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戦国稲荷御伽草子  作者: 笠緒
第二部 戦国稲荷御伽草子 ~咎の恋と雪の婚礼~
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第一章 咎なる身・弐

 ヒュン、と空を切る甲高い音が、鼓膜を震わせる。

 その直後、パァン……! と、小気味よい音と共に、三十間(約三十メートル)ほど離れた場所で板で作った的が揺れた。

 ほぼ真ん中には先ほど放たれたばかりの矢を含め、数本の矢が刺さっている。


「お見事」


 直鷹(なおたか)は止まり木に係留している鷹へと肉を与えながら、横目に確認した(あた)りに賞賛を送る。その声に、兄の直家(なおいえ)は構えを解くと、弓を傍に控えていた者へ下げ渡し、肩脱ぎにしていた素襖(すおう)を素早く羽織ると袖を通した。

 弓籠手(ゆごて)もなく、弓を射るには流石に袖が邪魔なのだろうが、どんよりと薄暗い雲が天空に立ち込めており、辺りを駆ける風はただただ冷たいこの季節。兄は寒くはないのかと思っていたが、なるほどやはり寒かったらしい。直鷹は綿の入った愛用の打掛を片手で手繰り寄せながら「だよな」と独りごちた。

 新年を迎え、暦の上では春と呼ばれる季節だが、その実、その足音を聞くのはまだまだ当分先の話だ。


「俺、ここに来るたびに思うんだが……お前んとこの的、距離長くないか?」

「まぁ、三十間くらい距離取ってるんで、長いといえばそうかもですね」

「いや長いだろ、それ。普通屋敷にある稽古用の的って、十五間超くらいなもんじゃないか?」

「他所は他所、うちはうち。ってことで」

「お前のその個人武芸第一主義ってのは、いまの内に改めた方がいいぞ。将の考え方じゃない」

「将は兄上でしょう。俺は、兄上の寄子(よりこ)(附属武将)ですから」


 兄のいわんとしていることは、直鷹にもわかる。

 直鷹の生まれは水尾家(みずおけ)であり、その棟梁である父・水尾秀直(みずおひでなお)の正室腹の男児ともなれば、いずれ自身で軍を率いる将になるのだろうということもわかっている。

 けれど、だからといって将が武芸を磨かないでいいという根拠にはならないというのが直鷹の持論である。もっといえば、単純に身体を動かし、武芸を磨くのが好きなだけなのだが。


「っていうか、どうしたんです。急に俺んとこに来るなんて……。わざわざお越しになられなくても、兄上のお召があればすぐに登城しますよ」

「そうはいってもお前、城に寄りつかずにすぐに牧野(まきの)の小倅と一緒に遠駆けやらなんやらに出かけるじゃないか」

「はは、相変わらず手厳しいな、兄上は」


 鬼千代(おにちよ)の名で呼ばれていたころ直鷹の生活の場は、父の居城であったり兄の居城であったり――つまるところ、母親の近くで部屋を与えられてのものだった。元服して後は、兄の与力となったこともあり、彼の城である御幡城(みはたじょう)の城下に屋敷を構え、熊――弦九郎(げんくろう)や、その他数人の使用人、下男下女たちと共に暮らしている。


「それに、最近は花咲(はなさき)の方まで足を運んでいるって話だしな」


 まるで明日の天気を呟くような気楽さで、直家の視線が直鷹へと流された。けれどその視線は、肌に貼り付く空気よりも冷えている。

 昨年の一件以来、直鷹は榊家(さかきけ)の新当主である阿久里の御伽衆(おとぎしゅう)(相談役)として花咲城へと時おり足を運んでいる。特に正式な報告はしていないが、実際に彼女と面識を持った父は薄々それに勘付いていることだろう。

 けれど、当時京都に出向いていた直家は、その騒動に榊家の息女の姿があったことは知らない。ただ、長兄・直重(なおしげ)が、本家と密約を交わし、父親に対して反旗を翻そうとした、という概要のみを知らせていた。

 阿久里との個人的な繋がりを知らない兄からしたら、直鷹の行動こそ叛意と取られても不思議はない。

 直鷹は軽く見開いた瞳をゆっくりと瞬きさせると、唇へと三日月を刷く。人からよくいわれる、外連味じみた表情をわざと作り出した。


「俺が領内といわず、あちこち歩き回るのはいまに始まった話ではないでしょう?」

「そうだな……。まぁ、母上の目も遠ざかったことだし、嫁を貰う前の多少の悪さや火遊びならば、俺は咎めはしないけどな」

「母上のお耳はそれはそれは大きいそうですから、どこで聞かれているかわかったもんじゃないですけどね」

「それは怖いな」


 母・児玉御前(こだまごぜん)は昨年、兄の居城から父のそれへと身を移しており、ことあるごとに城へと呼び出されていた直鷹からすると確かに身軽になったわけだが、それは共に暮らしていた直家も同意であったらしい。

 クク、と破顔する様は、先ほどまでの冷気を帯びた視線からは想像がつかないほど、「兄」としての直家の顔だ。直鷹は背へ孕ませていた緊張を解くと、肩の力をそっと抜く。


「っていうか、嫁云々の話なら、兄上の方がそうじゃないですか」

「あぁ、国を越えてすぐに、榊へと接触を図った嫁の話か?」


 この人は――。

 直鷹の唇が、冷たい空気をヒュ、と飲み込んだ。

 その冷たさに、喉の奥が凍り付いてしまったかのように、音の紡ぎ方を一瞬忘れる。ピリ、と指先に痺れを感じるのは、寒さ故か、それとも緊張のせいか。

 直鷹は、飲み込んだ空気をゆっくりと吐き出すと、落としそうになった鷹の餌を持つ指先に力を込めた。

 は、と吐き出した息が、白いモヤを冷たい空気に滲ませ消える。


「……そういったお話は、どこから仕入れてくるんです?」

「さぁな。母上に似た大きな耳を持って生まれたのか――。あぁ、そうだ。俺は底知れぬ(ぬえ)のような男らしいからな。魑魅魍魎にでも聞いたんじゃないか」

「まぁたまたぁ」


 鵺、とは、かつて京を中心に出回ったと伝承される妖怪である。

 夜になると活動し不気味な声で鳴く、と云われており、兄もまた「(はかりごと)や悪事は夜、行われる」という持論から、若いころより夜になると城を出るという噂があったため、いつしか兄は鵺の若殿と仇名されるようになった。


(父上の「鳴海の若虎」って仇名とは、まぁ方向性が違うよなぁ)


 もっとも、直鷹の「ばさら大名かぶれ」に比べれば、恐らく大分ましなのだろうが。

 軽口を叩きながら、直鷹の胸の内側には恐怖にも似たものが一瞬で生まれ、ジワリと肌へと広がっていく。

 奇しくも、兄がこの屋敷を訪れるほんの少し前、花咲城の阿久里(あぐり)より消息が届いたばかりだ。そこに(したた)められていた内容は、兄の語る通り、嫁いでくるはずの高梨家(たかなしけ)の姫君から接触を図られたというものだった。どうやら一晩、宿を貸してほしいと頼んできたらしい。

 近習を務める直周(なおちか)と相談の上、榊の菩提寺になんとか話をつけたそうだが、その対応はともかくとして高梨の話というのがどうにも腑に落ちない。


(確か宿泊場所に関しては、高梨の方でなんとかするって話だったはずだけどな)


 嫡男である直家に他家より嫁が輿入れしてくるとなれば、水尾家としてもそれなりの準備が必要だ。場合によってはすぐさま直家の住む御幡城に入らず、いずれかの屋敷に留まってからという可能性も十分あったため、直鷹は兄の傅役である家老の柿崎(かきざき)に、どうするのかと確認をしたのだ。

 しかし彼の話では、高梨家と懇意にしている商家が鳴海国(なるみのくに)にあるため、挨拶もかねてそこに立ち寄ることにする、という返事があったため心配無用ということだった。


「そうだ。もうひとつ、驚かせてやろうか。これは、お前もきっと知らない話だぞ」


 直鷹の内心を知ってか知らずか、直家がさらに楽しげな感情を声へと宿らせる。「お前()」と断言したからには、すでに直鷹がこの情報を掴んでいることを把握していたのか、それともただカマをかけてきただけか。

 迂闊に反応すると痛い目を見そうなので、直鷹は声を飲み、そのまま兄の続きを待つ。すると直家は「ふぅん」と少し意外そうな顔で、一度瞼を上下させた。


「なんです?」

「いや? 相変わらず、お前は乗ってこんなと思ってな」


 直家は「まぁ、いいさ」と軽く首を振ると、ふわりと浮いた話題を元の位置へと正す。


「どうやら、その輿入れしてくる嫁によく似た侍女を連れているって話だ」

「よく似た……? 影(身代わり)ですか?」


 下剋上の世となり、暗殺の恐れが高まった武家では、当主の身代わりともいうべき影武者を置いてそれを防ぐような動きが出てきたとは聞いている。だが、嫁いでくる女に影をつけるというのは、聞いたこともないし実際置く意味もない。


「どうだろうな。話に聞く草の者(忍者)は変装の達人というし、もしかしたらそういった類の女なのかもしれんが……わからん」

「わからんって……兄上の嫁の話じゃないですか」

「わからんもんは、わからんさ。まだ会ったこともないんだ」

「……というか、もしそうだとしたら、嫁入りではなく暗殺でもしに来たんですか。その姫君は」


 正直、高梨海山(たかなしかいざん)の経歴を考えるに、(むすめ)にそういった指図をしていたとしてもおかしくはない。なんせ、主君の側女(そばめ)と通じ、下剋上を果たしたという噂があるほどの男である。


(まぁ……逆に考えれば、それだけのことを一国一城の妻になったほどの女にさせたっていうのが、すごいのかもしれないけど)


 権力者の人妻となった女を誑しこめるほどの、器量よしなのだろうか。

 片や鳴海国(このくに)は、不甲斐ない父親を追放し――とはいっても同じ城の中にはいるが――、その(むすめ)が当主の座についた。

 その補佐をするのは、その家を追い落とそうとする家柄の三男坊。

 ――誑しこまれたかどうかは、とりあえず置いておくとして。


(同じ世を生きる大名っていっても、ほんと千差万別だね)


 直鷹は栗色の髪を持つ、鳴海国(このくに)の主を思い出し、くつ、と喉を鳴らした。


「暗殺……か」

「え、いやいや。それは冗談ですけど。って、まさかそんな怖い可能性あるんですか?」


 手の中で大分小さくなった肉を啄む鷹へと向けていた視線を、直鷹は兄へと走らせる。自分の軽口はあくまでも高梨海山ならやっても不思議はないな、という程度の予想にも劣るただの雑談に過ぎない。

 けれど、恐らく秘密裡に行われたであろう高梨から榊への接触さえも把握していた兄のことだ。もしかしたら、なにかほかの情報を仕入れてでもいるのだろうか。


「いや、嫁が仕掛けてくるかどうかは知らんさ。ただ、遠賀(とおが)のいまの状況的に、そういうこともあり得るかとは思っただけだ」

「高梨海山どのが、全てを飲み込む蟒蛇(うわばみ)と仇名される御仁だからですか?」

「それはいまに始まった話じゃない。高梨の(むすめ)を嫁に、という話がなされた時点でその辺りの覚悟は俺も、父上も、柿崎の(じい)だってあっただろうよ」


 廂を貸して母屋を取られるの喩えではないが、実際嫁の実家からの干渉に身を滅ぼすことになった家もそれなりにあるとは聞くが、少なくとも兄はそんな器量の持ち主ではない。蟒蛇をも飲み込むような、闇の主である鵺である。


「聞くところによるとな、遠賀の至る所で、きな臭い話が次々に巻き起こっているらしいぞ」


 どうやら高梨海山一代にして、遠賀の大名に名乗りを上げたものの、そのしっぺ返しがいま来ているのだと兄は語りだした。

 元々遠賀国は、何百年も前からの名家と伝わる多田家(ただけ)が守護大名家として君臨していた。けれど、いまから三十年前に多田へと仕えるようになった海山が、十年の内に主を追放しその地位を取って代わったことでいまの遠賀が作られたわけだが、そのやり口がやや強引であったせいか、その当時生まれた(ひずみ)がいまになって大きな綻びとして無視できないものになっているのだという。

 その綻びのひとつが、海山が寝取った前国主である多田長頼(ただながより)の側女の産んだ子である。


「その女が産んだ高梨の嫡男は、海山どのが多田長頼を追放して半年くらいあと生まれたってことで、その当時から胤は多田長頼じゃないかと噂されてたって聞きましたけど」

「まぁ追放する前から海山どのとその女は懇ろだったんだ。海山どのの胤であってもおかしくはないけどな」


 ともあれ、権力者の力が強いときにはそういった噂話もただの噂として終わるが、歴史ある家柄を打ち落とすという強引な手を使った過去は、その力を失いつつあるときに突然牙をむくものだ。

 近年どうやら海山とその嫡男の関係がうまくいかなくなってきており、一昔前ならばただの父子の諍い程度で終わる話だったものが、時世も戦乱の世。出生についての不透明さと、海山に従ったものの未だ追放された多田氏への恩義を忘れていない地元豪族たちの思惑によって一気にきな臭いものへと変じたらしい。


「じゃあ水尾(うち)との婚姻で、海山どのの力が盛り返すことを恐れた反・海山派の人間が、姫君の輿入れに乗じて兄上の暗殺を謀る可能性はなくはないですね」

「そもそも水尾・高梨で停戦の約束がなされた折からずっと停滞したままだった輿入れの話が、この半年くらいで一気に進んだのも、海山どのからしたらそういった思惑あってのことだろうしな」


 下剋上により一国の主と成り上がった高梨海山には、譜第(ふだい)の家臣と呼べる存在がない。裏切りに裏切りを重ねてのし上がった高い地位は、きっと周りになにもなく見晴らしこそいいもののその足を支えてくれる者がいないのだ。


(だからこそ、俺は父上が榊に取って代わるのは時期尚早と思ったわけだし)


 水尾家が鳴海国の豪族となったのは、高梨家とは違い勿論一代の話ではない。基本的に主従関係は自由とはいえ、父・秀直の武将としての資質に惚れ込み、頭を垂れてくれる人間は少なくはない。

 けれど。


  ――それにはまだ早い。そう、思います。


 水晶に波紋を描いたような、透明な声が脳裏に木霊する。

 それは、かつて直接この耳で触れた、鳴海国で一番高い地位にある女性のそれ。


  ――でも、まだ『榊家』という名を有難がり、その威光を蔑ろに出来ない人も多い。


 武力こそがものをいう時代がもうすぐ見えてきているとはいっても、それでも京の将軍から代々任ぜられている守護大名家の権威は、まだ生きている。

 まだ、大義をそこに残している。


  ――それまで、榊の家は滅ぼされるわけにはいかないわ。


 そう、真っすぐに前を見て言葉を紡いだ少女を、昨日のことのように覚えている。


(だから――)


 刹那、バサッ、と目の前で茶を帯びた灰色の羽が風を起こした。

 ハ、と気づけば手の中の肉は全て啄まれており、軽く小首を傾げた鷹が甲高い声で「キュィイイ」と何度か鳴く。直鷹は、そっと嘴を撫でるとそのまま血脂塗れになった(ゆがけ)(革手袋)を脱いだ。


「まぁそれならそれで、身辺もっと厳重にしとかなきゃダメじゃないですか。城下とはいえ、なにひとりで家臣の屋敷に来てるんですか」

「ひとり歩きに関しては、お前にはいわれたくはないな。それに家臣ってお前……弟の屋敷だろう?」

「家来、ですよ、兄上。俺は」


 いままでも、これからもずっと。

 直鷹の視線に、直家は唇の端を僅かに持ち上げた。


「じゃあいつまでその主君を庭に追い出しておくんだ、お前は」

「追い出すもなにも、勝手に来て、俺が来る前に勝手に弓を始めてたの兄上じゃないですか」

「あぁ、寒い寒い。まったく、あいつだけ綿入りの打掛着ててズルいなぁ?」


 食事を終えた鷹へと軽口を叩きながら、直家は屋敷へと上がるために踏み石へと草鞋の先を向け歩き出す。直鷹はそんな兄の後ろ姿に「じゃあ嫁に来た姫君にでも、綿入れ作ってもらえばいいんじゃないですか」と先ほどまでのやり取りからはどう考えてもイヤミにしかならない一言を浴びせると、ふっと笑いを頬へと溶かした。


(高梨家、か……)


 予想はしていたものの、周りを見ずに性急に、強引にことを進めた者は近い将来必ず痛い目を見る。

 まさにそのお手本ともいうべき事態に隣国が陥った。

 直鷹は、痛みさえも感じる程の冷気の中で、手袋の外された手のひらへと視線を落とす。


(それまでは、滅ぼされるわけにはいかない……か)


 本当に、その通りだ。


(なぁ、榊)


 故に、自分は――自分たちは、手を取り合った。

 握りしめた指先が、ギシギシと軋むような痛みを訴える。

 ふ、と見上げた空は、重たい色の雲が圧し掛かっていた。

 頬を撫ぜる空気は、ただただ冷たい。

 今冬は未だ目にしてはいないが、この寒さならば近々雪でも降り出しそうだ。

 直鷹はそう独りごちると、すでに屋敷の中へと入ったらしい兄の呼ぶ声に「はい、ただいま」と返し、彼のあとを追いかけた。

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