンゴですけど」

 と、にこやかに差し出してくれた物の、彼女自身もあまり冴えない顔をしている。当たり前だ、地震で劇場が倒壊して公演が出来なくなってしまったのだ。

 「私自身、あまりこういう事は好きではないのだが……」

 そう言いながらオーディンは、ポケットを漁る。そして金銭の入った袋を取り出した。それを、ローリーに差し出す。袋ごと全部だ。

 彼女は困り果ててオロオロし出した。

 「だ、ダメですこんな事!」

 すぐさまオーディンに突き返す。

 「いや、良いんだ。その代わり幾つか頼みがある」

 オーディンには、全く退く気配はない。

 「え?」

 条件付きだ。なお受け取り難くなってしまう。

 「どんな時でも自分を捨てないこと、諦めないこと、大切にすること。私達がまた君たちに会うまで、劇団を続けること。ドライの頼みでもある。出来るね」

 そう言うと力尽くで、彼女に袋を渡す。オーディンの真剣な眼差しが、彼女に「いいえ」の言葉を出させなかった。

 「はい!」

 そして、にこやかに、笑った。

 「それじゃ、我々も急ぐとするかな、奴が来ると困る」

 オーディンがスタスタと歩き出す。セシルもシンプソンも、歩き始めた。

 「これから何処へ?」

 少し遠めになった彼等に、ローリーが大きな声で訊ねる。

 「北だ!」

 ただそれだけを言う。それにそれ以上言いようもない。

 「良いんですか?勝手にドライさんの名前を持ち出して……」

 人の権利、固有名詞を乱用したオーディンに、少しだけ渋い顔をするシンプソンだった。彼はこういう権利に関しては、少し細かいところがある。それでもオーディンを信用しているので、あまり露骨な言い方ではなく、オブラートに包まれた、彼らしい柔らかさがあった。

 「怒るだろうな、だが、彼奴もそうするだろうな」

 まるでローリーにあったときのドライの行動が、目に見えていたかのように、自信ありげに笑うオーディンだった。それから籠の中のリンゴを一つ採りだし、頬張ってみる。

 「うむ。美味だ」

 ルークと接触を予想して、早めに街を後にした彼等だったが、ルークは彼等を襲ってくることはない。彼は次に確実に殺せる間合いを取るため、大司教との実験を優先させていた。

 「どうだ?残りの奴は……」

 「三十匹中、五匹死んだわ。ダメね、精神力が弱いと、それに捕らえるときに深手を負わせすぎだわ」

 クロノアールとは別の水槽に、大勢の人間が漬けられている。その中の数人は、肉体が完全に崩壊し、息絶えている。

 「無茶言うな、賊相手に、気絶だけさせろっていうのか?!」

 ルークは、両手を広げオーバーアクションで大司教に訴えかける。

 「いいえ、ようは数がいればいいの、そこは貴方に任せるわ」

 淡々と答えを返し、ルークに近づき、彼の頬にキスをする。それから無感情に、その部屋を後にする。

 「無感情な女だぜ」

 ルークはそう言いつつも、ニヤニヤと笑う。彼は女の放つ別の魔力にかかりつつあった。


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