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戦国稲荷御伽草子  作者: 笠緒
第一部 戦国稲荷御伽草子
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第四章 華の行方・捌

 濃い緑に四面全てを囲まれていた。

 見上げた空さえも、四角に切り取られているのではないかと思えるほどに、樹々が高く伸び葉が繁っている。

 ピチチチチ、と空高く歌を奏でるのは、雲雀(ひばり)だろうか。


「アレの愛馬もそんな名だったか……」


 直重(なおしげ)はつい口を割って出た十も下の弟を思い出し、そして同時に疼くような痛みが走る腕へと視線を落とす。親しくないどころか不仲といっても過言ではない関係ではあったが、まぁよくも実の兄の腕を容赦なくバッサリと斬り落としてくれたものだと苦い想いが口内に滲んだ。

 そのくせその後は早急に適切な処置してくれたおかげで、その晩は高熱に苦しめられることとなったものの一命を取り留めいまに至る。

 きっとあのまま斬り殺したいほどに憎み恨んだだろうに、彼のその後の行動は水尾家(みずおけ)に仕える一武将としてどこまでも模範的であった。容赦なく腕を斬り落とした冷たい刃の鋭さと、救命のための冷静で適切な処置。正室腹の男児として生まれ模範的な対応をするくせに、その(なり)はどこまでも奇抜だ。

 十も年下のあの弟の中に、ちぐはぐな一面がいくつも存在している。


直鷹(なおたか)さまの愛馬は『月雲雀(つきひばり)』ですよ。直重さま」


 シュル、と衣擦れの音をさせながら背後からかけられた声に、彼の眉は不機嫌そうに皺を刻む。


「ふん……粗暴なあやつには似つかわない雅な名だな」


 これもまた、彼のちぐはぐさを示すいい例だろうか。

 コトン、という音と共に傍らへ置かれるのは、湯呑の中に入った色のない液体。苦いばかりの薬でないだけマシというものだが、どうにもこの白湯という味のないものはどうにも好きにはなれない。

 水尾家(みずおけ)で味も素っ気もなく生きてきた、自分と重なるからだろうか。


(莫迦々々しい)


 直重が、チラと落とした視線をそのまま横へと滑らせていけば、たった今その湯呑を置いたばかりの骨と皮ばかりとしか思えない老いた手が木綿の小袖から生えていた。そのままゆるゆると瞳を持ち上げると、皺だらけの、けれども能面のように感情が見えない(おもて)が飛び込んでくる。


「直鷹さまは武芸がお好きな若さまでいらっしゃいましたが……美しいものを愛でるお優しいお心もお持ちのお方ですよ」

「美しいもの、か……。あの(さかき)(むすめ)は、あのように奇妙な髪や目をしていて……そうそう。榊では、狐と蔑まされていると聞いた。とても美しいとも思えなかったがな」

「姫君も、お美しい方だったと……私は思いますけれどね」

「……浪乃(なみの)

「はい、直重さま」

「お前も、父上たちのように直鷹の方が可愛いか」


 真実、血の繋がった孫にさえも温度のない平坦な声音で話すこの老女は、何故かその孫の腕を斬り落とした少年へと好意的な言の葉を口にする。赤子の頃よりずっとその成長を見てくると、そういった感情も芽生えるものなのだろうか。

 確かに彼女は自分の謀叛に一度は手を貸したが、結局のところ選んだのはあの少年たちであり、自身が殺そうとした父親――彼女の娘を死なせる要因である男であった。

 父・秀直(ひでなお)の温情により、謀叛の咎を命で償わずとも寺に身柄を預けるだけで良いとの沙汰を受けたのはあの事件から数日後の事。寒河江城(さがえじょう)にほど近いこの寺は、父と懇意にしている坊主のものらしく、事実上の軟禁でありその内恐らく出家させられる流れとなるのだろう。

 その際、ひとり供をつけるといわれ寄越されたのが、実の祖母である浪乃であった。

 彼女にしても今回の騒動で自分の方へと加担していた為、その罪を償わせる意味合いもあっただろうが、側仕えに肉親を寄越すなど随分と温い沙汰である。――勿論それは、温情ともいうべきものではあるのだが。

 けれど、彼女にしたら自分よりもきっと血の繋がらない直鷹の方を可愛く思っていたはずだ。共に過ごした時間を考えれば、きっと彼の方が彼女とより長い時間を生きている。


「はて……父上たちも、の意味もよくわかりませぬが……」

「気を使わずとも良い。あの粗忽者を、何故か皆が可愛がっていたのは、俺も知っている」

「…………寂しかったのかい?」


 僅かな沈黙の後に、しゃがれた声が柔らかさを滲ませ言葉を紡いだ。

 それは、決して彼を孫扱いする事なく、仕える家の若君だというように一歩引いた態度を取っていた浪乃が初めて零した、祖母としての声。


「な……に、を……莫迦な事を……」

「お前、自分を認めず日陰者扱いする父親への恨みだの、一国を差配する野心だの、お題目並べていたが……寂しかったんだろう?」


 物心ついた時には、もう母親はいなかった。

 父親も、自分をそのまま放っておく事はなかったが、それでも共に過ごしてくれたわけではない。

 祖母も、侍女としての立場を決して崩しはしなかった。

 話したい。

 誰か話を聞いて、と声を上げることさえ、出来なかった。


(寂しい?)


 自分は、寂しかったのか?


(莫迦な)


 そんなわけはない、と否定する声は、けれども、は、と短い吐息となった。


「そうかい……寂しかったかい」


 そっと、骨と皮だけの小さな手が、彼の背へと回される。


「ここには祖母(ババ)しかいませんよ……さぁ、ゆっくりお泣き」


 坊丸――、と。

 幼き頃、母に呼ばれたその懐かしい名を祖母の唇が音を刻んだその瞬間――。

 浪乃へと縫いとめられていた直重の瞳は、ぽたん、とひとつの雫を落とした。


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