第1話 ドライ=サヴァラスティアとローズ=ヴェルベット §2
森の中にある旧街道を二人は行く。いざという時のために馬の体力も考え、彼らはゆっくりとしたペースで、道を進む日はまだ高い。この調子で行けば数時間もすれば、街道へと抜けるだろう。。
「ねぇ、これから何処行くの?」
「そうだな、取り敢えず俺じゃ歯がたたねぇ遺跡がある。マリーなら別だろうが……、お前には、その代役をやって貰うことにするかな、古代文字読めるだろう?」
「一応ね、でも何故?」
「俺達が、次ぎ行くはずだった場所だ。何かつかめるかも知れねぇだろう」
「なるほど」
東は、港町へと続く街道になっている。そこを転々として大陸を渡るつもりだ。ローズは元々ドライの噂をかぎつけて、此処までやってきたのだ。来た道を行き返すことになる。
旅の道中、足の戻ったドライには更に緊迫感が無くなった。ますます彼の強さに疑問を持つローズだが、その反面、街々では、彼を酒場や小物屋に連れ回すなど、「友達」としての、感覚は次第に強まっていった。ドライを凄腕の剣士としても、敵としても見ることが出来なくなっていたある日のことだ。
「ドライって、本当に強いの?」
ローズは常々感じていた疑問をついに口にしてしまう。彼女の記憶にあるのは、馬車の中で死にかけていたドライと、温泉で極楽気分になって、ご機嫌にうたた寝している、緊迫感のない表情ばかりだった。
「あったしめぇよぉ、賊なんて俺だから、襲ってこねぇんだぜ、それよか、後二つで港町だ」
盗賊達は自分を避けているのだと、自信満々のドライだった。
「怪しいわねぇ、日に日に……」
あまりに緊迫感のないドライとの日々、その落ち着きようは、まるでマリーのことなど感じさせない。ゆったりと大きな、馬の歩と同じような心持ちだ。そんなことで、旅は本当に成立するのだろうかと思うローズだった。
「今は賊なんて、相手してる暇はねぇんだよ」
だがドライは、道の遙か向こうを眺めながら、全てが遠そうに視界に入るだけの景色を何気にみている。そんなドライの表情は、どことなくもの悲しげで、憂いに満ちており、辿るべき道標すら未だに見つけることが出来ず流浪の旅人のようだった。
こんな時のドライは、間違い無くマリーの事を考えているのだろうと、ローズは思うのだった。だとしても、欠伸の連発ばかりで、本当に緊迫感がない。
彼のいった二つとは、「後二つ街を過ぎる」言う意味だった。その一つ目の街が微かに見え始めた頃だった。
漸く見え始めた街の上空には、火災の煙と思われる靄が立ちこめている。火事か何かであろうか、兎に角そこを通らねば港町には着けない。ドライは野次馬的な心も逸ってか、馬を軽やかに走らせた。急に目が覚めたかのように、軽快なペースで馬を走らせるドライ。ローズは、急に走らせたドライの馬を追うように馬を馳せる。
漸くにして街の入り口にまでにまで着くと、鋼鉄製のゲートは破壊され、周囲を警戒しながら街の中に入ると、見える限り、破壊の跡が見受けられ、滅茶苦茶だ。破壊の度合いはどうなのか?壊滅的なのか?部分的な物なのか?都市機能が完全に失われていないのならば、休息くらいは出来ると、ドライは思った。
「チッ!しけてやがるぜ」
全て壊されているというわけでもないようだが、破壊そのものは全域に渡っているようだ。お楽何らかの襲撃を受けたという事実だけは確かだ。だとすれば、あまり満足に休息を取れるような状況でないのは、確かだ。舌打ちをしながら、周囲を見回し。そのたびにドライの眉間のしわが、深くなる。イライラが募る瞬間だ。
「何があったのかしら……」
ドライは、休息の場を奪われて、一寸ムッとした顔をしていたが、ローズが様子を様子を見たがっている。ドライはローズの言うことを聞いてやることにした。蹄の音が、石畳の上を、乾いた音を立てながら、虚しく響く。街の様子は、外以上に酷い。その時に感じたのは、賊のやり口にしては、大げさすぎるということと、規模が大きすぎるということだ。
経過時間は数時間という所だろう。だが、燻る火や煙を消すための人員や、都市機能も麻痺してしまっている。
「魔法が絡んでるわね……、破壊が異常だわ」
ローズは、街の破壊が地上レベルの物だけではなく、高くそびえた時計台や、高い建物の屋根に、上空からのものと思われる破壊が成されていることから、そう分析する。それに魔力が放たれた後に残る残留粒子の気配を肌に感じる箏が出来る。魔法が放たれると必ず魔力粒子が飛び散る。
実はこの世界には、目に見えない魔力素子が存在しており、其れは人間の体内にも存在しており、そう言う物が活性化し、結合し変化し、魔法という形で具現化される。
人間の身体は充電器のように絶えず魔力を蓄えているのだが、穂とどの場合は微弱でせいぜい生活に活用できる程度のレベルか、発言できないかというレベルのものである。
「専門家の意見だな。考えもしなかった。俺のブラッドシャウト(ドライの愛刀の名前)は、しきりに疼いてやがる。この殺気は、まだ新しいな」
だが、街を見る限り、何か特定の物を狙っての破壊では無い。進行方向も、破壊の仕方も、区々だ。集中度に欠ける。それと人の気配を感じる。
そこら中に瓦礫と死者が入り乱れているが、其処には怯えて姿を見せない者達の気配が、確かに感じられる。ローズが感じていると言うことは、ドライも感じているはずだ。彼がまがい物の剣士でなければ……だが。
しかし、ドライはそんな表情を一つも表さずにいる。
ローズはドライを連れ、一人の少女が、半壊した家の玄関と思われる場所の前で、肩をしゃくり上げながら、すすり泣いているのを見つける。ローズは、情に駆られた様子でその少女に、声を掛けるが、兎に角現状を知らなければならない。残酷なようだが、解決のための情報源が必要だ。
「どうしたの?何があったの、この街で……」
屈み込み、少女の目線にまで、頭を下げ、頬を触って、顔を上げさせ、涙を拭いてやる。だが、泣き止んではくれない。そこで質問を変えた。
「お父さんは?お母さんは?」
すると、少女は瓦礫の方を指さした。そこには、二つの息絶えた男女が瓦礫の下に挟まれている。思わず目を背けたくなってしまうほどの惨い光景だ。少女はその現実に戻されると同時に、再び大声で泣き出してしまった。
「ほ、他には、誰か……、居ないの?」
ローズは動揺を隠すことが出来ずに、戸惑いながらそれでも、この少女だけでも、どうにかならないものかと思案しているときだった。
「おい!ローズ、何やってんだよ。行くぜ」
余計な節介を焼いているようにしか見えないドライは、ローズを急かした。休息の場が無い以上、ドライにとって、この街は無用の長物以外なんでもなかった。盗賊の仕業でもないとすれば、自分達の仕事もない。
そうだったとしても、この街の有様では、依頼を受け資金に替えることも出来ない。賞金稼ぎは、出るに及ばずなのだ。其れよりも、マリーが求めた目的に向かう事の方が重要だった。
「一寸待ってよ!ドライ!ねぇ……」
ドライを制止しながら、再び少女に話しかける。すると、涙を堪えながら何とか話し始めてくれた。
「お姉ちゃんが……」
「そう、でそのお姉ちゃんは?」
まだ身内が生き残っていることに、ローズの表情から少しだけ険しさがとれる。
「連れて行かれちゃった……、黒いのに……」
それを言うと、再び泣き始めてしまった
「ドライ!!」
彼の方を振り向いたローズの顔は、何とも悲しみに溢れていた。それからドライの方に近づく。
「黒いのって、黒の教団!?」
「知るか!行くぜ、マリーの残した遺跡が先だ」
「ドライ……」
泣いている少女と、姉という言葉に、自分が重なってしまう。ローズの目は、ドライを離さない。ドライは苦手そうに、目を逸らせるが、暫く経ってその状態に絶えられなくなり、頭を掻きながら、つい負けてしまった。
「解ったよ。そんな目で見るな!ったく……」
「ホント!?やった!後でビールおごるから!」
「だけどよ。何処に居るんだよ、其奴等……」
これには、ローズも黙りになってしまう。この崩れかけた街並み、殻に閉じこもった人々からは、何の情報も得られない。少女に聞いてみたが、首を横に振るだけで、これもさっぱりだ。
「ダメだぜ、諦めっか?」
「ブゥー!!」
思わずローズが、ドライに向かって、ブーイングを飛ばす。だが、駄々をこねてみたところで、この状況が、変わるはずがない。しかし、退く気も全くない。ドライにとっては、面倒臭いことこの上ない。ため息をつきたくなる心境だ。
「アンタ等、奴等の仲間じゃないんだな?」
半壊した少女の家の横の建物の窓の暗がりから、此方を見て、その男の声の主は言った。ローズが、窓に近づく。窓の僅かな隙間から目だけが覗いている。
「此処から少し、南西に少し行った所に、滝壷がある。奴等はそこに、妙な物を作っていた。俺は山の仕事をしていて、時折黒い服の連中が、出入りしていた。まさかこんな事になるなんて……」
どうやら、彼らを見かけ、その時に何もしなかった自分に、少なからず責任を感じているらしい。恐らく自分を認識されているかもしれないという恐怖感があるのだろう。壁際だが酷い汗の臭いがする。
「奴等街の若い女ばかりを浚っていったんだ……俺は……俺は……」
それを言い終わると、窓が閉まってしまう。男は自責の念で押しつぶされそうになりながら、自分の殻に閉じこもるように、窓を閉めてしまい、それきり返事すらしなくなる。
「街の娘……な、助けりゃ、一発、二発……」
馬上のドライは、ローズの横で指折り数えながら空を眺めるようにして、損得勘定に入る。
「あんたってヒトは……、そんなに飢えてんなら、させてあげよか?」
ローズは、堂々と胸を張りながらドライに近づき、冗談にならないことを平気で言う。あまりにもアッサリ言われると、幾らドライがいい加減な男でも、「はい。そうですか」とは言えない。媚びているように見られるのは嫌なのだ。そして欲求不満を見透かされ、その話を逸らすようにして、こう言った。
「俺達は慈善活動をしてるわけじゃねぇんだぜ!報酬はキッチリ貰うってのが筋だ!!」
「いいわよ!そんなに言うんなら、私一人で行ってくる!先に行くか、此処で待ってるか好きにしたら!?」
元々が、面倒臭い話の上に、金にもならない話をドライは嫌う。その場凌ぎのつまらない言い訳に、さらに負けん気の強いローズが突っかかる。ドライの感情のムラっ気がトコトン悪い方向にでる。イライラしたとたんに、ローズとの歯車がかみ合わなくなってしまった。
「テメェこそ、勝手にしやがれ!!」
唇が触れ合いそうなほどに、顔を近づけ、啖呵を切ってまくし立てる二人。ローズは、あまりにも人情味のないドライに苛立ちを覚える。ドライにとっては、見ず知らずの他人を助けるなど、余計な節介にしか思えなかったのだ。其れが何に繋がるというのか?彼は、計算の成り立たない労働に、疑問を拭いきれない。
ローズは自分の馬に跨り、一度ドライを振り返る。ひょっとしたら何だ彼んだ言って、着いて来てくれるかもしれないと言う期待があったのだが、見えるのはそっぽを向いたドライの後頭部だけだった。
「フン!」
あまりに子供じみた薄情なドライに愛想をつかして、ローズは南西に向かって馬を馳せた。それに対抗して、ドライは今来た方角に振り向き、同じように、馬を馳せる。
少女は、その騒動に吃驚して泣くのを止め、慌ててドライを追いかける。自分のせいで二人が喧嘩をしてしまったのではないかと思ったのだ。それぐらい二人の喧嘩は大声で行われたのである。
どうにかしないとという、責任感だけが彼女の背中を押したのだろう。どうにか街の外まで駆けて来たが、もう彼の姿はない。暫く途方に暮れている。街に戻ってもどうすることも出来ない。
再び家族を失った悲しみが胸の奥からこみ上げてくる。
「はぁったくよぉ……」
その時大きな溜息が聞こえる。振り返ると、そこにはみっともなくしゃがみ込んでいるドライと、そして同じように、大きな体躯をぽつんと佇ませているドライの馬がいた。
「あ……」
行ってしまったと思っていた彼が、そこでむくれて座っている。途轍もない期待感に満ち、澄んだ瞳がドライの目に突き刺さる。こういう目で見られるのは、何とも苦手なドライだった。まして相手が弱者だと、先ほどのように怒りを剥き出しにすることも出来ず、その雰囲気から逃げ出したくなってしまう。
一度視線が合ってしまうが、ドライの方が負け犬のように視線を逸らしてしまうのだ。
「な、何だよ。いっとくが、俺は、いかねえぞ!」
だが、そこを動く様子も見られない。自分は間違っていないと言いたげに、言葉だけを荒げて主張する。だが何をするともなく、そこにしゃがみ込んでいるのだ。いや、動かないための理由を、強情にこじつけているだけだ。
意味もなく、背負っている剛刀ブラッドシャウトを抜いては、陽の輝きに照らしてみる。赤い刀身がより鮮やかに深紅に輝く。すると、マリーとドライが崖の上から落ちた光景が脳裏に浮かぶ。だがその次の瞬間落ちて行くのは、ローズだった。別に彼女が、崖沿いを歩くとは限らない。滝壷なら出来るだけ川沿いに歩くはずだ。
ドライは、みっともなく剣に写り込んだ、迷いばかりが目立つ自分と睨めっこをする。
「あのバカ……、あのままいっちまったのか?お嬢ちゃん」
「う……ん」
怯えてはいたが、その言葉は、ドライの口から良い返事しか出ないと、決めつけにかかっている。
「そういえば、最近運動不足気味かな……」
目線を上に、ゆらりと立ち上がるドライ。剣を鞘に納め、馬に飛び乗ると、颯爽と走らせるのだった。
その頃ローズは、足場の悪い岩だらけの川沿いを、馬を置き去りにして歩いていた。所々岩場を登ったり、降りたりしながら、先へと行く。考えると、いくつか不審な点に気がつく。村の娘達を浚ったのなら、もっと安定した道のりを行かねば、そう容易にアジトまで付けるはずがない。此処はあまりにも困難すぎる。来る方角を間違えたか?しかし、魔導コンパス(魔法を使用した方位磁石、探検家などが愛用)は、しっかりと北を指している。魔力を感じる事もないことから、磁場に狂わされているという事は、まず無いようだ。
やはり崖沿いを行く方が、早かっただろうか、だが、今から引き返せば、余計な時間を食うばかりだ。諦めて、このまま行くことにする。
一方ドライは、川沿いに立ち往生しているローズの馬を見つける。主が居ないので、何をしてよいのやら、迷っていると言った感じだ。
「あのバカは……、馬置いて行きやがった」
ローズの行動には焦りが見える。焦りがあるときは、総じて良い結果が得られない。早く追いつかなければならないが、ミイラ取りがミイラにならないようにしなければ成らない。
ドライは、少し川沿いの方を眺める。ローズの姿は見えない、この辺からすでに、岩がゴロゴロし始めている。ドライには、この先がどうなっているのかが大体の予想がついた。
こんな場所を好んで歩く連中となれば、相当馴れた手練れとしか思えない。後ろめたい連中ならば、尚更のことで、上から狙い撃ってくださいと言わんばかりの状況である。
だが此処を行かねば、ローズに追いつけない、以前の義足ならこの道は困難を究めるが、今の義足は、本物の足と殆ど変わらない仕事をこなせる。足が何を踏みしめているのかが、ハッキリと解るからだ。
ただ、頭上注意という条件は変わりない。厄介な条件である。
「お前等、お嬢ちゃんの所に、戻っておいてくれ」
馬達の背中を、ぽんぽんと叩くと、ドライは剣と食料を担ぐ。ドライの言葉を理解した彼等は、ドライが辿った道を逆戻りした。馬を残しておくと、彼らに危険が及ぶ。まだまだ彼らの足には頼らなければならない。
特にあの街の有様では、新しい馬も手に入れることも、難しいだろう。駅馬車を待つ手段もあるが、混乱した街から逃れる人の群れで麻痺するだろう。
街一つが混乱するということは、あらゆる伝達手段の麻痺に繋がるのだ。
ドライははローズの後を追うことにする。岩のゴロゴロする川沿いを、軽い足どりで、足早に進んで行く。
その頃ローズは、豊富な水量を湛えた滝壷の前まで来ていた。落差は数十メートルあり、こういう状況でなければ、マイナスイオンを湛えた、心地よいリラクゼーションスポットかなり人工的に作った洞穴がそこに見られる。
滝の脇には、羽の生えた悪魔をモチーフしたと思われる彫像が、その入り口の両脇を固めていた。
如何にも何かの伝説を継いでいそうな禍々しい入り口で、同時に入るなと言わんばかりの圧迫感だ。バハムートの話に寄れば密教じみているといっていたが、彼らは悪魔信仰なのだろうか?
その場所は特に人の気配も無く、不自然なほどに無警戒だ。罠なのか、それとも本当に警戒をしていないのか?とにかく、奥に入るしかない。足を一歩踏み入れると真っ暗だ。
「ライトの魔法を使うか……」
指先に、魔力を集め、それを前方に放つと、光体がふわふわと、彼女の目の前に浮かぶ。すると、あまり広くない範囲だが、かなり明るくなる。周りを観察してみる。壁天井ともに、岩石の煉瓦でびっしりだ。かなり頑丈そうに見える。それにしても、よく此処まで作ったものだ。水源が近いせいか、空気がヒンヤリとして湿度が高い。
奥に進むと、幾つかの通路がある。ローズは一通り周囲を確認し、シンプルな選択肢で真っ直ぐに進むことにする。迷わないために、真っ直ぐ進む事にするが、人の気配がない。静まりかえった暗がりの中、妙な緊張感の中、やがて大きな門の前にたどり着いた。
〈なによ。扉まで石なわけ?〉
幾らなんでも、何も解らない場所の扉を正面切って入ると何があるか解らない。
石の扉に耳を当ててみるが、外から音が聞こえる様子もない。ローズは、少し戻り、一つ手前で見られた分岐路を行く事にする。
すると、今度は螺旋階段に出くわす。洞窟の造りが、よく理解できない。階段はわりと、幅の広いものだ。登るにつれ空気の流れを感じる。やがて光が差してくると同時に、水が深く流れ落ちる音もする。階段を駆け足で上がってみると、石畳の敷かれている真新しい山道に出てしまう。
どうやら、滝より少し奥に行った、上流に出たようだ。
ローズは再び周囲をぐるりと見渡す。
「ナニこれ……、崖沿いに来た方が、早かったじゃない」
少し苛立ち余計に不機嫌になったローズだが、真後ろの茂み側から、何やら騒がしい声と、沢山の人間がすすり泣く声がする。だがどちらも、何かに反響している。すすり泣く声は、間違いなく女性のものだ。状況と予想からすると、恐らくそれは街の娘達のものなのだろう。
ローズは腰を屈め息を潜めながら、茂みをかき分け声の方向をめざす。距離的な物は何となく把握していたが、それはそう遠くなかった。だが、声の聞こえた場所は、彼女の立っている位置よりも、十数メートルも下の場所からだった。ここも人工的に掘り下げられた場所だ。半径は、五十メートルほどとかなり広い。先ほどの洞窟と言い、人間業ではない様な気がするローズであった。
身をかがめ、様子を見る。
「悪シュミー……」
其れがローズの第一声だった。
ローズの眼下では、街の娘達は一糸纏わぬ姿にされ一列に並ばされている。その横を槍を持った黒装束の連中が固めていた。何かの祭壇がある。かなり広めな祭壇の上は、汚れ無き白と言った感じで神聖さを醸し出している。娘達と祭壇を挟むようにして、神官らしき男がやはり黒い装束を纏い、豪華な王様気分の椅子に座り、石畳に杖を幾度も叩き着け、偉そうに座っている。その右横には、刀剣を持った、少し派手な黒装束が居る。
「次ぎ!」
そう、先ほど聞こえたのは、この言葉、この声だ。偉ぶったその声が、周囲の壁面に反射してこだましていたのである。
それを合図に、女性が一人祭壇の上を神官の方に向かって歩かされる。顔を屈辱的に赤らめ、両手で身体を必死に隠しながら、一歩一歩歩かされる。女性が歩くと、不思議に、何もないところに足形が現れた。しかも最初の一歩だけ、しかも色は赤だ。何を意味しているのだろう。もう暫く、様子を見てみる。
「ほう……。お前は汚れている。おしいな、だが用はない、左へ行け。次ぎ!」
また別の女性が現れる。だが、今度は足形も何も付かない。やはり何を意味しているか、理解できない。もう一人様子を見ることにする。
「清き者よ。お前は、お前は右だ。次ぎ!」
何や等の選別らしい。今度の女性は屈辱的な表情をしてはいるが、身体を隠すことなく、堂々としている。それから、祭壇の上を歩かされる。今度は面白いように、色が付いてゆく。先ほどの女性は気が付かなかったが、彼女は色だけだはなく、形も変化する。鬼のような足や、至って本人のものと思われるに等しい大きさの物、それから、楕円に近い足の形とは思えない物、様々だ。色の方も、赤やピンク、青や緑、黒もある。あらゆる色が存在した。神官の前に来ても、足跡は、途絶えることは無かった。指さされ、祭壇の上をくるくると歩き回される。それでも、まだ足跡は増え続ける。床が綺麗に染まってしまった。
「もう良い!貴様は汚れきっている!左だ!次ぎ!」
「職業柄なもんでね」
彼女が突っ張った様子を見せると、神官の横に控えていた、少し派手な黒装束がその女を殴り倒した。彼女も睨み返すが、武器を持っているので、それ以上の抵抗はしなかった。だが、殴られて口に溜まった血を祭壇に、吐きだした瞬間神官がキレた。
「貴様ぁ!神聖なる祭壇に、人間の汚れた血など!しかもお前の様な者の!!殺せ!」
血を吐きかけた女性は、今にも、殺されそうになっている。彼女を殺されては、助けに来た意味が無くなる。それに女性達が屈辱的な姿で、それ以上晒し者にされていることにも、我慢の限界が来ていた。飛び出す条件は整っている。ローズはそう考えた。
「マッタァぁぁぁ!」
声を勢い良くあげ、突き出た岩肌を、伝いながら一気に駆け下りる。そしてもの凄いスピードで、祭壇の上を走り抜け、倒れている女性と、黒装束の前に割って入り、黒装束を横殴りに叩き斬った。わずか数秒と思えるこの出来事だが、ローズにとっては造作もないことだった。虚を突かれた神官は一瞬言葉を無くす。だが、ローズの渡ってきた祭壇の足跡が、目に入ると、ニヤリと笑った。
「汚れた女め……、貴様の過去……、見切ったわ」
状況に変化はないはずだ。なのに祭壇の上を歩いただけで、まるで勝利を確信したかのような神官の表情。執拗なまでに、ギラついた視線を、ローズに向けるのであった。
「この期に及んで何を……、殺すから覚悟しなさい」
ローズは、血で濡れた矛先を、神官のその目の中心に向ける。
「ああ、だが私を殺せば、女共の命は無いぞ。それでも良いのなら、好きにするが良い」
ローズにとっては、悪い足掻きにしか聞こえなかった。彼女には、得意の魔法がある。それを持ってすれば、女性達を囲んでいる黒装束など、あっと言う間に黒こげだ。だが、それが彼女の誤算だったのである。
「ホーミング・アロー!!」
ローズが、右手を天に突き出し、呪文を唱える。すると、上空から、何本もの光りの矢が落ちてくる。が、しかし、頭の上四、五メートルと言うところで、魔力は、全てかき消されてしまったのである。
「そ、そんな」
予想をしていなかった出来事に、動揺を隠せない。暫く剣を下に引きずったまま、天を仰ぎ、祭壇の中央にまで、歩き、その場を彷徨っていた。
「馬鹿め!魔法が少しくらい出来るからと言って、ノコノコやってくるからだ。我が神の前では、非契約者の魔法は無力!特に古代魔法はな……、ワハハ!!」
「くっ!」
これでは、手も足も出せない。感情的に動きすぎた結果だ。今になって、ドライが気乗りしていなかったのが、良く解った。だがもう遅い。
その時神官が、好色そうな目をローズに向け、こう言う。
「脱げ」
べったりとした脂ぎった笑みを浮かべ、吐き出したその言葉は、十分侮蔑に値した。
「何!?」
屈辱をはね除ける、ローズは神官を睨み返すのだった。
「神の御前だ!血塗れな、汚らわしい鎧を脱ぎ捨てよ!!」
それから、後ろに控えている女性達を、顎を使ってローズに意識をさせる。仕方が無く言いなりになってしまうローズだが、彼女にとっては、今更どうでも良いことだ。要求をすんなり受け入れる。
「スケベ親父……」
鎧を脱ぎ、下着姿になる。くびれた腰元に手をやり、ひじを張る。だが、今度はこう言った。
「何をしている。まだ残っているぞ」
彼女に、下着まで脱げと言っているのだ。他の女性達と同じように、である。
「変態……」
下着まで脱がされたローズの顔は、屈辱に満ちている。だが、堂々とした態度は一向に変わらない。これで皆が助かるとは、思ってはいなかったが、期を見つけるための時間を稼ぐことにした。
「気にくわんな、その態度。だがまぁ良い、それも何れ恥辱に満ちる」
それから指を、ローズより少し後ろに指す。ローズもそれを見る。すると、彼女の渡ってきた祭壇に、足跡がある。例の足跡だ。彼女の場合全てが黒く、全くの円だった。だが、一つだけ、床に食い込みそうなほど、鋭くとがった爪を持つ鬼のような、足形があった。それも彼女が一番初めに祭壇に触れた場所だ。
「あれは何だと思う?解るか?」
神官は相変わらずニヤニヤと、切り札が自分の手の内にあるような笑みを浮かべている。
「何!?知るわけ無いじゃない。それより、他に何か要求があるんでしょう?変態親父さん、クス……」
半ば、虚勢とも思われるローズの笑みだった。今更何も恐れる物はない。賞金稼ぎとして生きてきたのだ、貶されることぐらい、どうと言うことはない。自分の保身よりも、この場に拘束されている女性達を救うことの方が先決である。
「すぐに恥辱に満ちる。私は、そう言った。では約束通りお前の過去を見て行こう」
少し歩き回った神官が、手を前方に突き出し、目の前にあるの足跡に魔力を当てる。すると、そこから、空中に映像が飛び出した。それは、彼女とドライと出会う前に知り合っていたと思われる男が、絡み合っている場面だった。映像の中のローズの顔は、至って無表情だった。
ローズの顔は、少し青ざめる。それを見た神官はもうすでに勝ち誇った顔をしている。
「これは……、私……、ロイ……」
「ふん、その足跡の数は、お前が今まで関係を持った男の数だ。だから言ったであろう。汚れた女……と、まだあるぞ」
今度は、それより一つ前の足跡だ。それが宙に上がり映像となる。やはり同じように、ローズは、男の中でつまらなそうにしている。だがこれは、彼女が賞金稼ぎとして、一人では、生きて行けなかった時代の物である。ローズにとっては、辛い日々以外何者でもない。
「エロ親父……、ヒトの傷……、蒸し返しやがって!」
ローズは、自分の肌を隠すようにして、祭壇の上にしゃがんで蹲る。
全てはマリーの死を追求するために、彼女が捨ててきた自分の生き様であった。
そうして彼女は仕事を知り剣を知り、一流と呼ばれるようになったのだ。いくら自ら選んだ選択肢だとしても、意識を殺して相手に身を委ね、生きてきた時代が、彼女にはある。それだけの覚悟をしてきたのだ。
だがそれは、決して第三者の手によって、簡単にさらけ出されて良いわけがない。
ローズは眉間にしわを寄せた。周囲の視線が酷く気になり始める。其れは彼女が持つトラウマの一つだった。感情を抑制仕様としても、その目から、涙が、ポツリ、ポツリとこぼれ出す。
精神的な傷を暴かれたローズにもはや戦う気力はなかった。怖さで身体が震え、いうことを利かない。
神官が完全に勝ち誇ろうとした、正にその時だった。最初にローズが潜ろうとしていたと思われる扉が、轟音を立て、破壊とともに崩れさり、一人の男の声が聞こえる。
「ローーーーーズ!!」
それは、ドライの声だった。
怒鳴り声で、少し心配しそうな声だった。ドライの声で神官は驚いたのか、浮かび上がっていた映像が消えてしまった。ドライの目に飛び込んだのは、一糸纏わぬ姿で、悲痛な顔をしてしゃがみ込んでいるローズの姿だった。周囲には同じように一糸まとわぬ姿にされている女性達も居る。
本当なら目の保養といいたいところだが、正直気分が萎える。ドライには、裸の女を並べて喜ぶような趣味はない。
ローズのの様子がおかしい事に気が付くと、周りには目もくれず、一目散に彼女の所へ駆け寄る。
ドライが祭壇の上を歩くと、やはり足跡が付く。その殆どが赤で、彼の素足に酷似している。ただ一つだけ、真っ白に、眩しく光り輝いている。だが、彼はまだそれに気が付いてはいない。
壇上にはドライとローズが居り、二人の足跡が付いている状態だ。その二つは二人の生き方と、その対称性を良く表していた。
様子のおかしいローズが目に入ったので、慌てて飛び込んだが、状況の把握こそすれ、戦況を確認していない。今更遅いような気がしたが、ぐるっと一周を、回って見渡す。それからしゃがみ込み、ローズの肩に手を掛ける。
「馬鹿だなぁ、無計画に来るからエロ親父にストリップショーやらされちまうんだよ。ホラ……泣くな」
ドライは彼女の背後から肩越しに、顔を突き出し、涙を拭いてやる。ローズには、自分の肩を抱いて、涙を拭いている彼の両手が、妙に優しく感じられる。ドライのそういう優しさは口喧嘩をした時とは、大きく違っている。
「五月蝿いわね!ほっといてよ!!」
「んんだよ!心配してやってんだぜ、ったく……」
ドライの登場で、少し自分を取り戻すことが出来たローズであったが、口では元気を出せても、素肌をさらけ出している状態の苦痛は、まだ感じたままだった。周りの視線を、冷たく感じていた。うずくまった姿勢は、変わらない。
ドライは、やはりローズの様子が少し違うと感じる。自分の前で裸でいても平気な彼女が、ただそれだけで動揺し、膝を崩すのだろうかという、疑問に駆られる。
ドライの登場で、驚いた神官だが、彼はもっと別な意味で更なる驚きを見せていた。
「ドライ……サヴァラスティア……、何でお前が!!」
「んん?」
その声に、ドライは、しかめた顔をして神官の方を見る。それから目をぱちくりさせ、彼も驚きの顔を見せる。
「ああ!テメェ!詐欺師のナッツェ、何でテメェが、そんな格好で、こんな所に!!」
どうやら二人は知り合いのようだ。だが、良い意味ではない。互いを罵りあうようにして、指を突きだし、警戒しあっている。
「野郎ぉ!黒の教団とか言って!!こんなオイシイ……、いや、悪シュミをしてやがったのか……」
一瞬本音を見せながら、背中から愛刀ブラッドシャウトを引き抜く。だがこれに対して、神官ナッツェは、卑屈に笑う。
「クックック何故、我々の呼称を知っているのかは解らんが……、馬鹿め、俺だって昔の俺じゃない!見よ!我が仕えし神の力!メガヴォルト!!」
両手を目の前で組み、それから天に、何かを放つようにして、突き出す。
ローズの魔法が、寸前で跳ね返されたのに対し、彼の魔法は、一直線にドライの頭上に落ちてくる。それは、強烈な稲妻だった。
「おぉぉぉぉ!!」
ドライは、瞬時に反応し、頭上で剣を寝かせ、刀でその雷撃を受け止める。今にも剣が弾かれそうな程に拮抗した瞬間を見せるが、それでも剣を左から右上に振り抜き、其れを弾き飛ばす。稲妻は、ナッツェの後方上部の岩盤に直撃し、凄まじい破壊の音と崩落の音がした。
どうやら、その剣は只の剣ではないようだ。その大きさもそうだが、強烈な雷撃を受けたドライは感電しておらず、剣も無傷である。魔法に対する耐性があるのだろう。それでも、その圧力を跳ね返せるのは、ドライの強靱な肉体の成せる技である。
「な……、馬鹿な……、化け物」
自分の放った魔法の威力の凄さと、ドライの人間離れした強引さに腰を抜かし、そこにへたりこむ。
だが、ドライの方も無事ではない、腕をしびれさせてしまったのか、重いブラッドシャウトを、床に落とし、膝から崩れ落ちるようにして倒れ込み、両手を床に着く。
「が……、なんて魔法だ」
だが、蹌踉けながらも、何とか立ち上がる。しかし、ナッツェがこれを見逃すはずがない。もう一度、同じ魔法を唱える。
「メガヴォルト!!」
ドライも透かさず剣を拾い、もう一度、稲妻をはじき返す。
「うおぉぉぉ……りゃ!!」
もう一度、ナッツェの後方に、稲妻が飛ぶ。
「うわ!!」
二度も同じ事が起きる。再び岩盤がはじけ飛んだ。
そう、ドライは意図的に彼の方へ、稲妻をはじき返したのである。だがドライは、これが限界らしく、剣を握りしめているものの、雷撃の衝撃で掌の皮は裂け、血が滴り落ち始め、腕も痙攣を起こしている。たった二撃の魔法でそのザマだ。しかしブラッドシャウトでなければ、とうの昔に剣は折れているし、感電死しているだろう。その事は、ドライも十分自覚していた。
「てめぇ、何時の間に、こんな事出来るようになった。異常だぜ……」
力無く肩を落とし息を荒くしながら、フラフラとしている。しかし、眼光は確りとナッツェを捉えており、次の一撃に備えようとしている。
「言っただろう。私は神に仕える身、その加護が降りたのだ。それよりどうだ。それほどの腕、賞金稼ぎで終わるのは、惜しいと思わないか?お前も我が神に……」
「ヤなこった……」
間をおくことなくドライは返答する。窮地に追い込まれても、彼の瞳に陰りは見えない。身体がどれだけ蹌踉けていてもである。何処から何が来ても対処できるように、中段に剣を構える。
だがやはり、腕が振るえて構えが定まらない。限界に近いのは一目瞭然だった。
「何を言う。見ろ、あの女達を!いつでもお前の抱きたいだけ抱ける!気に入った女をだ!!何れ権力もこの手に入る!!神の力によって!!すばらしい毎日だと思わないか!」
何に酔いしれているのだろうか、ナッツェは両手を広げこの小さな堀を世界に喩えて、全てを手中にしたように、感極まっている。そしてドライを自分の仲間に引き入れようとする。打算的な賞金稼ぎは、こういう誘いに乗る者も多い。
「ダメよ!ドライ!そんな口車に乗っちゃ!!」
ローズは、身体を埋めながらも、それを引き留める。ローズはドライの心が揺れないか、気が気でなかった。彼も賞金稼ぎの一人なのだ。善悪の狭間に揺れて生きている人間は、道を踏み外しやすい。
暫く全てが止まったように、間が空く。音も何もないような感じがした。不意にドライが息をもらし、笑う。
「く…………くははあは!」
ドライは、右手の中指を立て、それをグイッとナッツェの前に尽きだした。
「女は惚れてナンボ!惚れられてナンボだボケが!!それに、誰が俺の女殺した、カルト集団に入るかよ!」
消えかけていたランプの炎が再び明るさを取り戻したかのように、ドライは力強く、威風堂々と立ち上がる。
「女?訳のわからん事を……、まぁいいさ、貴様は、やはり時の流れに乗れない愚か者だ!!」
「へへ、そうか、そうだな、『まともな』お前と最後に面あわせたのは、三年前だもんな、つじつまがあわねぇか……」
つじつまが合わないとは、マリーの死である。どうやら黒の教団と名乗っていても、殺したのは彼ではないようだ。と言うことは、他にも幾つかの団体のようなものが、地域ごとに転々と存在している可能性がある。
しかし人を集める集団があからさまな人さらいとは、呆れ果てる。町の破壊も然りだ。アレは間違い無く、彼の雷撃なのだろう。だが、何らかの形で彼は力を付与されたことだけは、間違いのない事実だ。
「覚悟は良いな、ドライ=サヴァラスティア……」
ナッツェが勝利を確信したように、鼻で笑う。
「へへ……」
そして、ドライはこの場においてへらへらとしていた。この間ドライがローズに振り返る仕草は、一度もみせない。だが、漸く一度振り返る。
「俺の強いところ、見せてやるぜ」
「え?」
この期に及んで、ドライに何か策があるのだろうか?彼の性格上小細工の効いた作戦は、皆無と言っていい。だが、ローズから再び日を逸らしたドライは、先ほどまで乱れていた呼吸をピタリと止め、振るえていた腕も集中力を見せる。
「メガヴォルト!!」
「でやぁぁぁ!!」
再び、彼の頭上に落ちてきた稲妻を、剣で跳ね返す。だがやはり、結果は同じだ。稲妻は、跳ね返すのだが、その直後に膝を崩し、剣を地面に突き刺し跪く。息は激しく乱れ、肩は上下に揺れる。束を握りしめる手の内から、先ほどよりも更に血が流れ出す。身体も火傷を負い始めている。激しい稲妻の放つ熱で灼かれているのだ。衝撃で額も割れ、血が流れ始めている。
「どうしたんだよ。テメェはよぉ、それっきゃ、ねぇのか?オラ!」
気合いを入れるように言い放ち、ドライはなお立ち上がる。先の見えない堂々巡りに、何を見いだそうとしているのか?
「何故だ!!何でまだ立ってられる。幾ら剣が秘剣であっても、高電圧三撃だぞ!!」
その気迫に、ナッツェがたじろぎ始めるのだった。
「ドライ!!逃げて!自分の蒔いた種は!自分で……」
ローズが、我を忘れて、立ち上がりドライにしがみつく。
「馬鹿ヤロォ!女の涙見て引き下がれるかってんだよ」
今の無様なドライの姿では、あまりに説得力がない。歯を食いしばり、身体の震えを必死で押さえ、痛みを堪え漸く吐き出した男の言葉など信じるに値しない。
だが、只の意地に過ぎないその一言が、ローズの心を締め付けた。ローズにはドライの背中にマリーが見える。彼の背中に守られたマリーの姿が見えたのだ。
ローズがしがみついていると、返って動き辛くなる。身体を揺さぶって、ローズを引き離す。それから、足を引きずるようにして、ナッツェとの間合いを、少しずつ詰めて行く。
「解ったぞ。貴様、その女に気があるな」
ドライを指さし、いかにも彼の弱点を突いた口調で、にやにやと笑うナッツェ。それから自ら、ドライとローズの間に入り、二人との間を詰めて行く。そしてローズの残した足形の側にまで来る。
「全てに置いて、無関心なお前が、最も熱くなれるのが、血塗れの戦闘、それから……、女だ。ドライ=サヴァラスティアお前はそんな男だ。その元を絶てば、お前は戦意喪失……」
「ウルセェよ……タコ!」
乱れる息の合間から、挑発をするドライだ。だが、余裕からでたものではない。彼の心の奥底から出た不快感である。
「ふ、お前の言葉など、信用できんな!!!出でよ!」
すると、先ほどと同じように、ローズの足形が、球体になり、上空に浮かび上がる。浮かび上がったのは、最初に付いた、あの鬼の足のような形の物である。何が出るのか不安になるローズの顔は、さっと青ざめる。
「見るがよい」
そこには、まだ幼さが残るローズがいる。十五、六と言った所だろう。少し年上の男性と、森の中を楽しげに、歩いている。別に何も問題はなさそうだ。暫く、それを眺めるドライ、ローズという事は、見た目で解る。彼女ほど鮮やかな赤い髪は、そうざらにある物ではない。いや、おそらく世界で唯一であろう。映像の中の二人は、人気のない場所までやってくる。すると、男性が彼女に絡み、彼女自身を求めているのが解る。少しの抵抗を見せるが、ローズの頬はバラ色であり、其れが恥じらいだと解る。映像のローズは非常に初々しい。そしてやはりローズは綺麗だ。
「何だよ。別に誰でもある事じゃねぇか」
誰に出もあること。そう、人生などは千差万別。少なからずとも、この世界に足を踏み入れた人間には、どこかねじ曲がった経歴の一つや二つある。それが動機付けとなったからこそ、自分達は、今方の内と外ギリギリの境界線で生きているのだ。
しかし、度胸のあるローズが膝を崩してしまうほどの出来事が、其処にはある。だから本当の所、ドライは少し虚勢を張っていた。だがドライにとって、これは時間が稼げる願ってもないチャンスだったのだ。
そしてナッツェは今、自分の優位に人質を盾に取る事も、周囲に其れを指示することもしていない。そして、彼らの部下も、ナッツェの優位を信じており、警戒心を解いている。
ナッツェが次の勝負にでようとしたた時が、恐らく最大のチャンスではないかと、ドライは考えた。
ローズもそれを理解しているらしく、目の前で暴かれて行く自分の過去を怯えながらも、それを見守っていた。
「まあ見ているがいい」
この後どうなるかは、彼女にしか解らない。だが、直に惨劇は起こる。
映像のローズが、男性に求められ、きめの細かいその肌が僅かに露になったところだった。男性が何かに気が付き、慌ててそちらに振り向く。残念ながら、音がないので、何がどうしたのかは理解できない。
兎に角二人の間に、邪魔が入ったのは確かだ。後ろの木陰から、五、六人の男が、二人の方にやってくる。ローズはそれに驚き、顔を赤らめ、肌を必死で隠そうとする。
男性は男達に囲まれた。身長も体格も彼等の方が遥かに逞しい。彼等は男性の肩を小突き、それを繰り返し、輪の中で盥回しにする。それからローズの方を指さし、怯えている男性と何かを話をしている。
それから男性は、輪の外へと弾き出され殴り倒される。
男達は彼を弾き出すと陰惨で下品な笑みを浮かべ、今度はローズに近寄るのだ。それから彼女は、徐々に彼等の餌食となって行く。手を伸ばして、彼の助けを求める彼女の叫びも虚しく。彼はそのまま逃げ去ってしまった。その後には、絶望の中、ただ叫び狂う彼女の姿と、それを犯して行く男達の姿が、延々と続く。
その映像はローズの意志とは無関係に、延々と垂れ流され続けるのである。こんな残酷なことはない。
「どうだ。ドライ!!そんな女を守る価値なんて、一片も無いぞ」
気が狂ったように興奮したナッツェは高笑いをしながら、両手を大きく広げて、映像の下でぐるりと回り、自らの能力の素晴らしさを、表現してみせる。
さすがのドライも、その光景には、眉間にしわを寄せ、歯ぎしりをする。妙な苛立ちがそこに沸き上がった。ローズは、凄絶な過去を目の前にさらけ出された。だが、先ほどと違い、何か、異常に感じるまでの冷静さを持って、映像の方から、ドライに振り返りこう言った。
「そう、こんな女、守っても仕方がない、だから逃げて……、お願い」
解っていた事ではあったが、やはり其れを見せられたローズは、体中が振るえて立つことが出来ない。自分には誰も救えない。精神的な敗北感が、ドライに対する僅かな期待感すら、喪失させる。
振り返った彼女の目には、今にも溢れ出さんばかりの涙が溜まっている。その光景が、彼女にとって、どれほど屈辱的で、悲壮な物なのかは、ドライにも解った。
しかしドライは、こんな彼女に対して、目元を緩めた。同情など一切ない。なぜこんなにも優しくなれるのか?ローズがが悩んでいる価値観は、ドライにとって無意味なようだ。無責任だが、彼にとってそれは、ローズを量る材料ではないのだ。
「ばぁか。それだけがお前の全てじゃねぇだろうよ」
説得力のない、よれよれの姿で、自棄に得意顔でニヤリと笑い、向かい合うローズの頬を、軽くパシパシと叩くドライだった。
彼の言葉に説得力はないはずなのに、なぜか不思議にほっとさせられる。感情のままに言葉を走らせる真っ直ぐなドライがそこにいる。
ドライが不注意に、叩いたので、彼女の頬に血糊が付いてしまう。その生暖かさに気が付いたローズは、頬を探り、掌に着いたモノを眺める。真っ赤に迸る彼の血が、鮮やかにローズの手を染める。
「おっと、すまねぇ血がついちまった」
更にもう一度、ローズの瞳の中を見つめながら白い歯をこぼし微笑んでみせるドライだった。何の根拠も無いのに、彼の表情はただ、大丈夫だとそれだけを、自信を持って言っているのだ。
「ドライ……」
ローズの両腕が、ドライの首に絡む、彼女は目を閉じると同時に、熱くそして深くドライに口付けを交わす。絡むローズの肌が、妙に生々しく感じたドライだった。
「馬鹿なヤツ……死なないでね」
今度は、嬉しさに顔をほころばせながら、涙を目に浮かべる。ドライの邪魔にならないように、すばやく彼から離れ、ナッツェと向かい合うドライの後ろに退避する。
恐らくマリーは、こんなドライに命を守られ続けて、旅をしてきたに違いない。その度にドライは、こうして、迷うことなく盾となり、剣となり立ち向かったのだろう。だからマリーは、ドライを信頼し、愛することが出来たのだ。
ドライという男は、限りなく無関心で単純で不道徳だが、守ると決めた者は、一徹に守ろうとするのだ。秩序のない街の外の世界で、マリーにとってその背中がどれだけ熱いものに見えたことだだろう。
ローズは少しドライという男のことを解った気がした。
「へへ、当然だ、俺は死なねぇ……、あ!」
ドライは急に何かを思い出したように、妙な声をだして、雰囲気を壊す。
「何?」
退避しようとしたローズもそれに驚き、思わず振り返る。
「今度アレやるとき、ベッドの上な」
「クス……、いいわ」
なんとも欲っぽい話だ。いまローズが辱められている映像の下で、行われる会話でもない。またもやドライは、イヤに自信溢れた顔で、ローズを見つめニヤリと笑う。
この間、全くと言って良いほど、無視されていたナッツェは、ついにブチ切れる。
「お前らぁ!!立場解ってんのかぁ!死ねぇ!メガヴォルトォ!!」
いきなりの攻撃であった。だが、今度は何も起こらなかった。その時何故何も起こらないのか、皆一目瞭然に解る。彼の魔力が切れたのである。異常なまでの力を持つ魔法だったが、それと同時に、使用する魔力も予想以上に大きかったのだ。本当に単純な理由だった。
本人も、それに気が付いたらしい。とたんに慌てふためき出す。ドライの自信有り気な笑みは、きっとこの事が、解っていたのであろう。
「へへへ、シロートが!戦いってのはなぁ、才能なんだよ。急造のテメェが、筋金入りの俺に勝てるわきゃ、ねぇんだよ。ターコがぁ!」
才能という言葉に対して、全く根拠のないドライだった。だが、力配分の出来ないナッツェのその力は、やはり自らの力で体得したものではないのだと、ドライは確信する。
一気に立場逆転だ。相手の精神力をかき乱すように、徐々に一歩一歩、間を詰めて行く。ナッツェは、それを嫌い、ドライとは逆に、一歩一歩退いて行くのだった。
魔法というものは、集中力が必要であり、本来協力であればあるほど、長い詠唱を必要とするものである。尤も強力な武器を失い、間合いを詰められたナッツェに、集中し素早く詠唱をするだけの精神力はない。
そして、壁際に追いつめられたときだった。
「馬鹿め!女達はどうなっても良いのか?殺すぞ?殺すぞ!」
懸命に、ドライに女性達を意識させようとするナッツェだった。しかしドライは、これに対しても不適に笑みをこぼす。まだ間を詰め、ついに影が出来るほどに、ナッツェを追いつめる。
「良いのか!?」
うろたえながらの、最後通告。もはや、そこに切り札の効力はない。
「……殺れよ」
そう、ドライにとって、誰が死のうが関係はない、それで心の痛む男ではないのだ。そして彼は、そう言う世界で生きてきた男だ。だが、惚れた女にめっぽう弱いのもドライだった。今の彼はローズのために立っている。「殺せばお前が死ぬまで」と、クールに燃えるドライの赤い瞳が、威圧感を増して、ナッツェを上から見下ろす。
それから、ナッツェの右耳ギリギリに、剣を突き立てた。ガツン!!と、鈍く重い音を立て、岩盤を砕く。
「う、うわぁぁぁ!!頼む!俺が悪かった。知った仲じゃないか!な?な!?」
ナッツェは、先ほどとは、打ってかわって媚びた態度に出る。身体中がガタガタと震え、懸命に命乞いをしはじめるのだった。
「そうだな、俺はかまわんぜ、逃げたきゃ逃げな、ただし……」
ナッツェは、ドライの言いかけた言葉を、半ば無視して、腰砕けになりながら祭壇を渡り、出入口にまで向かって行く。そして振り返り様に、悪党おきまりの、情けない捨てぜりふを、言い残そうとする。
「この借りはいつか必ず……!!」
だが、彼の言葉は、最後まで出ることは、無かった。何故なら、捨て台詞を言おうとした彼は、祭壇の上で、レッドスナイパーを持っていたローズによって、一刀両断に斬り捨てられてしまったからである。ナッツェの身体が、血を吹き出しながら、右と左に、泣き別れになってしまう。
ローズは、ナッツェを斬り殺すと、今度は、女性達を囲っている黒装束の連中を睨む。頭を失った集団など、至って弱いモノで、ローズの気迫の隠る睨みにただ狼狽えるのみだった。
彼女は素肌をさらけ出したまま、力強く地を蹴り、一気に黒装束の連中の前まで詰め寄る。そして一気に剣を振るい、激しく飛び回る。剣が、鈍く肉を裂く音と共に、血飛沫が舞い上がる。一気に女性達と、黒装束の中を駆け抜たローズは、少し離れた位置で足を止め、低い姿勢で剣を横に構えたまま、大きく一息を吐くと、その瞬間、黒装束の残りがバタバタと息絶え、倒れて行く。気が付いたときには、ローズの身体は、返り血で真っ赤に染まっていた。だがそれを気にする様子は見られない。
そんなローズはまるで、これまでの過去を斬り捨てるようだった。
ドライの登場で、漸く事が終わる。此処で目的達成と言うわけだ。ローズの顔に安堵感が現れると同時に、その身体も張感のとぎれと疲労で、重く感じられた。
目を閉じて、その安心感に浸っていると、前の方でドスンと言う音がした。何が起こったのだと、顔を上げ、前方を見ると、ドライが剣を突き立てたまま束を握りしめ、跪いている。その姿は、まるで精も根も尽き果たした感じがするほど力無い。あまりにも静かすぎる。
「まさか!ドライ!!」
慌てて、ドライの側に駆け寄り、自分の剣を彼の剣の横に突き刺し、彼の身体を何度も揺さぶる。
「ドライ!ドライ!返事してよ!ねぇったら……」
だが、幾ら揺さぶったところで、彼の返事は返ってこない、項垂れたままで、ピクリとも動かない。ただ、彼の割れた額から流れ出た血が、顎を伝わり、ポタリ、ポタリ、と、音を立て地面へと落ちる。
「そんな……!私のために?私のために死んでしまったの?嗚呼……」
思わず自分の顔を両手で覆い、その場に力無く座り込んでしまう。自分さえ早まった行動を起こさなければ、こんな事には、ならなかったのだ。心に重い後悔の念が酷く襲ったときだった。
「グー……」
「え?」
はっと、顔を上げその音の鳴る方を見る。間違いなくドライの方だ。気のせいかと、当たりをキョロキョロと、見渡す。だが、そこ以外、音が鳴った気配を持つモノは、何もない。
「グー……グー……」
下から、覗き込むようにして、彼の顔を伺うローズ。すると、疲れ切った顔をして、だらしなく眉をゆるめたドライの顔が、目に入る。
「グー……」
「馬鹿!!」
一瞬、ローズの手が上がり彼の頭に落ちようとした。だが、その手はゆっくりと、彼のボロボロになった両腕に乗せられ、剣を握りしめた拳へと向かい、その指を解いてやる。それから彼女の掌が、彼の頬を包み、軽いキスで、礼と、そして微かに湧き出た彼への情愛をそこに記した。
鼾を掻いていたドライだが、それから数日して、漸く目覚める。
「うー……ん、イテテテ、ん?何だこりゃ」
目を覚まして、ベッドから上半身を起こすと、身体中包帯だらけだ。両手に関しては、指先が使えないほど、ぐるぐる巻きだった。額にも鬱陶しい程に包帯が巻かれてある。それを見て、自分の怪我を誰かが手当してくれたことに気が付く。それから、遅ればせながらも、自分の居る場所を確認する。
こぢんまりとした一人部屋で、薄い純白のカーテンの向こうから、うっすらと暖かい日の光が部屋の中を差している。それ以外に、テーブルと、椅子も二脚ほどが、ベッドの真近くにある。両方ともアンティークな趣味を感じさせる木の質感が良く出ている家具だった。部屋の扉は、窓と反対の方にある。
目覚めの良い感じがするので、きっと朝だろう。
再びベッドに横たわる。動きたいのだが、身体が思うように言うことを聞いてくれそうもない。先ほど、いきなり動いた反動で、身体がズキズキと痛む。堪えられないモノでもないが、環境から察するところ、危険は感じないので、ゆっくりと身体を休めることにした。
先ほどから気になってはいたのだが、窓の外の方から、しきりに材木を切る音や、かなり固いモノを叩く音がする。それから、活気に満ちた人の声もした。
「何だ?騒がしいな、寝れやしない……」
ドライがぼやいていると、誰かが勢い良く扉を開ける。一瞬目線が上に行くが、誰も居ない。が、それより視線を、少し下げると、あの泣きじゃくっていた少女が目に入る。少なからずとも、今はそれほど暗い顔をしていない。ドライと目が合うと、かなり嬉しそうに、目を輝かせ、右を向き大声で叫んだ。
「ねぇ、目を覚ましたよ!!早く!」
いきなりなので、吃驚したが、言っていることは理解できたので、すぐに気を落ちつける。向こうの方からバタバタと、複数の足音が聞こえる。それはだんだんと此方に近づき、部屋に入ったところでピタリと立ち止まる。
ローズだ。
彼女は、珍しく、女らしい真っ赤なドレスを着ている。彼女の後ろには、見知らぬ小母さんや、あの祭壇で見かけた女性が、数人いる。
「ドライ……、バカ!!心配したんだから」
ローズは、堪えきれない感情を、一気にぶちまけるように声をふるわせ、ドライの上に乗り、力一杯にしがみつく。
「イテテ!!馬鹿!いてぇだろうが!!」
遠慮のなローズに、ドライの方が戸惑い、あまり強く抱きつくので、少し引き剥がしにかかる。
「何言ってんのよ!一週間も、反応がなかったから、もうダメだと思ったじゃない!」
彼女は先日から、泣いてばかりが、ドライの胸をぬらす彼女の涙は、ドライの文句を喉の手前で、押し止めてしまった。そして彼の腕を、自然に自分の肩を抱かせる。彼の感情の赴くままに……。
ドライの腕は、自然にローズの腰に回り、泣きじゃくるローズの頭を、撫で競る。
その時に、彼女が男っぽい姿でも、カジュアルな格好でも、厳めしい鎧を纏った姿でもないことに気が付く。この時代に、最もポピュラーな女性らしい姿であった。
暫く、彼女の肩を自分の胸に引き寄せた状態の続くドライ。せっかくドライの目覚めを、見に来た他の人たちだったが、二人のその状態に、今は諦めて微笑ましくその場を去ろうとする。ただ、少女だけは、好奇心溢れた表情で、その場を去ろうとしない。
「こら!ミナ、大人の邪魔するんじゃないよ」
と、祭壇でカラフルな足跡を付けた女性が、彼女の耳を引っ張る。
「だって、お姉ちゃん……イタタ!」
再び戸が閉まり、二人っきりになるドライとローズであった。ローズは、まだドライの胸から顔を離そうとはしない。
「お前、以外と泣き虫だな。もっと豪快な女かと思ってた」
「バカ!!」
そんな強気な言葉を吐き出すローズだったが、ドライの胸から離れようとはしなかった。
「へへ……、それにしても、一週間か、寝た寝た。ほら、泣くなよ。シーツがベトベトになっちまう」
と、ローズの顔を持ち上げ、指先の自由の利かないその手で、頬を伝う涙を拭いてやる。それから、彼女の女らしい格好に気が付き、ニヤニヤと笑いながら、目線を上下させる。
ローズは、一瞬彼の頭を叩く素振りを見せるが、その手を彼の頬に宛い、ドライの唇に、自分の唇をそっと押し当て、少しだけその感触を味わう。
ドライには、何の意味かは理解できなかったが、別に不服はないので、自らも唇を絡める。キスを終えたローズの瞳の輝きは、此処にやってくる前のそれとは、明らかに違うモノだった。それはドライにも理解できた。
「覚えてる?ベッドの上でのキスの約束……」
もう一度、彼の包帯だらけの胸元に寄り添う。
「へっ、何年前の話だ?そりゃ……、捨てちまったよ」
この時にキスの意味が分かる。尤もドライが言いたかったのは、こういう状況ではなく、もっとロマンチックな状況を想定しての意味だった。
だた、その時のノリで口走った言葉に対して、こうまで熱い対応をされてしまうと、照れくさくなりそんな風に悪びれてしまう。ローズもまた、自らの感情に真っ直ぐな女なのだと、ドライは思う。
「いい加減ね」
ドライはいい加減だ。あきれ果て、何も言えないローズだったが、その、妙に彼らしい返答に、クスリと笑みだけがこぼれる。その時、ドライが、思い出したように言う。
「いっけね、ローズ、俺のブラッドシャウトは!?」
言うことの聞かない歯がゆい身体を、懸命に起こそうとするが、先ほどと違って勢い良く起こせない。身体自身が、走る痛みを恐れて、ゆっくりと起きようする。
そして、ローズの介添えにより、漸く起きることが出来る。
「ブラッド……、ああ、剣ね。私の部屋に置いてある。レッドスナイパーと、一緒に……」
ドライから離れ、椅子に腰を掛け直す。それから、多少気持ちの高ぶりが、収まったのか、極めていつもの彼女の表情に戻っている。いつもの彼女とは、激情的でもなくクールすぎる表情でもない、ドライを一友人として見ている彼女のことだ。
「そっか、なら良いけど……」
「それにしても、驚きね、あの剣に、あんな力があるなんて……」
「だろ?アレこそ、俺とマリーで見つけた、究極の武具の一つだ。他にも色々とあるらしいけどな、えっと、確かハート=ザ=ブルー、って剣が、世界のどこかにあるらしいぜ。ま、エンチャントに、興味のない俺には、意味ナシか……、ちなみに俺のブラッドシャウトと、お前のレッドスナイパーは、反魔刀っていって魔法を跳ね返すことが出来る剣だ。でも、この前のは、強烈だったよな。後一撃で……、いや、何でもねぇ」
そこまで言うと、彼は、投げ出すように、ベッドに身体を沈める。少し吐いた弱音に、思わず照れて、目を瞑ってしまう。
「ドライ……」
その時ドライが、可成りの無理をしていた事に気が付く。無論そうでなければ、今頃彼が横たわっている訳もない。ローズが、彼の名を呼ぶその一声は、「バカな男だ」と、心配気で、ドライに無意味な罪悪感を与えた。
「な、何だよ。だけど、あの破壊力だ。後一撃はねぇ、そう思ったのはマジだぜ。それと!!このドライに逃げはねぇ!!前進在るのみ!!だ」
彼のポリシーらしいが、そのために死にかけたのだ。何とも融通の利かない男である。賞金稼ぎとは、思えない剛直さでもある。最も、彼が自分の腕に自信があるからこそ、今までやり通せたことである。だが、ローズにとっては、腑に落ちぬ言葉だった。なぜなら彼は、マリーの話をしたとき、一度だけだが、「逃げた」という言葉を使っている。その時点で、「逃げはない」は、偽りになってしまう。
「嘘よ。だって、姉さんとドライが、崖から落ちるときに、逃げたって言ったじゃない」
相当前に話したことだというのに、ローズは細かな部分を覚えていた。記憶力の良さが伺える。
「お前細かいこと、覚えてるな……」
柄にもなくドライの頬が赤く染まる。
「いつも、お喋りじゃない」
「うるせぇ!!寝る」
あっと言う間に、シーツを頭まで被り、狸寝入りをしてしまう。その様子には、気まずさと言うよりか、ドライの照れというモノが伺える。そこには特に、何か変わった事情がありそうだ。そう考えると、余計に知りたくなってしまう。人間の好奇心というやつで、彼女もそれをムズつかせた。今のドライに、それを吐かせるのは、至って簡単だ。早速実行に移る。
怪我を直接触るといけないので、シーツの外から、彼に跨り、脇腹を全力で擽ってみる。
とたんに、ドライはくすぐったがり暴れ出す。だが暴れたところで、今の彼は、それほど激しく動けるわけではないので、ローズに勝てるわけもない。必死でもがきながら、顔をゆがませる。
「グハハ!イテテ!止めろバカ!」
「なら教えな!そうじゃないと、これだけじゃ済まないぞ!」
「解った。言う!言うから止めろ!」
ドライは、簡単に陥落してしまう。今は、忍耐力を出す気力もない。暫くヒィヒィ言いながら、両手で顔を覆い、呼吸を整えている。それから、両手を、ゆっくりと外し、自分に跨っているローズの、両太股に両手を置く。
一寸どさくさ紛れに思えたが、それより彼の話が先だ。ローズがその両手の甲の上に手を置くと、ドライが甘えるように、その手を握りしめる。それから、天井の何処を見るとも無しに上を向いて、言った。
「彼奴のお腹ん中によぉ、俺の……、俺とマリーの子供がいたんだよ」
それから、クスリと笑い、ローズの顔を眺める。ローズは、どう答えて良いか解らず。ただ、少しの驚きだけを見せ、絡めていた手をゆるめる。ドライは、ホロ苦い思い出を思い出すようにして、目を瞑り、口元だけで、もう一度クスリと笑う。
その意味が、ローズの心を劈くようにしびれさせた。ドライには、よほどの覚悟があったのだ。危険な世界に住むドライと居たなら二人にとって愛を育むことは、さらなるリスクを生むことになる。否認の魔法を用いれば、愛の範囲は、二人だけのものに、止めることも可能であった。だが、あえて二人は形となる愛を求めた。そこに決心という言葉以外、語るものがない。
ローズの心が揺れる。マリーの事をこれほど表情豊かに語るドライに感化され、好意以上に気持ちを絆されてしまうのだった。ボロボロになりながらも、自分を守るドライの背中が、ローズの脳裏から離れない。そして傷だらけになった痛々しい手で、女性としてのローズに語りかける、不器用だがよく解る温もりが、「守る」ということに、生きる道を生み出した、ドライの新しい感情が、伝わって来る。ローズは身体の力が自然と抜け、暫くドライの上で、その距離感に心を許すのだった。
それが、自分の姉が愛した男だと解っていてもである。いや、寧ろマリーが愛したドライだからこそであろう。
そして、二人の愛は本物だった。失ったマリーは、譬え一欠片だとしても、ドライの中で生きている事が解る。それだけで、彼を捜し求めた価値は十分にあった。
それに気が付いたときには、ドライは、目を瞑って、寝てしまっていた。
それから何時間経ったのだろうか、太陽の位置が変わり、先ほどまで光りが差し込んでいた窓からは、赤い日差しが、うっすらと感じられるだけになっていた。そんな中、ドライは気怠く目覚める。今度は、自分が何処にいるのか理解している。だが、さきほど自分が目覚めた状況と違うのは、ローズが椅子に座り、ベッドの端の方で、ドライの胸の上に、手を伸ばしながら、寝入っていることだった。その様子から少しの疲れが見える。何かをしていたようだ。すると今度は、ミナでなく、彼女の姉が部屋に入ってきた。ノックも何も無しだ。
「あらあら、寝ちゃってるじゃない、彼女」
入ってくるなり、いきなりこ言う。ドライと彼女が一瞬目を合わせる。それから彼女が、ローズの向かいにあるもう一脚の椅子に座り、テーブルに肘を立て、手の甲に顎を乗せ、クスリと笑いドライに話しかける。
「この子ったら、毎日魔法でこうやって、治療してたのよ。でも、終わった後は何時もグッタリ、よほどあんたに惚れ込んでるのね、ドライ」
「そういや、あんたとは一晩過ごしたっけかな?3ヶ月前ほど……」
「ふふ、覚えててくれたんだ。でも愛には勝てないわよね。こんないい子、大事にしなよ。恋人なんでしょ?」
「へっ、そんなんじゃねぇよ。比奴とは……」
それでも、感謝の気持ちを込めてか、もたれ掛かっているローズの頭を、くしゃくしゃと撫でる。
「でもねぇ……、この子の格好ったら、まるで男みたいで……。本人最初は抵抗してたんだけどね。満更でもないみたい。アンタ女好きみたいだし」
要するに、ドライが目覚めたときに、華やかな女性が側に居る事が、一番彼にとっての保養になるという事だったのだろう。
まさか、そう言う経緯があるとは知らなかったドライは、ただそれをニヤニヤ笑っただけだった。もう少し言葉に出してやれば良かったと、罪悪感を感じてしまう。彼にとっては珍しいことだ。そう言う気持ちで、改めてローズを見ると、ドライが、マリーに寄せた感情が、今一度沸いてこないでもない。少しだけローズのことを、愛おしく思った。誤解とはいえ、彼女は、自分のために此処まで堕ちたのだ。別に知ったことではない。そう思うこともできたのだが、彼女の頭を撫でる自分の手が、その無関心主義を押さえ込んだ。
「う……ん」
ローズが、目を覚まそうとしている。
「それじゃ、お邪魔虫は消えるとするか」
彼女は、そう言うと、ローズに気付かれないように、足音を消してそっと出て行く。扉の閉まる音まで、忍ばせた。彼女とは、一度しか夜を共にしていないドライだったが、その時は、それなりに良かったようだ。互いの顔を良く覚えていた。いわゆる「行きずりの恋」と、言う奴だろうか。それ以外特別な感情は、持ち合わせてはいない。
ドライが、扉の方を見ていると、ローズが眠たそうに目を覚ました。ドライは、とたんに慌てて彼女の頭を撫でていた手を、照れくさそうに自分の頭にやり、ぽりぽりと掻く。
「よ、よぉ、良く寝てたな……」
「そうね、何時の間に……」
寝ぼけ半分に、ムクリと上半身を起こし、乱れた髪の毛を掻き上げながら、正面の空気を眺めている。この時に、ドライは気が付いたのだが、腕を無造作に動かしても痛くもなんともない。多少動きづらさがあるだけだ。どうやら、彼女の魔法が、それなりに効いているらしい。
「ローズ、そのドレス……、よく似合ってるぜ」
感謝の気持ちと、先ほどのすまなさがそこに現れ、こういう言葉になる。ところが、である。
「今更、そんなこと言われても、嬉しくもなんともないわよ。鈍いんだから、このトンチキ!」
「何だと!?このドライ様が、せっかく誉めてやったってのに、その言いぐさはねぇだろ!」
ドライも、ベッドから、勢いよく、上半身を持ち上げ、ローズの顔に向かって、唾を吐きかけるようにして、まくし立てる。怒ってはいないが、ついカチンときて、ムキになってしまった。しかし、互いを見つめあう瞳の色が、一瞬優しくなる。
「フンだ!」
「ヘン!」
だが、照れくさくなったのか、互いに頬を赤らめて、そっぽを向いてしまう。更に、ドライの方は、もう一度、ベッドに横たわり、ローズに背を向け窓の方を向いてしまう。少しだけ長く、時間が過ぎる。ローズは、まだ部屋にいる。
「ゴメンね、せっかく気が付いてくれたのに……、ホント言うと、少し恥ずかしかったんだ。こんな格好するの……、ヘンでしょ?私みたいな女が」
その言葉には、照れと言うよりも、自分を卑下する方が、強かった。彼女は、きっと女を捨てて生きてきた過去を、恥じているのだ。そして忌まわしい過去も。
「いや、マジで綺麗だぜ」
ドライは即座に、意地を張るのを止め、身を返し。ローズの腕を引っ張り、自分の方へと抱き寄せた。
美しい赤いドレスと対照的に薄汚れてしまった自分の身体を気にしながら、それでも少しだけ、本来の自分を取り戻せたような気がして、照れくさそうにしているローズは、本当に綺麗だった。
そんなローズは、この世の至宝に匹敵するほど、美しい。
どれだけ暴力的な金銭を所持するドライだとしても、決して手に入れることが出来なかった満足感が、いま其処にある。
生き抜いて、守り抜いて、今一人の女性の体温を感じる。それだけの価値がある女だとドライは思った。
普段いい加減な事ばかり、並べ立てるドライだが、ホントに感情にしたい言葉を、上手く連ねることが出来ない。
ドライにとって、言葉とはそんな薄っぺらなものでしかなかった。だからドライにはローズを抱きしめることしか出来なかったのだ。自分が守りたいと思ったものを、体温で感じたかった。その時ローズという存在が強くもあり、非常の脆くもあるように思えた。手を離せばマリーのように、失い壊れてしまう。
「ドライ……」
深く唇を寄せあう二人、ローズはこの直後、全てを彼に許した。ローズもまた、彼が自分を知りたいというのなら、其れを良しとしたのだ。
抱きあった後、互いの身体に残る開放感と安堵感を感じながら、ドライは、自分の胸の中で寝ているローズの髪を、何度と無く撫でる。素肌の温もりが何とも心地よい。
「俺よぉ、お前の強がってる所って、好きだぜ。なんつうか、ホラ、何かに必死って所……、懸命なところ、一途なところ、そう言う眼してるお前……真っ直ぐなお前……」
ドライは、自分の感じ取った彼女のイメージをそのまま口にしてみせる。決して上手とはいえないが……。『愛しい』そう思い始めれば、ドライはその感情を止めることは出来なかった。たとえ彼女が、マリーの妹であると解っていてもである。
「ホント?」
あまりにも静かで、落ち着いた重みのあるドライの言葉に、逆に真実味を損ねてしまったローズだが、今彼の胸の中で寝ている事実は変わりない。
その言葉の真実味を再度確かめるために、ドライにキスを求めると、彼もまた熱い思いを彼女に伝えた。するとドライは、再び彼女を自分の下にして、腰を抱き自分を重ねゆっくりとそれを態度で示し始めた。
怪我も完全に癒えていないというのに、ドライは「本当だと」全身全霊でローズに伝える。ドライもまた、ローズとなら、失ってしまったマリーとの時間を取り戻せるかもしれないと思ったのだ。
マリーと二人で求めたのは、まさにこんな安息の時間だったのである。
その日から三日後、ドライの体調は、ほぼ万全となる。二人は街を後にして、港のある別な街へと向かう。それから十数日後、二人は、港のある街にまで来る。
「え?馬は連れていかないの?」
「ああ、多分これからは、かえって邪魔になる。野にでも返すさ」
「そう、残念ね……」
今までつき合ってきた旅の友だが、ドライの一言で、別れになってしまう。馬を野に放つと、二頭の馬は、じゃれ合いながら、掛けて行く。二人は必要な荷物を持ち、旅客船に乗る。これから更に、十数日にも及ぶ船の旅が待っている。