建久二年の雪達磨
建久二年閏十二月二十八日、京は夜来の激しい降雪がようやく上がり、明るい雪の朝を迎えた。
勤行を済ませ、粥をすすっていた宇治平等院執印慈円の下に左近衛中将藤原公衡から歌が届けられた。
知らじかしいつしか雪を分れども
心のかよふ跡は見えねば
公衡
雪をかき分けてもと、人と人の心が通い合う跡はもう見えないと三つ年下の歌友は言う。
うち続く地震や火災、戦乱で人びとは疲弊し、目先の利害のみで動く。心の荒廃に気づかないのかと強い口調で訴える。
公衡は当代一流の歌人、藤原俊成の甥であり、彼ら御子左家は慈円の九条家よりも家格は低いが、代々の歌の家として師匠筋でもある。
何かあったのか、何より最近体調がすぐれないと聞く。
雪に埋もれた道を越えて参上した使いの者を労うよう家人に伝え、返歌を託した。
跡つかぬ心づかひのかよひぢは
知る人ぞ知る雪の明けぼの
慈円
心と心の交流はわかるものだけがわかればよいのだと、三十八歳の慈円は公衡を慰める。
この一年余り後に公衡があっけなく世を去るとはさすがに予想していなかったが、歌に漂う暗い翳が気になった。
それが機縁となったのか、炭を継ぎ足しながら、左近衛大将藤原良経に歌を送ろうと思い立った。
良経は先月来病に伏すことが多くなった後白河院に伺候している。
法皇に万一のことがあればどうなると後年、『愚管抄』を著わすことになる、この鋭い歴史感覚を持った僧は考える。
摂政関白忠通を父に持ちながら慈円は、関東を中心に貴族の既得権益を蚕食しつつある頼朝を一方的に敵視したりはしない。
だが、そのバランスが一挙に崩れればまた平家の滅亡に終わった大乱のようなことになりかねないとも危惧している。
興が乗って、甥への問いかけを秘めた十首の歌ができたので近習の者に託す。
さっきからにぎやかな声が外から聞こえる。からりと扉を開けて雪の庭を眺める。
小坊主どもが雪かきもそっちのけに雪の玉を作って遊んでいる。
源氏物語の朝顔の巻の雪まろばしを想起する。
「小さきは童げてよろこび走るに扇なども落して、うちとけ顔をかしげなり。いと多うまろばさらむとふくつけがれど、えも押し動かさでわぶめり。……」
よく似た光景が自分が姿を現したことで、ぴたりと止まる。苦笑いしながら、よいよいと手を振る。阿弥陀堂の上を雁の群れが飛んで行く。
良経も無聊を慰めていたのか、返歌は早かった。
春の近さを告げる陽だまりの中でそのやさしげながらメリハリの利いた達筆を読み始めたが、一首ずつ律義に自分の歌に返していることに気づき、自室に戻って控えと対照させる。
跡は惜し問はでいかが庭の雪よ
あやぶまれたる昨日けふかな
慈円
慈円はまず庭の雪に託して後白河院の病状、世の行く末を案じた挨拶を送った。
公衡が初句で「知らじかし」と強く言い放ったのに影響されて、「跡は惜し」と倒置表現となった。
われは猶雪の跡をぞ思ひつる
情けあるべきけふと見ながら
良経
あくまで院に従い、仏の情けによる快癒を信じていると良経は応える。誠実なのか無難なのか、わからぬやつだとおっとりとした甥の顔を思い浮かべる。
**************
読み進めてなかなか本音を明かさぬ甥に飽き足らぬものを感じていた。
花よ月かすめ過ごしのつゐに猶
雪の朝も達磨なりけり
慈円
慈円は十首の最後になって月を詠み込む。
勤行に向かう際に素早く流れる雲の間に、大晦日近くのやせ衰えながら昇っていく有明の月がわずかに見えたのだった。
それは古い時代の象徴であり、来るべき新しい年の予兆でもあるように思えた。
古い時代――後白河院。古今集を踏襲する旧派の多くの歌人。
新しい時代――頼朝。良経、俊成、その子定家らの新派歌人。自分もその一人である。
手足もない意味不明の達磨歌などと謗る者は自らの目が霞んでいることを自白しているようなものなのだ。
この十首が達磨だと言うならそれもいいだろう、おまえもそういう歌を寄越してくれと訴えた。
いな達磨ひとだにもなし雪の歌
深き心は密宗といはん
叔父上の深い心は最近流行の達磨宗などではなく、台密天台宗の奥義、人でさえない教義の化身と褒める。
しかし、天台の教義が京も鎌倉も包み込んでこそ、この末法の世は救われるのだ。
阿弥陀如来に只管に縋れば浄土に行けるのなら、我らも頼朝も苦労はしない。
いや、違う。
良経の移り香のする文を筐に収めかけて、ふと手を留める。
『いな達磨』、それは自分ではなく、甥自身に向けられているのではないか。
『雪の歌』、真意を覆い隠した歌でお返ししますということではないのか。雪、深き、密と秘めた言葉を畳み掛けてくる。
慈円の謎掛けの連続に甥は最後に謎をもって返してきた。血縁同士が殺し合う時代はまだ続くかもしれない。まだ真意を文字にする時期ではないだろうと。
手あぶりの火も尽きようとしている。
こういう日なればこそ、久方ぶりに鳳凰を思わせる阿弥陀堂で参籠してみようと慈円は思った。