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英雄達のレクイエム Ⅰ  作者: 城華兄 京矢
第一部 白と黒の魔導師編
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第4話 混沌と少女セシル

 孤児院を去った後、彼等は北に進路を取って歩いていた。孤児院ある村は盆地になっていて、四方を山に囲まれている。何とか開かれた山道を歩いて三日ほどで、北にあるリコという街に出るはずだ。天候も幸い大きくは崩れない。この調子で行けば、明日夕刻あたりには、街の端に着くはずなのだが?

 「す、済みません。もう少しゆっくり歩けないでしょうか」

 シンプソンが今にも死にそうな声を出して、前をスタスタと行く他三人を引き留める。

 「なんだよ。これでもペース落としてんだぜ!ほらシャキッとしな!!」

 ドライは待ってくれる様子はない。一度シンプソンの方を振り向いて、また前を向き、自分のペースで歩き出す。その時だった。

 「ドライ待って、私も少し、休みたいわ」

 シンプソンだけでなく。ローズまでが休みたいと言い出した。今まで一度もこんな事は無かったはずだったが、少し身体でも鈍ったのだろうか、兎に角その言葉でドライは、足を止める。

 「仕方がねぇなぁ、チョイと休むか」

 あたりは山道というよりか、少し開けて、高原ぽくなっている。此処なら少々休んでも、心配はない。すぐに賊が襲って来る可能性も少ないだろう。最も襲ってきたところで、相手がドライだと解ると、賊の方が尻尾を巻いて逃げるだろう。

 座り込んだローズは、ブーツを脱ぎ、頻りに足を気にしている。かかとの部分を覗くと、赤くなっている。どうやら靴擦れのようだ。

 「あぁあ……、新しいブーツ履いたら、靴擦れできちゃった」

 自らの不注意で出来たモノだが、まるで靴のせいで出来たような言い方をする。しかしローズは、すぐに治癒魔法で、靴擦れを治す。それからもう一度ブーツを履き直した。まあ、靴はそのうち足に馴染んでくるだろう。だが、問題はシンプソンだ。疲れ切っている。下を向いたまま、黙り込んでいる。

 「オーディン、メガネ君負ぶってやんな、ダチだろう?行くぜ」

 簡単にあしらうと、ドライは再び歩き出す。オーディンも、仕方が無くシンプソンを、背負って、歩き始めようとしたが、シンプソンは、これを嫌った。

 「いえ、結構です。自分で歩けますから」

 だが、やはり疲れ切っている。俯いたままトボトボと歩いて行く。基礎体力の無さが、ありありと解る。先日着いてくるのがやっとだったのだろう。おそらく彼の足は、パンパンに張っているはずだ。運動不足もたたっている。それに、ドライが山道をまるで平坦な道のように、スタスタと歩くのも、シンプソンには堪えた。考えれば彼以外は、皆人並み外れた体力の持ち主だ。着いて行ける方が不自然である。

 「ひょっとして、私が遅いんじゃなくて、皆さんが早すぎるのでは?」

 ぜえぜえと、言いながら思わずこんな事を口走ってしまう。

 「それでも、メガネ君は遅い、もっと体を鍛えな」

 ドライは、シンプソンが自分の前を通り過ぎるまで、足を止めながらそう言った。

 「はぁ……、うわ!!」

 あまりにもシンプソンがトロイので、ドライはシンプソンを小脇に抱えて、歩き始める。そうなると、止めてくれと言っても、彼は全く聞き入れてはくれなかった。

 もうすぐ日が暮れる。そうなると暗くなるのは早い。夜通し歩いても構わないが、疲れが残るのはいやなので、ドライの単独の意見で、再び木の茂りだした森の中で、野営をすることになる。

 「ったく……、このままじゃ、着くのが明後日になっちまう」

 たき火を囲みながら、ぼやくドライと、シュンとなっているシンプソンの姿が、対照的だった。

 だが、ややもすると、ドライの目つきが変わる。それから眼だけで周囲を警戒し始める。ローズも同じ事をしている。オーディンは気を抜いていて解らなかったのだが、彼等は周囲に殺気だった人間の気配があることを、感じていたのだ。

 「お仕事……、ね」

 「ああ」

 二人は確認を取ると、呼吸を合わせ、闇の中に身を投じた。その時の二人は、何だか冷えた笑いをしていた。それから、彼等の周囲が、騒がしくなる。人間の悲鳴も聞こえる。そう言う状態が、小一時間くらい続いただろうか。再び二人が、闇の中から姿を現す。体中に返り血を浴びている。

 「二人とも、何をしていたのだ?」

 オーディンが、かなり興味深げに、聞いてみる。

 「お仕事さ」

 ドライは答えを簡単に出してしまう。抱えていた袋を、適当な木の根本に置く。オーディンもシンプソンも、袋の中身、仕事の意味は大方理解した。シンプソンは袋の中身を想像すると、吐き気を催しそうになった。二人が、たき火の側に座ると、ドライが、スゥッと手を挙げる。そして拳を握りしめた。すると、皆も同じように、手を挙げる。それから、全員に、視線を送る。それから、呼吸を合わせ、皆一斉に腕をおろす。

 「ジャンケンポン!!」

 いきなりだ。山中に妙な興奮の声が走る。

 「よし!私の一人勝ちだ。今夜は、ゆっくり寝かせて貰うぞ!!」

 「ちぃ!んじゃ、俺、三時間、先見張るから、後の四時間は、二人で分けな」

 「んじゃ私、一番最後!」

 「それでは、私が中二時間ですか?何だか損ですね」

 「俺様が三時間見張ってやるんだ。文句言うなよ」

 どうやら、見張りの順眼を決めていたようである。ルールは簡単、一人勝者を決めて、その人は熟睡、後の時間配分は、早い者勝ちだ。昨夜は、ローズが熟睡をした。今晩は、オーディンだ。

 こんな調子で、予定一日遅れの二日後、街に着く。この間、例の地震はない。黒の教団も襲っては来なかった。だが、何かありそうな予感はする。ドライとローズは、早速首を賞金に還る。ドライは、眼が目立つので、サングラスをかける。仮面に、メガネに、サングラスだ。それから、安宿で、一つの部屋に皆が集まると、お金やこれからの話になった。

 「メガネ君、ちゃんと携帯用の食料を買ったろうな、あと、荷物纏める袋、丈夫な奴……」

 「それが、買うには買ったのですが、あまり孤児院の資金から引くわけには行きませんし……、思ったより高いんですね」

 シンプソンは、金銭面で、可成りの不安を持っているようだ。だが、一応それなりの準備を整えている。

 「私も一応、旅の支度をそろえた。これで文句はあるまい?」

 見てくれも丈夫だが、金額の張りそうなリュックだ。何かのブランドのマークが着いている。

 「一寸!それ、アルマニエル(アルマーニのパクリ)の奴じゃない。張り込んだわねぇ」

 「おいおい、そんなんで、後がもつのかよ。金が無くなっても俺はしらんぜ」

 ドライは、一瞬飲みかけた紅茶を吹き出しそうになった。要は実用的であるかそうで無いかの問題だ。オーディンは、シンプソンとは正反対だ。オーディンも、街に出れば、バンクカードを使える。彼は生死不明なのに、よく使えたモノだと、思わず感心してしまったそうだ。勿論この事を思い出したのは、街に着いてからだ。それまでは、使えるとは、思いも寄らなかったのだ。彼の資産は、ドライやローズの比ではない。それくらい持ち合わせていた。

 その夜だ。シンプソンとローズが、彼の部屋で話をしていた。ローズから彼の部屋に押し掛けたのだ。珍しいツーショットである。

 「孤児院……、そんなにお金が足りないの?」

 彼の昼間の発言が、妙に気になっていたローズだった。彼女にしては、偽名で孤児院に金を送金している。自分自身でもそれが血で濡れた金だという事を理解している。だから、あまりお送るお金を増やすと言うことを、直接は言えない。だが、シンプソンはすでにその事を知っている。

 「いえいえ、あれは、貴方が孤児院宛に送ったお金ですから……」

 だが、シンプソンは、うっかり口を滑らして、この事を言ってしまう。口を塞いでみても、後の祭りだ。ひやりと、シンプソンの額から汗が流れる。彼はこの時点で、ローズの気遣いを無にしてしまうことになる。

 「な、なんだ、知ってたの?でも、いやよね、あんなお金受け取るなんて、正直そうでしょ?」

 彼女は、端からばれていたことに、恥ずかしさを覚え、苦笑いをしながら、一寸頬を赤く染める。何故かシンプソンを横目で見る視線が、色っぽい。

 「いえいえ、皆知っていましたよ。子供達も、でも、貴方が本当は、どういう人なのかを知っていれば、誰も文句は言えませんでしたよ。私、思うんです。たとえその行いが良いことでなくても、それで、一人でも多くの人の笑顔が見られるなら、それでも良いって、正直言って貴方がどういう思いで賞金稼ぎをしているのかは私には理解できません。ですが、偽善者ぶって、口先だけで威張っている人間より、貴方はずっとずっと立派ですよ」

 彼は持論で、ローズの好意を受け取る。彼も、あまり明るい過去の持ち主とは言えない。だがら、清貧という言葉は、活きることにとって、全く無意味なことを知っている。それでは、あの子供達を救えないのだ。

 「ありがとう。そう、これは『活きる』為に必要な事、今の私には、これしか……、あ、ドライとオーディンは?」

 半ば暗い話を打ち切るように、二人のことを思い出す。此処に居ないとなると、彼等は何処に行ったのだろう。

 「ああ、オーディンなら、ドライさんに引きずられるようにして、酒場に行きましたよ。私も誘われましたけど、お酒はどうも苦手で……」

 と、頭を申し訳なさそうに、掻いてみせる。

 「ふぅん、あの二人が……」

 そのころ、ドライとオーディンは、その宿から一番近い酒場で、文字通り酒を飲んでいた。

 「やっぱ良いなぁ、街ってのは!!賑やかでよぉ」

 一人テンションを高めているドライだった。自らグラスに、酒を入れては、意図も容易く飲み干す。

 「何で私が、貴公に引きずり回されなければならんのだ?」

 こちらは上品に、一口一口味わいながら、グラスの中身を減らして行く。かなりいい迷惑だと、言わんばかりの口振りだ。

 「わっかんねぇかなぁ、酒場といや、これと……」

 グラスを持ち上げる。ドライ。

 「これだ……」

 今度は空いている手の小指を立てる。

 「ぎ!貴公にはレディ(ローズの事)が居るではないか!それを蔑ろにして!!……」

 オーディンが、カンカンになって、テーブルを叩いて立ち上がる。だがドライは、これを、彼の目の前に掌を尽きだして制止するだけだ。周囲はよくある喧嘩だとして、別に振り向こうともしない。雑音の中、オーディンだけが浮き出ている。

 「解ってらい、問題はオメェだよ」

 「問題?」

 ドライが女遊びをするのではない。それは理解できた。少し落ち着いて、席に腰をかける。

 「そうさ、貯まってんだろう?此処にはいい女居るぜ、オメェが声掛けりゃぁ……」

 まるで、悪代官の取引のように、オーディンに耳打ちをするドライ。サングラスから覗いた眼は、悪ガキのようにキラキラ輝いている。要するに、オーディンの女の世話をするために、彼を酒場に連れてきたと言いたいのだ。これを聞くと、オーディンは、ガチガチに激怒した。

 「失敬な!そんな不誠実なことが出来るか!!」

 またもや、テーブルを叩き立ち上がる。今度は出入り口に向かって、歩き出す。

 「おい、何処行くんだよ」

 「帰る!」

 と、言うと、さっさと出ていってしまう。

 「堅い奴……」

 せっかく誘ったのに、出ていってしまう。やはり根本的に気が合わないのだろうか?そう思い、またもやグラスを空にして、テーブルの上に置く。その刹那、テーブルが中央から、真っ二つに割れて、壊れてしまう。オーディンは、まじめに怒っていたようだ。

 「凄い力ねぇ、お兄さん、どう?今夜、その力で……、ウフ」

 と、目の前には、色っぽい娼婦が、椅子に座っている。

 「わりぃ、永久的に先約が居るんだ。また何時かな……」

 ドライは、娼婦の髪の毛を掻き上げながら、耳元でそうささやく。頬にかかった息がフンワリと気持ちが良く、うっとりとする娼婦。最期に頬にキスをして、カウンターの上に多額の金をおいて、彼もまたそこを後にする。結果的にはオーディンの後を追う形となる。

 「あん、堅いお人……」

 彼女はめげる様子もなく。早速次の客を捜し始める。

 問題は、ドライが宿に帰ってからだった。

 オーディンとシンプソンが、寝る前に紅茶を飲んで、くつろいでいるとき、彼等の隣の部屋から、痴話喧嘩が聞こえてくる。

 「女に匂いつけて帰ってきて!オーディンの話じゃ、女漁ってたって言うじゃない!!」

 「わ、誤解だ!俺は、奴に……」

 「問答無用!!浮気者!」

 その後、よくある陶芸品が割れたする音が聞こえてくる。誰のモノかは知らないが、二人の財布が傷むことには代わり無しだ。

 「どうしたんですか?ドライさん」

 「さぁな」

 非情なほど冷静に、紅茶を啜るオーディン。

 翌朝、彼等はホテルのレストランにて、と言うほど豪華な場所ではないが、いわゆる食堂で、テーブルを囲んで、食事をすることにする。ドライの顔が微妙に変形している。彼の周辺は、どんよりした雲が漂っていそうだ。横ではローズが黙々と、食事している。

 「おい、誰か比奴の誤解、解いてくれよ」

 「自業自得だ」

 オーディンの言葉は、すぐに返ってくる。

 「ローズ、彼は、そんなことをする人じゃないですよ。多分……、確かに見た目はいい加減に見えますが、真面目ですし……、誠実ですし……、あの……」

 懸命に言葉を選びながらドライをフォローしにかかるシンプソンだったが、言えば言うほど、フォローにならなくなる。

 「何処がどうで、比奴が誠実に見えるの?」

 実に無表情で、淡々としているローズだった。手元だけが、本能的に口元へと食事を運んでいる。暫く冷たい空気が流れる。

 「その、どの辺ですか?」

 これ以上どういって良いのか解らず困ったシンプソンは、思わず本人に直接助けを求めてしまう。

 「メガネ君、フォローになってないって」

 「済みません」

 何故シンプソンが、謝らなければならないのか、少し損な性分のような気がする。どうせ犬も食わない喧嘩だ。オーディンから見れば、そうにしか見えなかった。別段放っておいても、問題はない。オーディンは、一人食事を綺麗に済ませてしまう。ローズも食事を済ませる。

 「ごちそうさま!」

 ドライは、此処で最終手段に出た。少し目つきが鋭くなったように思えた。ポケットに手を突っ込み、立ち上がる。

 「解ったよ。そこまで言うんなら、仕方がねぇな」

 「ちょっと、二人とも、話し合えば解りますよ!」

 朝から何とも忙しい、シンプソンは疲れがまた舞い戻って来そうだった。立ち上がり、ローズに一歩近づいたドライを宥めるために、彼の胸を両手で押さえ、次の行動を押さえてみた。しかし簡単に退けられてしまう。

 「何よ」

 ローズは正面を向き、これに対抗する。ドライの手が、ポケットから出てくる。シンプソンの顔色も変わる。

 「これだけは、やりたくなかったぜ」

 「ドライさん落ち着いて!」

 シンプソンの制止など、ドライには全く役に立たない。

 「ローズ、顔貸せよ」

 「何よ!」

 ローズがドライの方に、顔をズイと近づける。ローズの雰囲気としては、殴れるモノなら殴れと、言ったようにも見える。ドライがローズの襟元を掴み、さらに自分の眼前にまで近づけた。シンプソン一人が、どぎまぎしている。その間もオーディンは、静かなモノだ。

 一見怒ったように見えるドライの眼だが、彼はそのまま何も言わない。それどころか、何を思ったのか、ローズの唇を奪ったのだ。襟元をつかんでいた手は、いつの間にか彼女の後頭部へと周り、髪の毛を幾度も掬っている。

 ドライが、唇を離した瞬間、眼をうっとりと細め、いかにも確信したかのように。喋り始める。

 「解ってんだろう?お前、態と意地悪してんだろ」

 「だって……」

 先ほどまでツンツンしていた様子とは、ガラリと変わり、今度は、何とも甘えた表情を見せるローズ。ドライに胸元に、指をモジモジと這わせる。特に、意味はないが。

 仲の戻った二人は、今度はイチャイチャとし始める。椅子に座るなり、ローズが、ドライの口元に、食べ物を運ぶ。

 「あーん」

 「よせよ、自分で食える」

 と言って、一旦、それを恥ずかしがりながら、軽く手で押しのけ、拒んで見せる。

 「ダメ」

 一寸むくれて、頬を膨らまし、全く凄みの感じない、睨みを利かせる。それからもう一度、ドライの口元へと、食べ物を運ぶ。などとやり取りをし、結局は、ドライはそれを食べてしまう。

 「やってられんな」

 あまりにもアツアツな二人に、オーディンは俯き、髪の毛を掻くように撫でる。眼を何処にやって良いのか、困った様子でもある。

 「あ、そうだ、オメェ等、昨日ポリスで入れた情報なんだけどよぉ」

 べたべたしている中、ドライが何かを思いだしたように、テーブルに肘を付き、身を前に乗り出す。すると、皆ドライの方に顔を寄せる。彼は、辺りを怪しくキョロキョロと、眼だけで確認し、ひそひそ話をし始める。

 「黒装束の話なんだけどよぉ、街の中央、彷徨ってるらしいぜ」

 「何故、もっと早く言わない!」

 小さめの声ながらも、オーディンは、叱る。と、言うより、意味としては、注意の方が、少し強かった。

 「へへへ、良いじゃん、一日くらいゆっくりさせろって」

 ドライは全く反省する様子はない。これは彼のペースだから、本人は常識と思っている。彼らの居る位地は、街の南の方だ。建物も低いし、街灯もない。地面も石畳などの舗装もない。街のゲートの付近だ。街の規模としては、人口1万人は遥かに越えるだろう。街の端から端まで行くのに、一日は楽にかかりそうだ。それほど大きな街なので、ゲートも数段構えだろう。中央となると、いわゆる貴族連中が、いる位地になる。

 当然此処に入るには、それ相応の身分でないと無理だ。それにもう一つ、彼等貴族が信仰する宗教は貴族の恩恵を受けている市民も、それ相応の影響を受けざるを得ない。

 黒の教団は、それが目的なのだろうか?市民に広く自分たちの思想を広めることだけが、目的ではないのは、今まで彼等に遭遇したことで、理解できる。

 少なくともノアーのように純粋な願いを利用されたケースもあるはずだ。今、解ることは、方向性は不明であるが、何らかの形による平等、それと、シルベスターの血を引く彼等を根絶やしにすることだ。

 今彼等には、世界をどうこうしようという目的はない。ただ、安らげる場所を、乱されぬため、黒の教団に、自分たちから、身を引かせることにある。

 彼等は、街の内側にある、さらに水壕の向こうに、数メートルはあると思われる石造りの塀を、一望できる位地にまで来ていた。塀の向こうからは、厳格な建物の上部が、ぼちぼちと見える。此処にたどり着くだけで、すでに昼を廻っている。食事をしたのが朝だから、三時間は歩いた。広い街だ。

 此処のゲートには、兵士が数人待ちかまえている。許可無しでは、入れそうにない。

 「弱りましたね、どうします?」

 厳重に警戒をしている門兵を眺めながら、シンプソンは、何とも困り果てた。額に手をかざしてみたり、背伸びをしてみたりと、より遠くを伺おうとしていた。

 「バーカ、あんな奴ら、俺様がなぎ倒してやるぜ」

 「貴公は、街全体を敵に回すつもりか?」

 この無謀な発想に、オーディンは、思わず人差し指をドライの眼前に突きつけ、渋い顔をしてしまう。

 「やっぱダメか」

 本人は真面目だったらしく。顎を撫でながら、他に名案はないモノかと、頻りに首を傾げて考えてみる。

 「ねぇ、兵士達がこっちをジロジロ見てるわよ」

 潜めた声のローズが、眼で兵士の方を見るよう二人に合図を送る。確かにこの立ち止まっている四人を、兵士達は怪しげに思っているようだ。最初はこちらが彼等を見ていたのだから、そう思われるのも当然だ。ドライの言う通り、軽く倒せる相手ではあるが、先ほど言ったように街全体を敵に回すことになりかねない。此処は一旦別な場所に、移ることにする。

 場所は移って、街にある酒場になる。テーブルを囲んでみるモノの、何もこれといって得策はない。それぞれ適当な飲み物を退屈しのぎに、チビチビ飲んでいる。

 その時彼らの近くを、軽い服装をした若者が通る。なりからして、時間をかなり持て余しているような連中みたいだ。

 「あ、良いなあれ……、ドライ、今度服買ってよ」

 「ああ、解った解った」

 「約束ね!」

 彼等が街に着くと、日常茶飯事あるかのようなそぶりで、二人は簡単に話をくくる。別に何の意味もないようだ。

 「呑気だな、レディも、ドライも……、今服のことなど……、ん?待てよ!!」

 オーディンは、何かを思いついたらしく、張りのある声で、興奮を隠しきれないようで、手鼓を打つ。彼は立ち上がると、皆を引き連れ、上等なブティックに連れて行く。趣も売っている服の内容も、ドライには全く無縁のモノばかりだ。中に入って一番喜んだのは、言うまでもなくローズだった。何のために此処へやってきたのか、目的も聞かず、華やかな貴族服に目を向けながら、触れる物全てを欲しそうにしている。そこで、オーディンの説明だが?

 「いいかい、皆、こう言っては何だが、とてもあの中に入ることの出来る服装ではないと言うことだ。むろん私も含めてだ。この服は、旅で汚れてしまっているし……、そこで!だ」

 「そこで?」

 合いの手を入れたのはドライだった。回りくどい説明を、退屈そうに、上から見下ろして聞いている。周囲からはサングラスで、その退屈そうな表情は伺えない。

 「ああ、つまり此処にある服で、皆をそれらしく仕立てる。あとは私が中へ入れるように何とかして見せよう」

 と、言うことで、皆の服装を整えることにした。オーディン、シンプソンは、ごく平凡に決める。特にシンプソンは、それほど体格も大きくないので、早めに決まる。だが、残り二人はなかなか決まる物ではなかった。ドライはサイズが少ないのも言うまでもないが、本人が着るのを嫌がったせいもある。この時はダダをこねる子供のようだった。ローズは、あれもこれもといって、なかなか決めかねているだけようだ。

 その内、ドライが出てくる。

 「ったく……、肩が凝るぜ……」

 だが、以外にもこれがよく似合っている。元々顔立ちも背筋もスタイルも良い方なので、そうなのだが、これほどよく似合うとは思ってもいなかった。ただ、こうなると、顔の傷とサングラスが邪魔だ。それと、ぼさぼさの髪の毛を、何とかしなければならない。

 「ほう……」

 これには、思わずオーディンが感心してしまう。

 「ドライさん、似合いますよ」

 「あったりめぇよぉ、でも、あまり大きな声で俺の名前呼ぶなよな」

 「済みません……」

 そもそもドライがサングラスをかけているのは、その世界に一人といわれる赤い瞳を隠すためだ。この瞳を見れば、知る者は、彼がドライだという事を理解する。

 それから問題のローズだった。

 「お・ま・た・せ」

 と、何だか意味有り気に、ゆっくりと試着室から姿を出す。普段は、スッピンの彼女だが、それなりに、ほんのり化粧をしている。ルージュの口紅が、彼女をより華やかに美しく引き立てた。彼女を見たドライ以外の人間は、何故か赤面をしてしまうほどだった。

 「ローズ、綺麗だぜ」

 「ふふ、誰を見ていってるの?それこそドライだって……」

 少し磨きの掛かった美男美女が、また二人の世界に、入ろうとしてしまう。側によって、互いの背中に腕を回しあったところだった。

 「う!ううん!!んん!」

 オーディンの小五月蠅い咳払いに、こういう事態でないことを思い出す二人。これは後のお預けだ。この後ドライの方は、総仕上げに入る。髪をとかし、サングラスは、賞金稼ぎななどの事情に疎い、中央に入ってから取ることにして、傷を多少の化粧で埋める。

 髪を梳かしたドライは、ますますオーディンに近くなる。違うところは、身長と、育ちの違いで悪党顔な所だ。

これに関しては、互いに不愉快そうに口を尖らせた。

 ローズの服装の都合上、剣はドライが二本とも持つことになる。彼女は、いつでも剣を抜けるよう、ドライの左側を歩く。

 今度の服装は、兵士達に怪しまれることもない。取りあえず見掛けだけは、立派だ。中央に入るには、壕に渡された立派な石橋を渡るしかない。そこにゲートが存在し、いわゆる貴族階級はその中で手厚い保護を受けているというわけだ。ゲートにまでたどり着くと、見知らぬ彼等を、失礼ながらも兵士達が、身分証明を求めてきた。

 オーディンが任せろと言っていたので、任せることにする。すると、彼は懐から、なにやら厳めしい紋章を出した。大きさは、掌くらいある。かなり古めかしい物であるのは間違いないようだ。それに、歴史を語るような、いろいろな絵が描かれている。

 それを見ると、兵士達は、その場を退き、ゲートを通してくれる。あまりにも簡単に行き過ぎるが、彼の持っていた紋章が、そのキーであることは間違いない。

 「オーディン、何ですか?それは」

 シンプソンは、一寸したマジックの種明かしを聞き出したい心境になって、これを訪ねてみる。すると、オーディンはもう一度それを取り出す。

 「これは、ヨハネスブルグ第一級貴族の証だ。まさかこの様なところで役に立つとは……」

 あまり過去の栄光には縋りたくはないが、それが役に立って、少しはほっとしていた。

 ゲートをくぐると、町並みは一変する。道の幅も変わり、贅沢なほど広い。建物も、個人が所有しているとは思えないほどの、屋敷が、厳重な鉄格子の向こうに見える。しかし、気ままに歩くと、そういう建物ばかりでもないようだ。豪華だが、寺院や酒場もある。無論彼等は酒場などとは呼ばないであろうが、ドライやローズから見ればそう見える。言うなれば会員制のクラブだろうか?こうなると、私腹を肥やす政治家も出てきそうだが、それは定かではない。

 通りを歩く人間を見ると、婦人はこの冬に日傘を差し、澄まして歩いている。

 「バッカじゃねぇのか?あの女、雨も降ってないのに、傘差してやがる」

 ドライにはこの豪華な雰囲気が、気に入らないらしく。軽蔑を感じるほど、尖った口調で小声で言う。

 「ふっ、あれは日傘だ。肌が焼けて、そばかすなんかが出来ないうよ注意しているんだ」

 オーディンも、この異常なまでの心遣いをおかしく感じ、笑いを入れながら、ドライにこれを説明する。

 男子は、ステッキを持ち歩き、使用せずに腕に掛け、アクセサリーにしている。

 「なんだよ、彼奴等、腰でも悪いのか?ステッキなんか持ちやがって、馬鹿の集まりか此処は」

 ドライがまたぼやく。

 「ククク……」

 オーディンは、ドライの言い分が良く解るらしく。失礼だと思いながら、こらえきれず、息を殺して笑っている。

 「なんだよ」

 「いや、悪い。あれは彼等のお洒落だ。気にするな」

 此処まで大きな街になると、ドライは中央に入ったことなどはなかった。無論、入る気にもならなかったが、今回は目的がある。そろそろ本格的に辺りを探るために、町の地理的な様子を確認する。通りの前方には、城が見える。此処はいわゆる城下町だ。

 黒の教団のアジトらしい場所は見つからない。

 「もしかして、先ほどあった寺院じゃないかしら?」

 ローズは来た道を振り返る。その時だ。黒い法衣で身を包んだ男が、こちらの方に向かってくる。脇に小箱を抱え、真剣な趣で、何か考えながら、歩いている。細長い顔の男で、髪はきちんと七三程度に分けている。何かを悩んでいるせいか、表情も暗めだ。彼の首から下がっているのは、十字架のようだが、それとは少し形態が異なり、斜め方向にもクロスがある。十字の交点に、さらに斜めの十字が走っているという形だ。向こうの方も、こちらに気が付く。

 「ノアーは、あのロザリオは、付けてはいませんでしたが?」

 「だが、あのようなのは見たことがない、間違いあるまい……」

 シンプソンとオーディンが、声を潜めながら、彼の特徴について、意見し合う。

 男は、だんだんと彼等に近づいてくる。その男は、オーディン達の前に来ると、足を止める。

 またもや、戦闘が始まるのか、それもこの様な市街地でである。瞬時にして、彼等は身構える。特にオーディンの反応は早かった。男は、小箱を彼等の目の前に差し出す。何かの道具なのであろうか、だが殺気がない。此処で斬るのはまずい。剣を抜く体制に入ったまま、束を握りしめた掌が熱くなる。

 その時男の口が開く。

 「あの、募金お願いします」

 警戒をしている彼等に、怯えながらも、飛び出した一言がそれだった。緊張の糸が切れ、その場にすっ転んでしまうオーディンだった。

 これで彼に戦意はないのは理解した。

 「ああ、解った」

 意外な展開に汗を拭きながら、思わず金貨数枚を箱に放り込む。

 「おお!なんと、今日は少しも集まらないと、思っていましたが、一度にこれほど!これも何かの縁です。是非とも教会にお越し下さい!」

 男は歓喜の声をあげ、オーディンの腕を強引に引き、見える教会とは、反対方向へと進む。人間的には悪い男ではなさそうだが、オーディンとは逆に、妙に馴れ馴れしいこの男にドライの方が警戒心を抱き始めた。

 教会に着く。建物の雰囲気としては、一般的だ。だが、やはりシンボルマークが一般とは違う。彼は扉を開け、礼拝堂の奥へ皆を導き、早速持てなしてくれた。暖炉に火が灯り、円卓に熱い紅茶の用意がされる。

 「済みません、私の名前は、バート、バート=グラハム、バートと呼んで下さい」

 「ああ、バート、私は、オーディン=ブライトン、右がシンプソン=セガレイさんでで、左がドライ=サヴァラスティアだ。で、ドライの横のレディがローズ=ヴェルヴェット、よろしく」

 オーディンが手を差し出すと、彼は快く握手をしてくれる。シンプソンも、ローズも握手をしたが、ドライだけは突っぱねた。全てが気に入らないと言った表情で、腕組みをし、見下げるように彼を睨み付ける。

 ドライの威圧的な赤い瞳が彼を粛々とさせる。

 「か、彼は人見知りが激しいんだ。気にしないで頂きたい」

 オーディンが取り繕って見せるが、ドライはさらに顔を横に背け、あらぬ方向を向いてしまう。フォローのしがいが全くなかった。

 「はぁ……」

 彼の方も、一応はそれで納得をしたようだが、やはりドライを警戒した。あまり肝の大きい方ではないようだ。

 今度は、シンプソンの方から、彼に話しかけてみる。

 「貴方一人ですか?」

 「ええ……、でも在家信者が何人か……」

 「変わったロザリオですが、何処の信者でしょうか」

 「恥ずかしいですねぇ、そう聞かれると……、異端なんですよ」

 彼は、自分に自信がないのか、照れ臭そうに、頭の後ろに手をやりながら、答え難そうにしていた。シンプソンは彼が話しやすくするために、気を使い。一応自分の信仰している宗教をあげてみた。

 「ふうん、私は、ネオクライストなんですけどね」

 「そうですか!『羨ましい』ですね、どうも異端は、認められにくくって、今日も、皆に教えを聞いて貰おうと、広場で頑張ってみたのですが、聞いてもらえませんでしたね、で、何か活動は?」

 「ええ、恥ずかしながら孤児院を」

 互いに似たような性格なのだろうか、話し出すと、息があったように、楽しそうに話をしを続ける。

 「孤児院をですか!お金を持っていても、心を失わない人もいるんですね!すばらしい人だ!」

 今度は、シンプソンの両手を握りしめ、尊敬の眼差しで、目をきらきらと輝かせ、感動している。だが、お金はあるとはいえ、シンプソン個人で所有しているお金は、皆無である。シンプソンは、少し苦笑いをしながら、この礼を受け取る。それから話を少し前に戻した。

 「ありがとうございます。で、何処の宗教ですか?」

 これを聞くと彼はやはり照れ臭そうに、口を少し開け声を漏らす。

 「え?」

 だが、シンプソンが、先に自分の宗教を明かしているからには、自分も名乗らなければならない。彼は小声で言った。だが、それだけで隠しているわけではなさそうだ。何かためらいが感じられる。

 「黒の教団、という、ホントに異端なんです。ご存じ無いでしょう?」

 彼は様子を豹変させることなく、本当に申し訳なさそうに、それぞれの顔を確かめながら、恥ずかしそうにしている。

 一瞬剣を抜きかけたオーディン、ドライ、ローズだったが、彼から殺気が全く感じれない事から、彼等を此処に誘いだしたのではないものだとし、寄付金を本当に感謝して、此処に招いたのだと考えた。

 顔を背けていたドライは、オーディンの方を向く。オーディンもドライの方に視線を送る。その様子を見て、バートは、困り果た様子を見せる。

 「やはりご存じ無いですよね、でも、基本原理は平等なんです。生きとし生ける者への平等、それはすばらしい理念です。人間だけの平等ではないんですよ」

 と、自分の奉仕活動を、誇りに思って、声を張り上げ、説得にも思える口調で、興奮気味に口を動かす。

 「俺、一寸外で良い空気吸うわ……、暖炉で空気が乾いてやがる」

 ドライは何気ない様子で、立ち上がり、レッドスナイパーをその場に残す。

 「私も付き合おう。済まぬが席を外させて貰う」

 と、オーディンもドライに調子を合わせ、少し遅れて立ち上がる。

 「ええ、どうぞ、外は冷えますから気を付けて下さい」

 バートは、やはり普通だ。見た目はこちらに違和感を覚えている様子もない。

 「ああ……」

 オーディンは、そう言葉を返すと、ドライと共に、教会の外に出る。外の空気を吸うのを口実に、二人は暫くその周辺を、廻ることにした。

 「奴だけだと思うか?」

 ドライが突然、この様なことを言い出した。

 「解らぬ、だが少なくとも、彼は私たちを攻撃してくる様子はない。結果的にはノアーも、そうなった。解らないな」

 二人は、不快だった。当然中に残っているローズとシンプソンも、同じように思ってはいるだろう。守ることに関しては、シンプソンの方が、彼等より一枚上手だ。万が一があっても心配はない。だから、外に出ることが出来るのだが、問題は此処からだ。

 「ドライ、貴公の話では、黒の教団が中央にいると言っていたが、彼だけなら、それほど、街としての問題にはならないのではないのか?」

 「それは甘いぜ、誰でも異端は嫌うんだよ。見ろ、さっきから周りの連中、俺の目ばっかり見てやがる」

 少し見せ物になっていることに、苛立ちを覚えているドライだった。確かにドライの目は不思議だ。本当に変異なのだろうか、それともシルベスターに、関係しているのかもしれない。オーディンは、何となくそう考えながら、さらに、他のことを考え始める。

 ドライの口振りからも、本当の平等は、此処にはないことをオーディンも知る。そもそも人間の階級自体が、平等ではない。ノアーやバートの言っている真の平等を、考えたくなってしまう。

 「彼がもし、私たちがシルベスターの子孫だという事を知ったら、どう思う?」

 「あん?何だよオメェ、まだそんな眉唾な話信じてんのか?お伽話は、ガキで卒業だぜ、でもよ、ひょっとしたら……、いや、何でもねぇ……」

 ドライは、シルベスターのことについては、全くと言っていいほど、無関心である。それ以上に、何だか逃避的だ。しかし最後は意味ありげだ。オーディンがこれ以上この事に触れても、ドライの態度は変わることはない。ドライは、オーディンをあざ笑うように、「シルベスター」を突っぱねる。

 しかしドライがこの事に逃避的なのには、理由がある。それはマリーの死だ。今現在、彼女が死に至った理由はそれしかない、それがいやだったのだ。自由な彼は、自由でいたい。運命などに縛られたくはない。無意識にその心が働き、彼の逃避となっている。笑った後のドライは、どことなくしっくりいかないようだった。

 「この事を、バートに言ってみるが、意義はないか?」

 「好きにしな」

 ドライに意見を求めたのは、単純な理由だった。シンプソンは、オーディンに協力的だし、ローズは、ドライに同調的だ。少々の疑問はあっても、ドライを知っている女なので、最後には肩を貸す。結局オーディンかドライかで、問題は決着してしまう。両方ともそれは理解していた。

 ドライが即折れた理由も簡単だ。彼にとってシルベスターのことなど、どうでもよかった。それだけだった。もし戦いが起きれば、それはそれでよい、戦いを楽しむだけだ。街などどうでも良いのだ。右に転ぶか左に転ぶか、運を天に任せるのみだ。彼はそういうつもりだった。

 二人が教会に戻ると、少し帰りの遅かった彼等を、待ち遠しそうに、声をあげるシンプソン。

 「漸く返ってきましたね、こんな敵地で彷徨くのは、あまり良くないですよ」

 彼は、注意をしたように見えたが、表情は、心細さで一杯だ。虚勢を張っているのが解る。

 「済まない、済まない」

 と、シンプソンを宥めながら、元の席へと座る。バートの様子は変わらない。ニコニコとしている。二人の行動に疑問を持っている様子もない。そうなると、彼の態度が逆の怪しく思える。人間の心理だろうか?

 「君は、白と黒の魔導師の伝説を知っているか?」

 突然オーディンが、話し始める。勿論相手は、バートである。彼は話し始めると同時に、半身に構え、いつでも攻撃を回避できる体制を取った。

 バートは眼を瞬間、パチパチとさせる。オーディンの質問が、唐突すぎたせいだろうか?

 「白と黒……、では、当然黒の教団のことも、ご存じなんですね、そうですか、それ出先ほど驚かれたのですね、ですが、あの伝説は間違っているんです……」

 当然その真実は彼等も知っている。クロノアールが一方的な悪ではない。バートはそれを逐一説明しだした。やはり彼も、「真の平等」を求めているのだろう。それを語る彼の目は熱い。

 「では、我々が、シルベスターの血を引いていることは?」

 オーディンが、確信に入る。バートの身体が、一瞬硬直を見せ、眼の色も変わる。驚いたのは、何の準備もできていないローズとシンプソンだ。慌てて、椅子から立ち上がり、ローズは、側に置いてあるレッドスナイパーを抜き、素早く構える。

 バートは、先ほどの熱い演説を語った男とは別人のように、周囲の空気を重くさせ、淋しげな様子で立ち上がる。

 「そうですか、やはり……、いつか来るとは思ってましたが……。皆さん、場所を変えましょう」

 彼は、此処で戦闘を起こすつもりは無いらしい。立ち上がると、皆の同意を求める様子もなく。先に部屋を出ていってしまう。

 その後を、ドライは、背負っている剣に手をかけ、歩いて行く。

 「バトルがあるかもな」

 などと、悠長な台詞を吐いて笑っている。オーディンも、何の迷いもなく足を運ぶ。

 バートについて行くと、彼は廊下の一番奥の扉に、鍵をさし、戸を開けると、皆が着いてくるのを確認しながら、奥へと進む。扉の奥は、螺旋階段になっていて、十数秒ほどの地下で、広い場所に到達した。何かの部屋になっているようだ。彼はライトの魔法で、周囲を明るくする。

 「これは!!」

 「何なんだよ比奴は……」

 「生きているの?」

 「なんと言うことを」

 オーディンを始め、皆魔法に照らされた物をみて、信じられない様子で、声をあげる。

 彼等の見たもは、溶けることのない氷柱に、法衣を纏った一人の少女が、完全な状態で保存された物だった。静かに目をつぶり、動く様子は全くない。少女の年齢は一六歳くらいで、髪は薄い緑色で、氷漬けのせいか、非情に神秘的だった。見ていると、吸い込まれそうになる。

 「彼女は、シルベスターの血を引く者だそうです。大司教様が仰っていました。そして私は、クロノアールの血を引いているそうです。大司教様の話では、我々は、互いの血族に惹かれあって、出会う宿命なのだそうです。そして、敵対する血を持つ者同士でさえ……、ですが、両者は、戦う運命にあり、理想を築くためには、シルベスターの血を引く者を、根絶やしするしかない、と、抹殺を命ぜられました」

 ドライが剣を抜く。だが、バートには、相変わらず殺気というものがない。攻撃を仕掛ける気にはならなかった。それを見たバートは、自分が戦意がないことを示すため、両腕をあげる。

 「安心して下さい。私には出来ません。彼女も、大司教様が、此処に持ち込んだ物です。今考えれば、あなた達を、此処に引き寄せる為の物だったのかもしれませんね。私には、大司教様の考が、理解できなくなっていました。クロノアール様はどうお考えになっているのか……」

 バートは、道に迷った子供のように、ただ、その場に立ちすくんでいた。

 「では、君には戦意はないのだな」

 「はい、彼女も、出来ることなら、此処から助け出して差し上げたい」

 氷付けになった少女を見上げながら、まるで自分の犯した罪のように、後悔している。

 「吃驚したわ、正直言って、心の準備が出来てなかったのよねぇ」

 だが、ローズの何とも安堵した声で、その場は瞬間に、皆が笑い出す。彼女の声は、互いが敵でないことを理解することの証だった。

 ドライも剣に掛けた手を離した。その刹那だった。女の声がする。

 「血迷ったかバート!」

 その声は、氷付けの少女の、対面から聞こえた。振り返ると、そこには、顔に刀傷を負った大司教が立っていた。ローズ達を見ると、その傷を恨めしそうに一撫でし、バートの方を指さす。

 「シルベスターは、我が敵ぞ!自分の使命に目覚めよ!」

 「ああ!!ああ!」

 大司教に指さされた直後、バートは頭を抱え跪いてしまう。

 「いやだ!私は、誰も傷つけたくは!……」

 彼はその言葉を最後に静まり返ってしまう。その姿を見た大司教は、ニヤリと笑い、姿を眩ませる。

 「あ!待ちやがれ!!このアマァ!!」

 ドライが慌てて捕まえようとしたが、彼女の残像も直ぐに消えてしまう。彼は消えた者への執着するのは止め、直ぐにバートの方に振り向く。彼はまだ蹲って唸っている。

 「うう……」

 「バートさん、しっかりして下さい!!」

 シンプソンが、彼の肩を揺さぶりる。だが、反応は一本調子で、眼を白黒させ、唸るだけだった。

 「シンプソン!彼から離れるんだ!!」

 この時オーディンは、バートから、唯ならぬ殺気を感じた。言葉と同時にシンプソンの肩を捕まえ、自分の方に引き寄せる。それとほぼ同時だっただろうか、バートの身体から、異常なまでの魔力が吹きだし、周囲に風を巻き起こす。もしこの魔力を浴びていたら、今頃シンプソンは、大怪我をしていただろう。

 バートは顔を上げる。その顔は、聖人を思わせた彼の趣とは全く別人で、正反対に悪魔に魂を売り渡してしまったかのよう顔だった。

 「うう!!闇を統べる者出でよ!!デニモニック!!」

 彼は狂ったように声を吐き出し、呪文を唱え、両腕を天に突き上げる。すると、彼の周りに数個の魔法陣が、地に浮かび上がり、その中央から禍禍しい生き物達が現れた。人はこの生物を見ると、確実にこう呼ぶであろう。「悪魔」と。

 悪魔達は、召還されると、すぐさま彼等に攻撃し掛けてきた。口から凄まじい熱量を誇る光線を発してくる。

 「ウリャァァ!!」

 ドライはすかさず前に出て、これを剣で受け止める。そして上の方に強引に跳ね返すのだった。気合い一発で簡単に跳ね返すことが出来たので、彼は得意な顔をして、鼻の下を指でこする。そして、ニヤリと笑う。だが、その瞬間、上の方から、大量の瓦礫が降ってくる。

 「ゲゲ!!」

 慌ててこれをかわすが、煉瓦が一つ彼の頭の上に落ちる。その時に、ゴン!という、いかにも痛そうな音がした。

 「イデェー」

 戦闘中だというのに、緊迫感もなく、ウンコ座りで、後頭部を抱え、震えている。

 「ドライ!何を巫山戯ているんだ!奴らを倒さないと、街全体が滅んでしまう!」

 「うるせぇ!別に巫山戯ちゃいねぇ!!ローズ!天井が邪魔だ!吹き飛ばしちまえ!!」

 彼は、八つ当たり気味に、天井を指さし、彼女のに命令をする。あまりにも命令口調だったので、ローズは瞬間ムッとした顔をするが、どのみち、このままでは、広範囲な戦闘も、上空からの魔法攻撃もできない。

 ローズは、剣を床に突き刺し、拳を作り、スタンスを肩幅に取り、右前に構え、拳闘の構えを見せる。彼女の右手が、真っ赤に光る。

 「解ったわよ。ったく……、クレイジーバースト!!!」

 そして、大地を擦るように、下から鋭いアッパーを繰り出す。その瞬間、天井が凄まじい轟音と共に吹き飛ぶ。瓦礫も振ってこないほど、鮮やかに上の建物が吹き飛んだ。

 だが、そのわずかな間にも、悪魔達は、魔法陣の中から、続々と出現する。

 「ええい!これではきりがない」

 オーディンは、敵の攻撃を防ぐので、手一杯と言った感じだ。彼は周囲の状況を考え、なかなか簡単に、攻撃を仕掛けることが出来ないのである。

 「安心して下さい!今から、封印の呪文を唱えます!それで、悪魔達は消えるはず!!」

 シンプソンは、掌を、前方に尽きだし、時計回りに、一回転させる。

 「ラ・パロト・デル・リカオ・邪なる者を滅せよ!!」

 彼の掌から、眩い光が放たれ、悪魔達は藻掻きながら、魔法陣と共に姿を消してしまう。だが、これだけで済むはずがない。悪魔達を消し飛ばされたバートは、とたんに獣のような声を上げる。

 「がううう!!」

 その目つきは、彼の意志ではなく、明らかに誰からかの干渉を受けたモノである。瞳に輝きが無く、焦点もない。

 「おいって!メガネ君、悪魔殺ったって、元絶たなきゃダメじゃねぇか!」

 ドライが漸く立ち上がり、バートを斬りにかかる。だが、それをオーディンが口で止める。

 「よせ、ドライ!彼には、何の罪もないんだぞ!」

 その言葉にドライは、一瞬の躊躇をする。剣を振り下ろす瞬間だ。その一瞬のうちに、バートは大気の刃を作り、それがドライに襲いかかった。彼はこれをかわす。服はかすったが、幸いに身体には傷一つ付かなかった。彼が身を引く数秒の内も、刃は襲ってくるが、これは全て剣で跳ね返すことが出来た。跳ね返った大気の刃は、バートの頬をかすめ、少女の入っている氷柱に当たる。しかし氷柱にも傷は付かなかった。魔法でコーティングされているようだ。

 「オーディン!てめぇ俺を殺す気か!」

 ドライはオーディンと、シンプソン、ローズの固まっている位地にまで戻る。

 「済まぬ、しかし彼は殺したくない、解るだろう?」

 「アホか!テメェは!!隙が無くなっちまったじゃねぇか!!」

 ドライの言葉は的中した。バートから放たれる大気の刃は、溜を必要としないのか、連続的に彼等を襲う。ドライも防御に徹することになってしまう。二人の後ろには、ローズとシンプソンが居る。彼等を守るためにも、二人は動けなくなってしまった。

 「クリスタルウォール!!」

 シンプソンは、今頃のように、この事態を把握し、両手を全面に突き出し、呪文を唱える。ドライ、オーディンの前に、ガラスのような結晶状の固まりの板が出現する。これで前方の防御は完全だ。それと同時に、この位地からの直接攻撃も不可能となってしまう。二人は構えを解き、少しリラックスする。

 「でもよぉ、このままじゃ、また悪魔とか出して来るんじゃねぇのか?」

 「しかし……」

 オーディンが言いたいことは、皆理解していた。彼には何の罪もないのだ。だからといってこのまま指をくわえている訳にもいかない。

 その時だ。周囲の風景が、歪みはじめ、壁であった四面が、湿地帯の風景になる。上に見えていた町並みも、唯の突き抜けた青空になってしまう。それどころか遠くを見ると、樹木さえ確認できる。ただし足下から一定距離、地下室の床面積と思われる部分は、元あった石畳の床だ。大司教の魔力なのか?バートは唸っているだけで、何か呪文を仕掛けてきた様子もない。

 「今度は一体何?」とローズ。

 オーディンは、この摩訶不思議な現象に着いて行けない様子で、少し冷や汗を流す。

 「おそらく、限定空間における置換でしょう。この世界はおそらく現実です。皆さん気を付けて!」

 最もらしく言い放ったシンプソンだったが、こんな状況に出くわしたのは、皆生まれて初めてだ。言葉だけでは理解できない。だが一人だけ彼の言っていることを理解した男がいた。

 「なるほど」

 それはドライだった。

 「ドライ!貴公は解るのか!」

 「まさか?!ドライが?」

 これを疑ったのは、オーディンとローズだった。知的さの似合わない男が、真っ先に理解したのだ。当然と言えば、当然である。

 「ウルセェぞ!要するにだ!俺等のいた場所は、そっくりそのまま、どこかに移されたって訳だ。それが証拠に、ほれ見ろ!あそこ」

 ドライが2、3メートル離れた地面を指さす。そこには大型のトカゲの亜人種、つまりリザードマンが、沼の中から顔を覗かせている。そして、ドライ達を見つけると、獲物を捕る野獣のめつきに変わり、こちらの方にやってきたのである。それが一匹どころではない、いつの間にか四方を、ぐるりと囲まれている。

 「と言うことは、此処は?まさか……」

 「おうよ!いわゆる。超獣界って奴、クス……」

 オーディンは、環境の激変で唾を飲むが、ドライは、眼の色を変え、口元で一度笑って見せた。

 「皆さん!此処からの脱出を試みてみます!ですから、石畳より外へ出ないで下さい!」

 シンプソンは、イヤに気合いが入っている。怖じ気付いた気配はなさそうだ。

 「ねぇドライ!背中のファスナーおろしてよ!」

 シンプソンが意気込んでいる後ろで、ローズが、着なれない服を、賢明に脱ごうとして、一人あたふたしている。

 「ん?何だよ。こんな時に身体が夜泣きか?」

 彼もこの様なときに、ローズの首もとに抱きつき、首筋辺りを、唇で撫でる。

 「馬鹿!トンチキ!そうじゃなくて、動きづらいのよ!」

 横から覗いているドライの耳を、遠慮なく引っ張る。

 「イテテ!……んだよ。そんなことか」

 何故かドライは残念そうに、彼女の言うがまま、背中のファスナーをおろす。

 「って、まさかローズ、貴方その下は!」

 シンプソンが、横から口を挟む間に、彼女はさっさと服を脱ぎ捨ててしまう。そこから出てきたのは、下着姿のローズだ。剣を勇ましく振り回し、準備運動をしてみせる。

 「いっくわよぉ!!、サウザンドレイ!!……あれ?」

 ローズは呪文を唱えたのだが、状況に少しの変化もなかった。

 「ローズ!此処は超獣界だ!空間の安定条件上、古代魔法にはロックがかかる!オメェの得意分野は、全部無効だ!」

 この疑問に、ドライはあっさりと答えを返す。最近の彼は、頭の調子もいいようだ。だがそれだけではなかった。先ほどと言い、旅立つときの彼と言い、明らかに何かが違うのだ。

 「え?そうなんだ!!」

 と、言いつつも、彼女は襲ってくるリザードマンと、剣のみで戦う。相手が人間ではないだけに、一撃に入れる必要な力や、向こう側の反射速度も違う。気を抜いて戦う事が出来ない。

 「ええい!それにしてもおびただしい数だ!武器も所持している!しかし何故バートは襲われんのだ!」

 オーディンは、自分の技を百パーセント、使い切ることが出来る。だが数が多い。一撃一撃に奥義を使っていては、ばててしまう。だから、剣に付与する魔力も、一つ一つの動作も、パッとしない。しかしほぼ一撃で相手を斬り殺している。

 「それは簡単です!大司教にバートが操られているとすれば、彼を中継して、リザードマンも、操る事も可能!そういうことです!」

 シンプソンは、どうもローズの下着姿が、眼にちらついて、呪文に集中できないようである。顔を真っ赤にしながら解説を入れる。

 ドライは、持ち前の強力ごうりきで、リザードマンの攻撃を強引にねじ伏せると同時に、そのまま叩き殺してしまう。どれもこれも、一刀両断である。見ていると、人間の戦いではないようだ。野獣が野獣を喰らうと言った光景にも見える。それほど凄まじいモノがあった。

 「イー・リー・ハン・トゥ・ティア・バサラ・ディムターナ!!」

 シンプソンが呪文を完成する。しかし、周囲に変化はない。シンプソンの周りには、静まり返った空気しかない。

 「ダメです!大司教の魔力の干渉が大きすぎてで、移動できません!!」

 「てことは!あれだな!方法はやっぱひとっつだな!!」

 ドライは、そういうと、目標をバート一人に絞る。それに気が付いたリザードマン達は、ドライの前に、立ちはだかる。だがかまわずそれに突っ込んで行く。立ちはだかるモノは、全て殺すのみ、である。

 「止すんだ!ドライ!彼には、何の罪もないんだぞ!!」

 「ウルセェ!!」

 彼はオーディンの制止を全く聞こうとはしなかった。獣ののように、返り血を浴びながら、一気にバートへと突進する。そしてその瞬間だった。ドライの腕に、生きている人間の肉を貫く感触が伝わる。剛刀ブラッドシャウトの先端が、彼の腹部を貫いた。先端と言ってもかなりの太さの両刃刀だ、傷は深い。確実に彼を貫き、剣を引いた瞬間、ドライの衣服に、バートの血が飛び散る。

 「あ……、私」

 血みどろになったドライの顔を見ながら、バートが一言漏らす。蚊の泣くような小さな声だった。眼に普段の彼の輝きが戻る。貫かれたショックで自我を取り戻したのだろう。彼は力無く跪き、反射的に口元を押さえ、多量の血を吐き出す。それを見た彼は、未だ何が起こったのかは、理解していない様子だ。

 「メガネ君!今だぜ!!!」

 「解りました!イー・リー・ハン・トゥ・ティア・バサラ・ディムターナ!!」

 再び空間が激しく歪み、辺りの湿地帯が消え、今度は草原となった。様子を見ると、少し向こうに見た町並みがある。間違いなくリコの街だ。転移の場所がかなりずれたらしい。それほどこの呪文は正確な位地に、移動できないと言うことだ。

 「許せよな、これしかなかったんだ」

 ドライが、バートの身体を支えながら、口先だけの謝罪をする。

 「私、操られて……いたん……ですね」

 バートは、漸く自分がどういう状況に置かれていたのか、気が付いたらしく。息を乱しながら、彼を囲む人間の顔を伺う。一番良く目に入ったのは、上から覗き込むドライの顔だった。

 「ああ、一応、急所は外しておいたぜ、メガネ君、頼むわ」

 「わ、解りました」

 あの状況に置いて、まさか彼が急所を外しているとは思ってもみなかった。それに気が付くと、シンプソンは、早速治療に当たる。その時だった。

 バートは、何を感じたのか、シンプソンをはね除け、蹌踉けながら、立ち上がり、皆を庇うようにして、見えない何かに、立ちふさがった。

 「みんな伏せて!」

 その刹那だった。ドン!と言う轟音と共に、辺りが真っ白になる。皆、反射的に耳を塞ぐ。暫く耳がキーンと、後を立てる。暫く轟音がやむと、そこには、集中的に焼けた草原と、目の前には、手の施しようもないほど、傷ついたバートが、先ほどと同じように、彼等の前に立っていた。彼は再度力無くその場に座り込む。

 「大司教が……、狙っていました。あなた達を……」

 と、ニコリと笑い。ドライの顔を見る。

 「馬鹿か!あんくらいなら、俺のブラッドシャウトで、跳ね返せたんだぜ!」

 ドライは、バートの言葉に、いきがり、強がっては見たモノの、あのタイミングではまず間に合わなかったことは解っていた。だが、無惨な姿になった彼を見ると、強がらずには、いられなかった。

 バートは、残りの時間を惜しむように、乱れる息を賢明に整えようとしながら、再び話し始める。

 「皆さんの御武運を祈ります。それから、氷漬けの少女を……どうか……お救い下さい。シンプソンさんの魔法で、可能な……はず……です」

 彼は、最後にもう一度ニコリと笑い、首をガクリと項垂れる。それを見届けたドライが、バートの遺体をそこに寝かせる。と、いつもとは少し違ったやるせない様子で、膝を重くして、立ち上がる。

 「ちっ!せっかく急所外してやったのに……、お節介野郎が」

 声は静かだった。だが、苛立ちが目立っていた。この言葉は、命の恩人に対して、侮蔑に値するモノだったが、誰もそれを責める気には、なれなかった。ドライはそれっきり、皆に背を向け、口をきかなくなってしまった。オーディンが肩に手を掛けると、無造作にそれを払いのけた。

 バートの死体は、静かなその草原に埋められた。シンプソンが、弔いの祈りを捧げ終わる頃には、もう日が暮れようとしていた。雲行きが早い。次第に空も雲が重なり、雨が降り出してきた。その空は、やり切れない様子と思うように表現できないドライの心中を表すようだった。彼は思った。マリーが死んだと知ったときも、この様な心境だったと。いや、これよりもっと心に衝撃が走ったように思う。それが悲しみだったという感情だろう。今はそれが解る。

 マリーが死んだ。心に収まりが付かなかった。それが何故だか解らなかった。やがてローズと出会い、それが満たされる。しかし彼は、それでも心に空白を感じていた。それが今解る。

 ドライが、漸く口を開く。

 「ローズ、風邪ひくぜ」

 何気なくボソリと言ったドライの台詞だった。彼は、そのまま、街の方に向かい、歩いて行く。冬の雨が徐々に、身体に痛さを覚えさせて行く。だが、その雨は同時に、ドライの蟠りを洗い流して行く。

 「あ、うん」

 ローズは服装を整え、ドライの後をついて行く。

 オーディンとシンプソンは、氷漬けの少女を、氷の中から救出し、二人の後を追うように、街にある宿屋へと戻る。

 結局、バートが街の中央にいたのは、彼の目指す平等を、本当に街の中心から広げたかったためだろう。彼は純粋に平和を願っていたに違いない。

 陽は暮れ、彼等は、安宿に戻っていた。

 「ああ、雨うっとうしいなぁ」

 ドライは窓の側に椅子を置き、椅子を逆にまたぎ、椅子の背凭れに頬杖を付き、片手にバーボンのビンを持ち、怠そうに、外を眺める。最も、周囲は暗く、景色など、ろくに見えない。ただ、雨の音がザーザーと、激しく聞こえる。ドライの様子からは、先ほどの出来事を引きずっているようには見えない。そこは彼らしいところだ。そこで、酒を喉に流し込む。

 「一杯、もらえぬか?」

 側にいたオーディンも、雨を怠く思いながら、ドライの方に空のグラスを向ける。それを見ると、彼は椅子ごと、オーディンの方を向き、眼分量でグラスの中程まで、酒をつぐ。氷が、ピキピキと音を立てる。彼は一口、口を付けた。それから、仮面の手入れを始める。

 そこに、シャワーを浴びていた、シンプソンが、出てくる。癖毛な頭を、タオルでバサバサと、適当に拭いている。

 「雨、やみませんね、はぁ」

 この様な気分の時に、ますます雨で気が萎えてしまう。それを嫌って、大きくため息をつく。

 「どうだい?メガネ君も、一杯」

 と、ドライは、ビンをシンプソンの前に、突き出した。オーディンの向いているテーブルには、都合良く。グラスがもう一つ余っている。あいにく氷は入っていない。

 「ええ、頂きます」

 彼は、テーブルの上のグラスを取り、ドライの前に、遠慮気味に、差し出す。すると、意味ありげにニヤニヤしたドライが、グラスの縁ぎりぎりまで、酒をつぐ。

 「ととと……」

 今にもこぼれそうな、酒を眺めながら、眼を中央に寄せ、両手で丁寧にそれを支え、テーブルの上に置き直す。それを見ると、ドライは、もう一度ビンの口をくわえ、豪快に飲み、口を拭く。

 「ぷはぁ……」

 それから、シンプソンの方を向いて、ビンを突き出し、ニッと笑う。特に意味はない。唯の乾杯の意味だ。何に乾杯なのかは解らない。

 「はぁ……」

 ドライの飲みっぷりに見せられてか、シンプソンも思いきって、グラスの中身を飲み干す。すると同時に、彼の顔は、酒の火照りで真っ赤に逆上せてしまう。

 「ふう……、頭がクラクラしますね」

 と、飲み慣れない様子に、二人はおかしくなってしまう。

 「ハハハ、何も、一気に飲むことは無かろう」

 「はは!いい飲みっぷりだったぜ!!」

 シンプソンは、酒の酔いで、そのまま放心状態になってしまう。だが、笑いもほんの一時で、部屋の中に伝わる雨の音で、気分が直ぐに萎えてしまうのだ。ドライは笑いに冷めてしまうと、再び窓の外を眺め始める。と、彼等が再び沈黙に戻ろうとしたときだった。ローズが部屋の中に戻ってくる。

 「ねぇ!あの子起きたわよ!」

 そう、ローズがこの部屋のいなかったのは、あの氷漬けの少女様子を見ていたのでだ。

 「本当ですか?とっとと……」

 シンプソンは、不安定に頭をぐらつかせながら、壁に頭をぶつけそうになりながら、隣の部屋の少女の様子を見に行く。

 「それでは私も見にに行くかな」

 オーディンも、シンプソンの後を追うように、すくりと立ち上がり、部屋を出て行く。しかしドライはあいも変わらす窓の外を眺めたままで、そこを動こうとはしない。

 「あれ?ドライは、いかないの?」

 「だって関係ねぇもん、ロリコンでもねぇし……」

 「もう、相変わらず無関心ねぇ、ほら、立った立った!!」

 強引に彼の腕を引っ張り、立ち上がらせ、引きずるようにして、彼女の所に連れて行く。

 「……んだよ!良いって!」

 「良いから、来なさい」

 「イデデ!!」

 挙げ句の果てには、耳を引っ張られ、連れ出される始末だ。

 少女の様子を見に、隣の部屋に駆け込んだオーディンとシンプソンだったが、ベッドの上の彼女は二人を見て、酷くおびえていた。身体を丸め、毛布に身を包んで、毛布の端から眼から上だけを出して、彼等を観察している。こう警戒されては、近づく気になれない。緑色の瞳が、恐怖に震えていた。オーディンの顔の傷が、妙な威圧感を、彼女に与えた。

 ベッドから少し離れた位地で、見守るしかない。

 「安心して、私たちは怪しい者じゃない」

 と、オーディンが、説得に当たって見るが、彼女の警戒は、一向に解かれる気配はない。

 「うワラヒラヒハ、あやひい、モノリャ、アリマヘンろ……」

 酔っているので、何を言っているか全く解らない口調で、身体を蹌踉けさせながら、それでも彼なりに、彼女の警戒を解こうとしているが、今の彼に聖人の欠片も見られない。単なる酔っぱらいと化している。彼女は、それを見て余計に警戒してしまった。

 「あぁ、シンプソン、君は少し座って、酔いを醒まして……」

 「すひません、オーリン」

 彼女をどうするかより、先にシンプソンの方を、どうにかしなければならないようだ。テーブルの側の椅子に、シンプソンを座らせた。こう言うとき一番頼りになりそうな男がこれでは、どうしようもない。オーディンが困り果てたその時だった。隣の部屋から、こちらへと声を大きくしながら、ドライとローズの二人がやってくる。

 「いいって言ってんだろうが、イテテ!!」

 「ほらこっち!、あれ?オーディンどうしたの?」

 ドライの耳を引っ張りながら、ローズがドアの向こうから、オーディンに声を掛ける。この時点では、少女からドライの姿が見えない。それだけにその騒がしさに、より一層警戒心を強くする。瞳を恐怖に、クルクルと色を変える。

 「彼女は、どうも我々を警戒しているらしくて……」

 「そう、やっぱり」

 ローズはこの問いに、眉を八の字に口をへの字にして、困った顔をする。それでもドライの耳を引っ張る手はゆるまない。

 「取りあえず。彼何とかしてよ」

 すっかり、へべれけになってしまったシンプソンを指さし、さらに苦虫をかみ砕いたような顔をするローズだった。ローズもシンプソンに期待をしていたらしいのだが、この様では、役に立ちそうにはない。シンプソンの頭は、すでに前のめりになり始めている。

 兎に角、このままでは埒が開かない。ドライを引っ張ったまま、彼女の側にまでより、そこで漸く、ドライから手を離し、彼女を包むようにして、抱きしめてやる。そこには、彼女自身の、身よりのない者への、共感があった。

 「安心して……」

 「あ、ああ……」

 声にはなっていないが、少女のその声は、感情の表れがあった。

 「喋ったわ!」

 そこには、彼女が、ローズの好意に対する反応のように思われた。言葉にならない言葉が発せられたように思えた。だが、その対象は、ローズではなく。ドライだった。彼女は、耳を押さえて、痛そうにしているドライの瞳をじっと見ながら、それを指さし始めた。

 「赤い瞳、まさか……」

 今度は、彼女の言葉が明確に解る。その対象が、ドライであるという事もだ。彼女は、氷漬けになっていたせいで、自由の利かなくなった身体を押して、ローズの胸中から離れ、ベッドから立ち上がろうとするのだが、そのまま立てずに、前のめりに転んでしまう。しかしドライが反射的に、それを支えた。

 「おいって、おめぇ大丈夫かよ」

 この彼の言葉の意味はあらゆる意味が含まれたものだった。一つは身体の心配、それから、彼女の妙に高ぶった表情、それに、これから何をしたいのか理解できない。そういったものも含まれていた。

 「に……いさ…………ん、ね」

 それから、ドライの胸に、ぎゅうっと顔を埋める。彼女から発せられていた警戒心が、見る見るうちに、消え去って行くのが解った。

 「兄さん?!」

 彼女の言ったことを、疑いで返し、皆で一斉にドライの方を注目する。シンプソンも、驚きで酔いが醒めてしまったようだ。とたんに立ち上がり、元気を取り戻す。

 いきなり注目されたドライは、首を振るようにして、自分を注目している人間の顔を眺め返す。狼狽えたようにキョロキョロとしている。

 「間違いない。その瞳、その赤い瞳、嗚呼、生きていたなんて……」

 さらにドライの胸の中に顔を埋める。

 「お、おい!一寸待てよ!人違いだって!俺、オメェの事なんて知らねぇよ!!」

 「ご!ご免なさい!そうね、兄さんが私の、事を知っている筈がないものね……」

 慌てて、ドライから離れ、その場に座り込み、口元を両手で押さえ、顔を真っ赤にしている。彼女は、先ほどの表情とは違って、顔に柔らかみがある。ドライに逢ったことで、かなり強烈な安心感を得たようだ。独りよがりな行動を、恥ずかしそうに、眼を細め、舌をチロリと出して、笑って誤魔化す。なかなかチャーミングな、()だ。

 「さ、急に動くと良くないわ」

 ローズが再び彼女をベッドに戻す。

 「ありがとう」

 彼女はもう警戒はしない。ローズの好意を素直に受け入れた。安心した彼女は、様々な疑問を残したまま、眠りについてしまう。強制的な眠りとは違って、顔が安らかだ。

 訳は分からないが、何だかこれで一頻りついたように思えた彼等は、それぞれの部屋で休む事にする。ドライに対する疑問も、彼女に対する疑問も、また翌日に、解きほぐすことにする。

 だが、休むと言っても、彼等は睡眠に入ることは出来なかった。理由は、ドライとローズだ。此処四日ほど、互いに触れ合っていないので、その夜は爆発的に燃え上がっていたのである。妙に気怠い疲れと、バートに対するやり切れなさ、雨の鬱陶しさも、憂さ晴らし気味に二人を自棄に熱くさせた。

 揺れが、隣の部屋まで伝わりそうなほどだった。

 「うん……もっとぉ……」

 「ローズ……う……ん」

 「ああ……」

 この声を聞いた、隣の部屋の二人は、たまったものではない。毛布にくるまろうが、耳を塞ごうが、聞こえてしまうのである。二人の恋路を邪魔するわけにも行かない。雨で、外へ出ることもできない。

 「ああ、迷惑だ!」

 それでもオーディンは、毛布を頭に被る。

 翌日。

 「ん、しょっと……」

 寝起きに、ベッドの横で、お尻にピッタリくるズボンをつま先立ちになりながら、履いているローズの姿があった。それから自分のお尻を、気合いを入れて、パン!と叩いて、乾いた音を立てる。

 「よし!寝坊助を起こすか……ほら、ドライ、朝だよ。チュ……」

 と、呑気な顔をして、熟睡しているドライの唇に、軽くキスをする。ドライを目覚めさせるには、これで十分だった。そのかわりこれでないと、起きてくれないときが多々ある。

 彼は眠い目を擦りながら、目の前にいる愛すべき(ひと)を、寝ぼけ眼で、見つめている。

 「ホラ!起きた起きた!朝よ!」

 ローズは妙に上機嫌だ。声が、シャキシャキとして、踊るように弾んでいる。一晩前とはまるっきり違う態度だ。勿論、機嫌が悪いわけがない。ドライは夕べ、それだけの仕事をしたのだ。

 「……んだよ。まだ朝かよ……」

 「何言ってるの、出来れば今日中に、此処を出て、黒の教団の追跡を、振り切らなきゃなんないんだから、それに、あの娘が昨日言いかけたことも知っておきたいし……、ついでに言えば、今寝てるのなんて、ドライくらいでしょ」

 ローズは、朝から口がよく廻る。今時多い低血圧ではないのは確かだ。ドライはこれ以上、ベッドの上で横たわっていても、寝ることが出来ないので、少しでも静かになるよう、ローズの言う通り、大きな欠伸をしながら、面倒臭そうに、頭を掻きながら、足を重そうにして、歩き出す。義足が、ガツガツと床を叩く音がする。なんと彼はそのまま、部屋の玄関まで歩いて行こうとする。

 「一寸!服!服!!」

 「あ、いっけねぇ……」

 ローズとは対照的に、ドライは頭の方が、全く起きていない。

 ドライが、何とか服を着ることが出来ると、早速、少女の部屋に行く。部屋の中には、ベッドから上半身を起こしている少女と、そちらの方を向いて、椅子に座って、テーブルを囲んでいる、オーディンとシンプソンが居た。ローズから見えるのは二人の背中だけだ。

 「お早うございます」

 二人が入ってくるのを確認すると、彼女は、軽い落ち着いた声で、ニコリとし、ベッドの上から頭を下げて、挨拶をする。

 「オハヨ!どう?身体は」

 「ええ、少し良いみたいです」

 少しとは言っているが、体の調子としては、かなり良い方のようだ。夕べとは違い、顔に赤みがあり、表情もハッキリとしている。

 「ふあぁぁ……おあよっす」

 シャッキリとしている二人の会話とは対照的に、ドライは間抜けなほど大きな口を開けて、大欠伸を一回する。だが、欠伸をしたのは、ドライだけはない。オーディン、シンプソンも、彼に連鎖するように、だらしなく欠伸をした。

 「あら?珍しいわね、健全な二人が、朝から欠伸だなんて……」

 ローズがそう言うと、二人が、どんよりした眼をして、ローズの方に振り向く。何だか不機嫌だ。眼の下には、黒々と、クマが出来ている。二人がこうなっているのは、理由を語るまでもない。

 二人は、ローズに文句はなかったが、ドロリとした眼が、そう言う錯覚を覚えさせただけだった。

 「いや、別に……、ドライ、ボタンを掛け違えてるぞ」

 オーディンは、眠いながらも、几帳面に細かい指摘をする。頭の方は、しっかりとしているようだ。ドライは相変わらずシャキッとしていない。

 「それじゃ、ドライさんが、どうのこうのと、言う辺りから話を始めますか……」

 「ド・ラ・イ?ドライさんて、誰ですか?」

 シンプソンが、昨晩の話の続きを始めようとしたときだった。彼女は、「ドライ」の名を聞いて、それを誰かと訪ねる。これには、誰もが目を丸くするしかなかった。彼女の話そうとしていた内容に出てきた人物は、唯一「兄」として、出てきた彼しかいない。

 三人は、知っていながらも、ドライが誰なのかを、アイコンタクトをして、確認する。そして最後の到達したのは、寝ぼけ眼で、掛け違えたボタンをそのままにして、欠伸を連発している男だった。

 「ドライが、誰って言われても、私ローズだし」

 「うむ、私は、オーディン、オーディン=ブライトンだが」

 「私は、シンプソン、シンプソン=セガレイです。から……、やはりドライさんは、彼ですね、うん」

 それぞれ自分に指を指しながら、自己紹介気味に、自分が誰なのかを、確認する。彼女に彼等がドライではないということを理解させるためでもある。

 「ん?俺?俺がどうした?」

 「あんた、もう少しシャキッとしてよ!ドライ=サヴァラスティアは、誰か!って事!」

 「ん?俺以外誰が、ドライなんだよ。他にいるのか?」

 此処で彼の目つきが、漸く鋭さを取り戻す。相変わらず欠伸をしているものの、掛け違えたボタンを整え、空いている椅子を引いて、椅子の背に腕を組み肘を付き、その上に顎を乗せ、一度にやりと笑い、少女の方を、向いて座る。

 「でよ、小娘、オメェん名、なんてんだ?」

 どうやら、彼はまともに話をする気になったらしい。

 「セシル、セシル=シルベスター……」

 彼女の名前からして、どうやら、シルベスターの血を引いているのは、間違いないようだ。オーディンが、一寸眼を丸くして、驚いたくらいで、特にそれ以外の反応はない。

 「ふぅん、で、俺が誰だって?」

 彼のこの言葉は、明らかに彼女を茶化したものだった。極端にだらしなく語尾を上げ、にやけた顔をして、彼女の顔を、上から下、また上へと、何度も観察している。意味無く足でトントンと、床を叩く。

 「何冗談言っているの?兄さん。私のことを覚えていないのは解るけど、自分の名前は知っているでしょう?」

 彼女には、ドライの言っていることが、タチの悪い冗談に聞こえたのか、首を傾げ、顔は不安げに笑っている。だが、タチの悪い冗談に思っているのは、ドライも一緒だ。「記憶」にないことを言われても、理解できるはずがないのである。

 「そう言えば、私、ドライが賞金稼ぎで、姉さんの元恋人だったって事くらいしか、知らないわね」

 と、突如ローズが、ドライの存在に疑問を持った。人差し指を唇にあてがいながら、視線を上にして、他にドライのことについて知っていることを、挙げようとしてみる。だが、思いつくのは、やはりそれくらいだ

 「おい!マジかよ」

 ドライは椅子から立つ。それからローズの腰を、自分の方に引き寄せ、指の先でこめかみの辺りをなで始めた。

 「夕べあんたけ熱くなったのに、そいつをもう忘れちまったのかよ。ん?」

 芝居かかった寂しさを混ぜながら、上から眺め下ろして、互いの鼻の頭をすりあわせる。今にもキスをしそうな体制だ。

 「バカ、そうじゃなくって、ドライが何処で生まれたのかとか……、どうして賞金稼ぎになったのかとか……、両親の話とか……」

 ドライのとんでもない勘違いに、一つ一つを柔らかい言葉遣いで言葉の端々を、曇らせながら、近づきすぎた彼の唇に、人差し指と中指をそろえて当て、ゆっくりと遠ざけた。

 「兄さん賞金稼ぎなんかしているの?」

 これはどう取ったらよいのだろうか、ただただ驚き一辺倒だった。それ以外に、不実さだとか、軽蔑心などの感情は、いっさい含まれてはいない。

 「しつこいぞ、俺はテメェの兄貴じゃねぇ」

 一応彼女が少女とあってか、ドライは目線で冷ややかに怒りながらも、言葉は、柔らかくしていう。

 「まぁまて、ドライ。貴公の話、私も大いに興味がある。聞きたいな」

 「そうですね、今後の参考にも……」

 何をどう参考にするのかは解らないが、ドライへの疑問は、より浮き彫りになった。

 ドライは上を向き、口の中に空気をためながら、下唇を突き出しふっとそれを吐き出す。彼の前髪がその息でゆらゆらと揺れる。

 それから何も言わず部屋を出て行く。そしてややもすると戻ってくる。片手には椅子一脚を腕に抱え、グラスの被った酒のボトルをその手に持ち、もう片手は、グラスを4つ。グラスをガチャガチャと、テーブルの上に置き、椅子をテーブルの側に置き、グラスにに酒をつぐ。

 そして、自分が持ってきた椅子に座った。

 「いっぱい幾らで飲む?」

 「貴公は……、良かろう。百ネイ金貨一枚(約一万円)」

 オーディンが、あきれ果てて、それでも金貨を一枚ポケットから出し、テーブルの上に置く。これを見て仕方がナシに、他の二人も渋々金を出す。勿論金額は一緒だ。

 ドライはセシルには、特に要求はしなかった。だが、テーブルにはつかせた。

 「いくぜ、このドライ様が、賞金稼ぎやってるのは、うんとガキの頃からだ。それからずっとだ。つまりこの年にして、二十年以上のキャリアだ。まぁ筋金入りって奴だな」

 「それは良いから!きっかけは?」

 ローズが話をせかす。

 「要は、オメェ等そこが聞きてぇんだろうがよ。きっかけは、俺が賞金稼ぎに拾われたからだ。もし其奴に拾われてなけりゃ、俺様は今頃おだぶつってか?へへ、何故そんな羽目になったのかは知らねぇ、気がつきゃびしょぬれで山の中彷徨ってた……、周り見て、どっかからか落ちて川に流されたってのは解った」

 「では、何故今生きているのなら、何らかの方法で、家族の下にもどらん?」

 きっと、誰もがしたかったであろう質問を、オーディンが代表でする。

 「カンタン、俺はどっかから落ちたショックで、そのころの記憶が今でもすっぽりと抜けちまってる。覚えてたのは、歳だけ、で、何にもないそんな俺に付いた呼称がドライ、愛に飢え、食いもんに飢え、血を見ることでしか、満足できないようになっていた俺への当て付けらしい。でも俺にはピッタリだったんで、気にいっちまった。サヴァラスティアの方は、俺が初めて寝た女の名字だ。ゴロが良かったんで貰った。で、後はご存じの通りだ。俺は、マリーを見殺しにしたのは疎か、この様さ」

 ドライは、右足のズボンの裾を上げ、義足をむき出しにして、テーブルの上に上げる。自分心の過去を話しているうちに、連鎖的にマリーのことを思い出し、急に自分に対する軽蔑の念が、吹き出してきた。それと同時に、ローズのことを不安に思う。

 彼は足を投げ出したまま、皮肉に笑っている。最後の部分は、以前シンプソンが彼の義足はどうしたのかと、聞いたときの答えだ。

 ローズが、ドライの義足の上に、そっと手をかぶせる。

 「ドライが、悪いんじゃない。わたしは死なないから、安心して」

 「ああ、解ってる。って事で話は終わりだ。残念だったな、俺がオメェの兄貴ってことは、断定できそうにねぇな」

 と、自分がさもそうで無いことを主張する口振りである。セシルを、下から座った眼をして、睨み付け、それと同時に、口の端をニッと上げる。

 だが、逆を言えば、彼が彼女の兄でないことを証明することも不可能だ。いや、彼の目の特徴からいって、彼女の兄でないことを証明することの方が難しいであろう。だが、本人は否定している。

 「そ、そんな!では、私たちの使命を理解して、私を助けてくれたんじゃ……」

 セシルはがっくりと肩を落とし、落胆を隠しきれない様子だった。

 「そうか、ドライは記憶が……、だがドライの記憶が、もし完全なものだとして、何故それでも、彼が、君のことを知らないのだ?考えれば、変な言い回しだな」

 オーディンは、酒を一口飲み、セシルの方を向き、もう一つの疑問を尋ねてみた。

 「それは、私が生まれた直後にはもう、兄さんはいませんでした。兄の特長は、父の話で、それと写真で、でも両親はもう……、黒の教団に、大司教に殺されました」

 と、言って、彼女は、胸の内から、少し色あせた一枚の写真が取り出す。そこには、厳格そうなそれでも二十歳代の父親、知的な顔をした母親、そして、目の前でブイサインを突き出しニカッと笑い、銀色に燃える髪を持ち、真っ赤に燃えた瞳の、四、五歳の男の子、白い布にくるまれた赤ん坊が写っている。いわゆる家族写真というやつだ。

 その男の子には、確かにどことなくドライの面影がある。

 「ほう、写真ではないか、誰か念写が出来る者が、いたのだな」

 「ええ、父が……、兄は天才的で、この時点で、殆どの魔法学を自力で習得していたという事です。それでいて、活発で思いやりがあったとか……」

 彼女は、そのイメージを元に、ドライを兄として、見つけたのだろう。だが、会って見れば、外見、この様な男だ、話とは大違いで、ショックを隠しきれない。

 「ふん、知ったことか、いいか、テメェが女だから優しく言ってやるが、アンタは、どう見ても、一六くらいだ。俺は二七!その写真じゃ、どう見ても、離れて五、六歳。だが実際アンタと俺の年齢差は、その倍は離れている。そうおもわねぇか?」

 彼女は、ドライの言葉を聞いて、さっと青ざめる。焦点を無くし、とたんに立ち上がり、フラフラと、バスルームの方に向かう。姿が消え、バスルームの扉が閉まってから少しすると、ストンと音がする。

 「なんだ?」

 ドライが横着に、背を伸ばし、その方向を覗いてみる。が、扉が閉まっているので、何も見えない。

 ローズが、その事が気にかかり、バスルームの方へ行き、彼女を覗いてみる。すると、そこには、自らの両肩を抱きしめて、ガタガタとふるえ、眼を閉じて涙を流している。彼女がいた。そして、空間を閉ざすため、扉を閉めた。

 「今、何年ですか?」

 彼女は、ローズがその部屋に来たことを知っている。しかし質問の意味は理解できない。

 「魔導歴九九九年……だけど……」

 質問を単純に解釈すると、そう答えることしかない。質問に答えるのをそこそこに、彼女の側に同じ高さに座り込み、肩を抱いてみる。

 「ありがとう」

 少しは落ち着いたようだ。そう言うと立ち上がる。

 「私、あれから少しも成長してないんだ。本当なら、今年で、二十一なのに……、大丈夫、少しショックだっただけ」

 そう言って、ローズの方に振り向き、けなげに笑ってみせる。

 彼女は、コールドスリープの影響で、数年前から成長していないのだ。彼女が目覚めて一晩、その事に気がついていなかったのである。それにショックだったようだが、もう一つ、彼が兄であるかそうでないかを、確認できなかったことに、ショックを感じていたようだ。彼女には今支えてほしい人がいないのである。ロースにはその事が直ぐ解る。

 「ねぇ、彼奴ね、ああいう奴だから、今はあんな事言ってるけど、きっと解ってくれるわ……ん?」

 彼女を慰めながらも、扉の方になにやら怪しげな気配を感じ、そっと近づき、素早く扉を聞き開けた。

 「うわ!」

 と、オーディン。

 「イテテ!」

 次にドライが前のめりに倒れる。

 「グフ……!!」

 シンプソンは、後ろの二人に押し倒される。

 すると、男三人が、部屋の中に雪崩れ込んできた。シンプソンがオーディンとドライの下敷きになって埋もれてしまった。

 「や、やぁ、少し彼女の様子が気になって……な」

 まずオーディンが取り繕ってみせる。倒れ込んだ状態で、頭を撫でながら、はにかみ笑いをしている。

 「俺、なんか悪いこと言ってかなって、思ってよ……」

 少し罪悪感を感じたような顔をして、鼻の小脇をぽりぽりと掻いて、何故かローズの方の機嫌を伺いながら、上目使いで、彼女を眺めるドライ。

 「ふ!二人とも重いです!苦しい!」

 「おっと、済まない」

 下敷きになっていたシンプソンを、立ち上がると同時に、引き起こすオーディン。三人が、立ち上がった後は、それぞれ明後日の方向を向いて、盗み聞きしようとしていたのを、気まずい雰囲気で、打開しきれないでいる。

 「どう?旅は道連れなんだし、ドライが本当に彼女の兄かどうか、知るために連れてかない?この子……」

 ローズは、彼女の正体が、気になった。本当にドライと直接の血の繋がりのある人間であるのかだ。しかしそれ以上に彼女を、一人にしておけなかったのが事実だろう。言葉は軽かったが、思いは殊の外強いようだ。

 「ああ、私は特に構わないが……」

 「私もそれで結構ですよ」

 「え?!素人がまた一人ふえんのかよ……、ぶつぶつ」

 「多数決で決まりね……」

 もっぱら、こう言うときのドライの意見は、入れるつもりはないローズだった。

 「そうと決まれば、此処は長居は無用!黒の教団が来て、街を巻き添えにしかねないわ」

 「それは言える」

 ローズの周囲をせかせるような口調に、オーディンが納得をする。

 彼等は、街を迂回しながら、進路を北に取る。周囲は何も無い荒れ地だ。移動方向は、専らドライの足に任せることにしているのだが、そろそろどうして、何の情報もナシに、一定の進路を取れるのか、皆気になり出す。街に来るまでは、街が目標だと思っていたが、そうではないようだ。

 街を出て、数時間が経とうとしたときだった。

 「ドライ、どうして北に行くのだ?」

 オーディンは、目的も無しに歩くのは苦手だ。この状況に我慢できなくなり、ドライの前に立ち、歩みを止める。

 「あ、俺言ってなかったっけ?」

 彼は、無造作に頭を掻き、眼で己の脳味噌を見る具合に、上を向く。

 「ハイハイハイ!!私知ってるもん!」

 此に対して、ローズが勢い良く手を挙げ、はしゃぎ廻る。

 「んじゃ、言ってみろよ」

 あいも変わらず元気なローズに、口の端でクスリと笑う。

 「北には確か、姉さんが見つけた最後の遺跡があるんでしょ?ドライはそれに向かっている!」

 「御名答!流石相棒!ツーカーだぜ!!俺としちゃ、あそこが黒装束との接点だ。やっぱ原点からいかねぇとな」

 ドライとローズが、掌を叩き合い、息の合っているところを見せる。

 「その遺跡は、ノアーの言っていたシルベスターの眠る遺跡だな、彼を目覚めさせる事が出来れば、黒の教団を、根底から壊滅できるかもしれぬ」

 オーディンは、気迫の隠った握り拳を軽く腰元で握りしめる。仮面の内側から、蒼い瞳が真実を追求したがっていた。

 「この男は……、まだ眉唾言ってやがる」

 ドライとしては、オーディンのこういう真面目なところが、肌に合わなかった。鬱陶しそうに、嫌々顔をして、オーディンと距離を開ける。

 〈兄さんは、確かに記憶を無くしている。でも、本能的に何をすべきかを知っているんだわ〉

 セシルは、ドライ=サヴァラスティアの人格に近寄り難さを感じながらも、兄として、シルベスターの子孫として、成すべき事を遂行していることに、ほっと胸をなで下ろす。

 その時だ。いきなりの地響きと共に、大地が激しく上下に揺れ出す。この前よりもさらに激しい揺れだった。ドライは言葉よりも先に、女二人を庇うようにして、覆い被さる。オーディンは、彼等を庇うために、剣を抜き、周囲の落下物を警戒した。シンプソンは、無意識のうちに、対物理攻撃用のシールドを張る。彼等は身を守る行動こそしているが、周囲には何もない。状況を把握することが出来ないようになっている。密かなパニック状態だ。

 そして次の瞬間、目の前の地面に亀裂が走り、大地が滑り、それが一気に、迫り出してきた。まるで大きな壁だ。その光景に、腰を抜かすことすら忘れてしまう。足が地面に縫いつけられたように、ぴくりとも動くことが出来ない。ただ壁が延びて行くのを、見上げるオーディンとシンプソンだった。

 揺れは十数秒続いた。強大な大地の怒りに、流れるのは、冷やせばかりだ。どうすることもできないまま、時間が過ぎた後だった。

 徐々に揺れが収まり、地鳴りも止む。ドライがそれを感じ、顔を正面に上げる。すると、その前には、高さ数メートルに及ぶ大地の壁が出来ていた。

 女二人の無事を確認しながら、彼女らを引き起こし、壁の方に近づいて行く。そして、それを観察する。少々上の方を眺めたりもする。時代を刻み込んだ横しま模様、それは間違いなく地層だ。

 あの数十秒の内に、これだけのものが迫り上がったのだ。左右を見渡しても、延々とそれが続いていた。この様子だと、大陸を南北に裂いていそうだ。その裂け目が、足下の方で、ぱっくりと口を開いている。

 「何なんだよこりゃ……」

 ドライは、目の前のものが、何か、それが理解できていても、言葉はそれしかでなかった。

 「ああ、これもやはり黒の教団の?」

 オーディンは、ドライの驚愕の言葉に返事を返しながら、半ば同意を求める感じで、セシルの方を向く。すると彼女は、首を横に振る。

 「いえ、教団ではないわ、これが出来るのは、おそらく、クロノアール……本人!!」

 「それにしても変ですね、何故、真の平等を願う彼等が、この様なことを?」

 シンプソンは、セシルの返答に疑問を持ちながら、ノアーや、バートの言っていた言葉を思い出す。

 「真の平等?クロノアールの言っている真の平等の意味は、そんなものじゃない!!」

 彼女はシンプソンの言葉を否定するように、苛立った興奮を露にする。

 「と言うと?」

 オーディンが、再度セシルを覗き込む。

 「彼の目指す真の平等、それは、人間界、超獣界、魔界、この三界の統一!」

 セシルは、一秒たりとも瞬きをせず。オーディンの瞳の奥をじっと見つめている。緑色の神秘的な瞳が、偽りのない真実を、彼に受け止めさせた。

 「何だって!それでは、最も脆弱なこの界の生物達は、絶滅してしまう」

 オーディンも興奮し、セシルの肩を強くつかみ、驚きと興奮を隠しきれない。

 「そう!クロノアールにとって、食物連鎖以外、平等の意味を成さないわ!!だから、なんとしても、その前に、シルベスターを復活させなければ……予想外だったわ」

 セシルはセシルで、この事態に落胆を隠せない様子だ。もう一度、状況を確認するために、周囲を注意深く確認する。

 「ねぇ、それじゃクロノアールって、もう復活してるわけ?」

 ローズは平常心だった。これだけの異変を眼にしながら、まるで他人事のように振る舞っている。

 「いえ、この様子だと、目覚めているのは、意識だけ、誰かが彼の力を仲介をしているだけ」

 小さく身体を震わせながら、肩を窄め、胸の前に手を組む。視線は不安に下向きになる。

 「ふん、クロだかシロだか、しらねぇが、要は黒装束の親玉って訳だ。じゃぁ、さっさとやっちまおうぜ」

 ドライがストレッチを始めた。入念だ。それが終わると、今度は肩の骨をならす。

 「ドライ、何してんの?」

 「ん?言ったろ、原点は、あの場所だ」

 と、北の方角を壁に向かって見つめた。

 彼のこの台詞を聞くと、ローズが、高さ数メートルはある段差を、軽く一蹴りで登る。これを見て、オーディンもさっと、崖の上に登った。

 「あの、私、こういうのには、その、自信がないんです」

 すると、シンプソンは、すでに上に登っているオーディンとロースを眺め、ドライの方を向き、おたおたし出した。

 「ちっ!」

 ドライが、舌打ちをした後、シンプソンの腕を、ひっつかみ、抱っこをして、上に思いっ切り放り投げた。シンプソンの身体が、ドライの腕から離れ、宙に舞い、一度上方向に、ローズと、オーディンの、目の前を通過する。そして、ぴたりと空中停止をする。

 「うわぁぁぁ!!」

 今度は加速を付けて、落下し始めた。

 「おっと!」

 オーディンが、落下してきた彼を受け止める。この時シンプソンはすでに目を回しており、意識がどこかへと、とんでいる。

 「ドライ!少し乱暴だぞ!!」

 オーディンが、崖の上から、シンプソンを抱えながら、下に向かって叫ぶ。

 「ウルセェ!トロいんだよ!メガネ君は、オラ!次行くぞ!」

 「え?一寸待って!兄さん私、まだ心の準備が!!」

 目の前でシンプソンの様を見せられたセシルは、後ろにたじろぎ、両手を目の前で振って、ドライの延びてくる腕を拒んだ。だが、ドライのそれは彼女を強引に腕の中へ抱え込む。

 「ああ!ガタガタうるせぇんだよ!」

 「きゃあ!!」

 ドライの腕が一瞬上に持ち上がる。その瞬間に、腕の中の彼女が、酷く硬直したのを感じた。すると、シンプソンのように放り投げる気にはなれなかった。

 「ち、しゃあねぇなぁ、しっかり掴まってろ!!」

 「え?」

 その言葉と同時に、ドライは数歩後ろに下がり、一気に助走を付けて、ジャンプをする。セシルは恐怖に再度目を瞑る。瞬間、身体が下に押し下げられるGを感じ、次にふわりと体重を感じなくなる。

 「とん」、その音と同時に、体重が彼女の身体に戻った。恐る恐る目を開けると、目の前には、眉間に皺を寄せ、自分を睨んでいる彼の顔が目に入る。

 「何時までも、甘えてんじゃねぇよ」

 一言ボソリと言って、彼女を地に立たせる。

 「行くぜ、ローズ」

 彼は、ローズの名だけを呼び、さっさと歩き始める。彼にとって他の人間が来ようと来まいと、知ったことではない。それと、オーディンに、声を掛けるのも、照れ臭いので、掛けなかったという事もある。前述と後述が、矛盾しているが、それもドライの一面だ。

 「さぁ、みんな、いこ」

 ローズの招きで、遠くで煙の上がっている町並みを気にしながら、再び北に進路を取る。シンプソンはその町並みが眼にはいると、とたんに一つの不安に駆り立てられた。顔色が少しさえなくなる。

 その時だった。彼の意識の中に、ノアーの声が聞こえ始める。不思議に目の前に、彼女のイメージが浮かぶ。

 〈シンプソン様!大丈夫ですか?御怪我は?……〉

 〈え?ああ、ノアーですか、そうですね、念話ですか〉

 〈はい、こちらは、安心して下さい。孤児院も、みんなも、大丈夫です。早く真の平和を……〉

 〈ええ、解りました。そちらも無事で良かったですね、安心しました。子供達を頼みますよ〉

 〈はい……〉

 そこで彼女との念話が終わる。その瞬間であった。彼は、ノアーのイメージばかりに、目を奪われ、足下がおろそかになっていた。石に蹴躓き、仮にも華麗とは言えない転び方をする。

 「うわ!」

 先ほどの大異変で、皆の神経が過敏になっている。皆戦闘体勢になり、低く身構えた。の、だが、眼に飛び込んできたのは、無様に転けたシンプソンの姿だけだった。

 「驚かせんなよ……、ったく」

 「ちょっと、驚かせないで!」

 「ふぅ、少し運動不足が過ぎないか?シンプソン」

 「大丈夫ですか?」

 それぞれの言葉は違ったが、一瞬の硬直感は皆同じだった。

 シンプソンは、この後必死に自分を弁護する。ノアーの通信のことだ。すると、ドライ以外は皆一応に納得をしてくれた。

 「へぇ、良いですね、好きな人同士が、離れていても、心を通いあわせることが、出来るなんて……」

 「ええ、まぁ」

 特にセシルは、恋にあこがれる乙女のように、目を輝かせながら、シンプソンの話を信じ切っている。

 「あら、私とドライだって、いつも一緒よ」

 ローズが、見せつけるように、ドライの腕に絡んで、甘えてみせる。

 「いいなぁ」

 と、またまたあこがれた表情を見せる。

 その時、周囲の景色が、荒れ地から、渓谷に変わろうとしていたときだった。ドライとオーディンが、いち早く、何かの気配に気がつく。それは好戦的な殺気だ。ある意味では、ドライもそれを放つときがあるが、存在としては、邪悪な物をより強く感じた。

 「居る居る!一匹や、二匹じゃねぇ……」

 額に手を翳し、周囲を背伸びして眺めてみる。

 「ああ、かなりの群だな、だが、人間の物か?」

 「しるか!」

 冷たい反応をオーディンに返すだけのドライ。

 ドライは、戦闘に心をうずつかせた。多対少数と、不利であれば、余計に瞳が輝いた。

 乱れた足音が、近づいてくる。気配が、次第に実体となって、彼等の前に姿を現し始めた。それは確かに、オーディンの言ったように、人間ではなかった。だが、人間には近い物があった。二足歩行をし、武器を持ち、それなりの知恵を持って行動を起こしているようだ。

 「オーク……だわ、どうして人間界に……」

 彼等もまた、人間界に存在してはならない、超獣界の住人だった。だが、彼等はその性格上、敵を見ると、無差別に襲ってくるのだ。きっと、ドライ達の話し声が、聞こえたに違いない。

 「一寸、二人とも、私に名誉挽回させてくれない?」

 先日のリザードマンの時の鬱憤がたまっているようだ。あのとき彼女は、思うような活躍をすることが出来なかった。

 「やだ」

 ドライは、剣を抜き、準備運動がてらに、背伸びをして、グルグルと上体を回す。にやにやと笑い、オークの数を、目だけで数えている。それから一歩一歩、歩き始める。

 ドライが動き出したことで、オーク達の方も本格的にこちらを警戒し、間合いを詰めてくる。

 「こういう戦闘は、戦争のとき以来だな、シンプソン、しっかり自分の身を守っておいてくれ、それからレディー達も頼む」

 「ええ、解りました」

 シンプソンはコクリと頷き、早速シールドを張る。三人の周囲には、淡く青みがかった半球体の幕が張られる。

 「だから、私は戦うって言ってるじゃない」

 ローズは、シールドを飛び出て、ドライの側に近寄る。

 「バッカだなぁ、お前の手煩わす相手じゃねぇだろう」

 彼は自分一人でも十分だと言いたげだった。

 その時だった。オーク達が自分たちの母語で、戦闘を仕掛ける奇声を発した。言葉の意味は不明だ。崖の上から、前の方からと、うじゃうじゃわき出るように、これでもかと言うほど出てくる。殆ど大隊だ。

 「オーディン!比奴考えずに魔法ぶちかますから、そんときゃ、しっかり防御しろよ!!」

 「承知!!」

 二人は、勢い良くオークの群の中に、身を投じた。あっと言う間に姿がその中に埋もれてゆく。

 彼等が姿を消すと同時に、二人の居ると思われる位地から、血の噴水が上がる。そのたびに絶叫も上がる。そして肉片が、飛び散って行くのである。

 「無理だわ、彼等が幾ら達人でも……」

 セシルが、シンプソンのシールドに身を守られながら、この状況を不安に思った。彼女は、二人の人間離れした強さを知らない。姿が見えなくなっても、死んでいることはない。

 「奥義裂空斬!!」

 オーディンの声が聞こえる。オークの群が吹き飛び、オーディンの姿が露になる。彼の周りには、空気の屈折で銀色に輝いた真空の刃が舞っていた。

 「オラオラオラ!!」

 ドライの声も聞こえる。こちらからは、より激しく血しぶきが上がる。

 敵はやがて、ローズや、シンプソンの所にもやってくる。

 「見ていられない!私も戦います」

 セシルは何処からともなく、空気中の中から、短剣を取り出す。そして、シンプソンのシールドの外へ、飛び出そうとした瞬間だった。

 「二人とも行くわよ!!」

 ローズは、岩盤に跳ね返り、こだまするほどの大声で叫んだ。セシルは、それに驚き、硬直してしまう。

 「スターダストランナー!!」

 ローズの掛け声と共に、ザッ!!という、全ての音をかき消すざわめきと、周囲が白い輝いた雨に包まれる。次第に視力を奪われるほどに、極限にまで眩しくなってゆく。

 その雨もやがて止み、セシルの目の前には、右手を振り上げているローズの姿が、目に入る。その向こうには、多少焦げ臭い格好をしたドライとオーディンが、背を寄せ、防御態勢で冷や汗を流している。恐怖に多少、眼をパチパチとしている。髪の毛の先端も多少焦げている。

 周囲には、黒こげになったオーク達がゴロゴロしていた。周囲の風景も少し変形している。

 「あのバカは、此処までする?」

 「何だったんた。今のは……」

 何がどうなったのか全く解らない、ただ、それがローズの魔法にによる大量虐殺だと言うことだけが、漸く理解できた。

 辺りにオークがいないことが確認できると、オーディンは、剣を納め、それらの死骸を踏まないように、小さな隙間を見つけながら、シンプソンの元へと戻って行く。一方ドライは、構わず足場の悪さもそこそこに、それらを踏みながら、ローズの前まで行く。

 「バッカじゃねぇのか!テメェは!俺を殺す気か?!」

 早速啖呵を切って、ローズを頭の上から怒鳴り散らすドライだった。足の先から頭の先まで、突っ張って、彼女の旋毛に怒りを吹き込んだ。ローズは悪戯を潜めた笑みを浮かべ、眼を瞑り、耳を塞いで、肩を窄める。

 「いいじゃん、いいじゃん、ドライの実力が解ってたからこそ、あそこまで出来たんだから、ね!」

 そう言って、調子よく彼の両肩を、バンバンと叩く。彼女の表情からは、反省の色は全く見られない。カラカラと現金な軽い笑いを浮かべながら、愛想を振りまいている。その様子から、その事に、可成りの確信のを持っているのが解る。

 これだけ、悪気のない笑いをされると、ドライも、それ以上怒鳴ることが出来なくなってしまう。

 「ったく。良いか、これからはもうチョイ、ゆるいヤツにしろよな!」

 彼女の頭を胸元辺りに引き寄せ、その頭をクシャリと撫でる。

 「I see!」

 ローズは、慣れた様子でこれに答える。ドライの胸の中から離れ、彼の腕を引いて、三人の元へと戻る。皆が集まったところに、セシルが、注意深く。皆の気を引き締めたい口調で、眉間に皺を寄せながら、話し始めた。

 「みんな聞いて、これは明らかに、次元の壁が、崩壊し始めた証拠だわ。これほどのオークの大群はまれだけど、これからも多分、いえこれからもっと多く。人間界の生き物でない生物を、自然に眼にすることになると思うわ。そして、その被害は、私たちだけに降りかかる物じゃない。この世界の生物に、『平等』に襲いかかるの。だから早く先を急ぎましょう」

 「うむ、そうか、では急ごう」

 オーディンは素直に頷き、彼女の指示に従う。今はただ驚いてはいられない。現実に目の前にそれが叩き付けられているのだ。彼は、シルベスターによって、命を助けられ、シンプソンと出会った。だから全てを信じることが出来た。それが自分たちの宿命だと感じた。

 「オメェ等、まだそんな眉唾言ってんのかよ付き合ってらんねぇな」

 ドライは、まだシルベスターのことを、否定している。シルベスターの名を聞いただけで、ウンザリしている。

 「ま、良いじゃない。どのみち行く先一緒なんだし」

 ローズは楽天的だ。無理に作って、不安を自分の中からいるようでもあるが、周囲には楽天家にしか見えなかった。

 「兎に角、皆さん、早くこの物騒な場所から離れましょう」

 シンプソンは、シールドを張っているときとは、全く別人のように、辺りをおどおどしながら警戒をする。今にも一人で先に逃げ出しそうにも見える。だが、彼の性格上、それはまず無い。

 この日から、規模は小さいが、地震が頻発する。その度に、異世界の生き物達の種族、数、共に徐々に増加し始める。世界は確実に、混沌に引き込まれていった。


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