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英雄達のレクイエム Ⅰ  作者: 城華兄 京矢
第一部 白と黒の魔導師編
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第3話 休息の一時、そして旅立ち

話は、ドライ、ローズ、そしてシンプソン、オーディン、それにノアーを含めた五人が、一度落ち着くために、シンプソンの孤児院へと帰るところから始まる。

ローズはどうしようもなく苛立っていた。ノアーは、マリーを殺した可能性が最も高い人物女だからである。ローズはドライをオーディンに預けたまま、二人の後ろを歩いているシンプソンと、ノアーを目の前にして、やり切れない声で、腹立ち紛れに、怒鳴り散らした。

「何でよ、シンプソン!この女は姉さんを殺した奴よ!あなたの平和主義も結構だけど、私やドライの身にもなってよ!!」

そのときドライが、オーディンと前を進みつつ、こう言った。

「止せよ!そいつは後だ。その前に、何でマリーを殺したか、そいつに聞きてぇ……」

ドライは可成りの体力を消耗している。低く疲れ切った声で、一言強く言い放った後、ボソリと言った。

その声にローズは、一度振り上げかけた拳を握り直し、言いたい言葉を喉に詰め直し、感情を奥の方に押しやった。

「ふん!!」

一度ノアーを睨み付け、振り返り、再びドライに肩を貸す。その時のローズの顔は、悔しさで一杯だった。唇をかみしめている。ドライは、少し彼女を落ち着かせるために、軽く頭をなでてやる。

オーディンは、この二人が自分と同じように、大切なものを失ってしまった者達だということを知り、そしてこの二人がそれなりに恋仲であることを、改めて再認識をする。

オーディンも復讐心に火をつけ、ノアーに殺意を抱いていた。本心は、ローズのように感情をぶちまけたかったが、シンプソンには命を救われた借りがある。

何よりオーディンは義理堅かった。シンプソンが救った人間に対して、手を出すわけにはいかない。だから彼は、何一つ怒りを顔に表さなかった。

歩きながらの間、ドライがオーディンにボソリと言う。

「あんた、なかなか強そうだな、そのうち一回勝負しようぜ……」

「そうだな、いいかもな」

オーディンとドライは、性格においては、全く正反対と言ってもよいだろう。だが、強い者との勝負は好きだ。

ドライとオーディンが、互いに強い者を見つけたことで、興味を覚えようとしたときだった。


ゴゴゴ…………。

と言う鈍く不気味な音と共に、大地がゆらゆらと揺れる。


揺れとしては、辺りを警戒し、なぜ揺れているのかを確認したくなると言った程度の緩い揺れだ。倒れるほどの揺れではないが、何となく不安感を募る揺れではある。


その揺れは、周囲を見渡している間に、やんでしまう。


「地震か?いやな揺れだな……」

オーディンが辺りをきょろきょろと見回し、周りに何か倒れそうな物はないかを確認する。

「珍しいですね、この地方に地震だなんて……」

シンプソンが、臆病っぽく、落ち着きのない様子で、やはり周囲を見回す。

ドライは、周囲に気を配るほど元気ではないし、ローズは、地震などどうでもよかった。やり切れない気分で一杯だった。これ以上他人のオーディンに迷惑をかけるわけにもいかないし、今はドライを早く休ませてやりたい。地震など、どちらでもよい話だった。

ノアーも何も言わないが、彼女はシンプソン以外に口をきく人間がいない。何かを発言したくても、できなかった。シンプソンは、この気まずさを嫌い、皆の足取りをいったん止めた。

「皆さん、一寸待って下さい」

「何だ?」

オーディンは、別に何ともなく、極普通に、シンプソンに耳を貸した。

「どうしたの?」

だが、ローズは、少しウンザリした感じで、振り向く。

「おい、何だよ。何で止まった?」

ドライは、なぜ止まったのかも理解していなかった。

「ノアーも……聞いて下さい。オーディン、ローズ……、それにドライさんですね、三人の気持ちが複雑なのは分かります。ですが、彼女を殺したところで、大切な人たちが、帰ってくるでしょうか?」

シンプソンは皆の中央に立ち、ごく当たり前の正義感ぶった説教を始めたように思えた。

「解ってる!そんな事したって、姉さんは帰ってこないわ!だけど……、気が収まらないのよ!!」

「シンプソン……、残念ながらこれは、八方を丸く納めることの出来るほど、単純な憎しみじゃない」

シンプソンの言葉に反論する形で、ローズがとオーディンが、次々に、それでいて感情を漸く抑えながら、彼の言葉を残念そうに、返事を返す。


「私はね、十二の時です。人を殺したんですよ。それも数人……」

シンプソンが唐突に語り始めた。


「え?」

ドライを除き、皆ただそれだけの言葉で、驚きを表現する。虫も殺せないような彼の、まさかの発言である。

「だから何だよ。そんなら俺だって、やってるぜ、百人以上な……」

人を殺すことに馴れきっているドライは、周囲の過剰な反応に、馬鹿馬鹿しさを感じた。

「別に私は賞金を稼ぐために、人を殺したのではありません」

シンプソンは、ドライの大体の素性を知った様子で、まず一言断る。自分には人殺しをする趣味はないと言いたげな口調だったが、特にドライに対する嘲笑は軽蔑はなかった。あくまでも自分に対する事実のみの言動だ。

「二人には話しましたが、私はこの髪の色のせいで、子供の頃随分なめに遭いました。酷い言い方をすれば、人外の扱いを受けました。親戚中を回されましたしね……」

それからシンプソンは自分の髪の毛を紙縒でも編むようにクルクルと弄ぶ。自分の髪の色は、本当に不思議だと思ったのだ。

「それでも私を迎えてくれる人がいました。家族とは全く無縁の生活ではありましたが、でも食することが出来ましたので、それまでに比べると可成りましに思える生活でした」

あまり恵まれているという表情ではなかった、あくまでも食べることが出来たのだから、其れで良いというなんとも、欲のないそれでいて、境遇を受け入れきった幸福感が感じられない表情である。

「それで、その家に一匹犬がいましてね、子供の私にはとても大きく思える犬でした。思えば彼がそのころまでに出来た唯一の友人でしてね。ですが、その犬は私と居るというだけで、ある日、殺されました。ほら、魔法なんてものも使えたりしますし、其れがばれてしまいましてね」

シンプソンはニコニコと表情をつくってこそいるが、何とも寂しい表情だ。彼は昔を思い出してか、悲しさに声が震え始めていた。

「私は何度も言いましたよ!やめてくれと、でも周りの人は、私が彼を庇うのも聞かずに、私ごと、猟銃で撃ちました。その瞬間です。彼は、私を庇って……、逆上しましたよ。凄くね……。カッとなって、周囲の人間にこう念じました。『死ね!!』と、すると、周りの人は私の望み通り、死にました。しかもその場で悉く破裂して……。後にも先も人を殺したのは、それっきりでしたが、その時の虚しさは、今でもハッキリ覚えてますよ。ですから皆さんにもそんな事はして貰いたくないんです……、いいんですか?!一瞬の感情に身を委ねたばかりに、一生後悔するんですよ!!」

彼はいつの間にか拳を握り、一気に捲し立てるようにして、激しい口調で自分の悔しさを皆にぶちまけた。彼がノアーを必死に庇うのも、彼なりの経験があったからこそであり、また、彼が命の尊さを知っているからこそだった。しかし、自分はそれに反した行為をしてしまった。その事実は決して覆らないのである……と。

「シンプソン……」

ローズは苛立ちの感情に身を委ね、腹を立てていた自分に、心の痛みを感じた。ノアーを許せたわけではないが、鬼畜になりさがろうとしていた自分に気が付く。結局オーディンには、殺すことは出来なかったろうが、その気持ちは、彼とても一緒だった。ドライには、シンプソンの言葉は、ただの五月蠅い答弁にしか聞こえなかった。だが、どのみち自分には、女を切れないことは、理解していた。うんともすんとも言わない。

「解ったわ。あなたには借りがあるし……、悔しいけど、この話は、棚に上げておきましょう……」

「ローズ……、ありがとう」

「解った。ただし、何らかの償いはして貰う」

「オーディン」

収まったわけではないが、二人はシンプソンの心を理解した。ただ一方的にノアーを庇ったわけではない。だが。

「け!馬鹿馬鹿しい!クダラネェ話しやがって!!」

ドライは唾を吐きかけるようにして、シンプソンを罵る。視線は下から上を突き上げる感じだ。オーディン、シンプソンは、このドライの発言を、身を引くようにして驚いた。むろんオーディンは、ドライに肩を貸しているので、吃驚してドライを眺めるだけだった。

「マリーはよぉ……、彼奴は……」

続けてドライはこう言った。その声は彼らしくない涙のにじんだ声だった。俯き歯を食いしばる。それからローズに身を委ねるようにして、彼女を力ずくに抱きしめる。

「済まねぇ、らしくなく女々しくなっちまった……」

「ドライ……」

ローズは複雑だった。彼は確かにローズを愛している。だが、それと同時に、心の中に刻み込まれたマリーを、思い出として切り離すことが出来ずにいる。マリーの死はどうしようも無い焦燥感と喪失感だけを、ドライに与え続ける。

しかし、その中でローズと出会ったのだ。今はローズがいるというのに、マリーノ事ばかり口走る自分が、最悪に思えた。

ドライは気分を落ち着かせると、漸くながらも、ふらついた足取りで、立ってみせる。その様子から、もう肩を貸す必要はなさそうだ。そして、再びシンプソンとノアーの、方を向く。

「おい、女……、テメェは、女だ。俺は女を殺さねぇ、それが俺の主義だ……、命拾いしたな……」

きっと睨みを利かせ、くるりと背を向け、ひざをガクつかせながら、足を進める。オーディンがそれをみて、肩を貸そうとしたが、先ほどとは違って、肘を張ってそれを突っぱねた。

その時今度は、ノアーが語り始める。

「わたし!戦災で両親を亡くした!ヨハネスブルグの十年前の魔導戦争で……、その時思った。人間は愚かだって!その時あの方の声が聞こえた。全ての救いに思えた……、でも今は……」

ノアーのこの言葉に一番強く振り返ったのは、皮肉にもローズだった。彼女にも両親、姉が居た。だが、今は彼女だけだ。その孤独な心は、痛いほど解る。「なぜ自分がこのような目に遭わなければならないのか」と。そして彼女自身その身体に、恥辱に満ちた傷がある。そして此処にいる全員は、何らかの形で傷を負っている。そのことに気が付いたのもローズだ。

自分たちが傷つくことを知っているはずなのに、怒りにまかせて、また一つの憎しみを簡単に生み出そうとしてしまっている。

ふとドライの背中が視界に入る。息巻いているときには、広く大きく、時には強い頼りがいのある背中だが、今は寂しさに満ちている。その背中に、先ほど、彼がノアーに投げかけた言葉を思い出す。

あの状況でノアーを殺せるのは、自分しかいなかったということを、彼女は知る。だが、ドライはそれをさせただろうか?現実にはシンプソンに制止された。結局のところ、誰も彼女を殺せずにいた。

正気を取り戻す雰囲気で、軽く首を軽く左右に振り、目を閉じて、口元だけでくすくすと笑い、ドライの後を歩いた。何かを口にしたかったが、何を口をしてよいか解らなくなったようでもある。

「さぁ、我々も戻ろう。きっと御老体も心配しているだろうし……」

少し刺々しさが取れた空気に乗じて、オーディンは、疲れ切った安堵感を感じる。すると自然にそんな言葉が出た。

「そうですね……、さぁ、ノアー行きましょう」

シンプソンは、さり気なく彼女の手を引く。ノアーにはその手が、本当の導きに思えた。

夜が少し回った時間帯になると、孤児院に着く。シンプソンは、入り口付近に落ちっぱなしになっていた眼鏡を拾う。夜中なせいか、バハムートは眼鏡の存在に。気が付かなかったようだ。

彼らが戻ってきたことに気が付いたバハムートは、少し小走りに彼らを迎える。

「おお!シンプソン君無事であったか!おや!?」

「何だ?!」

「ウソ!やだ!!」

バハムートと、ドライ、ローズが、互いを見つけると、いかにも意外と言った感じで、妙な声を出し合って、目をぱちくりする。

「何でジジイが、こんな所に……」

「そういう賞金稼ぎどもが、何でこの様なところに、しかもオーディン殿たちと、一緒に!」

かなり興奮気味に、互いがあまりりよい印象出をもっていない相手を嫌うようにして、指を指しあう。バハムートとしては少しその気はあったが、ドライとしては、ただ驚いただけだった。ローズもバハムートも互いに、悪印象は抱いていない。彼女の声は、驚きの一言に尽きる。

「あの……、子供達が起きてしまいますので、出来ればお静かに……」

シンプソンが何とも申し訳なさそうに、二人の仲裁に入る。と、言われても全員このままでは寝ることなど、出来はしない。食堂でテーブルを囲み、いろいろな話をすることにする。

まずは簡単に、ドライとローズがこの地方にたどり着いた経緯を話す。もっと厳密に言えば、彼らは、ローズの希望で、シンプソンの孤児院によってからさらに北の地方へと行くつもりだったのである。その偶然であの現場に出くわしたのだ。

バハムートは、オーディンの問題、黒の教団の問題で、魔法を使って、彼らより一足先にこの地方にたどり着いたことを話す。

「はぁん、なるほど、この仮面男の用件で……、にしても結局黒の教団か……、やだね全く……」

「仮面……!!失敬な、私には、オーディンと言う名がある!呼ぶのなら、きちんと名前で呼んで貰いたい!」

ドライの礼無きに、一瞬ムッとして、立ち上がりたくなったオーディンだが、五月蠅くなるといけないので、一応の説得だけでやめておいた。

「解ったよ……」

ドライはさも面倒臭そうに、投げ遣りに答えた。ちなみに位置的に言うと、ドライの正面がオーディンで、その左横が、シンプソン、さらにその正面、つまりドライの右横が、ローズだ。そして、彼らに挟まれるようにして、長卓の左の端にバハムートが、座っている。そして少し離れてその正面に、ノアーが座っている。ノアーとしては、少し心細い位地だ。

「さてと、面倒クセェ話は、また明日にでもしようぜ、俺疲れちまったよ。はぁあ」

両腕を高々と伸ばし、緊張感のない欠伸をして、さもノアーに対する問題は片づいたかのように、仕切ってしまう。それから席を立った。だがいくら何でも、切りが悪すぎる。こう言うときに神経質なのは、シンプソンや、オーディンだ。ローズはドライの性格をよく知っているので、特に言葉に出して言うことなど無い。まして彼女が注意して元の鞘に収まる人間でもない。

「一寸待て下さい。まだ黒の教団のことについて……」

と、シンプソンがドライを引き留めようとしたときだった。

「うるせぇ、メガネ!俺にはもう関係ねぇんだよ!!部屋かなんかあるだろうよ。案内してくれよ」

「メガネ……ヒドイ!!」

今度は、シンプソンが、ドライの乱暴な発言に、一瞬硬直してしまう。少しショックだったようだ。ドライは、席から立ったまま、シンプソンを高い位地から、見下ろしている。そして、これを見て黙っていられないのが、オーディンだ。

「なんて乱暴な男だ!もう少し周りに対する口の利き方があるだろう。これは貴公だけの問題では無いのだぞ」

オーディンが、ドライを「貴公」と言ったのは、同じ事件に共通している重要に人物であることと、剣術家として、敬意を払ってだった。しばらくの間自分に向けられた言葉を頭の中で整理しながら、眼をパチクリとさせるドライ。

「貴公?俺がか?こりゃおかしいや!ハハハ!!」

ドライにとってはどんな敬意も、ただの堅苦しい形式張った言葉でしかない。ただそれがおかしかった。とりあえず座ってみる。だが、決して黒の教団の話を聞くつもりではない。

「おい、仮面男、あんた何者だ?そういや格好も、なんかエラそうだな」

彼の言ったエライの意味はいろいろ含まれている。威張っているだとか、金持ちだとか、高貴といった良い意味も含めて、全てだ。

オーディンは、再び仮面男と言われたことを、腹立たしく思う。彼が素顔を気にして付けた仮面だが、改めてそれを再認識させられているように思えて、仕方がなかった。仮面男と呼ばれぬように、オーディンはムキになて、仮面を外した。彼の焼けただれた、左半分の顔面現れる。

「これで、仮面男では無いぞ!名前で呼んで貰うか!!」

仮面を静かにテーブルに置く動作とは反対に、口調は激しかった。完全にドライに乗せられてしまう。

「何だ。てっきり変な顔してんのかと思えば、でかい勲章じゃねぇか……」

オーディンとは逆に、ドライは気が抜けたように、がっかりし、本当に腰から座り込んでしまった。

「勲……章?」

顔の傷を、勲章と言われたことに驚いている。もちろん彼にとって、この傷は卑怯傷である。だがドライの言い方は、ヨハネスブルグの民衆のように、彼にプレッシャーを与えなかった。むしろそれであったことががっかりなようだ。このとき、ローズがドライの変わりに、謝った。

「ご免なさいね、今度こんな事言ったら、比奴ぶっ飛ばすから、気にしないで仮面つけてて良いわよ」

と、言いつつ手は、すでにドライの頭を一発殴っている。

「いてて……!!」

周りから見れば、同じ人間が、環境によって、こうも極端に性格が違ってしまうのかと思うほどの二人だ。一瞬空気が変わると同時に、ローズがもう一発、ドライを殴る。

「痛いって!何だよオメェは!」

すぐに牙を剥きそうなドライだが、惚れた女には、滅法弱い。口で言うだけで、少しも手を出せないでいる。何とも情けない男に見える。

「少しは気が晴れた?まだなら……」

ローズが構える。

「いや……、私も大人げなかった」

オーディンは仮面を付けるのをやめる。一寸空気が変な流れになったときに、バハムートが、重く閉じていた口を開く。

「儂も、皆の疲れ切った状態では、話は続かぬと思う。ドライ君の言う通り、皆ゆっくり休んで、頭も冷やした方が良かろう」

と、いかにも最もしく言う。言っている内容はドライと差ほど代わりはしない。だが。

「まぁ御老人がそういわれるのなら……」

と、シンプソンがあっさりと、前言撤回をする。年長者の功だろうか。

「解った。今夜はもう遅い。明日にしよう」

と、オーディンも疲れた顔をして、席を立つ。二人とも別段悪気はないのだが、ドライとしては、面白くない。無視をされたように思えた。しかし、それも一瞬の間だ。一々細かいところを考える男ではない。休めることに越したことはないので、すぐに立ち上がる。

それから翌朝の事だ。昨晩は疲れ切って皆寝てしまったが、身体も汚れていることから、シンプソンは、皆に気遣って、風呂を用意した。何せ十人以上で生活しているので、風呂もそれなりに広い。一番先に、入ったのはオーディンと、シンプソンだった。

「オーディン、やはり彼女には何らかの……」

「ああ……、皆納得しないだろう。むろん私も含めて、だが……」

オーディンは、私的にもそうだが、公的にも彼女に何かの償いをさせなければならないと、考えている。シンプソンとしては、出来れば免除してやりたい気持ちがあった。罪を憎んで人を憎まずといううやつだ。

その時、風呂場の戸が開き、ドライがタオルを肩に担ぎ前を隠さず堂々と入ってくる。でかい一物が、無神経に揺れる。

「何でぇ、俺が一番乗りじゃなかったのか」

ドライが入ってくると、オーディンはムッとする。ドライは別に昨夜のことなど気にはしていない。オーディンは、ドライの態度を含めて思うことは多少あるが、そう思っただけで何も言わない。だが、ドライの足は気になった。何せ彼の右足は、膝から下が義足だ。ドライは、一度オーディンと目を合わせ、一応の掛かり湯をすると、湯船につかる。

「なぁ、あんたの勲章の話、聞かせろよ」

「悪いが、君に聞かせる義理など無い……」

少し冷たさが感じられる言葉遣いで、さっと、かわす。これに対して、ドライはふっと息を付き、やり難さを表に出す。視線は何処と無しに天井だ。だが、二人以上に一番この空気に敏感だったのは、シンプソンだ。

「あの……、その足、どうされたのですか?」

「足?ああ、これね」

ドライは湯船から普通に足をあげる感じで義足を出す。

「別に、大したこっちゃねぇよ。ドジ踏んで、砕いちまっただけよ」

と、言って、またそれを湯の中に沈める。

「にしても、メガネ君、でかい風呂だな。いいよなぁ、でかい風呂は……」

この時のドライの声音は、いつになく情緒的で、安堵感に満ちていた。

「ええ、孤児院ですから子供が沢山居ますし……、あの、出来ればメガネ君ではなく。シンプソンという名前がありますので、出来れば……」

遠慮がちに、自分の名前を呼ぶようにドライに願い出てみるシンプソンだった。少し揉み手になって、こびているようにも見える。夕べの「メガネ」発言が、よっぽどショックだったようだ。

「考えとく……、それにしても、彼奴何やってんだ?遅いなぁ」

「彼奴?と申しますと?」

と、シンプソンがドライに突っ込んだときだった。ドライの後ろの戸が開き、ローズが入ってくる。彼女も、全く何も隠すことなく、風呂に入ってきた。

「お待たせ!」

と、ローズが言った瞬間だった。

「な!な……な!」

オーディンの周りには、こんな女性など居ない。ローズのいきなりの出現で言葉を詰まらせた。だがもっと酷いのはシンプソンだった。ローズを見た瞬間、顔が沸騰し、あっと言う間に逆上せ、気を失って湯船の中に、沈んでしまった。

「おう、遅かったじゃねぇか、あれ?何してんだテメェ等……」

ドライは、顔を真っ赤にして横を向いているオーディンと、沈んでしまっているシンプソンを、不思議そうに覗く。

「あちゃぁー……」

ローズは、ついドライと居るときと同じ様にとった行動に、片手で顔を押さえ、失敗を隠しきれなかった。

すっかり逆上せ上がってしまったシンプソンなのだが、昨夜の話の続きもあることから、倒れてばかりはいられない。激論になる可能性があることから、孤児院では不可能だ。長老の家で話し合うことにした。

「大丈夫?シンプソン……、相変わらずウブねぇ」

と、ローズは半ば、自分の軽率な行動を誤魔化すようにして彼の様子を伺う。

「ええ、まぁ……」

ふらふらと、今にも倒れそうな足取りで、情けない顔をして、歩いているシンプソン、ローズのしなやかな肢体が網膜に焼き付いて、目の前にちらついて仕方がない。思い出しては、顔を赤らめている。

「馬鹿じゃねぇのか?たかが女の裸でぶっ倒れるなんて」

「はぁ……どうも」

ドライは本当にシンプソンを馬鹿にしきった言い方をする。あきれ顔で、天気の良い空を眺めながら、適当に歩く。シンプソンはションボリした様子で、頭を少し上げて謝る。潔癖なオーディンとしては、ドライのような男はあまり好みでない、何より誠実さが見られない。いわば彼の常識外にいる男だ。だが、その強さは認めている。少し軽蔑心の隠った目でドライを見る。彼の被っている仮面が、より冷たさを感じさせる。本当のオーディンとは裏腹だ。ドライもその視線に気が付く。

「あん?何だよその面ぁ……」

視線だけを斜め下にして、不服そうな表情をするドライ。

「何でもない」

オーディンもドライも互いに突っかかる言い方をする。一瞬二人が拗れそうになった瞬間だった。ノアーが質問をする。

「これから何処へ行くのですか、私をどうかする気ですか?」

ほんの少しだけ、間が開く。

誰かが自然に答えるのを待っていたとき、口を開いたのは、バハムートだった。

「いや、今お主をどうこうするというのではない。君の知っている黒の教団について、詳しく教えて貰いたいだけじゃ」

バハムートがこう言うのだが、ノアーはいまいち警戒心を解こうとはしない。

「そうですよ。安心して下さい」

そこでシンプソンがこう言うと、ノアーは一時安心した顔をしてみせる。彼だけは本当に信用されている。

「けっ!」

ドライはまた、やってられないと言った様子で、今度は地面に唾を吐きかけ、腹立たしさを表す。腹立たしいのはオーディンも同じだが、ドライの態度が妙に気に障る。

「貴公は少し品格に欠けるな、もう少しマナーを守りたまえ」

ふっと息を吐き、ドライを横目で冷めた視線を送る。何度も言うようだが、彼の周りの人間で、この様なことをする人間が居なかったためか、この様なことを言ったのは、初めてのような気がする。

「一々うるせぇなぁ、何様なんだよテメェ……」

ドライにもまたこの様な事で逐一、注意をする人間など居ない。互いのギャップに二人は煩わしささえ覚えた。そもそもこの二人が肩を並べて、歩いているのに問題がある。ローズはすっと、二人の間に割って入る。

「ホラ、喧嘩しないの!苛立っているのは、私も一緒なんだから……」

と、オーディン、ドライの腕を自分の方に引き寄せる。それから作った笑いだが、にこにこする。

「失敬……、私としたことが」

オーディンは、一応に頭を下げ、ドライに謝る。

「いや、俺も悪かった」

頭を下げることはなかったが、ドライも謝る。そしてその後に、一寸クスリと笑う。一寸ナーバスになっている自分に気が付いたのだ。

それにしても、なぜ一番復讐心を丸だしにしていたローズが、この様な行動に出ることが出来たのか?それは、ノアーに対する共感である。彼女も幼い頃に両親を亡くし、姉と二人きりだった。彼女はそういう所は、人情的にもろい部分があった。すぐに自分にオーバーラップさせるところがある。よって、姉を殺されたにも関わらず、もはや彼女にはノアーを恨む気には、なれなかった。

「ご免ね、比奴不器用だから……、二人っきりだと結構心開くんだけど……、ね、ドライ」

と、オーディンに愛想を振り向く感じて、一寸苦い感じで、笑った。

「うるせぇ!!」

ドライは、すねた感じで、もう一度ローズの方から顔をそらせる。

「ふっ」

オーディンは軽く笑う。ドライは気に入らないが、ローズには何となく好感が持てた。それと同時に賞金稼ぎなどをしていることが、不思議に思えた。そんな感じで彼女を眺めていると、ローズの髪の色が、燃えるような赤であることに気が付く。今までは、あまりにもゆとりがなさすぎたため、こんな事も気が付かなかった。

「綺麗な髪の色をしているな」

と、シンプソンの時と同じように、彼女の髪の色を褒める。どうも彼は、美しいモノには、目がないらしい。別に変な意味ではない。純粋にだ。

「そう?私、赤って大好き、情熱の色……」

一寸自分に酔いしれてみせる。一度髪を掻き上げ、太陽に輝かせてみせる。ウットリとした色香が、オーディンの鼻の下をかすめる。それからローズは、ドライの耳を引っ張ってこう言った。

「でも、ドライの目の方がもっと神秘的よ。だって、ルビーみたいにホラ!こんなに赤いのよ」

「イッテテ!な、なんだよ!オメェは!!」

彼女は言葉とは裏腹に、彼の扱いはかなり荒い。その時ローズは、急に二人の顔を見回す。

「ん?ねぇ、ドライと、オーディンさんて、目の色以外、なんだか似てない?ねぇシンプソン!!」

「そういえば……」

シンプソンの言葉に、バハムートも二人の顔を眺める。

「そういえば、悪党と善人という違いはあるが、にとるのう」

オーディンが、仮面を付けているという事故ゆえに、気が付かなかったことなのだが、改めて言われると、共通点が多い、輪郭や目鼻立ちなど、特にだ。

と、周りに言われると、早速ドライが腹立たしげにこう言った。

「なんだって?!この俺がこんな仮面男と似てる?オメェ等、目が腐ってんじゃねぇのか?!」

ドライは此処でまたしても、オーディンのことを仮面男と、呼んでしまう。だが、此処で撤回する気は更々ない。オーディンに馴れ馴れしく、指を指す。

「失敬な!私は仮面男ではない!それに、指を指して物扱いするのもやめて貰いたい!」

せっかく収まった二人の中だったが、ローズの一言でまた蒸し返しになった。また互いに向かいあって、火花を散らせる。今度はシンプソンが二人に割ってはいる。

「まぁ、お二人とも、落ち着いて下さい」

何故、いきなり会った二人が、こうも喧嘩をするのかと、不思議に思う彼だった。ドライのことはよく知らないが、オーディンが、こんなに喧嘩を吹っ掛けるのは珍しいことである。シンプソンだけでは力不足であるので、ローズがドライの頭を、軽く叩いて注意を促す。

「コラ!ドライ、あんたらしくないよ!」

ローズがドライの頭を叩くのも珍しいことだ?それも二度三度、いくら慣れた仲とはいえ、そうあることではない。そういえば昨夜から、殴られ放しだ。ドライの彼女に対する親密な感情を、より深く感じてからだ。親愛の情の現れ?だ。

「いて!何だよ!何で殴るんだよ」

「ムゥ!」

なぜ叩かれたのか、理解していないドライにローズが睨みを利かせる。

「わ、解ったよ」

「よろしい」

ドライの方は納得いかなかった様子だが、とりあえず押さえることにする。

「この場は二人に免じて我慢するが、今度仮面男と言えば承知しないぞ」

彼は、すっと前を向き、注意だけをドライに促す。

「オーディン、どうしたんですか?なんだか貴方らしくないですよ」

「ああ、済まぬ……」〈それにしても、何という無礼な男だ。言葉遣いと言い、態度といい……〉

と、オーディンが腹の底で思っているのと同時に、ドライの方もこう思っていた。

〈何なんだよ比奴は、エラそうに……〉

と、どうも互いの育ちの違いに、馴染めないらしい。丁寧と言えば、シンプソンも丁寧だが、彼の言葉遣いは柔らかみがある。さしてドライには、気に障る所はないのだが、オーディンはあまりにも気高い喋り方をするので、ドライには、それが威張って聞こえた。ドライの態度は、育った環境がそうなので、仕方がないと言えば仕方がない。互いに酷い誤解を抱いているものだ。

それ以後、皆、口を開こうとしない。何せ、口を開けば二人の喧嘩の種になりかねない。だが、ややもすれば、長老の家に着く。これで漸く話の本題に入れそうなので、シンプソンとしては、息をつける一時だ。長老の家に着くと、マリエッタが向かい入れてくれる。

「まぁ、今日はこんなに大勢……、シンプソンさんも無事だった様ね……、さ、中へどうぞ」

と、その時だ、バハムートが、マリエッタに向かって、こう言った。

「マリエッタ、済まぬが孤児院の子供達に、昼食を作りに行ってやってくれぬか?」

「ええ、良いけど」

彼のこの言いぐさからして、話し合いは、短時間で済むものではないと言うことは、皆見当が付いた。ドライは面倒臭そうにため息を付く。

そして長老が現れ、話し合いが開始した。さしずめ有識者に、これをどう見るか、などと言ったものだ。もちろん有識者は、バハムートと長老のことだ。

話を把握しやすくするためにも、長老に昨夜の出来事を話す。すると長老は、一瞬だが冷たい視線をノアーの方に向ける。

「それでは、やはり黒の教団は、存在するのだな」

と、長老が聞くと、ノアーはコクリと頷く。そして、次の質問がされた。

「では彼らを狙った理由は?」

「それは、彼らがシルベスターの血を引いているから……」

「シルベスター?」

と、そこにいたほぼ全員が、全く理解できない様子でこうノアーに聞き返した。

「知っている人もいると思います。伝説にある二人の魔導師。その片方がシルベスターです。私の使命は、彼のを引く者の抹殺でした」

ノアーが過去形で言うのは、彼女にもはやその気はないと言うことだ。

「じゃ、俺のマリーは、そのために殺されたのか?」

ドライの殺意が再び舞い戻る。だが彼は至って冷静だった。それ以外の変化は特に見られない。

「いえ、正式に言うと少し違うわ、確かに彼女は、血を引いていたわ、頭脳の面でね。だけどそれは問題ではなかったわ。問題だったのは貴方、ドライ=サヴァラスティア。貴方が彼女の側にいたからよ。もし、彼女だけなら、殺しはしなかった」

ノアーは、マリー殺害は本意ではない。それを押すように何度も首を横に振る。

「どういう事よ……」

ローズは先の見えない話に、ノアーを睨む。声は少し興奮で涙ぐんでいる。

「彼女は、次の遺跡でシルベスターの封印を見つけるのよ。だけど彼女には解くことが出来ない。出来るのは、直系の血族だけ。その一人がドライ=サヴァラスティアだった。だからその前に遺跡の位置を知る彼女を封じる必要があったの……、ご免なさい」

ノアーは少し俯く。今更ながら、マリーの死に心を痛めた。狂酔的な目的のために、汚れない命を奪ったのだということを、深く後悔する。

「なんてこった。結局彼奴は、俺のせいで……、クソッたれ!!」

苦々しい顔をしたドライが立ち上がり、壁にめり込むほど、拳を強烈にたたきつける。扉を叩くように開け、外へ向かって歩いて行く。ドライは思った。あのとき彼女に恋愛感情などを抱いたばかりに、愛する女を結果的に、自分のために死なせてしまったのだと。この今まで感じたことのない歯がゆさと、苛立ちは、どうすることもできなかった。

自分に対する悔しさをどうすることも出来ず。長老の家から出た直後、彼は立ち止まってしまう。足すら何処へ進めればよいのか解らない。だが、涙を流すのも彼の「漢」が許さない。

気が付くと、後ろにオーディンが立っている。

「なんだ、テメェか……、何だよ」

「貴公が居ないと、話が進まぬ。それに話も済んだ訳ではない。さぁ中に入ろう」

ドライの肩を軽く叩くオーディン。先ほどのオーディンなら、ドライのふてくされた態度は許せなかったが、今はその悲しみが解る。何となく彼が許せた。ドライは知的ではないが、今自分に腹を立てても仕方がない事ぐらいは、理解できる。それに足が前に進まない。

「俺、最近カルシウム不足かな、へへ」

苛立ちを、誤魔化して、再び中へと戻る。

「そうかもな」

オーディンも彼の悲しさに合わせ少しだけ笑う。

中に戻ってきたドライを見て、一番驚いたのは、ローズだった。いったん怒りにまかせて出ていったドライを、引き留めるのを不可能なことを知っているからだ。それに頭が冷えると、どこかで突っ立っているのもドライだ。

彼はそういうどうしようもなく子供じみた部分がある。

「さぁ、話を続けてくれ」

長老が再び話の仕切り直しをする。

「現在色濃くシルベスターの血を引いていて、私たちが知っているのは、オーディンさん、シンプソン様、それにローズ=ヴェルヴェット、貴方もです。きっとまだ他にもいると思います」

ノアーの説明は実に淡々としていた。この事については可成りの事情を知っているようだ。彼らの命を狙っていたことから、そうでないとおかしいのだが、話が大きすぎて、彼らには、少し着いて行けないものがある。

「え?私もなの?」

と、ローズは緊迫感のない声で、しきりに自分に指を指し確認をとる。ノアーはこれに対して、コクリと頷く。

「では、私のために多くの市民の命を奪ったのだな、それに……、いや……、何でもない」

オーディンは、ニーネやセルフィーの事を、口にしかけたが、個人的な感情に走ってしまいそうだったので、その言葉を飲み込んだ。

「はい、今となっては、本当に、ああ……もうダメ!!私どうすれば……」

淡々としていた彼女だが、現実を直視し、自分は取り返しの着かないことをしたのだという事に気が付くと、もう止めどなく涙があふれ出す。手で顔を覆っても、その涙は抑えられない。

此処に女の涙に弱い男が二人居る。いくら目の前の女が、自分の大切なものを奪ったと知ってはいても、やはり女なのだ。自分自身を責めた彼女の態度に弱ってしまう。ドライに至っては、感情にまかせて怒鳴り散らすことも考えてはいたが、何も言えなくなってしまう。

だがシンプソンは違った。ノアーの肩を抱きながらも、彼女の犯した過ちを責めない代わりに、優しく話を先に進めるよう、囁く。

「さぁ、今は泣いている時ではありませんよ。これが今、貴方が出来る精一杯の事です。では、なぜ悪と知っていながら、黒の教団に、力を貸しているのですか?」

女の扱いには不慣れな、シンプソンだったが、今はなぜか彼女の涙を自然に拭いてやることが出来た。彼の胸の奥には、彼女を責める気など全く皆無だった。だが、事実は事実なのだ。

「それは、私がクロノアール、つまりもう一人の、魔導師の血を、次いでいるからです。それに黒の教団は、悪などではありません」

「じゃが、現に伝説では……」

ノアーの説明に反論しかかったバハムートだったが、ノアーはすぐに、涙を拭いながら、それに答える。

「いえ、黒の教団の目指すものは、本当の隔たりのない平等……、ですが、伝説に残ったのは、それを利用し、無秩序に殺戮を繰り返した悪しき者の行い。汚された伝説……、あの方は、それ以上は仰ってはくれません。ただ、風のように囁くだけです」

「あの方とは、クロノアール。つまりもう一人の魔導師の事じゃな」

バハムートが整理のために、確認をとると、ノアーはまた頷く。

「あの方の崇高なる願いを叶えるためには、蝕む者を悉く根絶やしにする。大司教が、そのために私を……、私信じてました。本当の平和のためなら……、何だって出来る。でも、私……、間違っていたのですね」

黒の教団については、取りあえず纏まった話は終わった。だが、やはりレヴェルが違う。古に思える時代の話を蒸し返されても、実感がわかない。

「ナッツェの野郎は、どうなんだよ」

ドライは、自分たちが出会った最初の黒の教団の男の件を持ち出す。

「彼は……間違いでした。少しでも強い影響力のある人間が必要だったのです。私たちの考えに共感してもらうために……、しかし彼は力を手にすると、すぐにその本性を現したのです」

ドライは、そうだろうと思う。ナッツェがなぜ、彼らを知ったのか、そんないきさつは聞いても、話のスパイスにもならない。この世界には、いろいろなつながりが存在する。ナッツェについては、ノアーの話もこれ以上は進みそうになかった。

話が終わった直後、ドライは再び立つ。

「はぁ、何だかよ!俺には関係ねぇ、ようは終わったことだよな、ローズ行くぜ」

「一寸ドライ!!もう少し話を聞こうよ。姉さんにも関係があるんだから!」

ローズは慌ててドライの腕を引っ張り、彼を引き留める。ドライは背中を向けたままこう言った。

「マリーが、何を探そうとしていたのかも、解った。終わったんだよ。冴えねぇが、これが俺達の旅の終わりだ。来るか来ねぇか、お前に任せるぜ」

その時のドライの背中は、これ以上もなく淋しいものだった。殺すと決めていた相手を殺せず。暴こうとしていたマリーの残した謎も、テーブルを囲んで交わした会話で、事が片づいてしまった。彼としてはこれ以上やり切れない気分はない。五年の歳月を費やし、気迫だけで生きてきた意味が此処で無に還った。再び歩き始める。

だが、気迫だけで生きてきたのは、ローズも一緒だ。

「まって!!ドライ待ってよ!」

そう言いつつ、二人は外へ出て行く。そしてある程度歩いたときだった。

「ローズ、来るか?」

彼にとっては、ローズが自分を追いかけてきた事が嬉しかったのか、立ち止まり少し微笑みながら、振り返る。

「ねぇ、終わったのなら、此処で暮らそう!静かだし、此処じゃドライが賞金稼ぎだって事を知っている人も少ないわ!きっと静かに暮らせるわ!!」

この言葉を聞いて、ドライはとたんに、目をパチクリさせ、キョトンとし、笑い出す。

「あはは!!お前、このドライ=サヴァラスティアを捕まえてか?マジで言ってんのか?」

何とも卑屈に聞こえる。だがローズの言葉は止まらない。

「本気だよ!不道徳かもしれないけど、もし姉さんが死んで、私がこの世界に入って、ドライと出会わなかったら……、私ずっと、正面から貴方を愛せなかった……、ううん!きっと私が姉さんから、ドライを奪ってたかもしれない!」

ドライは何れマリーと、一所に落ち着き、ローズとも何れは出会っていた。彼女は、その時のことを想定して、話を進めていた。さすがのドライもこの話の進展には参った。見事な発想だったかもしれない。だが、ドライには、ローズを責める気にはなれない。ましてや小馬鹿にすることなどもできない。彼はそのことを、マリーと遂げようとしていたのだ。今のローズは、マリーと比べても劣らないほど、心を許せる相手だ。

「解ったよ。いいぜ、俺の残り……、お前にくれてやるよ」

ドライの手が、ローズの髪に触れ、そのまま頭を抱き込むようにして、自分の方へと引き寄せ、濃厚なキスを交わす。ローズは、身体をヒクリとさせながら、その行為を、受け入れる。

二人の様子が気がかりで、外に飛び出てきたその他大勢(オーディンやシンプソンを含む)だったが、目に飛び込んできたのは、こんな二人の光景だった。

「やれやれ、何なんだあの二人は……」

オーディンは呆れた口調で、一つため息を付き、それでも暫くそれを眺めている。

「いかんのう、最近の若い者は、場所を選ばん」

「待ったくだ」

と、言って、バハムートと長老は、家の中に引きこもってしまう。ノアーは、この光景を見て、少し心が救われた。

「あの、良いんですか?話の続きが……」

「シンプソン、野暮な事を言うな、落ち着けば戻ってくる」

彼らもまた中に戻る。一寸息抜き程度に時間が経つと、再びドライも、ローズも戻ってくる。ドライとしては飛び出して二度目だ。何だか格好悪い、一寸ふてくされている。ローズは先ほどのキスでご機嫌だ。ドライの腕に絡みつくようにして、甘えている。顔も自棄ににこやかだ。

「おいって、一寸離れろよ」

「良いの良いの!」

ローズは全く離れる気はない。まじめな話をするのには、あまりにも不釣り合いな笑顔だ。だが、長老が、再び話を仕切る。

「で、どうするのだね、君らは……」

と、同時ローズが切り出す。

「私もういい……、ドライが側にいて、此処で暮らしてくれるって言ったから、それでいい……」

彼女の言葉で、静かな空気が、より静かになってしまう。

「で、ドライ君は?」

これに対してドライは、鼻の小脇を掻きながら、天井の方をキョロキョロした視線で、暫く考える。だが、どうすると言われても、ローズの答えがそのままなので、今更言うほどのことでもない。それに、あえてまじめな顔をして答えるのも彼らしくない。

「それで良いんじゃねぇのか……な?言っちまった事だし……」

「うむ、そうか……、では、二人は?」

今度は、その質問は、シンプソンと、オーディンに振られた。

「私は、その……子供達も居ますし、話が深すぎて……、どうするもこうするも、ありませんよ。今まで通りの、生活をするまでです」

「私には、もはや帰る故郷もありません。皆と静かに、此処で暮らしたいと思います」

ローズとドライはともかく、彼らには、話が途方もないことなので、本当にどう答えて良いか、解らなかった。それに、伝説にも興味があるわけではない。ただ、平穏に暮らしたいだけだ。だが、もしマリーが生きていたのなら、彼女はこれを探求しただろう。

シンプソンが付け足したように口を開く。そしてノアーの顔をのぞき込む。

「あ、どうです。ノアー、貴方も一から此処でやり直してみては?」

暫く彼女は口を噤んだままだった。俯き戸惑っている。皆を見回してみた。ローズは、相変わらずニコニコしたままだ。ドライはそんな彼女の髪をなで、構ってやっている。問題はオーディンだが、彼も特に、何も言わない、呆れた顔で、二人を眺めるだけだ。だが、ややもすると、答えを出す。

「仕方があるまい。すぎた過去は還らぬ。やり直せばいい、此処でやり直すことが、君にとっての償いだ」

ハッキリしない答えではあるが、彼女に選択を任せるのは確かだ。ノアーはまだ迷っている。シンプソンが、もう一押しした。

「どうです。孤児院は男手二人では、淋しいですし、手伝ってはくれませんか?きっと変われますよ」

「あ……、はい……」

落ち着いた、確実な返事だった。だがノアーには、一抹の不安があった。それは、他の刺客が彼らを襲わないかと言えば、決してその様なことはない。何れ誰かが彼らを抹殺しに来るだろう。ノアーは、この事を彼らに打ち明ける。

オーディンが言った。

「その時は、その時だ。どんな壁でも、打ち破ってみせる」

ノアーの言っている意味が解らない訳ではないが、もはや此処を離れる気は、彼にはない。

それから、数日がたった頃だ。ローズは、ドライにベッタリだ。外に出て、草の上で、寝転がっているドライの胸に、頬を当て、じっととしている。

「ドライ……、私、今すごく幸せ……」

「ああ、そうだな」

ローズの同意に、適当な返事をしてやるドライだった。彼にとってこれが本当の幸せだったかは、解らない。だが、少なくとも、自分の胸の中で寝ているローズを見て、こんなに穏やかな顔をしているのだ。彼はこれで良いのだと思った。だが、あのドライが静かなものだ。こうしている時は、あまり喋らなくなった。物憂げに見つめ、気迫は全くの奥に潜めてしまった。

サムとジョンが、こんな二人を、眺めている。

「せっかくローズが帰ってきたのになぁ……」

「うん、遊んでくれないね」

と、話していると、ドライとローズに、二本の剣を持ったオーディンが、近づく。

「済まぬ。貴公とは、一度、剣を交える約束をしていたな」

「あん?」

ドライとしては、とうに忘れた約束だったが、相手からの挑戦だ。剣を振るう者として、受けないわけには行かない。ニヤリと笑い。起きあがる。ローズとしては、邪魔をされてムッとしたが、久しぶりに、ドライの暴れるところを見たくなった。それに身体を鈍らせないためにも都合がよい。

オーディンの、ハート・ザ・ブルー、ドライのブラッドシャウトが抜かれ、二人とも構えてみせる。互いに真剣だ。ローズが場を仕切る。

「用意は良い?二人とも、周囲に注意してね、子供達も居るんだから……、それからホントに、切っちゃダメよ」

「無論!」

「オーケーだぜ」

「始め!!」

ローズの叫びと同時に、先に斬りかかったのは、ドライだ。豪刀を振り、縦に上から真一文字に切り下ろす。すごいスピードだ。オーディンは瞬間、受けの体制をとるが、それを受けるのを無理と感じ、身を後ろに引く。

間合いとしては、ドライの方が確実に長い。が、剣が長すぎる。振り下ろすと、確実に、地面を割った。オーディンはこれを好機と感じ、素早く間合いを詰め、ドライに斬りかかる。だが、ドライの筋力は、やはりただ者ではない、オーディンも筋力には自信があったが、ドライのそれは明らかに、彼のものを凌いでいる。意図も簡単に、地面から剣を引き起こし、剣先を下に剣をたてて、オーディンの攻撃を防ぎ、軽く弾き返す。そして、剣を下から上に振った。

オーディンは、後方に宙返りをし、間を空け、これを逃れる。

「な……!」

「へへ……」

ドライが笑う。目をキラリと光らせた。オーディンは剣技を心得ているが、ドライのスピードは、彼の剣技を、もろともしない。それだけでは、確実にドライに勝ち目はない。力負けしてしまうのだ。またドライが喋る。

「本気出せよ。アンタ、エンチャント、得意なんだろ」

生き生きとして挑発をするドライ。

「ふっ、遠慮はせぬぞ」

「どうなっても知らないとぞ」と言いたげに、同じように生き生きとしてオーディンが言う。

ドライはこれに頷く。さぞ満足げだ。彼の赤い瞳がさらに赤く輝く。まるで本当に、血を欲しているかのようだ。

オーディンが、切り込む。ドライはこの時点で、本格的に、足を使い始める。オーディンが間合いを開け、剣に魔力を、付与する間に、ドライが切り込むが、ドライが一撃を放とうとすると、また少し間を空ける。そして、ドライに隙ができ、オーディンが魔力を放つと、ドライはこれをブラッドシャウトで跳ね返す。その隙に、オーディンが、ドライを狙うのだが、彼もやはり、後方や左右にかわし、これを凌ぐ。このときにオーディンは、数度、剣を振るうことが出来るのだが、ドライに全て弾かれるのだ。だが、ドライより間を広く取ることが出来るオーディンは、彼の隙を、より多く誘うことが出来る。そして、剣で近距離を攻めることもできる。いわばドライは中距離のみの攻撃となるが、遠距離からの魔力の攻撃は、ある程度無視できる。

二人の決着は、なかなか着かないが、周囲の地面は、もはや激闘でぼろぼろだ。いつの間にかこの騒ぎに、シンプソンやノアー、他の子供達も外に出てしまっている。

オーディンは、再度剣に魔力を付与し、それを放ってくる。だが、今回違ったのは、彼自身がその魔力の後方を追尾してきた事だ。ドライには、何なのかすぐ読めたらしく。剣を地に突き刺し。胸元を探る。このときに、オーディンは、ドライの頭上を舞っていた。ドライはこれに向かい、懐からナイフを一本取り出し、オーディンに向かい投げる。

「くっ!」

彼は空中でありながらも体を捻りながら、これをかわす。

「もらい!!」

ドライはこの隙を見逃さない。再び剣を抜き、地を蹴り、オーディンに斬りかかる。これは彼が宙に浮いている間の出来事だ。オーディンはドライの格好の餌食になると思えた。その時だ。

彼の身体が、さらに進行方向に、一伸びする。

「あら?」

オーディンの跳躍を見て、ドライは剣をそのまま振り切った。これは予想外だったらしく。妙な声を出す。

オーディンは、そのまま後方に回転をしながら、着地をする。その時に二人とも身構えるが、息を切らせ、これ以上何をやっても無駄と感じる。

「参ったな、このオーディンが、引き分けてしまうとは……」

「目の錯覚か?なんか、最後、飛距離が伸びたぞ」

「まぁ、技の一つだ」

「ふん、どっちにしても、埒が開かねぇな、引き分けにすっか?」

「そうだな」

正直に言って、互いに負けるのが多少怖かった面もある。それに、疲れた。

二人とも、息を切らせながら、剣をしまう。ドライとしても、オーディンにしても、久しぶりに、純粋で爽やかな汗を流す。シンプソンがそこに割り込んできた。

「お二人とも、流石ですね。でも、遊んだ後はきちんと片付けるのは、礼儀ですので……」

それから彼等は当たりを見回す。あちらこちらの地面が、掘り返されたり陥没していたり、景色が滅茶苦茶だ。早い話が、これを取りあえず平らに戻せと、言うことらしい。

「う、うむ、仕方があるまい」

「マジかよ……」

ドライには、礼儀も何もない、ただ面倒臭いだけだ。ただで、そんな事をするわけがない。

「それじゃ、二人とも頑張ってね」

と、言って、ローズも無関係とばかりに、皆と家の中に戻って行く。ドライがそれを引き留めようとする。

「おいって!お前もイッチョ噛みだろうが!」

だが、彼の言葉など、全く無視をして、そのまま中へ入っていってしまった。

「仕方があるまい、我々のしたことだ。我々で何とかしよう」

オーディンは、自分の非を受け入れ、ドライの肩を叩き、彼に諦めるよう促す。

「冗談じゃねぇ!何で俺が!ダイイチこの勝負持ち込んだのは……」

「先日に言い出したのは貴公のはずだが……」

何とも惚けた言いぐさで、ドライの揚げ足を取る。こう言われると確かに、最初に勝負を持ちかけたのは、ドライの方だ。その時のオーディンの言い方に、棘が感じられ無かったせいか、ドライは、ウンザリして、ため息を付き返事を返しながらも、後片付けをすることにする。

「解ったよ、とっとと、おっぱじめようぜ」

「よし来た」

二人は、早速辺りの地面を均しにかかる。当然農耕具を使っての話だ。ドライもオーディンも、まさか剣にとって変わって、この様な物を持つとは、思っても見なかった。二人とも、剣を扱っているときとは、違って、屁っ放り腰だ。夕日が暮れかかる中、二人の会話が入る。相変わらずの作業が続く。

「ったく、アンタが、所構わず魔法ぶちまけるから、こんな事になったんだ!!」

「貴公も、剣で地面を掘っていたではないか」

「う……」

何ともはやである。だが、この剣を交えたことは、二人にとって、ただの興味本位では済まずにいた。何となく良い退屈しのぎの相手が見つかったのもあるが、まだまだ希薄ではあるが「友」と言う関係が、生まれつつあった。

それから、さらに数日経った日、それは、彼らが、昼食をとっているときのことだ。外の方で、なにやら、騒がしい物音がする。

「何ですかね、騒がしい音がしてますが……」

と、シンプソンが、当たりをキョロキョロと、眺める。だが、眺めていると言っても、部屋の中だ。

「シンプソン、お行儀悪いよ」

と、ジョディが言う。彼はその言葉に、正面を向き、気のせいかと、食事を再び始める。ドライは、食するときは、ほとんどそのことに集中している。が、このときは、いきなり席を立ち、骨付きの肉を、喰らいながら立ち上がり、窓の側まで行き、手を窓枠に付きながら、外を眺める。オーディンは、やはり彼のこういう所を、拒絶した。

「ドライ、食事くらいまともに食えんのか?」

だが、ドライは、窓の外に気を集中して、しきりに眺める。流石にローズは、普段の彼らしくない行動に、気が付き、側により、同じように外を眺める。

「どうしたの?」

「煙だぜ、こんなくそ田舎に、似つかわしくねぇなぁ……」

その言葉に、外を眺めると、確かに煙が、村の方向に数本点々と上がっている。その様子から、単なる火事ではなさそうだ。とすると、二人の思考できるのは一つ。襲撃である。

ドライの「煙」という言葉に、オーディンや、シンプソン、ノアーも立ち上がり、窓の外を眺める。すると、先ほどの光景より、少し煙の上がりが酷くなった光景が、飛び込んでくる。

「大変です!とにかく行ってみないと!!」

「ああ……」

シンプソンと、オーディンは、慌てて外へ出ようとする。だが、ドライはこれを制止した。

「まぁ、待てよ!慌てんなって……、ローズは、どう見る?賊か……、それとも……」

「どうかしらね、ノアー……、心当たり無い?」

ローズは別に彼女を責める様子もなく、ごく一意見を聞く態度をとっていた。

「ありません、少なくとも、私の知っている限り、この地方では……」

と、言われると、再びドライの方を向く。と、その時、村人の一人が、この孤児院に向かって、走ってくるのが見える。

「おい、メガネ君客だぜ」

すると間もなくだ。

「大変です!村が盗賊に!ハァハァ……」

村人の話では、盗賊団が、いきなり村の中に駆け込むように、雪崩れ込んできたという事だった。目的は、財宝ではなく。この村の豊富な食料らしいのだ。今、殆どの村人が囲まれているらしい。オーディンがこの事に、ふと疑問を持つ。

「どうしてだ?賊なら、皆殺しにするはずでは?」

「いや、比奴は切れもんだぜ、奴らは、村を虐げて、安定を確保するつもりだぜ、ま、とにかく賞金首のお出ましって所だ。久々の仕事かな、行って来るぜ!ローズ!」

「一寸!待ってよ!」

ドライは、あっと言う間に、外へと出て行く。もちろん愛刀を、持ち出してだ。それにしても、昼間から堂々と襲撃をするとは、賊としては大胆不敵だ。その当たりを少し警戒する必要がある。そう感じた彼は、近づくことを考えたが、それ以前に相手を探ることを考えた。ひょっとすると、此処までの間に、もう姿を見られているかもしれない。

「マズったな、ま、首が刈れりゃ良いか……」

基本的に、彼の思考から、人命という物は生まれない。殺るか殺られるかだ。ドライの方からは、特に何も見られない。村の中央くらいまで来ると、足を止め、建物の陰に入った。

「なんか、テキパキしてんな、連中は何処だ?」

と、考えていると、彼の走ってきた方向から、それぞれ装備を調えたローズとオーディンが追いかけてきた。

「一寸、ドライ、一人で先走らないでよ」

「それに、村人の命が、かかっているのだぞ、もっと慎重に事を運ばないと……」

彼は外に出るときは相変わらず、仮面を付けている。

二人の言い分を聞くと、ドライは、その場にしゃがみこみ、指先で地面に、この辺一体の地図を描く。それから現在地の点を打つ。その様子に、何かの作戦だと思い、残り二人も、腰を下ろす。だが……。

「村人一人につき幾らだ?」

ドライは、突然こんな事を言い出した。

「は?何のことだ?」

さっぱり何のことなのか、理解できないといった様子のオーディンだった。自分が何か聞き逃したのではあるまいかと、もう一度ドライの方に、耳を傾ける。流石にこの言い方は、通じる所でしか通じない言い方だった事に気が付き、面倒そうに投げ遣りに説明する。

「つまりだ。村人一人救出するのに、金を幾ら出すって言ってんだ」

「な!何という男だ!剣を交えたときはもっといい男だと思っていたが!貴様という奴は!」

この、非道徳人間に、腹の根底から怒りを煮えたぎらせるオーディンだった。状況も忘れ、立ち上がり、大声で叫び散らす。ドライは耳を指でふさぎ、目を瞑る。しかし、その叫ぶオーディンの口を、ローズが塞ぎ、喋れなくしてしまう。

「一寸静かに、ホラ!ドライだって、お金ばかり考えないで、たまにはボランティアも、ね」

このまま放っておくと、ドライの方もやがては加熱し、喧嘩になりかねない。こんな対照的な二人が居ると、周りの方がヒヤヒヤしてしまう。だが、そこにいるのも、止めることもできるのも、今はローズだけだ。

「ボランティア?メガネ君か?オメェは、って、そういやこう言うときに、一番飛び出してきそうなあのメガネ君が居ねぇな」

「そう言えば、出てくるとき一緒だったのに」

ローズは、沸騰しかかったオーディンの口を塞いだまま、当たりを眺める。すると、皆がやってきた道の方から、ノアーと、シンプソンがやってくる。ノアーの方がわずかに、足が速い?

「オーイ!待って下さい!!」

「皆さん!」

それから二人が、此処まで来るのに、数十秒と言ったところか、二人を加え、話が始まる。もちろんシンプソンは、村民の命を助けると言い出す。と、言うと。

「仕方がねぇなぁ、メガネ君の家には、ローズ共々居候してるし、ちょいと高い家賃だが、たまには良いか」

こうなると、以外にもドライは、すんなり身を引く。この辺の貸し借りだけは、怠りのない男だった。

それで、早速作戦を練ることにした。と、言っても、相手がプロならこういう位地を、取るのではないかと言ったモノだったり、もしこの土地を自分たちの塒にするなら、村人全員を人質にしなくても良いはずだということ。だとしたら、直に有力でない、即ち村の中心でない者は、村に返されるはずである。当然村には何人か監視がつくだろう。それも問題だが、人質が減るのを、待つ方が重要だ。

人質を重要な人物に限るのは、働き手がいないと、村の収穫物を半永久的に奪えないこと、それに、村の団結力を弱めること、戦意を殺ぐ、と言ったことが挙げられる。重要な人物には、バハムート、長老夫婦などが挙げられるだろう。

もし襲ったのが山賊なら、やはり彼らの居るのは、普段住み慣れている森だろう。だが、そうでなければ、この山地の中、彼らの居る場所を。限定しにくい。

「もし、森にいるのなら、私が居たあの、神殿が地理的には有利ですわ、意外に村も監視しやすいですし、距離的にも申し分ありませんし……」

皆、地面に描いた適当な地図を見ながら、ノアーの、この意見に耳を貸す。

「フム……」

オーディンが、顎に手をやり、なでながら、少しため息混じりの声で、これを理解する。だが、彼なりにも、何かを考えているようで、いまいち意志が曇りがちだ。

「私はこう言うことには詳しくはありませんが、彼女は信じてあげたいと思います」

シンプソンらしい意見だったが、この事態を解決するには、何の足しにもならない意見だ。皆一応彼の顔は見てくれたが、返事はなく、また地図を見る。

「ようは、人質が減るのを待って、事を起こすのはそれからって事だな」

「そうだな、村の人が帰ってくれば、奴らの位地も解るだろう」

オーディンのこの言葉を、皮切りに、皆立ち上がり、一旦此処から離れ、孤児院に帰ることにする。此処まで駆けてきた意味はなくなってしまったが、確実に人命を救うためだ。聊か仕方がない。

事を起こし始めるタイミングは、シンプソンの遠視により、村を観察することで、村人が村に帰ってきたことを確認し、一番ベストだと感じる瞬間を捉えることにした。

孤児院には子供達が居るので、ある程度騒がしい。これを相手してやるのが、オーディン、ローズ、ノアーは勿論、意外にもドライが構う。口悪く文句を言いながらも、彼らと戯れている。ドライは、形はでかいが、多少子供染みたところもある男である。わりと気が合うかもしれない。ただ、シンプソンは、彼の口の悪さ、態度の悪さが皆に移らないかというのが、非常に心配だった。

「以外だな、貴公のような男が、子供好きだとは……」

「何言ってやがる。仮面……、(いや、今は仮面つけてねぇな)オーディン(かな?)、俺だってよ……、いや、何でもねぇや」

と、途中まで言っておきながら、急に照れくさそうに、話すのを止め、彼らと戯れるのを止める。が?

「こら!ガキ共!髪の毛ひっぱんな!!メガネ君教育悪いぜ!」

オーディンに、こういう事をする者は少ないが(いや、居ないだろうが)、ドライはこういう事をされやすい、タチなのだろう。だが、教育と言った点では、彼は言えた口ではない。態度も口も悪いのだから。

そろそろお腹が空いてきたときだ。食事は、女二人が作ってくれる。この状況で男で料理をこなせるのは、シンプソンだけだが、今は手が放せない。そろそろそういう時間になってきた夕方時だ。

「皆さん!村人が解放されたようです。監視付きのようですが……」

「よし!」

食事どころではない、こうなると、颯爽と動き出そうとするのが、オーディンだった。仮面を付け、帯刀し、準備を整える。だが、ドライは違った。

「え?何だよ。タイミング悪いな!飯食ってから行こうぜ、て……イテテ!!」

「もう!アンタって人は、ホラ!準備準備!」

ローズに尻を抓られ、身体をビンと硬直させ、だらしなく叫ぶ。最近は、どうもローズに、尻に敷かれ気味で、気迫のないドライだった。だが、何となくだらしないドライは、周りから見て、良い意味で、お似合いだったかもしれない。彼は此処に来てからどうも調子が狂った様子で、しっくり行かない感じで、首を横に捻りながら、ぶつぶつと呟き、それでも準備を進める。

皆が一応の、準備を整え、出かけるときだった。

「それではノアー、済みませんが、留守番もかねて、孤児院の方を頼みます」

シンプソンの言葉に、ノアーは軽く頷く。昼のように安全ではないし、強力な魔法を、備えていることから、彼女が残るのは適役だ。それは皆、理解した。

「オメェもだよ。メガネ君」

と。ドライが口を挟むと、シンプソンが、気合いの入った口調で言い返す。

「それは、出来ません!私は村の一員でもありますし、村の皆さんには、普段からお世話になっています。此処で、私が行かない訳には!!」

杖を振りかざして、妙に力説をしている。

「でも、シンプソンって、ホント体力無いからねぇ」

「だな……」

頼りにならないといった視線のローズが、気合いの入った彼に、白けた視線を送り、シンプソンの自信が疑わしく、上から下と交互に彼を眺め回す。彼に筋力等の体力関係が弱いのは、すでに立証済みだ。オーディンも、深く頷き、ローズの意見に賛成の返事をする。シンプソンは、宙にかざした杖を、何処に納めて良いのか解らず。軽く胸元に構え、二人を何度も見返す。少し困った調子で、眉を逆八の字にして、メガネの上で戸惑っている。

「私って、そんなに体力無いですか?」

「無い!」

と、ほぼ三人に、同時に言われてしまって、シュンとなってしまう。暫く妙な調子で空白の時間が流れる。

「はぁ……、解ったから、とにかく面倒クセェから、行こうぜ、死んでも俺は知らねぇぞ!!」

と、ドライが、投げ捨てるようにして言い放ち、早速軽く走り、村の付近にまで行く。要するに、孤児院の敷地と、村の境目だ。そろそろ本格的に、日が暮れ始めた。空が赤みより、紫を経て、漆黒に変わり行こうとしている。あまりモタモタもしていられないので、すぐさまドライの居る位地に、皆集まる。

これからどうするかだ。

「先ほどの様子からして、監視は数名、村と森をつなぐ道の森付近で、ウロウロしています。どうやら単なる威嚇程度のようなものですね、例えば村人が、変な気を起こさないようにとか、それに村を監視するには、この村は建物が点々としすぎてますし、昼以外は村人を全員確認できませんからね、ですから……」

と、シンプソンが、長々説明していると、皆が意外と言った感じで、彼の顔をまじまじと眺める。やはり抜けているような感じがして、頭が冴えているのは、シンプソンだった。

だが、これほど戦術的な意見をするとは、思いも寄らないことだ。暫くそんな状態で、彼は見つめ続けられる。

「何でしょうか?」

彼のその、逆に皆に驚いた様子の声で、皆正気に戻り、再びこれからどうするかを考えることにする。話し合った結果、間違いなく長老夫婦は、捕まっている。村人が解放されたにも関わらず、バハムートが来ないことから、彼も確実に捕まっているに違いない。

方法としては、時間帯から考えて、夜襲になる。オーディンから見れば、多少卑怯な感を受けたが、その様なきれい事を言っている場合ではない。人命優先だ。

まず、シンプソンの言っていた、村と森の間をうろついている連中を片付けることにした。

「あぁあ……、見張りっつったって、何をみはりゃぁ良いんだか……」

「ああ、それにしても、冷えてきたと思わないか?」

「……」

森と村の間にある道で、会話をしているのは、盗賊団の一員と思える二名だった。一人の男が、辺りを見回し、相手に背中を向け、暇つぶしとも思える会話をしていたときだった。一番最初に話しかけてきた男の返事がない。

「おいって、返事しろ……!!」

その様子が気になって、後ろを向いた瞬間だった。闇がかる中、赤く眼を光らせたドライが、気配を消しながら、その一人の男の喉元をナイフで抉り、突っ立っている。

「ひ!……がっ!!」

その光景を見たもう一人の男が、声を立て驚き叫ぼうとした瞬間、ドライはそのナイフを引き抜き、相手の眉間に投げつける。その男は、瞬時にあの世行きだ。暗殺に近いやり方だ。そして、騒がれないためのテクニックだ。オーディンとシンプソンは、ドライという男に少しぞっとする。冷静に、しかも自ら進んで、指を震わせることなく、平然と人間を殺すのだ。仕事を終えた彼は、実に淡々としている。

「さてと、どうする?一気に攻めるか……、一匹一匹、確実にしとめるか」

もう次の行動を考えている。だが、今は、この事に批判している場合ではないのだ。長老達を助けなければならない。

「取りあえず。削るだけ削って、機会を見て一気にって言うのはどう?」

ローズがドライに意見をする。彼は相棒の意見に、ニヤリと笑って頷く。彼としてはどちらでも良いことだったが、彼女がそうしたければそれで良いと思ったまでの話だ。ドライの反応を確かめると、ローズも相づちを打つようにして、ニコリとし、コクリと頷く。シンプソンとオーディンは、彼らの作業の慣れに、任せることにした。

彼らは、森へと向かう。地点としては、ノアーと出会ったあの場所と言うことになるのだが、歩く度に、枯れ葉や落ち枝と言ったモノを踏む音が、頻りに鳴る。勿論ドライと、ローズではない。オーディンとシンプソンだ。

「おい、お前等、これじゃ夜襲にならねぇじゃねぇか」

と、霞がかったひそひそ声で、彼ら二人に注意をする。二人は返事を返すこともなく。ただ、足下に注意しながら、ドライの言うことを聞いた。オーディンとしては、少々ムカッときた。だが、ドライとローズは、殆どと言っていいほど、足音を立てないで歩いている。流石と言うべきだろう。

このころになると、日はもうとっぷりと暮れていた。

それから、一寸歩いたときだった。シンプソン以外の、三人は、人間の気配に気が付き、本格的に、気配を消す。さっと、相手の位地と思える方向の逆の木陰に、身を潜める。それから、シンプソンも見よう見まねで、木の陰に隠れる。

さらにローズは、木の枝に飛び乗る。さながら猫と言った感じのしなやかさも伺えた。それから、辺りを見回し、ドライの方に向かって、数回、フクロウの鳴き真似をして、合図を送る。

ドライが、オーディンの側により、これを伝える。

「居たってよ。人質も敵さんも、結構集中してるみてぇだ、一気に襲撃すっか?任せるぜ」

「そうか……、難問だなぁ、せめて、一瞬でも、敵を混乱させることが出来れば……」

ドライと、オーディンは、互いに目を合わせる。オーディンは、もう一度彼の意見を聞き直すつもりで、視線を合わせたが、ドライは此には、落胆的にお手上げと言った様子で、息をもらし、両手の平を、肩口辺りで、上に向ける。

その時にシンプソンが、二人の間から、ヒョッコリと顔を出す。二人は、此に驚き、互いに声をあげようとしたのに気が付き、互いの口を塞ぐ。

「ウグググ……」

「モゴモゴ……ゴ……」

そのままの状態で、今度はシンプソンの方だけを向く。木の上からはローズも見下ろしている。

「要するに、相手の目を眩ませるか、視界を利かなくすればよいのでしょう?」

「ムモゴムググムグ?(そんなことが、出来るのか?)」

「ええ……、こちらも、見えなくなってしまいますけど……」

「フガフガフガガフガ、フガガガフガガ(悪党は、気配で分かる、良いから出来るんならさっさとやりやがれ)!!」

二人は互いの口を塞いだまま、真剣な顔をしてシンプソンを、のぞき込む。だが、その間抜けな姿は、全く緊迫感が見られない。勿論彼らはそれなりに真剣だ。特にオーディンはそうだった。

「わ、解りました。大気に満つる神よ。今しばし敵の眼を欺き賜え!!」

シンプソンが、何らかの呪文を唱える。すると途端に周囲は、濃霧のように真っ白なものに、覆われ始める。そのせいか、気温がより寒く感じられ始めた。一寸先を見渡すのも難しい状況だ。

「なんだ?!」

「どうなっちまったんだ」

「霧だ!!」

彼らの少し先の方角で、そんな声が聞こえてくる。それは、盗賊達の声のようだ。人質になった人の物と思われる声も、ちらほらと聞こえてくる。向こうでは相当パニックになっているようだ。だが、そんな盗賊達の声も、直に悲鳴と変わる。霧の中で、三人が、気配だけで、盗賊を殺しているのだ。

その時だった。

「阻む者、退け!!」

気迫の隠った女の声がすると同時に、シンプソンが作り出した霧は、瞬時にして、消え去ってしまう。たちまちに、彼ら三人の姿は、露になってしまう。いきなり予定の崩された彼らは、少し慌てるが、すぐさま自分のなすべき事を把握する。オーディンは、人質が眼に入ると、縛られている彼らを直ちに解放する。

「長老!御老体!!」

「お、やはり来てくれたか」

長老は遅かれ早かれ、彼らが来ることを読んでいた様子だ。だが、その声は、明らかに予想外に早かったと言った感じのモノだった。きつく縛られていたのか、上腕を頻りに揉んでいる。老人だから尚堪えたのだろうか?しかし怪我はないようだ。その時、ドライが叫ぶ。

「おい!ジジイ共!仮面男!モタついてんな!!ボスキャラのお出ましだぜ!!しかもだ……」

ドライは相変わらず、仮面を付けているときの彼を仮面男と呼んでいる。その呼びかけに、腹が立ち、ドライを睨むように振り返る。だが、彼のむかつきを、かき消してしまう光景がそこにあった。山のように築かれた死体もそうだったが、その向こうには、まるで魔法使いのような、質素なローブに包まれた黒装束が立っている。フードのせいで、口元辺りしか見えなかったが、それは間違いなく女性だ。

「黒装束?」

「……らしいぜ」

またか、と言いたくなっているような、ウンザリとして言うドライ。側にまで来たオーディンに向かい、皮肉に笑っている。じきにローズもシンプソンも駆け寄る。顔ぶれがそろうと、彼女は喋りだした。

「やはり来たか、いや、そう仕向けたのだがな……」

可成りの格調高い、しかも棘のある口調で、語る女。その言いぐさから、此は彼等をおびき出すために取った彼女の狂言らしい。

「義理堅い二人と、血に飢えた賞金稼ぎ……、この二組を同時に誘い出す策は、なかなか骨がいる」

早い話が、盗賊団を雇ってまで、彼らを集めたかったようだ。そういうと、仕掛けるのも、いきなりだった。

両腕を正面に上げ、魔力を蓄え、手を赤く光らせ、一気に魔力を放ってきた。

「いけません!!クリスタルウォール!!」

シンプソンが、真っ先にその呪文の前に飛び出す。そして透き通るガラスのようなシールドを正面に張る。女の呪文の熱量は、その「タメ」の無さから想像もできないほど、凄まじいモノだった。シールドにぶち当たると、轟音を発し、衝撃となって、大地を震わせた。もし彼が皆の前に立たなければ、今頃は此処にいる全員は、黒こげであっただろう。

「やるじゃん!メガネ君」

「ドライさん、感心していないで、皆を早く逃がして下さい!!」

シンプソンは、呪文に集中しているせいか、やたら早口で、ドライをせかす。と、ドライは一応行動に出る。

「おら!テメェ等邪魔だ!さっさと家に帰ってネンネしな!!」

此を逃がすと言うのかは解らないが、取りあえず、長老、バハムートを含め、村人は此処を離れていった。残るは、彼らだけだ。女の呪文は、強力な上に、持続性もある。呪文そのものは防げるのだが、徐々に周囲に熱が伝わり始める。この季節に不釣り合いな暑さになり始めた。それぞれの額から、汗が流れ始める。

「このままでは、埒が開かぬな、何か良い方法はないか!」

何れにせよ。このままでは、こちらの方が、暑さに耐えきれなくなってしまう。その事に気が付いたオーディンは、策を見いだそうとするが、この熱量の前では、どう足掻きようもない。だが、この状況で、一人だけ打開できる人間が居たのだ。

「要するに、彼奴をやっつけちゃえば良い訳ね……」

と、言って、ローズは眼を閉じ、意識を集中し始める。すると、彼女の周囲がうっすらと輝き始める。そして、再び目を開け、軽く剣を振り回す。それから、ニコリと笑い。事もあろうか、シールドの外に飛び出してしまった。彼女は、燃えさかる炎の中を、一気に駆け抜ける。

「おのれぇ!」

女はローズに、向かって、また別な呪文を放つ。火炎系の魔法のようだが、詠唱もないし、先ほどの魔法封土威力もない。ローズは、少しそれに押されながら、女に踏み込み、剣を縦一文字に、振り下ろす。

「ああ!」

レッドスナイパーが、女の顔面をかすめると同時に、女の悲鳴がする。

「踏み込みが甘かった?!」

ローズは一瞬自分を疑う。普段ならこんなミスは、するはずもない。だがこのときは、ミスを犯した。此は数日の間に、剣技が鈍ってしまったわけでも、殺すのを躊躇ったわけではない。あまりの熱量のせいで、像がぼやけ、正確な位地がつかめなかったのだ。このミスは、普段から、最速最短、最も無駄無く相手を殺せる間合いを取っていたために起こったミスでもある。

この一瞬に、彼女の身体は隙だらけになってしまう。致命の一撃を与えられなかった。ローズの顔が青ざめる。だが、女は反撃をしてこない。冷静に見ると、すでにこの瞬間に、彼女から見て、女の左にドライと、右にオーディンが、素早くフォローに回り、その首に剣を押し当てている。剣は交差され、彼女の喉元で、金属のかち合う音を立てている。

「遊びすぎだぜ、幾ら女でも……な」

「ウム……、ん?この女、ノアーに似ていないか?」

「ん?」

と、オーディンの声に、皆でその顔を眺める。フードのはだけた女の顔を眺め、女の顔を、観察する。眉間を通るようにして、少し深めに、ローズの剣の跡が入っている。熱で肉を焼いているため、血は出ていない。

「覚えてらっしゃい!!」

と、その隙に、あっと言う間に、姿を眩ましてしまう。瞬間移動のようだ。

「あ!」

せっかく捕らえかけた獲物だったのだが、逃がしてしまい、半ば落胆とも思えるローズの声が、驚いて響く。

それにしても、ノアーとそっくりだったのは驚きだった。違うところと言えば、服装、それに、ノアーに比べて、輪を駆けた大人っぽさが見られたところか?

その時だ。呪文が解けたはずなのに、周りが妙に暑い、それに焦げ臭いし、パチパチといった、いかにも火事ですという感じの音が聞こえてくる。それに、先ほどに比べて明るい。その異変に、それぞれ辺りを見回してみる。

「おいって、これってマジで火事になってんじゃねぇのか?」

と、ドライが半分冗談にならない冗談を言う口調で、辺りを警戒しながら、誰に聞くともない様子で、上の方を見る。すると、シンプソンの呪文で跳ね返った熱量で、すでに木が燃えさかっているのが、それぞれの眼に入る。

「ウォーターガーディアン!!」

すると、またもやローズが、彼女自身の目の前に、古代語と思える文字をスペリングし、それを大地に叩き付けるように、掌で、光で描かれた文字を、真下に押し下げた。すると、彼女の前方を直線上に、数個の魔法陣が、地面に浮かび上がる。それはドライの目の前でもあった。その魔法陣から、今度は一気に水が噴き出してきた。

「うわぁ!!」

ドライの前後で、激しく水柱が上がる。高さは、樹木より遥かに高く。水量も可成りのモノだ。地下水を、噴出させたモノではない。確実に何処からか、転移させたモノだ。その勢いで、ドライはあっと言う間に、びしょ濡れだ。水柱の陰から、横にヒョッコリと顔を突き出し、水で垂れ下がった髪をかきむしりながら、ムッとした顔をする。だが、怒っているのではない。だが、ムっとした顔をしている。

「オメ……、もうチョイ、場所考えろよ」

「アハハ!!忘れてた。良いじゃん、善は急げって言うし、どうせ濡れるんだから!!」

これを笑って誤魔化す彼女だった。悪びれる様子もなく、自分のミスを無邪気に笑っているだけだ。

「比奴……」

今度はドライが、ローズの頭をヘッドロックし、つむじの辺りを拳を当て、グリグリと回す。

「いたぁい!!」

甘えた声で、痛がってみるものの、ドライがそれを止める気配はない。それに、大して痛くもないようだ。なんだかんだ言いながらも、顔は笑っている。周りから見ても、ただじゃれあっているようにしか見えない。気が付くと、雨が降り始め、次第にスコールのような、激しい雨になっていた。火事も少しの延焼で済んだようだ。もう燃えている気配は感じられない。

彼らが、家に帰った頃だ。かなり遅くなったが、夕食にすることにする。黒装束の存在を知っている長老とバハムートは、すでに孤児院に足を運んでいた。だが、夕食どころではない。そこには、毛布にくるまって、横一列に、椅子に座って並び、嚔をしている四人の姿があった。子供達は風邪をうつされたくないので、時々様子を見に来るが、食堂には入らない。今はそれぞれの部屋で、何かをしている。

「ヘックシ!!っと、ったく!どっかの馬鹿が、クソほど水撒きやがるからよぉ!!」

と、左横を見るドライ。意味有り気に横に座っている人間を、ジロリと見つめる。すると、横に座っている人間が、逆にドライをにらみ返す。

「何よ!じゃぁ、ドライが止めれば良かったんじゃない?出来たの?ねぇ、グスグス(鼻を啜る音)」

と、突っ込まれると、確かにドライには不可能だ。彼は魔法自体、そう使えたわけではない。藪蛇だったようだ。返す言葉が無くなる。

「まぁ、良いではないか、我々が風邪をひいただけで、事足りたのだ」

「そうですね、こんな風邪くらい、放っておいても、二、三日で治りますよ。ズズズ……(鼻を啜っている)」

と、オーディン、シンプソンの順に、ローズの方を向き、ローズもまた彼らの方を向き、彼等と視線を合わせる。少し引っかかる言い方に、頬を膨らまし、ぷんぷんと怒ってしまうローズだった。勿論彼等に、そんなつもりは、毛頭もあるはずもない。ただ純粋に彼女のフォローに、廻ったつもりだった。だが、仕掛けた本人も、行き過ぎたことを知って、少々傷ついてしまったようだ。

「どうせ、私は、お馬鹿ですよーだ。ヘックシン!!」

本当に、ツイーっと、そっぽを向いてしまうローズだった。一寸気まずいこの雰囲気に、苦笑いをして、逃避をしてしまう二人だった。

このとき、神の助けのように、ノアーがスープを持って来てくれた。皿の中から立つ湯気を見るだけで、体が温まりそうなにおもえる。

「皆さん、ご苦労さまでした」

と、ごくにこやかに、スープを差し出してくれる。と、皆で彼女の顔をまじまじと、毛穴の奥まで見る勢いで覗き込む。正直言って、異様な視線だ。何か、疑われて居るわけでもないし、警戒されているわけでもないので、よけいに不自然だ。

「あの、何か?」

と、言うと、今度は、彼等は、互いに交互に目を合わせ、その度にコクコクと、頷きあっている。異様そのものだ。性格の違う彼等の行動が、これほど一致するのも、変である。やはり先ほどの女性は、ノアーによく似ている。それに黒装束だ。彼女に聞いてみる価値はあると思い、シンプソンが代表して、聞いてみることにする。彼は当たりが柔らかいし、ノアーに一番信用されている。他の者が聞くと、彼女が警戒してしまうおそれがある。それに、何となく聞きづらいものもある。

「ノアー、実を言うと、貴方のによく似た女性が現れたのです。しかもその女性は、黒装束……、黒の教団でした」

「黒装束」の言葉を聞いたとき、彼女の顔は一瞬暗くなる。俯き後悔の念を走らせた。自分は、警戒されているのだろうか?と。だがしかし、前に付いていた「自分に似ている女性」という言葉を思い出し、すぐにハッと面を上げ、皆の方を向く。確実に彼女に思い当たることが、あるようだ。

「黒の教団は、確かに集団ですが、それぞれの顔を知っているわけではありません、ですが皆、一人だけ、確実に知っている人物が居ます。それは、大司教です。きっと彼女に違いありません……、さぁ、スープを飲んで、身体を少しでも暖めて下さい」

ノアーは、半ば自分で言葉を遮るように、スープを勧める。他は、あまり話したくはないようだ。だが、それだけ解れば十分だ。スープを啜りながら、再び話を進める。

「おい、大司教っていや、黒装束の頭じゃねぇか!」

あまりにも当たり前すぎることだが、いきなり相手の重要人物が出てきたのだ。ドライは、これを驚かずには、いられない。

「そうね、でもまさかあんな質素なカッコした人間が、真打ちだなんて……」

鼻水を啜ったローズは、ドライに同意する感じで、スープを飲む。それと同時に、自分の頭の中を休めた。少しは寒さがとれ、疲れも取れてくる感がする。

「やはり我々が、じっとしていたところで、向こうは見逃してはくれぬのだな」

オーディンのそのあまりにも疲れきった言葉に、それぞれが、それぞれの思惑で、ため息を付く。特にシンプソンのため息は、より深刻さを増していた。今にも頭を抱え込んでしまいそうだ。

この話を聞いた長老とバハムートは、今日の所は、これで帰ることにした。要は、どういう状況だったのかを、聞きに来たようなものだ。その後、ぐったりとした彼等も、部屋に戻ることにした。直後、ローズとドライは、ベッドを共にしていた。ドライが珍しく寝付けないでいる。天井を、ぼうっと眺めていた。

「どうしたの?満足できなかった?」

と言って、ローズが、もう一度彼の胸の上に、刺激的に抱きついてきた。何度も首筋にキスをし、彼を誘ってみる。

「ん?ああ、一寸な」

何とも気のない返事だった。彼女を軽く抱きしめ、自分の胸の中に、彼女の顔を沈めさせた。彼が夜を思考に費やすなど、あまり見られないことだ。彼と夜を共にして、この様な素っ気ない様子は、今回が始めだった。

「何よ。素っ気ないわね、今日は、ノリが悪いよ」

少し鼓動を高鳴らせたローズの指先が、ドライの一物に絡み、催促する。

「ち、贅沢な奴……、何回イケば、気が済むんだよ」

と、ぼやきながらも、再び彼女を抱き始める。野暮ったく考えるのを止めにしたのだ。明日は明日の風が吹く、と言ったところだ。それが彼の今日までの生き方でもある。

だが、眠れない夜を過ごしているのは彼だけではなかった。オーディンもその一人だ。彼が星空しか見えない窓の外を眺めていると、一人の少女が、ノックも無しに、彼の部屋に入ってきた。

「ジョディ、どうした?ホラ、冷えるぞ、こっちにお入り」

オーディンが、ジョディを見つけると、彼女を自分のベッドの中に、誘った。彼女は、時々皆に内緒で、オーディンのベッドに潜り込んでいた。互いに特別扱いは、良くないことをし知りながらも、これを良しとした。オーディンにして見れば、ニーネと結ばれれば、何れ彼女のような、子供が出来たに違いない。そう思えて仕方がなかった。ジョディにしてみれば、父親に似ている彼に甘えたかったのだろう。

「最近、変なことばっかり起こるね、怖いよ……、ローズも帰ってきたのに……」

彼女の言いたいことは良く解った。せっかく賑やかになりつつあるのに、その頃から、シンプソンを始め、皆の顔が、何となくさえないのだ。特に今日はそうだった。村中騒ぎになるし、皆、今まで以上に疲れ切っている。それに子供達には、理解できない話ばかりしているのだ。不安にならないはずがない。

「大丈夫、何も不安がることなど無いさ……何も」

ジョディを胸に抱きしめ、不安をその胸に、押し込めるようにして、眠りにつくオーディンだった。彼は何も考えたくなかった。だがその性分上、考えずには、いられなかった。

それからもう一人、いや、二人、寝付けない人間がいた。もう一人はシンプソンな訳だが、彼もまた、ベッドの上で、疲れを癒しているのだが、モヤモヤして眠ることが出来ないでいる。そんな彼の部屋の扉を、静かに、彼にしか聞こえない音で、ノックする音が聞こえた。夜遅い時間だ。

「誰です?」

戸を静かに引き明け、その正面に立っている人間を見て、彼は驚く。何故ならそこには、ノアーが立っていたからだ。立ち話も変なので、一応部屋に通すことにした。彼女はしずしずと、部屋の中へと入る。それから、積極的に、ベッドの上に座る。だが、シンプソンが驚いたのは、それだけではない。彼女は黒のネグリジェを着ているのだが、あらぬ部分のシルエットまでスケスケに透き通っている。シンプソンはこの時点で、沸騰しそうに、真っ赤になっている。

「さぁ、お座りになって下さい」

「え、ええ」

彼女と初めてあったとき、初めて彼女の横に座ったときも、ベッドの上だった。ベッドは何かの縁なのだろうか?シンプソンは、顔を赤くしながらも、ノアーに逆らえずちょこんと大人しく、横に座る。だが、視線が合わせられるわけがない。そっぽを向いたままだ。

「シンプソン様、話をするときは、相手の目を……」

「そ、そうですね」

と、ノアーの手に介添えられながら、彼女の方を向く。そのころになると、沸騰が飽和に変わっていた。しかし、一応眼と眼を合わす。ノアーの瞳が、クルクルと変化しているのが解る。どうやら、ただ話し合いに来たわけでもなさそうだ。それ以上の思惑があるのが解る。ノアーは、シンプソンと目が合うのを確認すると、ゆっくりと話し始める。

「実は、大司教は、私の姉なのです」

「何でですって?!」

一瞬だが、空気が正常に戻る。シンプソンは、これに乗じて、この怪しい雰囲気を打開しようとするが、ノアーが、彼の胸元に手を付き、より間を詰めてきた。

「しっ!話を聞いて下さい。彼女は私など比べものにならないほど、強力な魔力を持っています。今から考えれば、彼女は異常です。あの方の意志をはき違えています。誰かが彼女の暴走を止めなくてはなりません!ですが、もし皆が、彼女を私の姉と知れば……、きっと彼女を止めることが、出来なくなってしまいます。でも、あなた様だけには、真実を!!」

彼女は、明らかに死を持ってでも姉の暴走を止めてくれと言っているのだ。その瞬間酷く思い詰めた表情を見せる。それからもっと彼に強く縋ってみせる。だがシンプソンには、彼女の肩を抱いてやるのが精一杯だ。勿論彼が誠実であるのは言うまでもないが、彼はこういう雰囲気が、元来不慣れだった。いわゆるあまりパッとした人間では無かったせいだろう。考えれば、本当に個人の欲望の選択をされたのは、これが初めてではないだろうか?だが、そこはやはりシンプソンだった。

「さぁ、自分の部屋に戻って、ゆっくりお休みなさい」

かなり照れの混じった声で、すっと彼女を引き離す。強引でも強制でもない。が、彼女はシンプソン彼に逆らわず。離れることは離れた。だが、視線を合わせたまま、首を横に振る。彼女の視線は、彼を完全に釘付けにしてしまった。彼女の視線は、自分を奪って欲しい、そう感じられるほど、潤んでいる。

「いっ!?い、い、い、一緒に寝るだけですよ?変な期待はされても、無駄ですよ」

と、掌に汗をにじませながら、声を震わせて言うと、彼女の方もそれで手を打った感じで、クスクスと笑い、俯いた。それから小さく頷いてみせる。

シンプソンは、今にもぶつぶつ言い出しそうな顔をして、ノアーをベッドに導き、自分の胸を貸してやる。彼女は、シンプソンの胸に顔を埋めると、そのまま速攻で、眠りについてしまう。可愛らしい寝息が聞こえてくる。シンプソンはその時、彼女のしたい事が少し理解できる。彼女は彼とどうなっても良い反面、彼の側に居れさえすればよいのだ。

シンプソンは、逆に強引に貞操を奪われるのではないかと、変な不安があったが、それもないのでほっとした。いわゆる心の準備が出来ていないという奴だった。ついでに、彼はこの晩一睡たりともする事が出来なかった。ドライとローズとは、対照的な二人である。

翌朝のことだった。オーディンは、異様に目覚めが良く時間ばかりが余る朝靄の中愛刀を持ち、庭へと出る。気晴らしに剣でも振ることにしたのだが、それより早く、他の人間が起きていることに気が付く。その人物も、剣を振っているようだ。本人の身長と同じ丈ほどある剣、朝靄の中でも二メートル近くもあるその姿で、誰かは一目瞭然だった。それからすぐに姿が見え、本当にドライだという事が解る。

「珍しいな、貴公が早起きなど」

これは、半ばドライに対する嫌みでもあった。ドライは大抵昼近くに起きるという、毎日がだらけた生活をしているので、言われても仕方がないことだ。だが、深い意味はない。嫌みと言っても、別に互いに気にすることでもない、他愛もない挨拶の一部だ。

「あん?一寸……な」

構えてみたり、縦一文字に震ってみたり、軽くフットワークを入れてみたり、無心になっているようで雑念で満ちた何とも気合いの入っていない姿だ。見ていると、汗だけが意味無く流れているようにも見える。

それを横目で見ながら、オーディンも背を伸ばし、上体をぐるりと回してみたり、アキレス腱を伸ばしてみたりと準備運動をしてみせる。だが、その後は、ドライと同じであまり気合いが入っていない。やることもさして変わらない。オーディンの方が、型がハッキリとしている分、見栄えだけはよい。

「なんだよ、横で腑抜けた剣振るなよ。こっちまで気合いが入らなくなるぜ」

「何を言っている。そちらこそ、はじめから、気合いが入っていないぞ!」

「ウルセェや!!」

何を言っても、互いが全くその気無しで剣を振るっている事実には代わりはない。互いへの当て付けだ。

「では、互いの剣、どちらがより不抜けているか、確かめてみるか?」

「よし、おもしれぇ……、けど、この前みたいな、穴掘り合戦は、ナシな」

「良かろう」

これも、一つの気晴らしだ。互いに、本気を出しすぎると、今度は、破壊が広範囲になりそうだ。それに、そうなると、遊んだ後の後片付けが大変だ。

まずは、本当の純粋な互いの剣の腕前を知るために、鍔を合わせる。それから軽く押し合いをする。いわゆる鍔迫り合いだ。剣の装飾上、鍔のぶつかる音が五月蠅い。今にも何かの拍子に剣同士が引っかかりそうだ。基本的な力は、ドライの方が遥かに強い。だが、やる気のない度合いはあまり変わらない。ハートが熱くならない限り、その力も発揮されない。ただ、ガチャガチャと五月蠅いだけだ。いい加減こんな状態はウンザリするほど、時間が経ったような気はしたが、実は数分しか経っていない。

「なぁ、本気出せよ」

「そちらこそ……」

互いに変な譲り合いをしてしまう。やはりこれも気晴らしにはならない。

「ああ!!止めだ止めだ!!」

と、ドライの方から試合を投げ出してしまう。やけくそに、剣を地に突き刺し、その場に乱雑に胡座をかいで座り込む。何をやっても心此処に非ずだ。その様子を見てから、オーディンの方も剣を鞘に納め、同じようにドカリと、座り込む。

「何か悩み事か?」

あまりにもドライらしくないこの様子に、幾らあまり気が合わないとはいえ(気に入らないと言うのは、表面上のことだが)、さすがのオーディンも気になってしまう。本当に心底心配そうな声だった。正直言って、自分のメンタルな部分を男などに話す気のないドライは、このあまりにも親切な訪ねかたに、怒鳴り散らす気にもなれず、見透かされたことを照れて、オーディンから、プイィっと顔を背けてしまう。

ドライが、この場を馬鹿らしくなり、立ち上がり、孤児院へと戻ろうとしたときだった。彼は、急に激痛に襲われ、右足を抱え込むようにして倒れ込んでしまう。

「いってぇ!足の指がつりそうだ!!」

このドライの言葉は、通常なら、大して気にもならない言葉だ。だが、彼の右足は義足であり、足の指がつるはずがない。正直言って何を言っているのか、オーディンには解らなかった。ドライは、ズボンの裾をめくり、義足を動かしてみる。自分でその様子を見ながら、なにやらしっくりいかない様子をしている。

義足は、動かす度に、光ファイバーケーブルのような管が、その動作に反応し、光ってみせる。そのほかにもいろいろ複雑な動作をしている。実に、巧妙に出来ている。このときに、バハムートの言葉を思い出す。今まで余りにも自然に使えた義足だったので、その事をすっかり忘れていたのだ。

それは人間の感じる、ごく当たり前の、知覚を、備えていることだ。

「全く。良くできてるぜ、比奴は……」

動かして解ったことだが、どうやら親指の辺りが、故障しているらしい。このままでは、埒が開かないので、義足の留め具を外すことにする。

「痛みを、感じるのか?」

オーディンがドライの方に近づき、しゃがみ込み、義足の方を興味深げに覗き、それからドライの方を向く。

「ジジイが細工したんだ。あのジジイじゃなきゃ治せねぇ……」

「御老体のことか?だが、取りあえずは、家に戻ろう。肩に掴まるんだ」

と、ドライの脇の下に腕を滑り込ませ、彼を持ち上げようとしたオーディンだったが、ドライがこれを嫌う。

「いらねぇよ!」

肘を張り、オーディンの腕をはねのける。

「良いから意地を張るな!!」

「良いって言ってんだろ!!」

と、互いに、下らない意地の張り合いをする。こうなると、お節介を焼くほうも、焼かれる方も、互いの主張をするばかりだ。

「だから意地を張るな!!」

オーディンは、強引にドライに肩を貸す。この意地の張り合いは、オーディンの勝ちだ。

「ち、お節介野郎……」

どのような感情が、入り交じっていたかは、本人にすら理解は出来ていなかった。だがしかし、人に助けを借りるという行為が、彼にとっては、照れくさいことだった。照れくさくなると、すぐに相手の方から顔を逸らす。

その刹那、突然、大地が前後左右上下と勢い良く揺れ出す。その瞬間、彼等はバランスを崩し、倒れ込んでしまう。とても立ってはいられない激しさに、それでも何とか立とうとしながら、この揺れを分析しようとする。

だが、その地震は、数秒後、収まってしまった。辺りを伺う。もう何も変化はないようだ。二人は、身体に残る揺れに、恐れながらゆっくりと立ち上がる。

「怪我はないか?」

「ああ、でも吃驚したぜ、此処って、地震が頻繁なのか?」

「いや、シンプソンの話では、そうではない筈なんだが……、そうだ!子供達が心配だ。戻ろう」

オーディンは、ドライを引きずるようにして、孤児院に戻る。玄関に付く頃になると、逆に中から皆が出てくる。行動の遅さから、皆あまり地震の経験がないようだ。誰も彼も驚いた顔をしている。中には恐怖に泣きながら出てきた子供もいる。

シンプソンが、皆の様子を確認する。どうやら誰も怪我はないようだ。

「良かった。皆無事で……、ホラ、ラッツ、ヨハン、バニー、泣くんじゃありませんよ」

と、少しゆとりのない様子で、泣いている彼等を、宥める。

「あら?ドライ、義足どうしたの?」

ローズが、ドライの持っている義足を眺め、それを受け取り、胸の辺りに抱える。

「ああ、チョイ調子悪いんだ。スマネェが、ジジイ呼んできてくんねぇかな」

ドライが、ローズにバハムートを、此処に連れてくるように、頼んだが、その必要はなかった。地震の件で、此処最近、神経過敏になっている長老が、彼を引き連れて、直に孤児院へと足を向けてきたのだ。

即座に話が始まる。それは直に黒の教団と結びつけられるが、ノアーに聞いても首を横に捻るだけだった。もはや彼女は、黒の教団ではない。これ以上の情報を持っているとは思えない。あまり何でもかんでも、話を一つの異変に結びつけるのは、良くないことだが、彼等が黒の教団と出会ってから、いろいろな事が起こりすぎている。だからどうしてもそこに結びつけてしまいたくなるのだ。

このときに、ドライ、シンプソン、オーディンの三人が、同時に声を出す。それぞれがそれぞれなりに、声に重みがあった。

「あの……」

「実は……」

「あのよぉ……」

互いに、話の腰を折られ、三つ巴で、互いの機嫌を伺いあっている。まずドライが、気をそいだのか、ため息を付き、手を差しだし、二人に話す権利を譲った。これを見てから、オーディンが、シンプソンに話を進めるように、いった。

「どうぞ」

「え、ああ、済みません」

シンプソンは、一度周りを再確認し、それから話を始めた。

「実は、黒の教団のことなんです。私、思ったんです。このまま我々が此処にいれば、きっと、彼らは私たちを狙ってくると……、それに、ノアーの言ったこと……、私たちが、シルベスター……の子孫であることと言うこと、私が一体どうしてそうなのか……、兎に角私たちが此処にいることは、危険です。村の人たちにとっても、子供達にとっても……」

「シンプソン、それって、私やドライに、出ていってくれって事?」

シンプソンの言い方が、あまりにも語尾を濁していて、彼らしくなさに、ローズは、落ち着きながらも、眉間に皺を寄せ、怪訝そうに彼の答えを催促する。だが、シンプソンは首を横に振る。

「違うんです。ですから私が……此処を離れて……、少しでも、彼等の集中を、防げれば、と……」

この瞬間、子供達がざわめく。

「ヤダよ!シンプソンで出てっちゃヤダ!!」

「いやよ!!」

彼等は今にも泣きそうな顔をして、シンプソンの腕を引っ張る。焦点がぶれるほどに、右へ左へと揺さぶられる。

「何を言う!シンプソン、君は子供達に必要なんだぞ!それに私も同じ事を言うつもりだった。出て行くのは、私だ」

今度は、奇妙なほど、静まり返ってしまう。子供達があまりのショックに、泣くことすら出来なくなってしまう。いつの間にか、オーディンもシンプソンも、席を立っていた。互いの目は、それぞれ譲り合う気配を見せない。二人の決心は固いようだ。その横から、ドライが口を挟む。テーブルの上に左足を乱雑に乗せる。

「アンタ等が、どうしようと、俺の知ったこっちゃねぇ……、俺は、ただ、追われるのはイヤでね。言いたいことは一つ!このドライを殺ろうって輩は、誰であろうと、ぶっ潰す!!」

中指を立て、目の前に突き出す。それから親指を立て、手首を寝かせ首の前を横にひき、指を下に落とす。それから、興奮を抑えながら、再び話を始める。

「でだ、誰か暫く、ローズを、頼むわ」

要は、これを言いたかったらしい。でなければ彼が一々この様な面倒臭い話を他人にするような男ではない。それを一番解っていたのはローズだった。彼が夕べ、心此処に非ずだった理由が解った。それを理解できると、ローズが、ベッタリと彼に甘える。見ている方が、照れてしまうくらいだった。

「馬鹿ねぇ、私行くわよ。ドライのいるトコなら……」

「今度は、下手すりゃ死ぬぜ、たぶん……」

「大丈夫、何とかなるわ」

もう自分たちの世界に入りきっている。人目を気にすることなく。じゃれあい始めた。頬を寄せてみたり、キスをしてみたり……。挙げ句の果てに、ローズはドライの上に跨り、ドライの背中を強く抱き始める。

「抱いて……」

こんな二人を仕切り直すように、バハムートが、咳払いをする。

「ゴホン!!お主等、少し待て、では、子供達は、どうする?」

「私が!私が、頑張ります!!シンプソン様が、居ないしばらくの間……、それくらいのことしか、今の私には、出来ませんから」

ノアーが、立ち上がり、これまで自分の犯してきた罪を、その事で少しでも返して行きたい、そんな気持ちを一杯にさせて、手を胸の前で組み、最後を濁すようにして言う。

「頼みます。信じていますよ。貴方のことを……」

彼は、どうしても、此処を離れるつもりだ。珍しく彼の言葉が、周りを重苦しくする。彼なりに思い詰めているようだ。ノアーはシンプソンの信頼を受けると、これ以上もないにこやかな顔をする。どんなに落ち込んだ言葉でも、シンプソンに信頼されたことで、彼女の心に陽が射した。

「はい……」

実に穏やかな返事だった。そうすると、シンプソンも強張らせた顔を解し、穏やかさを取り戻す。

バハムートと長老は、いつの間にか地震のことを忘れていた。それよりも、彼等が他ならぬ決心で此処を離れることに、寂しさを覚えた。

バハムートは、ドライの義足を修理するため、もう少しの間、孤児院にとどまる事になる。ドライは、寒さの厳しさを感じ始める庭で、頭を冷やすかのように、寝そべり、空の雲を眺める。

〈昔は、気ままだったぜ……、奴と会うまでは、それに彼奴……。いつでも死ねた。それにバトルに熱くなれた……、バトルにゃ、今でも熱くなれる。でも、賭けるものが、多くなっちまった。分がわりぃよな……〉

と、センチメンタルになっている自分に気が付くと、口元だけで、クスリと笑う。

「良いのか?足が冷えるぞ」

ドライにしては、またもやオーディンだった。彼はドライの右足を気遣ってくれているようだが、ドライにとっては、余計なお世話だ。ただ、オーディンが気になっていたのは、何故ドライが、義足に頼ってまで、賞金稼ぎをしているのか、と言うことだった。だが、それを聞いて答えるような男ではないのは、重々承知だ。だから、この言葉にすり替えたわけだが、ドライは上からのぞき込むようにしているオーディンを、無視するように顔を背けるだけだ。

ドライとしては、別に人を無視するつもりはない。しかし、オーディンとは、育ちも違う故、あまり適当な冗談が通じそうにないこの男を、気の合わない男だとして、あまり喋る気にはなれなかったのだ。だが、剣術家としての腕は、認めている。顔を合わせたいのは、剣を交えるときだけだ。

この場からさっさとどこかへ移りたいが、ドライは片足だ。今動くとあまりのも態度が露骨なので、眼を閉じ、眠るふりをした。

オーディンは、ドライの横に座る。オーディンは少しだけだが感じていた。彼は、善人ではないが、卑劣な悪党では無い、と。子供達が彼に近づいたことで、それは解る。少し待つことにした。この手の男は、こちらから攻めるより、焦れてこの状況が耐えられなくなり、向こうの方から話をさせる。これに尽きる。

彼がドライに近づいた理由は、もう一つある。互いに敬遠したい相手だが、それぞれ離れ、もう会えなくなると思うと、ドライの態度の悪い生活が見られなくなるのが、何となく淋しく感じられた。ある意味で、彼にとって、ドライが自然に見えて、新鮮だったに違いない。今更のような認識だが、それはそれで良かった。何となく話すきっかけとなった。もう少し口を噤んで、ドライの出方を見る。

案の定、ドライは黙りに耐えられなくなり、口を開く。だが、態度としては、素直ではない。さらに背中を向け、まったく興味がないと言った感じに見えた。

「なぁ……、勲章の話、しろや……」

「勲章?」

一瞬何のことか、理解できなかったオーディンだが、以前ドライと出会ったときに言われた勲章の、話を思い出す。顔の傷に手を触れ、彼の言いたい事を納得した。

あまり人に話したくない過去ではあるが、話したところで、あまり真剣に聞く男でないように思え、今は以外にも、口をすんなり開けることが出来た。

熾烈だった過去を思い出しながら、そして死んでいった戦友を思い出しながら、若き日を語る。両親を亡くしたことも、卑怯に思えるその傷の話もだ。その時に、ドライが背中を向けたまま、簡単にボソリと言う。

「済まねぇ、気にしてたんだな、仮面男って、何回くらい言ったっけかな、俺」

まさか、さんざん言ってきたことを、この様に謝られるとは、思っても見なかったが、取りあえずその後の話の余韻を話していると、ふと、セルフィーの事が口に出る。

「……本当に、良い奴だった。勇敢な奴だったよ」

「ダチか……、ダチっていや、今の俺には、ローズしか居ねぇな」

「私がどうかした?」

と、いつの間にか、二人の後ろには、ローズが立っている。そして、手にはドライの義足を持っている。修理が終わったので、持ってきたといったところだ。

「そう言えば、マリー=ヴェルヴェットと言う女性のために、二人は血眼になって、黒の教団を、探していたんだったな。ドライの……、恋人だったのだな」

オーディンは、ローズの出現で、ドライが義足に変えてまで、賞金稼ぎをしながら、黒の教団を探していることを、思い出す。やはり同じだ。態度も生活も違うが、愛おしい者を失った悲しみは、変わらないのだ。戦闘を仕掛けるドライの顔とは違って、今の彼は何だか穏やかだ。マリーが死んだことを、一々掘り返されたので、ドライは鼻で苦笑する。

「違うね、彼奴は、『元』恋人だ!!」

ローズの持っていた義足を、引ったくるように奪い、ズボンの裾を上げ、それを填め込む。それから調子良さそうに、足を動かしてみせる。それから、ローズに靴と靴下を渡され、義足の上からそれを履く。すっと立つと、外からは、彼が義足であることは、全く解らない状態になる。

「今の俺には、ダチ兼恋人の、比奴が居るからよ!!彼奴は『元』なんだ!!」

それから、少し乱暴気味にローズの肩を自分の方に引き寄せる。

「何よ。その兼ってのは、最近アンタって、妙にセンチね、さぁ冷えるから中、入ろ!!」

「へへへ……」

鼻の下を、人差し指でこすって、何となく元気になったドライの引き寄せた腕を、ローズは押しのけるようにして外し、今度は自分自身の方に引き寄せ、その腕に絡みついて、何ともニンマリと、脳天気に微笑む。

「死ぬんじゃねぇぞ!」

「任せて!!」

互いに、軽い口調で、言葉を交わし、ドライが、空いている掌を上にして、ローズの前に差し出すと、彼女は、勢い良くその掌を叩いた。これからの意気込みを感じられるほど、心地よい音だった。

それから、数日後、彼等はそれぞれの意志に基づいて、旅立ちの準備をし、最後に密かに知人だけで、孤児院の前で別れの挨拶をした。彼等はそれぞれ、此処に着いたときの服装、そのままの出で立ちだった。オーディンは、仮面を付けている。

「皆さん、暫く後を頼みます」

「黒の教団は、必ずこのオーディンが、食い止めて見せます」

「みんな元気でね」

「おい、行くならさっさと行こうぜ」

旅立つ者の、それぞれの挨拶が終わる。今度は送る側の代表として、バハムートが挨拶をする。

「皆、元気でな、宿命は過酷じゃが、君らならきっと、切り開くことが出来る」

此処に来て、ありがちな台詞だ。ドライ以外は、一応に頷く。だが、この後、バハムートは思い出したように、ローズに話しかけた。

「そうじゃ、ローズさん」

「何?おじいさん」

ローズに話しかけてから、バハムートは、ローブの裾の中をがさがさと、漁り始める。それから、一つの紙切れを出した。そこには、色々な化学式や、メカニズムの説明が書かれてあった。だが、少々の知識では、解らないことだらけだった。紙を見せられたローズの頭の回りに「?」マークが回り始める。横から、ドライが覗き込む。

「なんだ、これってば、古代魔法の瞬間移動のメカニズムじゃねぇか、だけど、此処と此処が違ってる。これじゃ月齢に影響されて、時期によっちゃ、とんでもねぇ所に行くぜ、だから此処はこうで、そこがこう……と」

これには、周りがギョッとする。当然だ。一番勉学に疎いと思われたドライが、バハムートの解読しきれなかった部分を、あっさりと訂正したのだ。

「って……、俺って何でこんな事知ってんだろ……」

いま、自分の口から発した言葉が、何故出たのか、本人ですら理解できない様子を見せる。だが、書いてあることは理解できるみたいで、何度見ても、理解できるのだ。

「ハッハッハッ!!俺って天才かもな、まぁ良いじゃん!!で、これをどうするって?」

彼は自分の知り得る知識以上の知識に戸惑いながらも、考えるのが面倒になって、あっさりと切り捨ててしまう。その後を考えようとはしなかった。

ドライの話を聞いたローズはこれを見て、何をどうすればよいのかを理解する。これはいわゆる契約というやつで、魔法を使えるようにするための儀式だ。ローズは掌を切り、血を紙に染み込ませる。すると、その紙は、青白い炎と共に、蒸発してしまう。これで契約完了だ。

「きっと、役に立つじゃろ」

「ええ、有りがとう」

思わぬプレゼントで、ローズの方は上機嫌だ。

ドライに関しては、少ししっくり行かない出発になってしまったが、此処で考えても仕方がない。彼等は別れを惜しみながら、手を振り出発をする。

歩いてから、暫くして、あることに気が付く。それはシンプソンだった。宝玉の填った杖は、彼の宝物で、必需品で、彼の力になるモノだから持っているのは当然だったが、背中の荷物はリュックだが、やたら大きく膨れている。ドライや、ローズは、計量だ。それとは大違いだった。

「なぁ、メガネ君、それ一体何なんだ?」

細く華奢なシンプソンだから、荷物がやたら大きく見える。ドライはそれが気になった。あるいは掘り出し物があるかもしれないとも思ったのだが?

「これですか?食料ですよ。栄養が偏るといけませんから、果物とか……」

それで荷物が、嵩張っていたのだ。その言葉を聞いた瞬間、ドライは膝から崩れるようにして、倒れ込む。

「どうなされたんですか?」

「どうしたって、オメ……、ピクニックじゃねぇぞ、だいたいナマモノは腐るだろうが……」

地面に向かって呟く。その声は、これ以上も無いといっていいほど、力無く震えていた。そこには少々怒りも入っているようだ。先日、覚悟を決めた割には、あまりにもその後がお粗末すぎる。

ドライは、滞在中シンプソンには、居住空間を含めて、生活面で何かと世話になった。落ち着くため、ドライは、一度大きく息を吐き、ナイフでシンプソンの背負っているリュックのの肩紐を切り、リュックを使えなくしてしまう。

「な、何をするんですか!!」

シンプソンが怒るのは、当然の道理だが、ドライは此に対してきちんとした理由はは言わない。言わなくても解るのが、彼としては当然だと思った。

「メガネ君、面倒見てやるから、着いてこい。アンタじゃ森に入って、二分でしんじまう」

「はぁ……」

ドライの気の抜けた言葉遣いで、自分が旅の準備を間違えた事に気が付いた。これは旅行ではないし、それぞれに正確な目的地があるわけでもない。やたらと意味無く多いシンプソンの荷物は、あるだけ邪魔だ。それに保存食ならともかく、生の食料を持ち出せば、長期に渡れば必ず腐るし、それを食し病気になりかねない。夏場だと、特にそうなりかねない。

「ローズ、保存食は幾ら持ってる?」

「調達を考えて、二十二食分くらいかしら、それと、一応の水と……、下着のかえとか、少々……」

まあ、取りあえずはそんなところだろう。此に対しては、差ほど問題はない。

「オーディンは?」

「私は、何も持っていないぞ、全て調達するつもりだったからな」

オーディンは逆に、何も持っていなかった。あまりにもシンプルすぎて、気が付かなかった。持っていると言えば、剣だけだ。

「うう!!」

ドライは頭を抱え込んでしまう。それから、先ほどたまったストレスを、一気にオーディンにぶちまけた。

「おい!これは戦争じゃねぇんだぞ!食料調達係も居ねぇし、調達に失敗したときのこと考えたのかよ!!水は?!砂漠とか出たらおっちぬぞ!!」

「ああ、そうだな、すっかり忘れていた。面目ない、ハハハ!!」

あまりにも間抜けな自分に、オーディンは、ただ笑って誤魔化すしかなかった。ひたすら笑っている。反省の色無しといったようにも見える

「比奴等は……、仕方ねぇ、みんな纏めて面倒見てやる。旅は道連れって言うし……」

半ば、言葉を投げ出した感じで、フラフラと、一人前を歩くドライ。確かに、一人より大勢の方が、心強い。これから戦う敵は、賞金を稼ぐのとはレベルが違うのだ。向こうもこちらを狩ってくる。

オーディンも、戦争以来の激戦となるかもしれない。一人でも心強い同士が居れば、これからの苦難を多数切り抜けられるのは間違いない事実だ。ドライの言うことに意義はなかった。

シンプソンは、意気込んだモノの、やはり不安だった。彼は、友について行くことにした。そう心に決めると、足取りが軽くなる。孤児院はきっとノアーが、何とかしてくれるだろう。それにバハムートも居てくれる。問題はない。

彼等は、霧に包まれた自らの真実を知るために、自らの運命に立ち向かうことになる。それぞれうっすらと理解していた。だからこそ旅立つことにしたのだ。不安が待っているのか、本当の安らぎが待っているのか、それは、まだ解らない。だが、これこそが本当の意味での始まりだ。


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