クラス転生〜TSくノ一・緑蘭の場合〜
いわゆる異世界というやつに転生して十二年になる頃か。
闇の家業を生業とした一族……簡単に言えば忍者みたいな家に生まれて、厳しい修行を物心つく前から課せられた。前世の平和な日本での記憶と価値観が邪魔をして、おそらく同じ一族に生まれた子らより精神的に消耗したが何とか齧り付いて生きてきた。
だが、それだけは我慢ならなかった。
「もう一度言え、だと? 緑蘭。房中術。要は男を堕とす術を学ばせる頃合いだと言ったのだ」
一族の当主である男が険しい顔に険しいシワを作って言った。その男の前に正座をしている緑蘭は、瞑目する。
ついに来たか。そう思った。
この一族の、しかも当主の家に長女として生を受けた時点で覚悟はしていた。だが、我慢できるとは言っていない。
「嫌です」
はっきりと言うと、不機嫌を隠さず殺気を撒き散らして父は叫ぶ。
「逆らうか!」
逆らいます。すぐにその場から飛び退き後方で着地をして構えた緑蘭、今まで座っていた位置には刀に槍、果ては鎖鎌まで突き刺さっている。
「反抗期か、貴様」
「絶対に嫌です。男と寝ません」
何故ならば、前世では男であり、しかもその記憶は呪いのように色褪せることが無いからだ。
宙に構えた右手に集中する。
「顕現」
僅かな発光と共に、彼女の右手から武器が生み出される。
神器。神に愛されし者に、生まれながらにして宿るもの。その、神の奇跡が自身の娘に宿っていたことに心底から驚く当主。
何より、今の今に至るまでそれを隠し続けてきた娘に対して、もはや敬意すら覚えようとしていた。
「緑蘭……!」
それほどまでに、嫌なのか。
褒めるとも責めるともなく複雑な気持ちをそのままに、ただ娘の名を呼んだ。
緑蘭が右手に握り込むのは、苦無という暗器にも似た黒い刀剣だ。その柄の端から墨のような黒が帯のように揺らめいていた。
「父上。緑蘭は幸せになります」
「認めんぞ……! お前には当主継ぐ責務がある……!」
腐っても親子だ。例え、娘の方に前世の記憶があろうとも。だから、二人の間にこれ以上の言葉は要らなかった。
*
それから三年のことだ。
齢十五になった緑蘭は現在の主人の前に膝をつき頭を下げていた。
「緑蘭。私は隣国の後宮に入ることになりました」
何と。
隣国と言えば大量の女を侍らせる色男が王であり、国力で言えばこの辺りでは最大である。そこの前王が死んでまだ二年。跡継ぎ問題とかで何やらきな臭い後宮に主人どのが。
緑蘭は心底から同情した。
お隣さんとは比べ物にはならないが、一応小国の王女。第三王女で王位継承権すらほぼないに等しい彼女だが器量は良い。兄弟姉妹の中では抜群に良い方だ。
だからこそ父王も彼女を選んだのだろうか? しかし父王は、末っ子かつ今は亡きお妃様にそっくりの主人に異常に過保護な愛情を注いでいたが……。
もはや何番目の妻になるのやら分からぬ男の元へ行かせるなんて、らしくないな。その緑蘭の考えを見透かしたように、主人である彼女は続けた。
「その件で父から貴方に話があるそうです。私から言えることは一つ。緑蘭、貴方も共に行くのです」
え?
と思い、戸惑いつつ国王の所へすぐさま向かう。玉座を前に跪く緑蘭に対し、少し瘦せぎすの国王が据わった目で睨みつけてきた。
「話は聞いたか」
「聞きました。私が付いて行く理由はなんでしょう。何か裏があるのですか」
単刀直入に聞いた。
答えは早かった。
「男児禁制の後宮内において、常にシャロンの側に置ける最大の戦力が貴様だからだ」
憎悪と憤怒を宿したその瞳は、狂気を垣間見せる。
つまり正気の目ではなかった。過保護は変わっていなさそうだ。悔しそうに顔を歪めた彼は続ける。
「むざむざとシャロンを渡すことになるとは、今にもハラワタが千切れ飛びそうだ。だがシャロン自身が自ら行くと言ってくれた、それはいい。だがあそこにいれば命と貞操が危ういだろう。だから緑蘭よ、力の限り、否……命を賭して敵を排除せよ」
緑蘭は、気が遠くなった。聞き間違いだろうか。後宮という場で、守るには難しいものが入っていたような。いや、聞き間違いかもしれない。聞いてみよう。
「失礼ですが、今貞操と仰いました?」
目上に対してそれこそ失礼な物言いだが、この娘だからしょうがないという認識が王にはある為そこは咎めない。
しかし立ち上がって、見るものを抉り取るような視線で緑蘭の前にしゃがみ込み顔を覗き込んだ。
「そうだ……」
地の底があるとすれば、きっとそこで出した声はこんな声だろう。無表情を張り付けて緑蘭は続きを待つ。
「貞操を守れ……我がシャロンに付く糞虫を排除せよ。コロセェ……」
「無理ですよ。その糞虫って、要はお隣さんの王様になるわけでしょう」
そんな事をしたら戦争になってしまうのではないか。そうなればこの国は惨敗、草の根も残らず焼き尽くされるだろう。
「気付かれぬように殺せばよかろう。事故を装うとかな。いいな? もし、しくじれば貴様の父に、貴様自身の処分を依頼する事になるぞ……」
それを言われては何も言い返せぬ緑蘭であった。神妙に頷き、だが声は発せずにその場を去る。いつかこいつも殺す。そう心に誓って……。
*
シャロン様が後宮入った。
待遇としては特に、大したことはない。その辺の貴族の娘だったり市井から連れて来られるような女よりは良い部屋と待遇ではあるのだが。
格付けするならば、十何番目とかその辺りだ。一応他国の姫であるが、似たようにシャロンとは別の国から後宮に入る姫は多く、十何番目というのはそれすなわち故郷の力関係に直結していた。
お陰で一ヶ月ほど経った今でも若き国王と夜を共にしたことは無い。緑蘭は無い胸を撫で下ろした。自身と同じ十五の男児といえば性欲真っ盛りである。主人もすぐさま食われてしまうのではないかと心配していたが、存外草食なのかもしれない。
シャロンが緑蘭以外に連れてきたお供と、この国に来てから支えている女官達の仲は良く、シャロン自身もそれらと打ち解け始めてきて楽しそうである。
それを、彼女らと同じく女官服を着込んだ緑蘭はのんびりと見ていた。一ヶ月……女官達の中にシャロンを害する者がいないか注意を払ってきたが、立場のそんなに高くない主人には敵も生まれないらしい。
空気だ。自ら望んで来たわけでないとはいえ、まるで自身が国王から見て空気の様な存在である現状をシャロンが少し気に病んでいる以外は平和であった。
何度か見た事があるなぁくらいの相手だが、全く歯牙にかけられないのも複雑な気持ちなのである。緑蘭は十五の女生でそれを何となくわかる様になっていた。女心は難しい。
だが、その平和はただ単に国王が忙しかったから、生まれた偶然の産物だったらしい。
一ヶ月経った夜、突如国王が新たな妃候補の顔を見に来たのだ。顔を合わせる二人。シャロンは国王や緑蘭より一つ下だが、どこか大人びた魅力を持つ女性で、少し背伸びした様な印象が特徴だった。
そして国王様はそこを気に入ったらしい。イケメン好きのシャロンも満更ではなかった。低い立場だからこそ、夢見るものもある。
緑蘭の脳裏にはシャロンの父のイカれた目つきの顔が鮮明に浮かんでいた。これはいけない。国王様には悪いが、ここは止めさせてもらおう。
茶でも出して、そこに睡眠薬を盛ることにした。しかし彼はそれを飲まない。すぐに二人にしてくれと追い出された。見られてする趣味はないのだろう。
そこで緑蘭は音もなく寝室の天井に潜り込み、吹き矢による麻酔を試みる事にした。スルスルと天井板から顔を出して、いざこれより戦じゃと言わんばかりの……まだ服を着ている無防備な首筋を狙い、息を吹いた。
ギラリと国王が緑蘭を睨む。
機敏な動きで吹き矢を躱すと、シャロンを庇いながら身構えた。
「何奴だ!」
舌打ち一つ。緑蘭は地面に降り立ち拳を構えた。
「……? お前は、シャロンの侍女ではなかったか?」
なんて事だ。既に親しげに名前で呼んでいる。若さゆえか早すぎる展開。緑蘭は寸鉄を取り出して眼前に構える。
「ちょっと緑蘭! 殺す気!?」
「いえいえ、記憶を失うツボを刺すだけですとも。後遺症までは保証できませんが」
叫ぶシャロンにシレッとした顔で答える。
もはや反逆罪に取られても仕方がない状況だ。あるいは殺して国外に逃げる事も考えなければいけない。
ただならぬ雰囲気で、明らかに素人ではない佇まいの緑蘭を見ても、国王は余裕を持って微笑むだけだった。
「すまぬ。寝室に、刃物は持ち込むものではないのだがな」
懐から、小さな刃物を取り出して国王は構えた。同時に駆け出した両者の武器が衝突する。
一族でも天才と言われる緑蘭の武器捌きは既に達人の域だ。それをよく分かっている緑蘭自身が、国王という立場の人間に自身の技を防がれた事に大層驚いた。
そして国王も、小柄な緑蘭から放たれた一撃の重さに驚愕した。手にはまだ痺れが残っている。
互いが互いを警戒し、思わず……惹かれ合う様に二人は右手を突き出す。
『顕現』
緑蘭には黒い尾を持つ苦無が、国王には剣身に光を蓄える剣が。それぞれが武器を構え、そこで動きを止めた。
ハラハラとその様子を伺っていたシャロンが動きを止める両者を交互に見て首をかしげる。
『一応聞くけど、お前、クラスメイトか?』
突如として、聞きなれぬ言語で緑蘭が話し始めてシャロンは困惑した。外国の言葉だろうか。聞いた事もない響きだった。それは、緑蘭の故郷の言葉である日本語だ。
日本語で問いかけられた国王も、少し沈黙してから口を開いた。
『……倉木です。あなたは?』
緑蘭は武器を仕舞った。対する国王も武器を仕舞い、気まずそうに二人は立ち尽くす。
『俺、周防……』
彼らの前世の記憶は色褪せることはない。まるで昨日のことのように、国王の脳裏にはクラスメイトであった少年の姿が浮かぶ。
ちらりと緑蘭の容姿を見た。緑のショートカットに細身の身体。しかし、どこをどう見ても可愛らしい……かなりの美少女だ。
「ははは。可愛くなったもんだね」
そう言われた恥ずかしさから顔を赤らめて、緑蘭はギリっと歯軋りをする。
「お前こそ随分なイケメンになりましたね……!」
国王は中々の美男子である。かつてはあまり特徴のない普通の容姿だった彼を思い出しながら、少し悔しさを感じて緑蘭は涙目になった。
緑蘭は転生者だ。
かつて日本という平和な国で高校生というものをやっていて、何でもない日常の中、正確には教室の中で元・彼は絶命した。
そしてその時に共に教室内にいたクラスメイト達とこの世界にやってきた。人が剣を握り、一部の人間ならば魔法が使える。所謂剣と魔法の世界。
現・彼女の生まれは特殊だった。
闇に生き、闇に死ぬ。生まれた時からそれを宿命付けられる隠密の家系。その一族の長の実子として。
所以あって、今は光ある表舞台にいるのだが、彼女が自身と同じ転生者……すなわち元クラスメイトに会うのは生まれて初めての事であった。
だが相手はまさかの一国の王。しかも出会いは、緑蘭がその王を害そうとした……普通に極刑ものの状況でだ。
「……君と私のよしみでここはオフレコとしよう」
「それが有難い。シャロン様、お口にチャックですよ」
緑蘭がギラリと暗器をきらめかせると、その恐ろしさをよく知るシャロンはコクコクと無言で何度も頷く。
「しかし、なんだ。その、元気でよかった」
実に死んで以来なのだ、王はなんと言えばいいかわからないと言った顔でとりあえずそう言った。
「あなたも、あれですね。王様って。しかも、女はべらせて。良い身分ですね」
「……これには深い事情があるのだ。君のその身のこなしから色々苦労した事が分かるが、私もそうなのだよ」
夜は更けていく。
完全に出鼻をくじかれたし、そもそもそういう空気も無くなった王はベッドに入り寝ようとする。
そこで困惑するのがシャロンだ。え? え? と視線はキョロキョロと忙しない。緑蘭がそんな彼女の脇を突いた。
「既成事実を作りましょう。子をこさえて王族の仲間入りです。そしてそのまま私を雇って下さい」
よその王様を殺せとか言ってくるおっさんよりはここの方が労働環境は良さそうだ。王様知り合いだったし。緑蘭は続ける。
「色々としがらみが生まれるとは思いますが安心して下さい。私がその全てを排除しますので、基本は脅しですが最悪殺します」
「物騒だな!」
やたらと物々しい言葉を使う様になった元クラスメイトに思わず王も起き上がってツッコミを入れてしまう。
その様子を見て、緑蘭はやれやれと肩を竦めた。
「ツッコムのは股間の逸物だけに願いますよ王様。あ、邪魔なんでしたら去りますんで」
そう言って、いつの間にか天井の板を剥がして中に入り込んでいる緑蘭。最後にヒョコっと顔を出して
「シャロン様は強引な方が好みですんで」
「余計な事いうなぁっ!」
そしてその場には、顔を真っ赤にしたシャロンと王が残される。既にその様な気など失せてしまった王は頰を掻きながら、彼女はかつてあんな性格だっただろうかと思案するが、困った事にクラスメイトという関係以外には親しい部分が無かったのでよくわからなかった。
*
寝室から出た緑蘭は異質な気配を感じて建物の屋根に登る。すると、月を背にして何やら槍の様な物を持った人間が立っている。
ただ事ではない。その容姿は極めて優れており、しかも服装はとても庶民では着られなさそうな……動きにくそうな豪華な衣装であった。
もしかしなくとも、後宮で囲われている女の一人だろう。しかし何故こんな夜更けに屋根の上で槍を構えているのだ。
「あなた、あのクソビッチの従者ね。生意気だわ。この私に気付くなんて」
「お言葉ですがどなたでしょうか。この家屋は我が主人であるシャロン様のもの。王以外、許可なく立ち入ることは許した記憶がありませんよ」
緑蘭の立場は、最も新しい後宮の住人であるシャロンの連れてきた従者である。許可もクソもその様な権利はないのだが、あまりに不遜な態度に女はつまらなさそうに鼻で笑った。
「まぁいいわ。どうせ、あなたの主人は今日までの命だから。無論、私の手によってね」
「なんと」
堂々とした殺害予告である。驚いた。後宮というところは武力によって恋敵を蹴落とすところなのか。
前世は一般的な男児だった為に、実際の後宮はもちろん後宮を題材とした創作物はあまり見ていない。だがイメージとしては、なんかこうドロドロと女性特有の戦いで、殴るよりは情報戦みたいな。
そういうのだと思っていたのだが、しかし確かに、前世でもクラスメイトのギャルが男を取り合って殴り合っていたな。
その事を思い出して緑蘭は納得した。
「邪魔をするなら」
女が、槍を脱力して持つ。立ち姿も、構えというよりはそれこそ何かにしな垂れかかる様な……重心が不安定に見える姿勢だ。
だが、それこそが彼女の構えなのだろう。
「殺すわ」
予備動作なしで女は飛び出した。
屋根には傾斜がついており、通常ならばバランスを取るだけで体力を食う。そんな足場で、しかも動きにくそうなヒラヒラしたドレス姿で真っ直ぐ緑蘭との距離を詰めた。
一応、殺す気は無いのだろう。石突き部分を当てるべく女は槍を横薙ぎに振るった。しかし緑蘭は焦る事もなく最小限の動きでそれを避けようとする。
躱される。女は気付き、尚笑みを浮かべた。
魔法。
槍の速度が不自然に上がる。身体の動きはそのままに槍の振るわれる速度だけ速くなる為、武を嗜む者ほどその動きにはついていけないだろう。
しかし緑蘭は当初の予定より大きい挙動になったものの、後ろに仰け反って槍を回避した。
カチリ。小さな音が鳴る。女が腕を捻る。槍が半ばから折れ、折れた先端が緑蘭を襲う。
「なるほど、三節棍みたいなものですか」
難なくその一撃を身を回転させる事で避けた緑蘭が距離を取りつつ感心した様に言った。
女の持つ槍は持ち手が三つに分かれ、それぞれが鎖で繋がっているらしい。女は槍を振るい元の一本の姿に戻す。
「驚いたわ。女に躱されたのは初めてよ」
風を切り、今度は正眼に槍を構える。
「私は、東宮のジェリン。あなたに敬意を表するわ」
「はぁ、ジェリンさん。私は緑蘭と申します」
今更ながら自己紹介をし合って、ジェリンは自身の足にまとわりつくドレスのスカートを切り裂きスリットを足の付け根近くまで作った。緑蘭はそれをじっと見ている。
次に袖を千切り、適当に投げ捨てる。身動きを取りやすくしたのだろう。妖艶な笑みを浮かべ、ジェリンは楽しそうに言う。
「本気でいくわ」
ジェリンは緩やかなウェーブを描く艶やかな黒髪をサイドで結んでいる、歳の頃は二十代半ばの生意気な乳房を持つ美しい脚の長い女性だ。
その彼女の動きは武人のそれだった。重心の読みにくい構えから三節の槍を振るい、更に魔法によって身体の動きとは全く関係のない方向へ軌道が変わる。
複雑怪奇な槍捌きは並の兵士では歯が立たないだろう。何故こんな後宮という場に彼女がいるのだろうか。
緑蘭は防戦一方だった。その複雑な軌道を見事に見切り、回避したかと思えば急に何かに気を取られて避けきれず隠し持っていた寸鉄で防ぐ。
「くっ」
「注意散漫よ!」
ジェリンは、緑蘭が槍の軌道を読み切れず視線を泳がせているだけだと思っていた。
だが違う。彼女には弱点があった。
それは、呪いのように色褪せぬ前世の業。
ジェリンが槍を振るうたびに、綺麗な足がスリットから覗く。時にその奥も見えそうになる。または綺麗な脇がちらりと見えれば、双丘への道が開かれそうになる。
そういったとき、緑蘭の視線はどうしてもそこに集中してしまう。
そう。緑蘭は『チラリズム』というものに強く反応する性癖を前世に持っていた。そしてそれは今尚、彼女の性癖に深く根ざしている。
(あ、また。エロっ)
屋根の上という不安定な足場で、交差する刃。金属音が静かに響き、夜の闇に溶けていく。月明かりは充分な視界を緑蘭に与え、そして白く反射するジェリンの肌は艶やかに彼女を魅了した。
「ぐぅ。あなた、本当に何者なの!」
そんな緑蘭だが、ジェリンにとっては渾身の猛攻を全て防がれているという状況だ。先程から小さく鳴る金属音の場所を探す為に下で警備兵達がざわつき始めている。
ジェリンは決着を急いだ。その辺りで緑蘭も正気を取り戻す。やべっ、はやくこの女をなんとかしないと。ようやく本気で向き合う気になったのか、緑蘭は寸鉄を仕舞い込み低く構えた。
殺す気は無いのだ。素手で気絶させる。
その姿を見てジェリンも警戒を強め、足を大きく広げた。
一本に槍を戻し、後ろに大きく突き出して構える。それは溜め、だ。無論、そんな隙だらけの姿を見逃す緑蘭ではない。一気に距離を詰めて手刀でもって気絶させるべく屋根を蹴った。
縮まる両者の距離、ジェリンが身体の捻りを用いて槍を突き出す。速いが躱せぬ速度では無い。緑蘭がそう思った直後、槍は三節に分かれ螺旋の如き軌道を持って前方を広く射程に収めた。
そう。あえて距離を詰めさせ、面で叩く。それがジェリンの技だった。そして真っ直ぐ突っ込む形となった緑蘭は咄嗟にその螺旋に合わせて身を捩り、力の流れに沿って槍を絡めとるとそのままジェリンの手から奪い取る。
その回転の勢いのまま、緑蘭は天地を逆に向いた姿勢でありながら掌底を叩き込むべく腕を振るう。だがそれよりも速くジェリンの組んだ両拳が上から叩きつけられた。
しかし、ジェリンの渾身の一撃は緑蘭の両膝で受け止められ、そのまま屋根に手をついた緑蘭は海老反り姿勢になって足でジェリンの脇を掴む。
「え、ちょ」
という、ジェリンの戸惑いの声を聞きつつも。足を前に戻す勢いでそのまま彼女を屋根に叩きつけた。
強制的に宙返りさせられ、目まぐるしく変わる視界の中でジェリンは受け身をとるが、彼女達の戦いに屋根の方が耐えられなかった。
バキッとジェリンの身体が屋根を突き破って下に落ちる。ついでに緑蘭も落ちた。落ちた先は何と……と言うべきか、当然だがシャロンの寝室。
ベッドの中から半裸の王様が飛び出てきて、屋根から降ってきた緑蘭達に驚愕する。
「緑蘭!? あとジェリン様!?」
布団で身体を隠しながらシャロンが叫ぶ、とっさに彼女を見ると、まだ下着は着けているようだ。それならばまだ貞操は無事だろう。油断ならぬ奴等だ……。ホッと緑蘭は胸を撫で下ろした。
だがそれどころではなかった。
「周防……ジェリン……。これはどういう事だ」
怒りを隠さぬ声は震えている。即座に土下座の様な姿勢を取ったジェリン。自分は知らないぞと言った顔つきの緑蘭も、ギロリと王様に睨まれ渋々と正座で横に並ぶ。
王様は、これから先の苦難を予感させる夜に、大きく溜息を吐いたという。
*
夜中に王の……正確にはその寵妃の寝所に武器を持って襲いかかるのは、まぁ極刑だろう。それを未然に何とか食い止めようとしたのが緑蘭であり、そのドサクサで屋根から落ちてきた。という事を淡々と王様に説明した。
「……ジェリン。何故その様な事を」
苦々しく王様が言うと、ワッと泣き始めるジェリン。この中では一番の年上だが、まるで小さな子供の様に泣き喚き何事かを説明し始めた。
瞠目し、耳を澄ませて緑蘭は聞く。
どうやらこの王様は視察かなんかで見かけたシャロン様をえらく気に入ったらしい。後宮とかを用意しておいて、実は特定の誰かに愛を捧げる事をしてこなかった王様を、急に現れた泥棒猫に掻っ攫われる事が我慢ならなかった様だ。
「私は、もう適齢を過ぎてる。期待したの、私でも、もしかしてって」
いやいや、まだまだ現役で行けますよう。前世は現世より平均結婚年齢が高いので純粋に緑蘭はそう思った。
良い所の令嬢として、しかも器量も良く高いレベルの教育を受けて育ってきた彼女。だが武術を修めているうちに歳を重ねており、そろそろお見合いでもという所でこの後宮に連れてこられたのだとか。
ジェリンは美人だ。だから、献上品として王様に捧げられた。気の強そうな瞳に引き締まってスラリとした体躯ながらワガママな乳房、長い脚は国を代表するにふさわしい。そんな自信を持って送り出された。
だが、件の王様は草食系だった。これほど女を集めておいて(とりあえずいっぱい居る)、夜来ても身の上話を聞いたりしてくるくらいで手を出してこないという。
緑蘭はシレッと服を着込む王様を見た。次にいそいそと服を着込むシャロンを見る。なるほど。そう呟いた。
「私に魅力が足りない。そう思ってた、いや、そうだった。でも、他の娘達もそうだと聞いて……なのに、急に……!」
ギロリとシャロンを睨みつける。
「王様自ら後宮に入れたのは貴方だけよ」
そういうことか。緑蘭は全てを察した。そしてすくっと立ち上がり王の前に立つ。
「……?」
ジッと見つめてくる王を、目を逸らさずに睨み続ける。余談だが緑蘭は中々に整った顔立ちをしている。小柄な身体と短い髪も相まってまだ少年の様な印象を受けるものの、小さいなりにある胸と腰付きは一応女性である事を主張していた。
その、ややエロスに欠ける身体で緑蘭は王様に抱き着いた。意外と逞しい胸に顔を埋める。
「え? えぇっ?」
まだ知り合って数年ではあるが、この中で一番緑蘭と付き合いの長いシャロンは彼女の男っ気のなさをよく知っていて、だからこそ一番驚いた。
ジェリンと言えば、今の話の流れで何故そうなるのか全くわからず混乱していて……当の王様はと言うと
「……」
無言である。自分も抱き着くべきなのだろうかと言いたげに彼の腕が宙を彷徨う。時折、緑蘭の背中に回りそうで、回らない。
ボソッと緑蘭が何かを小さく呟いた。
『お前、女が怖いんだろ』
固まる王様。たらりと冷や汗を流し、何か言おうと口をパクパクさせるが声が出ない。
『動機が激しい。興奮しているというよりは、警戒している方が正しい』
うぐっ。と息が詰まった様な声を出す王様。仕方なくと言った様子で話す。
『周防の言う通りだ。詳しいことは、いつか話すよ。でも、シャロン……彼女だけは、別だった』
「まぁシャロン様は『魅了』を無差別に振りまいてますから」
緑蘭と王がまたよく分からない言語で会話していたかと思えば、急に自分の名前が出てきてドキリとするシャロン。王とジェリンは勢い良く彼女の方を見て、目を見開かせる。
「実の父にも効果があるほどの凶悪なものですからね。二年前に私が側につくまではみだりに外出など考えもしなかったでしょう」
しかし優秀な護衛を得て、外に出れる様になったからこの王様に見染められたという側面はある。
「とりあえず」
緑蘭がパッと王様から離れて手を叩いた。
「お開きにしませんか?」
だがそうもいかないのは当たり前の話である。しかしジェリンを裁くとなると、一緒に暴れた緑蘭にも何か罰を与えなければいけない。
そうすれば、彼女がどの様な行動を取るか……。王は頭を抱えたくなりつつも、緑蘭を見る。キョトンとした顔を見ても、その前世を思い出しても、彼女の考えはまるで読めなかった。
しかし、下手に敵に回したくはない。それを、『同じ転生者』である王自身がよく分かっていた。
*
結局、王はこの夜の件を公にはせずこの場にいた人間だけの話とした。もちろん屋根の崩落や謎の金属音など、周囲で聞いていた者たちは怪しんだ。
しかしそれは全て緑蘭のせいとなった。彼女が一人で鍛錬をしていて加減を見誤った事にしたのだ。正直滅茶苦茶だが、その後に緑蘭が皆の前で少々派手な演武の様なものを行う事で納得させた。
「良かったのか?」
遠巻きにヒソヒソと、怖れられたり笑われたり、そんな扱いを受けている緑蘭に対して王はそう聞いた。
周囲の者に何もさせてもらえずぼけっとしていた緑蘭は、真剣な顔で頷く。
「ええ、まぁ。私の武力を周囲に見せておく事で、少しでも抑止力になればいいなと」
王はこいつ何言ってんだとしか思わなかったが、自身を乏しめる結果を自ら提案してくれたのは緑蘭だった為、とりあえず曖昧な笑みを浮かべておいた。
無論、ジェリンも無罪放免というわけにはいかない。表向きは何も無いが、彼女は与えられた部屋の外に許可なく出る事を禁じられた、実質軟禁状態で監視もつけられる事になった。
それだけで済んで良かった。むしろ軽いくらいである。緑蘭は終ぞ何を思っていたのか王には分からなかったが、納得したように頷いていたのでそれで正解だったのだろうと考えていた。
「しかし、もっと重い罪を与えるべきだっただろうか」
思わず、と言った様子で呟いた王に、しかし緑蘭はなんとも無さげにこう言った。
「まぁ、元は貴方とウチの主人のせいですからね。彼女は被害者とも言えます。適齢期の女性をこの様な場所に囲って放っておくなんて、男の風上にも置けませんし」
この辺りでは最も大きい国の王に対して辛口なコメントである。聞く人が聞けばタダでは済まないだろうが、逃げ足だけに関して言えば緑蘭の右に出るものはそういない。
「悪かったねそりゃ。周防、前にも言ったが私も好きでこうなったわけでは無い。君なら分かるだろう? これはこれで辛いのだ。私の立場上、より……辛い。ほんと辛い」
彼の悩みは深そうだ。どんよりとした空気を纏う王様を、緑蘭は励ます事もなく無表情に見つめた。
「ところで倉木、仕事は良いのですか? 王様って実は、暇なんですか?」
今は昼間である。彼の後宮なので出入りは自由なのだろう。何故か見張りっぽい男性の兵士が一定の距離を保っているのが気になるが。ここは男児禁制では無かったのか。彼の周囲だけはそのルールが適用されないのだろうか。
「……忙しい事は忙しいが。私に求められている一番の仕事が『後宮』なんだ。シャロン嬢が来てから圧力が増してね」
「種馬かぁ」
「おい。下品だぞ」
緑蘭も少し調べたのだが、現在の王は兄が二人に妹が一人。そして数年前に突如として前王である父を亡くしており、急遽即位したのが現王様だ。
何故三男の彼が即位したのか、緑蘭は見当がついていた。
「神器……ですか」
神の奇跡の体現とも言われる神器使いはそれだけで神格化される事も多い。
「そうだ。だから、実質国を切り盛りしているのは兄達だ。優秀な人達なんだ、つまり私はお飾りなのさ。その、『血』だけは期待されているがね」
苦労してんだなぁと緑蘭は思った。王様の肩をポンと叩き小さく笑う。
「まぁ頑張って」
立場的に当たり前ではあるのだが、そんな言い方されるのは生まれて初めてだな……。王はぼんやりとそう思い、こいつ適当だなとも思う。
そのまま緑蘭が何処かへ去って行ったため、特に後宮に用のなくなった王は自分の仕事に戻っていった。
*
王様に生まれて人生イージーだろうなぁと思っていたが、案外そうでもないのだな。緑蘭は王の様子を見て、そして女性恐怖症の理由を想像してぼんやりとそう思った。
「あ、あの子……」
ぼそりと呟かれた声が緑蘭の耳に入る。自身の主人の元へ戻る道中の事だ。ちらりと声のした方を見ると、女官二人組と目があってすぐに逸らされた。
しかし、全く気にする事なく緑蘭もまた視線を戻して歩き出す。
シャロンの連れてきた女官達は前から緑蘭の事を知っている為そうでもないのだが、この後宮に来てからシャロンのお付きとなった娘達からは少し距離を置かれている。
東宮のジェリンという、後宮内の四大派閥のトップの一人に暴行を働いたという根も葉もある噂が彼女達の間には流れているらしい。
その為、後宮内やその外での権力争いなどの諍いに、緑蘭との付き合いは不利になると考えたのだろう。王への不遜な態度も彼女らはよく見ていて、それを許す王の株が実は上がっていたりする。
だが、それでも何か嫌がらせをされるとかそういう方向に行かないのは、ひとえに緑蘭が恐ろしいからである。
感情の薄い顔に、淡々とした口調。そして、高い身体能力。怒らせたら何をするのか分からないのだ。
「あら、緑蘭。おかえり」
主人の部屋に入ると暇そうに椅子に腰掛けて緑蘭を迎えてくれた。どうやら食事の時間になった様で、やや騒がしく彼女の前に御膳が用意されていく。
一応、シャロンの護衛である緑蘭は毒味役も兼ねている。ふと、緑蘭はとある給仕の女性が目に入った。
その女性はこの部屋に毎回食事を届けてくれている一人なのだが、普段と少し様子が違っていた。努めて平常心を保とうとしているのだろうが、どこか不安そうな瞳にじんわりと汗をかいていて顔色も少し悪い。
キョロリと周囲を見渡してみても、気付いているのは緑蘭だけのようだ。その女性が、少し震えた手で食器を置いた。
「失礼」
ビクッと、女性は大きく肩を震わせた。声のした方へ慌てて振り向くと、いつの間にか緑蘭が近くに立って、先程置かれた食器を手に持っている。
「な、なにか……?」
もはや、他の者も気付けるほどその女性は戸惑っていた。冷や汗を流し、声を震えている。緑蘭は何も言わず、手に持った食器に盛られた料理を指につけて口に含む。
モゴモゴと口を動かして、少し考え込んだかと思うと、目にも留まらぬ速さで側で狼狽えている女性を地面に組み伏せた。
「あっ!」
女性の袖から小さな瓶のような物が地面を転がっていく。しん、と沈黙が場を支配した。腕の関節を極めながら、緑蘭はどこか悲しそうな顔を浮かべて問い掛ける。
「毒ですね。どういうことか教えてもらえますか」
女性は泣きそうになりながら、小瓶を見て首を小さく振った。
「わ、私、こんな、知らないです」
自身の袖と小瓶を交互に見て、絶望したような顔をする女性。その様子を緑蘭は無言で見つめてから、彼女の耳元に顔を近づけていく。
「この瓶の事は知らなかったのですか。あなたが誰の手先かは知りませんが、捨て駒として利用されたのかもしれませんね」
淡々と、女性の様子をみて推測した内容を緑蘭が語ると、ポロポロと彼女は涙を流し始めた。嗚咽混じりの泣き声が部屋に響く。周囲の者はこの状況にまだついて行けず、オロオロと何も出来ずにいた。
「あなたにこんなことをさせたのは誰ですか」
そう問われても、女性はキツく唇を噛んで首を振るばかりだ。緑蘭が腕をさらに捻ると、苦しそうな女性の声が静かな部屋に響く。
「緑蘭! やり過ぎよ!」
女性の痛ましい姿を見てシャロンが思わず声を上げるが、振り返った緑蘭が無表情に見つめてくると何も言えなくなり言葉に詰まってしまう。
「シャロン様、これは洒落で済ませる事の出来る話ではありませんよ。あなたも、このまま黙っていればタダでは……ああ」
合点がいったと言いたげな顔で緑蘭が続ける。
「もしや、自分か……近しい人を人質にでも取られていますか?」
どうやらその指摘は図星だったらしく、目を見開いて口を開きかける女性を見て緑蘭は小さく口角を上げた。
「い、言えない……! 言えないんですっ! どうか……」
「やはりそうですか」
腕の痛みに耐えながら悲痛な声を上げる女性、緑蘭はまた彼女の耳元に寄って、「ならば」といった。
「あなた、ここで死にますか? 雇い主さんを私に教えてくれないのならば、あなたは今ここで死ぬことになりますよ」
もし、と。緑蘭は続ける。
「私に教えてくれたのなら、この後今すぐにそのお相手を私が処理します。選んで下さい。今死ぬか、私を信じるか」
カタカタと、女性の震えが増していく。どのような弱味を握られているのかは分からないが、言わなければどの道ここで緑蘭に殺される。
それが脅しではない事をこの場にいる者全員が感じていた。緑蘭の声にはそれだけの覚悟が乗っていたのだ。
「緑蘭……」
シャロンの、怯えたような声が小さく漏れた。それを無視して緑蘭は女性を睨み続ける。
やがて、その女性は口を重々しく開く事になる。
「西宮のオリアナ……ですか」
女性の口から出た名前を口の中で反芻し、緑蘭は彼女を解放した。そのまま外に出て屋根に登る。
「やれやれ、女性というものは恐ろしい」
まさか、毒を盛るとは。
だが確かに、かつて男を取り合って下剤を盛っていたクラスメイトもいた。それをしみじみと思い出す。
武力だけでなく、搦め手も使う。これが、女性の戦いか。
緑蘭は後宮に対しての認識を改める事となった。ここでは、気を抜けば……主人を殺される。ペロリと唇を舐めて走り出す。
ならばこちらも、打って出るまで。
暮れが近づいている。落ち行く太陽……不思議な事にこの世界にも元の世界と同じ様な太陽が昇っているのだが、それを見上げながら緑蘭は屋根上を駆けた。
やがて目的の屋敷にまで辿り着くと、屋根に手を掛けながら降りて窓を蹴破り中に侵入した。
破砕音とともに室内に緑蘭が侵入した時すぐ、彼女の鼻は異変を感じ取った。とっさに袖で鼻と口元を隠し窓に寄る。中には誰も居ず、中央には香炉が置かれていた。
毒を焚いている。幼少からの修行時代にあらゆる毒への耐性をつけさせられた緑蘭はまだ何ともないが、常人ならば一吸いすれば意識を失い、そのまま放置されたならばやがて死に至るだろう。
(何という、大胆で危険な真似を)
しかし、これはまさか……。緑蘭がとある事実に気付いた時、視界の端で何かが煌めいた。
針だ。しかも何本も、角度をつけて飛来してくる。頭によぎるのはこの部屋に焚かれた毒の香と、シャロンの食事に盛られた毒。当たればまずロクな結果にならないと緑蘭は窓から身を乗り出して外に逃げた。
カカカッ! 針が着弾する音が聴こえて、すぐに緑蘭は袖から寸鉄を取り出し側頭部を守る。直後に小太刀のようなものが寸鉄とぶつかり、高い金属音を周りに響かせた。
音も無く現れて小太刀を振るってきた人影に緑蘭は蹴りを繰り出すが後ろに仰け反って躱した影はそのままバク転をしながら距離を取り、小太刀を構えた。
「……同じ匂いが、しますね」
後宮では一般的な女官服に、顔には布を巻きつけた女が小太刀を持つ手とは逆手で懐から何かを取り出そうとする。だがその前に、緑蘭の寸鉄が腕に刺さった。
「っぐ!」
ポロリと、掴み損ねた何かが地面に落ちる。小さな球状のものだ、爆弾か何かだろうか。緑蘭が少し考えた時、屋敷からまた新たな影が二つ飛び出してきた。
その影は空中で手裏剣を投げつけてくるが、緑蘭はそれを弾かず機敏な動きで回避する。手裏剣に付着した謎の液体が周囲に散るが、もちろんそれにも当たらないように注意した。
回避した先で、二本の小太刀が緑蘭を襲うべく交差する。それを最小の動きで躱し、それぞれに緑蘭の掌底と足裏が突き刺さる。地面を滑っていく二つの影、間髪入れず上方から寸鉄の刺さった女が襲い掛かってくるが、もう一つ隠し持っていた寸鉄で器用に小太刀を受け流し、そのまま肩に突き刺した。
傷から噴き出た血が、緑蘭の手についた。
「っ!」
その瞬間、咄嗟に緑蘭は手を振り払い、手から離れた寸鉄が近くの地面に落ちた。緑蘭が思わず見ると、血に触れた箇所が赤くただれている。蹴りで女を吹き飛ばして距離を取り、すぐさま布で血を拭き取る。
その間に、緑蘭から受けたダメージが回復してきたのか三人全員が立ち上がってまた武器を構えた。
一人は腕と肩に寸鉄を刺され重傷だが、まだ戦意を喪失していないようだ。それどころか顔に巻かれた布の上からでも分かる、不敵な笑みさえ浮かべていた。
「驚きましたね。血にまで仕込んであるとは。この毒使い、私の所とは違う別流派とでも言いましょうか……『毒蛾』という名を聞いたことがありますね」
緑蘭の育った隠密一族とはまた違う。別の国が抱える隠密一族の技術だろう。身のこなしも、ただの女官ではない。何故、このような場所にこんな者達が。
「……貴様こそ、何者だ。何故貴様のような」
女の一人が口を開いたや否や、緑蘭は姿勢を低く構えた。まずは寸鉄が刺さったままの女を狙い、地面を蹴る。この女は先程肩を刺した事もあり一番の手負いだ。
隠し持つ寸鉄はあと一つ。しかし、この女……他の二人も同様だろうが、彼女達の血は緑蘭の肌を焼く。
緑蘭の狙いを読んでいた女達は、手負いの女を囮にして背後から狙う為走り出した。
「シィッ!」
手負いの女が鋭く息を吐く。
瞬間、彼女の身体が膨張し、服を突き破って大量の暗器が飛び出してきた。流石に驚いた緑蘭は思わず二の足を踏む。最後の寸鉄を取り出し、ギリギリで弾き軌道を逸らす。
背後に迫った二人がそれぞれ別の角度から小太刀と、飛び出した暗器を空中で掴み緑蘭に襲い掛かる。
手負いの女も、ほとんど下着姿のまま小太刀を振るう。緑蘭は暗器の回避の為に体勢を崩したまま、地面を強く蹴って手負いの女の懐に潜り込む。
「ぐぅっ!」
不安定な姿勢のまま肘を鳩尾に叩き込むと、くぐもった悲鳴が耳に残る。直前に投げていた寸鉄が別の女の首に突き刺さったのを横目に確認し、そのまま手負いの女を支えに身体を捻って最後の一人に蹴りを叩き込んだ。
めきっと確かな感触を足先に感じて、トドメに三人それぞれもう一発ずつ拳を叩き込んで地面に沈める。
女達は心底から恐怖した。自分達の武器を掻い潜って届く緑蘭の攻撃。勝てない。そう悟った。
「さて、オリアナ様という方はどこでしょう? もしやあなた達の一人ということはないですよね」
息を切らず程ではなく、緑蘭は一息吐いて倒れる女達に聞く。すると、傷が痛むのか苦しそうに笑う女達。不穏な雰囲気を感じた緑蘭は少しの焦燥感を感じながら一人の胸倉を掴む。
ちらりと胸元が見えてそちらに視線が集中してしまう。おっといけない、それどころでは……。
プッ! とその女が唾を緑蘭に対し吹きかけてきた。女の胸の谷間を覗いていた緑蘭は反応が遅れて、何とか躱そうとするも左頰辺りに被弾してしまう。
その唾を緑蘭は慌てて拭き取るが、既に気化した毒と肌から吸収されてしまった毒により左眼の視界にノイズが走る。
「し、しまった……」
女を蹴り飛ばして近くの井戸に駆け込み水を汲み上げてバシャバシャと洗うが、マシにはなったものの……左の視界はぼやけてしまっていた。
「くはははは! 間抜けが! オリアナ様はとうにここにはおらんわ!」
後ろで高笑いをする女のその言葉を聞いて緑蘭の顔から血の気が引いた。まさか、シャロン様の元に……!
「気付いても遅い! 我らがオリアナ様の巣作りは既に完成しているだろう!」
もはや緑蘭は女の話を聞かずに走り出していた。勢いよく屋根に登る。直後に謎の球体が緑蘭の近くに叩きつけられ、煙の様なものを吹き出した。
(毒霧……!)
慌てて口と鼻を隠し、屋根から身を翻す。降りた家屋の窓からまた二人女が飛び出してくるが、緑蘭はそれを確認した時には既に右手をかざしていた。
『顕現』
緑蘭の右手に生み出した苦無から黒い尾が伸びる。鞭の様にしなった尾は、飛び出てきて武器を構えていた女二人の腹を殴打して壁に叩きつける。
「ぐっ!」
「かはっ」
苦無の尾を一人の腹に巻き付けて、緑蘭は腕を振るう。その勢いで壁を削りながら女が加速して、もう一人の女にぶち当たった所で尾は解けた。女二人が重なって転がっていくのを横目に苦無の尾を屋根に引っ掛けて登った緑蘭はすぐに走り出す。
ズキッ、と。視界の悪い左眼が少し痛んだ。不覚を取った。あれ程の手練れとは……。緑蘭は更に後宮に対する警戒を強める。
(まさか神器を使わされるとは、恐ろしい人達だ)
実力としては圧倒していたがチラリズムに負けた緑蘭。余談だが、彼女の、大き過ぎるこの弱点を父親である隠密の当主が気付いていないわけがなかった。
彼女の才は父として誇らしくもあったが、部下としては末恐ろしいものだった。だからこそ、いざという時に彼女を御する為にあえて矯正してこなかった。
そして、緑蘭へ房中術の修行を開始する段階でようやく克服させようと思っていたのだが、それをキッカケに我慢の限界が来た緑蘭は家出を敢行。熾烈な戦いの末に色々あって父親には敗北したものの、なんとか逃亡して今に至る。
それはさておき。
やがて、緑蘭が自身の主人の屋敷へ辿り着いた時、そこには死屍累々とでも言うべき惨状になっていた。
シャロンに仕える女官達がバタバタと地面に倒れ伏しているのを見た緑蘭は慌ててその一人に駆け寄る。
呼吸は安定している、外傷もなさそうだ。眠らされているだけか……?
それだけ確認してすぐにシャロンの居るはずの部屋に駆け込む。ドアをぶち破ってすぐに目に入った光景は、外と同じ様に倒れる女官達と、一人だけ主人を庇うように立つ女官……シャロンが故郷から連れてきた女性だ。緑蘭とも顔馴染みである。
彼女は膝を震わせ顔色を悪くしていて、シャロンに至っては膝をついて呼吸を荒くしていた。
そして、その二人の前に仁王立ちしている華美な服装をした女が、ゆっくりと緑蘭へ振り返った、
「もう、来たのか」
若く、目つきが鋭い女だった。髪を上部で複雑に結い上げているその女は、袖を捲り腕を振りかぶった。
しかしそれよりも早く、緑蘭の神器の黒い尾が鞭のようにしなり部屋の壁を破壊していく。
身を庇い姿勢を低くした……西方のオリアナと思われる女が蛇の如く地を這うような動きで緑蘭に向かってくる。
その、女の眼前に急に小太刀が迫っていた。緑蘭が投げたそれは、オリアナの部下が使用していたものだった。間一髪躱し、女は緑蘭を睨みつける。
部屋の壁を破壊したのは、換気する為であった。その部屋に充満していた毒気が風に流れていく。緑蘭が口を開いた。
「あなたが、オリアナ様でよろしいですか?」
その問いに、不敵な笑みを返した女が腕を振るった。
緑蘭が眼前に飛来した針のようなものを掴み取る。
「如何にも。それで? どうする?」
ゆらりと身体を脱力させ、風に揺れる柳のようにオリアナは答えた。
「倒します」
自然と構えた緑蘭は、ただそれだけを言って地面を蹴った。
緑蘭に、オリアナを殺す気はさらさら無かった。彼女の部下達は血すらも毒の武器としていた為、彼女も同様だと考えた時に、飛び散る血液がシャロンら他の者にかかるかもしれない。
そう考えた緑蘭は素手による制圧を第一に動いた。だからこそ、自身の瞬発力に加えて神器の黒い尾で地面を叩く事による加速を合わせる事で、オリアナに全く感知させないスピードで彼女の背後を取る。
その緑蘭の速度に完全についていけなかったオリアナが慌てて振り返ろうとするが、その時には既に緑蘭の手刀が……当たる寸前に緑蘭は何かに気付きオリアナから距離を取った。
「あら? さすが『魔猿』の秘蔵っ娘ね、気付いたんだ」
意地悪そうな笑みを浮かべるオリアナの身体中から、粘着質な体液が地面に垂れる。
『魔猿』。緑蘭の古巣である隠密一族の、いわば通り名のようなものだ。どの国にも属さず、依頼があれば何処からか現れてそれを遂行する。
そして、似たような組織は他にもある。
「そちらこそ。『毒蛾』の中でも、その全身を毒とする秘術を使えるものは少ない、と聞きます」
オリアナが全身から出す体液は全て何かしらの悪効果を相手に与える毒液である。彼女の部下達のように血液にまで毒を浸透させるものを更に強化したような、その『毒蛾』の秘術は『魔猿』に居て耳に入ることがあった。
それともう一つ、緑蘭には気にかかることがあった。
「私のことを知っているのですね」
「当然でしょう?」
緑蘭の問いにオリアナは即答した。
「現『魔猿』当主の娘であり、父親を引退に追い込んで家出した暴れん坊。私達からすれば注目の的よ」
父との戦いは熾烈を極め、敗北したが父にも深手を負わせた。その親子喧嘩は勿論外部に漏れないように細心の注意が払われていたものの、裏社会で『魔猿』ブランドの名前は大きく、それ故に隠しきれるものではなかった。
そもそもとして、緑蘭とその父は『魔猿』の顔と言っても差し支えがない程の実力者であった。その二人が突如として姿を見せなくなれば、当然周囲も何かあると勘付いて調査をする。
「それにしても、まさかそんな有名人とこうして刃を交えることになるとはね。とんだ災難だわ」
「それについて、私からも聞きたいのですが……何故『毒蛾』の方が後宮に……?」
ふふん、と。緑蘭の問いに鼻を鳴らすオリアナ。
「そろそろね……『毒蛾』を大きくしたいと思ってるの、一応次期当主だから」
つまり、オリアナは緑蘭と同じく当主の娘という事だろう。しかし、この様な危ない人種をその部下ごと後宮に入れるなんて、この国の警備体制というか事前調査不足というか。
「苦労したのよ、私達の拠点がある国をまるごと乗っとったんだからさ」
オリアナが腕を振るう。粘着質な体液が周囲に撒き散らされ、蒸気を上げて周囲に毒を蔓延させる。
紅潮した肌に刺青の様な紋様が浮かび、オリアナは大地を蹴った。自身の身体を回転させながら、体液を繭の様に纏い長く伸びた爪で緑蘭に襲い掛かる。
だが緑蘭は特に顔色を変えることもなく、神器から伸びた黒い尾がオリアナを叩き落とした。
ベシャリと地面に叩きつけられたオリアナが慌てて顔を上げる。
「貴方の毒は、恐らく私でも耐性が無いでしょうね。ならば触れなければ良いのです」
するとすぐに黒い尾が、ぐんぐん伸びて檻の様にオリアナを取り囲む。
「ちょ、ちょっと……」
『毒蛾』の中でも実力者であるオリアナだが、そもそも『魔猿』と比べると戦闘力は低い。その差を毒によって本来ならば縮められるのだろうが、相手が悪かった。
例えば、大国の屈強な兵士が束になって襲い掛かってきたとしても、本気を出せば吸うだけで殺せる毒の結界と自身の身体に覆った……これまた触れるだけで殺せる毒を使えば勝つことが出来るだろう。
勿論この毒も有限であるが、まさか万全の態勢で真っ向から破られるとは思っていなかったオリアナは冷や汗を流し身体を起こす。
「しゃ、喋り過ぎたわ……あの、王様には黙っていてね」
「いや、それは、その。中々難しいのでは」
少しテンションが上がり過ぎて自身の内情を話し過ぎて焦るオリアナに、緑蘭は素直に困惑してみせた。
「と、とりあえず。報復はさせてもらいますよ」
風を切る音がオリアナの耳に入る頃には、黒い尾が腹に埋まっている。口から空気が抜ける様な声を出し、次は頰、その次は足。やがて全身を何度か叩かれたオリアナは力なく地面に横たわる。
制裁を加え終わった緑蘭は神器を仕舞い、周囲をみる。壊れた家屋、毒により体調を崩している者達。
解毒剤は恐らく持っているだろう。しかし、それにしても。
「やる事が多すぎる……」
むむむ。唇を強く噛み締めて、溜まったストレスはオリアナを蹴って発散する。
「あ」
足首を掴まれる。
まるで焼きごてを当てられた様な痛みが走り、慌てて緑蘭は振り払う。火傷の様に手形がつき、目眩が襲う。
死んだふり。その練度は油断はしていたが、一応そういうことを考慮していた緑蘭を欺くほどのものだった。
その緑蘭の左側頭部に衝撃が走った。激痛から霞む視界に、何かが写るがよく見えない。オリアナの部下のせいで緑蘭は左の視界が鈍くなっており、反応する事が出来なかった。
「舐めるなクソガキっ!」
何かを投げつけたのだろうか。右目に写るオリアナは起き上がって腕を振り切っていた。
実際は、紐に繋がった分銅の様な物だが、緑蘭にとってはもはやどうでもいいものだった。
トスっ、と。オリアナの腹に小太刀が刺さる。緑蘭がずっと左手で持っていたが、戦闘中にそれを使う事はなかった。だが、油断から追い詰められた緑蘭は決断する。
殺す気で行く、と。
見えぬ左の視界と痛む足、そしてそこから毒が回っているのか全身に違和感を感じ始めている。この状況で激しい動きをすれば、より早く毒が回るだろう。
分かった上で緑蘭はオリアナとの距離を詰めて自分の服を一瞬で脱ぎ去りそれをオリアナの顔に巻きつける。そのまま首を巻き込んで力強く引っ張れば、直接触れずとも良い即席の絞め技の完成だ。
*
次の日
ひょこひょこと足を引きずりながら緑蘭は薬湯を運ぶ。医務室に集められたシャロンお付きの女官達は皆ここに集められ、療養していた。
左目に眼帯、足首に包帯を巻いた緑蘭も摂取した毒の量で言えばこの中でも一番多いくらいだが、元々の耐性と異常な回復力のおかげで一番の軽傷といえた。
「緑蘭、あなた大丈夫なの?」
しかしシャロンはいつもの様子と違う緑蘭が心配で、慌ただしく女官達の世話をする彼女を休ませたいと思っていた。
だが緑蘭は首を小さく振る。
「私は大丈夫です。むしろ他の方達に何か後遺症でも残ったら大変ですから。私なら彼女達の使う毒への知識も少しありますし」
一応、ライバル組織に在籍していたので相手の手の内は調べてある。その対処法もだ。勿論彼女達の全てを知るわけではないが、今回に限っては……緑蘭は続けた。
「流石にと言うべきか、そこまで強力な毒は使っていなかった様です。人死を出せば大変ですからね」
元々、緑蘭以外には軽く痛めつけるくらいのつもりだったのだろう。全員を眠らせた後、色々と工作を考えていたのかもしれない。
「周防、ちょっといいか」
気付けば、いつのまにか王様が医務室を訪れていた。周りからの挨拶に答えながら、ちょいちょいと緑蘭を手招きする。
「結局、シャロン嬢に盛られた毒は何だったのだ」
彼について行き、人気が無くなったところでそう切り出された。緑蘭は近くの石に腰掛け、一息吐く。
「避妊薬です。何度も続けば二度と子宝に恵まれなくなる程度には強力な」
「……なるほどな」
それだけ話し、沈黙する二人。
「彼女達は、暗殺者の様な稼業を生業とする組織の一員です」
しばし静かな空気が流れていたが、そういえば、といいたげに緑蘭が口を開きそう言うとそれを聞いて深刻そうに眉をひそめる王様。
「仮にも、一国の王である私の後宮だぞ。何者かの手引きがあったとしか思えんな」
「まさにその通りの事を聞こうと思っていました。しかし、それにしても大胆過ぎる」
顎に手をやり、少し考え込む王。
「彼女達は一体どうしたのですか? オリアナ嬢はもちろん、その部下も中々の数いましたが」
「全て牢に捕らえてある」
緑蘭はそれを聞き少し黙る。やがて言いにくそうに口を開く。
「どんな牢なのかは知りませんが、彼女らの脱獄技術は凄いですよ」
「……後でしっかりと確認しておく」
それ以降は二人に大して話す事はなく、沈黙が続く。緑蘭はまだ女官達の毒抜きが気になるので、そちらへ向かう事にした。
去り際に、振り向いた緑蘭。王はそれに疑問符を浮かべる。
「どうした」
ジッと、彼女は王の目を見つめた。まるで、全てを見透かしている様な、そんな瞳だった。
「……だれか、心当たりがあるのですか?」
その問いに、王はギクリとしたものの複雑な表情を浮かべて正直な所を話した。
「出来得る人間はいる。だが、そいつは私に害を為すとは思えない」
そうですか、とだけ言って緑蘭は去っていった。その背中を見つめながら、王は頭を抱えて座り込んだ。面倒ごとが多過ぎる、ただそれにつきた。
*
その日の夜。
オリアナとその部下は牢から解放されて、とある一室に集められていた。
「……わざわざ集めて何のつもりかしら?」
不敵に言ってのけるオリアナの視線の先には彼女達を集めた張本人がいる。大きな部屋の奥に、ゆったりと座る女だ。まだ年若く、年の頃は緑蘭と同じ……それ以下に見える。
彼女の名を、パルミティア。北宮のパルミティアと言う。
美しいウェーブがかった金髪と鋭い金眼、何処か浮世離れした雰囲気を持つ少女だった。
彼女の脇には正座をする同じ年頃の女がいて、珍しい水色の髪を長く伸ばしたその女は微動だもせず、まるで人形の様だった。
「こんな騒ぎになって、使えないから処分する事にしたの。そもそも、既に用済みだったのだから」
凛とした声だった。それを聞いて憤るオリアナは部下に手で指示を出しつつも、自身の身体から体液を流し戦闘態勢をとる。
それを見ても尚、パルミティアは姿勢を変えなかった。ただ、眼光鋭くオリアナを睨みつけている。
「ガキが、使えないと言うのはこちらの台詞だ。我々を舐めすぎだろう。この距離……既にお前の命はもらった」
それを聞いて、初めてパルミティアは表情を変えた。ふふっと、鼻で笑う。それを見てさらに苛立ちを募らせるオリアナが口を開こうとして
「睡蓮」
それより早く、パルミティアが静かに自分の脇に座る女に声を掛けた。ゆっくりと、俯きがちだった顔を上げる水色髪の女……彼女が、鞘に入った刀の柄に手をかける。
「片付けておきなさい。それらは毒を含んでいるので十分気をつける様に」
パルミティア付きの女官達が呼ばれて部屋に入ると、彼女は淡々とそう告げた。それに対して表情も変えずに女官達は頷き仕事を始める。
むせ返るほどの血の匂い。部屋中に飛び散った血液。そして、そこら中に散乱する人間の部品。
「私は戻ります。睡蓮、貴方も行きますよ」
立ち上がって、脇に控えていた水色髪の少女……睡蓮を連れて部屋を去るパルミティア。部屋の惨状を見ても顔色を変えなかった女官達だが、パルミティアと睡蓮が横を通るときだけはその顔を強張らせた。
部屋に散らばる人間の部品は、オリアナという女とその部下達のモノだ。彼女達と、パルミティア達の居た位置は遠く、その為かパルミティアと睡蓮の身体には全く返り血がついていなかった。
オリアナ達が最初に立っていた位置から動いていない事もあるが、飛び散る血痕はパルミティア達の元へ届く前に……途中で何かに遮られる様に綺麗に切れている。
「バカな女だったわ」
パルミティアの、本気で憐れむ声だけがそこに残された。
半端な終わり方ですが、理由は活動報告にでも書きたいと思います。
読んで下さってありがとうございます。